『発心集』第7巻(第76話~第88話)原文全文を読む|読みやすいふりがな付き

 このページでは、鴨長明『発心集』第7巻(第76話~第88話)の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。

 現代語訳とあわせて読みたい方は、『発心集』第7巻(第76話~第88話)現代語訳全文をご覧ください。

目次

第76話 恵心僧都のそのかみ空也上人

 恵心ゑしん僧都そうづのそのかみ、「空也上人くうやしやうにんたてまつらん」とて、たづたまへることあり。としたけ、とくたかうして、ただひとともおぼえず。

 いとたふとえたまひければ、後生ごしやうのことまうしだし、

極楽ごくらくねがこころふかくはべり。往生わうじやうはとげはべりなむや」

 とたづねたまひければ、

「われは無智むちものなり。いかで、さやうのことをことわりはべらん。ただし、智者ちしやのまうしはべりしことをきて、これをあんずるに、などかはしやうぜざらん。そのゆゑはひと六行観ろくぎやうくわんしゆして、上界じやうかいぢやうんとおもふとき、下地げぢは、なり、なり、しやうなり。上地じやうちは、じやうなり、めうなり、なりといふことをしんじて、下地げぢのいやしきさまをいとひ、上地じやうちめうなることをねがへば、その観念くわんねんちからにて、次第しだいにすすみて、非想非々想ひさうひひさうまでいたるべしとへり。されば、西方さいはう行人ぎやうにんもまたおなじことなり。智恵ちゑ行徳ぎやうとくなくとも、穢土えどいと浄土じやうどねがこころざしふかくは、などか往生わうじやうげざらん」

 とのたまひければ、僧都そうづこれをきて、

「まことにことわりきはまりはべり」

 とて、なみだながし、たなごころはせて、したまひにけり。

 さて、『往生要集わうじやうえうしふ』をせんじたまひけるに、そのことをおもひて、厭離穢土おんりえど欣求浄土ごんぐじやうどさきとしたまふ。

第77話 この上人雲林院に住みたまひけるころ

 この上人しやうにん雲林院うりんゐんみたまひけるころ、七月しちぐわつばかりに、きやうになすべきことありて、あしたかげに、大宮おほみや大路おほぢみなみざまへおはしけるに、大垣おほがきのほとりに、例人れいびととはおぼえぬひとのさしへりけるが、いみじくかんうらみたる気色けしきにてえければ、上人しやうにんあやしくて、とどまりて、

「いかなるひとにてましませば、かくあつきほどに、かんげにおはするは」

 とひたまふ。

 このひとのたまふやう、

空也上人くうやしやうにんとはおんことをまうすにや。ごろより、ひたてまつりて、うれへまうさんとおもひつるに、いとうれしくはべり。おのれは松尾まつのを大明神だいみやうじんなり。妄想顛倒まうざうてんだうあらしはげしく、悪業あくごふ煩悩ぼんなうしもあつくはべるあひだ、かくさむへがたきなり。もし、法華ほけ法施ほつせしめたまはむや」

 とのたまふ。

 ひじりいとかたじけなく、あはれにおぼえて、

「うけたまはりはべりぬ。ただし、やしろまうでて、法施ほつせしたてまつらむ。この、おのれがしたてはべる小袖こそでは、この四十余年しじふよねんし、法華経ほけきやうみしめてはべるころもなり。あかづきて、いとかたじけなきことにははべれど、これをたてまつらん」

 とまうしたまひければ、よろこびてたまひて、

いまはこの法華ほけころもて、いとあたたかになりたり。これよりのちは、仏道ぶつだうなりたまはんまで、まぼりたてまつらん」

 とて、ひじりをがみて、りたまひぬ。

 これ大通智勝仏だいつうちしようぶつ垂跡すいじやくにておはしますべし。くにたすけ、仏法ぶつぽふまもらんがために、あとれたまへば、上人しやうにんとくたふとびて、法施ほつせけたまふ。しかるに、ふる小袖こそでをたてまつりたまひけるこころのたけこそ、なほありがたくはべれ。

 そもそも、天慶てんぎやうよりさきは、日本にほん念仏ねんぶつぎやうまれなりけるが、このひじりすすめによりて、ひとこぞりて念仏ねんぶつをまうすことになれり。つね阿弥陀あみだとなへてありきたまひければ、ひとこれを「阿弥陀聖あみだひじり」とふ。あるときなかぢゆうして、もろもろの仏事ぶつじすすめたまふによりて、「いちひじり」ともこゆ。すべて、はしなきところにははしわたし、なくして、みづとぼしきさとにはりたまひけり。

 これをわがくに念仏ねんぶつ祖師そしとまうすべし。すなはち、法華経ほけきやう念仏ねんぶつとをおいて、極楽ごくらくごふとして、往生わうじやうげたまへるよし、えたり。

第78話 中ごろ左中将雅通といふ人ありけり

 なかごろ、左中将雅通さちゆうじやうまさみちといふひとありけり。こころうるはしくて、わかきより法華経ほけきやうみたてまつりける。ことに、提婆品だいばほんしんじて、毎日まいにちじふ二十遍にじふへんこれをむ。しかれども、つかへ、ひとまじはるあひだこころならずかりすなどりし、もろもろの悪業あくごふつくり、つねはかの、「浄心信敬不生疑惑者じやうしんしんぎやうふしやうぎわくしや」のふみ口付くちづけ、言草ことぐさとせり。

 命終みやうじゆうときおなじくこのふみとなへ、さまざまの瑞相ずゐさうて、往生わうじやううたがひなきよし、披露ひろうしけり。道雅朝臣みちまさあそんさらにこのことをもちゐず、

殺生せつしやうこのみ、世路せいろをわしりつるひといかが往生わうじやうせむ」

 とふほどに、としのち六波羅蜜寺ろくはらみつじへまゐりて、しのびて聴聞ちやうもんするあひだに、くるままへ一人ひとりあまありて、おのがどちかたつていはく、

としごろ、往生わうじやうねがへども、ひんにして善根ぜんこんをなすちからなし。あしたゆふこれをなげくほどに、ぎぬるゆめるやう、一人ひとりそうありて、げていはく、なんじなげくことなかれ。ただこころうるはしくして、念仏ねんぶつするものは、かなら極楽ごくらくしやうずるなり。ちかくは中将雅通朝臣ちゆうじやうまさみちあそんこころうるはしくして、法華経ほけきやうたもつかゆゑに、そのほかの善根ぜんこんなけれども、すでに往生わうじやうげたりとかたる」

 道雅みちまさつぶさにこれをきて、そののちしんじたりける。

 ただ、いづれのぎやうなりとも、こころうるはしくして、そのうへねがひおこし、こうむべきにこそ。

 ある伝記でんきにいはく、もろこし并州へいしうといふくにあり。かのくにひとは、しち八歳はつさいより道心だうしんありて、念仏ねんぶつをまうして、おほ極楽ごくらくしやうず。そのなかに、僧延法師そうえんほふしといふものあり。これおもふやう、「かならずしも念仏ねんぶつしてのみやは、極楽ごくらくしやうずべき」千部せんぶきやうはじめてむ。百部ひやくぶになるゆめに、わが左右さいうわきより、はねで、びぬべくおぼえければ、あやしくて、これをるに、法華経ほけきやう文字もじの、ことごとくつばさひたるなりければ、あはれにたふとおぼえて、こころに、「極楽ごくらくびまゐらん」とおもふに、西にししてくほどに、すなはち、おもひのごとくまゐりきぬ。

 七重宝樹しちぢゆうほうじゆのもとにりたるあひだ、このはねひたる六万九千余ろくまんくせんよほとけになりたまひて、みなことごとくひかりはなつて、阿弥陀仏あみだぶつ囲繞ゐねうして、たまへり。これをたてまつるに、いよいよたふとくかたじけなくおぼえて、なみだながすことかぎりなし。

 阿弥陀仏あみだぶつのたまふやう、

「このほとけたちは、みな、なんじみたてまつる法華経ほけきやう文字もじにておはします。しかるを、なんじ極楽ごくらくねがふ。娑婆しやばかへりて、千部せんぶねがひはたして、もろもろの衆生しゆじやうをしへて、このきやうたもたしめよ」

 とのたまふ。

 これをうけたまはりて、かへらんとするとき、またこのおほくのほとけつてもとのごとくつばさとなりたまひぬ。ときさきのごとし。

 僧延そうえんゆめめて、なみだおさへがたくして、たいげて、夢中むちゆうたてまつるほとけたちををがみ、深心じんしんおこして、このきやうみたてまつるとなむ。

 またいはく、もろこし恵超禅師ゑてうぜんじといふひとあり。法華経ほけきやうこころざしふかくして、としごろみたてまつるほどに、ややこうつもりてのち、いづくよりたるともなく、小法師こぼふし一人ひとりでつかはれけり。

 この小法師こぼふしこころかしこく、さとりありて、いまだはざることをもり、おもこころをもしはかる。諸事しよじちからたへて、これぞつかふに、いささかもこころにたがふことなかりければ、またなきものにおもひてぎけるほどに、この恵超ゑてうことのたよりに、真言しんごんをしすぐれたることをきておもふやう、「法華経ほけきやう八巻はちくわんみたてまつるもわづらはしきに、真言しんごん文字もじすくなくて、よしことわり甚深じんじんなれば、やすくして、功徳くどくはよくすぐれたまへり」とおもひて、法華経ほけきやうをさめて、一向いつかう真言しんごんならひて、胎蔵界たいざうかいおこなふ。

 そのときに、ごろつかへつる小法師こぼふし、かきつやうにせぬ。いたらぬくまなくたづもとむれども、さらにかたらず。恵超ゑてうこれをなげきて、たりけるゆめに、かの小法師こぼふしていはく、

「われまことには地蔵菩薩ぢざうぼさつなり。なんじ法華経ほけきやうこうれたること、たふとおぼえて、ごろつかへつれども、いまはそのこころざしあらためて真言しんごんならふこと、本意ほいなければ、りぬるなり」

 と、のたまふとたりける。

 これかならずしも真言しんごんのおろかなるにはあらず。かつは、こうれたるぎやうてたるあやまりをとがめたまへるなり。

 そもそも、釈尊しやくそんは、一期いちご化縁けえんきて涅槃ねはんりたまひしが、このきやう生身しやうじんにかはりて、あまねく衆生しゆじやう化度けどしたまふ。われはまよひもへず、さとりもなき薄地はくぢ凡夫ぼんぶとして、無量劫むりやうこふをだにかぬ、平等大恵びやうどうだいゑ教門きやうもんにあへるは、また、他事たじにあらず。釈尊しやくそん無縁むえん大悲だいひ無作むさ誓願せいぐわんによりて、われらが道心だうしんすくなしといへども、いはにもにもあらず、いかで、この広大くわうだい恩徳おんどくほうじたてまつらん。ただ、このきやう一文一句いちもんいつくをも、受持読誦じゆぢどくじゆして、これをもつて仏恩ぶつおんほうぜんとすべし。

 そのゆゑはほとけ三界特尊さんがいどくそんとして、自在じざい神通じんづうたまへり。なにものとぼしき、何事なにごと御心みこころかなはざらん。ただ、われらが生死しやうじうみそこしづみ、かぶもなきを、一子いつしおんあわれみにむことなくて、かなしみたまふばかりなり。まことにねんごろなる御歎おんなげきにてはべらめ。かかれば、衆生しゆじやう一人ひとり得道とくだうすることは矌劫多生くわうごふたしやうおん大事だいじ、「方々かたがた方便はうべんめぐらし、種々しゆじゆげんじてえんむすばん」ときせずかまへ、いとなみたまふなるべし。

 しかるを、このきやう法師品ほふしほんに、「一偈一句いちげいつくなりとも、たもちて、供養くやうしたてまつらんひとは、みなほとけになりたまふべし」と授記じゆきしたまへり。また、「若暫持者にやくざんぢしや我則歓喜がそくくわんぎ」などともきたまへり。これをけば、わがのため、たのもしきのみならず、ほとけ御心みこころよろこばしめたてまつらんこと、いみじきえうにてはべるなり。

 孝経かうきやうといふふみには、「ひとの、くせ片端かたはなくてうまれたるは、かうはじめなり」とふ。うまれるの、こころよりおこらぬことなれども、父母ちちははよろこばしむるは、孝養かうやうにてはべるなり。

 しかれば、浄財じやうざいげて供養くやうしたてまつらばこそ、まずしくてはちからおよばずともはめ、かくひろまりたまふきやうたもちたてまつらん、かたかるべきことかは。「全部ぜんぶ通利つうりし、文々解釈もんもんげしやくせよ」ともかず。鈍根無智どんこんむちなりとも卑下ひげすべからず。おほければ、千歳せんざいつかふるわづらひもあるまじ。

 五種ごしゆぎやう、まちまちなり。ぎやうこのみにしたがひて、もしは一偈一句いちげいつくなりとも、えんむすびたてまつらんことは、さすがに易行いぎやうぞかし。されど、ならまねば、までぞある。一偈いちげたもちたてまつるひとは、これすなはち、信心しんじんすくなくて仏説ぶつせつうたがひ、見聞けんぶんふかくて微少びしやうぎやうと、人目ひとめづるなるべし。これきわめておろかなることなり。ただ、一文一句いちもんいつくなりとも、えたるにみづむがごとく、ぐうひがたくきがたきおもひをなして、えんむすびたてまつるべし。

 ちかごろのことにや、ある智者ちしやの、おちぶれて、などあまたちたるありけり。うまれて、ものふほどになりぬれば、さだまれることにて、かなら法華経ほけきやう首題しゆだいをしへて、かたのさまなれど、これをとなへさす。うまれていつつにもなりぬれば、ゆるにしたがひて、一品いつぽん一巻いつくわんまでも、一句いつくづつくちまねをしてませけり。

 ひとそのゆゑをひければ、

「このきやうは、仏出世ぶつしゆつせ本懐ほんかいなり。このども、もしいのちみじかくて、いとけなくてぬこともあらば、なにをかは人界にんがいうまれたるしるしとせん。まことに、たからやまりて、むなしくづるがごとし。かかれば、いそえんむすばするなり」

 とぞひける。

 大方おほかたさるべき見物みものなどのときてもりあへず、ひとあつままれるをるときは、人界にんがいうまれがたきこともおぼえねど、まことには、またかいまつたたもちてうまるとへば、いとかたかるべきことにこそあれ。

 いまひとれば、一戒いつかいなほたもちがたし。いはんや、また五戒ごかいをや。ただ、あしたゆふ三悪道さんまくだうごふをのみつくる。かかれど、さすがにひとたねえぬことは、ただ、このきやうひろまれるゆゑなり。

 宝塔品ほうたふほんに、「此経難持しきやうなんぢ若暫持者にやくざんぢしや乃至是名持戒ないしぜみやうぢかい」とふ。そのこころは、「しばしもこのきやうたもものは、破戒はかいなれど持戒ぢかいなり」とふなり。まことにたのもしきことなり。ただし、もし、しばらくも信心しんじんふかくてたもつべくは、それもかたくやおもふべきに、同文どうもんつづきに、「是則勇猛ぜそくゆうみやう是則精進ぜそくしやうじん」とあれば、こころゆるく、懈怠けだいならんひとのためにかれたるふみえたり。

 すべてはにごふかすゑに、このきやうをさながら通利つうりするひとは、おぼろげの宿善しゆくぜんとはおぼえず。現身げんしんにそのあかしをも臨終りんじゆう瑞相ずゐさうもあらはるべけれども、かならずしもしからず。このには、持経者ぢきやうじやおほくて、その行儀ぎやうぎととのほりがたし。またことなるしるしもなし。ひとしんおこさぬも、これよりおこることなり。

 げに、いとあやしきを、よくおもへば、世々せぜ値遇ちぐしたてまつるちからにて、無智文盲むちもんまうなるひとも、おのづから通利つうりす。生々しやうじやう名利みやうりのためにして、まことのこころおこさざりけるゆゑ、生死しやうじにもまり、その威儀いぎけたるなめりとのみおぼえはべる。

 さりとて、ゆめゆめこれをかろしむべからず。こがねわらつつめりとても、あたひすくなからず。いはんや、過去かこ結縁けちえんと、尽未来じんみらい得道とくだう、もつてかかるべきゆゑなり。

第79話 中ごろ賀茂女といふ歌詠みあり

 なかごろ、賀茂女かものをんなといふうたみあり。ことにふれて、たかひとありけり。賀茂保憲かものやすのりまご二条関白家にでうくわんぱくけ女房にようばうなり。のちにはあまになりて、をばめうとぞいひける。

 ふか道心者だうしんじやなりければ、ことにどうずることなし。ただ、のつねには、「常住仏性じやうぢゆうぶつしやう」といふ四字しじを、立居たちゐ起臥きぐわ言草ことぐさにしけるが、つひにはりおもひのごとくにて、往生わうじやうげたるよしでんえたり。

 これは涅槃経ねはんぎやう肝心かんじんにて、めでたきことはりなれど、往生わうじやう極楽ごくらくつとめにはたがひてぞはべる。されど、宿習しゆくじふにしたがひ、廻向ゑかうによることなれば、凡下ぼんげ是非ぜひすべきにはあらざるなり。

 また、ある伝記でんきにいはく、むかし楊州やうしうひとありていはく、

常住じやうぢゆうきつるものは、かなら悪道あくだうちず」

 とふ。一人ひとり居士こじこれをうたがひ、あざけりていはく、

「この涅槃経ねはんぎやうを、みなことごとくきたりとも、重罪ぢゆうざいつくりてはのがれがたし。いはんや、わづかに二字にじみみれたらんひとをや。このこともちゐられず」

 とひてぬ。

 そののち、この居士こじいのちはりて、閻王えんわうまへにめしすゑられたりけるとき閻羅人えんらにんこのことをかんがだす。

なんじ大乗誹謗だいじやうひばうものなり。すみやかに、地獄じごくへつかはすべし」

 とていむ。居士こじこれをきていはく、

誹謗ひばうつみをかうぶらんは、このきやうゆゑなるべし。しかれば、また二字にじみみれたる功徳くどく、むなしからんや」

 とふ。

 そのとき空中くうちゆうひかりあり。ひかりなかこゑありて、となへていはく、

若信若不信にやくしんにやくふしん纔聞常住字ざいもんじやうぢゆうじ不堕悪即生不動国ふだあくそくしやうふどうこく

 ととなふ。閻羅人えんらにんこれをきて、信仰しんがうして罪人ざいにんゆるすとへり。

 そうじては、法華ほけ涅槃ねはんも、しんずるもしんぜざるも、ほふたへなるは、みみくちとなへ、有智うち無智むちかたず、みな浄土じやうどごふとなれり。たとへば、栴檀せんだんはわづかにるれども、にほふかく、つるぎ功能くのうらざれども、ものとしてれざることなきがごとし。

 かねては、また、和唐わたう伝記でんきのごとくは、たとひ、ぎやうおろかなりといへども、廻向ゑかう甚深じんじんなれば、みなそのねがひをぐ。いはゆる、はしわたし、みちつくり、ふねさをさし、ぎやうじ、もろもろの歓喜かんきこれなり。

 すなはち、衆生しゆじやうのもろもろのぎやうはじみみれしより、こころにすすみ、こうみ、あかしるまで、ことごとく前世ぜんせ宿習しゆくじふによりて、このところひとつならざるゆゑなり。かの和須蜜多わしゆみつたをとこ近付ちかづけ、祇陀太子ぎだたいしさけたしなみ、天須菩提てんしゆぼだい過差くわしやこのみ、面王比丘めんわうびく無相むさうははなはだしかりし。みな戒律かいりつそむけるにたれども、釈尊しやくそんこれをかなしびたまはざりしにて、心得こころえべし。

 弥陀みだ化儀けぎもまたおなじ。あきらけく、衆生しゆじやう宿執しゆくしふこころざし、ひきひきすすおくれたることをしろしめして、広大くわうだい誓願せいぐわんおこしたまふ。すなはち、極楽ごくらく九品くほんまうけ、有智徳行うちとくぎやうはじめとし、十悪じふあく五逆ごぎやくいたるまでも、もらしたまはず。念仏ねんぶつ読経どきやうをもととして、はかなきあそび、たわむれまでも、みなひとにより廻向ゑかうにしたがひて、ことごとく引摂いんぜふしたまふ。

 しかるを、いま行者ぎやうじやたがひにほかぎやうをそしり、智恵ちゑ浅深せんじんあらそふほどに、我執偏増がしふへんぞうにして、ややもすれば、仏教ぶつけうおもむきにそむいて、ひとへなるべき西方さいはうごふなかへだてをなし、なつかしかるべきおなのぞみのなか竟趣きやうしゆふくむ。このことの、愚心ぐしんによしなくおぼえはべるなり。

 大方おほかた凡夫ぼんぶならひ、わがこころなほこころにかなはず。いはんや、ひとこころをや。せんは、ただみづからはからひ、みづからつとめ、無常むじやう殺鬼せつきたらざらんさきに、出離しゆつりごふはげむべし。よしなくうたがものひて、あたらひま論議ろんぎこのむこと、よしなくおぼゆるなり。

第80話 太子の御墓に覚能といふ聖ありけり

 太子たいし御墓みはかに、覚能かくのうといふひじりありけり。音楽おんがくこのむこと、つねならず。あしたゆふにいとなむこととては、いたはしにて、をかしげにこと琵琶びはかたつくりて、うまをかけてはじらし、たけりて、ふえかたちりて、これをきつつきやうり、遊戯ゆげしていはく、

菩薩聖衆ぼさつしやうじゆらくおと、いかにめでたかるらん」

 とひて、なみだとしける。

 つねのいとなみにて、かくのみつくきたれば、たるあたりには、うちりて、おほゆるを、おのづからわらはべなどのずさみにうしなひければ、さすがにはらしきくせにて、ののしりけり。

 このひじりとしのち臨終りんじゆうおもひのごとく、らくこゑみみこえてはりにけり。そののち、むなしきからひさしくみだそんずることもなかりけるを、あたりのひといとどほとけのごとくたふとあつまりけるほどに、四十九日しじふくにちといふに、その、いづちともなくせて、えずなりにけり。

 この五十年ごじふねんばかりがさきのことなれば、としたかひとなどは、たるもやあるらん。管絃くわんげんも、浄土じやうどごふしんずるひとのためには、往生わうじやうごふとなれり。

 いまに、とくたかこゆるひじりあり。ひと対面たいめんのついでに、そのぎやうふ。

なにわざをつとめとして、いづれのところねがひたまふぞ」

 とたづねければ、

「さらに、いづくともさしてねがところなし。ただ、ほとけのなせそといましめたまふことは、かまへてせじとしのびて、すすめたまふわざをば、こころおよぶほどはつとめばやとはげみはべれば、ほとけこそはからひて、いづこへもつかひたまはめ。ほとけ御心みこころにかなはんこともらず、いかがおほけなくここかしことねがひはべらん」

 とぞ、こたへられける。

 このこころたけの、仏意ぶつちにかなひけるにや、はりめでたくて、ながらいきえにけり。いんむすびたりける二、三日にさんにちはたらかざりけるとぞ。

 なべてのには、おほきなる功徳くどくあれども、ねがひなければ、成就じやうじゆすることかたし。たとへば、「うしちからあれども、やるひとなければ、おもかたいたらざるがごとし」とへり。されど、ひとおもひさまざまなれば、一筋ひとすじおもひとりて、ほとけおんはからひをあふがんことも、いとたふとし。

 なかごろ、ざえかしこ博士はかせありけり。おもやまひけて、かぎりなるとき善知識ぜんちしきたりて、念仏ねんぶつすすむるに、さらに、ただとしごろの余執よしふなれば、こころなほ風月ふうげつにのみみて、いとおもひもれぬさまなりければ、このそうおもひはかりあるひとにやありけん、念仏ねんぶつすすめをとどめて、とばかり、これがこのところのことをあひしらふ。

 こころゆきて、「さも」とおもへる気色けしきふやう、

「さても、としごろおほ秀句しうくつくり、いみじき名文めいぶんどもをとどめたまへるに。極楽ごくらくといふものをかでみたまひぬる。くちしきことなり。世間せけん美景びけいてがたきことおほかり。まして、浄土じやうどかざり、いかに風情ふぜいおほからん」

 とだしたりけり。おもひしめたることなれば、極楽ごくらく依法えほふ、ことごとくるやうにおもかげにちて、こころすすむる便たよりになりて、念仏ねんぶつし、おもひのごとくしてはりける。臨終りんじゆう善知識ぜんちしきは、よくよくこころるべきことなり。

 このことをば、保胤入道やすたねにふだうとぞ、あるひとかたりしかど、かれは無極むごく道心者だうしんじやなれば、臨終りんじゆう他念たねんまじはりけむこと、げにともおぼえず。

 吉田斎宮よしださいぐうとまうすひとおはしけり。御悩ごのうおもくしてかぎりになりたまひけるとき大原おほはら薬忍上人やくにんしやうにん善知識ぜんちしきにまゐりて、念仏ねんぶつすすめたてまつりけるほどに、御気色みけしきことのほかにすくよかにて、さまざまの要文えうもんとなへて、めでたくはりたまひにけり。

 そのとき、まぢかくさぶらふ人々ひとびとなみだとしてたふとみたてまつる。上人しやうにんいかがおもひけん、念誦ねんじゆしてうちねむりて、はやらむともせず。たれもあやしくおもふほどに、とばかりありて、でたまひにけり。

 さて、二時ふたときばかりぎて、さき御気色みけしきにはず、いと弱々よわよわしきさまにて、りたまひにけり。

「これこそまことの御臨終ごりんじゆうよ。さて御有様おんありさま、げにげにしからず」

 とて、でられければ、ひじりとくにぞひける。のかまへたるにこそ。かやうのこと、よく心得こころえべきなり。

 またあるひとやまひかぎりなりけるとき善知識ぜんちしきひ、さて念仏ねんぶつすすめけれど、いとまうさず。いふかひなきさまなりければ、

みみもきかずにこそ」

 とて、みみにさしてて、高声かうしやうになんまうしける。「すでに」とえければ、そのたびはやみ、きてのちかたりけるは、

みみたかくまうしれつる念仏ねんぶつこゑたいにこたへて、へがたくおぼえつるほどに、なに往生わうじやう極楽ごくらくのことをもおぼえず」

 とぞかたりける。

 これはかならずあるべきことなれば、用意よういのためにしるす。

第81話 小野宮の右大臣をば世の人賢人の大臣とぞ

 小野宮をののみや右大臣うだいじんをば、ひと賢人けんじん大臣おとど」とぞひける。

 納言なごんなどにておはしけるころにやありけん。うちよりでたまふに、うつつともなく、ゆめともなく、くるましりに、しらばみたるものたる。ちいさきをとこの、るともおぼえぬが、はやらかにあゆみてれば、あやしくて、をかけてたまふほどに、このをとこはしりつきて、しりすだれうへぐるに、こころがたくて、

何者なにものぞ、便びんなし。まかりのけ」

 とのたまふに、

閻王えんわう御使おつかひ白髪丸しらがまるにてはべる」

 とひて、すなはちくるまにをどりりて、かうぶりうへにのぼりて、せぬ。

 いとあやしくおぼえて、かへりたまふままにやりたまへば、白髪しらがて、一筋ひとすじだしたまひたりける。

 ひとふことなれど、まさしくぞあかして、こころにあはれとおぼされけるにや。もとは道心だうしんなどはせざりけるが、これより、後世ごせつとめなどつねにしたまひける。

第82話 中ごろ三井寺にわりなく貧しき僧ありけり

 なかごろ、三井寺みゐでらにわりなくまずしきそうありけり。

 おもひわびておもふやう、「かくゆかりのなきなめり。かくしもおもふことのたがふべきかは。われほかきて宿世すくせをもこころみん」とおもひて、ひるなどはたび姿すがたもあやしければ、あかつきつほどに、ふかき、「みちのほどもわづらはしかるべし」とて、しばししたるゆめに、いろあおみ、おとろへたる、わびしげなる冠者くわじや、われと同様どうやう藁沓わらぐつきなど用意よういし、いみじうつあり。

 さきざきもえぬものなれど、あやしくて、

「おのれは何者なにものぞ」

 とふ。

としごろさぶらふものなり。いつもはなれたてまつらぬなれば、おんともまうしさぶらはんとて、ちはべる」

 とふ。そうふやう、

「さるものやはある。をばなんふぞ」

 とへば、

人々ひとびとしきならねば、異名いみやうはべり。ただうちひとは、貧報びんぼう冠者くわじやとなむまうしはべる」

 とふとて、ゆめめぬれば、すなはち、のつたなき宿世すくせり、「いづくへとも、この冠者くわじやひたらんには」とおもひて、外心ほかごころあらためて、あやしながら、もとのてらにぞみける。

 これまたしもあるべきことなれど、ひとごとにゆめにもねば、宿世すくせのほどをもらず。いくばくもあるまじきの、あたらいとま後世ごせのことをさしいて、まづ、「もしや、もしや」とはしもとめ、こころつくすなるべし。仏天ぶつてん知見ちけんこそ、いとはじかしくはべれ。

第83話 元興寺に伊賀の聖道寂といふ人ありけり

 元興寺ぐわんごうじに、伊賀いがひじり道寂だうじやくといふひとありけり。因果いんぐわくらからざりければ、ふか仏道ぶつだうおもへり。

 としわかくて、長谷はせにまゐりて、道心だうしんいのりたてまつりけり。夢中むちゆうそうありて、しめしていはく、

道心だうしんたいなし。ただ、かくのごときのこころ道心だうしんといふ」

 とのたまふとぞえたりける。

 すなはち、のがれのがれ、かしらおろし、所々ところどころ修行しゆぎやうしけるのちには、飛鳥寺あすかでらへんいほりむすび、座禅ざぜん念仏ねんぶつして、さしたるつとめとては、小阿弥陀こあみだ一遍いつぺんみける。

 これおなじく往生わうじやうげたりける。

第84話 恵心僧都年たかくわりなき母を持ちたまひけり

 恵心ゑしん僧都そうづとしたかくわりなきははちたまひけり。

 こころざしふかかりけれども、いとこともかなはねば、おもふばかりにて、孝養かうやうすることもなくて、ぎたまひにけるほどに、しかるべきところ仏事ぶつじしける導師だうししやうぜられて、布施ふせなどおほりたまひたれば、いとうれしくて、すなはちははのもとへあひして、わたりたまへり。

 このははのわたらひ、えしきさまなり。「なによろこばれん」とおもふほどに、これをうちて、うちうしきて、さめざめとかる。いと心得こころえず、「きみうれしさのあまりか」とおもあひだに、とばかりありて、ははふやう、

法師子ほふしごちては、われ後世ごせたすけらるべきこととこそ、としごろはたのもしくてぎしか、まのあたり、かかる地獄じごくごふるべきことかは。ゆめにもおもはざりき」

 とひもやらずきにける。

 これをきて、僧都そうづ発心ほつしんして、遁世とんせいせられける。ありがたかりけるははこころなり。

第85話 一年東大寺の大仏供養の時

 一年ひととせ東大寺とうだいじ大仏供養だいぶつくやうとき田舎いなかひとのこりなくまゐりあつまりけるころ、かの勧進かんじんひじりゆめけるやう、一人ひとり高僧かうそうて、げていはく、

「この貴賤きせん道俗だうぞくかずらずあつまるなかに、大夫阿闍梨実印たいふあじやりじちいんといふそうの、無始むし罪障ざいしやう、ことごとくめつするなり」

 とのたまふ。

 いとたふとおぼえて、

「しかじかいふひとやある」

 とたづねさするほどに、おのづからたづねあひにけり。

 すなはち、このことをかたりて、

「さても、いかほどのことをつとめたまふぞ。いといとおぼつかなく」

 などひける。

「さらさらつかまつることなし。ただ、御前ごぜんにさぶらひしとき、つねよりもしんおこりてはべりしかば、他念たねんなくして、なみださへて、理趣分りしゆぶんをこそ、一遍いつぺんみはべりしか」

 とぞこたへける。

第86話 中ごろ安房守源親元といふ人ありけり

 なかごろ、安房守源親元あはのかみみなもとのちかもとといふひとありけり。つね先生せんじやうつみいて、あしたゆふ極楽ごくらくねがふことあさからず。

 検非違使けびゐしにてありけるあひだおこななひ、つみをなだめ、ひとたすくることおほし。つひに、東山辺ひがしやまへんだうつくりて、阿弥陀あみだ三尊さんぞん安置あんちす。そのうへに、一人ひとり比丘びくかたちつくりすゑて、その安法あぼふとぞけたりける。これわれ出家しゆつけしたらんときなるべし。

 安房あはかみになりてくだりけるときにんのはじめなれど、さらに神事じんじさきとせず。ただ、仏事ぶつじをのみつとめけり。くにおさめけるあひだ、かしこに五間ごけんだうつくり、丈六ぢやうろく阿弥陀仏あみだぶつ安置あんちせり。国中こくちゆうみんにあまねく念仏ねんぶつすすめて、遍数へんじゆにしたがひて、官物くわんぶつゆるす。石別こくべつじふまんへんをあてたりける。もし、はんものあれば、念仏ねんぶつするものをばえらびてかならめんす。

 くにうちゆたかにして、みん百姓ひやくしやうなびきしたがへり。あしたゆふ念仏ねんぶつまうすこゑの、いへごとにゆることなし。のちにはとなりくにまでつたへて、しばらくはうらやみ、しばらくはたふとぶ。

 にんててのぼりけるときみんのうれふるさま、父母ちちははわかれたるやうにぞありける。つひにきやうらずして、三井寺みゐでらにて出家しゆつけす。

 はりちかなりては、微妙びみやうらくみみこえ、さまざま瑞相ずゐさうあらはれて、往生わうじやうげたるよし、でんしるせり。

第87話 近く心戒坊とて居所も定めず雲風に跡を

 ちかく、心戒坊しんかいばうとて、居所ゐどころさだめず、くもかぜあとをまかせたるひじりあり。俗姓ぞくせい花園殿はなぞのどの御末おんすゑとかや。八島やしま大臣おとどにして、宗親むねちかとて、阿波守あはのかみになされたりしひとなるべし。

 そのかみは、いかなるこころかありけん、平家へいけほろびて、なか目前もくぜん跡形あとかたなく、あだなりしに、こころおこして、もとよりをそむける仏性坊ぶつしやうばうといふひじりにあひともひて、高野かうやこもて、としひさしくおこななはれけり。

 そののち大仏だいぶつひじりもろこしわたりけるを、たよりにきてわたる。かのくにとしごろありて、おこなひけるありさまもつねのことにあらず。ひとへに身命しんめいしまず、あるときは、樹下座禅じゆげざぜんとて、同行三人どうぎやうさんにんして、深山しんざんりて、くさむすぶほどの用意よういだになくて、ひとへに雨露あめつゆをまかせつつ、四、五十日しごじふにちおこなひければ、いま二人ふたりはえへずして、ててでにけりとぞ。

 そののち、このくにかえりて、

都辺みやこへんはことにふれてみにくし」

 とて、つねにはゑひすか、あくろ、津軽つがる壺碑つぼのいしぶみなんどいふかたにのみまれけるとかや。

 いもうとあまたおはしけるに、天王寺てんわうじ理円坊りゑんばうとてみたまふは、むかし建礼門院けんれいもんゐん八条殿はちでうどのこえしひとなるべし。かのひじりのありさま、山林さんりんにまどひて、あともとめず。さとばかり、ほのぼのとこゆれど、ちかごろは対面たいめんなどせらるる便たよりもなければ、いかでかおはすらん。らず。

 ひたすらむかしかたりにぎたまひけるに、この二三年にさんねんさきに、おもひよらぬほどに、にゆゆしげなるひとるあり。童部わらんべあまたしりてて、「ものくるひ」とわらひののしる。

 そのさまれば、ひとにもあらず、くろみたる法師ほふし紙衣かみぎぬの、きたなげにはらはらとやぶれたるうへに、あさころもの、ここかしこあつめたるを、わづかにかたにかけつつ、へんかたやぶせたる檜笠ひのきがさたり。「あないみじ。こは何者なにものさまぞ」とおもふほどに、としごろおぼつかなくこころにかかる心戒坊しんかいばうなりけり。

 これをるに、くられて、あはれにかなしきことかぎりなし。まづ、さてまぢかくんこともかはゆきさまなれば、ふるものどもてなんどしてのちなむ、しづかにとしごろのいぶせさもかたられける。

いまとしもたかくなりたまひたり。おこなふべきほどはつとめてぎたまひぬ。いづこにもしづまりて、念仏ねんぶつなどまうされよ」

 と、ねんごろにいさめて、山崎やまざきいほりひとむすびて、小法師こぼふし一人ひとりけて、その用意よういなど、かのいもと沙汰さたおくられければ、主従しゆじゆうながら月日つきひごしけるほどに、あるとき河内かはち弘川ひろかはひじりとかや、たづねてけり。

 これも対面たいめんして、もすがら物語ものがたりせられけるを、この小法師こぼふしものへだててけば、

「かくてもなほ、後世ごせかならしゆすべしともおぼえず。ことにふれてさはりあり。ただ、もとありしやうに、いづくともなくまどひありき、いささかもこころよごさじとおもふ」

 などかたりければ、「あやし」とおもひけれど、たちまちにあるべきことともおもはでぐるほどに、そののち四、五日しごにちありて、いづくともなくせにけり。

 この小法師こぼふしこころあるものにて、いとかなしくおぼえて、たづきけれど、いづくをはかりともなし。「ありし物語ものがたりなかに、丹波たんばかたへとやらん、声先こはさきばかり、わづかにきしものを」とおもでて、こころざしのあまりたづきけるほどに、穴太あなうといふところにてたづひにけり。

 ひじりおぼえず、あきれたる気色けしきにて、

「いかにしてたるぞ」

 とひければ、

ごろもさるべきにてこそつかうまつりつらめ。いかなるおんありさまにても、おんともまうしさぶらはん」

 など、こころざしふかこゆ。

こころざしはいといとありがたく、あはれなり」

 しかあれど、いかにもかなふまじきよし、もてはなれて、まさしくたがひぬべきやうなりければ、ちからなくてかへりける。のち、さらにその行末ゆくすゑらずなむはべりし。

 いとたふとく、いまにもかかるためしもはべれば、これをきて、わがこころのおろかなることをもはげまし、およびがたくとも、ねがふべきなり。

 ここに、あるひとのいはく、

「かくのごとくのぎやう、われらがぶんにあらず。ひとにはよわくして、やまひおこりぬべし。ひとには、衣食いしよくともしからば、なかなかこころみだれてむ。まつたくし、こころしづめて、のどかに念仏ねんぶつせんにはしかじ」

 とふ。

 これひとへにこころざしあさく、道心だうしんすくなきゆゑなり。実心じつしんおこらずは、仏法ぶつぽふかなひがたし。露命ろめいえやすし。一念いちねんにて他事たじおもふべからず。片時へんしなりともおそれたらんこと、毒蛇どくじやのごとくにて、このをばみづみなもといとふべし。かかれば、わざもこの仏道ぶつだうのためにげて、不退ふたいんとこそおぼえけれ。

 やまひおこりて、なんにいたりては、おもひあるべきかは。悪業あくごふ依身えしんなり。不浄ふじやう庫蔵こざうなり。つひにみちほとりつちとなるべし。しばしいたはりて、なにかせん。いかにも衣食いしよく生得しやうとくほうなり。天運てんうんにまかせてもあり。

 やまひはまたしふにしたがふ。いたはるとてもかならずしもらず。めるひとおとろへたるさまるに、ゆたかなるときころもあつて、くすりふくして、壁代かべしろき、さまざまをいたはるには、つね風熱ふうねつきほひおこりて、神心しんしんやすきことなし。このひとまずしくなりて、飢寒きかんなやまし、服薬ふくやくこころにかなはず、もろもろの悪事あくじおりにつけつつみなおかす。

 むかしのごとくならば、たちまちにやまひおこりてぬべけれども、かやうにつるのちは、やまひもしたがひてりぬ。これすなはち、ならはしのものなるうへに、運命うんめいかぎりあるゆゑなるべし。いはんや、仏力ぶつりきむなしからずは、なにやまひきほはん。職感しよくかんならば、つよきことをてん。

 すべていとへど、す。しめども、たもたれざるはこのなり。たまたま仏法ぶつぽふにあひたてまつり、決定往生けつぢやうわうじやうすべきみちきながら、かりをいたはり、五欲ごよくにつながれて、一期いちごらす。はかなきことにはあらずや。

 かの阿弥陀あみだ如来によらい悲願ひぐわんは、われらが往生わうじやうごふ勧門くわんもんにつきてうちくこそ、やすきさまなれど、よくおもへば、無始むしよりこのかた、輪廻生死りんねしやうじをあらためて、大乗だいじやう善根ぜんこんさかい快楽かいらく不退ふたいくにうまれんことは、こころおこしてはげまずは、さすがにげがたくこそはべらめ。しかるを、いまならひ、わづかに散心念仏さんしんねんぶつばかりをぎやうとして、りがたき臨終正念りんじゆうしやうねんし、かたへの往生人わうじやうにん宿善しゆくぜん内徳ないとくらず、たやすくわがぶんおもへり。これはいとおろかなることにこそ。

 うちおもふには、五逆ごぎやく罪人ざいにん一念いちねん称名しようみやうなほ引摂いんぜふにあづかる。などか、のぞみをかけざらんこととこそはおぼゆれ。されど、かの極悪ごくあくつくるは、即心そくしんもうきよりこることなれば、おもひかへすときもまた、強盛がうじやうなるべし。一念いちねんあかしることは、また命終みやうじゆうのぞんで、それ、つよくおこるがゆゑなり。

 われらがたぐひは、もとより心弱こころよわくつたなくして、きらきらしきつみをもえつくらず。げにげにしく懺悔さんげしゆするにあらざれば、熾盛しじやうこころもなし。愚痴闇鈍ぐちあんどんにして、どろるがごときなるなり。

 もし、こころふかおこして、「このたび決定往生けつぢやうわうじやうげん」とおもひとは、はや名利みやうりいとひ、身命しんめいてて、ねんごろにつとめ、つねねがふべし。みづわたものやすめつれば、おぼれてす。ものちかられざれば、ることなし。往生わうじやう極楽ごくらくも、またかくのごとし。一心いつしんはげつとめて、ゆめゆめおこたることなかれ。

 もし、世執せしふなほきずは、しづかにこののありさまをおもくべし。大方おほかたこのは、にもあらず、また、ひさしくとどむべきものにもあらず。すずろに化生けしやうするものにもあらず。ただ、流来生死るらいしやうじゆめうち因縁いんねんおのづから和合わがふして、かり業報ごふほうかたちあらははれたるばかりなり。いはば、旅人たびびと一夜いちや宿やどるがごとし。これになに会着ゑぢやくかあるべき。かかれば、「かたちつねあるじなし。たましひつねいへなし」とへるなり。

 このは、かくあだなるものなれど、しかも、わがこころかしこおろかにしたがひて、仇敵あたかたきともなり、また善知識ぜんちしきともなるべし。

 あるきやうにいはく、「ひとひとるに、八億四千はちおくしせんおもひあり。一々いちいちおもひ、つみごふにあらずといふことなし」とへり。ひととしふたとしにもあらず、もしは一生いつしやうにもかぎらず。無始むしよりこのかた、つもるらんほど、かぎりもなし。このつみかげのごとくにそひて、たとひ非想非々想ひさうひひさういただきうまるといふとも、なほはなれずして、そのむくひきぬるとき三途さんづ旧里きうりしてくなり。

 このつみふかしといふ、ぞ。みな、わがおもひしゆゑなり。このつみ根元ねもととして、こころのためには、仇敵あたかたきなれども、しばしもけるほどは、ねんごろにあひおもへり。いのちきてのち、すなはちをばやまつるに、むなしく鳥獣てうじうえじきとなり、また、こころひと冥途めいどにおもむくとき、「なにしに、もてはてざりけるおもふ」とて、「もろもろのつみつくりて、かくからきるらん」と、うらめしくくやしけれども、すべて、なにのかひかはある。

 雑阿含ざふあごんなかに、たとへをりていはく、「ひとのもとに一人ひとりやつこあり。よろづのわざこころにかなひて、ひとつもくことなし。あるじ、ひとへにこれをあひたのみて、あしたゆふあはれみはごくむ。かれこのねがふこと、ものものよりはじめて、はかなきあそび、たわむれにいたるまで、みなかなへり。ともしきことあらせじとこころつくし、いとなむよりほかのことぞなき。しかるを、このやつことしごろてきたばかりてけたりける使つかひなれば、あるじこころざしおもらんや。ひまをはからひつつ、たちまちにあるじころしてりぬ」

 やつこといふはわがなり。あるじといふはこころなり。こころのおろかなるゆゑに、仇敵あたかたきなるらずして、宿善しゆくぜんいのちうしなひ、悪趣あくしゆすることをへり。

 むかし目連尊者もくれんそんじや広野くわうやぎたまひけるに、おそろしげなるおにつちちて、しろかばねつあり。あやしくおぼしてひたまふに、こたへていはく、

「これは、おのれがさきしやうなり。われがにはべりしとき、このからしゆゑに、ものとんじ、ものしみて、おほくのつみつくりて、いま餓鬼がきけたり。くるたびに、このからねたうらめしければ、つねつなり」

 とふ。

 これをはりて、なほぎたまふほどに、あるところに、えもいはぬ天人てんにんて、からうへはならす。またこれをふに、天人てんにんこたへていはく、

「これは、すなはちわがまへなり。この功徳くどくつくりしによりて、いま天上てんじやううまれて、もろもろのらくくれば、そのむくひせむがためにて、供養くやうするなり」

 とぞこたへはべる。

 かかれば、ひたすらうらめしかるべきにもあらず。善悪ぜんあくにもしたがひて、おほきなる知識ちしきとなるべきなり。かの兜率とそつ覚超僧都かくてうそうづは、月輪観ぐわつりんくわんしゆして、あかしたるひとなり。その観文くわんもんおくには、「たとひ紫金しこん妙体めうたいたりとも、かへつて黄壌くわうじやう旧骨きうこつはいせん」とぞ、かれてはべりけり。

 まことに道心だうしんあらんひとのためには、このばかりたふとく、うれしかるべきものなし。これらのことわりおもきて、身命しんめい仏道ぶつだうのためにしまずは、ことさらに、自理じり懺悔さんげしゆせずとも、六度ろくど難行なんぎやう経尽へつくさずといふとも、波羅蜜はらみつ功徳くどくもおのづからそなはりぬべし。

第88話 尾張国中島郡に斎所の権介成清といふ者

 尾張国中島郡をはりのくになかしまのこほりに、斎所さいしよ権介成清ごんのすけなりきよといふものあり。かのくににとりてゆたかなるものなり。、あまたあるなかに、嫡子ちやくしにて、わかをとこありけり。田舎いなかならひなれば、かりすなどりをこととして、さらに因果いんぐわことわりをもらず。

 一年ひととせ東大寺とうだいじ大仏供養だいぶつくやうとし二十二、三にじふにさんばかりにて、父母ちちははにあひしてまうでたりけるとき、さるべきにやありけん、こころなかつよ道心だうしんおこして、「いかでをなきものになして、おもふさまに仏道ぶつだう修行しゆぎやうしてしがな」とおもひければ、父母ちちははさらにゆるさず。「このたびは、いかにもかなはじ」とおもひければ、その気色けしきいろにもださず、もてかくして、本国ほんごくかへくだりにけり。

 そののちごろて、さるべきひまをはからひつつ、一人ひとりきやうのぼりぬ。また、すなはち大仏だいぶつ上人しやうにんのもとへいたりて、かしらおろさんよしこえければ、

たれひとぞ。いかなることによりて、のがれんとはおもたれたるぞ。としわかくいます」

 あやしく、うたがはれければ、

「まことにさぞおぼすらん。これは、しかじかのものにはべり。さきにまゐりてはべりしとき、まうすべくはべりしかども、そのときは、かたがたさまたおほくて、げがたくはべりしかば、くにくだりてのちかへり、わざと一人ひとりのぼりはべるなり。にとりては、ことごともはべらず。しんゆたかなれば、こころにかなはぬこともなし。資財しざいもあり、田園でんえんもあり。りがたき妻子さいしちて、かたがたおもつべきにもはべらねども、無常むじやうおもふに、なにごともよしなしとおもひはべれば、ただ身命しんめい仏道ぶつだうげて、ほとけ悲願ひぐわんをたのみたてまつらんばかりこそ、かしこからめと、二心ふたごころなくおもちてはべり」

 とふ。

 ひじりことのありさまをき、なみだとしつつ、

「いといとありがたきことなり。これらに弟子でし名付なづけたるひじりそのかずはべれど、すずろにてたるひとはなし。あるいは、主君しゆくんのかしこまりをかうむり、あるいはぎがたきことをうれへ、あるいはかなしきつまにおくれ、あるいは司位しゐにつけてうらみなど、さまざまこころにかなはぬを、それをついでとしてのみこそ、つるならひにてはべれば、そのことわすれなんのちは、道心だうしんもいかがとあやうくはべるを、くがごとくならば、発心ほつしんにこそ、ほとけかならずあはれとかなしみたまふらめ。いといとありがたきことなり」

 とて、かしらおろさんと、かくて烏帽子えぼしるほどに、かみのはらはらとみだれかかるをて、あやしくてゆゑをふ。かたりていはく、

田舎いなかよりのぼりはべりしとき、もし、おもかへすこともやはべらんと、わがこころうたがはしくおぼえてはべりしかば、かれにてなむ、もとどりつてはべる」

 とふに、いとどこころのなほざりならぬことをりぬ。

 すなはち、かしらおろしてのち、かの弟子でしひじりどもにまじはりて、三年さんねんばかりやありけん、ひるは、かはらはこび、いしち、材木ざいもくくこと、ときあひだやすまず。は、出家しゆつけしたるより、さらにうちすことなし。もすがら念仏ねんぶつとなへて、西にしかひて、ながらかす。大方おほかたつゆあひだもいとましうすれば、ひと物語ものがたりなどすることもなし。ものものはあるにしたがふ。さらに身命しんめいしむことなし。ただ、てもめても、こころには西方さいはうをかけたり。

 ひじりありふるままに、このありさまをるに、ありがたく、たふとくおぼされ、すすめていはく、

あしたゆふ仏道ぶつだうのためにくるしうせらるるも、おほきなる結縁けちえんなれど、なほこころをしづめ、をやすくして、あくまで念仏ねんぶつせんにはしかじ。高野かうや新別所しんべつしよといふところあり。すなはち、われはじめけるところなり。もとより法界ほふかいなるうへに、不断念仏ふだんねんぶつとなへて、一片ひとへ往生わうじやう極楽ごくらくねがふよりほかに、ほかのいとなみなし。しかれば、ここにおほかるひじりなかに、もし道心だうしんありとゆるひとをばすすめて、かならずかの念仏衆ねんぶつしゆるるなり。はやく、そのしゆにつらなりて、念仏ねんぶつこうまれよ」

 と、いさめられければ、

「まことに、かくもはべるべけれど、凡夫ぼんぶくちしさは、をんななんどゆれば、つまのごとしとおもらるることはべり。をさなどものはべるときは、これをるにつけても、わがもかくやとわすれがたくはべるも、いとよしなし。やまふかところみなば、おもひもなくて、いとよくはべるべし。ただし、るとしりなば、またかへることはさらにつかまつるまじ。うとくなりたてまつらんことこそ、心細こころぼそくはべれ」

 とひながら、高野かうやのぼりけり。かくて、かの往生院わうじやうゐん二十四人にじふよにんなかにて月日つきひおくるありさま、ありしよりもことなり。

 田舎いなかには、このひとうしなひて、父母ちちはは妻子さいしども、みな肝心かんじんまどはし、当国たうごく隣国りんごくいたらぬくまなく、あしかちつつ、たづもとむれど、いづくにかあるらん、「たとひ、いのちきて、むなしきからとなりたりとも、いま一度いちどそのかたちん」と、なげかなしむさま、ことはりにもぎたり。はてには、くになかゆすりちて、ひとなみだおとさぬはなかりけり。

 とかくへど、かひなくて月日つきひおくあひだに、なかかくれなければ、ほどのちなむ、出家しゆつけせしことこえたりける。つひに、「高野かうやにこそむなれ」ときて、消息せうそくしけり。

 「さしもあさからずおもひたりけるみちなれば、そむかんことはいふにもおよばず。ふみひとつだにもかずして、むなしくおやこころまどはせることなむ、いとうらめしけれど、さて、いかがはせん。こころをかへておもふには、また、つみさりところきにしもあらず。このくににも山寺やまでらおほかり。ちかくてだにかまほしきを、かくして、くもへだてたるさかひにかけはなれたることこそ、いと本意ほいなく」など、さまざまにきやれど、さらになびくにもあらず。

 かねて、父母ちちははなむ、わざときやうのぼりて、高野かうやふもと天野あまのといふところまうでて、そこにだして、対面たいめんしたりける。そのときこころなか、おろかならんや。

 わかさかりなりしかたちは、しものともなくくろみて、ぼろぼろとあるぬの小袖こそでなど、むかしかりにだにざりし姿すがたなれば、くられ、むねもふたがりて、とみにものはれず。とばかりためらひつつ、さまざまごろおもひつめたることども、らすれども、言葉少ことばすくなにて、はかばかしくものもはず。

 ただ、

「このやまへまかりりしとき、またかへでじとおもひかためはべりしかど、いとまをまうさずして、いへでてはべりしことのつみさりがたくて、またもどりさぶらひつれども、あらぬこころにて、かくではべるなり。いまよりのちは、たとひおんたづねさぶらふとも、いささかもこれまでづること、つかまつるまじ。されば、いまはこればかりなむかぎりにてはべるべし。われをまほしくおぼさば、こころおこして仏道ぶつだうねがひたまへ。このにては、たとひおもふばかりひたてまつりたりとも、いつまでかたてまつらん。われもひとも、おくれ先立さきだならひ、のがれがたければ、せんなくはべるべし」

 と、つれなくこたへて、かへのぼりにけり。

 つまはそこまでのぼりけれど、めんくべくもおぼえざりければ、もののはざまより、わづかにのぞきて、しのびもあへず、よよときけり。父母ちちはは姿すがたざりしときよりも、なかなかかなしくおぼえて、かへくだりにけり。

 さて、くによりさまざまものども沙汰さたし、のぼせたりける返事へんじには、「これはいることもはべらねど、おんため、つみほろぶるえんとかならんとおもひたまへて、念仏衆ねんぶつしゆけはべるべし。ただ、とくして、浄土じやうどへまゐらんとおもこころのみふかくはべれば、にそへて、いのちのみこそいとかなしくはべれ。ゆめゆめ、かりそめのをいたはしくなおぼしそ」とぞひける。

 まことに、着物きものものるい結衆けつしゆかつのみにあらず、貧人ひんにんゆれば、みなあたへて、わがためにのこすことなし。おや沙汰さたにて、三間さんげんなるばうつくりてすゑたりけれど、居所ゐどころほしがるひとのありけるをすゑて、わがさだまれるすみかなし。

 ごとにかせども、これをみず。年月としつきれども、ものをあらふことなし。やぶれぬればつ。ただ、あしたゆふほとけ来迎らいごうこころにかけて、ことにふれて無常むじやうおもふよりほか、さらに他事たじこころをかけず。

 もし、ひとのもとにときは、どろめるあしにて、むしろたたみむ。はばかることなし。ひととがむれば、

不浄ふじやうはおのおのうちにあり。ぞ、あらははれたるをのみいとはんや」

 とふ。

 かのところならひにて、結衆けつしゆなか先立さきだひとあれば、のこりのひとあつまりて、ところ大事だいじにて、これをほうむるわざしけれど、このひじりのありけるほどは、さらに人々ひとびとにいとなませず。ただ、一人ひとりかくして、をこりてほうむる。ほねひろひて、とかくして、われ一人ひとりねんごろにこころれたるさま、父母ちちははほうむするがごとし。

 このところみそめけるより、おくゐん入堂にふだうすること、ごとにかず。そのあひだ雨風霜雪あめかぜしもゆきをためらふことなし。蓑笠みのかさ用意よういするほどのかまへだになければ、あめれば、さながられ、また、ゆきれば、こほる。さらにこれをこととせず。

 あるひといはく、

浄土じやうどねがはんには、まつたくして、念仏ねんぶつこうかさぬべし。なにのゆゑにか、身命しんめいをいたはらざらん」

 こたへていはく、

末世まつせなり。凡夫ぼんぶなり。いま、たまたまこころおこせり。このこころさめざらんさきに、往生わうじやうげんとおもふ。このゆゑに、身命しんめいしまず」

 とふ。ひとかつはかなしみ、かつはたふとむことかぎりなし。

 かくて、出家しゆつけしてのちしち八年はちねんやありけん。かねて死期しごりて、ことやまひもなく、臨終りんじゆうおもひのごとく、念仏ねんぶつこゑえずして、ながらはりにけり。

 いまのことなれば、かの別所べつしよらぬひとなし。

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