『源氏物語』第14帖「澪標」原文全文を読む|読みやすいふりがな付き

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第14帖「澪標」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第14帖「澪標」現代語訳全文をご覧ください。

目次

さやかに見えたまひし夢の後は

 さやかにえたまひしゆめのちは、ゐんみかどおほんことをこころにかけきこえたまひて、いかで、かのしづみたまふらむつみすくひたてまつることをせむとおぼしなげきけるを、かくかへりたまひては、その御急おほんいそぎしたまふ。神無月かむなづき御八講みはかうしたまふ。ひとなびきつかうまつること、むかしのやうなり。

 大后おほぎさき、なほ御悩おほんなやおもくおはしますうちにも、つひにこのひとをえたずなりなむこととこころやまひみおぼしけれど、みかどゐん御遺言ごゆいごんおもひきこえたまふ。もののむくいありぬべくおぼしけるを、なほてたまひて、御心地みここちすずしくなむおぼしける。時々ときどきおこりなやませたまひし御目おほんめもさはやぎたまひぬれど、おほかたにえながくあるまじう、心細こころぼそきこととのみ、ひさしからぬことをおぼしつつ、つねしありて、源氏げんじきみまゐりたまふ。なかのことなども、へだてなくのたまはせつつ、御本意おほんほいのやうなれば、おほかたのひとも、あいなくうれしきことによろこびきこえける。

下りゐなむの御心づかひ

 りゐなむの御心みこころづかひちかくなりぬるにも、尚侍ないしのかみ心細こころぼそげにおもなげきたまひつる、いとあはれにおぼされけり。

大臣おとどせたまひ、大宮おほみやたのもしげなくのみあついたまへるに、のこすくなき心地ここちするになむ、いといとほしう、名残なごりなきさまにてとまりたまはむとすらむ。むかしよりひとにはおもとしたまへれど、みづからのこころざしのまたなきならひに、ただおほんことのみなむ、あはれにおぼえける。ちまさるひと、また御本意おほんほいありてたまふとも、おろかならぬこころざしはしも、なずらはざらむとおもふさへこそ、心苦こころぐるしけれ」

 とて、うちきたまふ。女君をんなぎみかほはいとあかくにほひて、こぼるばかりの御愛敬おほんあいぎゃうにてなみだもこぼれぬるを、よろづのつみわすれてあはれにらうたしと御覧ごらんぜらる。

「などか、御子みこをだにたまへるまじき。口惜くちをしうもあるかな。ちぎふかひとのためには、いま見出みいでたまひてむとおもふも口惜くちをしや。かぎりあれば、ただひとにてぞたまはむかし」

 などすゑのことをさへのたまはするに、いとづかしうもかなしうもおぼえたまふ。御容貌おほんかたちなど、なまめかしうきよらにて、かぎりなき御心みこころざしの年月としつきふやうにもてなさせたまふに、めでたきひとなれど、さしもおもひたまへらざりしけしき、こころばへなど、ものおもられたまふままに、などて、わがこころわかくいはけなきにまかせて、さるさわぎをさへでて、わがをばさらにもいはず、ひとおほんためさへ、などおぼしづるに、いと御身おほんみなり。

明くる年の如月に

 くるとし如月きさらぎに、春宮とうぐう御元服ごげんぶくのことあり。十一じふいちになりたまへど、ほどよりおほきに、おとなしうきよらにて、ただ源氏げんじ大納言だいなごん御顔おほんかほふたつにうつしたらむやうにえたまふ。いとまばゆきまでひかりあひたまへるを、世人よひとめでたきものにこゆれど、母宮ははみやはいみじうかたはらいたきことに、あいなく御心みこころくしたまふ。内裏うちにもめでたしとたてまつりたまひて、なかゆづりきこえたまふべきことなど、なつかしうこえらせたまふ。

 おなつき二十余日はつかあまり御国譲みくにゆづりのことにはかなれば、大后おほぎさきおぼしあわてたり。

「かひなきさまながらも、こころのどかに御覧ごらんぜらるべきことをおもふなり」

 とぞ、こえなぐさめたまひける。ばうには承香殿しょうきゃうでん皇子みこゐたまひぬ。なかあらたまりて、きかへいまめかしきことどもおほかり。源氏げんじ大納言だいなごん内大臣ないだいじんになりたまひぬ。かずさだまりて、くつろぐところもなかりければ、くははりたまふなりけり。やがて政治まつりごとをしたまふべきなれど、

「さやうのことしげきしきにはへずなむ」

 とて、致仕ちじ大臣おとど摂政せつしゃうしたまふべきよし、ゆづりきこえたまふ。

やまひによりてくらゐかへしたてまつりてしを、いよいよのつもりひて、さかしきことはべらじ」

 と、けひきまうしたまはず。ひとくににも、ことうつなかさだまらぬをりは、ふかやまあとえたるひとだにも、をさまれるには、しろかみぢずつかへけるをこそ、まことのひじりにはしけれ、やまひしづみて、かへまうしたまひけるくらゐを、なかかはりてまたあらためたまはむに、さらにとがあるまじう、公私おほやけわたくしさだめらる。さるれいもありければ、すまひてたまはで、太政大臣だいじゃうだいじんになりたまふ。御年おほんとし六十三ろくじふさんにぞなりたまふ。なかすさまじきにより、かつはもりゐたまひしを、とりかへしはなやぎたまへば、御子みこどもなどしづむやうにものしたまへるを、みなかびたまふ。とりわきて、宰相中将さいしゃうのちうじやう権中納言ごんちうなごんになりたまふ。かのきみ御腹おほんはら姫君ひめぎみ十二じふにになりたまふを、内裏うちまゐらせむとかしづきたまふ。かの高砂たかさごうたひしきみも、かうぶりせさせて、いとおもふさまなり。腹々はらばら御子みこどもいとあまた次々つぎつぎでつつ、にぎははしげなるを、源氏げんじ大臣おとどはうらやみたまふ。

 大殿腹おほいとのばら若君わかぎみひとよりことにうつくしうて、内裏うち春宮とうぐう殿上てんじゃうしたまふ。故姫君こひめぎみせたまひにしなげきを、みや大臣おとど、またさらにあらためておぼしなげく。されど、おはせぬ名残なごりも、ただこの大臣おとど御光おほんひかりによろづもてなされたまひて、としごろおぼししづみつる名残なごりなきまでさかえたまふ。なほむかし御心みこころばへはらず、をりふしごとにわたりたまひなどしつつ、若君わかぎみ御乳母おほんめのとたち、さらぬ人々ひとびとも、としごろのほどまかでらざりけるは、みなさるべきことにれつつ、よすがつけむことをおぼしおきつるに、さいはひとおほくなりぬべし。

 二条院にでうのゐんにも、おなじごとちきこえけるひとをあはれなるものにおぼして、としごろのむねあくばかりとおぼせば、中将ちうじゃう中務なかつかさやうの人々ひとびとには、ほどほどにつけつつなさえたまふに、御暇おほんいとまなくてほかあゆきもしたまはず。二条院にでうのゐんひむがしなるみやゐん御処分ごしょぶんなりしを、なくあらたつくらせたまふ。花散里はなちるさとなどやうの心苦こころぐるしき人々ひとびとませむ、などおぼしててつくろはせたまふ。

まことや、かの明石に

 まことや、かの明石あかし心苦こころぐるしげなりしことはいかに、とおぼしわするるときなければ、公私おほやけわたくしいそがしきまぎれに、えおぼすままにもとぶらひたまはざりけるを、三月やよひ朔日ついたちのほど、このころやとおぼしやるに、ひとれずあはれにて、御使おほんつかひありけり。とくかへまゐりて、

十六日じふろくにちになむ、をんなにて、たひらかにものしたまふ」

 とげきこゆ。めづらしきさまにてさへあなるをおぼすに、おろかならず。などて、きゃうむかへてかかることをもせさせざりけむと、口惜くちをしうおぼさる。宿曜すくえうに、

御子みこ三人さんにんみかどきさきかならずならびてまれたまふべし。なかおとりは、太政大臣だいじゃうだいじんにてくらゐこうむべし」

 と、かんがまうしたりしこと、さしてかなふなめり。おほかたうへなきくらゐのぼり、をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたのさうひとどものこえあつめたるを、としごろはのわづらはしさにみなおぼしちつるを、みかどのかくくらゐにかなひたまひぬることをおもひのごとうれしとおぼす。みづからも、もてはなれたまへるすぢは、さらにあるまじきこととおぼす。あまたの皇子みこたちのなかに、すぐれてらうたきものにおぼしたりしかど、ただひとにおぼしおきてける御心みこころおもふに、宿世すくせとほかりけり、内裏うちのかくておはしますを、あらはにひとることならねど、さうひとむなしからず、と、御心みこころのうちにおぼしけり。いますゑのあらましごとをおぼすに、住吉すみよしかみのしるべ、まことにかのひとになべてならぬ宿世すくせにて、ひがひがしきおやおよびなきこころをつかふにやありけむ、さるにては、かしこきすぢにもなるべきひとの、あやしき世界せかいにてまれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな、このほどぐしてむかへてむ、とおぼして、ひむがしゐんいそつくらすべきよし、もよほしおほせたまふ。

さる所に、はかばかしき人しも

 さるところに、はかばかしきひとしもありがたからむをおぼして、故院こゐんにさぶらひし宣旨せんじむすめ宮内卿くないきゃう宰相さいしゃうにてくなりにしひとなりしを、ははなどもせて、かすかなるけるが、はかなきさまにてみたりとこしめしつけたるを、るたよりありてことのついでにまねびきこえけるひとして、さるべきさまにのたまひちぎる。まだわかく、何心なにごころもなきひとにて、ひとれぬあばらやにながむる心細こころぼそさなれば、ふかうもおもひたどらず、このおほんあたりのことをひとへにめでたうおもひきこえて、まゐるべきよしまうさせたり。いとあはれにかつはおぼして、だしてたまふ。

 もののついでに、いみじうしのびまぎれておはしまいたり。さはこえながら、いかにせましとおもみだれけるを、いとかたじけなきに、よろづおもひなぐさめて、

「ただ、のたまはせむままに」

 とこゆ。よろしきなりければ、いそがしてたまひて、

「あやしうおもひやりなきやうなれど、おもふさまことなることにてなむ。みづからもおぼえぬまひにむすぼほれたりしためしおもひよそへて、しばしねんじたまへ」

 など、ことのありやうくはしうかたらひたまふ。主上うへ宮仕みやづか時々ときどきせしかば、たまふをりもありしを、いたうおとろへにけり。いへのさまもらずれまどひて、さすがにおほきなるところの、木立こだちなどうとましげに、いかでぐしつらむとゆ。ひとのさま、わかやかにをかしければ、御覧ごらんはなたれず。とかくたはぶれたまひて、

りかへしつべき心地ここちこそすれ。いかに」

 とのたまふにつけても、げにおなじうは御身おほんみちかうもつかうまつりれば、もなぐさみなましとたてまつる。

「かねてよりへだてぬなかとならはねどわかれはしきものにぞありける

したひやしなまし」

 とのたまへば、うちわらひて、

「うちつけのわかれをしむかことにておもはむかたしたひやはせぬ」

 れてこゆるを、いたしとおぼす。

車にてぞ京のほどは

 くるまにてぞきゃうのほどははなれける。いとしたしきひとさしへたまひて、ゆめらすまじく、くちがためたまひてつかはす。御佩刀みはかし、さるべきものなど、所狭ところせきまでおぼしやらぬくまなし。乳母めのとにも、ありがたうこまやかなるおほんいたはりのほどあさからず。入道にふだうおもひかしづきおもふらむありさま、おもひやるも、ほほまれたまふことおほく、また、あはれに心苦こころぐるしうも、ただこのことの御心みこころにかかるも、あさからぬにこそは。御文おほんふみにも、おろかにもてなしおもふまじと、かへかへすいましめたまへり。

「いつしかもそでうちかけむをとめづるいはさき

 くにまではふねにて、それよりあなたはむまにて、いそきぬ。

 入道にふだうちとり、よろこびかしこまりきこゆることかぎりなし。そなたにきてをがみきこえて、ありがたき御心みこころばへをおもふに、いよいよいたはしう、おそろしきまでおもふ。稚児ちごのいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。げにかしこき御心みこころに、かしづききこえむとおぼしたるはむべなりけり、とたてまつるに、あやしきみちちて、ゆめ心地ここちしつるなげきもさめにけり。いとうつくしうらうたうおぼえて、あつかひきこゆ。

 ちのきみも、つきごろものをのみおもしづみて、いとどよわれる心地ここちに、きたらむともおぼえざりつるを、このおほんおきての、すこしものおもひなぐさめらるるにぞ、かしらもたげて、御使おほんつかひにもなきさまのこころざしをくす。とくまゐりなむといそくるしがれば、おもふことどもすこしこえつづけて、

「ひとりしてづるはそでのほどなきにおほひふばかりのかげをしぞつ」

 とこえたり。あやしきまで御心みこころにかかり、ゆかしうおぼさる。

女君には、言にあらはして

 女君をんなぎみには、ことにあらはしてをさをさこえたまはぬを、きあはせたまふこともこそとおぼして、

「さこそあなれ。あやしうねぢけたるわざなりや。さもおはせなむとおもふあたりにはこころもとなくて、おもひのほかに口惜くちをしくなむ。をんなにてあなれば、いとこそものしけれ。たづねらでもありぬべきことなれど、さはえおもつまじきわざなりけり。びにやりてせたてまつらむ。にくみたまふなよ」

 とこえたまへば、おもてうちあかみて、

「あやしう、つねにかやうなるすぢのたまひつくるこころのほどこそ、われながらうとましけれ。ものにくみは、いつならふべきにか」

 とうらじたまへば、いとよくうちみて、

「そよ。がならはしにかあらむ。おもはずにぞえたまふや。ひとこころよりほかなるおもひやりごとして、ものうらじなどしたまふよ。おもへばかなし」

 とて、てはなみだぐみたまふ。としごろかずこひしとおもひきこえたまひし御心みこころのうちども、折々をりをり御文おほんふみかよひなどおぼしづるには、よろづのこと、すさびにこそあれとおもたれたまふ。

「このひとを、かうまでおもひやりふは、なほおもふやうのはべるぞ。まだきにこえば、またひが心得こころえたまふべければ」

 とのたまひさして、

ひとがらのをかしかりしも、ところからにや、めづらしうおぼえきかし」

 などかたりきこえたまふ。あはれなりしゆふけぶりひしことなど、まほならねど、その容貌かたちほのし、ことのなまめきたりしも、すべて御心みこころとまれるさまにのたまひづるにも、われはまたなくこそかなしとおもなげきしか、すさびにてもこころけたまひけむよと、ただならず、おもつづけたまひて、

「われはわれ」

 とうちそむきながめて、

「あはれなりしのありさまかな」

 と、ひとのやうにうちなげきて、

おもふどちなびくかたにはあらずともわれぞけぶりさきちなまし」

なにとか。心憂こころうや。

れによりうみやまきめぐりえぬなみだしづ

いでや、いかでかえたてまつらむ。いのちこそかなひがたかべいものなめれ。はかなきことにて、ひとこころおかれじとおもふも、ただひとつゆゑぞや」

 とて、さう御琴おほんことせて、かきせすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かのすぐれたりけむもねたきにや、れたまはず。いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念しふねきところつきて、ものうらじしたまへるが、なかなか愛敬あいぎゃうづきて腹立はらだちなしたまふを、をかしうどころありとおぼす。

五月五日にぞ

 五月さつきいつかにぞ、五十日いかにはたるらむと、ひとれずかぞへたまひて、ゆかしうあはれにおぼしやる。なにごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからま、口惜くちをしのわざや、さるところにしも、心苦こころぐるしきさまにて、たるよ、とおぼす。男君をとこぎみならましかば、かうしも御心みこころにかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世おほんすくせも、このおほんことにつけてぞかたほなりけり、とおぼさるる。御使おほんつかひだしてたまふ。

「かならずそのたがへずまかりけ」

 とのたまへば、いつかきぬ。おぼしやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしきおほんとぶらひもあり。

うみまつときぞともなきかげにゐてなにのあやめもいかにわくらむ

こころのあくがるるまでなむ。なほ、かくてはえぐすまじきを、おもちたまひね。さりとも、うしろめたきことは、よも」

 といたまへり。入道にふだうれいよろこきしてゐたり。かかるをりは、けるかひもつくりでたる、ことわりなりとゆ。

 ここにも、よろづ所狭ところせきまでおもまうけたりけれど、この御使おほんつかひなくは、やみにてこそれぬべかりけれ。乳母めのとも、この女君をんなぎみのあはれにおもふやうなるをかたらひひとにて、のなぐさめにしけり。をさをさおとらぬひとも、るいれてむかりてあらすれど、こよなくおとろへたる宮仕みやづかひとなどの、いはほなかたづぬるがまれるなどこそあれ、これは、こよなうこめきおもひあがれり。きどころある物語ものがたりなどして、大臣おとどきみおほんありさま、にかしづかれたまへるおほんおぼえのほども、をんな心地ここちにまかせてかぎりなくかたくせば、げにかくおぼしづばかりの名残なごりとどめたるも、いとたけくやうやうおもひなりけり。御文おほんふみももろともにて、こころのうちに、あはれ、かうこそおもひのほかにめでたき宿世すくせはありけれ、うきものはわがこそありけれ、と、おもつづけらるれど、

乳母めのとのことはいかに」

 などこまやかにとぶららはせたまへるもかたじけなく、なにごともなぐさめけり。御返おほんかへりには、

かずならぬみしまかくれにたづ今日けふもいかにとひとぞなき

よろづにおもうたまへむすぼほるるありさまを、かくたまさかのおほんなぐさめにかけはべるいのちのほども、はかなくなむ。げに、うしろやすくおもうたまへくわざもがな」

 とまめやかにこえたり。

うち返し見たまひつつ

 うちかへたまひつつ、

「あはれ」

 とながやかにひとりごちたまふを、女君をんなぎみ後目しりめおこせて、

うらよりをちにふねの」

 としのびやかにひとりごちながめたまふを、

「まことは、かくまでとりなしたまふよ。こはただかばかりのあはれぞや。ところのさまなどうちおもひやる時々ときどきかたのことわすれがたきひとを、ようこそぐいたまはね」

 などうらみきこえたまひて、上包うはづつみばかりをせたてまつらせたまふ。などのいとゆゑづきて、やむごとなきひとくるしげなるを、かかればなめりとおぼす。

かく、この御心とりたまふほどに

 かく、この御心みこころとりたまふほどに、花散里はなちるさとなどをはなてたまひぬるこそ、いとほしけれ。公事おほやけごとしげく、所狭ところせ御身おほんみに、おぼしはばかるにへても、めづらしく御目おほんめおどろくことのなきほど、おもひしづめたまふなめり。

 五月雨さみだれつれづれなるころ、公私おほやけわたくしものしづかなるに、おぼしこしてわたりたまへり。よそながらも、れにつけて、よろづにおぼしやりとぶらひきこえたまふをたのみにて、ぐいたまふところなれば、いまめかしうこころにくきさまに、そばみうらみたまふべきならねば、こころやすげなり。としごろに、いよいよれまさり、すごげにておはす。女御にょうごきみ御物語おほんものがたりこえたまひて、西にしつまどに夜更よふかしてりたまへり。つきおぼろにさしりて、いとどえんなるおほんふるまひ、きもせずえたまふ。いとどつつましけれど、端近はしぢかううちながめたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。水鶏くひなのいとちかきたるを、

水鶏くひなだにおどろかさずはいかにしてれたる宿やどつきれまし」

 いとなつかしうちたまへるぞ、とりどりにてがたきかな、かかるこそ、なかなかくるしけれ、とおぼす。

「おしなべてたたく水鶏くひなにおどろかばうはのそらなるつきもこそ

うしろめたう」

 とは、なほことこえたまへど、あだあだしきすぢなど、うたがはしき御心みこころばへにはあらず。としごろ、ぐしきこえたまへるも、さらにおろかにはおぼされざりけり。

そらながめそ」

 と、たのめきこえたまひしをりのことも、のたまひでて、

「などて、たぐひあらじと、いみじうものをおもしづみけむ。からは、おななげかしさにこそ」

 とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。れいの、いづこの御言おほんことにかあらむ、きせずぞかたらひなぐさめきこえたまふ。

かやうのついでにも

 かやうのついでにも、かの五節ごせちをおぼしわすれず。またてしがなとこころにかけたまへれど、いとかたきことにて、えまぎれたまはず。をんな、ものおもえぬを、おやはよろづにおもふこともあれど、むことをおもえたり。こころやすき殿とのつくりしては、かやうのひとあつへても、おもふさまにかしづきたまふべきひとでものしたまはば、さるひと後見うしろみにもとおぼす。

 かのゐんつくりざま、なかなかどころおほく、いまめいたり。よしある受領ずりゃうなどをりて、てにもよほしたまふ。尚侍ないしのかみきみ、なほえおもはなちきこえたまはず。こりずまにかへり、御心みこころばへもあれど、をんなきにりたまひて、むかしのやうにもあひしらへきこえたまはず。なかなか所狭ところせう、さうざうしう、なかおぼさる。

院はのどやかにおぼしなりて

 ゐんはのどやかにおぼしなりて、時々ときどきにつけてをかしき御遊おほんあそびなど、このましげにておはします。女御にょうご更衣かうい、みなれいのごとさぶらひたまへど、春宮とうぐうおほん母女御ははにょうごのみぞ、とりててときめきたまふこともなく、尚侍ないしのかみきみおほんおぼえにおしたれたまへりしを、かくきかへめでたき御幸おほんさいはひにて、はなでてみやひたてまつりたまへる。この大臣おとど御宿直所おほんとのゐどころは、むかし淑景舎しげいさなり。梨壺なしつぼ春宮とうぐうはおはしませば、ちかとなり御心寄みこころよせに、なにごともこえかよひて、みやをも後見うしろみたてまつりたまふ。

 入道后にふだうきさきみや御位みくらゐをまたあらためたまふべきならねば、太上天皇だいじゃうてんわうになずらへて、御封みふたまらせたまふ。院司ゐんしどもなりて、さまことにいつくし。御行おほんおこなひ、功徳くどくのことを、つねおほんいとなみにておはします。としごろはばかりてりもかたく、たてまつりたまはぬなげきをいぶせくおぼしけるに、おぼすさまにてまゐりまかでたまふもいとめでたければ、大后おほぎさききものはなりけりとおぼしなげく。大臣おとどはことにれて、いとづかしげにつかまつり、心寄こころよせきこえたまふも、なかなかいとほしげなるを、ひともやすからず、こえけり。

兵部卿親王、年ごろの御心ばへ

 兵部卿親王ひゃうぶきゃうのみことしごろの御心みこころばへのつらくおもはずにて、ただこえをのみおぼしはばかりたまひしことを、大臣おとどきものにおぼしおきて、むかしのやうにもむつびきこえたまはず。なべてのには、あまねくめでたき御心みこころなれど、このおほんあたりは、なかなかなさけなきふしも、うちぜたまふを、入道にふだうみやは、いとほしう本意ほいなきことにたてまつりたまへり。なかのこと、ただなかばをけて、太政大臣だいじゃうだいじん、この大臣おとどおほんままなり。権中納言ごんちうなごん御女おほんむすめ、そのとし八月はづきまゐらせたまふ。祖父おほぢ殿とのゐたちて、儀式ぎしきなどいとあらまほし。兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやなかきみも、さやうにこころざしてかしづきたまふ名高なだかきを、大臣おとどは、ひとよりまさりたまへとしもおぼさずなむありける。いかがしたまはむとすらむ。

その秋、住吉に詣でたまふ

 そのあき住吉すみよしまうでたまふ。ぐわんどもたしたまふべければ、いかめしきおほんありきにて、なかゆすりて、上達部かむだちめ殿上人てんじゃうびとわれわれもとつかうまつりたまふ。をりしも、かの明石あかしひととしごとのれいのことにてまうづるを、去年こぞ今年ことしさはることありて、おこたりける、かしこまりかさねて、おもちけり。ふねにてまうでたり。きしにさしくるほど、れば、ののしりてまうでたまふひとのけはひ、なぎさちて、いつくしき神宝じんぽうつづけたり。楽人がくにんじふつらなど、装束さうぞくをととのへ、容貌かたちびたり。

まうでたまへるぞ」

 とふめれば、

内大臣ないだいじん殿との御願おほんぐわんたしにまうでたまふを、らぬひともありけり」

 とて、はかなきほどの下衆げすだに、心地ここちよげにうちふ。げにあさましう、月日つきひもこそあれ、なかなかこのおほんありさまをはるかにるも、のほど口惜くちをしうおぼゆ。さすがにかけはなれたてまつらぬ宿世すくせながら、かく口惜くちをしききはものだに、ものおもひなげにてつかうまつるをいろふしおもひたるに、なに罪深つみふかにて、こころにかけておぼつかなうおもひきこえつつ、かかりける御響おほんひびきをもらででつらむ、などおもつづくるに、いとかなしうて、ひとれずしほたれけり。

松原の深緑なるに

 松原まつばらふかみどりなるに、はな紅葉もみぢをこきらしたるとゆるうへきぬの、うすき、数知かずしらず。六位ろくゐのなかにも蔵人くらうど青色あをいろしるくえて、かの賀茂かも瑞垣みづがきうらみし右近将監うこんのじゃう靫負ゆげひになりて、ことごとしげなる随身ずいじんしたる蔵人くらうどなり。良清よしきよおなすけにて、ひとよりことにものおもひなきけしきにて、おどろおどろしきあかきぬ姿すがた、いときよげなり。すべて人々ひとびとへはなやかに、なにごとおもふらむとえて、うちりたるに、わかやかなる上達部かむだちめ殿上人てんじゃうびとの、われわれもとおもひいどみ、むまくらなどまでかざりをととのみがきたまへるは、いみじきものに、田舎人ゐなかびとおもへり。

 御車みくるまはるかにやれば、なかなか、こころやましくて、こひしき御影おほんかげをもえたてまつらず。かははら大臣おとど御例おほんためしをまねびて、童随身わらはずいじんたまはりたまひける、いとをかしげに装束さうぞくき、みづらむすひて、紫裾濃むらさきすそご元結もとゆひなまめかしう、丈姿たけすがたととのひ、うつくしげにて十人じふにん、さまことにいまめかしうゆ。大殿腹おほいとのばら若君わかぎみかぎりなくかしづきてて、むまひ、わらはのほど、みなつくりあはせて、やうへて装束さうぞくきわけたり。雲居くもゐはるかにめでたくゆるにつけても、若君わかぎみかずならぬさまにてものしたまふを、いみじとおもふ。いよいよ御社みやしろかたをがみきこゆ。くにかみまゐりて、おほんまうけ、れい大臣おとどなどのまゐりたまふよりは、ことにになくつかうまつりけむかし。いとはしたなければ、じり、かずならぬの、いささかのことせむに、かみ見入みいれ、かずまへたまふべきにもあらず、かへらむにも中空なかぞらなり。今日けふ難波なにはふねさしめて、はらへをだにせむとて、わたりぬ。

君は、夢にも知りたまはず

 きみは、ゆめにもりたまはず、夜一夜よひとよ、いろいろのことをせさせたまふ。まことに、かみよろこびたまふべきことを、しくして、かた御願おほんぐわんにもうちへ、ありがたきまで、あそびののしりかしたまふ。惟光これみつやうのひとは、こころのうちにかみ御徳おほんとくをあはれにめでたしとおもふ。あからさまにでたまへるに、さぶらひて、こえでたり。

住吉すみよしまつこそものはかなしけれ神代かみよのことをかけておもへば」

 げに、とおぼしでて、

かりしなみのまよひに住吉すみよしかみをばかけてわすれやはする

しるしありな」

 とのたまふも、いとめでたし。

かの明石の舟、この響きに

 かの明石あかしふね、このひびきにおされてぎぬることもこゆれば、らざりけるよとあはれにおぼす。かみおほんしるべをおぼしづるも、おろかならねば、いささかなる消息せうそこをだにしてこころなぐさめばや、なかなかにおもふらむかし、とおぼす。御社みやしろちたまひて、所々ところどころ逍遥せうえうくしたまふ。難波なには御祓おほんはらへへなど、ことによそほしうつかまつる。堀江ほりえのわたりを御覧ごらんじて、

いまはたおな難波なにはなる」

 と、御心みこころにもあらでうちじたまへるを、御車みくるまのもとちか惟光これみつ、うけたまはりやしつらむ、さるしもやと、れいにならひてふところにまうけたるみじかふでなど、御車みくるまとどむるところにてたてまつれり。をかしとおぼして畳紙たたうがみに、

「みをつくしこひふるしるしにここまでもめぐりひけるえにはふかしな」

 とてたまへれば、かしこの心知こころしれる下人しもびとしてやりけり。こまならめてうちぎたまふにも、こころのみうごくに、つゆばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえて、うちきぬ。

かずならで難波なにはのこともかひなきになどみをつくしおもひそめけむ」

 田蓑たみのしま御禊みそぎつかうまつる、御祓おほんはらへへのものにつけてたてまつる。かたになりゆく。ゆふしほて、入江いりえたづこゑしまぬほどのあはれなるをりからなればにや、人目ひとめもつつまず、あひまほしくさへおぼさる。

つゆけさのむかしたる旅衣たびごろも田蓑たみのしまにはかくれず」

 みちのままに、かひある逍遥せうえうあそびののしりたまへど、御心みこころにはなほかかりておぼしやる。遊女あそびどものつどまゐれる、上達部かむだちめこゆれど、わかやかにことこのましげなるは、みなとどめたまふべかめり。されど、いでや、をかしきことも、もののあはれも、ひとからこそあべけれ、なのめなることをだに、すこしあはきかたりぬるは、こころとどむるたよりもなきものを、とおぼすに、おのがこころをやりて、よしめきあへるもうとましうおぼしけり。

かの人は過ぐしきこえて

 かのひとぐしきこえて、またのぞよろしかりければ、御幣みてぐらたてまつる。ほどにつけたるぐわんどもなど、かつがつたしける。また、なかなかものおもはりて、れ、口惜くちをしきおもなげく。いまきゃうにおはしくらむとおも日数ひかずず、御使おほんつかひあり。このころのほどにむかへむことをぞのたまへる。いとたのもしげに、かずまへのたまふめれど、いさや、また、しまはなれ、中空なかぞら心細こころぼそきことやあらむ、と、おもひわづらふ。入道にふだうも、さてだしはなたむは、いとうしろめたう、さりとて、かくむももれぐさむをおもはむも、なかなかかたとしごろよりも、心尽こころづくしなり。よろづにつつましう、おもちがたきことをこゆ。

まことや、かの斎宮も

 まことや、かの斎宮さいぐうもかはりたまひにしかば、御息所みやすんどころのぼりたまひてのち、はらぬさまになにごともとぶらひきこえたまふことは、ありがたきまでなさくしたまへど、むかしだにつれなかりし御心みこころばへの、なかなかならむ名残なごりじと、おもはなちたまへれば、わたりたまひなどすることはことになし。あながちにうごかしきこえたまひても、わがこころながらりがたく、とかくかかづらはむ御歩おほんありきなども、所狭ところせうおぼしなりにたれば、つよひたるさまにもおはせず。斎宮さいぐうをぞ、いかにねびなりたまひぬらむと、ゆかしうおもひきこえたまふ。

 なほかの六条ろくでうふるみやをいとよく修理すりしつくろひたりければ、みやびかにてみたまひけり。よしづきたまへること、りがたくて、よき女房にょうばうなどおほく、いたるひとつどところにて、ものさびしきやうなれど、こころやれるさまにてたまふほどに、にはかにおもくわづらひたまひて、もののいと心細こころぼそくおぼされければ、罪深つみふかところほとりにとしつるも、いみじうおぼして、あまになりたまひぬ。

 大臣おとどきたまひて、かけかけしきすぢにはあらねど、なほさるかたのものをもこえあはせひとおもひきこえつるを、かくおぼしなりにけるが口惜くちをしうおぼえたまへば、おどろきながらわたりたまへり。かずあはれなるおほんとぶらこえたまふ。ちか御枕上おほんまくらがみ御座おましよそひて、脇息けふそくにおしかかりて、御返おほんかへりなどこえたまふも、いたうよわりたまへるけはひなれば、えぬこころざしのほどは、ええたてまつらでやと、口惜くちをしうて、いみじういたまふ。

かくまでもおぼしとどめたりけるを

 かくまでもおぼしとどめたりけるを、をんなもよろづにあはれにおぼして、斎宮さいぐうおほんことをぞこえたまふ。

心細こころぼそくてとまりたまはむを、かならず、ことにれてかずまへきこえたまへ。またゆづるひともなく、たぐひなきおほんありさまになむ。かひなきながらも、いましばしなかおもひのどむるほどは、とざまかうざまにものをおぼしるまで、たてまつらむことこそおもひたまへつれ」

 とても、りつついたまふ。

「かかるおほんことなくてだに、おもはなちきこえさすべきにもあらぬを、まして、こころおよばむにしたがひては、なにごとも後見うしろみきこえむとなむおもうたまふる。さらに、うしろめたくなおもひきこえたまひそ」

 などこえたまへば、

「いとかたきこと。まことにうちたのむべきおやなどにて、ゆづるひとだに、をんなおやはなれぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして、おもほしひとめかさむにつけても、あぢきなきかたやうちり、ひとこころかれたまはむ。うたてあるおもひやりごとなれど、かけてさやうのづいたるすぢにおぼしるな。みはべるにも、をんなは、おもひのほかにてものおもひをふるものになむはべりければ、いかでさるかたをもてはなれて、たてまつらむとおもうたまふる」

 などこえたまへば、あいなくものたまふかなとおぼせど、

としごろに、よろづおもうたまへりにたるものを、むかしこころ名残なごりありがほにのたまひなすも本意ほいなくなむ。よし、おのづから」

 とて、ほかくらうなり、うち大殿油おほとなぶらのほのかにものよりかよりてゆるを、もしもやとおぼして、やをら御几帳みきちゃうのほころびよりたまへば、こころもとなきほどの火影ほかげに、御髪みぐしいとをかしげにはなやかにそぎて、りゐたまへる、きたらむさまして、いみじうあはれなり。ちゃう東面ひんがしおもてしたまへるぞ、みやならむかし。御几帳みきちゃうのしどけなくきやられたるより、御目おほんめとどめてかよしたまへれば、頬杖ほほづゑつきて、いとものかなしとおぼいたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげならむとゆ。御髪みぐしのかかりたるほど、かしらつき、けはひ、あてに気高けだかきものから、ひちちかに愛敬あいぎゃうづきたまへるけはひ、しるくえたまへば、こころもとなくゆかしきにも、さばかりのたまふものをとおぼしかへす。

「いとくるしさまさりはべる。かたじけなきを、はやわたらせたまひね」

 とて、ひとにかきせられたまふ。

ちかまゐたるしるしに、よろしうおぼさればうれしかるべきを、心苦こころぐるしきわざかな。いかにおぼさるるぞ」

 とて、のぞきたまふけしきなれば、

「いとおそろしげにはべるや。みだ心地ここちのいとかくかぎりなるをりしもわたらせたまへるは、まことにあさからずなむ。おもひはべることを、すこしもこえさせつれば、さりともと、たのもしくなむ」

 とこえさせたまふ。

「かかる御遺言ごゆいごんつらにおぼしけるも、いとどあはれになむ。故院こゐん御子みこたち、あまたものしたまへど、したしくむつびおもほすも、をさをさなきを、主上うへおな御子みこたちのうちにかずまへきこえたまひしかば、さこそはたのみきこえはべらめ。すこしおとなしきほどになりぬるよはひながら、あつかふひともなければ、さうざうしきを」

 などこえて、かへりたまひぬ。おほんとぶらひ、いますこしたちまさりて、しばしばこえたまふ。

七、八日ありて亡せたまひにけり

 なぬか八日やうかありてせたまひにけり。あへなうおぼさるるに、もいとはかなくて、もの心細こころぼそくおぼされて、内裏うちへもまゐりたまはず、とかくのおほんことなどおきてさせたまふ。またたのもしきひともことにおはせざりけり。ふる斎宮さいぐう宮司みやづかさなど、つかうまつりれたるぞ、わづかにことどもさだめける。おほんみづからもわたりたまへり。みや御消息おほんせうそここえたまふ。

なにごともおぼえはべらでなむ」

 と、女別当にょべたうしてこえたまへり。

こえさせ、のたまひきしこともはべしを、いまは、へだてなきさまにおぼされば、うれしくなむ」

 とこえたまひて、人々ひとびとでて、あるべきことどもおほせたまふ。いとたのもしげに、としごろの御心みこころばへ、かへしつべうゆ。いといかめしう、殿との人々ひとびとかずもなうつかうまつらせたまへり。あはれにうちながめつつ、御精進おほんさうじんにて、御簾みすろしこめておこなはせたまふ。みやには、つねとぶらひきこえたまふ。やうやう御心みこころしづまりたまひては、みづから御返おほんかへりなどこえたまふ。つつましうおぼしたれど、御乳母おほんめのとなど、

「かたじけなし」

 と、そそのかしきこゆるなりけり。

 ゆき、みぞれ、かきみだるる、いかに、みやのありさまかすかにながめたまふらむ、とおもひやりきこえたまひて、御使おほんつかひたてまつれたまへり。

「ただいまそらを、いかに御覧ごらんずらむ。

みだれひまなきそらひと天翔あまがけるらむ宿やどかなしき」

 そらいろかみの、くもらはしきにいたまへり。わかひと御目おほんめにとどまるばかりと、こころしてつくろひたまへる、いともあやなり。

 みやは、いとこえにくくしたまへど、これかれ、

ひとづてには、いと便びんなきこと」

 とめきこゆれば、鈍色にびいろかみの、いとばしうえんなるに、すみつきなどまぎらはして、

えがてにふるぞかなしきかきくらしわがそれともおもほえぬに」

 つつましげなるきざま、いとおほどかに、御手おほんてすぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなるすぢゆ。

下りたまひしほどより

 くだりたまひしほどより、なほあらずおぼしたりしを、いまこころにかけて、ともかくもこえりぬべきぞかし、とおぼすには、れいの、かへし、いとほしくこそ、御息所みやすんどころの、いとうしろめたげにこころおきたまひしを。ことわりなれど、なかひともさやうにおもりぬべきことなるを、たがこころきよくてあつかひきこえむ、うへいますこしものおぼしよはひにならせたまひなば、内裏うちみせさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ、とおぼしなる。

 いとまめやかにねむごろにこえたまひて、さるべき折々をりをりわたりなどしたまふ。

「かたじけなくとも、むかし御名残おほんなごりにおぼしなずらへて、気遠けどほからずもてなさせたまはばなむ、本意ほいなる心地ここちすべき」

 などこえたまへど、わりなくものぢをしたまふおくまりたるひとざまにて、ほのかにも御声おほんこゑなどかせたてまつらむは、いとになくめづらかなることとおぼしたれば、人々ひとびとこえわづらひて、かかる御心みこころざまをうれへきこえあへり。女別当にょべたううちさぶらひなどいふ人々ひとびと、あるは、はなれたてまつらぬわかむどほりなどにて、こころばせある人々ひとびとおほかるべし。この、ひとれずおもかたのまじらひをせさせたてまつらむに、ひとおとりたまふまじかめり、いかでさやかに、御容貌おほんかたちてしがな、とおぼすも、うちとくべき御親心おほんおやごころにはあらずやありけむ。わが御心みこころさだめがたければ、かくおもふといふことも、ひとにもらしたまはず。おほんわざなどのおほんことをもきてせさせたまへば、ありがたき御心みこころを、宮人みやびともよろこびあへり。

 はかなくぐる月日つきひへて、いとどさびしく、心細こころぼそきことのみまさるに、さぶらふ人々ひとびとも、やうやうあかれきなどして、しもかたきゃうこうわたりなれば、人気遠ひとげとほく、山寺やまでらさう声々こゑごゑへても、きがちにてぞ、ぐしたまふ。おなじき御親おほんおやこえしなかにも、片時かたときはなれたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて、斎宮さいぐうにもおやひてくだりたまふことは、れいなきことなるを、あながちにさそひきこえたまひし御心みこころに、かぎりあるみちにては、たぐひきこえたまはずなりにしを、なうおぼしなげきたり。

 さぶらふ人々ひとびとたふときもいやしきもあまたあり。されど大臣おとどの、

御乳母おほんめのとたちだに、こころにまかせたること、だしつかうまつるな」

 など、おやがりまうしたまへば、いとづかしきおほんありさまに、便びんなきことこししつけられじとおもひつつ、はかなきことのなさもさらにつくらず。

院にも、かの大極殿の

 ゐんにも、かのくだりたまひし大極殿だいごくでんのいつかしかりし儀式ぎしきに、ゆゆしきまでえたまひし御容貌おほんかたちを、わすれがたうおぼしおきければ、

まゐりたまひて、斎院さいゐんなど、おほんはらからのみやまきおはしますたぐひにて、さぶらひたまへ」

 と、御息所みやすんどころにもこえたまひき。されど、やむごとなき人々ひとびとさぶらひたまふに、数々かずかずなる御後見おほんうしろみもなくてや、とおぼしつつみ、うへは、いとあつしうおはしますもおそろしう、またものおもひやくはへたまはむと、はばかぐしたまひしを、いまはましてたれかはつかうまつらむと、人々ひとびとおもひたるを、ねむごろにゐんにはおぼしのたまはせけり。

 大臣おとどきたまひて、ゐんよりおほんけしきあらむを、たがへ、よこりたまはむを、かたじけなきこととおぼすに、ひとおほんありさまのいとらうたげに、見放みはなたむはまた口惜くちをしうて、入道にふだうみやにぞこえたまひける。

「かうかうのことをなむ、おもうたまへわづらふに、母御息所ははみやすんどころ、いと重々おもおもしく心深こころふかきさまにものしはべりしを、あぢきなきこころにまかせて、さるまじきをもながし、きものにおもかれはべりにしをなむ、にいとほしくおもひたまふる。このにて、そのうらみのこころとけずぎはべりにしを、いまはとなりてのきはに、この斎宮さいぐうおほんことをなむ、ものせられしかば、さもき、こころにものこすまじうこそは、さすがにおきたまひけめ、とおもひたまふるにも、しのびがたう。おほかたのにつけてだに、心苦こころぐるしきことは見聞みきぐされぬわざにはべるを、いかで、なきかげにても、かのうらわするばかり、とおもひたまふるを、内裏うちにも、さこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢おほんよはひにおはしますを、すこしもの心知こころしひとはさぶらはれてもよくやとおもひたまふるを、御定おほんさだめに」

 などこえたまへば、

「いとようおぼしりけるを、ゐんにも、おぼさむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言ごゆいごんをかこちて、らずかほまゐらせたてまつりたまへかし。いまはた、さやうのこと、わざともおぼしとどめず、御行おほんおこなひがちになりたまひて、かうこえたまふを、ふかうしもおぼしとがめじとおもひたまふる」

「さらば、おほんけしきありて、かずまへさせたまはば、もよほしばかりのを、ふるになしはべらむ。とざまかうざまに、おもひたまへのこすことなきに、かくまでさばかりのこころかまへも、まねびはべるに、世人よひとやいかにとこそ、はばかりはべれ」

 などこえたまひて、のちには、げにらぬやうにて、ここにわたしたてまつりてむとおぼす。女君をんなぎみにも、

「しかなむおもふ。かたらひきこえてぐいたまはむに、いとよきほどなるあはひならむ」

 と、こえらせたまへば、うれしきことにおぼして、御渡おほんわたりのことをいそぎたまふ。

入道の宮、兵部卿宮の姫君を

 入道にふだうみや兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやの、姫君ひめぎみをいつしかとかしづきさわぎたまふめるを、大臣おとどひまあるなかにて、いかがもてなしたまはむと、心苦こころぐるしくおぼす。権中納言ごんちうなごん御女おほんむすめは、弘徽殿こきでん女御にょうごこゆ。大殿おとど御子みこにて、いとよそほしうもてかしづきたまふ。主上うへもよき御遊おほんあそびがたきにおぼいたり。

みやなかきみおなじほどにおはすれば、うたて雛遊ひひなあそびの心地ここちすべきを、おとなしき御後見おほんうしろみは、いとうれしかべいこと」

 とおぼしのたまひて、さるおほんけしきこえたまひつつ、大臣おとどのよろづにおぼしいたらぬことなく、おほやけかた御後見おほんうしろみはさらにもいはず、れにつけて、こまかなる御心みこころばへの、いとあはれにえたまふを、たのもしきものにおもひきこえたまひて、いとあつしくのみおはしませば、まゐりなどしたまひても、こころやすくさぶらひたまふこともかたきを、すこしおとなびてひさぶらはむ御後見おほんうしろみは、かならずあるべきことなりけり。

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