このページでは、鴨長明『発心集』第7巻(第76話~第88話)の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。
現代語訳とあわせて読みたい方は、『発心集』第7巻(第76話~第88話)現代語訳全文をご覧ください。
第76話 恵心僧都のそのかみ空也上人
恵心僧都のそのかみ、「空也上人見たてまつらん」とて、尋ね来たまへることあり。年たけ、徳高うして、ただ人とも覚えず。
いと尊く見えたまひければ、後生のことまうし出だし、
「極楽を願ふ心、深くはべり。往生はとげはべりなむや」
と尋ねたまひければ、
「われは無智の者なり。いかで、さやうのことをことわりはべらん。ただし、智者のまうしはべりしことを聞きて、これを案ずるに、などかは生ぜざらん。そのゆゑは人六行観を修して、上界の定を得んと思ふとき、下地は、麁なり、苦なり、障なり。上地は、静なり、妙なり、離なりといふことを信じて、下地のいやしきさまを厭ひ、上地の妙なることを願へば、その観念の力にて、次第にすすみて、非想非々想まで至るべしと言へり。されば、西方の行人もまた同じことなり。智恵、行徳なくとも、穢土を厭ひ浄土を願ふ心ざし深くは、などか往生を遂げざらん」
とのたまひければ、僧都これを聞きて、
「まことに理きはまりはべり」
とて、涙を流し、掌を合はせて、帰したまひにけり。
さて、『往生要集』を撰じたまひけるに、そのことを思ひて、厭離穢土、欣求浄土を先としたまふ。
第77話 この上人雲林院に住みたまひけるころ
この上人雲林院に住みたまひけるころ、七月ばかりに、京になすべきことありて、朝かげに、大宮の大路を南ざまへおはしけるに、大垣のほとりに、例人とは思えぬ人のさし会へりけるが、いみじく寒を怨みたる気色にて見えければ、上人あやしくて、立ち留まりて、
「いかなる人にてましませば、かく暑きほどに、寒げにおはするは」
と問ひたまふ。
この人のたまふやう、
「空也上人とは御ことをまうすにや。日ごろより、会ひたてまつりて、愁へまうさんと思ひつるに、いと嬉しくはべり。おのれは松尾の大明神なり。妄想顛倒の嵐激しく、悪業煩悩の霜厚くはべる間、かく寒さ耐へがたきなり。もし、法華の法施を得しめたまはむや」
とのたまふ。
聖いとかたじけなく、あはれに思えて、
「うけたまはりはべりぬ。ただし、社に詣でて、法施したてまつらむ。この、おのれが下に着てはべる小袖は、この四十余年、起き臥し、立ち居、法華経を読みしめてはべる衣なり。垢づきて、いとかたじけなきことにははべれど、これをたてまつらん」
とまうしたまひければ、悦びて着たまひて、
「今はこの法華の衣を着て、いと暖かになりたり。これより後は、仏道なりたまはんまで、守りたてまつらん」
とて、聖を伏し拝みて、去りたまひぬ。
これ大通智勝仏の垂跡にておはしますべし。国を助け、仏法を守らんがために、跡を垂れたまへば、上人の徳を尊びて、法施を請けたまふ。しかるに、旧き小袖をたてまつりたまひける心のたけこそ、なほありがたくはべれ。
そもそも、天慶より先は、日本に念仏の行まれなりけるが、この聖の勧めによりて、人こぞりて念仏をまうすことになれり。常に阿弥陀を唱へて歩きたまひければ、世の人これを「阿弥陀聖」と言ふ。ある時、市の中に住して、もろもろの仏事を勧めたまふによりて、「市の聖」とも聞こゆ。すべて、橋なき所には橋を渡し、井なくして、水乏しき郷には井を堀りたまひけり。
これをわが国の念仏の祖師とまうすべし。すなはち、法華経と念仏とをおいて、極楽の業として、往生を遂げたまへるよし、見えたり。
第78話 中ごろ左中将雅通といふ人ありけり
中ごろ、左中将雅通といふ人ありけり。心うるはしくて、若きより法華経を読みたてまつりける。ことに、提婆品を信じて、毎日十、二十遍これを読む。しかれども、世に仕へ、人に交はる間、心ならず狩、漁し、もろもろの悪業を造り、常はかの、「浄心信敬不生疑惑者」の文を口付け、言草とせり。
命終の時、同じくこの文を唱へ、さまざまの瑞相を見て、往生疑ひなきよし、披露しけり。道雅朝臣さらにこのことを用ゐず、
「殺生を好み、世路をわしりつる人いかが往生せむ」
と言ふほどに、年経て後、六波羅蜜寺へまゐりて、忍びて聴聞する間に、車の前に一人の尼ありて、おのがどち語つていはく、
「年ごろ、往生を願へども、身貧にして善根をなす力なし。朝夕これを歎くほどに、過ぎぬる夜の夢に見るやう、一人の僧ありて、告げていはく、汝、歎くことなかれ。ただ心うるはしくして、念仏する者は、必ず極楽に生ずるなり。近くは中将雅通朝臣、心うるはしくして、法華経を持つかゆゑに、そのほかの善根なけれども、すでに往生を遂げたりと語る」
道雅つぶさにこれを聞きて、その後信じたりける。
ただ、いづれの行なりとも、心うるはしくして、その上に願を発し、功を積むべきにこそ。
ある伝記にいはく、唐に并州といふ国あり。かの国の人は、七、八歳より道心ありて、念仏をまうして、多く極楽に生ず。その中に、僧延法師といふ者あり。これ思ふやう、「必ずしも念仏してのみやは、極楽に生ずべき」千部の経を始めて読む。百部になる夜の夢に、わが左右の脇より、羽の生ひ出で、飛びぬべく思えければ、あやしくて、これを見るに、法華経の文字の、ことごとく翼に生ひたるなりければ、あはれに尊く思えて、心に、「極楽へ飛びまゐらん」と思ふに、西を指して飛び行くほどに、すなはち、思ひのごとくまゐり着きぬ。
七重宝樹のもとに飛び降りたる間、この羽に生ひたる字、六万九千余の仏になりたまひて、みなことごとく光を放つて、阿弥陀仏を囲繞して、並み居たまへり。これを見たてまつるに、いよいよ尊くかたじけなく思えて、涙を流すことかぎりなし。
阿弥陀仏のたまふやう、
「この仏たちは、みな、汝が読みたてまつる法華経の文字にておはします。しかるを、汝、極楽を願ふ。娑婆に帰りて、千部の願を果して、もろもろの衆生を教へて、この経を持たしめよ」
とのたまふ。
これをうけたまはりて、帰らんとするとき、またこの多くの仏、帰つてもとのごとく翼となりたまひぬ。飛ぶ時、先のごとし。
僧延夢覚めて、涙おさへがたくして、五体を地に投げて、夢中に見たてまつる仏たちを拝み、深心を発して、この経を読みたてまつるとなむ。
またいはく、唐の恵超禅師といふ人あり。法華経に志深くして、年ごろ読みたてまつるほどに、やや功積りて後、いづくより来たるともなく、小法師一人出でつかはれけり。
この小法師、心賢く、悟りありて、いまだ言はざることをも知り、思ふ心をも推しはかる。諸事に力たへて、これぞつかふに、いささかも心にたがふことなかりければ、またなきものに思ひて過ぎけるほどに、この恵超ことのたよりに、真言の教へ勝れたることを聞きて思ふやう、「法華経は八巻を読みたてまつるもわづらはしきに、真言は文字は少なくて、義理は甚深なれば、誦み易くして、功徳はよく勝れたまへり」と思ひて、法華経を収めて、一向真言を習ひて、胎蔵界を行ふ。
その時に、日ごろつかへつる小法師、かき消つやうに失せぬ。いたらぬ隈なく尋ね求むれども、さらに行き方を知らず。恵超これを歎きて、寝たりける夜の夢に、かの小法師来ていはく、
「われまことには地蔵菩薩なり。汝、法華経に功を入れたること、尊く思えて、日ごろつかへつれども、今はその志を改めて真言を習ふこと、本意なければ、去りぬるなり」
と、のたまふと見たりける。
これ必ずしも真言のおろかなるにはあらず。かつは、功を入れたる行を捨てたる謬りをとがめたまへるなり。
そもそも、釈尊は、一期の化縁尽きて涅槃に入りたまひしが、この経、生身にかはりて、あまねく衆生を化度したまふ。われは迷ひも耐へず、悟りもなき薄地の凡夫として、無量劫に名をだに聞かぬ、平等大恵の教門にあへるは、また、他事にあらず。釈尊無縁の大悲、無作の誓願によりて、われらが道心少なしといへども、巌にも木にもあらず、いかで、この広大の恩徳を報じたてまつらん。ただ、この経、一文一句をも、受持読誦して、これをもつて仏恩を報ぜんとすべし。
そのゆゑは仏は三界特尊として、自在神通を得たまへり。何物か乏しき、何事か御心に叶はざらん。ただ、われらが生死の海の底に沈み、浮かぶ世もなきを、一子の御憐れみに倦むことなくて、悲しみたまふばかりなり。まことにねんごろなる御歎きにてはべらめ。かかれば、衆生一人が得道することは矌劫多生の御大事、「方々の方便を廻らし、種々の身を現じて縁を結ばん」と尽きせずかまへ、いとなみたまふなるべし。
しかるを、この経の法師品に、「一偈一句なりとも、読み持ちて、書き供養したてまつらん人は、みな仏になりたまふべし」と授記したまへり。また、「若暫持者、我則歓喜」などとも説きたまへり。これを聞けば、わが身のため、頼もしきのみならず、仏の御心を喜ばしめたてまつらんこと、いみじき要にてはべるなり。
孝経といふ文には、「人の子の、曲、片端なくて生れたるは、孝の始めなり」と言ふ。生れる子の、心より発らぬことなれども、父母を悦ばしむるは、孝養にてはべるなり。
しかれば、浄財を投げて供養したてまつらばこそ、貧しくては力及ばずとも言はめ、かく広まりたまふ経、持ちたてまつらん、かたかるべきことかは。「全部通利し、文々解釈せよ」とも説かず。鈍根無智なりとも卑下すべからず。世に師多ければ、千歳つかふる煩ひもあるまじ。
五種の行、まちまちなり。行も好みにしたがひて、もしは一偈一句なりとも、縁を結びたてまつらんことは、さすがに易行ぞかし。されど、習ひ読まねば、読までぞある。一偈を持ちたてまつる人は、これすなはち、信心は少なくて仏説を疑ひ、見聞は深くて微少の行と、人目を恥づるなるべし。これきわめて愚かなることなり。ただ、一文一句なりとも、飢えたるに水を飲むがごとく、遇ひがたく聞きがたき思ひをなして、縁を結びたてまつるべし。
近ごろのことにや、ある智者の、おちぶれて、子などあまた持ちたるありけり。児生れて、もの言ふほどになりぬれば、さだまれることにて、必ず法華経の首題の字を教へて、かたの様なれど、これを唱へさす。生れて四つ五つにもなりぬれば、堪ゆるにしたがひて、一品、一巻までも、一句づつ口まねをして読ませけり。
人そのゆゑを問ひければ、
「この経は、仏出世の本懐なり。この子ども、もし命短くて、いとけなくて死ぬこともあらば、何をかは人界に生れたる験とせん。まことに、宝の山に入りて、空しく出づるが如し。かかれば、急ぎ縁を結ばするなり」
とぞ言ひける。
大方さるべき見物などの時、見ても去りあへず、人の集まれるを見るときは、人界の生れがたきことも思えねど、まことには、また戒を全く持ちて生ると言へば、いとかたかるべきことにこそあれ。
今の世の人を見れば、一戒なほ持ちがたし。いはんや、また五戒をや。ただ、朝夕三悪道の業をのみ作る。かかれど、さすがに人の種も絶えぬことは、ただ、この経の広まれるゆゑなり。
宝塔品に、「此経難持、若暫持者、乃至是名持戒」と言ふ。その心は、「しばしもこの経を持つ者は、破戒なれど持戒なり」と言ふなり。まことに頼もしきことなり。ただし、もし、しばらくも信心深くて持つべくは、それもかたくや思ふべきに、同文の続きに、「是則勇猛、是則精進」とあれば、心ゆるく、懈怠ならん人のために説かれたる文と見えたり。
すべては濁り深き末の世に、この経をさながら通利する人は、おぼろげの宿善とは思えず。現身にその証をも経、臨終に瑞相もあらはるべけれども、必ずしもしからず。この世には、持経者は多くて、その行儀ととのほりがたし。またことなる験もなし。人の信を発さぬも、これよりおこることなり。
げに、いとあやしきを、よく思へば、世々に値遇したてまつる力にて、無智文盲なる人も、おのづから通利す。生々に名利のためにして、まことの心を発さざりけるゆゑ、生死にも留まり、その威儀も欠けたるなめりとのみ思えはべる。
さりとて、ゆめゆめこれを軽しむべからず。金は藁に包めりとても、値少なからず。いはんや、過去の結縁と、尽未来の得道、もつてかかるべきゆゑなり。
第79話 中ごろ賀茂女といふ歌詠みあり
中ごろ、賀茂女といふ歌詠みあり。ことにふれて、名高き人ありけり。賀茂保憲が孫、二条関白家の女房なり。のちには尼になりて、名をば妙とぞいひける。
深き道心者なりければ、ことに動ずることなし。ただ、世のつねには、「常住仏性」といふ四字を、立居、起臥の言草にしけるが、つひに終はり思ひのごとくにて、往生を遂げたる由、伝に見えたり。
これは涅槃経の肝心にて、めでたきことはりなれど、往生極楽の勤めにはたがひてぞはべる。されど、宿習にしたがひ、廻向によることなれば、凡下の是非すべきにはあらざるなり。
また、ある伝記にいはく、昔、楊州に人ありていはく、
「常住を聞きつる者は、必ず悪道に落ちず」
と言ふ。一人の居士これを疑ひ、あざけりていはく、
「この涅槃経を、みなことごとく聞きたりとも、重罪を作りては遁れがたし。いはんや、わづかに二字を耳に触れたらん人をや。このこともちゐられず」
と言ひて去ぬ。
そののち、この居士命終はりて、閻王の前にめしすゑられたりける時、閻羅人このことを勘へ出だす。
「汝は大乗誹謗の者なり。すみやかに、地獄へつかはすべし」
と定む。居士これを聞きていはく、
「誹謗の罪をかうぶらんは、この経ゆゑなるべし。しかれば、また二字を耳に触れたる功徳、むなしからんや」
と言ふ。
その時空中に光あり。光の中に声ありて、唱へていはく、
「若信若不信、纔聞常住字、不堕悪即生不動国」
と唱ふ。閻羅人これを聞きて、信仰して罪人を許すと言へり。
そうじては、法華も涅槃も、信ずるも信ぜざるも、法の妙なるは、耳に触れ口に唱へ、有智、無智を分かたず、みな浄土の業となれり。喩へば、栴檀はわづかに触るれども、匂ひ深く、釼は功能を知らざれども、物として切れざることなきがごとし。
かねては、また、和唐の伝記のごとくは、たとひ、行おろかなりといへども、廻向甚深なれば、みなその願ひを遂ぐ。いはゆる、橋を渡し、道を作り、船に棹さし、施を行じ、もろもろの歓喜これなり。
すなはち、衆生のもろもろの行、始め耳に触れしより、心にすすみ、功を積み、証を得るまで、ことごとく前世の宿習によりて、好む所一つならざるゆゑなり。かの和須蜜多が男を近付け、祇陀太子の酒を耆み、天須菩提が過差を好み、面王比丘が無相ははなはだしかりし。みな戒律に背けるに似たれども、釈尊これを悲しびたまはざりしにて、心得べし。
弥陀の化儀もまた同じ。明らけく、衆生の宿執、志、ひきひき進み遅れたることをしろしめして、広大の誓願を発したまふ。すなはち、極楽に九品を儲け、有智徳行を始めとし、十悪五逆に至るまでも、もらしたまはず。念仏、読経をもととして、はかなき遊び、戯れまでも、みな人により廻向にしたがひて、ことごとく引摂したまふ。
しかるを、今、世の行者、互ひに他の行をそしり、智恵の浅深を争ふほどに、我執偏増にして、ややもすれば、仏教の趣きに背いて、ひとへなるべき西方の業の中に隔てをなし、なつかしかるべき同じ望みの中に竟趣を含む。このことの、愚心によしなく思えはべるなり。
大方凡夫の習ひ、わが心なほ心にかなはず。いはんや、人の心をや。せんは、ただみづからはからひ、みづから勤め、無常の殺鬼の来たらざらんさきに、出離の業を励むべし。よしなく疑ふ者に逢ひて、あたら暇に論議を好むこと、よしなく思ゆるなり。
第80話 太子の御墓に覚能といふ聖ありけり
太子の御墓に、覚能といふ聖ありけり。音楽を好むこと、世の常ならず。朝夕にいとなむこととては、板の端にて、をかしげに琴、琵琶の形を作りて、馬の尾をかけて弾き鳴らし、竹を切りて、笛の形に彫りて、これを吹きつつ興に入り、遊戯していはく、
「菩薩聖衆の楽の音、いかにめでたかるらん」
と言ひて、涙を落としける。
常のいとなみにて、かくのみ作り置きたれば、居たるあたりには、うち散りて、多く見ゆるを、おのづから童などの手ずさみに取り失ひければ、さすがに腹の悪しきくせにて、ののしりけり。
この聖年経て後、臨終思ひのごとく、楽の声、耳に聞こえて終はりにけり。その後、むなしき骸、久しく乱れ損ずることもなかりけるを、あたりの人いとど仏のごとく貴み集まりけるほどに、四十九日といふに、その身、いづちともなく失せて、見えずなりにけり。
この五十年ばかりが先のことなれば、年高き人などは、見たるもやあるらん。管絃も、浄土の業と信ずる人のためには、往生の業となれり。
今の世に、徳高く聞こゆる聖あり。人、対面のついでに、その行を問ふ。
「何わざを勤めとして、いづれの所を願ひたまふぞ」
と尋ねければ、
「さらに、いづくともさして願ふ所なし。ただ、仏のなせそと戒めたまふ事は、かまへてせじと忍びて、勧めたまふわざをば、心の及ぶほどは勤めばやと励みはべれば、仏こそはからひて、いづこへもつかひたまはめ。仏の御心にかなはんことも知らず、いかがおほけなくここかしこと願ひはべらん」
とぞ、答へられける。
この心たけの、仏意にかなひけるにや、終はりめでたくて、居ながら息絶えにけり。印を結びたりける手、二、三日はたらかざりけるとぞ。
なべての機には、大きなる功徳あれども、願ひなければ、成就することかたし。たとへば、「牛の力あれども、やる人なければ、思ふ方へ至らざるがごとし」と言へり。されど、人の思ひさまざまなれば、一筋に思ひとりて、仏の御はからひを仰がんことも、いと貴し。
中ごろ、才賢き博士ありけり。重き病を受けて、限りなる時、善知識来たりて、念仏を勧むるに、さらに、ただ年ごろの余執なれば、心なほ風月にのみ染みて、いと思ひも入れぬさまなりければ、この僧、思ひはかりある人にやありけん、念仏の勧めをとどめて、とばかり、これが好む所のことをあひしらふ。
心ゆきて、「さも」と思へる気色を見て言ふやう、
「さても、年ごろ多く秀句を作り、いみじき名文どもを書き留めたまへるに。極楽の賦といふものを書かで止みたまひぬる。口惜しきことなり。世間の美景を捨てがたきこと多かり。まして、浄土の飾り、いかに風情多からん」
と言ひ出だしたりけり。思ひしめたることなれば、極楽の依法、ことごとく見るやうにおもかげに立ちて、心を進むる便りになりて、念仏し、思ひのごとくして終はりける。臨終の善知識は、よくよく心を知るべきことなり。
このことをば、保胤入道とぞ、ある人語りしかど、かれは無極の道心者なれば、臨終に他念まじはりけむこと、げにとも思えず。
吉田斎宮とまうす人おはしけり。御悩重くして限りになりたまひける時、大原の薬忍上人善知識にまゐりて、念仏勧めたてまつりけるほどに、御気色ことのほかにすくよかにて、さまざまの要文を唱へて、めでたく終はりたまひにけり。
その時、まぢかくさぶらふ人々、涙落として貴みたてまつる。上人いかが思ひけん、念誦してうち眠りて、早く立ち去らむともせず。誰もあやしく思ふほどに、とばかりありて、生き出でたまひにけり。
さて、二時ばかり過ぎて、先の御気色には似ず、いと弱々しきさまにて、引き入りたまひにけり。
「これこそまことの御臨終よ。さて御有様、げにげにしからず」
とて、出でられければ、聖の徳にぞ言ひける。魔のかまへたるにこそ。かやうのこと、よく心得べきなり。
またある人病限りなりける時、善知識添ひ、さて念仏を勧めけれど、いとまうさず。いふかひなき様なりければ、
「耳もきかずにこそ」
とて、耳にさし当てて、高声になんまうしける。「すでに」と見えければ、そのたびはやみ、生きて後に語りけるは、
「耳に高くまうし入れつる念仏の声、五体にこたへて、堪へがたく思えつるほどに、何の往生極楽のことをも思えず」
とぞ語りける。
これは必ずあるべきことなれば、用意のために記す。
第81話 小野宮の右大臣をば世の人賢人の大臣とぞ
小野宮の右大臣をば、世の人「賢人の大臣」とぞ言ひける。
納言などにておはしけるころにやありけん。内より出でたまふに、うつつともなく、夢ともなく、車の後に、白ばみたる者来たる。小さき男の、見るとも思えぬが、早らかに歩みて来れば、あやしくて、目をかけて見たまふほどに、この男走りつきて、後の簾を持ち上ぐるに、心得がたくて、
「何者ぞ、便なし。まかりのけ」
とのたまふに、
「閻王の御使、白髪丸にてはべる」
と言ひて、すなはち車にをどり乗りて、冠の上にのぼりて、失せぬ。
いとあやしく思えて、帰りたまふままに見やりたまへば、白髪を見て、一筋見出だしたまひたりける。
世の人の言ふことなれど、正しくぞ証を見て、心にあはれとおぼされけるにや。もとは道心などはせざりけるが、これより、後世の勤めなど常にしたまひける。
第82話 中ごろ三井寺にわりなく貧しき僧ありけり
中ごろ、三井寺にわりなく貧しき僧ありけり。
思ひわびて思ふやう、「かくゆかりのなきなめり。かくしも思ふことの違ふべきかは。われ外へ行きて宿世をも試みん」と思ひて、昼などは旅姿もあやしければ、暁出で立つほどに、夜深く起き、「道のほどもわづらはしかるべし」とて、しばし寄り臥したる夢に、色青み、痩せ衰へたる、わびしげなる冠者、われと同様に藁沓履きなど用意し、いみじう出で立つあり。
さきざきも見えぬ者なれど、あやしくて、
「おのれは何者ぞ」
と問ふ。
「年ごろさぶらふ者なり。いつも離れたてまつらぬ身なれば、御伴まうしさぶらはんとて、出で立ちはべる」
と言ふ。僧の言ふやう、
「さる者やはある。名をば何と言ふぞ」
と問へば、
「人々しき身ならねば、異名はべり。ただうち見る人は、貧報の冠者となむまうしはべる」
と言ふと見て、夢覚めぬれば、すなはち、身のつたなき宿世を知り、「いづくへ行とも、この冠者が添ひたらんには」と思ひて、外心改めて、あやしながら、もとの寺にぞ住みける。
これまたしもあるべきことなれど、人ごとに夢にも見ねば、宿世のほどをも知らず。いくばくもあるまじき身の、あたら暇に後世のことをさし置いて、まづ、「もしや、もしや」と走り求め、心を尽すなるべし。仏天の知見こそ、いと恥かしくはべれ。
第83話 元興寺に伊賀の聖道寂といふ人ありけり
元興寺に、伊賀の聖道寂といふ人ありけり。因果の理に暗からざりければ、深く仏道を思へり。
年若くて、長谷にまゐりて、道心を祈りたてまつりけり。夢中に僧ありて、示していはく、
「道心は体なし。ただ、かくのごときの心を道心といふ」
とのたまふとぞ見えたりける。
すなはち、世を遁れのがれ、頭おろし、所々修行しける後には、飛鳥寺の辺に庵を結び、座禅、念仏して、さしたる勤めとては、小阿弥陀一遍を読みける。
これ同じく往生を遂げたりける。
第84話 恵心僧都年たかくわりなき母を持ちたまひけり
恵心僧都年たかくわりなき母を持ちたまひけり。
志は深かりけれども、いとこともかなはねば、思ふばかりにて、孝養することもなくて、過ぎたまひにけるほどに、しかるべき所に仏事しける導師に請ぜられて、布施など多く取りたまひたれば、いとうれしくて、すなはち母のもとへあひ具して、渡りたまへり。
この母世のわたらひ、絶え絶えしきさまなり。「何に悦ばれん」と思ふほどに、これをうち見て、うち後ろ向きて、さめざめと泣かる。いと心得ず、「君、嬉しさのあまりか」と思ふ間に、とばかりありて、母の言ふやう、
「法師子を持ちては、われ後世を助けらるべきこととこそ、年ごろは頼もしくて過ぎしか、まのあたり、かかる地獄の業を見るべきことかは。夢にも思はざりき」
と言ひもやらず泣きにける。
これを聞きて、僧都発心して、遁世せられける。ありがたかりける母の心なり。

第85話 一年東大寺の大仏供養の時
一年、東大寺の大仏供養の時、田舎の人残りなくまゐり集まりけるころ、かの勧進の聖夢に見けるやう、一人の高僧来て、告げていはく、
「この貴賤、道俗数知らず集まる中に、大夫阿闍梨実印といふ僧の、無始の罪障、ことごとく滅するなり」
とのたまふ。
いと貴く思えて、
「しかじかいふ人やある」
と尋ねさするほどに、おのづから尋ねあひにけり。
すなはち、このことを語りて、
「さても、いかほどのことを勤めたまふぞ。いといとおぼつかなく」
など言ひける。
「さらさらつかまつることなし。ただ、御前にさぶらひし時、つねよりも信発りてはべりしかば、他念なくして、泣く泣く涙を押さへて、理趣分をこそ、一遍読みはべりしか」
とぞ答へける。
第86話 中ごろ安房守源親元といふ人ありけり
中ごろ、安房守源親元といふ人ありけり。常に先生の罪を悔いて、朝夕、極楽を願ふこと浅からず。
検非違使にてありける間、施を行なひ、罪をなだめ、人を助くること多し。つひに、東山辺に堂を造りて、阿弥陀の三尊を安置す。その上に、一人の比丘の形を造りすゑて、その名を安法とぞ付けたりける。これわれ出家したらん時の名なるべし。
安房守になりて下りける時、任のはじめなれど、さらに神事を先とせず。ただ、仏事をのみ勤めけり。国を治めける間、かしこに五間の堂を作り、丈六の阿弥陀仏を安置せり。国中の民にあまねく念仏を勧めて、遍数にしたがひて、官物を許す。石別に十万遍をあてたりける。もし、犯の者あれば、念仏する者をば選びて必ず免す。
国の内豊かにして、民、百姓なびきしたがへり。朝夕に念仏まうす声の、家ごとに絶ゆることなし。後には隣の国まで聞き伝へて、しばらくはうらやみ、しばらくは貴ぶ。
任果てて上りける時、民のうれふるさま、父母に別れたるやうにぞありける。つひに京へ入らずして、三井寺にて出家す。
終はり近なりては、微妙の楽、耳に聞こえ、さまざま瑞相あらはれて、往生を遂げたるよし、伝に記せり。
第87話 近く心戒坊とて居所も定めず雲風に跡を
近く、心戒坊とて、居所も定めず、雲風に跡をまかせたる聖あり。俗姓は花園殿の御末とかや。八島の大臣の子にして、宗親とて、阿波守になされたりし人なるべし。
そのかみは、いかなる心かありけん、平家亡びて、世の中、目前に跡形なく、あだなりしに、心を発して、もとより世をそむける仏性坊といふ聖にあひ伴ひて、高野に籠り居て、年久しく行なはれけり。
その後、大仏の聖、唐へ渡りけるを、たよりに付きて渡る。かの国に年ごろありて、行ひけるありさまも世の常のことにあらず。ひとへに身命を惜しまず、ある時は、樹下座禅とて、同行三人具して、深山に入りて、草引き結ぶほどの用意だになくて、ひとへに雨露に身をまかせつつ、四、五十日と行ひければ、今二人はえ堪へずして、捨てて出でにけりとぞ。
その後、この国へ還りて、
「都辺はことにふれて住みにくし」
とて、常にはゑひすか、あくろ、津軽、壺碑なんどいふ方にのみ住まれけるとかや。
妹あまたおはしけるに、天王寺に理円坊とて住みたまふは、昔、建礼門院に八条殿と聞こえし人なるべし。かの聖のありさま、山林にまどひ来て、跡を求めず。さとばかり、ほのぼのと聞こゆれど、近ごろは対面などせらるる便りもなければ、いかでかおはすらん。知らず。
ひたすら昔語りに過ぎたまひけるに、この二三年が先に、思ひよらぬほどに、世にゆゆしげなる人の入り来るあり。童部あまた後に立てて、「物狂ひ」と笑ひののしる。
その様を見れば、人にもあらず、痩せ黒みたる法師、紙衣の、汚なげにはらはらと破れたる上に、麻の衣の、ここかしこ結ひ集めたるを、わづかに肩にかけつつ、片かた破れ失せたる檜笠を着たり。「あないみじ。こは何者の様ぞ」と思ふほどに、年ごろおぼつかなく心にかかる心戒坊なりけり。
これを見るに、目も暗れて、あはれに悲しきこと限りなし。まづ、さてまぢかく見んこともかはゆき様なれば、古き物ども脱ぎ捨てなんどして後なむ、閑かに年ごろのいぶせさも語られける。
「今は年もたかくなりたまひたり。行ふべきほどは勤めて過ぎたまひぬ。いづこにもしづまりて、念仏などまうされよ」
と、ねんごろにいさめて、山崎に庵一つ結びて、小法師一人付けて、その用意など、かの妹の沙汰し送られければ、主従ながら月日を過ごしけるほどに、ある時、河内の弘川に住む聖とかや、尋ねて来けり。
これも対面して、夜もすがら物語せられけるを、この小法師、物を隔てて聞けば、
「かくてもなほ、後世は必ず修すべしとも思えず。ことにふれて障りあり。ただ、もとありしやうに、いづくともなくまどひ歩き、いささかも心を汚さじと思ふ」
など語りければ、「あやし」と思ひけれど、たちまちにあるべきこととも思はで過ぐるほどに、その後、四、五日ありて、いづくともなく失せにけり。
この小法師、心ある者にて、いと悲しく思えて、泣く泣く尋ね行きけれど、いづくをはかりともなし。「ありし夜の物語の中に、丹波の方へとやらん、声先ばかり、わづかに聞きしものを」と思ひ出でて、志のあまり尋ね行きけるほどに、穴太といふ所にて尋ね合ひにけり。
聖思えず、あきれたる気色にて、
「いかにして来たるぞ」
と言ひければ、
「日ごろもさるべきにてこそつかうまつりつらめ。いかなる御ありさまにても、御伴まうしさぶらはん」
など、志深く聞こゆ。
「志はいといとありがたく、あはれなり」
しかあれど、いかにもかなふまじき由、もて離れて、まさしく違ひぬべきやうなりければ、力なくて帰りける。後、さらにその行末も知らずなむはべりし。
いと尊く、今の世にもかかるためしもはべれば、これを聞きて、わが心のおろかなることをも励まし、及びがたくとも、乞ひ願ふべきなり。
ここに、ある人のいはく、
「かくのごとくの行、われらが分にあらず。一には身弱くして、病おこりぬべし。一には、衣食ともしからば、なかなか心乱れてむ。身を全くし、心を静めて、のどかに念仏せんにはしかじ」
と言ふ。
これひとへに志浅く、道心少なきゆゑなり。実心おこらずは、仏法かなひがたし。露命は消えやすし。一念にて他事を思ふべからず。片時なりとも恐れたらんこと、毒蛇のごとくに捨て、この身をば水の源と厭ふべし。かかれば、わざもこの身を仏道のために投げて、不退の身を得んとこそ思えけれ。
病おこりて、死なんに至りては、思ひあるべき身かは。悪業の依身なり。不浄の庫蔵なり。つひに道の辺の土となるべし。しばしいたはりて、何かせん。いかにも衣食は生得の報なり。天運にまかせてもあり。
病はまた習にしたがふ。いたはるとても必ずしも去らず。富める人の衰へたる様を見るに、豊かなる時、衣を厚く着て、薬を服して、壁代を引き、さまざま身をいたはるには、常に風熱きほひ発りて、神心やすきことなし。この人貧しくなりて、飢寒身を悩まし、服薬心にかなはず、もろもろの悪事、折につけつつみな身を犯す。
昔のごとくならば、たちまちに病おこりて死ぬべけれども、かやうに身を捨つる後は、病もしたがひて去りぬ。これすなはち、身は習はしのものなる上に、運命限りあるゆゑなるべし。いはんや、仏力むなしからずは、何の病か競はん。職感ならば、身も強きことを得てん。
すべて厭へど、死す。惜しめども、たもたれざるはこの身なり。たまたま仏法にあひたてまつり、決定往生すべき道を聞きながら、仮の身をいたはり、五欲につながれて、一期を暮らす。はかなきことにはあらずや。
かの阿弥陀如来の悲願は、われらが往生の業、勧門につきてうち聞くこそ、やすき様なれど、よく思へば、無始よりこのかた、輪廻生死の地をあらためて、大乗善根の境、快楽不退の国に生れんことは、心を発して励まずは、さすがに遂げがたくこそはべらめ。しかるを、今の世の習ひ、わづかに散心念仏ばかりを行として、知りがたき臨終正念を期し、かたへの往生人の宿善、内徳を知らず、たやすくわが分に思へり。これはいと愚かなることにこそ。
うち思ふには、五逆の罪人一念の称名なほ引摂にあづかる。などか、望みをかけざらんこととこそは思ゆれ。されど、かの極悪を作るは、即心の猛きより起こることなれば、思ひかへす時もまた、強盛なるべし。一念に証を得ることは、また命終に臨んで、それ、強くおこるがゆゑなり。
われらが類ひは、もとより心弱くつたなくして、きらきらしき罪をもえ作らず。げにげにしく懺悔を修するにあらざれば、熾盛の心もなし。愚痴闇鈍にして、泥を切るがごときなるなり。
もし、心を深く発して、「このたび決定往生を遂げん」と思ふ人は、早く名利を厭ひ、身命を捨てて、ねんごろに勤め、常に願ふべし。水を渡る者、手を休めつれば、溺れて死す。火を切る者、力を入れざれば、得ることなし。往生極楽も、またかくのごとし。一心に励み勤めて、ゆめゆめおこたることなかれ。
もし、世執なほ尽きずは、静かにこの身のありさまを思ひ解くべし。大方この身は、有にもあらず、また、久しく留むべきものにもあらず。すずろに化生するものにもあらず。ただ、流来生死の夢の内、因縁おのづから和合して、仮に業報の形の顕はれたるばかりなり。いはば、旅人の一夜の宿を借るがごとし。これに何の会着かあるべき。かかれば、「形は常の主なし。魂は常の家なし」と言へるなり。
この身は、かくあだなるものなれど、しかも、わが心、賢く愚かにしたがひて、仇敵ともなり、また善知識ともなるべし。
ある経にいはく、「人一日を経るに、八億四千の思ひあり。一々の思ひ、罪業にあらずといふことなし」と言へり。一年、二年にもあらず、もしは一生にも限らず。無始よりこのかた、積るらんほど、限りもなし。この罪、影のごとく身にそひて、たとひ非想非々想の頂に生るといふとも、なほ離れずして、その報尽きぬる時、三途の旧里は具して行くなり。
この罪の深しといふ、何ぞ。みな、わが身を思ひしゆゑなり。この身、罪の根元として、心のためには、仇敵なれども、しばしも生けるほどは、ねんごろにあひ思へり。命尽きて後、すなはち身をば山に捨つるに、むなしく鳥獣の食となり、また、心独り冥途におもむく時、「何しに、もてはてざりける身を思ふ」とて、「もろもろの罪を作りて、かくからき目を見るらん」と、恨めしく悔しけれども、すべて、何のかひかはある。
雑阿含の中に、譬へを取りていはく、「人のもとに一人の奴あり。万のわざ心にかなひて、一つも欠くことなし。主、ひとへにこれをあひ頼みて、朝夕あはれみはごくむ。彼が好み願ふこと、着る物、食ひ物より始めて、はかなき遊び、戯れに至るまで、みなかなへり。乏しきことあらせじと心を尽し、いとなむよりほかのことぞなき。しかるを、この奴、年ごろ敵の謀りて付けたりける使なれば、主の志を思ひ知らんや。隙をはからひつつ、たちまちに主を殺して去りぬ」
奴といふはわが身なり。主といふは心なり。心のおろかなるゆゑに、仇敵なる身を知らずして、宿善の命を失ひ、悪趣に堕することを言へり。
昔、目連尊者広野を過ぎたまひけるに、恐しげなる鬼、槌を持ちて、白き骸を打つあり。あやしくおぼして問ひたまふに、答へていはく、
「これは、おのれが前の生の身なり。われが世にはべりし時、この骸を得しゆゑに、物に貪じ、物を惜しみて、多くの罪を造りて、今、餓鬼の身を受けたり。苦を受くるたびに、この骸の妬う恨めしければ、常に来て打つなり」
と言ふ。
これを聞き終はりて、なほ過ぎたまふほどに、ある所に、えもいはぬ天人来て、骸の上に花を散らす。またこれを問ふに、天人答へていはく、
「これは、すなはちわが前の身なり。この身に功徳を造りしによりて、今、天上に生れて、もろもろの楽を受くれば、その報ひせむがために来て、供養するなり」
とぞ答へはべる。
かかれば、ひたすら身の恨めしかるべきにもあらず。善悪にもしたがひて、大きなる知識となるべきなり。かの兜率の覚超僧都は、月輪観を修して、証を得たる人なり。その観文の奥には、「たとひ紫金の妙体を得たりとも、かへつて黄壌の旧骨を拝せん」とぞ、書かれてはべりけり。
まことに道心あらん人のためには、この身ばかり尊く、うれしかるべきものなし。これらの理を思ひ解きて、身命を仏道のために惜しまずは、ことさらに、自理、懺悔を修せずとも、六度の難行を経尽さずといふとも、波羅蜜の功徳もおのづから備はりぬべし。
第88話 尾張国中島郡に斎所の権介成清といふ者
尾張国中島郡に、斎所の権介成清といふ者あり。かの国にとりて豊かなる者なり。子、あまたある中に、嫡子にて、若き男ありけり。田舎の習ひなれば、狩、漁をこととして、さらに因果の理をも知らず。
一年、東大寺の大仏供養の年、二十二、三ばかりにて、父母にあひ具して詣でたりける時、さるべきにやありけん、心の中に強く道心発して、「いかで身をなきものになして、思ふさまに仏道を修行してしがな」と思ひければ、父母さらに許さず。「このたびは、いかにもかなはじ」と思ひければ、その気色、色にも出ださず、もて隠して、本国へ帰り下りにけり。
その後、日ごろ経て、さるべき隙をはからひつつ、一人京へ上りぬ。また、すなはち大仏の上人のもとへ至りて、頭おろさん由、聞こえければ、
「誰人ぞ。いかなることによりて、世を遁れんとは思ひ立たれたるぞ。年も若くいます」
あやしく、疑はれければ、
「まことにさぞおぼすらん。これは、しかじかの者にはべり。さきにまゐりてはべりし時、まうすべくはべりしかども、その時は、かたがた妨げ多くて、遂げがたくはべりしかば、国に下りて後、立ち帰り、わざと一人上りはべるなり。身にとりては、ことごともはべらず。親豊かなれば、心にかなはぬこともなし。資財もあり、田園もあり。去りがたき妻子を持ちて、かたがた思ひ立つべき身にもはべらねども、世の無常を思ふに、なにごともよしなしと思ひはべれば、ただ身命を仏道に投げて、仏の悲願をたのみたてまつらんばかりこそ、かしこからめと、二心なく思ひ立ちてはべり」
と言ふ。
聖ことのありさまを聞き、涙を落としつつ、
「いといとありがたきことなり。これらに弟子と名付けたる聖その数はべれど、すずろに世を捨てたる人はなし。あるいは、主君のかしこまりを蒙り、あるいは世の過ぎがたきことを愁へ、あるいはかなしき妻におくれ、あるいは司位につけて世を恨みなど、さまざま心にかなはぬを、それをついでとしてのみこそ、世を捨つる習ひにてはべれば、そのこと忘れなん後は、道心もいかがとあやうくはべるを、聞くがごとくならば、発心にこそ、仏も必ずあはれとかなしみたまふらめ。いといとありがたきことなり」
とて、頭おろさんと、かくて烏帽子を取るほどに、髪のはらはらと乱れかかるを見て、あやしくてゆゑを問ふ。語りていはく、
「田舎より上りはべりし時、もし、思ひ返すこともやはべらんと、わが心の疑はしく思えてはべりしかば、かれにてなむ、髻を切つてはべる」
と言ふに、いとど心のなほざりならぬことを知りぬ。
すなはち、頭おろして後、かの弟子の聖どもに交はりて、三年ばかりやありけん、昼は、瓦を運び、石を持ち、材木を引くこと、時の間も休まず。夜は、出家したる日より、さらにうち臥すことなし。夜もすがら念仏を唱へて、西に向かひて、居ながら夜を明かす。大方露の間もいとま惜しうすれば、人と物語などすることもなし。食ひ物、着る物はあるにしたがふ。さらに身命を惜しむことなし。ただ、寝ても覚めても、心には西方をかけたり。
聖ありふるままに、このありさまを見るに、ありがたく、尊くおぼされ、勧めていはく、
「朝夕、仏道のために身を苦しうせらるるも、大きなる結縁なれど、なほ心をしづめ、身をやすくして、あくまで念仏せんにはしかじ。高野に新別所といふ所あり。すなはち、われはじめ居ける所なり。もとより法界の地なる上に、不断念仏を唱へて、一片に往生極楽を願ふよりほかに、ほかのいとなみなし。しかれば、ここに多かる聖の中に、もし道心ありと見ゆる人をば勧めて、必ずかの念仏衆に入るるなり。はやく、その衆につらなりて、念仏の功を積まれよ」
と、いさめられければ、
「まことに、かくもはべるべけれど、凡夫の口惜しさは、女なんど見ゆれば、妻のごとしと思ひ出らるることはべり。幼き子どものはべるときは、これを見るにつけても、わが子もかくやと忘れがたくはべるも、いとよしなし。山深き所に住みなば、思ひもなくて、いとよくはべるべし。ただし、入るとし入りなば、また帰ることはさらにつかまつるまじ。踈くなりたてまつらんことこそ、心細くはべれ」
と言ひながら、高野へ登りけり。かくて、かの往生院の二十四人の中にて月日を送るありさま、ありしよりもことなり。
田舎には、この人を失ひて、父母、妻子ども、みな肝心を惑はし、当国、隣国、至らぬくまなく、足手を分かちつつ、尋ね求むれど、いづくにかあるらん、「たとひ、命尽きて、むなしき骸となりたりとも、今一度その形を見ん」と、歎き悲しむ様、ことはりにも過ぎたり。はてには、国の中ゆすり満ちて、見聞く人涙を落さぬはなかりけり。
とかく言へど、かひなくて月日を送る間に、世の中に隠れなければ、ほど経て後なむ、出家せしこと聞こえたりける。つひに、「高野にこそ住むなれ」と聞きて、泣く泣く消息しけり。
「さしも浅からず思ひたりける道なれば、そむかんことはいふにも及ばず。文一つだにも書き置かずして、むなしく親の心を惑はせることなむ、いと恨めしけれど、さて、いかがはせん。心をかへて思ふには、また、罪さり所、無きにしもあらず。この国にも山寺多かり。近くてだに聞かまほしきを、かくして、雲を隔てたるさかひにかけ離れたることこそ、いと本意なく」など、さまざまに書きやれど、さらになびくにもあらず。
かねて、父母なむ、わざと京へ上りて、高野の麓に天野といふ所に詣でて、そこに呼び出だして、対面したりける。その時、心の中、おろかならんや。
若く盛りなりし形は、見しものともなく痩せ黒みて、ぼろぼろとある布小袖など、昔、仮にだに見ざりし姿なれば、目も暗れ、胸もふたがりて、とみにもの言はれず。とばかりためらひつつ、さまざま日ごろ思ひつめたることども、泣く泣く言ひ知らすれども、言葉少なにて、はかばかしくものも言はず。
ただ、
「この山へまかり入りし時、また帰り出でじと思ひかためはべりしかど、暇をまうさずして、家を出でてはべりしことの罪さりがたくて、また立ち戻りさぶらひつれども、あらぬ心にて、かく出ではべるなり。今より後は、たとひ御尋ねさぶらふとも、いささかもこれまで出づること、つかまつるまじ。されば、今はこればかりなむ限りにてはべるべし。われを見まほしくおぼさば、心を発して仏道を願ひたまへ。この世にては、たとひ思ふばかり添ひたてまつりたりとも、いつまでか見たてまつらん。われも人も、おくれ先立つ習ひ、遁れがたければ、せんなくはべるべし」
と、つれなく答へて、帰り登りにけり。
妻はそこまで上りけれど、面を向くべくも思えざりければ、物のはざまより、わづかにのぞきて、忍びもあへず、よよと泣きけり。父母姿を見ざりし時よりも、なかなか悲しく思えて、泣く泣く帰り下りにけり。
さて、国よりさまざま物ども沙汰し、登せたりける返事には、「これはいることもはべらねど、御ため、罪ほろぶる縁とかならんと思ひたまへて、念仏衆に分けはべるべし。ただ、とく死して、浄土へまゐらんと思ふ心のみ深くはべれば、日にそへて、命のみこそいと悲しくはべれ。ゆめゆめ、かりそめの身をいたはしくなおぼしそ」とぞ言ひける。
まことに、着物、食ひ物の類、結衆に分かつのみにあらず、貧人見ゆれば、みな与へて、わがために残すことなし。親の沙汰にて、三間なる坊を作りてすゑたりけれど、居所ほしがる人のありけるをすゑて、わが身は定まれる栖なし。
日ごとに湯を沸かせども、これを浴みず。年月経れども、ものを洗ふことなし。破れぬれば捨つ。ただ、朝夕、仏の来迎を心にかけて、ことにふれて無常を思ふよりほか、さらに他事に心をかけず。
もし、人のもとに行く時は、泥踏める足にて、筵、畳を踏む。はばかることなし。人とがむれば、
「不浄はおのおの身の内にあり。何ぞ、顕はれたるをのみ厭はんや」
と言ふ。
かの所の習ひにて、結衆の中に先立つ人あれば、残りの人集まりて、所の大事にて、これを葬るわざしけれど、この聖のありけるほどは、さらに人々にいとなませず。ただ、一人引き隠して、木をこりて葬る。骨拾ひて、とかくして、われ一人ねんごろに心を入れたるさま、父母を葬するがごとし。
この所に住みそめけるより、奥の院へ入堂すること、日ごとに欠かず。その間、雨風霜雪をためらふことなし。蓑笠用意するほどのかまへだになければ、雨降れば、さながら濡れ、また、雪降れば、凍て氷る。さらにこれをこととせず。
ある人いはく、
「浄土を願はんには、身を全くして、念仏の功を重ぬべし。何のゆゑにか、身命をいたはらざらん」
答へていはく、
「世は末世なり。身は凡夫なり。今、たまたま心発せり。この心さめざらん先に、往生を遂げんと思ふ。このゆゑに、身命を惜しまず」
と言ふ。聞く人かつはかなしみ、かつは貴むこと限りなし。
かくて、出家して後、七、八年やありけん。かねて死期を知りて、こと病もなく、臨終思ひのごとく、念仏の声絶えずして、居ながら終はりにけり。
今の世のことなれば、かの別所に知らぬ人なし。

