『平家物語』原文・現代語訳を全文公開! 品詞分解も順次追加中! 『平家物語』を読む

平家物語「那須与一」の原文と現代語訳をわかりやすく解説

  • URLをコピーしました!

『平家物語』の第11巻に収録されている「那須与一」は、元暦2年(1185年)2月の屋島の戦いで、下野国の若武者・那須与一が、平家の小舟に掲げられた扇の的を射落とす場面です。

夕日に輝く紅の扇が波間に漂い、沖の平家は船端をたたき、陸の源氏は箙をたたいてどよめく。敵も味方も1本の矢に息をのむ名場面として、中学校の国語教科書でも長く親しまれてきました。

この記事では、「那須与一」の原文を全文ルビ付きで掲載し、短い区切りごとに現代語訳と語釈を並べて解説します。そのあとに、原文と現代語訳を全文通しで読めるようにまとめました。

あわせて、屋島の戦いの背景や登場人物、読みどころ、よくある質問も紹介します。

「那須与一」のあらすじ
  • 屋島の戦いの夕暮れ、平家の小舟が扇を掲げ、陸の源氏を手招きして挑発する。
  • 義経に扇を射るよう命じられた下野(しもつけ)国(のくに)の若武者・那須与一は、一度は辞退するが、覚悟を決めて海へ馬を乗り入れる。
  • 神仏に祈って放った鏑(かぶら)矢(や)は扇の要(かなめ)際(ぎわ)を射切り、紅の扇は夕日の海に散る。敵も味方も、その腕前をたたえた。
目次

「那須与一」の背景と登場人物

屋島の戦いとは

屋島の戦いは、元暦2年(1185年)2月、讃(さぬ)岐(き)国(のくに)の屋(や)島(しま)(現在の香川県高松市)で起きた源平の合戦です。

前年の一の谷の戦いで敗れた平家は、屋島に拠点を構えていました。源義経はわずかな手勢で嵐の海を渡って阿(あ)波(わの)国(くに)に上陸し、陸路から屋島を急襲します。不意を突かれた平家は海上の船へ逃れ、陸の源氏と沖の平家が向き合う形になりました。

「那須与一」は、この合戦の日が暮れようとする場面です。冒頭で阿波・讃岐の武士が次々と源氏に加わるのは、義経の上陸作戦の流れを受けています。屋島を追われた平家は長(なが)門(との)国(くに)の壇(だん)ノ浦(うら)へ退き、翌月の元暦2年(1185年)3月24日、この地での戦いに敗れて滅亡しました。

主な登場人物

  • 那須与一宗高(むねたか):下野国那須(なす)(現在の栃木県北東部)の若武者。弓の名手で、このとき20歳ほど。
  • 判官(ほうがん)(源義経):源氏の大将。与一に扇を射るよう命じる。
  • 後(ご)藤(とう)兵衛(びょうえ)実基(さねもと):義経に従う老練の武士。扇の意図を読み、与一を推挙する。
  • 扇を掲げた女(にょう)房(ぼう):平家の小舟に乗る18、9歳ほどの女性。扇を立てて源氏を手招きする。

「那須与一」原文・現代語訳・語釈(1)

さるほどに、阿波、讃岐に平家を背いて

原文

さるほどに、阿波(あは)、讃(さぬ)岐(き)に平(へい)家(け)を背(そむ)いて、源(げん)氏(じ)を待(ま)ちける者(もの)ども、あそこの嶺(みね)、ここの洞(ほら)より、十(じふ)四(し)、五(ご)騎(き)、二(に)十(じふ)騎(き)、うちつれうちつれ参(まゐ)りければ、判(はう)官(ぐわん)ほどなく三(さん)百(びやく)余(よ)騎(き)にぞなりにける。

現代語訳

そうこうしているうちに、阿波(あわ)・讃(さぬ)岐(き)で平家に背いて源氏を待っていた者たちが、あちらの峰、こちらの洞穴(ほらあな)から、14、5騎、20騎と連れ立っては次々と参上してきたので、判官(ほうがん)(源(みなもとの)義経(よしつね))の軍勢はほどなく300余騎になった。

語釈
  • さるほどに:そうこうしているうちに。場面を転換するときの言葉。
  • 阿波(あわ)・讃(さぬ)岐(き):現在の徳島県と香川県にあたる国。
  • 洞(ほら):山あいのくぼんだ所。谷間。
  • うちつれうちつれ:連れ立っては次々と。
  • 判官(ほうがん):検非違使の尉(第三等官)を指す呼び名。ここでは検非違使に任じられていた源義経のこと。

今日は日暮れぬ、勝負を決すべからず

原文

「今日(けふ)は日(ひ)暮(く)れぬ、勝負(しようぶ)を決(けつ)すべからず」とて、引(ひ)き退(しりぞ)くところに、沖(おき)の方(かた)より尋(じん)常(じやう)に飾(かざ)りたる小(こ)船(ぶね)一艘(いつさう)、汀(みぎは)へ向(むか)ひて漕(こ)ぎよせけり。磯(いそ)へ七(しち)、八(はち)段(たん)ばかりになりしかば、船(ふね)を横様(よこさま)になす。

現代語訳

「今日は日が暮れてしまった。勝負を決することはできまい」と言って源氏の軍勢が引き揚げようとしたところに、沖のほうから美しく飾り立てた小舟が1艘(そう)、波打ち際へ向かって漕ぎ寄せてきた。岸から7、8段(約80メートル)ほどのところまで来ると、舟を横向きにした。

語釈
  • 尋(じん)常(じょう)に:見苦しくなく、きちんと美しく。
  • 汀(みぎわ):波打ち際。
  • 段(たん):距離の単位。1段は6間で、約11メートル。
  • 横様(よこさま)に:横向きに。

あれはいかにと見るほどに

原文

あれはいかにと見(み)るほどに、船(ふね)の中(なか)より、年(とし)の齢(よはひ)十八(じふはち)、九(く)ばかりなる女(によう)房(ばう)の、まことに優(いう)に美(うつく)しきが、柳(やなぎ)の五(いつつ)衣(ぎぬ)に紅(くれなゐ)の袴(はかま)着(き)て、皆紅(みなくれなゐ)の扇(あふぎ)の日(ひ)出(いだ)したるを、船(ふね)のせがひに挟(はさ)み立(た)て、陸(くが)へ向(むか)ってぞ招(まね)いたる。

現代語訳

あれは何だろうと見ていると、舟の中から、年のころ18、9歳ほどの、まことに優雅で美しい女(にょう)房(ぼう)が、柳襲(やなぎがさね)の五(いつつ)衣(ぎぬ)に紅の袴(はかま)を着て、一面紅色の地に金の日の丸を描いた扇を、舟の舷側(げんそく)に張り出した板に挟んで立て、陸に向かって手招きをした。

語釈
  • 女(にょう)房(ぼう):宮中や貴人の家に仕える女性。
  • 優(ゆう)に:上品で美しく。優雅に。
  • 柳(やなぎ)の五(いつつ)衣(ぎぬ):柳襲(表が白、裏が青)の袿を5枚重ねた装束。
  • 皆紅(みなくれない)の扇(おうぎ)の日(ひ)出(いだ)したる:一面紅色の地に、金色の日輪を描き出した扇。
  • せがひ:船の両側に張り出した棚状の板。
  • 陸(くが):陸地。

判官、後藤兵衛実基を召して

原文

判(はう)官(ぐわん)、後(ご)藤(とう)兵衛(びやうゑ)実基(さねもと)を召(め)して、「あれはいかに」とのたまへば、「射(い)よとにこそ候(さうらふ)めれ。ただし大(たい)将(しやう)軍(ぐん)の矢(や)面(おもて)に進(すす)んで、傾城(けいせい)を御(ご)覧(らん)ぜば、手(て)だれにねらうて射(い)落(お)とせとの計(はかり)ごとと覚(おぼ)え候(さうらふ)。さも候(さうら)へ、扇(あふぎ)をば射(い)させらるべうや候(さうらふ)らん」と申(まう)す。

現代語訳

判官は後(ご)藤(とう)兵衛(びょうえ)実基(さねもと)を呼び寄せて、「あれはどういうことだ」とおっしゃると、「射よということでございましょう。ただし、大将軍が矢面(やおもて)に進み出て、あの美女をご覧になったところを、腕利きの射手にねらわせて射落とせという計略かと思われます。それはそうとして、扇は射させなさるのがよろしいのではございませんか」と実基が申し上げる。

語釈
  • 後(ご)藤(とう)兵衛(びょうえ)実基(さねもと):義経に従った老練の武士。「兵衛」は官職に由来する呼び名。
  • 大(たい)将(しょう)軍(ぐん):総大将。ここでは義経。
  • 矢面(やおもて):敵の矢が飛んでくる正面。
  • 傾城(けいせい):君主が夢中になって城(国)を傾けるほどの美女。ここでは船の女房。
  • 手(て)だれ:腕利き。ここでは弓の名手。
  • さも候(そうら)へ:それはそうとして。それはともかく。

「那須与一」原文・現代語訳・語釈(2)

射つべき仁は御方に誰かある

原文

「射(い)つべき仁(じん)は御(み)方(かた)に誰(たれ)かある」とのたまへば、「上手(じやうず)どもいくらも候(さうらふ)中(なか)に、下野(しもつけ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、那須太郎(なすのたらう)資高(すけたか)が子(こ)に与(よ)一(いち)宗高(むねたか)こそ、小兵(こひやう)で候(さうら)へども、手(て)ききて候(さうら)へ」

現代語訳

「射ることのできそうな者は、味方に誰かいるか」と判官がおっしゃると、「上手な者はいくらもおりますが、その中でも、下野(しもつけ)の国(くに)(現在の栃木県)の住人、那須太郎(なすのたろう)資高(すけたか)の子の与(よ)一(いち)宗高(むねたか)こそ、小柄ではございますが、腕は確かでございます」

語釈
  • 仁(じん):人。人物。
  • 御(み)方(かた):味方。
  • 那須太郎(なすのたろう)資高(すけたか):下野国の武士で、与一の父。
  • 小兵(こひょう):体が小さく、弓を引く力の弱い者。
  • 手(て)ききて:腕前がすぐれていて。

証拠はいかに

原文

「証拠(しようこ)はいかに」とのたまへば、「かけ鳥(とり)などを争(あらそ)うて、三(さん)に二(に)は必(かなら)ず射(い)落(お)とす者(もの)で候(さうらふ)」「さらば召(め)せ」とて召(め)されたり。

現代語訳

「証拠はあるのか」と判官がおっしゃると、「飛ぶ鳥を射る競い合いなどで、3羽のうち2羽は必ず射落とす者でございます」「それならば呼べ」とおっしゃって、与一をお呼びになった。

語釈
  • かけ鳥(とり):飛んでいる鳥を射ること。
  • 召(め)す:呼び寄せる。

与一、そのころは二十ばかりの男士なり

原文

与(よ)一(いち)、そのころは二(に)十(じふ)ばかりの男士(をのこ)なり。かちに赤(あか)地(ぢ)の錦(にしき)をもって、おほくび、はた袖(そで)色(いろ)へたる直垂(ひたたれ)に、萌黄威(もえぎをどし)の鎧(よろひ)着(き)て、足(あし)白(しろ)の太刀(たち)を帯(は)き、

現代語訳

与一は、そのころ20歳ほどの若者である。濃い紺の地に、赤地の錦(にしき)で襟と袖先を彩った直垂(ひたたれ)に、萌(もえ)黄(ぎ)色の糸でつづった鎧(よろい)を着て、銀の金具で飾った太刀(たち)を腰に帯び、

語釈
  • 男士(おのこ):若い男。若者。
  • かち:褐。濃い紺色。
  • おほくび・はた袖(そで):衣の襟の部分(大領)と、袖の先に継ぎ足した部分(端袖)。
  • 色(いろ)へたる:色どった。彩った。
  • 直垂(ひたたれ):武士の衣服。鎧の下にも着た。
  • 萌黄威(もえぎおどし)の鎧(よろい):萌黄色の糸で札をつづり合わせた鎧。
  • 足(あし)白(じろ)の太刀(たち):鞘の足金物を銀で作った太刀。

切斑の矢の、その日の軍に射て

原文

切(きり)斑(ふ)の矢(や)の、その日(ひ)の軍(いくさ)に射(い)て少々(せうせう)残(のこ)ったりけるを、首高(くびたか)に負(お)ひなし、薄(うす)切(きり)斑(ふ)に鷹(たか)の羽(は)作(つく)り交(ま)ぜたるぬた目(め)の鏑(かぶら)をぞ差(さ)し添(そ)へたる。滋籐(しげどう)の弓(ゆみ)脇(わき)に挟(はさ)み、甲(かぶと)をば脱(ぬ)ぎ、高紐(たかひも)に懸(か)け、判(はう)官(ぐわん)の前(まへ)に畏(かしこ)まる。

現代語訳

白と黒のまだら模様の羽の矢で、その日の戦いで射て少しばかり残っていたのを、頭より高く突き出るように背負い、黒い部分の少ないまだら模様の羽に鷹(たか)の羽を交ぜて作った、ぬた目のかぶら矢を差し添えていた。籐(とう)を密に巻いた弓を脇に挟み、兜(かぶと)は脱いで鎧の高紐(たかひも)にかけ、判官の前にかしこまった。

語釈
  • 切(きり)斑(ふ)の矢(や):白と黒のまだら模様の鷲の羽をつけた矢。
  • 首高(くびたか)に負(お)ひなし:矢が頭より高く突き出るように背負って。
  • 薄(うす)切(きり)斑(ふ):黒い部分の少ない切斑。
  • ぬた目(め)の鏑(かぶら):鹿の角で作り、ぬた目の文様を残して削り上げたかぶら矢。かぶら矢は、射ると音を立てる鏑をつけた矢。
  • 滋籐(しげどう)の弓(ゆみ):籐を密に巻いた弓。
  • 高紐(たかひも):鎧の胴を肩でつなぐ紐。

「那須与一」原文・現代語訳・語釈(3)

いかに宗高、あの扇の真中射て

原文

「いかに宗高(むねたか)、あの扇(あふぎ)の真中(まんなか)射(い)て、平(へい)家(け)に見物(けんぶつ)せさせよかし」与(よ)一(いち)畏(かしこ)まって申(まう)しけるは、「射(い)おほせ候(さうら)はんこと不定(ふぢやう)に候(さうらふ)。射(い)損(そん)じ候(さうらひ)なば、ながき御(み)方(かた)の御瑕(おんきず)にて候(さうらふ)べし。一(いち)定(ぢやう)仕(つかまつ)らんずる仁(じん)におほせ付(つ)けらるべうや候(さうらふ)らん」と申(まう)す。

現代語訳

「どうだ宗高(むねたか)、あの扇の真ん中を射て、平家に見物させてやれ」与一がかしこまって申し上げることには、「射とおせるかどうかはわかりません。射損じましたならば、末長く味方の恥となりましょう。確実にやり遂げられる人にお命じになるのがよろしいのではございませんか」と申し上げる。

語釈
  • 射(い)おほせ:射とおし。うまく射当て。
  • 不定(ふじょう):確かでないこと。
  • 御瑕(おんきず):不名誉。恥。
  • 一(いち)定(じょう):確かに。必ず。

判官大いに怒って

原文

判(はう)官(ぐわん)大(おほ)いに怒(いか)って、「鎌倉(かまくら)を立(た)って、西国(さいこく)へ赴(おもむ)かん殿原(とのばら)は、義経(よしつね)が命(めい)を背(そむ)くべからず。少(すこ)しも子(し)細(さい)を存(ぞん)ぜん人(ひと)は、とうとうこれより帰(かへ)るべし」とぞのたまひける。

現代語訳

判官はたいそう怒って、「鎌倉を出発して西国(さいごく)へ向かおうとする者たちは、義経の命令に背いてはならない。少しでも異議を抱く者は、さっさとここから帰るがよい」とおっしゃった。

語釈
  • 殿原(とのばら):武士たちを敬って呼ぶ語。方々。
  • 子(し)細(さい)を存(ぞん)ぜん:異議を抱くような。
  • とうとう:早く。さっさと。

与一、重ねて辞せば悪かりなんとや

原文

与(よ)一(いち)、重(かさ)ねて辞(じ)せば悪(あし)かりなんとや思(おも)ひけん、「はづれんは知(し)り候(さうら)はず、御諚(ごぢやう)で候(さうら)へば仕(つかまつ)ってこそ見(み)候(さうら)はめ」とて、御(ご)前(ぜん)を罷(まか)り立(た)ち、黒(くろ)き馬(むま)の太(ふと)う逞(たくま)しいに、小(こ)房(ぶさ)の鞦(しりがい)かけ、まろぼや摺(す)りたる鞍(くら)置(お)きてぞ乗(の)ったりける。

現代語訳

与一は、重ねて辞退してはまずいことになるだろうと思ったのだろうか、「外れるかどうかはわかりませんが、ご命令でございますから、やってみましょう」と言って、御(ご)前(ぜん)から退き、黒い馬で太くたくましいのに、小さな房のついた鞦(しりがい)をかけ、やどり木を丸く図案化した文様を摺り染めにした鞍(くら)を置いて乗った。

語釈
  • 御諚(ごじょう):ご命令。
  • 罷(まか)り立(た)ち:御前から退出し。
  • 小(こ)房(ぶさ)の鞦(しりがい):小さな房をつけた鞦。鞦は、馬の尾の下から鞍につなぐ組紐。
  • まろぼや摺(す)りたる鞍(くら):まろぼやの文様を摺り染めにした鞍。「ほや」はやどり木で、まろぼやはそれを丸く図案化した文様。

弓取り直し、手綱かいくり

原文

弓(ゆみ)取(と)り直(なほ)し、手(た)綱(づな)かいくり、汀(みぎは)へ向(むか)いて歩(あゆ)ませければ、御(み)方(かた)の兵(つはもの)ども、後(うしろ)を遥(はる)かに見(み)送(おく)りて、「この若者(わかもの)一(いち)定(ぢやう)仕(つかまつ)り候(さうらひ)ぬと覚(おぼ)え候(さうらふ)」と申(まう)しければ、判(はう)官(ぐわん)も頼(たの)もしげにぞ見(み)たまひける。

現代語訳

弓を持ち直し、手(た)綱(づな)をたぐって、波打ち際へ向かって馬を歩ませると、味方の兵たちは与一の後ろ姿をはるかに見送って、「この若者はきっとやり遂げるに違いないと思われます」と申し上げたので、判官も頼もしそうにご覧になった。

語釈
  • 手(た)綱(づな)かいくり:手綱をたぐり寄せて。
  • 兵(つわもの):武士。

「那須与一」原文・現代語訳・語釈(4)

矢比少し遠かりければ

原文

矢(や)比(ころ)少(すこ)し遠(とほ)かりければ、海(うみ)へ一段(いつたん)ばかり打(う)ち入(い)れたれども、なほ扇(あふぎ)のあはひ、七(しち)段(たん)ばかりはあるらんとこそ見(み)えたりけれ。

現代語訳

矢を射るには距離が少し遠かったので、海へ1段(たん)(約11メートル)ほど馬を乗り入れたが、それでもなお扇までの距離は7段(約76メートル)ほどはあるだろうと見えた。

語釈
  • 矢(や)比(ごろ):矢を射るのにちょうどよい距離。
  • 打(う)ち入(い)れ:馬を海に乗り入れ。
  • あはひ:間。距離。

ころは二月十八日の酉の刻ばかり

原文

ころは二(に)月(ぐわつ)十八日(じふはちにち)の酉(とり)の刻(こく)ばかりのことなるに、折節(をりふし)北(きた)風(かぜ)烈(はげ)しくて、磯(いそ)打(う)つ浪(なみ)も高(たか)かりけり。船(ふね)はゆりあげゆりすゑただよへば、扇(あふぎ)も串(くし)に定(さだ)まらずひらめいたり。沖(おき)には平(へい)家(け)、船(ふね)を一面(いちめん)に並(なら)べて見物(けんぶつ)す。陸(くが)には源(げん)氏(じ)、轡(くつわ)を並(なら)べてこれを見(み)る。いづれもいづれも晴(は)れならずといふことぞなき。

現代語訳

時は2月18日の酉(とり)の刻(こく)(午後6時ごろ)のことであったが、ちょうどそのとき北風が激しく吹いて、磯に打ち寄せる波も高かった。舟は揺り上げられ揺り下ろされて漂うので、扇も竿(さお)の先に定まらず、ひらひらと揺れている。沖では平家が舟を一面に並べて見物している。陸では源氏が馬の轡(くつわ)を並べてこれを見ている。どちらを見ても、晴れがましくない光景はなかった。

語釈
  • 酉(とり)の刻(こく):午後6時ごろ(午後5時から7時ごろ)。
  • 折節(おりふし):ちょうどそのとき。
  • ゆりあげゆりすゑ:揺り上げては揺り下ろし。
  • 串(くし):扇を挟んで立てた竿。
  • 轡(くつわ)を並(なら)べて:馬を並べて。轡は、馬の口にかませる金具。
  • 晴(は)れ:晴れがましいこと。表立った誇らしい場面。

与一、目を塞いで

原文

与(よ)一(いち)、目(め)を塞(ふさ)いで、「南無(なむ)八(はち)幡(まん)大(だい)菩(ぼ)薩(さつ)、別(べつ)してはわが国(くに)の神明(しんめい)、日(につ)光(くわう)権(ごん)現(げん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)の湯(ゆ)泉(ぜん)大(だい)明(みやう)神(じん)、願(ねが)はくは、あの扇(あふぎ)の真中(まんなか)射(い)させてたばせたまへ。

現代語訳

与一は目を閉じて、「南無(なむ)八(はち)幡(まん)大(だい)菩(ぼ)薩(さつ)、とりわけ私の故郷の神々である日光権現(にっこうごんげん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)の湯(ゆ)泉(ぜん)大(だい)明(みょう)神(じん)よ、どうかあの扇の真ん中を射させてくださいませ。

語釈
  • 南無(なむ):仏や神に帰依することを表す語。
  • 八(はち)幡(まん)大(だい)菩(ぼ)薩(さつ):源氏の守護神で、弓矢の神として信仰された。
  • 別(べつ)しては:とりわけ。
  • 神明(しんめい):神。
  • 日光権現(にっこうごんげん)・宇都宮(うつのみや)・那須(なす)の湯(ゆ)泉(ぜん)大(だい)明(みょう)神(じん):いずれも与一の故郷である下野国の神。
  • たばせたまへ:お与えください。

これを射損ずるものならば

原文

これを射(い)損(そん)ずるものならば、弓(ゆみ)切(き)り折(を)り自(じ)害(がい)して、人(ひと)に二度(にど)面(おもて)を向(むか)ふべからず。今(いま)一(いち)度(ど)本国(ほんごく)へむかへんとおぼしめさば、この矢(や)はづさせたまふな」と、心(こころ)の中(うち)に祈(き)念(ねん)して、目(め)を見(み)開(ひら)いたれば、風(かぜ)も少(すこ)し吹(ふ)き弱(よわ)り、扇(あふぎ)も射(い)よげにぞなったりける。

現代語訳

これを射損じたならば、弓を切り折って自害し、二度と人に顔を合わせるつもりはありません。もう一度故郷へ迎えてやろうとお思いになるならば、この矢を外させないでください」と心の中で祈って、目を見開くと、風も少し吹き弱まり、扇も射やすそうになっていた。

語釈
  • 面(おもて)を向(むか)ふ:顔を合わせる。
  • 本国(ほんごく):故郷。ここでは下野国。
  • 射(い)よげに:射やすそうに。

「那須与一」原文・現代語訳・語釈(5)

与一、鏑を取って番ひ

原文

与(よ)一(いち)、鏑(かぶら)を取(と)って番(つが)ひ、よっ引(ぴ)いてひやうと放(はな)つ。小兵(こひやう)といふぢやう、十(じふ)二(に)束(そく)三(みつ)伏(ぶせ)、弓(ゆみ)は強(つよ)し、浦(うら)響(ひび)くほど長(なが)鳴(な)りして、あやまたず扇(あふぎ)の要(かなめ)際(ぎは)一寸(いつすん)ばかり置(お)いて、ひふつとぞ射(い)切(き)ったる。

現代語訳

与一はかぶら矢を取ってつがえ、十分に引き絞って、ひょうと放った。小兵にふさわしく、矢は12束(そく)3伏(ぶせ)(こぶし12個分と指3本分の長さ)、弓は強く、かぶら矢は浦一帯に響きわたるほど長く鳴って、狂いなく、扇の要(かなめ)から1寸(約3センチ)ほど離れたところを、ひいふっと射切った。

語釈
  • よっ引(ぴ)いて:弓を十分に引き絞って。
  • ひやうと:矢を放つ音。
  • 小兵(こひょう)といふぢやう:「ぢやう」は「定」。小兵にふさわしく。
  • 十(じゅう)二(に)束(そく)三(みつ)伏(ぶせ):矢の長さ。束はこぶし1つ分、伏は指1本分の幅。
  • 要(かなめ)際(ぎわ):扇の骨を1つにとめる要の近く。
  • ひふつと:矢が扇を射切る音。

鏑は海へ入りければ

原文

鏑(かぶら)は海(うみ)へ入(い)りければ、扇(あふぎ)は空(そら)へぞ挙(あ)がりける。しばらくは虚(こ)空(くう)にひらめきけるが、春風(はるかぜ)に一(ひと)もみ二(ふた)もみもまれて、海(うみ)へさとぞ散(ち)りたりける。

現代語訳

かぶら矢は海へ落ちたが、扇は空へと舞い上がった。しばらくは空中にひらめいていたが、春風に1度2度ともまれて、海へさっと散り落ちた。

語釈
  • 虚(こ)空(くう):空中。
  • 一(ひと)もみ二(ふた)もみ:ひともみふたもみと。風に繰り返しもまれるさま。
  • さと:さっと。

夕日の輝いたるに

原文

夕(ゆふ)日(ひ)の輝(かがや)いたるに、皆紅(みなくれなゐ)の扇(あふぎ)の日(ひ)出(いだ)したるが、白波(しらなみ)の上(うへ)に漂(ただよ)ひ、浮(う)きぬ沈(しづ)みぬゆられければ、沖(おき)には平(へい)家(け)、ふなばたを叩(たた)いて感(かん)じたり。陸(くが)には源(げん)氏(じ)、箙(えびら)を叩(たた)いてどよめきけり。

現代語訳

夕日が輝く中に、一面紅色の地に日の丸を描いた扇が、白波の上に漂い、浮いたり沈んだりして揺られていたので、沖では平家が船端(ふなばた)をたたいて感嘆した。陸では源氏が箙(えびら)をたたいてどよめいた。

語釈
  • 浮(う)きぬ沈(しず)みぬ:浮いたり沈んだり。
  • ふなばた:船の側面の上のふち。
  • 箙(えびら):矢を入れて背負う武具。
  • 感(かん)じたり:感嘆した。
  • どよめきけり:大きな声をあげて騒いだ。

「那須与一」原文全文

 さるほどに、阿波(あは)、讃(さぬ)岐(き)に平(へい)家(け)を背(そむ)いて、源(げん)氏(じ)を待(ま)ちける者(もの)ども、あそこの嶺(みね)、ここの洞(ほら)より、十(じふ)四(し)、五(ご)騎(き)、二(に)十(じふ)騎(き)、うちつれうちつれ参(まゐ)りければ、判(はう)官(ぐわん)ほどなく三(さん)百(びやく)余(よ)騎(き)にぞなりにける。

「今日(けふ)は日(ひ)暮(く)れぬ、勝負(しようぶ)を決(けつ)すべからず」

 とて、引(ひ)き退(しりぞ)くところに、沖(おき)の方(かた)より尋(じん)常(じやう)に飾(かざ)りたる小(こ)船(ぶね)一艘(いつさう)、汀(みぎは)へ向(むか)ひて漕(こ)ぎよせけり。磯(いそ)へ七(しち)、八(はち)段(たん)ばかりになりしかば、船(ふね)を横様(よこさま)になす。あれはいかにと見(み)るほどに、船(ふね)の中(なか)より、年(とし)の齢(よはひ)十八(じふはち)、九(く)ばかりなる女(によう)房(ばう)の、まことに優(いう)に美(うつく)しきが、柳(やなぎ)の五(いつつ)衣(ぎぬ)に紅(くれなゐ)の袴(はかま)着(き)て、皆紅(みなくれなゐ)の扇(あふぎ)の日(ひ)出(いだ)したるを、船(ふね)のせがひに挟(はさ)み立(た)て、陸(くが)へ向(むか)ってぞ招(まね)いたる。

 判(はう)官(ぐわん)、後(ご)藤(とう)兵衛(びやうゑ)実基(さねもと)を召(め)して、

「あれはいかに」とのたまへば、

「射(い)よとにこそ候(さうらふ)めれ。ただし大(たい)将(しやう)軍(ぐん)の矢(や)面(おもて)に進(すす)んで、傾城(けいせい)を御(ご)覧(らん)ぜば、手(て)だれにねらうて射(い)落(お)とせとの計(はかり)ごとと覚(おぼ)え候(さうらふ)。さも候(さうら)へ、扇(あふぎ)をば射(い)させらるべうや候(さうらふ)らん」と申(まう)す。

「射(い)つべき仁(じん)は御(み)方(かた)に誰(たれ)かある」とのたまへば、

「上手(じやうず)どもいくらも候(さうらふ)中(なか)に、下野(しもつけ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、那須太郎(なすのたらう)資高(すけたか)が子(こ)に与(よ)一(いち)宗高(むねたか)こそ、小兵(こひやう)で候(さうら)へども、手(て)ききて候(さうら)へ」

「証拠(しようこ)はいかに」とのたまへば、

「かけ鳥(とり)などを争(あらそ)うて、三(さん)に二(に)は必(かなら)ず射(い)落(お)とす者(もの)で候(さうらふ)」

「さらば召(め)せ」とて召(め)されたり。

 与(よ)一(いち)、そのころは二(に)十(じふ)ばかりの男士(をのこ)なり。かちに赤(あか)地(ぢ)の錦(にしき)をもって、おほくび、はた袖(そで)色(いろ)へたる直垂(ひたたれ)に、萌黄威(もえぎをどし)の鎧(よろひ)着(き)て、足(あし)白(しろ)の太刀(たち)を帯(は)き、切(きり)斑(ふ)の矢(や)の、その日(ひ)の軍(いくさ)に射(い)て少々(せうせう)残(のこ)ったりけるを、首高(くびたか)に負(お)ひなし、薄(うす)切(きり)斑(ふ)に鷹(たか)の羽(は)作(つく)り交(ま)ぜたるぬた目(め)の鏑(かぶら)をぞ差(さ)し添(そ)へたる。滋籐(しげどう)の弓(ゆみ)脇(わき)に挟(はさ)み、甲(かぶと)をば脱(ぬ)ぎ、高紐(たかひも)に懸(か)け、判(はう)官(ぐわん)の前(まへ)に畏(かしこ)まる。

「いかに宗高(むねたか)、あの扇(あふぎ)の真中(まんなか)射(い)て、平(へい)家(け)に見物(けんぶつ)せさせよかし」

 与(よ)一(いち)畏(かしこ)まって申(まう)しけるは、

「射(い)おほせ候(さうら)はんこと不定(ふぢやう)に候(さうらふ)。射(い)損(そん)じ候(さうらひ)なば、ながき御(み)方(かた)の御瑕(おんきず)にて候(さうらふ)べし。一(いち)定(ぢやう)仕(つかまつ)らんずる仁(じん)におほせ付(つ)けらるべうや候(さうらふ)らん」と申(まう)す。

 判(はう)官(ぐわん)大(おほ)いに怒(いか)って、

「鎌倉(かまくら)を立(た)って、西国(さいこく)へ赴(おもむ)かん殿原(とのばら)は、義経(よしつね)が命(めい)を背(そむ)くべからず。少(すこ)しも子(し)細(さい)を存(ぞん)ぜん人(ひと)は、とうとうこれより帰(かへ)るべし」とぞのたまひける。

 与(よ)一(いち)、重(かさ)ねて辞(じ)せば悪(あし)かりなんとや思(おも)ひけん、

「はづれんは知(し)り候(さうら)はず、御諚(ごぢやう)で候(さうら)へば仕(つかまつ)ってこそ見(み)候(さうら)はめ」

 とて、御(ご)前(ぜん)を罷(まか)り立(た)ち、黒(くろ)き馬(むま)の太(ふと)う逞(たくま)しいに、小(こ)房(ぶさ)の鞦(しりがい)かけ、まろぼや摺(す)りたる鞍(くら)置(お)きてぞ乗(の)ったりける。弓(ゆみ)取(と)り直(なほ)し、手(た)綱(づな)かいくり、汀(みぎは)へ向(むか)いて歩(あゆ)ませければ、御(み)方(かた)の兵(つはもの)ども、後(うしろ)を遥(はる)かに見(み)送(おく)りて、

「この若者(わかもの)一(いち)定(ぢやう)仕(つかまつ)り候(さうらひ)ぬと覚(おぼ)え候(さうらふ)」

 と申(まう)しければ、判(はう)官(ぐわん)も頼(たの)もしげにぞ見(み)たまひける。

 矢(や)比(ころ)少(すこ)し遠(とほ)かりければ、海(うみ)へ一段(いつたん)ばかり打(う)ち入(い)れたれども、なほ扇(あふぎ)のあはひ、七(しち)段(たん)ばかりはあるらんとこそ見(み)えたりけれ。ころは二(に)月(ぐわつ)十八日(じふはちにち)の酉(とり)の刻(こく)ばかりのことなるに、折節(をりふし)北(きた)風(かぜ)烈(はげ)しくて、磯(いそ)打(う)つ浪(なみ)も高(たか)かりけり。船(ふね)はゆりあげゆりすゑただよへば、扇(あふぎ)も串(くし)に定(さだ)まらずひらめいたり。

 沖(おき)には平(へい)家(け)、船(ふね)を一面(いちめん)に並(なら)べて見物(けんぶつ)す。陸(くが)には源(げん)氏(じ)、轡(くつわ)を並(なら)べてこれを見(み)る。いづれもいづれも晴(は)れならずといふことぞなき。

 与(よ)一(いち)、目(め)を塞(ふさ)いで、

「南無(なむ)八(はち)幡(まん)大(だい)菩(ぼ)薩(さつ)、別(べつ)してはわが国(くに)の神明(しんめい)、日(につ)光(くわう)権(ごん)現(げん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)の湯(ゆ)泉(ぜん)大(だい)明(みやう)神(じん)、願(ねが)はくは、あの扇(あふぎ)の真中(まんなか)射(い)させてたばせたまへ。これを射(い)損(そん)ずるものならば、弓(ゆみ)切(き)り折(を)り自(じ)害(がい)して、人(ひと)に二度(にど)面(おもて)を向(むか)ふべからず。今(いま)一(いち)度(ど)本国(ほんごく)へむかへんとおぼしめさば、この矢(や)はづさせたまふな」

 と、心(こころ)の中(うち)に祈(き)念(ねん)して、目(め)を見(み)開(ひら)いたれば、風(かぜ)も少(すこ)し吹(ふ)き弱(よわ)り、扇(あふぎ)も射(い)よげにぞなったりける。

 与(よ)一(いち)、鏑(かぶら)を取(と)って番(つが)ひ、よっ引(ぴ)いてひやうと放(はな)つ。小兵(こひやう)といふぢやう、十(じふ)二(に)束(そく)三(みつ)伏(ぶせ)、弓(ゆみ)は強(つよ)し、浦(うら)響(ひび)くほど長(なが)鳴(な)りして、あやまたず扇(あふぎ)の要(かなめ)際(ぎは)一寸(いつすん)ばかり置(お)いて、ひふつとぞ射(い)切(き)ったる。

 鏑(かぶら)は海(うみ)へ入(い)りければ、扇(あふぎ)は空(そら)へぞ挙(あ)がりける。しばらくは虚(こ)空(くう)にひらめきけるが、春風(はるかぜ)に一(ひと)もみ二(ふた)もみもまれて、海(うみ)へさとぞ散(ち)りたりける。夕(ゆふ)日(ひ)の輝(かがや)いたるに、皆紅(みなくれなゐ)の扇(あふぎ)の日(ひ)出(いだ)したるが、白波(しらなみ)の上(うへ)に漂(ただよ)ひ、浮(う)きぬ沈(しづ)みぬゆられければ、沖(おき)には平(へい)家(け)、ふなばたを叩(たた)いて感(かん)じたり。陸(くが)には源(げん)氏(じ)、箙(えびら)を叩(たた)いてどよめきけり。

「那須与一」現代語訳全文

 そうこうしているうちに、阿波(あわ)・讃(さぬ)岐(き)で平家に背いて源氏を待っていた者たちが、あちらの峰、こちらの洞穴(ほらあな)から、14、5騎、20騎と連れ立っては次々と参上してきたので、判官(ほうがん)(源(みなもとの)義経(よしつね))の軍勢はほどなく300余騎になった。

「今日は日が暮れてしまった。勝負を決することはできまい」

 と言って源氏の軍勢が引き揚げようとしたところに、沖のほうから美しく飾り立てた小舟が1艘(そう)、波打ち際へ向かって漕ぎ寄せてきた。岸から7、8段(約80メートル)ほどのところまで来ると、舟を横向きにした。あれは何だろうと見ていると、舟の中から、年のころ18、9歳ほどの、まことに優雅で美しい女(にょう)房(ぼう)が、柳襲(やなぎがさね)の五(いつつ)衣(ぎぬ)に紅の袴(はかま)を着て、一面紅色の地に金の日の丸を描いた扇を、舟の舷側(げんそく)に張り出した板に挟んで立て、陸に向かって手招きをした。

 判官は後(ご)藤(とう)兵衛(びょうえ)実基(さねもと)を呼び寄せて、

「あれはどういうことだ」とおっしゃると、

「射よということでございましょう。ただし、大将軍が矢面(やおもて)に進み出て、あの美女をご覧になったところを、腕利きの射手にねらわせて射落とせという計略かと思われます。それはそうとして、扇は射させなさるのがよろしいのではございませんか」と実基が申し上げる。

「射ることのできそうな者は、味方に誰かいるか」と判官がおっしゃると、

「上手な者はいくらもおりますが、その中でも、下野(しもつけ)の国(くに)(現在の栃木県)の住人、那須太郎(なすのたろう)資高(すけたか)の子の与(よ)一(いち)宗高(むねたか)こそ、小柄ではございますが、腕は確かでございます」

「証拠はあるのか」と判官がおっしゃると、

「飛ぶ鳥を射る競い合いなどで、3羽のうち2羽は必ず射落とす者でございます」

「それならば呼べ」とおっしゃって、与一をお呼びになった。

 与一は、そのころ20歳ほどの若者である。濃い紺の地に、赤地の錦(にしき)で襟と袖先を彩った直垂(ひたたれ)に、萌(もえ)黄(ぎ)色の糸でつづった鎧(よろい)を着て、銀の金具で飾った太刀(たち)を腰に帯び、白と黒のまだら模様の羽の矢で、その日の戦いで射て少しばかり残っていたのを、頭より高く突き出るように背負い、黒い部分の少ないまだら模様の羽に鷹(たか)の羽を交ぜて作った、ぬた目のかぶら矢を差し添えていた。籐(とう)を密に巻いた弓を脇に挟み、兜(かぶと)は脱いで鎧の高紐(たかひも)にかけ、判官の前にかしこまった。

「どうだ宗高(むねたか)、あの扇の真ん中を射て、平家に見物させてやれ」

 与一がかしこまって申し上げることには、

「射とおせるかどうかはわかりません。射損じましたならば、末長く味方の恥となりましょう。確実にやり遂げられる人にお命じになるのがよろしいのではございませんか」と申し上げる。

 判官はたいそう怒って、

「鎌倉を出発して西国(さいごく)へ向かおうとする者たちは、義経の命令に背いてはならない。少しでも異議を抱く者は、さっさとここから帰るがよい」とおっしゃった。

 与一は、重ねて辞退してはまずいことになるだろうと思ったのだろうか、

「外れるかどうかはわかりませんが、ご命令でございますから、やってみましょう」

 と言って、御(ご)前(ぜん)から退き、黒い馬で太くたくましいのに、小さな房のついた鞦(しりがい)をかけ、やどり木を丸く図案化した文様を摺り染めにした鞍(くら)を置いて乗った。弓を持ち直し、手(た)綱(づな)をたぐって、波打ち際へ向かって馬を歩ませると、味方の兵たちは与一の後ろ姿をはるかに見送って、

「この若者はきっとやり遂げるに違いないと思われます」

 と申し上げたので、判官も頼もしそうにご覧になった。

 矢を射るには距離が少し遠かったので、海へ1段(たん)(約11メートル)ほど馬を乗り入れたが、それでもなお扇までの距離は7段(約76メートル)ほどはあるだろうと見えた。時は2月18日の酉(とり)の刻(こく)(午後6時ごろ)のことであったが、ちょうどそのとき北風が激しく吹いて、磯に打ち寄せる波も高かった。舟は揺り上げられ揺り下ろされて漂うので、扇も竿(さお)の先に定まらず、ひらひらと揺れている。

 沖では平家が舟を一面に並べて見物している。陸では源氏が馬の轡(くつわ)を並べてこれを見ている。どちらを見ても、晴れがましくない光景はなかった。

 与一は目を閉じて、

「南無(なむ)八(はち)幡(まん)大(だい)菩(ぼ)薩(さつ)、とりわけ私の故郷の神々である日光権現(にっこうごんげん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)の湯(ゆ)泉(ぜん)大(だい)明(みょう)神(じん)よ、どうかあの扇の真ん中を射させてくださいませ。これを射損じたならば、弓を切り折って自害し、二度と人に顔を合わせるつもりはありません。もう一度故郷へ迎えてやろうとお思いになるならば、この矢を外させないでください」

 と心の中で祈って、目を見開くと、風も少し吹き弱まり、扇も射やすそうになっていた。

 与一はかぶら矢を取ってつがえ、十分に引き絞って、ひょうと放った。小兵にふさわしく、矢は12束(そく)3伏(ぶせ)(こぶし12個分と指3本分の長さ)、弓は強く、かぶら矢は浦一帯に響きわたるほど長く鳴って、狂いなく、扇の要(かなめ)から1寸(約3センチ)ほど離れたところを、ひいふっと射切った。

 かぶら矢は海へ落ちたが、扇は空へと舞い上がった。しばらくは空中にひらめいていたが、春風に1度2度ともまれて、海へさっと散り落ちた。夕日が輝く中に、一面紅色の地に日の丸を描いた扇が、白波の上に漂い、浮いたり沈んだりして揺られていたので、沖では平家が船端(ふなばた)をたたいて感嘆した。陸では源氏が箙(えびら)をたたいてどよめいた。

「那須与一」の読みどころ

与一の心情の変化

与一の心は、場面ごとに大きく揺れ動きます。まず、義経から扇を射るよう命じられると、「射おほせ候はんこと不定に候」と一度は辞退します。射損じれば味方全体の恥になるという不安と責任の重さからです。

しかし、義経に「命令に背いてはならない。異議のある者はここから帰れ」と叱られると、「はづれんは知り候はず、御諚で候へば仕ってこそ見候はめ」と引き受けます。この時点ではまだ、当たるかどうかはわからないという心境です。

海へ馬を乗り入れた与一は、目を閉じて神仏に祈り、「射損じたら弓を切り折って自害する」とまで誓います。祈り終えて目を開くと、風が弱まり、扇も射やすそうになっていました。不安から覚悟へと気持ちが定まった瞬間で、ここから一気に矢を放つ場面へと進みます。

対句で描かれる平家と源氏

この章段では、沖の平家と陸の源氏が、同じ形の文で並べて描かれています。

  • 沖には平家、船を一面に並べて見物す。陸には源氏、轡を並べてこれを見る。
  • 沖には平家、ふなばたを叩いて感じたり。陸には源氏、箙を叩いてどよめきけり。

1つ目は与一が矢を放つ前、2つ目は射落とした後の場面です。同じ形の対句を前後に置くことで、敵も味方も息をのんで見守り、そろって与一をたたえたことが印象的に伝わります。

擬音語・擬態語と語りのリズム

矢を放つ「ひやうと」、扇を射切る「ひふつと」、扇が海に散る「さと」などの擬音語・擬態語が、場面を生き生きと伝えています。「浦響くほど長鳴りして」は、鏑矢が鳴り響く音の描写です。

また、「うちつれうちつれ」「ゆりあげゆりすゑ」「浮きぬ沈みぬ」のような繰り返しの表現も多く見られます。『平家物語』は琵琶法師が語り聞かせた物語で、耳で聞いて心地よいリズムが文章に生かされています。

色彩の対比

色の描写が多いのも、この章段の特徴です。扇は「皆紅」の地に日の丸を描いたもので、女房は紅の袴を着ています。与一は赤地の錦で彩った直垂に萌黄威の鎧を着て、黒い馬に乗っています。

結びの場面では、夕日に輝く紅の扇が白波の上に漂います。紅・白・夕日の金色が重なる鮮やかな光景が、与一の一矢の見事さを引き立てています。

「那須与一」についてよくある質問

「那須与一」は『平家物語』の何巻に収められていますか?

第11巻(巻十一)に収められています。第11巻は屋島の戦いから壇ノ浦の戦いまでを描く巻で、「那須与一」は屋島の戦いを描く「嗣(つぎ)信(のぶ)最(さい)期(ご)」と「弓(ゆみ)流(ながし)」の間にある章段です。

与一から扇までの距離はどのくらいでしたか?

本文によると、与一は海へ1段(約11メートル)ほど馬を乗り入れましたが、それでも扇までは7段(約76メートル)ほどあったとされます。しかも北風が強く、扇は揺れる船の上でひらめいていました。

なぜ敵の平家まで感動したのですか?

武士にとって、すぐれた弓の腕前は敵味方を問わず称賛されるものでした。そこに、夕日の海に紅の扇が舞い散る光景の美しさが加わり、平家は船端をたたき、源氏は箙(えびら)をたたいて、ともに見事な一矢をたたえました。本文の「いづれもいづれも晴れならずといふことぞなき」は、敵も味方もこの勝負を晴れの舞台として見守っていたことを表しています。

「那須与一」の場面はこのあとどうなりますか?

続く場面では、扇が射落とされたことに感じ入った平家の武者が、船の上で舞い始めます。与一は義経の命を受けてこの武者も射倒し、平家は静まり返り、源氏は再び箙をたたいてどよめきました。これをきっかけに戦いは再び激しくなり、義経が海に落とした弓を危険を冒して拾い上げる「弓流」の場面へと続きます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

PR

目次