『源氏物語』第2帖「帚木」原文全文

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第2帖「帚木」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第2帖「帚木」現代語訳全文をご覧ください。

目次

光る源氏名のみことことしう

 光ひかる源氏げんじ、名なのみことことしう、言いひ消けたれたまふ咎とが多おほかなるに、いとど、かかる好すきごとどもを、末すゑの世よにも聞きき伝つたへて、軽かろびたる名なをや流ながさむと、忍しのびたまひける隠かくろへごとをさへ、語かたり伝つたへけむ人ひとのもの言いひさがなさよ。

 さるは、いといたく世よを憚はばかり、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野少将かたののせうしゃうには笑わらはれたまひけむかし。

 まだ中将ちうじゃうなどにものしたまひし時ときは、内裏うちにのみさぶらひようしたまひて、大殿おほいどのには絶たえ絶だえまかでたまふ。忍しのぶの乱みだれやと、疑うたがひきこゆることもありしかど、さしもあだめき目馴めなれたるうちつけの好すき好ずきしさなどは好このましからぬ御本性ごほんじゃうにて、まれには、あながちに引ひき違たがへ心尽こころづくしなることを、御心みこころに思おぼしとどむる癖くせなむ、あやにくにて、さるまじき御おほん振ふる舞まひもうち混まじりける。

長雨晴れ間なきころ

 長雨ながあめ晴はれ間まなきころ、内裏うちの御物忌おほんものいみさし続つづきて、いとど長居ながゐさぶらひたまふを、大殿おほいどのにはおぼつかなく恨うらめしく思おぼしたれど、よろづの御おほんよそひ何なにくれとめづらしきさまに調てうじ出いでたまひつつ、御息子おほんむすこの君きみたちただこの御宿直所おほんとのゐどころの宮仕みやづかへを勤つとめたまふ。

 宮腹みやばらの中将ちうじゃうは、なかに親したしく馴なれきこえたまひて、遊あそび戯たはぶれをも人ひとよりは心安こころやすく、なれなれしく振ふる舞まひたり。右大臣みぎのおとどのいたはりかしづきたまふ住すみ処かは、この君きみもいともの憂うくして、好すきがましきあだ人びとなり。

 里さとにても、わが方かたのしつらひまばゆくして、君きみの出いで入いりしたまふにうち連つれきこえたまひつつ、夜昼よるひる、学問がくもんをも遊あそびをももろともにして、をさをさ立たちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、心こころのうちに思おもふことをも隠かくしあへずなむ、睦むつれきこえたまひける。

 つれづれと降ふり暮くらして、しめやかなる宵よひの雨あめに、殿上てんじゃうにもをさをさ人ひと少ずくなに、御宿直所おほんとのゐどころも例れいよりはのどやかなる心地ここちするに、大殿油おほとなぶら近ちかくて書ふみどもなど見みたまふ。近ちかき御厨子みづしなる色々いろいろの紙かみなる文ふみどもを引ひき出いでて、中将ちうじゃうわりなくゆかしがれば、

「さりぬべき、すこしは見みせむ。かたはなるべきもこそ」

 と、許ゆるしたまはねば、

「そのうちとけてかたはらいたしと思おぼされむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、数かずならねど、程々ほどほどにつけて、書かき交かはしつつも見みはべりなむ。おのがじし、恨うらめしき折々をりをり、待まち顔がほならむ夕暮ゆふぐれなどのこそ、見所みどころはあらめ」

 と怨ゑんずれば、やむごとなくせちに隠かくしたまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子みづしなどにうち置おき散ちらしたまふべくもあらず、深ふかくとり置おきたまふべかめれば、二にの町まちの心安こころやすきなるべし。片端かたはしづつ見みるに、「かくさまざまなる物ものどもこそはべりけれ」とて、心こころあてに「それか、かれか」など問とふなかに、言いひ当あつるもあり、もて離はなれたることをも思おもひ寄よせて疑うたがふも、をかしと思おぼせど、言少ことずくなにてとかく紛まぎらはしつつ、とり隠かくしたまひつ。

「そこにこそ多おほく集つどへたまふらめ。すこし見みばや。さてなむ、この厨子づしも心こころよく開ひらくべき」とのたまへば、

「御覧ごらんじ所どころあらむこそ、難かたくはべらめ」など聞きこえたまふついでに、「女をんなの、これはしもと難なんつくまじきは、難かたくもあるかなと、やうやうなむ見みたまへ知しる。ただうはべばかりの情なさけに、手走てはしり書かき、をりふしの答いらへ心得こころえて、うちしなどばかりは、随分ずいぶんによろしきも多おほかりと見みたまふれど、そもまことにその方かたを取とり出いでむ選えらびにかならず漏もるまじきは、いと難かたしや。わが心得こころえたることばかりを、おのがじし心こころをやりて、人ひとをば落おとしめなど、かたはらいたきこと多おほかり。

親おやなど立たち添そひもてあがめて、生おひ先さき籠こもれる窓まどの内うちなるほどは、ただ片かたかどを聞きき伝つたへて、心こころを動うごかすこともあめり。容貌かたちをかしくうちおほどき、若わかやかにて紛まぎるることなきほど、はかなきすさびをも、人ひとまねに心こころを入いるることもあるに、おのづから一ひとつゆゑづけてし出いづることもあり。

見みる人ひと、後おくれたる方かたをば言いひ隠かくし、さてありぬべき方かたをばつくろひて、まねび出いだすに、それ、しかあらじと、そらにいかがは推おし量はかり思おもひくたさむ。まことかと見みもてゆくに、見劣みおとりせぬやうは、なくなむあるべき」

 と、うめきたる気色けしきも恥はづかしげなれば、いとなべてはあらねど、われ思おぼし合あはすることやあらむ、うちほほ笑ゑみて、

「その、片かたかどもなき人ひとは、あらむや」とのたまへば、

「いと、さばかりならむあたりには、誰たれかはすかされ寄よりはべらむ。取とるかたなく口惜くちをしき際きはと、優いうなりとおぼゆばかりすぐれたるとは、数かず等ひとしくこそはべらめ。人ひとの品しな高たかく生むまれぬれば、人ひとにもてかしづかれて、隠かくるること多おほく、自然じねんにそのけはひこよなかるべし。中なかの品しなになむ、人ひとの心々こころごころ、おのがじしの立たてたるおもむきも見みえて、分わかるべきことかたがた多おほかるべき。下しものきざみといふ際きはになれば、ことに耳みみたたずかし」

 とて、いと隈くまなげなる気色けしきなるも、ゆかしくて、

「その品々しなじなや、いかに。いづれを三みつの品しなに置おきてか分わくべき。元もとの品しな高たかく生むまれながら、身みは沈しづみ、位くらゐみじかくて人ひとげなき。また直人なほびとの上達部かむだちめなどまでなり上のぼり、我われは顔がほにて家いへの内うちを飾かざり、人ひとに劣おとらじと思おもへる。そのけぢめをば、いかが分わくべき」

 と問とひたまふほどに、左馬頭ひだりのむまのかみ、藤式部丞とうしきぶのじゃう、御物忌おほんものいみに籠こもらむとて参まゐれり。世よの好すき者ものにて物ものよく言いひとほれるを、中将ちうじゃう待まちとりて、この品々しなじなをわきまへ定さだめ争あらそふ。いと聞ききにくきこと多おほかり。

なり上れども

「なり上のぼれども、もとよりさるべき筋すぢならぬは、世人よひとの思おもへることも、さは言いへど、なほことなり。また、元もとはやむごとなき筋すぢなれど、世よに経ふるたづき少すくなく、時世ときよに移うつろひて、おぼえ衰おとろへぬれば、心こころは心こころとしてこと足たらず、悪わろびたることども出いでくるわざなめれば、とりどりにことわりて、中なかの品しなにぞ置おくべき。

受領ずりゃうと言いひて、人ひとの国くにのことにかかづらひ営いとなみて、品しな定さだまりたる中なかにも、またきざみきざみありて、中なかの品しなのけしうはあらぬ、選えり出いでつべきころほひなり。なまなまの上達部かむだちめよりも非参議ひさんぎの四位しゐどもの、世よのおぼえ口惜くちをしからず、もとの根ねざし卑いやしからぬ、やすらかに身みをもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。

家いへの内うちに足たらぬことなど、はたなかめるままに、省はぶかずまばゆきまでもてかしづける女むすめなどの、おとしめがたく生おひ出いづるもあまたあるべし。宮仕みやづかへに出いで立たちて、思おもひかけぬ幸さいはひとり出いづる例ためしども多おほかりかし」など言いへば、

「すべて、にぎははしきによるべきななり」とて、笑わらひたまふを、

「異人ことひとの言いはむやうに、心得こころえず仰おほせらる」と、中将ちうじゃう憎にくむ。

「元もとの品しな、時世ときよのおぼえうち合あひ、やむごとなきあたりの内々うちうちのもてなしけはひ後おくれたらむは、さらにも言いはず、何なにをしてかく生おひ出いでけむと、言いふかひなくおぼゆべし。うち合あひてすぐれたらむもことわり、これこそはさるべきこととおぼえて、めづらかなることと心こころも驚おどろくまじ。なにがしが及およぶべきほどならねば、上かみが上かみはうちおきはべりぬ。

さて、世よにありと人ひとに知しられず、さびしくあばれたらむ葎むぐらの門かどに、思おもひの外ほかにらうたげならむ人ひとの閉とぢられたらむこそ、限かぎりなくめづらしくはおぼえめ。いかで、はたかかりけむと、思おもふより違たがへることなむ、あやしく心こころとまるわざなる。

父ちちの年とし老おい、ものむつかしげに太ふとりすぎ、兄せうとの顔かほ憎にくげに、思おもひやりことなることなき閨ねやの内うちに、いといたく思おもひあがり、はかなくし出いでたることわざも、ゆゑなからず見みえたらむ、片かたかどにても、いかが思おもひの外ほかにをかしからざらむ。

すぐれて疵きずなき方かたの選えらびにこそ及およばざらめ、さる方かたにて捨すてがたきものをは」

 とて、式部しきぶを見みやれば、わが妹いもうとどものよろしき聞きこえあるを思おもひてのたまふにや、とや心得こころうらむ、ものも言いはず。

「いでや、上かみの品しなと思おもふにだに難かたげなる世よを」と、君きみは思おぼすべし。白しろき御衣おほんぞどものなよらかなるに、直衣なほしばかりをしどけなく着きなしたまひて、紐ひもなどもうち捨すてて、添そひ臥ふしたまへる御火影おほんほかげ、いとめでたく、女をんなにて見みたてまつらまほし。この御おほんためには上かみが上かみを選えり出いでても、なほ飽あくまじく見みえたまふ。

 さまざまの人ひとの上うへどもを語かたり合あはせつつ、

「おほかたの世よにつけて見みるには咎とがなきも、わがものとうち頼たのむべきを選えらむに、多おほかる中なかにも、えなむ思おもひ定さだむまじかりける。男をのこの朝廷おほやけに仕つかうまつり、はかばかしき世よのかためとなるべきも、まことの器うつはものとなるべきを取とり出いださむには、かたかるべしかし。

されど、賢かしこしとても、一人ひとり二人ふたり世よの中なかをまつりごちしるべきならねば、上かみは下しもに輔たすけられ、下しもは上かみになびきて、こと広ひろきに譲ゆづろふらむ。

狭せばき家いへの内うちの主人あるじとすべき人ひと一人ひとりを思おもひめぐらすに、足たらはで悪あしかるべき大事だいじどもなむ、かたがた多おほかる。とあればかかり、あふさきるさにて、なのめにさてもありぬべき人ひとの少すくなきを、好すき好ずきしき心こころのすさびにて、人ひとのありさまをあまた見合みあはせむの好このみならねど、ひとへに思おもひ定さだむべきよるべとすばかりに、同おなじくは、わが力ちから入いりをし直なほしひきつくろふべき所ところなく、心こころにかなふやうにもやと、選えりそめつる人ひとの、定さだまりがたきなるべし。

かならずしもわが思おもふにかなはねど、見みそめつる契ちぎりばかりを捨すてがたく思おもひとまる人ひとは、ものまめやかなりと見みえ、さて、保たもたるる女をんなのためも、心こころにくく推おし量はからるるなり。されど、何なにか、世よのありさまを見みたまへ集あつむるままに、心こころに及およばずいとゆかしきこともなしや。君達きむだちの上かみなき御選おほんえらびには、まして、いかばかりの人ひとかは足たらひたまはむ。

容貌かたちきたなげなく、若わかやかなるほどの、おのがじしは塵ちりもつかじと身みをもてなし、文ふみを書かけど、おほどかに言選ことえりをし、墨すみつきほのかに心こころもとなく思おもはせつつ、またさやかにも見みてしがなとすべなく待またせ、わづかなる声こゑ聞きくばかり言いひ寄よれど、息いきの下したにひき入いれ言少ことずくななるが、いとよくもて隠かくすなりけり。なよびかに女をんなしと見みれば、あまり情なさけにひきこめられて、とりなせば、あだめく。これをはじめの難なんとすべし。

事ことが中なかに、なのめなるまじき人ひとの後見うしろみの方かたは、もののあはれ知しり過すぐし、はかなきついでの情なさけあり、をかしきに進すすめる方かたなくてもよかるべしと見みえたるに、また、まめまめしき筋すぢを立たてて耳みみはさみがちに美びさうなき家刀自いへとうじの、ひとへにうちとけたる後見うしろみばかりをして。

朝夕あさゆふの出いで入いりにつけても、公私おほやけわたくしの人ひとのたたずまひ、善よき悪あしきことの、目めにも耳みみにもとまるありさまを、疎うとき人ひとに、わざとうちまねばむやは。近ちかくて見みむ人ひとの聞ききわき思おもひ知しるべからむに語かたりも合あはせばやと、うちも笑ゑまれ、涙なみだもさしぐみ、もしは、あやなきおほやけ腹立はらだたしく、心こころひとつに思おもひあまることなど多おほかるを、何なににかは聞きかせむと思おもへば、うちそむかれて、人ひと知しれぬ思おもひ出いで笑わらひもせられ、あはれとも、うち独ひとりごたるるに、何なにごとぞなど、あはつかにさし仰あふぎゐたらむは、いかがは口惜くちをしからぬ。

ただひたふるに子こめきて柔やはらかならむ人ひとを、とかくひきつくろひてはなどか見みざらむ。心こころもとなくとも、直なほし所どころある心地ここちすべし。げに、さし向むかひて見みむほどは、さてもらうたき方かたに罪つみゆるし見みるべきを、立たち離はなれてさるべきことをも言いひやり、をりふしにし出いでむわざのあだ事ごとにもまめ事ごとにも、わが心こころと思おもひ得うることなく深ふかきいたりなからむは、いと口惜くちをしく頼たのもしげなき咎とがや、なほ苦くるしからむ。常つねはすこしそばそばしく心こころづきなき人ひとの、をりふしにつけて出いでばえするやうもありかし」

 など、隈くまなきもの言いひも、定さだめかねていたくうち嘆なげく。

今は、ただ、品にもよらじ

「今いまは、ただ、品しなにもよらじ。容貌かたちをばさらにも言いはじ。いと口惜くちをしくねぢけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静しづかなる心こころのおもむきならむよるべをぞ、つひの頼たのみ所どころには思おもひおくべかりける。

あまりのゆゑよし心こころばせうち添そへたらむをば、よろこびに思おもひ、すこし後おくれたる方かたあらむをも、あながちに求もとめ加くはへじ。うしろやすくのどけき所ところだに強つよくは、うはべの情なさけは、おのづからもてつけつべきわざをや。

艶えんにもの恥はぢして、恨うらみ言いふべきことをも見知みしらぬさまに忍しのびて、上うへはつれなくみさをづくり、心こころ一ひとつに思おもひあまる時ときは、言いはむかたなくすごき言ことの葉は、あはれなる歌うたを詠よみおき、しのばるべき形見かたみをとどめて、深ふかき山里やまざと、世離よばなれたる海うみづらなどにはひ隠かくれぬるをり。

童わらはにはべりし時とき、女房にょうばうなどの物語ものがたり読よみしを聞ききて、いとあはれに悲かなしく、心深こころふかきことかなと、涙なみだをさへなむ落おとしはべりし。今いま思おもふには、いと軽々かるがるしく、ことさらびたることなり。

心こころざし深ふかからむ男をとこをおきて、見みる目めの前まへにつらきことありとも、人ひとの心こころを見知みしらぬやうに逃にげ隠かくれて、人ひとをまどはし、心こころを見みむとするほどに、長ながき世よのもの思おもひになる、いとあぢきなきことなり。

心深こころふかしやなど、ほめたてられて、あはれ進すすみぬれば、やがて尼あまになりぬかし。思おもひ立たつほどは、いと心澄こころすめるやうにて、世よに返かへり見みすべくも思おもへらず。いで、あな悲かなし。かくはた思おぼしなりにけるよなどやうに、あひ知しれる人ひと来きとぶらひ、ひたすらに憂うしとも思おもひ離はなれぬ男をとこ、聞ききつけて涙なみだ落おとせば、使つかふ人ひと、古御達ふるごたちなど、君きみの御心みこころは、あはれなりけるものを。あたら御身おほんみをなど言いふ。みづから額髪ひたひがみをかきさぐりて、あへなく心細こころぼそければ、うちひそみぬかし。忍しのぶれど涙なみだこぼれそめぬれば、折々をりをりごとにえ念ねんじえず、悔くやしきこと多おほかめるに、仏ほとけもなかなか心こころぎたなしと、見みたまひつべし。濁にごりにしめるほどよりも、なま浮うかびにては、かへりて悪あしき道みちにも漂ただよひぬべくぞおぼゆる。

絶たえぬ宿世すくせ浅あさからで、尼あまにもなさで尋たづね取とりたらむも、やがてあひ添そひて、とあらむ折をりもかからむきざみをも、見過みすぐしたらむ仲なかこそ、契ちぎり深ふかくあはれならめ、我われも人ひとも、うしろめたく心こころおかれじやは。

また、なのめに移うつろふ方かたあらむ人ひとを恨うらみて、気色けしきばみ背そむかむ、はたをこがましかりなむ。心こころは移うつろふ方かたありとも、見みそめし心こころざしいとほしく思おもはば、さる方かたのよすがに思おもひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶たえぬべきわざなり。

すべて、よろづのことなだらかに、怨ゑんずべきことをば見知みしれるさまにほのめかし、恨うらむべからむふしをも憎にくからずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。多おほくは、わが心こころも見みる人ひとからをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべ見放みはなちたるも、心安こころやすくらうたきやうなれど、おのづから軽かろき方かたにぞおぼえはべるかし。繋つながぬ舟ふねの浮うきたる例ためしも、げにあやなし。さははべらぬか」

 と言いへば、中将ちうじゃううなづく。

「さしあたりて、をかしともあはれとも心こころに入いらむ人ひとの、頼たのもしげなき疑うたがひあらむこそ、大事だいじなるべけれ。わが心こころあやまちなくて見過みすぐさば、さし直なほしてもなどか見みざらむとおぼえたれど、それさしもあらじ。ともかくも、違たがふべきふしあらむを、のどやかに見忍みしのばむよりほかに、ますことあるまじかりけり」

 と言いひて、わが妹いもうとの姫君ひめぎみは、この定さだめにかなひたまへりと思おもへば、君きみのうちねぶりて言葉ことばまぜたまはぬを、さうざうしく心こころやましと思おもふ。馬頭むまのかみ、物定ものさだめの博士はかせになりて、ひひらきゐたり。中将ちうじゃうは、このことわり聞きき果はてむと、心こころ入いれて、あへしらひゐたまへり。

「よろづのことによそへて思おぼせ。木きの道みちの匠たくみのよろづの物ものを心こころにまかせて作つくり出いだすも、臨時りんじのもてあそび物ものの、その物ものと跡あとも定さだまらぬは、そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時ときにつけつつさまを変かへて、今いまめかしきに目移めうつりてをかしきもあり。大事だいじとして、まことにうるはしき人ひとの調度てうどの飾かざりとする、定さだまれるやうある物ものを難なんなくし出いづることなむ、なほまことの物ものの上手じゃうずは、さまことに見みえ分わかれはべる。

また絵所ゑどころに上手じゃうず多おほかれど、墨すみがきに選えらばれて、次々つぎつぎにさらに劣おとりまさるけぢめ、ふとしも見みえ分わかれず。かかれど、人ひとの見及みおよばぬ蓬莱ほうらいの山やま、荒海あらうみの怒いかれる魚いをの姿すがた、唐国からくにのはげしき獣けだものの形かたち、目めに見みえぬ鬼おにの顔かほなどの、おどろおどろしく作つくりたる物ものは、心こころにまかせてひときは目め驚おどろかして、実じちには似にざらめど、さてありぬべし。

世よの常つねの山やまのたたずまひ、水みづの流ながれ、目めに近ちかき人ひとの家居いへゐありさま、げにと見みえ、なつかしくやはらいだる形かたなどを静しづかに描かきまぜて、すくよかならぬ山やまの景色けしき、木深こぶかく世離よばなれて畳たたみなし、け近ぢかき籬まがきの内うちをば、その心こころしらひおきてなどをなむ、上手じゃうずはいと勢いきほひことに、悪わろ者ものは及およばぬ所ところ多おほかめる。

手てを書かきたるにも、深ふかきことはなくて、ここかしこの、点長てんながに走はしり書かき、そこはかとなく気色けしきばめるは、うち見みるにかどかどしく気色けしきだちたれど、なほまことの筋すぢをこまやかに書かき得えたるは、うはべの筆ふで消きえて見みゆれど、今いまひとたびとり並ならべて見みれば、なほ実じちになむよりける。

はかなきことだにかくこそはべれ。まして人ひとの心こころの、時ときにあたりて気色けしきばめらむ見みる目めの情なさけをば、え頼たのむまじく思おもうたまへ得えてはべる。そのはじめのこと、好すき好ずきしくとも申まうしはべらむ」

 とて、近ちかくゐ寄よれば、君きみも目覚めさましたまふ。中将ちうじゃういみじく信しんじて、頬杖つらづえをつきて向むかひゐたまへり。法のりの師しの世よのことわり説とき聞きかせむ所ところの心地ここちするも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言むつごともえ忍しのびとどめずなむありける。

はやう、まだいと下臈にはべりし時

「はやう、まだいと下臈げらふにはべりし時とき、あはれと思おもふ人ひとはべりき。聞きこえさせつるやうに、容貌かたちなどいとまほにもはべらざりしかば、若わかきほどの好すき心ごころには、この人ひとをとまりにとも思おもひとどめはべらず、よるべとは思おもひながら、さうざうしくて、とかく紛まぎれはべりしを、もの怨ゑんじをいたくしはべりしかば、心こころづきなく、いとかからで、おいらかならましかばと思おもひつつ、あまりいと許ゆるしなく疑うたがひはべりしもうるさくて、かく数かずならぬ身みを見みも放はなたで、などかくしも思おもふらむと、心苦こころぐるしき折々をりをりもはべりて、自然じねんに心こころをさめらるるやうになむはべりし。

この女をんなのあるやう、もとより思おもひいたらざりけることにも、いかでこの人ひとのためにはと、なき手てを出いだし、後おくれたる筋すぢの心こころをも、なほ口惜くちをしくは見みえじと思おもひはげみつつ、とにかくにつけて、ものまめやかに後見うしろみ、つゆにても心こころに違たがふことはなくもがなと思おもへりしほどに、進すすめる方かたと思おもひしかど、とかくになびきてなよびゆき、醜みにくき容貌かたちをも、この人ひとに見みや疎うとまれむと、わりなく思おもひつくろひ、疎うとき人ひとに見みえば、面伏おもてぶせにや思おもはむと、憚はばかり恥はぢて、みさをにもてつけて見馴みなるるままに、心こころもけしうはあらずはべりしかど、ただこの憎にくき方かた一ひとつなむ、心こころをさめずはべりし。

そのかみ思おもひはべりしやう、かうあながちに従したがひ怖おぢたる人ひとなめり、いかで懲こるばかりのわざして、おどして、この方かたもすこしよろしくもなり、さがなさもやめむと思おもひて、まことに憂うしなども思おもひて絶たえぬべき気色けしきならば、かばかり我われに従したがふ心こころならば思おもひ懲こりなむと思おもうたまへ得えて、ことさらに情なさけなくつれなきさまを見みせて、例れいの腹立はらだち怨ゑんずるに、

かくおぞましくは、いみじき契ちぎり深ふかくとも、絶たえてまた見みじ。限かぎりと思おもはば、かくわりなきもの疑うたがひはせよ。行ゆく先さき長ながく見みえむと思おもはば、つらきことありとも、念ねんじてなのめに思おもひなりて、かかる心こころだに失うせなば、いとあはれとなむ思おもふべき。人並々ひとなみなみにもなり、すこしおとなびむに添そへて、また並ならぶ人ひとなくあるべきやうなど、かしこく教をしへたつるかなと思おもひたまへて、われたけく言いひそしはべるに、すこしうち笑わらひて、

よろづに見立みだてなく、ものげなきほどを見過みすぐして、人数ひとかずなる世よもやと待まつ方かたは、いとのどかに思おもひなされて、心こころやましくもあらず。つらき心こころを忍しのびて、思おもひ直なほらむ折をりを見みつけむと、年月としつきを重かさねむあいな頼だのみは、いと苦くるしくなむあるべければ、かたみに背そむきぬべききざみになむある

とねたげに言いふに、腹立はらだたしくなりて、憎にくげなることどもを言いひはげましはべるに、女をんなもえをさめぬ筋すぢにて、指およびひとつを引ひき寄よせて喰くひてはべりしを、おどろおどろしくかこちて、

かかる疵きずさへつきぬれば、いよいよ交まじらひをすべきにもあらず。辱はづかしめたまふめる官位つかさくらゐ、いとどしく何なににつけてかは人ひとめかむ。世よを背そむきぬべき身みなめりなど言いひ脅おどして、さらば、今日けふこそは限かぎりなめれと、この指およびをかがめてまかでぬ。

手てを折をりてあひ見みしことを数かぞふればこれひとつやは君きみが憂うきふし

えうらみじ

など言いひはべれば、さすがにうち泣なきて、

憂うきふしを心こころひとつに数かぞへきてこや君きみが手てを別わかるべきをり

など、言いひしろひはべりしかど、まことには変かはるべきこととも思おもひたまへずながら、日ひごろ経ふるまで消息せうそこも遣つかはさず、あくがれまかり歩ありくに、臨時りんじの祭まつりの調楽でうがくに、夜よ更ふけていみじう霙みぞれ降ふる夜よ、これかれまかりあかるる所ところにて、思おもひめぐらせば、なほ家路いへぢと思おもはむ方かたはまたなかりけり。

内裏うちわたりの旅寝たびねすさまじかるべく、気色けしきばめるあたりはそぞろ寒さむくや、と思おもひたまへられしかば、いかが思おもへると、気色けしきも見みがてら、雪ゆきをうち払はらひつつ、なま人ひと悪わろく爪つめ喰くはるれど、さりとも今宵こよひ日ひごろの恨うらみは解とけなむ、と思おもうたまへしに、火ひほのかに壁かべに背そむけ、萎なえたる衣きぬどもの厚あつ肥ごえたる、大おほいなる籠こにうち掛かけて、引ひき上あぐべきものの帷子かたびらなどうち上あげて、今宵こよひばかりやと、待まちけるさまなり。さればよと、心こころおごりするに、正身さうじみはなし。さるべき女房にょうばうどもばかりとまりて、親おやの家いへに、この夜よさりなむ渡わたりぬると答こたへはべり。

艶えんなる歌うたも詠よまず、気色けしきばめる消息せうそこもせで、いとひたや籠ごもりに情なさけなかりしかば、あへなき心地ここちして、さがなく許ゆるしなかりしも、我われを疎うとみねと思おもふ方かたの心こころやありけむと、さしも見みたまへざりしことなれど、心こころやましきままに思おもひはべりしに、着きるべき物もの、常つねよりも心こころとどめたる色いろあひ、しざまいとあらまほしくて、さすがにわが見捨みすててむ後のちをさへなむ、思おもひやり後見うしろみたりし。

さりとも、絶たえて思おもひ放はなつやうはあらじと思おもうたまへて、とかく言いひはべりしを、背そむきもせずと、尋たづねまどはさむとも隠かくれ忍しのびず、かかやかしからず答いらへつつ、ただ、ありしながらは、えなむ見過みすぐすまじき。あらためてのどかに思おもひならばなむ、あひ見みるべきなど言いひしを、さりともえ思おもひ離はなれじと思おもひたまへしかば、しばし懲こらさむの心こころにて、しかあらためむとも言いはず、いたく綱つな引びきて見みせしあひだに、いといたく思おもひ嘆なげきて、はかなくなりはべりにしかば、戯たはぶれにくくなむおぼえはべりし。

ひとへにうち頼たのみたらむ方かたは、さばかりにてありぬべくなむ思おもひたまへ出いでらるる。はかなきあだ事ごとをもまことの大事だいじをも、言いひあはせたるにかひなからず、龍田姫たつたひめと言いはむにもつきなからず、織女たなばたの手てにも劣おとるまじくその方かたも具ぐして、うるさくなむはべりし」

 とて、いとあはれと思おもひ出いでたり。中将ちうじゃう、

「その織女たなばたの裁たち縫ぬふ方かたをのどめて、長ながき契ちぎりにぞあえまし。げに、その龍田姫たつたひめの錦にしきには、またしくものあらじ。はかなき花紅葉はなもみぢといふも、をりふしの色いろあひつきなく、はかばかしからぬは、露つゆのはえなく消きえぬるわざなり。さあるにより、難かたき世よとは定さだめかねたるぞや」

 と、言いひはやしたまふ。

さて、また同じころ

「さて、また同おなじころ、まかり通かよひし所ところは、人ひとも立たちまさり心こころばせまことにゆゑありと見みえぬべく、うち詠よみ、走はしり書かき、掻かい弾ひく爪音つまおと、手てつき口くちつき、みなたどたどしからず、見聞みききわたりはべりき。見みる目めもこともなくはべりしかば、このさがな者ものを、うちとけたる方かたにて、時々ときどき隠かくろへ見みはべりしほどは、こよなく心こころとまりはべりき。この人ひと亡うせて後のち、いかがはせむ、あはれながらも過すぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴なるるには、すこしまばゆく艶えんに好このましきことは、目めにつかぬ所ところあるに、うち頼たのむべくは見みえず、かれがれにのみ見みせはべるほどに、忍しのびて心こころ交かはせる人ひとぞありけらし。

神無月かんなづきのころほひ、月つきおもしろかりし夜よ、内裏うちよりまかではべるに、ある上人うへびと来きあひて、この車くるまにあひ乗のりてはべれば、大納言だいなごんの家いへにまかり泊とまらむとするに、この人ひと言いふやう、今宵こよひ人ひと待まつらむ宿やどなむ、あやしく心苦こころぐるしきとて、この女をんなの家いへはた、避よきぬ道みちなりければ、荒あれたる崩くづれより池いけの水みづかげ見みえて、月つきだに宿やどる住処すみかを過すぎむもさすがにて、下おりはべりぬかし。

もとよりさる心こころを交かはせるにやありけむ、この男をとこいたくすずろきて、門かど近ちかき廊らうの簀子すのこだつものに尻しりかけて、とばかり月つきを見みる。菊きくいとおもしろく移うつろひわたり、風かぜに競きほへる紅葉もみぢの乱みだれなど、あはれと、げに見みえたり。

懐ふところなりける笛ふえ取とり出いでて吹ふき鳴ならし、蔭かげもよしなどつづしり謡うたふほどに、よく鳴なる和琴わごんを、調しらべととのへたりける、うるはしく掻かき合あはせたりしほど、けしうはあらずかし。律りちの調しらべは、女をんなのものやはらかに掻かき鳴ならして、簾すの内うちより聞きこえたるも、今いまめきたる物ものの声こゑなれば、清きよく澄すめる月つきに折をりつきなからず。男をとこいたくめでて、簾すのもとに歩あゆみ来きて、

庭にはの紅葉もみぢこそ、踏ふみ分わけたる跡あともなけれなどねたます。菊きくを折をりて、

琴ことの音ねも月つきもえならぬ宿やどながらつれなき人ひとをひきやとめける

悪わろかめりなど言いひて、今いまひと声こゑ、聞ききはやすべき人ひとのある時とき、手てな残のこいたまひそなど、いたくあざれかかれば、女をんな、いたう声こゑつくろひて、

木枯こがらしに吹ふきあはすめる笛ふえの音ねをひきとどむべき言ことの葉はぞなき

となまめき交かはすに、憎にくくなるをも知しらで、また、箏さうの琴ことを盤渉調ばんしきでうに調しらべて、今いまめかしく掻かい弾ひきたる爪音つまおと、かどなきにはあらねど、まばゆき心地ここちなむしはべりし。ただ時々ときどきうち語かたらふ宮仕みやづかへ人びとなどの、あくまでさればみ好すきたるは、さても見みる限かぎりはをかしくもありぬべし。時々ときどきにても、さる所ところにて忘わすれぬよすがと思おもひたまへむには、頼たのもしげなくさし過すぐいたりと心こころおかれて、その夜よのことにことつけてこそ、まかり絶たえにしか。

この二ふたつのことを思おもうたまへあはするに、若わかき時ときの心こころにだに、なほさやうにもて出いでたることは、いとあやしく頼たのもしげなくおぼえはべりき。今いまより後のちは、ましてさのみなむ思おもひたまへらるべき。御心みこころのままに、折をらば落おちぬべき萩はぎの露つゆ、拾ひろはば消きえなむと見みる玉笹たまざさの上うへの霰あられなどの、艶えんにあえかなる好すき好ずきしさのみこそ、をかしく思おぼさるらめ、今いまさりとも、七年ななとせあまりがほどに思おぼし知しりはべなむ。なにがしがいやしき諌いさめにて、好すきたわめらむ女をんなに心こころおかせたまへ。過あやまちして、見みむ人ひとのかたくななる名なをも立たてつべきものなり」

 と戒いましむ。中将ちうじゃう、例れいのうなづく。君きみすこしかた笑ゑみて、さることとは思おぼすべかめり。

「いづ方かたにつけても、人ひと悪わろくはしたなかりける身物語みものがたりかな」とて、うち笑わらひおはさうず。

なにがしは、痴者の物語をせむ

 中将ちうじゃう、

「なにがしは、痴者しれものの物語ものがたりをせむ」とて、「いと忍しのびて見みそめたりし人ひとの、さても見みつべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも思おもひたまへざりしかど、馴なれゆくままに、あはれとおぼえしかば、絶たえ絶だえ忘わすれぬものに思おもひたまへしを、さばかりになれば、うち頼たのめるけしきも見みえき。頼たのむにつけては、恨うらめしと思おもふこともあらむと、心こころながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知みしらぬやうにて、久ひさしきとだえをも、かうたまさかなる人ひととも思おもひたらず、ただ朝夕あさゆふにもてつけたらむありさまに見みえて、心苦こころぐるしかりしかば、頼たのめわたることなどもありきかし。

親おやもなく、いと心細こころぼそげにて、さらばこの人ひとこそはと、事ことにふれて思おもへるさまもらうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、久ひさしくまからざりしころ、この見みたまふるわたりより、情なさけなくうたてあることをなむ、さるたよりありてかすめ言いはせたりける、後のちにこそ聞ききはべりしか。

さる憂うきことやあらむとも知しらず、心こころには忘わすれずながら、消息せうそこなどもせで久ひさしくはべりしに、むげに思おもひしをれて心細こころぼそかりければ、幼をさなき者ものなどもありしに思おもひわづらひて、撫子なでしこの花はなを折をりておこせたりし」とて涙なみだぐみたり。

「さて、その文ふみの言葉ことばは」と問とひたまへば、

「いさや、ことなることもなかりきや。

山やまがつの垣かきほ荒あるとも折々をりをりにあはれはかけよ撫子なでしこの露つゆ

思おもひ出いでしままにまかりたりしかば、例れいのうらもなきものから、いと物思ものおもひ顔がほにて、荒あれたる家いへの露つゆしげきを眺ながめて、虫むしの音ねに競きほへるけしき、昔物語むかしものがたりめきておぼえはべりし。

咲さきまじる色いろはいづれと分わかねどもなほ常夏とこなつにしくものぞなき

大和撫子やまとなでしこをばさしおきて、まづ塵ちりをだになど、親おやの心こころをとる。

うち払はらふ袖そでも露つゆけき常夏とこなつにあらし吹ふきそふ秋あきも来きにけり

とはかなげに言いひなして、まめまめしく恨うらみたるさまも見みえず。涙なみだをもらし落おとしても、いと恥はづかしくつつましげに紛まぎらはし隠かくして、つらきをも思おもひ知しりけりと見みえむは、わりなく苦くるしきものと思おもひたりしかば、心こころやすくて、またとだえ置おきはべりしほどに、跡あともなくこそかき消けちて失うせにしか。

まだ世よにあらば、はかなき世よにぞさすらふらむ。あはれと思おもひしほどに、わづらはしげに思おもひまとはすけしき見みえましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、さるものにしなして長ながく見みるやうもはべりなまし。かの撫子なでしこのらうたくはべりしかば、いかで尋たづねむと思おもひたまふるを、今いまもえこそ聞ききつけはべらね。

これこそのたまへるはかなき例ためしなめれ。つれなくてつらしと思おもひけるも知しらで、あはれ絶たえざりしも、益やくなき片思かたおもひなりけり。今いまやうやう忘わすれゆく際きはに、かれはたえしも思おもひ離はなれず、折々をりをり人ひとやりならぬ胸むね焦こがるる夕ゆふべもあらむとおぼえはべり。これなむ、え保たもつまじく頼たのもしげなき方かたなりける。

されば、かのさがな者ものも、思おもひ出いである方かたに忘わすれがたけれど、さしあたりて見みむにはわづらはしくよ、よくせずは、飽あきたきこともありなむや。琴ことの音ねすすめけむかどかどしさも、好すきたる罪つみ重おもかるべし。この心こころもとなきも、疑うたがひ添そふべければ、いづれとつひに思おもひ定さだめずなりぬるこそ。世よの中なかや、ただかくこそ。とりどりに比くらべ苦くるしかるべき。このさまざまのよき限かぎりをとり具ぐし、難なんずべきくさはひまぜぬ人ひとは、いづこにかはあらむ。吉祥天女きちじゃうてんにょを思おもひかけむとすれば、法気ほふけづき、くすしからむこそ、また、わびしかりぬべけれ」とて、皆みな笑わらひぬ。

式部がところにぞ

「式部しきぶがところにぞ、けしきあることはあらむ。すこしづつ語かたり申まうせ」と責せめらる。

「下しもが下しもの中なかには、なでふことか、聞きこし召めしどころはべらむ」

 と言いへど、頭とうの君きみ、まめやかに「遅おそし」と責せめたまへば、何事なにごとをとり申まうさむと思おもひめぐらすに、

「まだ文章生もんじゃうのしゃうにはべりし時とき、かしこき女をんなの例ためしをなむ見みたまへし。かの、馬頭むまのかみの申まうしたまへるやうに、公事おほやけごとをも言いひあはせ、私わたくしざまの世よに住すまふべき心こころおきてを思おもひめぐらさむ方かたもいたり深ふかく、才ざえの際きはなまなまの博士はかせ恥はづかしく、すべて口くちあかすべくなむはべらざりし。

それは、ある博士はかせのもとに学問がくもんなどしはべるとて、まかり通かよひしほどに、主人あるじのむすめども多おほかりと聞ききたまへて、はかなきついでに言いひ寄よりてはべりしを、親おや聞ききつけて、盃さかづき持もて出いでて、わが両ふたつの途みち歌うたふを聴きけとなむ、聞きこえごちはべりしかど、をさをさうちとけてもまからず、かの親おやの心こころを憚はばかりて、さすがにかかづらひはべりしほどに、いとあはれに思おもひ後見うしろみ、寝覚ねざめの語かたらひにも、身みの才ざえつき、朝廷おほやけに仕つかうまつるべき道々みちみちしきことを教をしへて、いときよげに消息文せうそこぶみにも仮名かんなといふもの書かきまぜず、むべむべしく言いひまはしはべるに、おのづからえまかり絶たえで、その者ものを師しとしてなむ、わづかなる腰折文こしをれぶみ作つくることなど習ならひはべりしかば、今いまにその恩おんは忘わすれはべらねど、なつかしき妻子さいしとうち頼たのまむには、無才むざいの人ひと、なま悪わろならむ振ふる舞まひなど見みえむに、恥はづかしくなむ見みえはべりし。

まいて君達きむだちの御おほんため、はかばかしくしたたかなる御後見おほんうしろみは、何なににかせさせたまはむ。はかなし、口惜くちをし、とかつ見みつつも、ただわが心こころにつき、宿世すくせの引ひく方かたはべるめれば、男をのこしもなむ、仔細しさいなきものははべめる」

 と申まうせば、残のこりを言いはせむとて、「さてさてをかしかりける女をんなかな」とすかいたまふを、心こころは得えながら、鼻はなのわたりをこづきて語かたりなす。

「さて、いと久ひさしくまからざりしに、もののたよりに立たち寄よりてはべれば、常つねのうちとけゐたる方かたにははべらで、心こころやましき物越ものごしにてなむ逢あひてはべる。ふすぶるにやと、をこがましくも、また、よきふしなりとも思おもひたまふるに、このさかし人びとはた、軽々かろがろしきもの怨ゑんじすべきにもあらず、世よの道理だうりを思おもひとりて恨うらみざりけり。

声こゑもはやりかにて言いふやう、

月つきごろ、風病ふびゃう重おもきに堪たへかねて、極熱ごくねちの草薬さうやくを服ぶくして、いと臭くさきによりなむ、え対面たいめん賜たまはらぬ。目まのあたりならずとも、さるべからむ雑事ざうじらは承うけたまはらむ

と、いとあはれにむべむべしく言いひはべり。答いらへに何なにとかは。ただ、承うけたまはりぬとて、立たち出いではべるに、さうざうしくやおぼえけむ、

この香か失うせなむ時ときに立たち寄よりたまへと高たかやかに言いふを、聞きき過すぐさむもいとほし、しばしやすらふべきに、はたはべらねば、げにそのにほひさへ、はなやかにたち添そへるも術すべなくて、逃にげ目めをつかひて、

ささがにのふるまひしるき夕暮ゆふぐれにひるま過すぐせといふがあやなさ

いかなることつけぞや

と、言いひも果はてず走はしり出いではべりぬるに、追おひて、

逢あふことの夜よをし隔へだてぬ仲なかならばひる間まも何なにかまばゆからまし

さすがに口疾くちとくなどははべりき」

 と、しづしづと申まうせば、君達きむだちあさましと思おもひて、「嘘言そらごと」とて笑わらひたまふ。

「いづこのさる女をんなかあるべき。おいらかに鬼おにとこそ向むかひゐたらめ。むくつけきこと」

 と爪弾つまはじきをして、「言いはむ方かたなし」と、式部しきぶをあはめ憎にくみて、

「すこしよろしからむことを申まうせ」と責せめたまへど、

「これよりめづらしきことはさぶらひなむや」とて、をり。

「すべて男をとこも女をんなも悪わろ者ものは、わづかに知しれる方かたのことを残のこりなく見みせ尽つくさむと思おもへるこそ、いとほしけれ。

三史さんし五経ごきゃう、道々みちみちしき方かたを、明あきらかに悟さとり明あかさむこそ、愛敬あいぎゃうなからめ、などかは、女をんなといはむからに、世よにあることの公私おほやけわたくしにつけて、むげに知しらずいたらずしもあらむ。わざと習ならひまねばねど、すこしもかどあらむ人ひとの、耳みみにも目めにもとまること、自然じねんに多おほかるべし。

さるままには、真名まんなを走はしり書かきて、さるまじきどちの女文をんなぶみに、なかば過すぎて書かきすすめたる、あなうたて、この人ひとのたをやかならましかばと見みえたり。心地ここちにはさしも思おもはざらめど、おのづからこはごはしき声こゑに読よみなされなどしつつ、ことさらびたり。上臈じゃうらふの中なかにも、多おほかることぞかし。

歌うた詠よむと思おもへる人ひとの、やがて歌うたにまつはれ、をかしき古言ふることをも初はじめより取とり込こみつつ、すさまじき折々をりをり、詠よみかけたるこそ、ものしきことなれ。返かへしせねば情なさけなし、えせざらむ人ひとははしたなからむ。

さるべき節会せちゑなど、五月さつきの節せちに急いそぎ参まゐる朝あした、何なにのあやめも思おもひしづめられぬに、えならぬ根ねを引ひきかけ、九日ここぬかの宴えんに、まづ難かたき詩しの心こころを思おもひめぐらして暇いとまなき折をりに、菊きくの露つゆをかこち寄よせなどやうの、つきなき営いとなみにあはせ、さならでもおのづから、げに後のちに思おもへばをかしくもあはれにもあべかりけることの、その折をりにつきなく、目めにとまらぬなどを、推おし量はからず詠よみ出いでたる、なかなか心後こころおくれて見みゆ。

よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆる折をりから、時々ときどき、思おもひわかぬばかりの心こころにては、よしばみ情なさけ立だたざらむなむ目めやすかるべき。

すべて、心こころに知しれらむことをも、知しらず顔がほにもてなし、言いはまほしからむことをも、一ひとつ二ふたつのふしは過すぐすべくなむあべかりける」

 と言いふにも、君きみは、人ひと一人ひとりの御おほんありさまを、心こころの中うちに思おもひつづけたまふ。「これに足たらずまたさし過すぎたることなくものしたまひけるかな」と、ありがたきにも、いとど胸むねふたがる。

 いづ方かたにより果はつともなく、果はて果はてはあやしきことどもになりて、明あかしたまひつ。

からうして今日は日のけしきも直れり

 からうして今日けふは日ひのけしきも直なほれり。かくのみ籠こもりさぶらひたまふも、大殿おほいどのの御心みこころいとほしければ、まかでたまへり。

 おほかたの気色けしき、人ひとのけはひも、けざやかにけ高だかく、乱みだれたるところまじらず、なほ、これこそは、かの、人ひとびとの捨すてがたく取とり出いでしまめ人びとには頼たのまれぬべけれ、と思おぼすものから、あまりうるはしき御おほんありさまの、とけがたく恥はづかしげに思おもひしづまりたまへるをさうざうしくて、中納言ちうなごんの君きみ、中務なかつかさなどやうの、おしなべたらぬ若人わかうどどもに、戯たはぶれ言ごとなどのたまひつつ、暑あつさに乱みだれたまへる御おほんありさまを、見みるかひありと思おもひきこえたり。

 大臣おとども渡わたりたまひて、うちとけたまへれば、御几帳みきちゃう隔へだてておはしまして、御物語おほんものがたり聞きこえたまふを、「暑あつきに」とにがみたまへば、人ひとびと笑わらふ。「あなかま」とて、脇息けふそくに寄よりおはす。いとやすらかなる御おほん振ふる舞まひなりや。

 暗くらくなるほどに、

「今宵こよひ、中神なかがみ、内裏うちよりは塞ふたがりてはべりけり」と聞きこゆ。

「さかし、例れいは忌いみたまふ方かたなりけり」

「二条にでうの院ゐんにも同おなじ筋すぢにて、いづくにか違たがへむ。いと悩なやましきに」

 とて大殿籠おほとのごもれり。「いと悪あしきことなり」と、これかれ聞きこゆ。

「紀伊守きのかみにて親したしく仕つかうまつる人ひとの、中川なかがはのわたりなる家いへなむ、このころ水みづせき入いれて、涼すずしき蔭かげにはべる」と聞きこゆ。

「いとよかなり。悩なやましきに、牛うしながら引ひき入いれつべからむ所ところを」

 とのたまふ。忍しのび忍しのびの御方違おほんかたたがへ所どころは、あまたありぬべけれど、久ひさしくほど経へて渡わたりたまへるに、方かた塞ふたげて、ひき違たがへ他ほかざまへと思おぼさむは、いとほしきなるべし。紀伊守きのかみに仰おほせ言ごと賜たまへば、承うけたまはりながら、退しりぞきて、

「伊予守いよのかみの朝臣あそんの家いへに慎つつしむことはべりて、女房にょうばうなむまかり移うつれるころにて、狭せばき所ところにはべれば、なめげなることやはべらむ」

 と、下したに嘆なげくを聞ききたまひて、

「その人ひと近ちかからむなむ、うれしかるべき。女をんな遠とほき旅寝たびねは、もの恐おそろしき心地ここちすべきを。ただその几帳きちゃうのうしろに」とのたまへば、

「げに、よろしき御座所おましどころにも」とて、人ひと走はしらせやる。いと忍しのびて、ことさらにことことしからぬ所ところをと、急いそぎ出いでたまへば、大臣おとどにも聞きこえたまはず、御供おほんともにも睦むつましき限かぎりしておはしましぬ。

にはかに、とわぶれど

「にはかに」とわぶれど、人ひとも聞きき入いれず。寝殿しんでんの東面ひんがしおもて払はらひあけさせて、かりそめの御おほんしつらひしたり。水みづの心こころばへなど、さる方かたにをかしくしなしたり。田舎家ゐなかいへだつ柴垣しばがきして、前栽せんざいなど心こころとめて植うゑたり。風かぜ涼すずしくて、そこはかとなき虫むしの声々こゑごゑ聞きこえ、蛍ほたるしげく飛とびまがひて、をかしきほどなり。

 人ひとびと、渡殿わたどのより出いでたる泉いづみにのぞきゐて、酒さけ呑のむ。主人あるじも肴さかな求もとむと、こゆるぎのいそぎありくほど、君きみはのどやかに眺ながめたまひて、かの、中なかの品しなに取とり出いでて言いひし、この並なみならむかしと思おぼし出いづ。

 思おもひ上あがれる気色けしきに聞ききおきたまへる女むすめなれば、ゆかしくて耳みみとどめたまへるに、この西面にしおもてにぞ人ひとのけはひする。衣きぬの音おとなひはらはらとして、若わかき声こゑどもにくからず。さすがに忍しのびて、笑わらひなどするけはひ、ことさらびたり。

 格子かうしを上あげたりけれど、守かみ、「心こころなし」とむつかりて下おろしつれば、火ひ灯ともしたる透影すきかげ、障子さうじの上かみより漏もりたるに、やをら寄よりたまひて、「見みゆや」と思おぼせど、隙ひまもなければ、しばし聞ききたまふに、この近ちかき母屋もやに集つどひゐたるなるべし、うちささめき言いふことどもを聞ききたまへば、わが御上おほんうへなるべし。

「いといたうまめだちて。まだきに、やむごとなきよすが定さだまりたまへるこそ、さうざうしかめれ」

「されど、さるべき隈くまには、よくこそ、隠かくれ歩ありきたまふなれ」

 など言いふにも、思おぼすことのみ心こころにかかりたまへば、まづ胸むねつぶれて、「かやうのついでにも、人ひとの言いひ漏もらさむを、聞ききつけたらむ時とき」などおぼえたまふ。

 ことなることなければ、聞ききさしたまひつ。式部卿宮しきぶきゃうのみやの姫君ひめぎみに朝顔あさがほたてまつりたまひし歌うたなどを、すこしほほゆがめて語かたるも聞きこゆ。「くつろぎがましく、歌うた誦ずんじがちにもあるかな、なほ見劣みおとりはしなむかし」と思おぼす。

 守かみ出いで来きて、灯籠とうろ掛かけ添そへ、灯ひ明あかくかかげなどして、御おほんくだものばかり参まゐれり。

「とばり帳ちゃうも、いかにぞは。さる方かたの心こころもとなくては、めざましき饗応あるじならむ」とのたまへば、

「何なによけむとも、えうけたまはらず」と、かしこまりてさぶらふ。端はしつ方かたの御座おましに、仮かりなるやうにて大殿籠おほとのごもれば、人ひとびとも静しづまりぬ。

 主人あるじの子こども、をかしげにてあり。童わらはなる、殿上てんじゃうのほどに御覧ごらんじ馴なれたるもあり。伊予介いよのすけの子こもあり。あまたある中なかに、いとけはひあてはかにて、十二じふに、三さんばかりなるもあり。

「いづれかいづれ」など問とひたまふに、

「これは、故衛門督こゑもんのかみの末すゑの子こにて、いとかなしくしはべりけるを、幼をさなきほどに後おくれはべりて、姉あねなる人ひとのよすがに、かくてはべるなり。才ざえなどもつきはべりぬべく、けしうははべらぬを、殿上てんじゃうなども思おもひたまへかけながら、すがすがしうはえ交まじらひはべらざめる」と申まうす。

「あはれのことや。この姉君あねぎみや、まうとの後のちの親おや」

「さなむはべる」と申まうすに、

「似にげなき親おやをも、まうけたりけるかな。主上うへにも聞きこし召めしおきて、宮仕みやづかへに出いだし立たてむと漏もらし奏そうせし、いかになりにけむと、いつぞやのたまはせし。世よこそ定さだめなきものなれ」と、いとおよすけのたまふ。

「不意ふいに、かくてものしはべるなり。世よの中なかといふもの、さのみこそ、今いまも昔むかしも、定さだまりたることはべらね。中なかについても、女をんなの宿世すくせは浮うかびたるなむ、あはれにはべる」など聞きこえさす。

「伊予介いよのすけは、かしづくや。君きみと思おもふらむな」

「いかがは。私わたくしの主しゅうとこそは思おもひてはべるめるを、好すき好ずきしきことと、なにがしよりはじめて、うけひきはべらずなむ」と申まうす。

「さりとも、まうとたちのつきづきしく今いまめきたらむに、おろしたてむやは。かの介すけは、いとよしありて気色けしきばめるをや」など、物語ものがたりしたまひて、

「いづかたにぞ」

「皆みな、下屋しもやにおろしはべりぬるを、えやまかりおりあへざらむ」と聞きこゆ。

 酔ゑひすすみて、皆みな人ひとびと簀子すのこに臥ふしつつ、静しづまりぬ。

君は、とけても寝られたまはず

 君きみは、とけても寝ねられたまはず、いたづら臥ぶしと思おぼさるるに御目覚おほんめさめて、この北きたの障子さうじのあなたに人ひとのけはひするを、「こなたや、かくいふ人ひとの隠かくれたる方かたならむ、あはれや」と御心みこころとどめて、やをら起おきて立たち聞ききたまへば、ありつる子この声こゑにて、

「ものけたまはる。いづくにおはしますぞ」

 と、かれたる声こゑのをかしきにて言いへば、

「ここにぞ臥ふしたる。客人まらうとは寝ねたまひぬるか。いかに近ちかからむと思おもひつるを、されど、け遠どほかりけり」

 と言いふ。寝ねたりける声こゑのしどけなき、いとよく似通にかよひたれば、いもうとと聞ききたまひつ。

「廂ひさしにぞ大殿籠おほとのごもりぬる。音おとに聞ききつる御おほんありさまを見みたてまつりつる、げにこそめでたかりけれ」と、みそかに言いふ。

「昼ひるならましかば、覗のぞきて見みたてまつりてまし」

 とねぶたげに言いひて、顔かほひき入いれつる声こゑす。「ねたう、心こころとどめても問とひ聞きけかし」とあぢきなく思おぼす。

「まろは端はしに寝ねはべらむ。あなくるし」

 とて、灯ひかかげなどすべし。女君をんなぎみは、ただこの障子口さうじぐち筋交すぢかひたるほどにぞ臥ふしたるべき。

「中将ちうじゃうの君きみはいづくにぞ。人ひとげ遠とほき心地ここちして、もの恐おそろし」

 と言いふなれば、長押なげしの下しもに、人ひとびと臥ふして答いらへすなり。

「下しもに湯ゆにおりて。ただ今いま参まゐらむとはべる」と言いふ。

 皆みな静しづまりたるけはひなれば、掛金かけがねを試こころみに引ひきあけたまへれば、あなたよりは鎖ささざりけり。几帳きちゃうを障子口さうじぐちには立たてて、灯ひはほの暗くらきに、見みたまへば唐櫃からびつだつ物ものどもを置おきたれば、乱みだりがはしき中なかを、分わけ入いりたまへれば、ただ一人ひとりいとささやかにて臥ふしたり。なまわづらはしけれど、上うへなる衣きぬ押おしやるまで、求もとめつる人ひとと思おもへり。

「中将ちうじゃう召めしつればなむ。人ひと知しれぬ思おもひの、しるしある心地ここちして」

 とのたまふを、ともかくも思おもひ分わかれず、物ものに襲おそはるる心地ここちして、「や」とおびゆれど、顔かほに衣きぬのさはりて、音おとにも立たてず。

「うちつけに、深ふかからぬ心こころのほどと見みたまふらむ、ことわりなれど、年としごろ思おもひわたる心こころのうちも、聞きこえ知しらせむとてなむ。かかるをりを待まち出いでたるも、さらに浅あさくはあらじと、思おもひなしたまへ」

 と、いとやはらかにのたまひて、鬼神おにがみも荒あらだつまじきけはひなれば、はしたなく、「ここに、人ひと」とも、えののしらず。心地ここちはた、わびしく、あるまじきことと思おもへば、あさましく、

「人ひと違たがへにこそはべるめれ」と言いふも息いきの下したなり。

 消きえまどへる気色けしき、いと心苦こころぐるしくらうたげなれば、をかしと見みたまひて、

「違たがふべくもあらぬ心こころのしるべを、思おもはずにもおぼめいたまふかな。好すきがましきさまには、よに見みえたてまつらじ。思おもふことすこし聞きこゆべきぞ」

 とて、いと小ちひさやかなれば、かき抱いだきて障子さうじのもと出いでたまふにぞ、求もとめつる中将ちうじゃうだつ人ひと来きあひたる。

「やや」とのたまふに、あやしくて探さぐり寄よりたるにぞ、いみじく匂にほひみちて、顔かほにもくゆりかかる心地ここちするに、思おもひ寄よりぬ。あさましう、こはいかなることぞと思おもひまどはるれど、聞きこえむ方かたなし。並々なみなみの人ひとならばこそ、荒あららかにも引ひきかなぐらめ、それだに人ひとのあまた知しらむは、いかがあらむ。心こころも騷さわぎて、慕したひ来きたれど、動どうもなくて、奥おくなる御座おましに入いりたまひぬ。

 障子さうじをひきたてて、「暁あかつきに御迎おほんむかへにものせよ」とのたまへば、女をんなは、この人ひとの思おもふらむことさへ、死しぬばかりわりなきに、流ながるるまで汗あせになりて、いと悩なやましげなる、いとほしけれど、例れいの、いづこより取とう出でたまふ言ことの葉はにかあらむ、あはれ知しらるばかり、情なさけ情なさけしくのたまひ尽つくすべかめれど、なほいとあさましきに、

「現うつつともおぼえずこそ。数かずならぬ身みながらも、思おぼしくたしける御心みこころばへのほども、いかが浅あさくは思おもうたまへざらむ。いとかやうなる際きはは、際きはとこそはべなれ」

 とて、かくおし立たちたまへるを、深ふかく情なさけなく憂うしと思おもひ入いりたるさまも、げにいとほしく、心こころ恥はづかしきけはひなれば、

「その際々きはぎはを、まだ知しらぬ、初事うひごとぞや。なかなか、おしなべたる列つらに思おもひなしたまへるなむうたてありける。おのづから聞ききたまふやうもあらむ。あながちなる好すき心ごころは、さらにならはぬを。さるべきにや、げに、かくあはめられたてまつるも、ことわりなる心こころまどひを、みづからもあやしきまでなむ」

 など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなき御おほんありさまの、いよいようちとけきこえむことわびしければ、すくよかに心こころづきなしとは見みえたてまつるとも、さる方かたの言いふかひなきにて過すぐしてむと思おもひて、つれなくのみもてなしたり。人柄ひとがらのたをやぎたるに、強つよき心こころをしひて加くはへたれば、なよ竹たけの心地ここちして、さすがに折をるべくもあらず。

 まことに心こころやましくて、あながちなる御心みこころばへを、言いふ方かたなしと思おもひて、泣なくさまなど、いとあはれなり。心苦こころぐるしくはあれど、見みざらましかば口惜くちをしからまし、と思おぼす。慰なぐさめがたく、憂うしと思おもへれば、

「など、かく疎うとましきものにしも思おぼすべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契ちぎりあるとは思おもひたまはめ。むげに世よを思おもひ知しらぬやうに、おぼほれたまふなむ、いとつらき」と恨うらみられて、

「いとかく憂うき身みのほどの定さだまらぬ、ありしながらの身みにて、かかる御心みこころばへを見みましかば、あるまじき我わが頼たのみにて、見直みなほしたまふ後瀬のちせをも思おもひたまへ慰なぐさめましを、いとかう仮かりなる浮うき寝ねのほどを思おもひはべるに、たぐひなく思おもうたまへ惑まどはるるなり。よし、今いまは見みきとなかけそ」

 とて、思おもへるさま、げにいとことわりなり。おろかならず契ちぎり慰なぐさめたまふこと多おほかるべし。

 鶏とりも鳴なきぬ。人ひとびと起おき出いでて、

「いといぎたなかりける夜よかな」

「御車みくるまひき出いでよ」

 など言いふなり。守かみも出いで来きて、

「女をんななどの御方違おほんかたたがへこそ。夜よ深ぶかく急いそがせたまふべきかは」など言いふもあり。

 君きみは、またかやうのついであらむこともいとかたく、さしはへてはいかでか、御文おほんふみなども通かよはむことのいとわりなきを思おぼすに、いと胸むねいたし。奥おくの中将ちうじゃうも出いでて、いと苦くるしがれば、許ゆるしたまひても、また引ひきとどめたまひつつ、

「いかでか、聞きこゆべき。世よに知しらぬ御心みこころのつらさも、あはれも、浅あさからぬ世よの思おもひ出いでは、さまざまめづらかなるべき例ためしかな」

 とて、うち泣なきたまふ気色けしき、いとなまめきたり。

 鶏とりもしばしば鳴なくに、心こころあわたたしくて、

つれなきを恨うらみも果はてぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ

 女をんな、身みのありさまを思おもふに、いとつきなくまばゆき心地ここちして、めでたき御おほんもてなしも、何なにともおぼえず、常つねはいとすくすくしく心こころづきなしと思おもひあなづる伊予いよの方かたの思おもひやられて、「夢ゆめにや見みゆらむ」と、そら恐おそろしくつつまし。

身みの憂うさを嘆なげくにあかで明あくる夜よはとり重かさねてぞ音ねもなかれける

 ことと明あかくなれば、障子口さうじぐちまで送おくりたまふ。内うちも外とも人ひと騒さわがしければ、引ひき立たてて、別わかれたまふほど、心細こころぼそく、隔へだつる関せきと見みえたり。

 御直衣おほんなほしなど着きたまひて、南みなみの高欄かうらんにしばしうち眺ながめたまふ。西面にしおもての格子かうしそそき上あげて、人ひとびと覗のぞくべかめる。簀子すのこの中なかのほどに立たてたる小障子こさうじの上かみより仄ほのかに見みえたまへる御おほんありさまを、身みにしむばかり思おもへる好すき心ごころどもあめり。

 月つきは有明ありあけにて、光ひかりをさまれるものから、かげけざやかに見みえて、なかなかをかしき曙あけぼのなり。何心なにごころなき空そらのけしきも、ただ見みる人ひとから、艶えんにもすごくも見みゆるなりけり。人ひと知しれぬ御心みこころには、いと胸むねいたく、言伝ことづてやらむよすがだになきをと、かへりみがちにて出いでたまひぬ。

 殿とのに帰かへりたまひても、とみにもまどろまれたまはず。またあひ見みるべき方かたなきを、まして、かの人ひとの思おもふらむ心こころの中うち、いかならむと、心苦こころぐるしく思おもひやりたまふ。「すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる中なかの品しなかな。隈くまなく見集みあつめたる人ひとの言いひしことは、げに」と思おぼし合あはせられけり。

 このほどは大殿おほいどのにのみおはします。なほいとかき絶たえて、思おもふらむことのいとほしく御心みこころにかかりて、苦くるしく思おぼしわびて、紀伊守きのかみを召めしたり。

「かの、ありし中納言ちうなごんの子こは、得えさせてむや。らうたげに見みえしを。身近みぢかく使つかふ人ひとにせむ。主上うへにも我われたてまつらむ」とのたまへば、

「いとかしこき仰おほせ言ごとにはべるなり。姉あねなる人ひとにのたまひみむ」

 と申まうすも、胸むねつぶれて思おぼせど、

「その姉君あねぎみは、朝臣あそんの弟おとうとや持もたる」

「さもはべらず。この二年ふたとせばかりぞ、かくてものしはべれど、親おやのおきてに違たがへりと思おもひ嘆なげきて、心こころゆかぬやうになむ、聞ききたまふる」

「あはれのことや。よろしく聞きこえし人ひとぞかし。まことによしや」とのたまへば、

「けしうははべらざるべし。もて離はなれてうとうとしくはべれば、世よのたとひにて、睦むつびはべらず」と申まうす。

さて、五六日ありて

 さて、五いつか六日むいかありて、この子こ率ゐて参まゐれり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あて人びとと見みえたり。召めし入いれて、いとなつかしく語かたらひたまふ。童心地わらはごこちに、いとめでたくうれしと思おもふ。いもうとの君きみのことも詳くはしく問とひたまふ。さるべきことは答いらへ聞きこえなどして、恥はづかしげにしづまりたれば、うち出いでにくし。されど、いとよく言いひ知しらせたまふ。

 かかることこそはと、ほの心得こころうるも、思おもひの外ほかなれど、幼をさな心地ごこちに深ふかくしもたどらず。御文おほんふみを持もて来きたれば、女をんな、あさましきに涙なみだも出いで来きぬ。この子この思おもふらむこともはしたなくて、さすがに、御文おほんふみを面隠おもがくしに広ひろげたり。いと多おほくて、

見みし夢ゆめを逢あふ夜よありやと嘆なげくまに目めさへあはでぞころも経へにける

「寝ぬる夜よなければ」

 など、目めも及およばぬ御書おほんかきざまも、霧きり塞ふたがりて、心得こころえぬ宿世すくせうち添そへりける身みを思おもひ続つづけて臥ふしたまへり。

 またの日ひ、小君こぎみ召めしたれば、参まゐるとて御返おほんかへり乞こふ。

「かかる御文おほんふみ見みるべき人ひともなし、と聞きこえよ」

 とのたまへば、うち笑ゑみて、

「違たがふべくものたまはざりしものを。いかが、さは申まうさむ」

 と言いふに、心こころやましく、残のこりなくのたまはせ、知しらせてけると思おもふに、つらきこと限かぎりなし。

「いで、およすけたることは言いはぬぞよき。さは、な参まゐりたまひそ」とむつかられて、

「召めすには、いかでか」とて、参まゐりぬ。

 紀伊守きのかみ、好すき心ごころにこの継母ままははのありさまをあたらしきものに思おもひて、追従ついそうしありけば、この子こをもてかしづきて、率ゐてありく。

 君きみ、召めし寄よせて、

「昨日きのふ待まち暮くらししを。なほあひ思おもふまじきなめり」

 と怨ゑんじたまへば、顔かほうち赤あかめてゐたり。

「いづら」とのたまふに、しかしかと申まうすに、

「言いふかひなのことや。あさまし」とて、またも賜たまへり。

「あこは知しらじな。その伊予いよの翁おきなよりは、先さきに見みし人ひとぞ。されど、頼たのもしげなく頚くび細ほそしとて、ふつつかなる後見うしろみまうけて、かく侮あなづりたまふなめり。さりとも、あこはわが子こにてをあれよ。この頼たのもし人びとは、行ゆく先さき短みじかかりなむ」

 とのたまへば、「さもやありけむ、いみじかりけることかな」と思おもへる、「をかし」と思おぼす。

 この子こをまつはしたまひて、内裏うちにも率ゐて参まゐりなどしたまふ。わが御匣殿みくしげどのにのたまひて、装束さうぞくなどもせさせ、まことに親おやめきてあつかひたまふ。

 御文おほんふみは常つねにあり。されど、この子こもいと幼をさなし、心こころよりほかに散ちりもせば、軽々かろがろしき名なさへとり添そへむ、身みのおぼえをいとつきなかるべく思おもへば、めでたきこともわが身みからこそと思おもひて、うちとけたる御答おほんいらへも聞きこえず。ほのかなりし御おほんけはひありさまは、「げに、なべてにやは」と、思おもひ出いできこえぬにはあらねど、「をかしきさまを見みえたてまつりても、何なににかはなるべき」など、思おもひ返かへすなりけり。

 君きみは思おぼしおこたる時ときの間まもなく、心苦こころぐるしくも恋こひしくも思おぼし出いづ。思おもへりし気色けしきなどのいとほしさも、晴はるけむ方かたなく思おぼしわたる。軽々かろがろしく這はひ紛まぎれ立たち寄よりたまはむも、人目ひとめしげからむ所ところに、便びんなき振ふる舞まひやあらはれむと、人ひとのためもいとほしく、と思おぼしわづらふ。

 例れいの、内裏うちに日数ひかず経へたまふころ、さるべき方かたの忌いみ待まち出いでたまふ。にはかにまかでたまふまねして、道みちのほどよりおはしましたり。

 紀伊守きのかみおどろきて、遣水やりみづの面目めいぼくとかしこまり喜よろこぶ。小君こぎみには、昼ひるより、「かくなむ思おもひよれる」とのたまひ契ちぎれり。明あけ暮くれまつはし馴ならしたまひければ、今宵こよひもまづ召めし出いでたり。

 女をんなも、さる御消息おほんせうそこありけるに、思おぼしたばかりつらむほどは、浅あさくしも思おもひなされねど、さりとて、うちとけ、人ひとげなきありさまを見みえたてまつりても、あぢきなく、夢ゆめのやうにて過すぎにし嘆なげきを、またや加くはへむ、と思おもひ乱みだれて、なほさて待まちつけきこえさせむことのまばゆければ、小君こぎみが出いでて往いぬるほどに、

「いとけ近ぢかければ、かたはらいたし。なやましければ、忍しのびてうち叩たたかせなどせむに、ほど離はなれてを」

 とて、渡殿わたどのに、中将ちうじゃうといひしが局つぼねしたる隠かくれに、移うつろひぬ。

 さる心こころして、人ひととく静しづめて、御消息おほんせうそこあれど、小君こぎみは尋たづねあはず。よろづの所ところ求もとめ歩ありきて、渡殿わたどのに分わけ入いりて、からうしてたどり来きたり。いとあさましくつらし、と思おもひて、

「いかにかひなしと思おぼさむ」と、泣なきぬばかり言いへば、

「かく、けしからぬ心こころばへは、つかふものか。幼をさなき人ひとのかかること言いひ伝つたふるは、いみじく忌いむなるものを」と言いひおどして、「心地ここち悩なやましければ、人ひとびと避さけずおさへさせてなむと聞きこえさせよ。あやしと誰たれも誰たれも見みるらむ」

 と言いひ放はなちて、心こころの中うちには、「いと、かく品しな定さだまりぬる身みのおぼえならで、過すぎにし親おやの御おほんけはひとまれるふるさとながら、たまさかにも待まちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。しひて思おもひ知しらぬ顔かほに見消みけつも、いかにほど知しらぬやうに思おぼすらむ」と、心こころながらも、胸むねいたく、さすがに思おもひ乱みだる。「とてもかくても、今いまは言いふかひなき宿世しゅくせなりければ、無心むじんに心こころづきなくて止やみなむ」と思おもひ果はてたり。

 君きみは、いかにたばかりなさむと、まだ幼をさなきをうしろめたく待まち臥ふしたまへるに、不用ふようなるよしを聞きこゆれば、あさましくめづらかなりける心こころのほどを、「身みもいと恥はづかしくこそなりぬれ」と、いといとほしき御気色みけしきなり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、憂うしと思おぼしたり。

帚木ははきぎの心こころを知しらで園原そのはらの道みちにあやなく惑まどひぬるかな

「聞きこえむ方かたこそなけれ」

 とのたまへり。女をんなも、さすがに、まどろまざりければ、

数かずならぬ伏屋ふせやに生おふる名なの憂うさにあるにもあらず消きゆる帚木ははきぎ

 と聞きこえたり。

 小君こぎみ、いといとほしさに眠ねぶたくもあらでまどひ歩ありくを、人ひとあやしと見みるらむ、とわびたまふ。

 例れいの、人ひとびとはいぎたなきに、一所ひとところすずろにすさまじく思おぼし続つづけらるれど、人ひとに似にぬ心こころざまの、なほ消きえず立たち上のぼれりける、とねたく、かかるにつけてこそ心こころもとまれと、かつは思おぼしながら、めざましくつらければ、さばれと思おぼせども、さも思おぼし果はつまじく、

「隠かくれたらむ所ところに、なほ率ゐて行いけ」とのたまへど、

「いとむつかしげにさし籠こめられて、人ひとあまたはべるめれば、かしこげに」

 と聞きこゆ。いとほしと思おもへり。

「よし、あこだに、な捨すてそ」

 とのたまひて、御おほんかたはらに臥ふせたまへり。若わかくなつかしき御おほんありさまを、うれしくめでたしと思おもひたれば、つれなき人ひとよりは、なかなかあはれに思おぼさるとぞ。

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