『枕草子』原文全文を読む(7)第106段~第131段|読みやすいふりがな付き

目次

第106段「二月つごもり頃に」

 二月にぐわつつごもり頃ころに、風かぜいたう吹ふきて空そらいみじう黒くろきに、雪ゆき少すこしうち散ちりたるほど、黒戸くろどに主殿司とのもりづかさ来きて、

「かうて候さぶらふ」

 と言いへば、寄よりたるに、

「これ、公任きんたふの宰相さいしやう殿どのの」

 とてあるを、見みれば、懐紙ふところがみに、

少すこし春はるある心地ここちこそすれ

 とあるは、げに今日けふの気色けしきにいとよう合あひたるも、これが本もとはいかでかつくべからむ、と思おもひ煩わづらひぬ。

「誰々たれたれか」

 と問とへば、

「それそれ」

 といふ。皆みないと恥はづかしき中なかに、宰相さいしやうの御答おんいらへを、いかでかことなしびに言いひ出いでむ、と心こころ一ひとつに苦くるしきを、御前おまへに御覧ごらんぜさせむとすれど、上うへのおはしまして大殿籠おほとのごもりたり。主殿司とのもりづかさは、

「疾とく疾とく」

 と言いふ。げに遅おそうさへあらむは、いととりどころなければ、さはれとて、

空そら寒さむみ花はなに紛まがへて散ちる雪ゆきに

 と、わななくわななく書かきて取とらせて、いかに思おもふらむとわびし。これがことを聞きかばやと思おもふに、謗そしられたらば聞きかじと覚おぼゆるを、

「俊賢としかたの宰相さいしやうなど、なほ内侍ないしに奏そうしてなさむとなむ、定さだめたまひし」

 とばかりぞ、左兵衛督さひやうゑのかみの、中将ちゆうじやうにおはせし、語かたりたまひし。

第107段「ゆくすゑはるかなるもの」

 行ゆく末すゑはるかなるもの、半臂はんぴの緒を捻ひねり始はじむる。陸奥みちのくの国くにへ行ゆく人ひとの、逢坂あふさか越こゆる程ほど。生うまれたる稚児ちごの大人おとなになる程ほど。大般若だいはんにやの読経どきやう、一人ひとりして始はじめたる。

第108段「方弘はいみじう人に」

 方弘まさひろは、いみじう人ひとに笑わらはるるものかな。親おやなどいかに聞きくらむ。

 供ともに歩ありく者ものどもの、人々ひとびとしきを呼よび寄よせて、

「なにしにかかる者ものには使つかはるるぞ。いかが覚おぼゆる」

 など笑わらふ。

 ものいとよくするあたりにて、下襲したがさね、袍うへのきぬなども、人ひとよりよくて着きたるを、紙燭しそく差さし付つけ焼やき、あるは、

「これを異人ことひとに着きせばや」

 など言いふに、げにまた言葉遣ことばづかひなどぞ怪あやしき。

 里さとに宿直物とのゐもの取とりに遣やるに、

「男をとこ二人ふたりまかれ」

 といふを、

「一人ひとりしてとりにまかりなむ」

 といふ。

「あやしの男をとこや。一人ひとりして二人ふたりが物ものをば、いかで持もたるべきぞ。一升瓶ひとますがめに二升ふたますは入いるや」

 といふを、なでふことと知しる人ひとはなけれど、いみじう笑わらふ。

 人ひとの使つかひの来きて、

「御返おんかへし疾とく」

 といふを、

「あな、にくの男をとこや。などかう惑まどふ。竈かまどに豆まめやくべたる。この殿上てんじやうの墨すみ、筆ふでも、何なに者ものの盗ぬすみ隠かくしたるぞ。飯いひ、酒さけならばこそ、人ひとも欲ほしがらめ」

 といふを、また笑わらふ。

 女院にようゐん悩なやませたまふとて、御使おんつかひに参まゐりて、帰かへりたるに、

「院ゐんの殿上てんじやうには誰々たれたれかありつる」

 と人ひとの問とへば、それかれなど、四五人よたりいつたりばかりいふに、

「また誰たれか」

 と問とへば、

「さて、去いぬる人ひとどもぞありつる」

 と言いふも笑わらふも、また怪あやしきことにこそはあらめ。

 人間ひとまに寄より来きて、

「我わが君きみこそ、物もの聞きこえむ。まづと、人ひとの宣のたまひつることぞ」

 といへば、

「何事なにごとぞ」

 とて、几帳きちやうのもとに差さし寄よりたれば、

「身籠むくろごめに寄よりたまへ」

 と言いひたるを、五体込ごたいごめとなむ言いひつるとて、人ひとに笑わらはる。

 除目ぢもくの中なかの夜よ、さし油ゆするに、灯台とうだいの打敷うちしきを踏ふみて立たてるに、新あたらしき油単ゆたんに、襪したうづはいとよく捉とらへられにけり。差さし歩あゆみて帰かへれば、やがて灯台とうだいは倒たふれぬ、襪したうづに打敷うちしき付つきて行いくに、誠まことに大地震動だいぢしんどうしたりしか。

 頭とう着つきたまはぬ限かぎりは、殿上てんじやうの台盤だいばんには人ひともつかず。それに、豆まめ一ひと盛もり、やをら取とりて、小障子こしやうじの後うしろにて食くひければ、引ひき現あらはして笑わらふこと限かぎりなし。

第109段「見苦しきもの」

 見苦みぐるしきもの、衣きぬの背縫せぬひ、肩かたに寄よせて着きたる。また、仰領のけくびしたる。例れいならぬ人ひとの前まへに、子こ負おひて出いで来きたる。法師ほふし、陰陽師おんやうじの、紙冠かみかぶりして祓はらへしたる。色黒いろくろうにくげなる女をんなの鬘かづらしたると、鬚ひげがちに、かじけ痩やせ痩やせなる男をとこと、夏なつ昼寝ひるねしたるこそ、いと見苦みぐるしけれ。なにの見みる甲斐かひにて、さて臥ふいたるならむ。夜よなどは形かたちも見みえず、また、皆みなおしなべてさることとなりければ、我われはにくげなるとて、起おき居ゐるべきにもあらずかし。さて、つとめては疾とく起おきぬる、いと目安めやすしかし。

 夏なつ昼寝ひるねして起おきたるは、よき人ひとこそ、今いま少すこしをかしかなれ、えせ形かたちは、艶つやめき、寝ね腫はれて、ようせずは、頬ほほ歪ゆがみもしぬべし。かたみにうち見み交かはしたらむほどの、生いける甲斐かひなさや。痩やせ、色いろ黒くろき人ひとの、生絹すずしの単衣ひとへ着きたる、いと見苦みぐるしかし。

第110段「いひにくきもの」

 言いひにくきもの、人ひとの消息せうそこの中なかに、よき人ひとの仰おほせごとなどの多おほかるを、はじめより奥おくまでいと言いひにくし。はづかしき人ひとのものなどおこせたる返事かへりごと。大人おとなになりたる子この、思おもはずなることなどを聞きくに、前まへにては言いひにくし。

第111段「関は」

 関せきは、逢坂あふさか。須磨すまの関せき。鈴鹿すずかの関せき。岫田くきたの関せき。白河しらかはの関せき。衣ころもの関せき。ただ越ごえの関せきは、はばかりの関せきと、譬たとしへなくこそ覚おぼゆれ。横走よこはしりの関せき。清見きよみが関せき。みるめの関せき。よしよしの関せきこそ、いかに思おもひ返かへしたるならむと、いと知しらまほしけれ。それを勿来なこその関せきと言いふにやあらむ。逢坂あふさかなどを、さて思おもひ返かへしたらむは、わびしかりなむかし。

第112段「森は」

 森もりは、浮田うきたの森もり。上木うへきの森もり。岩瀬いはせの森もり。立聞たちぎきの森もり。

第113段「原は」

 原はらは、朝あしたの原はら。粟津あはづの原はら。篠原しのはら。萩原はぎはら。園原そのはら。

第114段「卯月のつごもりがたに」

 卯月うづきのつごもりがたに、初瀬はつせに詣まうでて、淀よどの渡わたりと言いふものをせしかば、舟ふねに車くるまを舁かき据すゑて、菖蒲さうぶ、菰こもなどの末すゑの短みじかく見みえしを取とらせたれば、いと長ながかりけり。菰こも積つみたる舟ふねの歩ありくこそ、いみじうをかしかりしか。「高瀬たかせの淀よどに」とは、これを詠よみけるなめりと見みえて。

 三日みつか帰かへりしに、雨あめの少すこし降ふりしほど、菖蒲さうぶ刈かるとて、笠かさのいと小ちひさき着きつつ、脛はぎいと高たかき男をとこの童わらはなどのあるも、屏風びやうぶの絵ゑに似にていとをかし。

第115段「つねよりことにきこゆるもの」

 常つねより異ことに聞きこゆるもの、正月しやうぐわつの車くるまの音おと。また、鳥とりの声こゑ。暁あかつきのしはぶき。物ものの音ねはさらなり。

第116段「絵にかきおとりするもの」

 絵ゑに描かき劣おとりするもの、撫子なでしこ。菖蒲さうぶ。桜さくら。物語ものがたりにめでたしと言いひたる男をとこ、女をんなの形かたち。

第117段「かきまさりするもの」

 描かき勝まさりするもの、松まつの木き。秋あきの野の。山やま里さと。山路やまぢ。

第118段「冬はいみじうさむき」

 冬ふゆは、いみじう寒さむき。夏なつは、世よに知しらず暑あつき。

第119段「あはれなるもの」

 あはれなるもの、孝かうある人ひとの子こ。良よき男をとこの若わかきが、御嶽精進みたけさうじしたる。立たて隔へだて居ゐて、うち行おこなひたる暁あかつきの額ぬか、いみじうあはれなり。むつまじき人ひとなどの、目覚めさまして聞きくらん、思おもひやる。詣まうづる程ほどの有様ありさま、いかならんなど、つつしみおぢたるに、平たひらかに詣まうで着つきたるこそいとめでたけれ。烏帽子えぼしのさまなどぞ、少すこし人ひと悪わろき。なほいみじき人ひとと聞きこゆれど、こよなくやつれてこそ詣まうづと知しりたれ。

 右衛門うゑもんの佐すけ宣孝のぶたかといひたる人ひとは、

「あぢきなきことなり。ただ清きよき衣きぬを着きて詣まうでんに、なでうことかあらん。必かならずよも怪あやしうて詣まうでよと、御嶽みたけさらに宣のたまはじ」

 とて、

 三月さんぐわつつごもりに、紫むらさきのいと濃こき指貫さしぬき、白しろき襖あを、山吹やまぶきのいみじうおどろおどろしきなど着きて、隆光たかみつが、主殿とのもの助すけなるには、青色あをいろの襖あを、紅くれなゐの衣きぬ、すりもどろかしたる水干すいかんといふ袴はかまを着きせて、打うち続つづき詣まうでたりけるを、帰かへる人ひとも今いま詣まうづるも、珍めづらしう、怪あやしきことに、すべて、昔むかしよりこの山やまに、かかる姿すがたの人ひと見みえざりつ、と、あさましがりしを、四月しぐわつ一日ついたちに帰かへりて、六月ろくぐわつ十日とをかの程ほどに、筑前ちくぜんの守かみの辞じせしに、なりたりしこそ、げに言いひにけるに違たがはずも、と聞きこえしか。これはあはれなることにはあらねど、御嶽みたけのついでなり。

 男をとこも女をんなも、若わかく清きよげなるが、いと黒くろき衣きぬ着きたるこそあはれなれ。

 九月くぐわつつごもり、十月じふぐわつ一日ついたちの程ほどに、ただ有あるか無なきかに聞きき付つけたるきりぎりすの声こゑ。

 庭鳥にはとりの、子こ抱いだきて臥ふしたる。秋あき深ふかき庭にはの浅茅あさぢに、露つゆの、色々いろいろの玉だまのやうにて置おきたる。夕暮ゆふぐれ、暁あかつきに、河竹かはたけの風かぜに吹ふかれたる、目覚めさまして聞ききたる。また、夜よなどもすべて。山やま里さとの雪ゆき。思おもひ交かはしたる若わかき人ひとの中なかの、せくかたありて、心こころにも任まかせぬ。

第120段「正月に寺にこもりたるは」

 正月しやうぐわつに寺てらに籠こもりたるは、いみじう寒さむく、雪ゆきがちに氷こほりたるこそをかしけれ。

 雨あめうち降ふりぬる気色けしきなるは、いとわろし。清水きよみづなどに詣まうでて、局つぼねするほど、呉階くれはしのもとに、車くるま引ひき寄よせて立たてたるに、帯おびばかりうちしたる若わかき法師ほふしばらの、足駄あしだといふものを履はきて、いささかつつみもなく、下おり上のぼるとて、なにともなき経きやうの端はしうち読よみ、倶舎くしやの頌ずなど誦ずしつつ歩ありくこそ、所ところにつけてはをかしけれ。我わが上のぼるは、いと危あやふく覚おぼえて、傍かたはらに寄よりて、勾欄こうらん押おさへなどして行いくものを、ただ板敷いたじきなどのやうにありきたるもをかし。

「御局みつぼねして侍はべり。はや」

 といへば、沓くつども持もて来きて下おろす。衣きぬ上うへざまに引ひき返かへしなどしたるもあり。裳も、唐衣からぎぬなど、事々ことごとしく装束さうぞきたるもあり。深履ふかぐつ、半靴はうくわなど履はきて、廊らうのほど、沓くつ擦すり入いるは、内裏うちわたりめきて、またをかし。

 内外ないげ許ゆるされたる若わかき男をとこども、家いへの子こなど、あまた立たち続つづきて、

「そこもとは、落おちたる所ところはべり。上あがりたり」

 など教をしへゆく。なに者ものにからむ、いと近ちかく差さし歩あゆみ、先立さいだつ者ものなどを、

「しばし。人ひとおはしますに、かくはせぬわざなり」

 など言いふを、げにと、少すこし心こころあるもあり。また、聞ききも入いれず、先まづわれ仏ほとけの御前おまへにと思おもひて行いくもあり。局つぼねに入いるほども、人ひとの居並ゐなみたる前まへを通とほり入いらば、いとうたてあるを、犬防いぬふせぎのうち見み入いれたる心地ここちぞ、いみじうたふたく、などて、この月頃つきごろ詣まうでで過すぐしつらむと、先まづ心こころも起おこる。

 御灯みあかしの、常灯じやうとうにはあらで、うちに、また人ひとの奉たてまつれるが、恐おそろしきまで燃もえたるに、仏ほとけのきらきらと見みえたまへるは、いみじう尊たふときに、手てごとに文ふみどもを捧ささげて、礼盤らいばんにかひろぎ誓ちかふも、さばかりゆすり満みちたれば、取とり放はなちて聞きき分わくべきにもあらぬに、せめて絞しぼり出いでたる声々こゑごゑの、さすがにまた紛まぎれずなむ。

「千灯せんとうの御志みこころざしは某なにがしの御おんため」

 などは、はつかに聞きこゆ。帯おびうちして拝をがみ奉たてまつるに、

「ここに、塗香つかう候さぶらふ」

 とて、樒しきみの枝えだを折をり持もて来きたるに、香かなどのいと尊たふときもをかし。

 犬防いぬふせぎのかたより、法師ほふし寄より来きて、

「いとよく申まうし侍はべりぬ。幾日いくかばかり籠こもらせたまふべきにか。しかじかの人ひと籠こもりたまへり」

 など言いひ聞きかせて去いぬる、すなはち、火桶ひをけ、果物くだものなど持もて続つづかせて、半挿はんざふに手水てうづ入いれて、手てもなき盥たらひなどあり。

「御供おんともの人ひとは、かの坊ばうに」

 など言いふ。誦経ずきやうの鐘かねの音おとなど、我われがななりと聞きくも、頼たのもしう覚おぼゆ。傍かたはらに、よろしき男をとこの、いと忍しのびやかに、額ぬかなど、立たち居ゐのほども、心こころあらむと聞きこえたるが、いたう思おもひ入いりたる気色けしきにて、寝いも寝ねず行おこなふこそ、いとあはれなれ。うち休やすむほどは、経きやうを高たかうは聞きこえぬほどに読よみたるも、尊たふとげなり。うち出いでさせまほしきに、まいて鼻はななどを、けざやかに聞ききにくくはあらで、忍しのびやかにかみたるは、何事なにごとを思おもふ人ひとならむと、かれをなさばやとこそ覚おぼゆれ。

 日頃ひごろ籠こもりたるに、昼ひるは少すこしのどかに、早はやくはありし。師しの坊ばうに、男をとこども、女をんな、童わらはなど皆みな行いきて、つれづれなるに、傍かたはらに貝かひを俄にはかに吹ふき出いでたるこそ、いみじう驚おどろかるれ。清きよげなる立文たてぶみ持もたせたる男をとこなどの、誦経ずきやうの物ものうち置おきて、堂童子だうどうじなど呼よぶ声こゑ、山彦やまびこ響ひびき合あひてきらきらしう聞きこゆ。鐘かねの声こゑ響ひびき勝まさりて、何処いづこのならむと思おもふほどに、やんごとなきところの名なうち言いひて、

「御産ごさん平たひらかに」

 など、験々げんげんしげに申まうしたるなど、すずろに、いかならむなど、おぼつかなく念ねんぜらるかし。これは、ただなる折をりのことなめり。正月しやうぐわつなどはただいと騒さわがしき、物望もののぞみなる人ひとなど、暇ひまなく詣まうづるを見みるほどに、行おこなひもしやらず。

 日ひうち暮くるるほど詣まうづるは、籠こもるなめり。

 小法師こぼふしばらの、持もち歩あるくべうもあらぬに、屏風びやうぶの高たかきを、いとよく進退しんだいして、畳たたみなどをうち置おくと見みれば、局つぼねに立たてて、犬防いぬふせぎに簾すだれさらさらとうち掛かくる、いみじうつきたり、やすげなり。そよそよとあまた下おり来きて、大人おとなだちたる人ひとの、いやしからぬ声こゑの忍しのびやかなる気配けはひして、帰かへる人ひとにやあらむ、

「そのことあやし。火ひのこと制せいせよ」

 など言いふもあなり。

 七ななつ八やつばかりなる男児をのこごの、声こゑ愛敬あいぎやうづき、驕おごりたる声こゑにて、侍さぶらひの男をとこども呼よび付つき、物ものなど言いひたる、いとをかし。また、三みつばかりなる稚児ちごの寝ねおびれてうちしはぶきたるも、いとうつくし。乳母めのとの名な、母ははなど、うち言いひ出いでたるも、誰たれならむと知しらまほし。

 夜一夜よひとよのしりおこなひ明あかすに、寝ねも入いらざりつるを、後夜ごやなど果はてて、少すこしうち休やすみたる寝ね耳みみに、その寺てらの仏ほとけの御経おんきやうを、いと荒々あらあらしう、尊たふとくうち出いで誦よみたるにぞ、いとわざと尊たふとくしもあらず、行者ぎやうじやだちたる法師ほふしの、蓑みのうち敷しきたるなどが誦よむななりと、ふとうち驚おどろかれて、あはれに聞きこゆ。

 また、夜よなどはこもらで、人々ひとびとしき人ひとの、青鈍あをにびの指貫さしぬきに綿わた入いりたる、白しろき衣きぬどもあまた着きて、子供こどもなめりと見みゆる若わかき男をとこのをかしげなる、装束さうぞきたる童部わらはべなどして、侍さぶらひなどやうの者もの、あまた畏かしこまり居ゐ念ねんじたるもをかし。仮初かりそめに屏風びやうぶばかりを立たてて、額ぬかなど少すこしつくめり。顔かほ知しらぬは、誰たれならむとゆかし、知しりたるは、さなめりと見みるもをかし。若わかき者ものどもは、とかく局つぼねどものあたりに立たちさ迷まよひて、仏ほとけの御方みかたに目めも見み入いれたてまつらず。別当べたうのなど呼よび出いで、うちささめき物語ものがたりして出いでぬる、似非者えせものとは見みえず。

 二月にぐわつつごもり、三月さんぐわつ一日ついたち、花盛はなざかりにこもりたるもをかし。清きよげなる若わかき男をとこどもの、主あるじと見みゆる二三人ふたりみたり、桜さくらの襖あを、柳やなぎなどいとをかしうて、括くくり上あげたる指貫さしぬきの裾すそも、あてやかにぞ見みなさるる。つきづきしき男をとこに装束さうぞくをかしうしたる餌袋ゑぶくろ抱いだかせて、小舎人童こどねりわらはども、紅梅こうばい、萌黄もえぎの狩衣かりぎぬ、色々いろいろの衣きぬ、おしすりもどろかしたる袴はかまなど着きせたり。花はななど折をらせて、侍さぶらひめきて細ほそやかなる者ものなど具ぐして、金鼓こんく打うつこそをかしけれ。さぞかしと見みゆる人ひともあれど、いかでか知しらむ。うち過すぎて去いぬるもさうざうしければ、

「気色けしきを見みせまし」

 などいふもをかし。

 かやうにて、寺てらに籠こもり、すべて例れいならぬ所ところに、ただ使つかふ人ひとの限かぎりしてあるこそ、甲斐かひなう覚おぼゆれ。なほ同おなじほどにて、一ひとつ心こころに、をかしきことも憎にくきことも、様々さまざまに言いひ合あはせつべき人ひと、必かならず一人ひとり二人ふたり、あまたも誘さそはまほし。そのある人ひとの中なかにも、口惜くちをしからぬもあれど、目め馴なれたるなるべし。男をとこなどもさ思おもふにこそあらめ、わざと尋たづね呼よび歩ありくは。

第121段「いみじう心づきなきもの」

 いみじう心付こころづきなきもの、祭まつり、禊みそぎなど、すべて、男をとこの物もの見みるに、ただ一人ひとり乗のりて見みるこそあれ。いかなる心こころにかあらむ。やむごとなからずとも、若わかき男をとこなどのゆかしがるをも、引ひき乗のせよかし。透影すきかげにただ一人ひとりただよひて、心こころ一ひとつに守まもり居ゐたらむよ。いかばかり心狭こころせばく、気憎けにくきならむとぞ覚おぼゆる。

 物ものへも行いき、寺てらへも詣まうづる日ひの雨あめ。使つかひふ人ひとなどの、

「我われをば思おぼさず、某なにがしこそ、只今ただいまの時ときの人ひと」

 など言いふを、ほの聞ききたる。人ひとよりは少すこし憎にくしと思おもふ人ひとの、おしはかりごとうちし、すずろなる物恨ものうらみし、我賢われさかしがる。

第122段「わびしげに見ゆるもの」

 わびしげに見みゆるもの、六七月ろくしちぐわつの午うま、未ひつじの時ときばかりに、汚きたなげなる車くるまに、似非牛えせうし掛かけて揺ゆるがし行いく者もの。雨あめ降ふらぬ日ひ、張はり筵むしろしたる車くるま。いと寒さむき折をり、暑あつきほどなどに、下衆げす女をんなの形なり悪あしきが子負こおひたる。小ちひさき板いた屋やの黒くろう汚きたなげなるが、雨あめに濡ぬれたる。また、雨あめいたう降ふる日ひ、小ちひさき馬うまに乗のりて、御前おまへしたる。人ひとの冠かうぶりもひしげ、袍うへのきぬも下襲したがさねも一ひとつになりたる、いかにわびしかるらむと見みえたり。夏なつは、されどよし。

第123段「暑げなるもの」

 暑あつげなるもの、随身ずいじんの長をさの狩衣かりぎぬ。衲なふの袈裟けさ。出居いでゐの少将せうしやう。色黒いろくろき人ひとの、いたく肥こえて髪かみ多おほかる。琴きんの袋ふくろ。七月しちぐわつの修法ずほふの阿闍梨あざり。日中につちゆうの時ときなど行おこなふ、いかに暑あつからむと思おもひやる。また、同おなじ頃ころの銅あかがねの鍛冶かぢ。

第124段「はづかしきもの」

 はづかしきもの、色好いろこのむ男をとこの心こころの内うち。寝聡いざとき夜居よゐの僧そう。みそか盗人ぬすびとの、さるべきものの隈々くまぐまに居ゐて見みるらむをば、誰たれかは知しる。暗くらき紛まぎれに、懐ふところに物ものなど引ひき入いるる人ひともあらむかし。そはしも同おなじ心こころに、をかしとや思おもふらむ。

 夜居よゐの僧そうは、いとはづかしきものなり。若わかき人々ひとびと集あつまり居ゐて、人ひとの上うへを言いひ笑わらひ、謗そしり憎にくみもするを、つくづくと聞きき集あつむらむ、心こころの内うちはづかし。

「あなうたて、かしがまし」

 など、大人おとなびたる人ひとの気色けしきばみ言いふをも聞きき入いれず、言いひ言いひの果はては、皆みなうち解とけて寝ね入いりぬる、後のちもはづかし。

 男をとこは、うたて思おもふさまならず、もどかしう、心付こころづきなきことなどありと見みれど、差さし向むかひたるほどは、うちすかして思おもはぬことをも言いひ頼たのむるこそ、はづかしきわざなれ。

 まして、情なさけあり、好このましう、人ひとに知しられなどしたる人ひとは、おろかなりと思おもはすべうももてなさずかし。心こころの内うちにのみならず、また皆みな、これがことをばかれに言いひ、かれがことをばこれに言いひ、かたみに聞きかすべかめるを、我われがことをば知しらで、かう語かたるは、なほ人ひとよりはこよなきなめりとや思おもふらむ、と思おもふこそはづかしけれ。

 いで、されば、少すこしも思おもふ人ひとにあへば、心こころはかなきなめりと見みゆることもあるぞ、はづかしうもあらぬかし。いみじうあはれに、心苦こころぐるしう、見み捨すてがたきことなどを、いささかなにとも思おもはぬも、いかなる心こころぞとこそあさましけれ。さすがに人ひとの上うへをばもどき、物ものをいとよう言いふよ。ことに頼たのもしき人ひともなき宮仕人みやづかへびとなどを語かたらひて、ただならずなりぬる有様ありさまなどをも知しらでやみぬるよ。

第125段「むとくなるもの」

 むとくなるもの、潮干しほひの潟かたに居をる大船おほぶね。大おほきなる木きの風かぜに吹ふき倒たふされて、根ねを捧ささげ横よこたはれ臥ふせる。似非者えせものの従者ずさかうがへたる。聖ひじりの足元あしもと。髪かみ短みじかき人ひとの、物もの取とり下おろして、髪かみけづりたるうしろで。翁おきなの髻もとどり放はなちたる。相撲すまひの負まけて居ゐるうしろで。人ひとの妻つまのすずろなる物もの怨ゑんじして隠かくれたるを、必かならず尋たづね騒さわがむものぞと思おもひたるに、さしもあらず、のどかにもてなしたれば、さてもえ旅立たびだち居ゐたらねば、心こころと出いで来きたる。

 なま心こころ劣おとりしたる人ひとの知しりたる人ひとと、心こころなること言いひむつかりて、ひとへにも臥ふさじと身みじろぐを、引ひき寄よすれど、強しひて怖こはがれば、あまりになりては、人ひともさはれとて、かいくくみて臥ふしぬる、後のちに、冬ふゆなどは、単衣ひとへばかりを一ひとつ着きたるも、あやにくがりつるほどこそ、寒さむさも知しられざりつれ、やうやう夜よの更ふくるままに、寒さむくもあれど、おほかたの人ひとも皆みな寝ねたれば、さすがに起おきてもえいかで、ありつる折をりにぞ寄よりぬべかりけると、目めも合あはず思おもひ臥ふしたるに、いとど奥おくの方かたより、もののひしめき鳴なるもいと恐おそろしくて、やをらよろぼひ寄よりて、衣きぬを引ひき着きるほどこそむとくなれ。人ひとはたけく思おもふらむかし、空寝そらねして知しらぬ顔かほなるさまよ。

第126段「修法は」

 修法ずほふは、奈良方ならがた。仏ほとけの護身ごしんどもなど、誦よみ奉たてまつりたる、なまめかしう尊たふとし。

第127段「はしたなきもの」

 はしたなきもの、異人ことひとを呼よぶに、我われぞとて差さし出いでたる。ものなど取とらする折をりは、いとど。

 おのづから人ひとの上うへなどうち言いひ謗そしりたるに、幼をさなき子こどもの聞きき取とりて、その人ひとのあるに言いひ出いでたる。あはれなることなど、人ひとの言いひ出いで、うち泣なきなどするに、げにいとあはれなりなど聞ききながら、涙なみだのつと出いで来きぬ、いとはしたなし。泣なき顔かほ作つくり、気色けしき異ことになせど、いと甲斐かひなし。めでたきことを見み聞きくには、先まづただ出いで来きにぞ出いで来くる。

第128段「八幡の行幸のかへらせたまふに」

 八幡やはたの行幸みゆきの帰かへらせたまふに、女院にようゐんの御桟敷おんさじきのあなたに御輿みこし留とどめて、御消息おんせうそこ申まうさせたまふ、世よに知しらずいみじきに、誠まことにこぼるばかり、化粧けさうじたる顔かほ皆みな現あらはれて、いかに見苦みぐるしからむ。宣旨せんじの使つかひにて、斉信ただのぶの宰相さいしやうの中将ちゆうじやうの、御桟敷おんさじきへ参まゐりたまひしこそ、いとをかしう見みえしか。ただ随身ずいじん四人よたり、いみじう装束さうぞきたる、馬副うまさへの細ほそく白しろう仕立したてたるばかりして、二条にでうの大路おほぢの広ひろく清きよげなるに、めでたき馬うまをうち早はやめて、急いそぎ参まゐりて、少すこし遠とほくおり下くだりて、傍そばの御簾みすの前まへに候さぶらひたまひしなど、をかし。御返おんかへし承うけたまはりて、御輿みこしのもとにて奏そうしたまふほど、言いふもおろかなり。

 さて、内裏うちのわたらせたまふを、見み奉たてまつらせたまふらむ御おん心地ここち、思おもひやり参まゐらするは、飛とび立たちぬべくこそ覚おぼえしか。それには長泣ながなきをして笑わらはるるぞかし。よろしき際きはの人ひとだに、なほ子このよきはいとめでたきものを、かくだに思おもひ参まゐらするも畏かしこしや。

第129段「関白殿黒戸より出でさせたまふとて」

 関白くわんぱく殿どの、黒戸くろどより出いでさせたまふとて、女房にようばうの隙ひまなく候さぶらふを、

「あないみじのおもとたちや。翁おきなをいかに笑わらひたまふらむ」

 とて、分わけ出いでさせたまへば、戸とに近ちかき人々ひとびと、色々いろいろの袖口そでぐちして、御簾みす引ひき上あげたるに、権大納言ごんだいなごんの御沓おんくつ取とりて履はかせたてまつりたまふ。いとものものしく、清きよげに、よそほしげに、下襲したがさねの裾すそ長ながく引ひき、所ところせくて候さぶらひたまふ。あなめでた、大納言だいなごんばかりに沓くつ取とらせたてまつりたまふよ、と見みゆ。山井やまのゐの大納言だいなごん、その御次々おんつぎつぎのさならぬ人々ひとびと、黒くろきものを引ひき散ちらしたるやうに、藤ふぢ壺つぼの塀へいのもとより、登花殿とうくわでんの前まへまで居並ゐなみたるに、細ほそやかにいみじうなまめかしう、御佩刀はかしなど引ひき繕つくろはせたまひて、休やすらはせたまふに、宮みやの大夫殿だいぶどのは、戸との前まへに立たたせたまへれば、居ゐさせたまふまじきなめりと思おもふほどに、少すこし歩あゆみ出いでさせたまへば、ふと居ゐさせたまへりしこそ、なほいかばかりの昔むかしの御おん行おこなひのほどにかと見み奉たてまつりしに、いみじかりしか。

 中納言ちゆうなごんの君きみの、忌日きにちとてくすしがり行おこなひたまひしを、

「賜たまはへ、その数珠ずずしばし。行おこなひして、めでたき身みにならむ」

 とかるとて、集あつまりて笑わらへど、なほいとこそめでたけれ。御前おまへに聞きこしめして、

「仏ほとけになりたらむこそは、これよりはまさらめ」

 とて、うち笑わらませたまへるを、まためでたくなりてぞ見み奉たてまつる。大夫殿だいぶどののゐさせたまへるを、返かへす返がへす聞きこゆれば、例れいの思おもひ人ひとと笑わらはせたまひし、まいて、この後のちの御有様おんありさまを見み奉たてまつらせたまはましかば、ことわりと思おぼし召めされなまし。

第130段「九月ばかり夜一夜降り明かしつる雨の」

 九月くぐわつばかり、夜一夜よひとよ降ふり明あかしつる雨あめの、今朝けさはやみて、朝日あさひいとけざやかに差さし出いでたるに、前栽せんざいの露つゆこぼるばかり濡ぬれ掛かかりたるも、いとをかし。

 透垣すいがいの羅文らもん、軒のきの上うへに、かいたる蜘蛛くもの巣すのこぼれ残のこりたるに、雨あめのかかりたるが、白しろき玉だまを貫つらぬきたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。

 少すこし日ひ長たけぬれば、萩はぎなどのいと重おもげなるに、露つゆの落おつるに枝えだのうち動うごきて、人ひとも手て触ふれぬに、ふと上うへざまへ上あがりたるも、いみじうをかし、と言いひたることどもの、人ひとの心こころにはつゆをかしからじと思おもふこそ、またをかしけれ。

第131段「七日の日の若菜を」

 七日なぬかの日ひの若菜わかなを、六日むいか、人ひとの持もて来き、騒さわぎ取とり散ちらしなどするに、見みも知しらぬ草くさを、子供こどもの取とり持もて来きたるを、

「何なにとかこれをば言いふ」

 と問とへば、とみにも言いはず、

「いさ」

 など、これかれ見み合あはせて、

「耳無草みみなしぐさとなむ言いふ」

 と言いふ者もののあれば、

「むべなりけり。聞きかぬ顔かほなるは」

 と笑わらふに、まだいとをかしげなる菊きくの生おひ出いでたるを持もて来きたれば、

摘つめどなほ耳無草みみなしぐさこそあはれなれあまたしあればきくもありけり

 と言いはまほしけれど、またこれも聞きき入いれるべうもあらず。

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