『発心集』第1巻 現代語訳全文|わかりやすい口語訳で読む

 このページでは、鴨長明『発心集』第1巻(第1話~第12話)の現代語訳全文を掲載しています。原文の内容を保ちながら、言葉や文法を一つずつ置き換える逐語訳ではなく、わかりやすさを重視した自然な口語訳にしました。また、人名・地名・仏教語などの読みにくい漢字には、現代仮名遣いによる振り仮名を付けています。

 原文と照らし合わせたい方は、『発心集』第1巻 原文全文(ふりがな付き)をご覧ください。現代語訳にあたっては、本文の解釈や段落分けについて、以下の文献を参考にしています。

目次

 仏さまは、こんなことを教えている。

「自分の心をコントロールする側にはなっても、自分の心の言いなりにはなるな」

 本当にそのとおりだと思う。

 人は一生のあいだに、いろいろなことを考え、いろいろなことをする。その中に、悪につながらないものなど一つもない。質素な姿をし、墨染めすみぞめの衣を着て、世間の汚れから離れて暮らしている人でさえ、野生の鹿のような自由な心をつなぎ止めるのは難しく、飼い犬のような気楽な暮らしにはすぐ慣れてしまう。まして、因果いんがの道理も知らず、名誉や利益ばかり追いかけている人なら、なおさらだ。欲望の鎖に引っぱられ、そのまま地獄の底へ落ちようとしている。ものを考える心があるなら、これを怖いと思わない人はいないだろう。

 だから私は、何かあるたびに、自分の心がいかに頼りなく、愚かなものかを振り返るようにしている。仏さまの教えに従い、自分の心を簡単には信用しない。今度の人生でこそ、生まれては死ぬ迷いの世界から抜け出し、早く浄土じょうどに生まれたい。それは、荒れた馬を御しながら、遠い目的地を目指すようなものだ。

 ただ、人の心には強いものも弱いものもあり、深いものも浅いものもある。では、私自身の心はどうか。善にきっぱり背いているわけでもないが、悪からきっぱり離れているわけでもない。風が吹けばすぐになびく草のようで、波の上に映り、いつまでも揺れている月のようでもある。こんなに頼りない心を、いったいどうやって教え導けばよいのだろう。

 仏さまは、人の心が一人ひとり違うことを見抜き、その人に合った出来事やたとえ話を使って導いてくださる。もし私たちが仏さまに直接お会いできたなら、どんな教えを勧めてくださっただろうか。けれど私には、他人の心を見抜く力などない。自分なりに道理を理解することはできても、愚かな心をうまく導く方法を知らない。仏さまの教えそのものはすばらしくても、私がそこから得られるものは、ほんのわずかしかない。

 そこで私は、自分の心の浅さを考え、無理に難しい仏法ぶっぽうを追い求めることはやめた。その代わり、何げなく見たり聞いたりした話を書き集め、ひそかに自分のそばへ置いてきた。すぐれた人の話を読めば、たとえ同じようにはなれなくても、「自分もそうなりたい」と願うきっかけになる。愚かな人の話を読めば、自分の行いを改めるきっかけになる。そう考えたのである。

 インドや中国から伝わった遠い国の話は、ここには書かない。仏や菩薩ぼさつにまつわる話も、私の力には余るので省く。取り上げるのは、私たちと同じ日本に生きた、身近に感じられる人たちの話である。自分が人から聞いた話だけを書き留めることにした。

 だから、この本にはきっと間違いが多く、本当のことは少ないだろう。もう一度たしかめようにも、話を聞いた相手に会えない場合は、土地や人の名前も書いていない。雲をつかみ、風を結ぶような、頼りない話ばかりだ。こんなものを、いったい誰が役立てるだろう。

 とはいえ、私は「この話を信じなさい」と人に勧めたいわけではない。だから、確かな証拠をどこまでも調べようとも思わない。道端で耳にしたような、あてにならない話の中から、自分が仏道を志すきっかけを見つける。それだけを楽しみに、ここへ書き集めたのである。

第1話 玄敏僧都という人

 昔、玄敏僧都げんぴんそうずという僧がいた。山階寺やましなでらでも指折りの学僧だったが、世間を嫌う気持ちが強く、寺の人たちと付き合うことさえ好まなかった。三輪川みわがわのほとりに小さな草庵そうあんを建て、ひっそりと暮らしていた。

 桓武天皇かんむてんのうは玄敏の評判を聞き、どうしても宮中へ出るよう命じた。断ることができず、玄敏はしぶしぶ参上した。けれど、やはり本人の望む生き方ではなかったのだろう。のちに大僧都だいそうずという高い役職へ任命された時、その役目を断るため、こんな歌を詠んだ。

三輪川の清き流れにすすぎてし衣の袖をまたはけがさじ

三輪川の清らかな水で、せっかく洗い清めた衣の袖です。世間の汚れで、もう二度と汚すつもりはありません。

 玄敏は、この歌を天皇へ差し出した。

 それからしばらくして、玄敏は弟子にも使用人にも何も告げず、どこかへ姿を消した。行きそうな場所はすべて捜したが、どこにもいない。どうすることもできないまま日だけが過ぎ、身近な人たちだけでなく、世間の人々まで玄敏の失踪を嘆いた。

 何年もたったころ、玄敏の弟子だった僧が、用事で越の国こしのくにの方へ向かった。旅の途中、大きな川に差しかかり、渡し舟へ乗り込んだ。渡し守を見ると、髪を乱雑に伸ばし、汚れた麻の衣を着た、みすぼらしい僧だった。

「ずいぶん変わった姿だな」

 そう思って眺めていると、どこかで見たような気がする。

「いったい誰に似ているんだろう」

 考え続けるうち、弟子は気づいた。何年も前に消えた師、玄敏僧都ではないか。見間違いかと思って何度も見たが、どう見ても本人だった。弟子は悲しくなり、こぼれそうになる涙を押さえながら、気づかないふりをした。

 玄敏の方も弟子だと気づいたらしい。けれど、わざと目を合わせようとしない。弟子は駆け寄って、「どうして、こんなお姿で」と尋ねたかった。ところが周りには人が多い。ここで騒げば、かえって面倒なことになるだろう。帰りに玄敏の泊まっている場所を訪ね、二人でゆっくり話そう。そう考えて、その場は通り過ぎた。

 やがて用事を終えた弟子が渡し場へ戻ると、そこに玄敏はいなかった。別の渡し守が舟を出している。弟子は目の前が真っ暗になった。胸が詰まる思いで、さっきの僧について詳しく尋ねた。

「ああ、そういう法師がおりました。何年もここで渡し守をしていた人です。身なりは貧しくても、心まで卑しい人ではありませんでした。いつも静かに念仏ねんぶつを唱え、船賃を細かく取り立てることもしません。その日に食べる物さえあれば、ほかには何も欲しがりませんでした。里の人たちも気の毒に思い、大切にしていたのです。ところが、何があったのでしょう。少し前、かき消すようにいなくなり、行方がわからなくなってしまいました」

 弟子は悔しくてたまらなかった。玄敏が消えた日を数えてみると、自分と顔を合わせた、まさにその日だった。今の暮らしを弟子に知られたため、また別の土地へ去ってしまったのだろう。

 この出来事は、ほかの物語にも書かれているという。私がここに書いたのは、ある人が断片的に語ってくれた話である。

 また、『古今和歌集こきんわかしゅう』には、こんな歌がある。

山田守る僧都の身こそあはれなれ秋はてぬれば問ふ人もなし

山の田を守って暮らす僧都の身は、なんとも寂しいものだ。秋が終われば、訪ねてくる人さえいない。

 これも玄敏の歌だと伝えられている。雲や風のように各地をさすらった人だから、田を守って暮らした時期もあったのだろう。

 近ごろ、三井寺みいでら道顕僧都どうけんそうずという人がいた。道顕は玄敏の物語を読み、涙を流しながら言った。

「渡し守こそ、罪を作らずに、この世を渡っていける仕事なのだ」

 そう言って、琵琶湖に舟を一艘用意したという。

 けれど、その計画は実行されないまま終わり、舟は石山の河岸でむなしく朽ちてしまった。それでも、玄敏のように生きたいと願った道顕の心は、やはりめったにない尊いものだった。

第2話 伊賀国郡司に仕える法師

 伊賀国いがのくにのある郡司ぐんじの屋敷へ、みすぼらしい僧がふらりと入ってきた。

「こちらでは、人を雇っていませんか」

 主人は僧の姿を見て言った。

「お前のような坊さんを雇って、何をさせるんだ。何の役にも立たないだろう」

「坊さんだからといって、普通の男と体が違うわけではありません。私にできる仕事なら、何でもします」

「それなら、雇ってやろう」

 僧は喜び、まじめによく働いた。主人はその働きぶりを気に入り、とくに大切にしている馬まで預けた。

 三年ほどたったころ、主人は国司こくしの機嫌を損ねたとして、その土地から追放されることになった。先祖代々ここに住み、多くの領地と大勢の使用人を抱えている人である。すべてを捨て、よその国へ流れていくのは、とても耐えがたいことだった。けれど逃れる方法はなく、泣く泣く旅立ちの支度を始めた。

 その騒ぎの中で、僧が屋敷の者に尋ねた。

「ご主人に、何があったのですか」

「お前のような者が聞いても、どうにもならない」

 相手は、ひどく冷たく答えた。それでも僧は引き下がらない。

「身分が低いからといって、なぜ教えてくださらないのです。私は何年も、ご主人を頼りにしてきました。隠すようなことではないでしょう」

 何度も熱心に尋ねるので、屋敷の者は事件のいきさつをすべて話した。すると僧は言った。

「私が何を言っても、聞いてはいただけないかもしれません。でも、どうして今すぐ立ち退く必要があるでしょう。思いがけない解決方法が見つかることもあります。まずは都へ行き、事情を何度も訴えてみてください。それでもだめなら、その時に別の土地へ移ればよいのです。実は私、国司の近くにいる人を少しだけ知っています。その人に頼んでみましょう」

 屋敷の人たちは驚いた。

「この坊さん、ずいぶん大きなことを言うな」

 主人にもこの話を伝えると、主人は僧を呼び、自分で詳しく尋ねた。僧の話をすべて信じたわけではない。けれど、ほかに打つ手もなかったので、僧を連れて都へ向かった。

 当時、伊賀国を治めていたのは、ある大納言だいなごんだった。一行が都へ着き、大納言の屋敷近くまで来ると、僧が言った。

「これから知人を訪ねます。ただ、このぼろぼろの姿では都合が悪い。衣と袈裟けさを借りていただけませんか」

 主人はすぐに衣と袈裟を借り、僧に着せた。

 僧は主人を大納言の屋敷まで連れていき、門の前で待たせた。そして一人で中へ入り、

「申し上げたいことがございます」

 と声をかけた。屋敷には大勢の人が集まっていたが、僧を見るなり、次々に座を下り、ひざまずいて敬意を表した。門から見ていた主人は、ただ驚くばかりだった。

 僧が来たと聞くと、大納言はすぐに出迎え、並々ならぬ様子でもてなした。

「いったいどこへ行かれたのかと、長いあいだ心配していました。ご無事だったとは、本当にうれしい」

 大納言が何度もそう言うと、僧は短く答えた。

「その話は、またゆっくりいたしましょう。今日は、ぜひお願いしたいことがあって参りました。伊賀国で長年世話になった者が、思いがけず処罰され、国から追放されることになったと嘆いています。あまりに気の毒です。重大な罪でないのなら、この私に免じて許していただけませんか」

「何も詳しくおっしゃる必要はありません。あなたがそこまで心にかける人なら、私も大切に扱うべき人物なのでしょう」

 大納言はそう言って、処罰を取り消しただけでなく、以前よりも待遇がよくなる命令書まで出した。僧は喜んで受け取った。

 伊賀の主人が、驚いて何も言えなくなったのも無理はない。聞きたいことはいくらでもあったが、あまりに予想外の展開で、言葉が出なかった。

「宿へ戻ってから、ゆっくり事情を聞こう」

 そう思っていると、僧は借りた衣と袈裟の上に、大納言から受け取った命令書を置いた。少し外へ出るような様子で立ち上がり、そのままどこかへ姿を消してしまったという。

 この僧も、あの玄敏僧都げんぴんそうずだった。その心のあり方は、本当に尊いものだったのだろう。

第3話 平等供奉という人

 それほど遠くない昔、比叡山ひえいざん平等供奉びょうどうぐぶという高い身分の僧がいた。仏教の一般的な教えにも密教みっきょうにも通じた、すぐれた僧だった。

 ある時、人目につかない場所で一人になった瞬間、平等供奉の心に、この世のはかなさが突然迫ってきた。

「こんなにはかない世の中で、私はどうして名誉や利益に縛られているのだろう。捨てるべきこの身を惜しみ、毎日をむだに過ごしている。いったい何をしているんだ」

 そう思ったとたん、これまでの生き方が悔しくなり、長年暮らした僧坊まで嫌になった。もう戻ろうという気持ちはなかった。白い下着に足駄を履いただけの姿で、僧衣さえ着ないまま、どこへ行くとも決めずに外へ出た。そして西の坂を下り、都の方へ向かった。

 行き先も、住む場所も決めていない。足の向くまま淀の方までさまよい、川を下る舟があったので、乗せてもらおうとした。

 ところが、その姿も顔つきも普通ではない。舟の人たちは怪しみ、なかなか乗せようとしなかった。それでも平等供奉が強く頼むので、とうとう舟へ乗せた。

「それにしても、何があって、どちらへ向かわれるのですか」

「別に、何か事情があるわけではありません。行き先も決めていません。ただ、あなた方が行く所へ、私も行こうと思っています」

「まったく、わけのわからない話だな」

 舟の人たちは首をかしげた。それでも見捨てるほど冷たい人たちではなく、平等供奉をそのまま乗せていった。こうして平等供奉は、伊予国いよのくにへたどり着いた。

 その後は伊予国をあてもなく歩き回り、物乞いをして暮らした。土地の人たちは、そんな平等供奉を「門乞食かどこつじき」と呼んだ。

 一方、比叡山の僧坊では、

「少し出かけただけのはずなのに、こんなに長く帰られないのはおかしい」

 と話していた。しかし、まさか物乞いになっているとは、誰にも想像できない。

「何か事情があるのだろう」

 そう言っているうちに一日が過ぎ、夜も明けた。人々は慌てて捜し回ったが、どこにもいない。仕方なく、もう亡くなったのだろうと考え、泣きながら供養まで行った。

 そのころ、伊予国の国司こくしは、平等供奉の弟子である浄真阿闍梨じょうしんあじゃりと長年親しくしていた。祈祷きとうなどを頼んでいたので、任国へ向かう時、

「遠い土地でも、この人がいれば心強い」

 と言って、浄真を連れてきていた。

 門乞食になった平等供奉は、そんなこととは知らず、国司の館へ物乞いに入った。すると大勢の子どもたちが後ろに付きまとい、笑って騒いだ。館にいた大人たちまで、

「なんておかしな姿だ。さっさと出ていけ」

 と乱暴に追い払おうとした。

 浄真阿闍梨は気の毒に思い、何か与えようと、その物乞いを近くへ呼んだ。恐る恐る縁側まで来た姿を見ると、人間とは思えないほど痩せ衰え、ぼろぼろの着物を一枚まとっているだけだった。けれど、どこかで見たような気がする。よくよく顔を見ると、なんと自分の師、平等供奉だった。

 浄真は胸を打たれ、すだれの中から転がるように飛び出した。そして師を縁側へ引き上げた。国司をはじめ、その場にいた全員が驚き、泣きながらいろいろと話しかけた。けれど平等供奉はほとんど何も語らず、どうしても帰らせてほしいと言って、立ち去った。

 人々は言葉もなかった。せめて麻の衣でも渡そうと用意し、平等供奉のいる場所を捜したが、まったく見つからない。最後には国中の人へ命じ、山林の隅々まで歩き回って捜した。それでも会うことはできず、そのまま行方がわからなくなった。

 それからずっと後、山に住む人がこんな話をした。

「人も通わない深い山の奥に、清水の湧く場所があります。そこに、亡くなった人がいます」

 浄真が「もしかすると」と思って訪ねてみると、平等供奉が西へ向かい、合掌したまま座って亡くなっていた。浄真は悲しみながらも、その姿をたいそう尊く思い、泣きながら葬儀を行った。

 今も昔も、本当に仏道を志した人は、このように故郷を離れ、誰も自分を知らない土地で、名誉や利益をきっぱり捨てて死んでいくのである。

「迷いを超えた菩薩ぼさつでさえ、昔から自分を知る人の前では、神通力じんつうりきを見せるのが難しい」

 そういわれている。まして、仏道を志したばかりの心は、どれほど尊くても、まだ「絶対に後戻りしない」という境地には届いていない。少しのきっかけですぐ乱れてしまう。故郷に住み、昔からの知り合いに囲まれていたら、迷いの心をまったく起こさずにいることなど、できるはずがない。

第4話 千観内供という人

 千観内供せんかんないぐという僧は、智証大師ちしょうだいしの弟子で、並ぶ者のない学僧だった。

 もともと仏道を求める心は深かった。けれど、自分はどんな生き方をし、どんな修行をすればよいのか決められないまま、月日だけが過ぎていた。

 ある時、宮中の法会ほうえで役目を終え、帰る途中のことだった。四条河原しじょうがわら空也上人くうやしょうにんに出会った千観は、車から降りて尋ねた。

「私は、どうすれば来世で救われるでしょうか」

 空也は驚いて答えた。

「話がまるで反対です。そんなことは、あなたのような立派な僧に、私の方から教えていただきたい。私のような卑しい者は、迷いながら歩き回っているだけです。何もわかってはいません」

 そう言って立ち去ろうとした。千観は空也の袖をつかみ、それでも必死に答えを求めた。すると空也は、

「そこまで言うのなら、自分の身を捨てることです」

 それだけ言い残し、袖を振りほどいて、足早に去っていった。

 千観はその場で決心した。河原で正装を脱いで車へ入れ、供の者たちに告げた。

「お前たちは、すぐ僧坊へ戻りなさい。私はここから、別の場所へ行く」

 供の者を全員帰すと、一人で蓑尾みのおという所へこもった。

 けれど、そこも自分の居場所ではないと感じたのだろう。どこに住もうか迷っていると、東の空に金色の雲が立った。千観はその雲の下を捜し、そこに粗末ないおりを建て、世間から姿を隠した。今の金龍寺こんりゅうじがその場所である。

 千観はそこで長年修行し、最後には極楽往生ごくらくおうじょうを遂げた。その様子は伝記に詳しく書かれている。

 また、ある人の夢に、千観が千手観音せんじゅかんのんの姿で現れたという。「千観」という名前は、「千手観音」の名を縮めたものなのである。

第5話 多武峰の僧賀上人

 僧賀上人そうがしょうにんは、経平宰相つねひらさいしょうの子で、慈恵僧正じえそうじょうの弟子だった。幼いころから、学問も人柄もほかの人よりすぐれていた。

「この人は将来、きっと高い地位に就くだろう」

 世間の人々は、口をそろえてそう褒めた。

 ところが僧賀本人は、心の底から世間を嫌っていた。名誉にも利益にも縛られず、ただ極楽に生まれることだけを、ひそかに願っていたのである。

 僧賀がいつも嘆いていたのは、思うように強い信仰心を持てないことだった。そこで根本中堂こんぽんちゅうどうへ千夜続けて参り、毎晩千回礼拝して、

「どうか私に、仏道を求める心をお与えください」

 と祈った。

 初めのうち、僧賀は声を出さずに礼拝していた。ところが六百夜、七百夜と続けるころになると、礼拝するたび、小さな声で、

「お付きください。お付きください」

 と言うようになった。周りの人たちは、

「あの僧はいったい何を祈っているんだ。『天狗よ、取り付いてください』とでも言っているのか」

 と不思議がり、笑う人もいた。

 千夜の終わりが近づくと、僧賀の声は、

「仏道を求める心よ、私に付いてください」

 とはっきり聞こえるようになった。それを聞いた人々は、初めて胸を打たれた。

 こうして千夜の修行を終えると、その祈りが通じたのだろうか。僧賀の世間を嫌う心は、ますます強くなった。

「どうにかして、世間から『何の役にも立たない人間だ』と思われるようになろう」

 僧賀は、そうできる機会を待った。

 ある時、宮中で「内論義ないろんぎ」という法会ほうえが開かれた。決められた問答が終わると、宴会の食べ物を庭へ投げ捨て、集まった物乞いたちに奪い合わせる習わしがあった。

 その時である。宰相禅師と呼ばれていた僧賀が、大勢の僧の中から突然走り出し、庭へ投げられた食べ物を拾って食べ始めた。

「宰相禅師が狂ったぞ」

 人々が大騒ぎすると、僧賀は平然と言った。

「私は狂ってなどいない。そう言っている僧たちの方が、よほど狂っているように見える」

 周りがどれだけあきれても、僧賀は少しも動じなかった。そして、この一件をきっかけに、世間との付き合いから離れていった。

 のちに僧賀は、大和国やまとのくに多武峰とうのみねに住み、思う存分修行して暮らした。やがて「たいそう尊い僧だ」という評判が立ち、時のきさきから、仏教の戒めを授ける師として呼ばれた。

 断り切れず宮中へ行った僧賀は、南殿の高欄こうらんのそばまで来ると、后に向かって聞くに堪えない言葉をいくつも浴びせ、何もしないまま帰ってしまった。

 またある時、仏の供養を頼まれ、その家へ向かっていた。道中、どんな説法せっぽうをすればよいかと考えているうち、僧賀は気づいた。

「うまい説法をして褒められたいという、名誉欲があるから考えているのだ。このままでは、魔物に付け込まれてしまう」

 そこで到着すると、わざとどうでもよいことを責め、家の主人とけんかをし、供養も終えずに帰ってしまった。人から嫌われ、二度と仕事を頼まれないようにするためだったのだろう。

 また、師である慈恵僧正が祝いのため宮中へ向かった時、僧賀は行列の先頭へ加わった。乾いた鮭を太刀の代わりに腰へ差し、骨ばかりに痩せた雌牛へ乗って、

「私が行列の先頭を務めよう」

 と叫びながら、楽しそうに動き回った。見物人は、誰もが驚きあきれた。

 そして僧賀は、

「有名になるのは苦しい。物乞いの身でいる方が、ずっと楽しい」

 と歌い、そのまま行列を離れてしまった。

 師の慈恵僧正も、ただの人ではなかった。僧賀が、

「私が先頭を務めよう」

 と叫ぶ声は、その耳には、

「悲しいことです。わが師は、悪い世界へ落ちようとしています」

 と聞こえた。そこで僧正は、車の中から、

「これも人々を救うためなのだ」

 と答えたという。

 僧賀が死を迎えようとした時、まず碁盤を取り寄せ、一人で碁を打った。次に馬の泥よけを頭からかぶり、「胡蝶こちょう」という舞のまねをした。弟子たちが不思議に思って理由を尋ねると、僧賀は答えた。

「子どものころ、この二つをやろうとして人に止められた。そのまま我慢したが、今も心に残っている。死んだあとまで執着になってはいけないから、今のうちにやっておこうと思ったのだ」

 やがて僧賀は、極楽から迎えに来た聖者せいじゃたちの姿を見た。そして喜びながら、歌を詠んだ。

みづはさす八十あまりの老いの波くらげの骨にあひにけるかな

八十年を超える老いの波を渡ってきた末に、くらげの骨を見るほどあり得ない、極楽からのお迎えに出会えたことだ。

 この歌を詠み、僧賀は亡くなった。

 僧賀の行動は、今の世なら「ただの変人だ」と言われるかもしれない。けれど、すべては世間との関係を断ち切りたい、その一心から出たものだった。だからこそ、その行いは、めったにない例として語り継がれたのである。

 人と交わって暮らせば、身分の高い人には従い、低い人には情けをかける。そのたびに、自分の体は他人のために使われ、心は愛情や執着へ引っぱられる。それは、この世で苦労するだけの話ではない。迷いの世界から抜け出すための、大きな邪魔になる。世間との関係を離れずに、乱れやすい心を静めることなど、どうしてできるだろうか。

第6話 高野山の南筑紫上人

 それほど遠くない昔、高野山こうやさんに「南筑紫みなみつくし」と呼ばれる尊いひじりがいた。もとは筑紫の人で、多くの土地を持つ裕福な男だった。

 筑紫では、家の前にどれほど広い田を持っているかが、その家の豊かさを示していた。この男の家の前には、五十町ごじっちょうほどの田が広がっていた。

 八月ごろの、ある朝のことである。男が外へ出ると、実った稲穂が波のように一面へ広がり、露が美しく降りていた。はるか遠くまで続く田を眺めながら、男は思った。

「この国には金持ちと呼ばれる人が大勢いる。だが、家の前に五十町もの田を持つ人は、めったにいないだろう。私のような者には、もったいないほど恵まれた暮らしだ」

 自分の豊かさを誇らしく思っていた、その時だった。前世で積んだ善い行いが、心を動かしたのだろうか。急に、別の考えが浮かんだ。

「いや、そもそも、これは何なのだ。この世では、昨日まで生きていた人が、今日はもういない。朝には栄えていた家が、夕方には衰えている。死んで目を閉じたあと、必死にため込んだ財産が何の役に立つ。こんなはかない物に執着し、そのせいで長く苦しみの世界へ沈む方が、ずっと恐ろしいではないか」

 その瞬間、男の心に、この世の無常むじょうが強く迫った。

「今、家へ戻れば、妻や子がいる。親族も使用人も大勢いる。出家したいと言っても、必ず止められるだろう。それなら、このまま家を離れよう。誰も私を知らない土地へ行き、仏道を修めるのだ」

 男は、少し外へ出ただけの格好のまま、都を目指して歩き始めた。

 ただならない様子を見て、途中ですれ違った人が家へ知らせた。家の人たちが驚き、大騒ぎになったのも当然である。

 男には、とくにかわいがっていた十二、三歳ほどの娘がいた。娘は泣きながら父を追いかけ、ようやく追いつくと、その袖をつかんだ。

「私を捨てて、どこへ行くのですか」

「だめだ。お前に止められるわけにはいかない」

 男は刀を抜き、娘の髪を切った。娘は恐ろしくなり、父の袖を放して家へ帰った。

 男はそのまま高野山へ上り、髪をそって出家した。そして、思い描いたとおりに修行した。

 娘はその場では引き返したが、父をあきらめたわけではない。その後も行方を捜し、自分もあまになって、高野山の麓へ住んだ。そして亡くなるまで、父の衣類を洗い、縫い物をして、父を支え続けた。

 この聖は、のちに高い徳を備えた。身分の高い人から低い人まで、帰依きえしない者はいないほどだった。

 ある時、聖が堂を建て、完成の供養をしようとした。儀式を取り仕切る僧を誰に頼もうかと悩んでいると、夢の中に一人の人物が現れ、こう告げた。

「この堂は、決められた日の決められた時刻に、浄名居士じょうみょうこじ、つまり維摩居士ゆいまこじが来て、供養することになっている」

 目を覚ました聖は、夢のお告げを枕元の障子へすぐに書き付けた。とても不思議な話だったが、

「きっと何か意味があるのだろう」

 そう考えて、約束の日を待った。

 いよいよ、その日が来た。堂をきれいに飾り、今か今かと待っていたが、朝から雨が降り、外から来る人は誰もいない。

 やがて約束の時刻になると、みのかさを身に着けた、ひどくみすぼらしい僧がやって来た。堂を拝みながら、その周りを歩いている。聖はすぐに僧をつかまえた。

「お待ちしていました。どうか早く、この堂の供養をしてください」

 僧は驚いた。

「とんでもありません。私には、そのような力はありません」

「私は名もない僧です。たまたま用事があって、高野山へ参っただけです」

 僧は固く断った。それでも聖は、前もって夢のお告げを受けたことを話し、障子に書いた日付を見せた。そこには、たしかに今日の日付がある。僧は、もう逃げられなくなった。

「それでは、形だけでも務めましょう」

 そう言って蓑と笠を脱ぎ捨てると、たちまち僧が座る高い台へ上がり、見事な説法せっぽうを始めた。

 この僧は、実は天台宗の明賢阿闍梨みょうけんあじゃりだった。高野山へ参詣さんけいしたいと思い、誰にも知られないよう、姿を変えて来ていたのである。この出来事から、高野山では明賢を浄名居士の生まれ変わりだと言うようになったのだろう。

 さて、南筑紫上人は、たいそう尊い僧だと評判になり、白河院しらかわいんも深く帰依した。高野山がとくに栄えるようになったのも、この聖の時代からだった。最後には、乱れのない心で死を迎え、極楽往生ごくらくおうじょうを遂げた。その様子は、伝記に詳しく書かれている。

 人なら誰でも手放したくないと思うほどの財産を目の前にして、かえって「捨てよう」と決心した。その心は、本当にめったにないものだ。

 ある賢い人は、こう語った。

「この世でも来世でも人が苦しむのは、財産を欲しがる心が根本にある。他人も財産を欲しがり、自分も深く執着する。だから互いに争い、ねたみ、欲はますます深くなり、怒りも激しくなる。人の命を奪い、人の物を横取りする。家が滅び、国が傾くほどの争いまで、すべてここから始まる」

「だから、『欲が深ければ、災いも重くなる』『欲望のために、人は苦しみの世界へ落ちる』と説かれている。未来に弥勒仏みろくぶつが現れる世では、財産を見たら、心から恐れ、嫌わなければならない。釈迦の教えが残る今の時代に、弟子たちが財産のために戒めを破り、罪を作り、地獄へ落ちてきたからだ。毒蛇を捨てるように、財産を道端へ捨てなければならない」

第7話 教壊上人と尊勝阿闍梨陽範

 小田原おだわらという寺に、教壊上人きょうかいしょうにんという僧がいた。のちに高野山こうやさんへ住んだ人である。

 教壊は、新しい水瓶すいびょうを手に入れた。形も自分の好みにぴったりで、とても気に入っていた。

 ある時、その水瓶を縁側へ置いたまま、奥の院おくのいん参詣さんけいした。奥の院で一心に祈っている最中、ふと水瓶のことを思い出した。

「あんな不用心な所へ置いてきてしまった。誰かに盗まれるかもしれない」

 気になり始めると、もう祈りへ集中できない。教壊は、たった一つの水瓶に心を振り回されたことが、ばからしくなった。寺へ戻ると、すぐに水瓶を雨垂れの落ちる石畳へ置き、たたき割って捨ててしまった。私が聞いたところでは、これは金属製の瓶だったという。

 また、比叡山ひえいざんの横川には、尊勝阿闍梨陽範そんしょうのあじゃりようはんという僧がいた。陽範は美しい紅梅こうばいを植え、ほかに代わりのない宝物のように大切にしていた。

 花が満開になると、一日中眺めて楽しんだ。誰かが枝を折ろうとすれば、ほんの一本でも惜しみ、厳しく叱った。

 ところが、何を思ったのだろう。弟子たちが出かけ、事情を知らない小僧が一人だけ残っていた時、陽範はその小僧を呼んだ。

「斧はあるか。ここへ持ってこい」

 陽範は斧を受け取ると、大切にしていた紅梅を根元から切り倒した。その上へ砂をまき、木があった跡さえ残さず、何事もなかったような顔をしていた。

 帰ってきた弟子たちは驚き、なぜそんなことをしたのかと尋ねた。陽範は、ただ一言、

「つまらない物だからだ」

 と答えた。

 この二人は、自分の心に執着が残ることを恐れたのである。教壊も陽範も、最後には極楽往生ごくらくおうじょうを遂げた人だという。

 この世は、ほんの一時だけ暮らす仮の住まいにすぎない。それなのに、そこへ夢中になり、長い迷いの闇をさまよい続ける。なんと愚かなことだろう。

 けれど私たちは、生まれ変わりを繰り返す中で、ずっと煩悩ぼんのうの言いなりになってきた。その習慣は、簡単には消えない。愚かだとわかっていながら、私もほかの人も、執着を捨てられないのである。

第8話 佐国と幸仙

 ある人が、円宗寺えんしゅうじで行われる法華八講ほっけはっこうへ出かけた。法会ほうえが始まるまで、かなり時間がある。そこで近くの家を借り、しばらく休ませてもらうことにした。

 その家には、あまり広くない庭があった。そこへ、言葉では表せないほどたくさんの草木が植えられている。庭の上には仮の屋根が作られ、少しずつ水がかかるようになっていた。数え切れないほどの花が色とりどりに咲き、まるでにしきを一面へ広げたようだった。そして花の周りを、無数の蝶が飛び回っていた。

 あまりに珍しい庭なので、その人はわざわざ家の主人を呼び、理由を尋ねた。主人は答えた。

「何となく花を植えているわけではありません。私には、こうする理由があるのです。私は佐国すけくにと申し、名の知られた学者の子です。父は生きていたころ、とても花が好きで、季節ごとに花を眺めて楽しんでいました。その思いを、こんな漢詩にもしています」

六十余国見れどもいまだ飽かず
他生にもさだめて花を愛する人たらん

六十あまりの国で花を見てきたが、それでも見飽きることはない。
来世に生まれ変わっても、きっと私は花を愛する人になるだろう。

 主人は、さらに話を続けた。

「父がこんな詩を残したものですから、花への思いが、生まれ変わりを続ける執着になったのではないかと心配していました。すると、ある人が『あなたの父が蝶になっている夢を見た』と言うのです」

「もしや父は、この蝶たちの中に生まれ変わり、今も迷っているのではないか。そう思うと、かわいそうでなりません。それで、できる限りたくさんの花を植えているのです。花の蜜だけでは足りないかもしれないので、毎朝、甘葛あまずらの蜜などもかけています」

 また、六波羅寺ろくはらじ幸仙こうせんという僧がいた。この人は長年、深く仏道を求めていたが、たちばなの木をとても愛していた。ほんのわずかに残ったその執着のため、死後は蛇になり、その橘の木の下へ住み着いたという。詳しい話は伝記に書かれている。

 生まれ変わった姿を人に知られる例は、めったにない。けれど、心に浮かぶ迷いや執着の一つ一つが原因となり、そのたびに苦しい境遇へ生まれることは、疑いようがない。どれほど怖がっても、怖がりすぎることはないのである。

第9話 神楽岡清水谷の仏種房

 神楽岡かぐらおか清水谷しみずだにという所に、仏種房ぶっしゅぼうという尊いひじりがいた。私は直接会ったことはない。けれど、それほど昔の人ではなかったので、最後に極楽往生ごくらくおうじょうを遂げた人として、世間から尊敬されていたことは聞いている。

 仏種房が、以前「水飲みずのみ」という所に住んでいた時のことである。薪を拾うため谷へ下りている間に、盗人がいおりへ入った。盗人は、わずかにあった持ち物をすべて盗み出した。

 ずいぶん遠くまで逃げたつもりで振り返ると、まだ元の場所にいる。

「おかしいな」

 さらに遠くへ逃げようとしたが、どうしても水飲の湯屋の周りをぐるぐる回るだけだった。四時間ほど歩き続けても、そこから離れられない。

 やがて仏種房が戻ってきた。様子がおかしいので、何があったのかと尋ねると、盗人は正直に答えた。

「私は盗人です。あなたの物を盗み、遠くまで逃げたつもりなのに、どうしてもここから離れられません。普通のことではありません。盗んだ物はすべてお返しします。どうか許して、私を帰らせてください」

 すると仏種房は言った。

「どうして罪まで重ねて、そんな物を取ろうとするのだ。欲しかったから取ったのだろう。それなら、返す必要はない。その程度の物がなくても、私は困らない」

 仏種房は、盗まれた物をすべて盗人へ与え、そのまま帰した。何事に対しても、深い慈悲じひの心を持つ人だったのである。

 その後、仏種房が清水谷へ住んでいたころ、長年世話になっている女性の信者がいた。その女性は仏種房を深く信頼し、時々贈り物をするなど、何かにつけて力になっていた。

 ある日、仏種房はわざわざ女性の家を訪ね、こう言った。

「驚かれるかもしれませんが、私は長年あなたを頼りにしています。最近、形ばかりの粗末な庵を建てるため、大工を雇いました。その大工が魚をとてもおいしそうに食べていたので、私も食べたくなってしまったのです。このお屋敷なら魚がたくさんあるだろうと思い、わざわざ参りました」

 女性は思いがけない頼みにあきれた。それでも魚料理を用意して出すと、仏種房は十分に食べた。そして残った魚には器のふたをし、紙で包んだ。

「これは庵へ帰ってから食べましょう」

 そう言って懐へ入れ、帰っていった。

 女性はがっかりしたものの、やはり仏種房のことが気にかかった。そこで後日、さまざまな贈り物を用意し、使いを送った。

「先日は、ほんの少ししか差し上げられませんでした。改めて、こちらをお納めください」

 ところが今度は、仏種房は受け取らなかった。

「お気持ちはありがたいのですが、先日の残りを食べて、もう十分満足しました。今は欲しくありませんので、お返しします」

 これも、食べ物への執着をこの世に残したくないと思って、したことなのだろうか。

 ある時、仏種房は風邪をひき、寝込んでしまった。住んでいるのは、片側がようやく残っているだけの粗末な家である。荒れ、崩れかけているのに、修理もしていない。看病する人もなく、たった一人で病んでいた。

 八月十五日の夜だった。空には、とても明るい月が出ていた。仏種房は宵のうちから、声を上げて念仏ねんぶつを唱え続けた。近所の人たちは、その声を尊いものとして聞いていた。

 人々が集まり、家の中をのぞいてみると、板の間は隙間だらけだった。荒れた家へ月の光が好きなだけ差し込み、灯りさえともされていない。

 夜中を少し過ぎたころ、

「ああ、うれしい。これこそ、長年願い続けてきたことだ」

 という声が、壁の外まで聞こえた。それを最後に、念仏の声も止まった。

 夜が明けてから見ると、仏種房は西を向いて姿勢を正し、合掌したまま、眠るように亡くなっていた。この家は人里から遠く離れた場所にあったのではない。貧しい人々の粗末な家が並ぶ、その中にあったのである。

第10話 天王寺の聖と乞食聖

 近ごろ、天王寺てんのうじに一人のひじりがいた。この人は、何を話しても言葉の最後に「瑠璃るり」と付けた。そのため、いつしか本人まで「瑠璃」と呼ばれるようになった。

 瑠璃の格好は、ひどいものだった。ぼろ布や紙で作った衣など、言葉では説明できないほど破れた物を何枚も重ね着し、着膨れていた。汚れた布袋には、物乞いで集めた食べ物を全部まとめて入れ、歩きながら取り出して食べた。

 大勢の子どもたちから笑われ、ばかにされても、少しも怒らなかった。あまりひどく責められる時には、袋から食べ物を出して子どもへ与えようとした。けれど子どもたちは気味悪がって受け取らない。地面へ捨てられると、瑠璃はまた拾い、袋へ戻した。

 いつも、わけのわからないことをぶつぶつ話し、どう見ても狂人のようだった。決まった住まいもないらしく、垣根のそばや木の下、築地塀ついじべいに沿った場所などで夜を明かしていた。

 そのころ、大塚という所に、とてもすぐれた学僧がいた。ある雨の日、瑠璃がその学僧を訪ねてきた。

「雨が降っていて、ほかに行く場所がありません。今夜だけ、この縁側の端へ置いてください」

 瑠璃がこんな頼みをするのは珍しい。学僧は不思議に思ったが、そのまま泊めてやった。

 夜が更けると、瑠璃が言った。

「こうして、たまたまあなたのそばへ来ることができました。長年どうしてもわからなかったことがあります。どうか教えていただけませんか」

 学僧は意外に思ったが、普通の人へ接するのと同じように応じた。すると瑠璃は、天台宗の教えの中でも、とくに難しく奥深い部分について、次々に質問を始めた。

 学僧は驚いた。目の前にいるのは、本当にあの瑠璃なのか。珍しく尊いことだと思い、一晩中眠らず、瑠璃の問いへ一つ一つ答えた。

 夜が明けると、瑠璃は言った。

「そろそろ失礼します。心に引っかかっていた疑問を、幸いにも今夜ここで解くことができました」

 そう言って立ち去った。

 学僧は、この出来事をたいそう尊く、めったにないことだと思い、近所の人たちへ話した。それまで瑠璃をばかにしていた人々は、考えを改めた。中には、

「あの人は、仏か菩薩ぼさつが人々を救うため、わざと姿を変えて現れたのではないか」

 と考え、尊敬する人までいた。

 けれど瑠璃の姿も行動も、以前と少しも変わらなかった。人から、

「こんなことがあったそうですね」

 と尋ねられても、笑いながら、でたらめな冗談を言ってごまかした。

 自分の本当の姿を人に知られたことが、わずらわしかったのだろう。最後には、行き先を誰にも知らせず、姿を消した。

 何年かたって、ある人がこんな話をした。瑠璃は和泉国いずみのくにで物乞いをしながら歩いていたが、最後には、人も近づかない場所にある大木の下で亡くなった。低い枝へ仏像を掛け、西を向いて合掌し、座ったまま目を閉じていたという。

 亡くなった時、そこには瑠璃だと知る人がいなかった。あとになって、ようやく本人だとわかったのである。

 また近ごろ、世間に「仏みょう」と呼ばれる物乞いがいた。この人も瑠璃と同じように、狂人としか思えない姿をしていた。魚も鳥の肉も気にせず食べ、着物の代わりに、むしろやこもまで何枚も重ね着していた。人間とは思えない格好だった。

 誰かに会うたび、必ず、

あまも、法師も、男も、女も、みんな清らかな人です」

 と言って、相手を拝んだ。この口癖が、そのまま「仏みょう」という呼び名になったのである。

 見かけた人はみな、愚かで不吉な者だと思っていた。けれど、本当は何か深い考えを持つ人だったのだろう。

 仏みょうは、阿証房あしょうぼうという聖と親しくしていた。そして、思いがけないほど難しい経典や注釈書を借りることがあった。借りた本は、人に見られないよう懐へ入れて持ち帰り、何日かたつと返した。それを何度も繰り返していた。

 最後には、切提きれつつみという所の堤の上で、西を向き、合掌して姿勢を正したまま亡くなった。

 瑠璃と仏みょうは、すぐれた仏道修行者の、一つの生き方を見せた人たちである。

「本当にすぐれた隠者は、朝廷や町の中にいる」

 そういわれるのは、まさにこのことだ。賢い人は世間から心を離しても、町の中で暮らしながら、自分の徳をうまく隠し、人に知られないようにする。

 山林へ入り、完全に行方をくらますのは、人々の中にいては、自分の徳を隠し切れない人がすることなのだろう。

第11話 高野の上人と夜伽

 高野山こうやさんの近くに、長年修行を続けているひじりがいた。もとは伊勢国いせのくにの人で、いつの間にかこの土地へ住み着いたらしい。修行を積み、徳のある人だったうえ、多くの人から信頼されていた。暮らしに困るほど貧しくはなく、弟子も大勢いた。

 年を取ったある日、聖は最も信頼している弟子を呼び、言った。

「前から話したいことがあった。だが、お前にどう思われるか気になって、どうしても言い出せなかった。頼むから、私の願いに背かないでほしい」

「どんなことであっても、師のお言葉に背くはずがありません。私に隠す必要もありません。何でもおっしゃってください」

 すると聖は、ためらいながら話し始めた。

「人々から信頼されて暮らしている私が、こんなことを考えてはいけないのだろう。だが年を取るにつれ、身近に人がいないことを寂しく感じ、何をするにも頼る人がいないと思うようになった」

「そこで、ふさわしい女を一人見つけ、夜の話し相手にしたい。あまり若い女では困る。世の中のことをよく理解できる年齢の女を、誰にも知られないよう捜し、私の夜伽よとぎにしてほしい」

「女が来たあとは、この世の用事をその女へ任せる。私がしてきたように、この僧坊の主人として、頼まれた祈祷きとうなどを取り計らわせればよい。私は奥の部屋へ置き、二人が生きていけるだけの食べ物を送ってくれ」

「そんな関係になれば、お前に顔を合わせるのも恥ずかしい。もう会うことはできないだろう。まして、ほかの人には、私が生きていると決して知らせてはいけない。私はもう死んだものとして扱い、命をつなぐための最低限の世話だけをしてほしい。お前にこの願いを聞いてもらうことが、長年の望みなのだ」

 聖は何度も繰り返し、弟子へ頼んだ。

 弟子は、あまりに意外な話に驚き、あきれた。それでも、

「そこまで隠さず話してくださったのです。私も、ご希望どおりにしたいと思います。すぐに捜してまいりましょう」

 と答えた。

 弟子があちらこちらで尋ねると、夫を亡くした四十歳ほどの女性がいるとわかった。熱心に話を持ちかけ、すべて都合のよいように整えて、聖の僧坊へ住まわせた。

 それからは、ほかの人を聖に会わせることもなく、弟子自身も訪ねないまま、年月が過ぎた。

 弟子は師がどうしているのか気になった。もう一度話をしたいとも思ったが、固く約束した以上、会いに行くことはできない。気が晴れないまま、六年が過ぎた。

 ある日、女性が泣きながら弟子のもとへ来た。

「今朝早く、上人がお亡くなりになりました」

 弟子は驚き、すぐに見に行った。

 聖は仏像をまつる持仏堂じぶつどうの中にいた。仏さまの手には五色ごしきの糸が掛けられ、その糸の端を自分の手に持ち、ひじ掛けへ少し寄りかかっている。念仏ねんぶつを唱えていた手の形も変わらず、数珠じゅずを手に掛けた姿は、生きている人が眠っているようだった。仏壇には修行の道具がきちんと並べられ、れいの中には一枚の紙が入っていた。

 弟子は深く悲しみ、これまで二人がどのように暮らしていたのか、女性へ詳しく尋ねた。女性は答えた。

「長いあいだ一緒に暮らしましたが、普通の夫婦のような関係は、一度もありませんでした」

「夜は畳を並べて休みました。私か上人のどちらかが目を覚ましている時には、この迷いの世界をなぜ嫌うべきなのか、なぜ浄土じょうどへ生まれることを願うべきなのかを、細かく教えてくださいました。つまらない世間話は、まったくなさいませんでした」

「昼は一日に三度、阿弥陀仏あみだぶつをまつる修行を欠かさず行いました。その合間にも、ご自分で念仏を唱え、私にも唱えるよう勧めてくださいました」

 女性は、さらに話した。

「初めの二、三か月ほどは、上人も私を信用し切れなかったのでしょう。こんなことをおっしゃいました」

「『このような普通ではない暮らしを、つらいと思うか。もしつらいのなら、自分の望むとおりにしなさい。たとえここを離れることになっても、こうして仏さまとの縁を結んだことには意味がある。ただし、この暮らしについては、決して人に話してはいけない』」

「『もし私たちがお互いを仏道へ導く善知識ぜんちしきだと思い、来世のための修行を静かに続けたいのなら、それこそ私の願いである』」

「そこで私は、こう申し上げました」

「『どうか私を疑わないでください。長年連れ添った夫を亡くした私が、どうして夫の来世を祈らずにいられるでしょう。私自身も、こんなにつらい世へ二度と生まれたくないと思い、世間を嫌う気持ちを持っていました』」

「『けれど私は、一日を暮らす方法さえ持たない身でした。そのため、本心では望んでいない形で、ここへお仕えすることになったのです。だからといって、私を普通の女と同じだと思わないでください。私は上人を、仏道へ導いてくださるすばらしい方だと思い、人知れず喜びながら暮らしてきました』」

「すると上人は、『それは本当に、本当にうれしいことだ』とおっしゃいました」

「今回ご自分が亡くなることも、前もってわかっていらっしゃいました。そして、『命が終わる時も、すぐ人に知らせてはいけない』とおっしゃっていました。ですから、その時が来ても、すぐにはお知らせしなかったのです」

 女性は、このように語ったという。

第12話 美作守顕能を訪れた僧

 美作守顕能みまさかのかみあきよしの屋敷へ、上品な姿の僧が入ってきた。そして、とても尊い声で経を読んだ。その声を聞いた顕能が、

「あなたは、普段どのようなことをしている人ですか」

 と尋ねると、僧は近くへ寄って答えた。

「物乞いでございます。ただ、家々を回って物を乞いながら暮らしているわけではありません。西山にある寺へ住んでおります。今日は少しお願いがあり、参りました」

 その姿は、どう見ても見下してよい人ではなかった。顕能が詳しい事情を尋ねると、僧は言った。

「口に出すことさえ恥ずかしい、ひどい話でございます。私は、ある所にいる身分の低い女と親しくなりました。衣類を洗ってもらううち、思いがけず、その女を妊娠させてしまったのです」

「今月が出産の予定です。すべて私の過ちなので、女が出産のため家へこもっている間だけでも、命をつなげる物を渡したいと思っています。けれど、私にはその力がありません。どうか少し、お情けをいただけないでしょうか」

 あまりに意外な話で、本当だとは思えなかった。それでも本人が困っていることだけはたしかだろう。顕能は気の毒になり、

「それなら簡単なことです」

 と答えた。

 必要な量を見積もり、使用人に荷物を持たせ、僧と一緒に行かせようとした。すると僧は、

「何かにつけて、人の目が気になります。とくに、その女がどこにいるかは、誰にも知られたくありません。荷物は自分で持って帰ります」

 そう言って、自分で荷物を背負い、出ていった。

 顕能は、やはりおかしいと思った。そこで、人のあとをつけることに慣れた、身分の低い男を呼び、僧を追わせた。

 男は僧に気づかれないよう姿を変え、あとを追った。すると僧は北山の奥へどこまでも分け入り、人も通わない深い谷へ入っていった。

 そこには、一間ほどしかない粗末な柴のいおりがあった。僧は庵へ入ると、持ってきた物を並べ、独り言を言った。

「ああ、苦労した。だが仏・法・僧、三宝さんぼうのお助けで、夏の修行期間を過ごす食料を用意できた」

 そして足を洗い、落ち着いて座った。あとをつけた男は、

「これは、とんでもないものを見たぞ」

 と思いながら、ひそかに聞いていた。

 やがて日が暮れ、その日のうちに帰れなくなったので、男は木陰へ身を隠した。夜が更けると、僧が法華経ほけきょうを一晩中読み続ける声が聞こえてきた。その声は、あまりに尊く、男は涙を止められなかった。

 夜が明けると、男はすぐ顕能の屋敷へ戻り、見聞きしたことをすべて報告した。顕能は驚いたが、うなずいて言った。

「やはり、そうだったのか。初めから普通の僧ではないと思っていた」

 顕能は改めて使いを送り、僧へ伝えた。

「思いがけず、夏の修行期間のお食事を求めていたと伺いました。それなら、一日分だけでは足りないでしょう。こちらも差し上げます。ほかに必要な物があれば、必ず知らせてください」

 僧は経を読み続けたまま、何も答えなかった。使いはしばらく待ったが、やがて待ち切れなくなり、贈り物を庵の前へ並べて帰った。

 何日かして、顕能は言った。

「それにしても、あの僧のことが気になる」

 そこで人を訪ねさせたが、庵にはもう誰もいなかった。

 僧は最初に受け取った物だけを持ち、どこかへ去ったらしい。あとから顕能が贈った物には、手を付けていなかった。そのまま置かれていたため、鳥や獣が食い散らし、あちらこちらへこぼれていた。

 本当に仏道を求める心がある人は、このように自分の徳を隠すため、わざと欠点を見せ、人から尊敬されることを恐れるのである。

 たとえ世間を離れて暮らしていても、

「あの人は見事に世を捨てた、と言われたい」

「自分が尊い修行をしていることを、人に知ってほしい」

 そう思っているなら、その名誉欲は、世間で地位や評判を求める心より、さらにひどい。

 だから、ある経典には、

「出家した人が名声を求めるのは、血で血を洗うようなものだ」

 と説かれている。初めから付いていた血なら、洗えば落ちることもあるだろう。けれど、新しい血で洗えば、前よりもっとひどく汚れてしまう。なんと愚かなことだろうか。

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当サイトの管理人

生きづらさを抱えていた30代の頃、物事の本質を知ろうとしているうちに、古典文学へとたどり着きました。中高生の頃は、受験のためでしかなかった古文・漢文。その魅力にもっと早く気づきたかった人生でした。今はライフワークとして、古典文学の現代語訳や歴史探訪を楽しんでいます。

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