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平家物語「弓流」の原文と現代語訳をわかりやすく解説

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『平家物語』の第11巻に収録されている「弓(ゆみ)流(ながし)」は、元暦2年(1185年)2月の屋島の戦いで、源義経が海に落とした自分の弓を、敵の熊(くま)手(で)が迫る中で拾い上げる場面です。

物語は、那須与一が扇の的を射落とした直後から始まります。船の上で舞い始めた平家の武者を与一が射倒し、平家の勇将・悪七兵衛(あくしちびょうえ)景清(かげきよ)は源氏の武者の錣(しころ)を引きちぎって名乗りを上げる。扇の的の晴れやかな一幕から、戦いが再び激しい乱戦へと戻っていく章段です。

この記事では、「弓流」の原文を全文ルビ付きで掲載し、短い区切りごとに現代語訳と語釈を並べて解説します。そのあとに、原文と現代語訳を全文通しで読めるようにまとめました。

あわせて、屋島の戦いの背景や登場人物、読みどころ、よくある質問も紹介します。

「弓流」のあらすじ
  • 扇の的が射落とされると、感に堪えない平家の武者が船の上で舞い始めるが、那須与一は義経の命を受けて、この武者も射倒す。
  • 怒った平家は武者を渚(なぎさ)に上げて源氏を挑発し、悪七兵衛景清は逃げる源氏の武者の兜の錣をつかんで引きちぎり、名乗りを上げる。
  • 乱戦の中、義経は熊手に引っかけられて海に落とした弓を、危険を冒して拾い上げる。弱い弓を敵に取られて笑われたくないという義経の言葉に、人々は感じ入った。
  • その夜、疲れ果てた源氏に平家は夜討ちをかけられず、語り手はそれを平家の運の尽きと評する。
目次

「弓流」の背景と登場人物

屋島の戦いと「弓流」

屋島の戦いは、元暦2年(1185年)2月、讃(さぬ)岐(き)国(のくに)の屋(や)島(しま)(現在の香川県高松市)で起きた源平の合戦です。わずかな手勢で嵐の海を渡って阿(あ)波(わの)国(くに)に上陸した源義経は、陸路から屋島を急襲し、不意を突かれた平家は海上の船へ逃れました。

「弓流」は、直前の章段「那須与一」の続きにあたります。与一が扇の的を射落とした同じ日の夕暮れから、その夜が明けるまでを描いた場面です。扇の的という晴れやかな一幕のあと、戦いは再び激しい乱戦へと戻っていきます。

翌朝、平家は志(し)度(ど)の浦(うら)(現在の香川県さぬき市)へ退きますが、ここでも敗れて四国を追われます。そして翌月の元暦2年(1185年)3月24日、長(なが)門(との)国(くに)の壇(だん)ノ浦(うら)での戦いに敗れて滅亡しました。

主な登場人物

  • 判官(ほうがん)(源義経):源氏の大将。海に落とした自分の弓を、危険を冒して拾い上げる。
  • 那須与一宗高(むねたか):扇の的を射落とした弓の名手。義経の命を受け、船の上で舞う平家の武者を射倒す。
  • 伊(い)勢(せの)三郎(さぶろう)義盛(よしもり):義経の郎等。与一に義経の命令を伝え、夜は伏兵となって敵を待ち構える。
  • 三穂屋(みおのや)十(じゅう)郎(ろう):武蔵国の武士。景清に兜の錣をつかまれ、引きちぎって逃れる。
  • 上総(かずさの)悪七兵衛(あくしちびょうえ)景清(かげきよ):平家方の勇猛な武士。三穂屋十郎を追い、錣を奪って名乗りを上げる。
  • 能(の)登(との)守(かみ)教経(のりつね):平家の猛将。夜討ちの大将となるが、果たせずに終わる。

「弓流」原文・現代語訳・語釈(1)

あまりの面白さに、感に堪へざるにや

原文

あまりの面白(おもしろ)さに、感(かん)に堪(た)へざるにやとおぼしくて、船(ふね)の中(うち)より、年(とし)五(ご)十(じふ)ばかりなる男(をとこ)の、黒(くろ)革(かは)威(をどし)の鎧(よろひ)着(き)て、白(しら)柄(え)の長刀(なぎなた)持(も)ったるが、扇(あふぎ)立(た)てたりける所(ところ)に立(た)って舞(ま)ひしめたり。

現代語訳

あまりの見事さに、感に堪えなかったのだろうかと思われて、船の中から、年50歳ほどの男で、黒(くろ)革(かわ)威(おどし)の鎧を着て、白(しら)柄(え)の長刀を持った者が、扇を立てていた所に立って舞い始めた。

語釈
  • 面白(おもしろ)さ:すばらしさ。見事さ。
  • 感(かん)に堪(た)へざるにや:感動を抑えきれなかったのだろうか。
  • 黒(くろ)革(かわ)威(おどし)の鎧(よろい):黒く染めた革ひもで札をつづり合わせた鎧。
  • 白(しら)柄(え)の長刀(なぎなた):柄を白木のままにした長刀。長刀は、長い柄の先に反りのある刃をつけた武器。
  • 舞(ま)ひしめたり:舞を舞い始めた。

伊勢三郎義盛、与一が後へ歩ませ寄って

原文

伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)、与(よ)一(いち)が後(うしろ)へ歩(あゆ)ませ寄(よ)って、「御諚(ごぢやう)ぞ、仕(つかまつ)れ」といひければ、今(こん)度(ど)は中差(なかざし)取(と)って打(う)ちくはせ、よっ引(ぴ)いて、しや頸(くび)の骨(ほね)をひやうふつと射(い)て、船底(ふなぞこ)へまさかさまに射(い)倒(たふ)す。

現代語訳

伊(い)勢(せの)三(さぶ)郎(ろう)義盛(よしもり)が、与(よ)一(いち)の後ろへ馬を歩ませ寄って、「ご命令だ、射よ」と言ったので、与一は今度は中差(なかざし)の矢を取ってつがえ、十分に引き絞って、男の首の骨をひょうふっと射て、船底へまっさかさまに射倒した。

語釈
  • 伊(い)勢(せの)三郎(さぶろう)義盛(よしもり):義経に仕えた郎等。
  • 御諚(ごじょう):ご命令。ここでは義経の命令。
  • 仕(つかまつ)れ:「せよ」をへりくだって言う語。ここでは「射よ」の意。
  • 中差(なかざし):箙に差した、戦いで使うふつうの矢。
  • 打(う)ちくはせ:矢を弓の弦につがえ。
  • しや頸(くび):首をののしって言う語。「しや」は、ののしる気持ちを表す接頭語。
  • ひやうふつと:矢が飛んで突き刺さる音。

平家の方には音もせず

原文

平(へい)家(け)の方(かた)には音(おと)もせず、源(げん)氏(じ)の方(かた)にはまた箙(えびら)を叩(たた)いてどよめきけり。「あ、射(い)たり」といふ人(ひと)もあり、また、「情(なさ)けなし」といふ者(もの)もあり。

現代語訳

平家の方では静まり返って音もせず、源氏の方ではまた箙(えびら)をたたいてどよめいた。「ああ、よく射た」と言う人もあり、また、「心ないことを」と言う者もあった。

語釈
  • 音(おと)もせず:静まりかえって声も立てず。
  • 箙(えびら):矢を入れて背負う武具。
  • 射(い)たり:よく射た。見事に射当てた。
  • 情(なさ)けなし:思いやりがない。心ない。

平家これを本意なしとや思ひけん

原文

平(へい)家(け)これを本意(ほい)なしとや思(おも)ひけん、楯(たて)ついて一(ひと)人(り)、弓(ゆみ)持(も)って一(ひと)人(り)、長刀(なぎなた)持(も)って一(ひと)人(り)、武(む)者(しや)三人(さんにん)渚(なぎさ)に上(あ)がり、楯(たて)を突(つ)いて、「敵(かたき)寄(よ)せよ」とぞ招(まね)いたる。

現代語訳

平家はこれを無念に思ったのだろうか、楯を持って1人、弓を持って1人、長刀を持って1人、武者3人が渚に上がり、楯を突き立てて、「敵よ、寄せて来い」と手招きした。

語釈
  • 本意(ほい)なし:残念だ。不本意だ。
  • 楯(たて)ついて一(ひと)人(り):楯を持った者が1人。
  • 渚(なぎさ):波打ち際。
  • 楯(たて)を突(つ)いて:楯を地面に突き立てて。
  • 敵(かたき)寄(よ)せよ:敵よ、攻め寄せてこい。

「弓流」原文・現代語訳・語釈(2)

あれ、馬強からん若党ども

原文

判(はう)官(ぐわん)、「あれ、馬(むま)強(つよ)からん若党(わかたう)ども、馳(は)せ寄(よ)せて蹴(け)散(ち)らせ」とのたまへば、武(む)蔵(さし)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、三穂屋(みほのや)四(し)郎(らう)、同(おな)じく藤七(とうしち)、同(おな)じく十郎(じふらう)、上野(かうづけ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、丹生(にふ)の四(し)郎(らう)、信(しな)濃(の)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、木曽(きそ)の中次(ちゆうじ)、五(ご)騎(き)つれて、をめいて駆(か)く。

現代語訳

判官(源(みなもとの)義(よし)経(つね))が、「あれを、馬の強い若武者ども、駆け寄って蹴散らせ」とおっしゃると、武(む)蔵(さし)の国の住人、三穂屋四郎(みおのやのしろう)、同じく藤七(とうしち)、同じく十(じゅう)郎(ろう)、上野(こうずけ)の国の住人、丹生(にゅう)の四(し)郎(ろう)、信(しな)濃(の)の国の住人、木曽(きそ)の中次(ちゅうじ)の5騎が連れ立って、わめき声を上げて駆けていく。

語釈
  • 若党(わかとう):若い侍。
  • 馳(は)せ寄(よ)せて:馬を走らせて近寄って。
  • 武蔵(むさし)・上野(こうずけ)・信(しな)濃(の):現在の東京都と埼玉県・神奈川県の一部、群馬県、長野県にあたる国。
  • をめいて:大声で叫んで。「をめく」は大声をあげる意。

楯の陰より、塗篦に黒ほろ作ったる大の矢

原文

楯(たて)の陰(かげ)より、塗(ぬり)篦(の)に黒(くろ)ほろ作(つく)ったる大(おほ)の矢(や)をもって、真先(まつさき)に進(すす)んだる三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)が馬(むま)の左(ひだり)の胸懸(むながい)づくしを、ひやうづばと射(い)て、篦(の)の通(とほ)るほどぞ射(い)籠(こ)めたる。

現代語訳

楯の陰から、漆を塗った篦(の)に黒い羽をつけた大きな矢で、真っ先に進んでいた三穂屋十郎の馬の左の胸懸(むながい)のあたりを、ひょうずばと射て、矢柄が隠れるほど深く射込んだ。

語釈
  • 塗(ぬり)篦(の):漆を塗った篦。篦は矢の竹の部分(矢柄)。
  • 黒(くろ)ほろ:黒いほろ羽。ほろ羽は鳥の両翼の下に生える羽で、矢羽に用いた。
  • 大(おお)の矢(や):大きな矢。
  • 胸懸(むながい)づくし:胸懸(馬の胸から鞍にかけ渡す組ひも)の、胸の中央にあたるところ。
  • ひやうづばと:矢が勢いよく深く突き刺さる音。
  • 篦(の)の通(とお)るほど:矢柄まで通るほど深く。

屏風を返すやうに馬はどうと倒るれば

原文

屏風(びやうぶ)を返(かへ)すやうに馬(むま)はどうと倒(たふ)るれば、主(あるじ)は馬手(めて)の足(あし)を越(こ)え、弓(ゆん)手(で)の方(かた)へ下(お)り立(た)って、跳(と)んで太刀(たち)をぞ抜(ぬ)いたりける。

現代語訳

屏風を倒すように馬がどうと倒れると、乗り手は右足を馬の上に越して、左側へ下り立ち、すぐさま太刀を抜いた。

語釈
  • 屏風(びょうぶ)を返(かえ)すやうに:屏風を倒すように。勢いよく横倒しになるさま。
  • 主(あるじ):馬の持ち主。乗り手。
  • 馬手(めて)・弓(ゆん)手(で):右手側と左手側。手綱を取る右手を馬手、弓を持つ左手を弓手という。

楯の陰より大長刀打ち振って懸かりければ

原文

楯(たて)の陰(かげ)より大長刀(おほなぎなた)打(う)ち振(ふ)って懸(か)かりければ、三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)、小(こ)太刀(だち)、大長刀(おほなぎなた)にかなはじとや思(おも)ひけん、かいふいて逃(に)げければ、やがて続(つづ)いて追(お)ひ懸(か)けたり。

現代語訳

楯の陰から大長刀を振りかざして打ちかかってきたので、三穂屋十郎は、小太刀では大長刀にかなうまいと思ったのだろうか、身をかがめて逃げると、相手はすぐに続いて追いかけた。

語釈
  • 小(こ)太刀(だち):短い太刀。
  • かいふいて:身をかがめて。「かいふす(掻い伏す)」の音便。
  • やがて:すぐに。

長刀で薙がんずるかと見るところに

原文

長刀(なぎなた)で薙(な)がんずるかと見(み)るところに、さはなくして、長刀(なぎなた)をば左(ひだり)の脇(わき)にかい挟(はさ)み、右(みぎ)の手(て)を差(さ)し延(の)べて、三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)が甲(かぶと)の錣(しころ)をつかまんとす。つかまれじと走(はし)る。三(さん)度(ど)つかみはづいて、四(し)度(ど)の度(たび)むずとつかむ。

現代語訳

長刀でなぎ払うのかと見ていると、そうではなく、長刀を左の脇にかい挟み、右手を差し伸べて、三穂屋十郎の兜の錣(しころ)をつかもうとする。十郎はつかまれまいと走る。3度つかみ損ねて、4度目にむずとつかんだ。

語釈
  • 薙(な)がんずるか:払い斬ろうとするのか。「薙ぐ」は横に払って斬る意。
  • 錣(しころ):兜の左右と後ろに垂らして首を守る部分。
  • むずと:力をこめて。しっかりと。

「弓流」原文・現代語訳・語釈(3)

しばしたまって見えし

原文

しばしたまって見(み)えし。鉢付(はちつけ)の板(いた)よりふつと引(ひ)き切(き)ってぞ逃(に)げたりける。残(のこ)り四(し)騎(き)は、馬(むま)を惜(を)しうで駆(か)けず、見物(けんぶつ)してこそ居(ゐ)たりけれ。三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)は、御(み)方(かた)の馬(むま)の陰(かげ)に逃(に)げ入(い)って、息(いき)継(つ)ぎ居(ゐ)たり。

現代語訳

しばらく持ちこたえているように見えたが、鉢付(はちつけ)の板から錣をぷつりと引きちぎって、十郎は逃げ去った。残りの4騎は、馬を惜しんで駆け寄らず、見物していた。三穂屋十郎は、味方の馬の陰に逃げ込んで、息をついていた。

語釈
  • たまって:こらえて。持ちこたえて。
  • 鉢付(はちつけ)の板(いた):錣のいちばん上の板で、兜の鉢に取りつける部分。
  • ふつと:ぷつりと。
  • 馬(うま)を惜(お)しうで:馬を射られるのを惜しんで。
  • 御(み)方(かた):味方。

敵は追うても来で

原文

敵(かたき)は追(お)うても来(こ)で、長刀(なぎなた)杖(づゑ)につき、甲(かぶと)の錣(しころ)を差(さ)し上(あ)げ、大(だい)音(おん)声(じやう)を上(あ)げて、「日(ひ)ごろは音(おと)にも聞(き)きつらん、今(いま)は目(め)にも見(み)たまへ。これこそ京(きやう)童部(わらんべ)の呼(よ)ぶなる上総(かづさの)悪七(あくしち)兵衛(びやうゑ)景清(かげきよ)よ」と名乗(なの)り捨(す)ててぞ帰(かへ)りける。

現代語訳

敵は追っても来ず、長刀を杖について、ちぎり取った兜の錣を差し上げ、大声を上げて、「日ごろは噂にも聞いていただろう、今は目にもご覧なされ。これこそ京の若者たちが呼んでいるという、上総悪七兵衛(かずさのあくしちびょうえ)景清(かげきよ)だ」と名乗り捨てて帰っていった。

語釈
  • 大(だい)音(おん)声(じょう):大きな声。
  • 音(おと)にも聞(き)きつらん:噂にも聞いていただろう。
  • 京(きょう)童部(わらんべ):京の若者たち。口さがない都の人々。
  • 上総(かずさの)悪七兵衛(あくしちびょうえ)景清(かげきよ):平家方の武士、藤原景清。父の忠清が上総介であったことから「上総」を冠して呼ばれた。「悪」は、勇猛で荒々しいことを表す語。
  • 名(な)乗(の)り捨(す)てて:名乗るだけ名乗って、相手にかまわず。

平家これに心地直して

原文

平(へい)家(け)これに心(ここ)地(ち)直(なほ)して、「悪七(あくしち)兵衛(びやうゑ)討(う)たすな。続(つづ)けや者(もの)ども」とて、また二百(にひやく)余(よ)人(にん)渚(なぎさ)に上(あ)がり、楯(たて)を雌(めん)鳥(どり)羽(ば)につき並(なら)べて、「敵(かたき)寄(よ)せよ」とぞ招(まね)いたる。

現代語訳

平家はこれで気を取り直して、「悪七兵衛を討たせるな。続け、者ども」と言って、また200余人が渚に上がり、楯を雌(めん)鳥(どり)羽(ば)のように重ねて突き並べ、「敵よ、寄せて来い」と手招きした。

語釈
  • 心(ここ)地(ち)直(なお)して:気を取り直して。
  • 雌(めん)鳥(どり)羽(ば):雌鳥が羽を重ねたように、楯の端を少しずつ重ねて並べること。

判官これを見て、安からぬことなり

原文

判(はう)官(ぐわん)これを見(み)て、「安(やす)からぬことなり」とて、後(ご)藤(とう)兵衛(びやうゑ)父子(ふし)、金(かね)子(こ)兄(きやう)弟(だい)を先(さき)に立(た)て、奥州(あうしう)の佐(さ)藤(とう)四(し)郎(らう)兵衛(びやうゑ)、伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)を弓(ゆん)手(で)馬手(めて)に立(た)て、田(た)代(しろ)の冠(くわん)者(じや)を後(うしろ)に立(た)てて、八(はち)十(じふ)余(よ)騎(き)をめいて駆(か)けたまへば、

現代語訳

判官はこれを見て、「腹立たしいことだ」と言って、後(ご)藤(とう)兵(びょう)衛(え)父子、金(かね)子(こ)兄弟を先頭に立て、奥州の佐藤四郎兵衛(さとうしろうびょうえ)、伊勢三郎を左右に立て、田代冠者(たしろのかんじゃ)を後ろに立てて、80余騎でわめき声を上げて駆けられると、

語釈
  • 安(やす)からぬ:しゃくにさわる。腹立たしい。
  • 後(ご)藤(とう)兵衛(びょうえ)父子(ふし):後藤兵衛実基と、子の基清。
  • 金(かね)子(こ)兄(きょう)弟(だい):金子十郎家忠と、弟の与一親範。
  • 佐(さ)藤(とう)四(し)郎(ろう)兵衛(びょうえ):佐藤忠信。前の章段「嗣信最期」で討たれた佐藤嗣信の弟。
  • 弓(ゆん)手(で)馬手(めて):左右。
  • 田(た)代(しろ)の冠(かん)者(じゃ):伊豆国の武士、田代信綱。

平家の兵ども、馬には乗らず

原文

平(へい)家(け)の兵(つはもの)ども、馬(むま)には乗(の)らず、大(たい)略(りやく)歩(かち)武(む)者(しや)にてありければ、馬(むま)に当(あ)てられじと引(ひ)き退(しりぞ)いて、皆(みな)船(ふね)へぞ乗(の)りける。楯(たて)は算(さん)を散(ち)らしたるやうに、散々(さんざん)に蹴(け)散(ち)らさる。源(げん)氏(じ)の兵(つはもの)ども勝(か)つに乗(の)って、馬(むま)の太腹(ふとばら)ひたるほどに打(う)ち入(い)れ打(う)ち入(い)れ責(せ)め戦(たたか)ふ。

現代語訳

平家の兵たちは馬には乗らず、たいていは徒歩の武者だったので、馬に蹴られまいと引き下がって、みな船へ乗ってしまった。楯は算木を散らしたように、さんざんに蹴散らされる。源氏の兵たちは勝ちに乗って、馬の太腹がつかるほどまで海へ乗り入れ乗り入れ、攻め戦う。

語釈
  • 大(たい)略(りゃく):ほとんど。
  • 歩(かち)武(む)者(しゃ):馬に乗らず、徒歩で戦う武者。
  • 算(さん)を散(ち)らしたるやうに:算木(計算に使う小さな角棒)をばらまいたように。ばらばらに乱れるさま。
  • 太腹(ふとばら):馬の腹のふくらんだ部分。
  • ひたる:水につかる。

「弓流」原文・現代語訳・語釈(4)

判官深入して戦ふほどに

原文

判(はう)官(ぐわん)深入(ふかいり)して戦(たたか)ふほどに、船(ふね)の中(うち)より熊(くま)手(で)を持(も)って、判(はう)官(ぐわん)の甲(かぶと)の錣(しころ)に、からりからりと二(に)、三(さん)度(ど)まで打(う)ち懸(か)けけるを、御(み)方(かた)の兵(つはもの)ども、太刀(たち)、長刀(なぎなた)で打(う)ちのけ打(う)ちのけしけるほどに、いかがしたりけん、判(はう)官(ぐわん)弓(ゆみ)を懸(か)け落(お)とされぬ。

現代語訳

判官は深入りして戦ううちに、船の中から熊(くま)手(で)で、判官の兜の錣に、からりからりと2、3度まで引っかけてきたのを、味方の兵たちが太刀や長刀で何度も払いのけているうちに、どうしたことだろうか、判官は弓を引っかけて落とされてしまった。

語釈
  • 深入(ふかいり):敵の中へ深く入り込むこと。
  • 熊(くま)手(で):長い柄の先に、熊の爪のような鉄の爪をつけた武器。
  • 懸(か)け落(お)とされぬ:引っかけて落とされてしまった。

うつぶして鞭をもってかき寄せて

原文

うつぶして鞭(むち)をもってかき寄(よ)せて、取(と)らう取(と)らうとしたまへば、兵(つはもの)ども、「ただ捨(す)てさせたまへ」と申(まう)しけれども、つひに取(と)って、笑(わら)うてぞ帰(かへ)られける。

現代語訳

判官は身をかがめて、鞭で弓をかき寄せ、取ろう取ろうとなさるので、兵たちは、「ただお捨てなさいませ」と申し上げたが、判官はとうとう取って、笑いながら帰ってこられた。

語釈
  • うつぶして:身をかがめて。
  • 取(と)らう取(と)らう:取ろう取ろう。
  • つひに:とうとう。

おとなども、爪弾きをして

原文

おとなども、爪(つま)弾(はじ)きをして、「口(くち)惜(を)しき御事(おんこと)候(さうらふ)かな。たとひ千(せん)疋(ひき)万(まん)疋(ひき)に替(か)へさせたまふべき御(おん)宝(たから)なりとも、いかが御(おん)命(いのち)に替(か)へさせたまふべき」と申(まう)せば、判(はう)官(ぐわん)、

現代語訳

年配の武者たちは、爪はじきをして、「残念なことでございます。たとえ1000疋、1万疋の金にも替えられるほどの御宝であっても、どうしてお命に替えられましょうか」と申し上げると、判官は、

語釈
  • おとな:年配で、主だった家来。
  • 爪(つま)弾(はじ)き:人差し指の爪を親指の腹にかけてはじくこと。不満や非難の気持ちを表すしぐさ。
  • 口(くち)惜(お)しき:残念な。
  • 千(せん)疋(びき)万(まん)疋(びき):非常に多くの銭。疋は銭を数える単位。

弓の惜しさに取らばこそ

原文

「弓(ゆみ)の惜(を)しさに取(と)らばこそ。義経(よしつね)が弓(ゆみ)といはば、二(ふた)人(り)しても張(は)り、もしくは三人(さんにん)しても張(は)り、伯父(をぢ)の為朝(ためとも)が弓(ゆみ)のやうならば、わざとも落(お)として取(と)らすべし。尫(わう)弱(じやく)たる弓(ゆみ)を敵(かたき)取(と)り持(も)って、『これこそ源(げん)氏(じ)の大(たい)将(しやう)九(く)郎(らう)義経(よしつね)が弓(ゆみ)よ』とて嘲弄(てうろう)せんずるが口(くち)惜(を)しければ、命(いのち)に代(か)へて取(と)るぞや」とのたまへば、皆(みな)人(ひと)これをぞ感(かん)じける。

現代語訳

「弓が惜しくて取ったのではない。義経の弓というのが、2人がかりで張るような、あるいは3人がかりで張るような、伯父の為朝(ためとも)の弓のような強弓であるならば、わざとでも落として敵に取らせよう。弱々しい弓を敵が拾い取って、『これこそ源氏の大将、九郎義経の弓だ』と言ってあざ笑うだろうことが悔しいので、命に代えて取ったのだ」とおっしゃったので、人々はみなこれに感じ入った。

語釈
  • 取(と)らばこそ:取るのならともかく、そうではない。
  • 張(は)り:弓に弦を張り。強い弓ほど、弦を張るのに大勢の力がいる。
  • 為朝(ためとも):源為朝。義経の父・義朝の弟で、強弓の名手として知られた。
  • 尫(おう)弱(じゃく)たる:弱々しい。
  • 嘲弄(ちょうろう)せんずる:あざけりからかうだろう。
  • 皆(みな)人(ひと):その場にいた人々はみな。

「弓流」原文・現代語訳・語釈(5)

さるほどに日暮れければ

原文

さるほどに日(ひ)暮(く)れければ、平(へい)家(け)の船(ふね)は沖(おき)に浮(う)かめば、源(げん)氏(じ)は陸(くが)に引(ひ)き退(しりぞ)いて、むれ、高松(たかまつ)の中(なか)なる野(の)山(やま)に陣(ぢん)をぞ取(と)りたりける。

現代語訳

そうしているうちに日が暮れたので、平家の船は沖に浮かび、源氏は陸に引き退いて、牟礼(むれ)と高松(たかまつ)の間にある野山に陣を取った。

語釈
  • むれ・高松(たかまつ):讃岐国の地名で、現在の香川県高松市。むれは「牟礼」と書く。
  • 陣(じん)を取(と)り:陣地を構え。

源氏の兵ども、この三日が間は臥さざりけり

原文

源(げん)氏(じ)の兵(つはもの)ども、この三(みつ)日(か)が間(あひだ)は臥(ふ)さざりけり。一昨日(をととひ)渡辺(わたなべ)、福島(ふくしま)を出(い)づるとて、その夜(よ)大浪(おほなみ)に揺(ゆ)られて目(め)睡(ねぶ)らず、昨日(きのふ)阿波(あは)の国(くに)勝浦(かつうら)にて軍(いくさ)して、終夜(よもすがら)中山(なかやま)越(こ)え、今日(けふ)また一日(いちにち)戦(たたか)ひ暮(く)らしたりければ、皆(みな)疲(つか)れ果(は)てて、あるいは甲(かぶと)を枕(まくら)にし、あるいは鎧(よろひ)の袖(そで)、箙(えびら)など枕(まくら)にして、前(ぜん)後(ご)も知(し)らず臥(ふ)したりけり。

現代語訳

源氏の兵たちは、この3日の間、寝ていなかった。一昨日は渡辺、福島(ふくしま)を出ようとして、その夜は大波に揺られてまどろみもせず、昨日は阿波の国勝浦(かつうら)で戦をして、夜通し山を越え、今日もまた一日中戦い暮らしたので、みな疲れ果てて、ある者は兜を枕にし、ある者は鎧の袖や箙(えびら)などを枕にして、前後も知らずに寝てしまった。

語釈
  • 臥(ふ)さざりけり:横になって寝なかった。
  • 渡辺(わたなべ)・福島(ふくしま):摂津国の地名で、現在の大阪市。源氏が船出した所。
  • 目(め)睡(ねぶ)らず:眠らず。
  • 終夜(よもすがら):一晩中。
  • 中山(なかやま):阿波と讃岐の境の山。前の章段「勝浦付大坂越」で越えた大坂越を指すとされる。
  • 前(ぜん)後(ご)も知(し)らず:前後不覚に。正体もなく。

その中に、判官と伊勢三郎は寝ざりけり

原文

その中(なか)に、判(はう)官(ぐわん)と伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)は寝(ね)ざりけり。判(はう)官(ぐわん)は高(たか)き所(ところ)に登(のぼ)り上(あ)がって、敵(かたき)や寄(よ)ると遠(とほ)見(み)したまへば、伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)はくぼき所(ところ)に隠(かく)れ居(ゐ)て、敵(かたき)寄(よ)せば、まづ馬(むま)の太腹(ふとばら)射(い)んとて待(ま)ち懸(か)けたり。

現代語訳

その中で、判官と伊勢三郎は寝なかった。判官は高い所に登って、敵が寄せて来るかと見張っておられ、伊勢三郎はくぼんだ所に隠れていて、敵が寄せてきたら、まず馬の太腹を射ようと待ち構えていた。

語釈
  • 遠(とお)見(み):遠くを見張ること。
  • くぼき所(ところ):くぼんだ所。低くなった所。
  • 待(ま)ち懸(か)けたり:待ち構えていた。

平家の方には、能登守を大将にて

原文

平(へい)家(け)の方(かた)には、能(の)登(との)守(かみ)を大(たい)将(しやう)にて、その勢(せい)五(ご)百(ひやく)余(よ)騎(き)、夜(よ)討(うち)にせんと支(し)度(たく)しけれども、越中(ゑつちゆうの)次(じ)郎(らう)兵衛(びやうゑ)盛次(もりつぐ)と海老(えびの)次(じ)郎(らう)守方(もりかた)と、先陣(せんぢん)を争(あらそ)ふほどに、その夜(よ)もむなしく明(あ)けにけり。夜(よ)討(うち)にだにもしたらば、源(げん)氏(じ)なじかはたまるべき。寄(よ)せざりけるこそ、せめての運(うん)の究(きは)めなれ。

現代語訳

平家の方では、能(の)登(との)守(かみ)(平教経(たいらののりつね))を大将として、その軍勢500余騎で夜討ちをしようと準備していたが、越(えっ)中(ちゅうの)次(じ)郎(ろう)兵(びょう)衛(え)盛次(もりつぐ)と海老次郎(えびのじろう)守方(もりかた)とが先陣を争っているうちに、その夜もむなしく明けてしまった。夜討ちさえしていたら、源氏はどうして持ちこたえられただろうか。攻め寄せなかったことこそ、平家の運の尽き果てた極みであった。

語釈
  • 能(の)登(との)守(かみ):平教経。平家随一の強弓の武将。
  • 夜(よ)討(うち):夜に敵を襲うこと。
  • 支(し)度(たく):準備。
  • 先陣(せんじん):真っ先に敵陣へ攻め入ること。また、その役目。
  • なじかはたまるべき:どうして持ちこたえられようか。
  • せめての運(うん)の究(きわ)め:運が尽き果てたきわみ。

「弓流」原文全文

 あまりの面白(おもしろ)さに、感(かん)に堪(た)へざるにやとおぼしくて、船(ふね)の中(うち)より、年(とし)五(ご)十(じふ)ばかりなる男(をとこ)の、黒(くろ)革(かは)威(をどし)の鎧(よろひ)着(き)て、白(しら)柄(え)の長刀(なぎなた)持(も)ったるが、扇(あふぎ)立(た)てたりける所(ところ)に立(た)って舞(ま)ひしめたり。

 伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)、与(よ)一(いち)が後(うしろ)へ歩(あゆ)ませ寄(よ)って、

「御諚(ごぢやう)ぞ、仕(つかまつ)れ」

 といひければ、今(こん)度(ど)は中差(なかざし)取(と)って打(う)ちくはせ、よっ引(ぴ)いて、しや頸(くび)の骨(ほね)をひやうふつと射(い)て、船底(ふなぞこ)へまさかさまに射(い)倒(たふ)す。平(へい)家(け)の方(かた)には音(おと)もせず、源(げん)氏(じ)の方(かた)にはまた箙(えびら)を叩(たた)いてどよめきけり。

「あ、射(い)たり」といふ人(ひと)もあり、また、

「情(なさ)けなし」といふ者(もの)もあり。

 平(へい)家(け)これを本意(ほい)なしとや思(おも)ひけん、楯(たて)ついて一(ひと)人(り)、弓(ゆみ)持(も)って一(ひと)人(り)、長刀(なぎなた)持(も)って一(ひと)人(り)、武(む)者(しや)三人(さんにん)渚(なぎさ)に上(あ)がり、楯(たて)を突(つ)いて、

「敵(かたき)寄(よ)せよ」とぞ招(まね)いたる。

 判(はう)官(ぐわん)、

「あれ、馬(むま)強(つよ)からん若党(わかたう)ども、馳(は)せ寄(よ)せて蹴(け)散(ち)らせ」とのたまへば、

 武(む)蔵(さし)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、三穂屋(みほのや)四(し)郎(らう)、同(おな)じく藤七(とうしち)、同(おな)じく十郎(じふらう)、上野(かうづけ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、丹生(にふ)の四(し)郎(らう)、信(しな)濃(の)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、木曽(きそ)の中次(ちゆうじ)、五(ご)騎(き)つれて、をめいて駆(か)く。楯(たて)の陰(かげ)より、塗(ぬり)篦(の)に黒(くろ)ほろ作(つく)ったる大(おほ)の矢(や)をもって、真先(まつさき)に進(すす)んだる三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)が馬(むま)の左(ひだり)の胸懸(むながい)づくしを、ひやうづばと射(い)て、篦(の)の通(とほ)るほどぞ射(い)籠(こ)めたる。屏風(びやうぶ)を返(かへ)すやうに馬(むま)はどうと倒(たふ)るれば、主(あるじ)は馬手(めて)の足(あし)を越(こ)え、弓(ゆん)手(で)の方(かた)へ下(お)り立(た)って、跳(と)んで太刀(たち)をぞ抜(ぬ)いたりける。

 楯(たて)の陰(かげ)より大長刀(おほなぎなた)打(う)ち振(ふ)って懸(か)かりければ、三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)、小(こ)太刀(だち)、大長刀(おほなぎなた)にかなはじとや思(おも)ひけん、かいふいて逃(に)げければ、やがて続(つづ)いて追(お)ひ懸(か)けたり。長刀(なぎなた)で薙(な)がんずるかと見(み)るところに、さはなくして、長刀(なぎなた)をば左(ひだり)の脇(わき)にかい挟(はさ)み、右(みぎ)の手(て)を差(さ)し延(の)べて、三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)が甲(かぶと)の錣(しころ)をつかまんとす。つかまれじと走(はし)る。三(さん)度(ど)つかみはづいて、四(し)度(ど)の度(たび)むずとつかむ。しばしたまって見(み)えし。鉢付(はちつけ)の板(いた)よりふつと引(ひ)き切(き)ってぞ逃(に)げたりける。残(のこ)り四(し)騎(き)は、馬(むま)を惜(を)しうで駆(か)けず、見物(けんぶつ)してこそ居(ゐ)たりけれ。三穂屋(みほのや)の十郎(じふらう)は、御(み)方(かた)の馬(むま)の陰(かげ)に逃(に)げ入(い)って、息(いき)継(つ)ぎ居(ゐ)たり。

 敵(かたき)は追(お)うても来(こ)で、長刀(なぎなた)杖(づゑ)につき、甲(かぶと)の錣(しころ)を差(さ)し上(あ)げ、大(だい)音(おん)声(じやう)を上(あ)げて、

「日(ひ)ごろは音(おと)にも聞(き)きつらん、今(いま)は目(め)にも見(み)たまへ。これこそ京(きやう)童部(わらんべ)の呼(よ)ぶなる上総(かづさの)悪七(あくしち)兵衛(びやうゑ)景清(かげきよ)よ」と名乗(なの)り捨(す)ててぞ帰(かへ)りける。

 平(へい)家(け)これに心(ここ)地(ち)直(なほ)して、

「悪七(あくしち)兵衛(びやうゑ)討(う)たすな。続(つづ)けや者(もの)ども」

 とて、また二百(にひやく)余(よ)人(にん)渚(なぎさ)に上(あ)がり、楯(たて)を雌(めん)鳥(どり)羽(ば)につき並(なら)べて、

「敵(かたき)寄(よ)せよ」とぞ招(まね)いたる。

 判(はう)官(ぐわん)これを見(み)て、

「安(やす)からぬことなり」

 とて、後(ご)藤(とう)兵衛(びやうゑ)父子(ふし)、金(かね)子(こ)兄(きやう)弟(だい)を先(さき)に立(た)て、奥州(あうしう)の佐(さ)藤(とう)四(し)郎(らう)兵衛(びやうゑ)、伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)を弓(ゆん)手(で)馬手(めて)に立(た)て、田(た)代(しろ)の冠(くわん)者(じや)を後(うしろ)に立(た)てて、八(はち)十(じふ)余(よ)騎(き)をめいて駆(か)けたまへば、平(へい)家(け)の兵(つはもの)ども、馬(むま)には乗(の)らず、大(たい)略(りやく)歩(かち)武(む)者(しや)にてありければ、馬(むま)に当(あ)てられじと引(ひ)き退(しりぞ)いて、皆(みな)船(ふね)へぞ乗(の)りける。楯(たて)は算(さん)を散(ち)らしたるやうに、散々(さんざん)に蹴(け)散(ち)らさる。源(げん)氏(じ)の兵(つはもの)ども勝(か)つに乗(の)って、馬(むま)の太腹(ふとばら)ひたるほどに打(う)ち入(い)れ打(う)ち入(い)れ責(せ)め戦(たたか)ふ。

 判(はう)官(ぐわん)深入(ふかいり)して戦(たたか)ふほどに、船(ふね)の中(うち)より熊(くま)手(で)を持(も)って、判(はう)官(ぐわん)の甲(かぶと)の錣(しころ)に、からりからりと二(に)、三(さん)度(ど)まで打(う)ち懸(か)けけるを、御(み)方(かた)の兵(つはもの)ども、太刀(たち)、長刀(なぎなた)で打(う)ちのけ打(う)ちのけしけるほどに、いかがしたりけん、判(はう)官(ぐわん)弓(ゆみ)を懸(か)け落(お)とされぬ。うつぶして鞭(むち)をもってかき寄(よ)せて、取(と)らう取(と)らうとしたまへば、兵(つはもの)ども、

「ただ捨(す)てさせたまへ」

 と申(まう)しけれども、つひに取(と)って、笑(わら)うてぞ帰(かへ)られける。おとなども、爪(つま)弾(はじ)きをして、

「口(くち)惜(を)しき御事(おんこと)候(さうらふ)かな。たとひ千(せん)疋(ひき)万(まん)疋(ひき)に替(か)へさせたまふべき御(おん)宝(たから)なりとも、いかが御(おん)命(いのち)に替(か)へさせたまふべき」と申(まう)せば、判(はう)官(ぐわん)、

「弓(ゆみ)の惜(を)しさに取(と)らばこそ。義経(よしつね)が弓(ゆみ)といはば、二(ふた)人(り)しても張(は)り、もしくは三人(さんにん)しても張(は)り、伯父(をぢ)の為朝(ためとも)が弓(ゆみ)のやうならば、わざとも落(お)として取(と)らすべし。尫(わう)弱(じやく)たる弓(ゆみ)を敵(かたき)取(と)り持(も)って、『これこそ源(げん)氏(じ)の大(たい)将(しやう)九(く)郎(らう)義経(よしつね)が弓(ゆみ)よ』とて嘲弄(てうろう)せんずるが口(くち)惜(を)しければ、命(いのち)に代(か)へて取(と)るぞや」

 とのたまへば、皆(みな)人(ひと)これをぞ感(かん)じける。

 さるほどに日(ひ)暮(く)れければ、平(へい)家(け)の船(ふね)は沖(おき)に浮(う)かめば、源(げん)氏(じ)は陸(くが)に引(ひ)き退(しりぞ)いて、むれ、高松(たかまつ)の中(なか)なる野(の)山(やま)に陣(ぢん)をぞ取(と)りたりける。

 源(げん)氏(じ)の兵(つはもの)ども、この三(みつ)日(か)が間(あひだ)は臥(ふ)さざりけり。一昨日(をととひ)渡辺(わたなべ)、福島(ふくしま)を出(い)づるとて、その夜(よ)大浪(おほなみ)に揺(ゆ)られて目(め)睡(ねぶ)らず、昨日(きのふ)阿波(あは)の国(くに)勝浦(かつうら)にて軍(いくさ)して、終夜(よもすがら)中山(なかやま)越(こ)え、今日(けふ)また一日(いちにち)戦(たたか)ひ暮(く)らしたりければ、皆(みな)疲(つか)れ果(は)てて、あるいは甲(かぶと)を枕(まくら)にし、あるいは鎧(よろひ)の袖(そで)、箙(えびら)など枕(まくら)にして、前(ぜん)後(ご)も知(し)らず臥(ふ)したりけり。

 その中(なか)に、判(はう)官(ぐわん)と伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)は寝(ね)ざりけり。判(はう)官(ぐわん)は高(たか)き所(ところ)に登(のぼ)り上(あ)がって、敵(かたき)や寄(よ)ると遠(とほ)見(み)したまへば、伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)はくぼき所(ところ)に隠(かく)れ居(ゐ)て、敵(かたき)寄(よ)せば、まづ馬(むま)の太腹(ふとばら)射(い)んとて待(ま)ち懸(か)けたり。

 平(へい)家(け)の方(かた)には、能(の)登(との)守(かみ)を大(たい)将(しやう)にて、その勢(せい)五(ご)百(ひやく)余(よ)騎(き)、夜(よ)討(うち)にせんと支(し)度(たく)しけれども、越中(ゑつちゆうの)次(じ)郎(らう)兵衛(びやうゑ)盛次(もりつぐ)と海老(えびの)次(じ)郎(らう)守方(もりかた)と、先陣(せんぢん)を争(あらそ)ふほどに、その夜(よ)もむなしく明(あ)けにけり。夜(よ)討(うち)にだにもしたらば、源(げん)氏(じ)なじかはたまるべき。寄(よ)せざりけるこそ、せめての運(うん)の究(きは)めなれ。

「弓流」現代語訳全文

 あまりの見事さに、感に堪えなかったのだろうかと思われて、船の中から、年50歳ほどの男で、黒(くろ)革(かわ)威(おどし)の鎧を着て、白(しら)柄(え)の長刀を持った者が、扇を立てていた所に立って舞い始めた。

 伊(い)勢(せの)三(さぶ)郎(ろう)義盛(よしもり)が、与(よ)一(いち)の後ろへ馬を歩ませ寄って、

「ご命令だ、射よ」

 と言ったので、与一は今度は中差(なかざし)の矢を取ってつがえ、十分に引き絞って、男の首の骨をひょうふっと射て、船底へまっさかさまに射倒した。平家の方では静まり返って音もせず、源氏の方ではまた箙(えびら)をたたいてどよめいた。

「ああ、よく射た」と言う人もあり、また、

「心ないことを」と言う者もあった。

 平家はこれを無念に思ったのだろうか、楯を持って1人、弓を持って1人、長刀を持って1人、武者3人が渚に上がり、楯を突き立てて、

「敵よ、寄せて来い」と手招きした。

 判官(源(みなもとの)義(よし)経(つね))が、

「あれを、馬の強い若武者ども、駆け寄って蹴散らせ」とおっしゃると、

 武(む)蔵(さし)の国の住人、三穂屋四郎(みおのやのしろう)、同じく藤七(とうしち)、同じく十(じゅう)郎(ろう)、上野(こうずけ)の国の住人、丹生(にゅう)の四(し)郎(ろう)、信(しな)濃(の)の国の住人、木曽(きそ)の中次(ちゅうじ)の5騎が連れ立って、わめき声を上げて駆けていく。楯の陰から、漆を塗った篦(の)に黒い羽をつけた大きな矢で、真っ先に進んでいた三穂屋十郎の馬の左の胸懸(むながい)のあたりを、ひょうずばと射て、矢柄が隠れるほど深く射込んだ。屏風を倒すように馬がどうと倒れると、乗り手は右足を馬の上に越して、左側へ下り立ち、すぐさま太刀を抜いた。

 楯の陰から大長刀を振りかざして打ちかかってきたので、三穂屋十郎は、小太刀では大長刀にかなうまいと思ったのだろうか、身をかがめて逃げると、相手はすぐに続いて追いかけた。長刀でなぎ払うのかと見ていると、そうではなく、長刀を左の脇にかい挟み、右手を差し伸べて、三穂屋十郎の兜の錣(しころ)をつかもうとする。十郎はつかまれまいと走る。3度つかみ損ねて、4度目にむずとつかんだ。しばらく持ちこたえているように見えたが、鉢付(はちつけ)の板から錣をぷつりと引きちぎって、十郎は逃げ去った。残りの4騎は、馬を惜しんで駆け寄らず、見物していた。三穂屋十郎は、味方の馬の陰に逃げ込んで、息をついていた。

 敵は追っても来ず、長刀を杖について、ちぎり取った兜の錣を差し上げ、大声を上げて、

「日ごろは噂にも聞いていただろう、今は目にもご覧なされ。これこそ京の若者たちが呼んでいるという、上総悪七兵衛(かずさのあくしちびょうえ)景清(かげきよ)だ」と名乗り捨てて帰っていった。

 平家はこれで気を取り直して、

「悪七兵衛を討たせるな。続け、者ども」

 と言って、また200余人が渚に上がり、楯を雌(めん)鳥(どり)羽(ば)のように重ねて突き並べ、

「敵よ、寄せて来い」と手招きした。

 判官はこれを見て、

「腹立たしいことだ」

 と言って、後(ご)藤(とう)兵(びょう)衛(え)父子、金(かね)子(こ)兄弟を先頭に立て、奥州の佐藤四郎兵衛(さとうしろうびょうえ)、伊勢三郎を左右に立て、田代冠者(たしろのかんじゃ)を後ろに立てて、80余騎でわめき声を上げて駆けられると、平家の兵たちは馬には乗らず、たいていは徒歩の武者だったので、馬に蹴られまいと引き下がって、みな船へ乗ってしまった。楯は算木を散らしたように、さんざんに蹴散らされる。源氏の兵たちは勝ちに乗って、馬の太腹がつかるほどまで海へ乗り入れ乗り入れ、攻め戦う。

 判官は深入りして戦ううちに、船の中から熊(くま)手(で)で、判官の兜の錣に、からりからりと2、3度まで引っかけてきたのを、味方の兵たちが太刀や長刀で何度も払いのけているうちに、どうしたことだろうか、判官は弓を引っかけて落とされてしまった。判官は身をかがめて、鞭で弓をかき寄せ、取ろう取ろうとなさるので、兵たちは、

「ただお捨てなさいませ」

 と申し上げたが、判官はとうとう取って、笑いながら帰ってこられた。年配の武者たちは、爪はじきをして、

「残念なことでございます。たとえ1000疋、1万疋の金にも替えられるほどの御宝であっても、どうしてお命に替えられましょうか」と申し上げると、判官は、

「弓が惜しくて取ったのではない。義経の弓というのが、2人がかりで張るような、あるいは3人がかりで張るような、伯父の為朝(ためとも)の弓のような強弓であるならば、わざとでも落として敵に取らせよう。弱々しい弓を敵が拾い取って、『これこそ源氏の大将、九郎義経の弓だ』と言ってあざ笑うだろうことが悔しいので、命に代えて取ったのだ」

 とおっしゃったので、人々はみなこれに感じ入った。

 そうしているうちに日が暮れたので、平家の船は沖に浮かび、源氏は陸に引き退いて、牟礼(むれ)と高松(たかまつ)の間にある野山に陣を取った。

 源氏の兵たちは、この3日の間、寝ていなかった。一昨日は渡辺、福島(ふくしま)を出ようとして、その夜は大波に揺られてまどろみもせず、昨日は阿波の国勝浦(かつうら)で戦をして、夜通し山を越え、今日もまた一日中戦い暮らしたので、みな疲れ果てて、ある者は兜を枕にし、ある者は鎧の袖や箙(えびら)などを枕にして、前後も知らずに寝てしまった。

 その中で、判官と伊勢三郎は寝なかった。判官は高い所に登って、敵が寄せて来るかと見張っておられ、伊勢三郎はくぼんだ所に隠れていて、敵が寄せてきたら、まず馬の太腹を射ようと待ち構えていた。

 平家の方では、能(の)登(との)守(かみ)(平教経(たいらののりつね))を大将として、その軍勢500余騎で夜討ちをしようと準備していたが、越(えっ)中(ちゅうの)次(じ)郎(ろう)兵(びょう)衛(え)盛次(もりつぐ)と海老次郎(えびのじろう)守方(もりかた)とが先陣を争っているうちに、その夜もむなしく明けてしまった。夜討ちさえしていたら、源氏はどうして持ちこたえられただろうか。攻め寄せなかったことこそ、平家の運の尽き果てた極みであった。

「弓流」の読みどころ

「あ、射たり」と「情けなし」

前の章段「那須与一」では、扇を射落とした与一の一矢を、沖の平家も陸の源氏もそろってたたえました。ところが「弓流」の冒頭で、その余韻に誘われて舞い始めた平家の武者は、義経の命令を受けた与一に射倒されてしまいます。

「平家の方には音もせず、源氏の方にはまた箙を叩いてどよめきけり」という一文は、扇の的のときの「沖には平家、ふなばたを叩いて感じたり。陸には源氏、箙を叩いてどよめきけり」と同じ形を借りながら、平家の側だけを静まり返らせています。さらに源氏の中にも「情けなし」と言う者がいたと書き添えることで、物語は武勇を称賛するだけでなく、戦場の非情さにも目を向けています。

悪七兵衛景清の「錣引き」

景清は長刀で斬りかかるのではなく、長刀を脇に挟み、素手で相手の兜の錣をつかみにいきます。3度つかみそこねて4度目にとらえ、しばらく引き合ったすえに、錣が鉢付の板からちぎれて十郎は逃げ去りました。

景清は追いもせず、奪った錣を差し上げて「これこそ京童部の呼ぶなる上総悪七兵衛景清よ」と名乗ります。怪力と余裕を見せつけるこの場面は「錣引き」と呼ばれて名高く、景清はのちに能や浄瑠璃などでも題材として取り上げられました。

義経が弓にこだわった理由

章段の名前にもなった「弓流」の場面です。熊手で兜を引っかけられるほどの危険な中で、義経は海に落ちた弓を鞭でかき寄せ、家来たちが止めるのも聞かずに拾い上げ、笑って戻ってきます。

年配の武士たちに非難されると、義経は「弓の惜しさに取らばこそ」と答えます。自分の弓は伯父の為朝のような強弓ではない。その弱い弓を敵に拾われ、「これが源氏の大将の弓だ」と笑い物にされるのが悔しいのだ、というのです。自分の弓が弱いことを隠さず語りながら、大将としての名誉を命より重んじる姿に、人々は感じ入りました。

疲れ果てた源氏と、動けなかった平家

章段の終わりでは、3日間ほとんど眠らずに戦い続けた源氏の兵たちが、兜や箙を枕に前後不覚に眠り込みます。その中で、義経は高い所から敵を見張り、伊勢三郎は低い所に隠れて敵を待ち構えていました。

一方の平家は、能登守教経を大将に夜討ちを計画しながら、先陣争いのために一夜をむだにしてしまいます。語り手は「寄せざりけるこそ、せめての運の究めなれ」と、夜討ちをしなかったことを平家の運の尽きとして評しています。物語の語り手が自分の言葉で評価を述べる、印象的な結びです。

擬音語・擬態語が伝える戦いの迫力

「ひやうふつと」(矢が首の骨に突き刺さる音)、「ひやうづばと」(矢が馬の胸に深く刺さる音)、「どうと」(馬が倒れる音)、「むずと」(力をこめてつかむさま)、「ふつと」(錣がちぎれるさま)、「からりからり」(熊手が兜に当たる音)など、この章段には擬音語・擬態語が多く使われています。琵琶法師が語り聞かせた『平家物語』らしく、音で戦いの場面が目に浮かぶように描かれています。

「弓流」についてよくある質問

「弓流」は何と読みますか?『平家物語』の何巻に収められていますか?

「ゆみながし」と読みます。第11巻(巻十一)に収められており、屋島の戦いを描く「那須与一」と「志(し)度(ど)合(かっ)戦(せん)」の間にある章段です。「弓流し」と送り仮名を付けて書かれることもあります。

義経はなぜ命がけで弓を拾ったのですか?

弓そのものが惜しかったからではありません。弱い弓を敵に拾われ、「これこそ源氏の大将九郎義経の弓よ」とあざけられるのが悔しかったからです。伯父の為朝の弓のような強弓なら、わざと落として取らせてもよいとまで言っています。大将としての名誉を命より重んじる義経の姿に、周囲の人々は感じ入りました。

扇の的のあとで舞を舞った平家の武者は、なぜ射られたのですか?

本文では、伊勢三郎義盛が与一に「御諚(ごじょう)ぞ、仕(つかまつ)れ」と伝えており、義経の命令によって射たことがわかります。源氏の中では「あ、射たり」とほめる声がある一方、「情(なさ)けなし(心ないことを)」と言う者もいました。

「錣引き」とはどんな場面ですか?

平家方の悪七兵衛景清が、逃げる源氏の三穂屋十郎の兜の錣(首を守るために兜から垂らした部分)を素手でつかみ、引き合った末に錣がちぎれた場面です。景清の怪力と豪胆さを伝える場面として名高く、「錣引き」と呼ばれています。

「弓流」の場面はこのあとどうなりますか?

翌朝、平家は志度の浦(現在の香川県さぬき市)へ退きますが、義経に追撃されて再び海へ逃れます。伊勢三郎義盛の計略で、伊予へ出ていた平家方の大軍も降伏し、四国を追われた平家は、翌月の壇ノ浦の戦いへと向かっていきます。

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