第179段「宮仕人の里なども」
宮仕人の里なども、親ども二人あるはいとよし。
人しげく出で入り、奥のかたにあまた声々さまざま聞こえ、馬の音などして、いとさわがしきまであれど、とがもなし。
されど、忍びてもあらはれても、おのづから、
「出でたまひにけるをえしらで」
とも、また、
「いつか参りたまふ」
などいひに、さしのぞき来るもあり。
心かけたる人、はたまたいかがは。門あけなどするを、うたてさわがしうおほやうげに、夜中までなど思ひたるけしき、いとにくし。
「大御門はしつや」
など問ふなれば、
「いま。まだ人のおはすれば」
などいふものの、なまふせがしげに思ひていらふるにも、
「人出でたまひなば、とくさせ。このごろ盗人いとおほかなり。火あやふし」
などいひたるが、いとむつかしう、うち聞く人だにあり。
この人の供なる者どもはわびぬにやあらむ、この客いまや出づると絶えずさしのぞきてけしき見る者どもを笑ふべかめり。まねうちするを聞かば、ましていかにきびしきいひとがめむ。いと色にいでていはぬも、思ふ心なき人は、かならず来などやはする。されど、すくよかなるは、
「夜ふけぬ。御門あやふかなり」
など笑ひて出でぬるもあり。まことに心ざしことなる人は、
「はや」
などあまたたび遣らはるれど、なほゐ明かせば、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、
「いみじう、御門を今宵らいさうとあけひろげて」
と聞こえごちて、あぢきなく暁にぞさすなるは、いかがはにくきを。親添ひぬる、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへつつまし。せうとの家なども、けにくきはさぞあらむ。
夜中、暁ともなく、門もいと心かしこうももてなさず、なにの宮、内裏わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子などもあげながら冬の夜をゐ明かして、人の出でぬる後も見いだしたるこそをかしけれ。有明などは、ましていとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、いそぎてもねられず、人のうへどもいひあはせて歌など語り聞くままに、寝入りぬるこそをかしけれ。
第180段「ある所になにの君とかや」
「ある所に、なにの君とかやいひける人のもとに、君達にはあらねど、その頃いたうすいたるものにいはれ、心ばせなどある人の、九月ばかりにいきて、有明のいみじう霧りみちておもしろきに、名残思ひ出でられむとことばをつくして出づるに、いまは往ぬらむと遠く見送るほど、えもいはず艶なり。出づる方を見せてたちかへり、立蔀の間に陰にそひて立ちて、なほいきやらぬさまに、いまひとたびいひ知らせむと思ふに、有明の月のありつつもと、しのびやかにうちいひてさしのぞきたる、髪の頭にもより来ず、五寸ばかり下がりて、火をさしともしたるやうなりけるに、月の光もよほされて、おどろかるる心地のしければ、やをら出でにけり」
とこそ語りしか。
第181段「雪のいと高うはあらで」
雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。
また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮れより、端近う、同じ心なる人二、三人ばかり、火桶を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるも、をかしきも、言ひ合はせたるこそをかしけれ。
宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、あやしと見いだしたるに、時々かやうのをりに、おぼえなく見ゆる人なりけり。
「今日の雪を、いかにと思ひやり聞こえながら、なでふことにさはりて、その所に暮らしつる」
など言ふ。
「今日来む」
などやうのすぢをぞ言ふらむかし。昼ありつることどもなどうち始めて、よろづのことを言ふ。円座ばかりさしいでたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、内にも外にも、この言ふことは飽かずぞおぼゆる。
明けぐれのほどに帰るとて、
「雪なにの山に満てり」
と誦したるは、いとをかしきものなり。女の限りしては、さもえ居明かさざらましを、ただなるよりはをかしう、すきたるありさまなど言ひ合はせたり。
第182段「村上の前帝の御時に」
村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせたまひて、梅の花を挿して、月のいと明きに、
「これに歌よめ。いかが言ふべき」
と、兵衛の蔵人に賜せたりければ、
「雪月花の時」
と奏したりけるこそ、いみじうめでさせたまひけれ。
「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむ言ひがたき」
とぞ、仰せられける。
同じ人を御供にて、殿上に人候はざりけるほど、たたずませたまひけるに、炭櫃に煙の立ちければ、
「かれは何ぞと見よ」
と仰せられければ、見て帰り参りて、
わたつ海の沖にこがるる物見ればあまの釣して帰るなりけり
と奏しけるこそをかしけれ。蛙の飛び入りて、焼くるなりけり。
第183段「御形の宣旨の」
御形の宣旨の、上に、五寸ばかりなる殿上童のいとをかしげなるを作りて、みづら結ひ、装束などうるはしくして、なかに名かきて、たてまつらせたまひけるを、
「ともあきらの大君」
とかいたりけるを、いみじうこそ興ぜさせたまひけれ。
第184段「宮にはじめて参りたるころ」
宮にはじめて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろに候ふに、絵など取りいでて見せさせたまふを、手にてもえさしいづまじう、わりなし。
「これは、とあり、かかり。それが、かれが」
など宣はす。高坏に参らせたる御殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さしいでさせたまへる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。
暁にはとく下りなむといそがるる。
「葛城の神もしばし」
など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ伏したれば、御格子も参らず。
女官ども参りて、
「これ、放たせたまへ」
など言ふを聞きて、女房の放つを、
「まな」
と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。ものなど問はせたまひ、宣はするに、久しうなりぬれば、
「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく」
と仰せらる。ゐざり隠るるや遅きと、あげちらしたるに、雪降りにけり。登花殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。
昼つ方、
「今日は、なほ参れ。雪にくもりてあらはにもあるまじ」
など、たびたび召せば、この局のあるじも、
「見苦し。さのみやは篭りたらむとする。あへなきまで御前許されたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思ふにたがふはにくきものぞ」
と、ただいそがしにいだしたつれば、あれにもあらぬ心地すれど参るぞ、いと苦しき。
火焼屋の上に降り積みたるも、めづらしうをかし。
御前近くは、例の、炭櫃の火こちたくおこして、それにはわざと人もゐず。宮は沈の御火桶、梨絵したるにむかひておはします。上臈御まかなひしたまひけるままに、近く候ふ。次の間に長炭櫃に間なくゐたる人々、唐衣着垂れたるほど、なれやすらかなるを見るもいとうらやまし。御文取りつぎ、立ち居行き違ふさまなどの、つつましげならず、物いひゑ笑ふ。いつの世にか、さやうにまじらひならむと思ふさへぞつつましき。奥寄りて、三四人さしつどひて絵など見るもあめり。しばしありて、前駆高う、追ふ声すれば、
「殿参らせたまふなり」
とて、散りたる物ども取りやりなどするに、いかでおりなむと思へど、さらにえふともみじろかねば、いま少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめりと、御几帳の綻びよりはつかに見入れたり。
大納言殿の参りたまへるなりけり。御直衣、指貫の紫の色、雪に映えていみじうをかし。柱もとにゐたまひて、
「昨日今日、物忌みにはべりつれど、雪のいたく降りはべりつれば、おぼつかなさになむ」
と申したまふ。
「道もなしと思ひつるに、いかで」
とぞ御いらへある。うち笑ひたまひて、
「あはれともや御覧ずるとて」
など宣ふ、御ありさまども、これより何事かはまさらむ。物語に、いみじう口にまかせて言ひたるにたがはざめりとおぼゆ。
宮は、白き御衣どもに、紅の唐綾をぞ上にたてまつりたる。
御髪のかからせたまへるなど、絵にかきたるをこそ、かかることは見しに、うつつにはまだ知らぬを、夢の心地ぞする。女房ともの言ひ、たはぶれごとなどしたまふ。御いらへを、いささかはづかしとも思ひたらず聞こえ返し、そらごとなど宣ふは、あらがひ論じなど聞こゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいなう、おもてぞあかむや。御くだもの参りなど、とりはやして、御前にも参らせたまふ。
「御帳の後ろなるは、たれぞ」
と問ひたまふなるべし。さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほほかへにやと思ふに、いと近うゐたまひて、ものなど宣ふ。まだ参らざりしより聞きおきたまひけることなど、
「まことにや、さありし」
など宣ふに、御几帳隔てて、よそに見やりたてまつりつるだにはづかしかりつるに、いとあさましう、さし向かひ聞こえたる心地、うつつともおぼえず。行幸など見るをり、車の方にいささかも見おこせたまへば、下簾ひきふたぎて、透影もやと扇をさしかくすに、なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ちいでしにかと、汗あえていみじきには、何事をかはいらへも聞こえむ。
かしこき陰とささげたる扇をさへ取りたまへるに、ふりかくべき髪のおぼえさへあやしからむと思ふに、すべて、さるけしきもこそは見ゆらめ。とく立ちたまはなむと思へど、扇を手まさぐりにして、絵のこと、
「たがかかせたるぞ」
など宣ひて、とみにもたまはねば、袖をおしあててうつぶしゐたるも、唐衣に白いものうつりて、まだらならむかし。
久しくゐたまへるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させたまへるにや、
「これ見たまへ。これはたが手ぞ」
と聞こえさせたまふを、
「たまはりて見はべらむ」
と申したまふを、
「なほ、ここへ」
と宣はす。
「人をとらへて立てはべらぬなり」
と宣ふも、いといまめかしく、身のほどにあはず、かたはらいたし。人の草仮名書きたる草子など、とりいでて御覧ず。
「たれがにかあらむ。かれに見せさせたまへ。それぞ、世にある人の手はみな見知りてはべらむ」
など、ただいらへさせむと、あやしきことどもを宣ふ。
ひとところだにあるに、また前駆うち追はせて、同じ直衣の人参りたまひて、これはいま少しはなやぎ、猿楽言などしたまふを、笑ひ興じ、我も
「なにがしが、とあること」
など、殿上人のうへなど申したまふを聞くは、なほ、変化の者、天人などの下りきたるにやとおぼえしを、候ひ慣れ、日ごろ過ぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。
かく見る人々も、みな家のうちいでそめけむほどは、さこそはおぼえけめなど、観じもてゆくに、おのづから面慣れぬべし。
物など仰せられて、
「我をば思ふや」
と問はせたまふ。
御いらへに、
「いかがは」
と啓するにあはせて、台盤所の方に、はなをいと高くひたれば、
「あな心憂。そらごとをいふなりけり。よし、よし」
とて入らせたまひぬ。
「いかでかそらごとにはあらず。よろしうだに思ひ聞こえさすべきことかは。はなこそはそらごとしけれ」
とおぼゆ。
さても、誰かかくにくきわざしつらむと、おほかた心づきなしとおぼゆれば、さるをりもおしひしぎつつあるものを、まいていみじ、にくしと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓しかへさで、明けぬれば、下りたる、すなはち、浅緑なる薄様に艶なる文をこれとて来たる。あけて見れば、
「いかにしていかに知らまし偽りを空似ただすの神なかりせば
となむ御けしきは」
とあるに、めでたくもくちをしうも思ひ乱るるに、なほ昨夜の人ぞねたくにくままほしき。
「うすさ濃さそれにもよらぬはなゆゑにうき身のほどを見るぞわびしき
なほこればかりは啓しなほさせたまへ。式の神もおぼづからもいとかしこし」
とて参らせて後にも、うたてをりしも、などてさはたありけむと、いとなげかし。
第185段「したり顔なるもの」
したり顔なるもの 正月一日に最初にはなひたる人。よろしき人はさしもなし。下﨟よ。きしろふたびの蔵人に子なしたる人のけしき。また、除目にその年の一の国得たる人。よろこびなどいひて、
「いとかしこうなりたまへり」
などいふいらへに、
「なにかは。いとこと様にほろびてはべるなれば」
などいふも、いとしたり顔なり。
また、いふ人おほく、いどみたる中に、選りて婿になりたるも、我はと思ひぬべし。受領したる人の宰相になりたるこそ、もとの君たちのなりあがりたるよりもしたり顔にけだかう、いみじうは思ひためれ。
第186段「位こそなほめでたき物はあれ」
位こそなほめでたき物はあれ。おなじ人ながら、大夫の君、侍従の君など聞こゆる折は、いとあなづりやすきものを、中納言、大納言、大臣などになりたまひては、むげにせくかたもなく、やむごとなうおぼえたまふことのこよなさよ。ほどほどにつけては、受領などもみなさこそはあめれ。あまたくににいき、大弍や四位、三位などになりぬれば、上達部などもやむごとながりたまふめり。
女こそなほわろけれ。内裏わたりに、御乳母は内侍のすけ、三位などになりぬればおもしろけれど、さりとてほどより過ぎ、なにばかりのことかはある。
また、おほくやはある。受領の北の方にて国へくださるをこそは、よろしき人のさいはひの際と思ひてめでうらやむめれ。ただ人の上達部の北の方になり、上達部の御むすめ后にゐたまふこそは、めでたきものなめれ。
されど、男はなほわかき身のなりいづるぞいとめでたしかし。法師などのなにがしなどいひてありくは、なにとかは見ゆる。経たふとくよみ、みめきよげなるにつけても、女房にあなづられてなりかかりこそすめれ。僧都、僧正になりぬれば、仏のあらはれたまへるやうに、おぢまどひかしこまるさまは、なににか似たる。
第187段「かしこきものは」
かしこきものは、乳母のをとここそあれ。帝、親王たちなどは、さるものにておきたてまつりつ。そのつぎつぎ、受領の家などにも、所につけたるおぼえのわづらはしきものにしたれば、したり顔に、わが心地もいとよせありて、このやしなひたる子をも、むげにわがものになして、女はされどあり、男児はつとたちそひて後見、いささかもかの御ことにたがふ者をばつめたて、讒言し、あしけれど、これが世をば心にまかせていふ人もなければ、ところ得、いみじき面持ちして、こと行ひなどす。
むげにをさなきほどぞすこし人わろき。親の前に臥すれば、ひとり局に臥したり。さりとてほかへいけば、こと心ありとてさわがれぬべし。しひて呼びおろして臥したるに、
「まづまづ」
と呼ばるれば、冬の夜など、ひきさがしひきさがしのぼりぬるがいとわびしきなり。それはよき所もおなじこと、いますこしわづらはしきことのみこそあれ。
第188段「病は」
病は 胸。もののけ。あしのけ。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。
第189段「十八九ばかりの人の」
十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくてたけばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えて、いみじう色しろう、顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、みだれかかるも知らず、おもてもいとあかくて、おさへてゐたるこそをかしけれ。
第190段「八月ばかりに」
八月ばかりに、白き単なよらかなるに、袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあてやかなるをひきかけて、胸をいみじう病めば、友だちの女房など、数々来つつとぶらひ、外のかたにも、わかやかなる君達あまた来て、
「いといとほしきわざかな。例もかうや悩みたまふ」
など、ことなしびにいふもあり。
心かけたる人は、まことにいとほしと思ひなげき、人知れぬなかなどは、まして人目思ひて、寄るにも近くえ寄らず、思ひなげきたるこそをかしけれ。
いとうるはしう長き髪をひき結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。
上にもきこしめして、御読経の僧の声よき賜はせたれば、几帳ひきよせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまたきて、経聞きなどするもかくれなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得らむとおぼゆれ。
第191段「すきずきしくてひとり住みする人の」
すきずきしくてひとり住みする人の、夜はいづくにやありつらむ、暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど、硯とりよせて墨こまやかにおしすりて、ことなしびに筆に任せてなどはあらず、心とどめて書く、まひろげ姿もをかしう見ゆ。
しろき衣どものうへに、山吹、紅などぞ着たる。しろき単衣のいたうしぼみたるを、うちまもりつつ書きはてて、前なる人にもとらせず、わざと立ちて、小舎人童、つきづきしき随身など近う呼び寄せて、ささめきとらせて、往ぬるのちもひさしうながめて、経などのさるべき所々、しのびやかに口ずさびに読みゐたるに、奥の方に御粥、手水などしてそそのかせば、あゆみ入りても、文机におしかかりて書などをぞ見る。おもしろかりける所は高ううち誦したるも、いとをかし。
手洗ひて、直衣ばかりうち着て、六の巻そらに読む、まことにたふときほどに、近き所なるべし、ありつる使うちけしきばめば、ふと読みさして、返りごとに心移すこそ、罪得らむとをかしけれ。
第192段「いみじう暑き昼中に」
いみじう暑き昼中に、いかなるわざをせむと、扇の風もぬるし、氷水に手をひたし、もてさわぐほどに、こちたう赤き薄様を、唐撫子のいみじう咲きたるに結びつけて、とり入れたるこそ、書きつらむほどの暑さ、心ざしのほど浅からずおしはかられて、かつ使ひつるだにあかずおぼゆる扇もうち置かれぬれ。
第193段「南ならずは東の廂の板の」
南ならずは東の廂の板の、かげ見ゆばかりなるに、あざやかなる畳をうち置きて、三尺の几帳の帷子いと涼し気に見えたるをおしやれば、ながれて思ふほどよりも過ぎて立てるに、しろき生絹の単衣、紅の袴、宿直物には、濃き衣のいたうは萎えぬを、すこしひきかけて臥したり。
灯篭に火ともしたる、二間ばかりさりて、簾高うあげて、女房二人ばかり、童など、長押によりかかり、また、おろしたる簾にそひて臥したるもあり。火取に火深う埋みて、心細げににほはしたるも、いとのどやかに、心にくし。
宵うち過ぐるほどに、しのびやかに門たたく音のすれば、例の心知りの人来て、けしきばみ立ちかくし、人まもりて入れたるこそ、さるかたにをかしけれ。
かたはらにいとよく鳴る琵琶のをかしげなるがあるを、物語のひまひまに、音もたてず、爪弾きにかき鳴らしたるこそをかしけれ。
第194段「大路近なる所にて聞けば」
大路近なる所にて聞けば、車に乗りたる人の、有明のをかしきに簾あげて、
「遊子はなほ残りの月に行く」
といふ詩を、声よくて誦したるもをかし。
馬にても、さやうの人の行くはをかし。さやうの所にて聞くに、泥障の音の聞ゆるを、いかなる者ならむと、するわざもうち置きて見るに、あやしの者を見つけたる、いとねたし。
第195段「ふと心劣りとかするものは」
ふと心劣りとかするものは、男も女も、言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ。ただ文字一つに、あやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。
いやしきこともわろきことも、さと知りながらことさらに言ひたるはあしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり。
また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるは、にくし。まさなきことも、あやしきことも、大人なるは、まのもなく言ひたるを、若き人は、いみじうかたはらいたきことに消え入りたるこそ、さるべきことなれ。
何事を言ひても、
「そのことさせむとす」
「言はむとす」
「何とせむとす」
といふと文字を失ひて、ただ
「言はむずる」
「里へ出でむずる」
など言へば、やがていとわろし。まいて、文に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそ、あしう書きなしつれば、言ふかひなく、作り人さへこそいとほしけれ。
「ひてつ車に」
と言ひし人もありき。
「求む」
といふことを
「みとむ」
なんどは、みな言ふめり。
第196段「宮仕人のもとに来などする男の」
宮仕人のもとに来などする男の、そこにて物食ふこそいとわろけれ。食はする人も、いとにくし。思はむ人の、
「なほ」
など心ざしありていはむを、忌みたらむやうに口をふたぎ、顔をもてのくべきことにもあらねば、食ひをるにこそはあらめ。いみじう酔ひて、わりなく夜ふけてとまりたりとも、さらに湯漬をだに食はせじ。心もなかりけりとて来ずは、さてありなむ。里などにて、北面よりいだしては、いかがはせむ。それだになほぞある。
第197段「風は」
風は 嵐。三月ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風。
第198段「八九月ばかりに」
八、九月ばかりに雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨の脚横さまにさわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿衣のかかりたるを、生絹の単衣かさねて着たるも、いとをかし。この生絹だにいと所せく暑かはしく、とり捨てまほしかりしに、いつのほどにかくなりぬるにか、と思ふもをかし。
暁に格子、妻戸をおしあけたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、いみじくをかしけれ。
第199段「九月つごもり十月の頃」
九月のつごもり、十月の頃、空うち曇りて風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋の葉こそ、いととくは落つれ。
十月ばかりに、木立おほかる所の庭は、いとめでたし。

