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『平家物語』第11巻 原文(2)壇ノ浦の戦い(鶏合壇浦合戦~能登殿最期・全文ルビ付き)

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『平家物語』第11巻(巻十一)の原文を、4ページに分けて全文ルビ付きで掲載しています。このページ(2)には、壇ノ浦の戦いを描いた「鶏合壇浦合戦」から「能登殿最期」までの章段を収めました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『平家物語』第11巻 現代語訳(2)をご覧ください。

(2)壇ノ浦の戦いのあらすじ
  • 鶏合壇浦合戦:熊野別当湛増が源氏方につき、壇ノ浦の決戦が始まる。
  • 遠矢:源平の武者たちが、遠矢の腕を競い合う。
  • 先帝身投:二位尼、幼い安徳天皇を抱いて海に沈む。
  • 能登殿最期:能登守教経が奮戦の末に入水し、知盛も海に沈む。
目次

鶏合 壇浦合戦

 さるほどに、九(く)郎(らう)大(たい)夫(ふ)判(はう)官(ぐわん)義経(よしつね)、周(す)防(はう)の地(ち)に押(お)し渡(わた)って、兄(あに)の参河守(みかはのかみ)と一(ひと)つになる。平(へい)家(け)は長(なが)門(と)の国(くに)ひく島(しま)にぞ着(つ)きにける。源(げん)氏(じ)阿波(あは)の国(くに)勝浦(かつうら)に着(つ)いて、八(や)島(しま)の軍(いくさ)に打(う)ち勝(か)ちぬ。平(へい)家(け)引島(ひくしま)に着(つ)くと聞(き)こえしかば、源(げん)氏(じ)は同国(どうこく)の内(うち)、追(おひ)津(つ)に着(つ)くこそ不(ふ)思(し)議(ぎ)なれ。

 熊(くま)野(の)別当(べつたう)湛増(たんぞう)は、平(へい)家(け)重(ぢゆう)恩(おん)の身(み)なりしが、たちまちにその恩(おん)を忘(わす)れて、

「平(へい)家(け)へや参(まゐ)るべき、源(げん)氏(じ)へや参(まゐ)るべき」

 とて、田(た)辺(なべ)の新(いま)熊(ぐま)野(の)にて御(み)神(か)楽(ぐら)奏(そう)して、権現(ごんげん)に祈(き)誓(せい)し奉(たてまつ)る。

「ただ白旗(しろはた)につけ」

 と御(ご)託宣(たくせん)ありけるを、なほ疑(うたが)ひをなして、白(しろ)き鶏(とり)七(なな)つ、赤(あか)き鶏(とり)七(なな)つ、これをもって権現(ごんげん)の御(ご)前(ぜん)にて勝負(しようぶ)をせさす。赤(あか)き鶏(とり)一(ひと)つも勝(か)たず、皆(みな)負(ま)けて逃(に)げにけり。さてこそ源(げん)氏(じ)へ参(まゐ)らんと思(おも)ひ定(さだ)めけれ。

 一門(いちもん)の者(もの)ども相(あひ)催(もよほ)し、都(つ)合(がふ)その勢(せい)二(に)千(せん)余(よ)人(にん)、二百(にひやく)余(よ)艘(さう)の船(ふね)に乗(の)り連(つ)れて、若王子(にやくわうじ)の御(み)正(しやう)体(たい)を船(ふね)に乗(の)せまゐらせ、旗(はた)の横紙(よこがみ)には金(こん)剛(がう)童(どう)子(じ)を書(か)き奉(たてまつ)って、壇(だん)の浦(うら)へ寄(よ)するを見(み)て、源(げん)氏(じ)も平(へい)家(け)もともに拝(をが)む。されども源(げん)氏(じ)の方(かた)へつきければ、平(へい)家(け)興(きよう)醒(さ)めてぞ思(おも)はれける。また伊予(いよ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、河(かう)野(の)四(し)郎(らう)通信(みちのぶ)、百(ひやく)五(ご)十(じふ)艘(さう)の兵(ひやう)船(せん)に乗(の)り連(つ)れて漕(こ)ぎ来(きた)り、源(げん)氏(じ)と一(ひと)つになりにけり。判(はう)官(ぐわん)かたがた頼(たの)もしう力(ちから)ついてぞ思(おも)はれける。源(げん)氏(じ)の船(ふね)は三千(さんぜん)艘(さう)、平(へい)家(け)の船(ふね)は千(せん)余(よ)艘(さう)、唐(たう)船(せん)少々(せうせう)あひ交(まじ)れり。源(げん)氏(じ)の勢(せい)は重(かさ)なれば、平(へい)家(け)の勢(せい)は落(お)ちぞ行(ゆ)く。

 元(げん)暦(りやく)二(に)年(ねん)三(さん)月(ぐわつ)二十四日(にじふしにち)の卯(う)の刻(こく)に、豊(ぶ)前(ぜん)の国(くに)門司(もじ)、赤(あか)間(ま)の関(せき)にて、源平(げんぺい)矢合(やあはせ)とぞ定(さだ)めける。

 その日(ひ)、判(はう)官(ぐわん)と梶原(かぢはら)と、既(すで)に同(ど)士(し)軍(いくさ)せんとすることあり。梶原(かぢはら)、判(はう)官(ぐわん)に申(まう)しけるは、

「今日(けふ)の先陣(せんぢん)をば景時(かげとき)にたび候(さうら)へ」

 判(はう)官(ぐわん)、

「義経(よしつね)がなくばこそ」とのたまへば、

「大(たい)将(しやう)軍(ぐん)にてこそましまし候(さうら)へ」と申(まう)しければ、判(はう)官(ぐわん)、

「思(おも)ひも寄(よ)らず、鎌倉殿(かまくらどの)こそ大(たい)将(しやう)軍(ぐん)よ。義経(よしつね)は奉行(ぶぎやう)を承(うけたまは)ったる身(み)なれば、ただ殿原(とのばら)と同(おな)じことぞ」

 とのたまへば、梶原(かぢはら)、先陣(せんぢん)を所望(しよまう)しかねて、

「天(てん)性(しやう)この殿(との)は侍(さぶらひ)の主(しゆう)にはなりがたし」とぞつぶやきける。

 判(はう)官(ぐわん)、これを聞(き)き、

「日(に)本(ほん)一(いち)の嗚呼(をこ)の者(もの)かな」

 とて、太刀(たち)の柄(つか)に手(て)をかけたまふ。梶原(かぢはら)、

「鎌倉殿(かまくらどの)よりほかに主(しゆう)を持(も)たぬ者(もの)を」

 とて、これも太刀(たち)の柄(つか)に手(て)を懸(か)けけり。さるほどに嫡子(ちやくし)の源(げん)太(だ)景季(かげすゑ)、次(じ)男(なん)平(へい)次(じ)景高(かげたか)、同(おな)じく三郎(さぶらう)景家(かげいへ)、父(ちち)と一所(いつしよ)に寄(よ)り合(あ)うたり。判(はう)官(ぐわん)の気(け)色(しき)を見(み)て、奥州(あうしう)の佐(さ)藤(とう)四(し)郎(らう)兵衛(びやうゑ)忠信(ただのぶ)、伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)、源八(げんぱち)広綱(ひろつな)、江田(えだ)源三(げんざう)、熊(くま)井(ゐ)太(た)郎(らう)、武(む)蔵(さし)坊(ばう)弁慶(べんけい)などいふ一人当千(いちにんたうせん)の兵(つはもの)ども、梶原(かぢはら)を中(なか)に取(と)り籠(こ)めて、われ討(う)ち取(と)らんとぞ進(すす)みける。されども判(はう)官(ぐわん)には三浦(みうらの)介(すけ)取(と)りつき奉(たてまつ)り、梶原(かぢはら)には土(ど)肥(ひの)次(じ)郎(らう)つかみつき、両(りやう)人(にん)手(て)を摺(す)って申(まう)しけるは、

「これほどの大(だい)事(じ)を前(まへ)にかかへながら、同(ど)士(し)軍(いくさ)候(さうら)はば、平(へい)家(け)力(ちから)つき候(さうら)ひなんず。就中(なかんづく)、鎌倉殿(かまくらどの)の還(かへ)り聞(き)かせたまはんところこそ穏便(をんびん)ならず候(さうら)へ」

 と申(まう)せば、判(はう)官(ぐわん)静(しづ)まりたまひぬ。梶原(かぢはら)進(すす)むに及(およ)ばず。それよりして、梶原(かぢはら)、判(はう)官(ぐわん)を憎(にく)みそめて、つひに讒言(ざんげん)して失(うしな)ひけるとぞ、後(のち)には聞(き)こえし。

 さるほどに、源平(げんぺい)両(りやう)陣(ぢん)のあはひ、海(うみ)の面(おもて)三十(さんじふ)余(よ)町(ちやう)をぞ隔(へだ)てたる。門司(もじ)、赤(あか)間(ま)、壇(だん)の浦(うら)は、たぎりて落(お)つる潮(しほ)なれば、源(げん)氏(じ)の船(ふね)は潮(しほ)に向(むか)うて、心(こころ)ならず押(お)し落(お)とさる。平(へい)家(け)の船(ふね)は潮(しほ)に追(お)うてぞ出(い)で来(き)たる。沖(おき)は潮(しほ)の早(はや)ければ、汀(みぎは)について、梶原(かぢはら)、敵(かたき)の船(ふね)の行(ゆ)き違(ちが)ふところに熊(くま)手(で)を打(う)ち懸(か)けて、親(おや)子(こ)主(しゆ)従(じゆう)十(じふ)四(し)、五(ご)人(にん)乗(の)り移(うつ)り、打物(うちもの)抜(ぬ)いで、艫(とも)舳(へ)に散々(さんざん)にないでまはり、分捕(ぶんどり)あまたして、その日(ひ)の高(かう)名(みやう)の一(いち)の筆(ふで)にぞ付(つ)きにける。

 既(すで)に源平(げんぺい)両(りやう)方(はう)陣(ぢん)を合(あ)はせて鬨(とき)を作(つく)る。上(うへ)は梵(ぼん)天(てん)までも聞(き)こえ、下(した)は海(かい)竜(りう)神(じん)も驚(おどろ)くらんとぞ覚(おぼ)えける。

 新(しん)中納言(ちゆうなごん)知盛(とももり)卿(きやう)、船(ふね)の屋(や)形(かた)に立(た)ち出(い)でて、大(だい)音(おん)声(じやう)を上(あ)げてのたまひけるは、

「軍(いくさ)は今日(けふ)ぞ限(かぎ)る。者(もの)ども、少(すこ)しもしりぞく心(こころ)あるべからず。天竺(てんぢく)、震旦(しんたん)にも、日(に)本(ほん)わが朝(てう)にも、ならびなき名(めい)将(しやう)勇(ゆう)士(し)といへども、運命(うんめい)尽(つ)きぬれば力(ちから)及(およ)ばず。されども名(な)こそ惜(を)しけれ。東国(とうごく)の者(もの)どもに弱(よわ)げ見(み)ゆな。いつのために命(いのち)をば惜(を)しむべき。ただこれのみぞ思(おも)ふこと」

 とのたまへば、飛(ひ)騨(だの)三郎(さぶらう)左衛門(ざゑもん)景経(かげつね)、御(ご)前(ぜん)に候(さうら)ひけるが、

「これ承(うけたまは)れ、侍(さぶらひ)ども」とぞ下知(げぢ)しける。

 上総(かづさの)悪七(あくしち)兵衛(びやうゑ)進(すす)み出(い)でて申(まう)しけるは、

「坂東(ばんどう)武(む)者(しや)は、馬(むま)の上(うへ)でこそ口(くち)はきき候(さうらふ)とも、船(ふな)軍(いくさ)にはいつ調練(てうれん)し候(さうらふ)べき。たとへば魚(うを)の木(き)に上(のぼ)ったるでこそ候(さうら)はんずれ。一々(いちいち)に取(と)って海(うみ)につけ候(さうら)はん」とぞ申(まう)したる。

 越(ゑつ)中(ちゆう)の次(じ)郎(らう)兵衛(びやうゑ)申(まう)しけるは、

「同(おな)じくは大(たい)将(しやう)軍(ぐん)の源(げん)九(く)郎(らう)に組(く)みたまへ。九(く)郎(らう)は色(いろ)白(しろ)うせい小(ちひ)さきが、向(むか)歯(ば)のことに差(さ)し出(い)でてしるかんなるぞ。ただし直垂(ひたたれ)と鎧(よろひ)を常(つね)に着(き)替(か)ふなれば、きと見(み)分(わ)けがたかんなり」とぞ申(まう)しける。

 上総(かづさの)悪七(あくしち)兵衛(びやうゑ)申(まう)しけるは、

「心(こころ)こそ猛(たけ)くとも、その小(こ)冠(くわん)者(じや)なにほどのことかあるべき。片(かた)脇(わき)に挟(はさ)んで、海(うみ)へ入(い)れなんものを」とぞ申(まう)したる。

 新(しん)中納言(ちゆうなごん)はかやうに下知(げぢ)したまひ、大(おほ)臣(い)殿(との)の御(おん)まへに参(まゐ)りて、

「今日(けふ)は侍(さぶらひ)ども気(け)色(しき)よう見(み)え候(さうらふ)。ただし阿(あ)波(はの)民(みん)部(ぶ)重能(しげよし)は、心(こころ)変(が)はりしたると覚(おぼ)え候(さうらふ)。首(かうべ)をはね候(さうら)はばや」

 と申(まう)されければ、大(おほ)臣(い)殿(との)、

「見(み)えたることもなうて、いかが頸(くび)をば切(き)るべき。さしも奉公(ほうこう)の者(もの)であるものを。重能(しげよし)参(まゐ)れ」

 とて召(め)しければ、木(もく)蘭(らん)地(ぢ)の直垂(ひたたれ)に洗(あらひ)革(がは)の鎧(よろひ)着(き)て、御(ご)前(ぜん)にかしこまって候(さうらふ)。

「いかに重能(しげよし)は心(こころ)替(が)はりしたるか。今日(けふ)こそ悪(あ)しう見(み)ゆるぞ。四(し)国(こく)の者(もの)どもに、軍(いくさ)ようせよと下知(げぢ)せよかし。臆(おく)したるな」とのたまへば、

「なじかは臆(おく)し候(さうら)ふべき」

 とて、御(ご)前(ぜん)を罷(まか)り立(た)つ。新(しん)中納言(ちゆうなごん)、

「あはれ、きやつが頸(くび)を打(う)ち落(お)とさばや」

 とおぼしめし、太刀(たち)のつかも砕(くだ)けよと握(にぎ)って、大(おほ)臣(い)殿(との)の御(おん)方(かた)をしきりに見(み)たまひけれども、御(おん)許(ゆる)されなければ、力(ちから)及(およ)ばず。

 平(へい)家(け)は千(せん)余(よ)艘(さう)を三(さん)手(て)に作(つく)る。山(やま)賀(が)の兵藤次(ひやうとうじ)秀遠(ひでとほ)、五(ご)百(ひやく)余(よ)艘(さう)で先陣(せんぢん)に漕(こ)ぎ向(むか)ふ。松(まつ)浦(ら)党(たう)、三(さん)百(びやく)余(よ)艘(さう)で二(に)陣(ぢん)に続(つづ)く。平(へい)家(け)の君達(きんだち)、二百(にひやく)余(よ)艘(さう)にて三(さん)陣(ぢん)に続(つづ)きたまふ。兵藤次(ひやうとうじ)秀遠(ひでとほ)は、九国(きうこく)一(いち)番(ばん)の精(せい)兵(びやう)にてありけるが、われほどこそなけれども、普(ふ)通(つう)ざまの精(せい)兵(びやう)ども五(ご)百(ひやく)人(にん)をすぐって、船々(ふねぶね)の艫(とも)舳(へ)に立(た)て、肩(かた)を一面(いちめん)に並(なら)べて、五(ご)百(ひやく)の矢(や)を一(いち)度(ど)に放(はな)つ。源(げん)氏(じ)は三千(さんぜん)余(よ)艘(さう)の船(ふね)なれば、勢(せい)の数(かず)さこそ多(おほ)かりけめども、所々(しよしよ)より射(い)ければ、いづくに精(せい)兵(びやう)ありとも見(み)えず。大(たい)将(しやう)軍(ぐん)九(く)郎(らう)大(たい)夫(ふ)判(はう)官(ぐわん)、真先(まつさき)に進(すす)んで戦(たたか)ふ。楯(たて)も鎧(よろひ)もこらへずして、散々(さんざん)に射(い)しらまさる。平(へい)家(け)御(み)方(かた)勝(か)ちぬとて、しきりに攻(せ)め鼓(つづみ)打(う)って、悦(よろこ)びの鬨(とき)をぞ作(つく)りける。

遠矢

 源(げん)氏(じ)の方(かた)にも、和(わ)田(だの)小(こ)太(た)郎(らう)義盛(よしもり)、船(ふね)には乗(の)らず、馬(むま)に打(う)ち乗(の)って渚(なぎさ)に控(ひか)へ、甲(かぶと)をば脱(ぬ)いで人(ひと)に持(も)たせ、鐙(あぶみ)の鼻(はな)踏(ふ)みそらし、よっ引(ぴ)いて射(い)ければ、三(さん)町(ちやう)がうちとのものははづさず強(つよ)う射(い)けり。その中(なか)にことに遠(とほ)う射(い)たるとおぼしきを、

「その矢(や)たまはらん」とぞ招(まね)いたる。

 新(しん)中納言(ちゆうなごん)これを召(め)し寄(よ)せて見(み)たまへば、白(しら)篦(の)に鶴(つる)の本白(もとじろ)、こうの羽(はね)を割(わ)り合(あ)はせて作(つく)ったる矢(や)の、十(じふ)三(さん)束(ぞく)二(ふた)伏(つぶせ)あるに、沓巻(くつまき)より一(いつ)束(そく)ばかりおいて、和(わ)田(だの)小(こ)太(た)郎(らう)平(たひらの)義盛(よしもり)と、漆(うるし)にてぞ書(か)きつけたる。平(へい)家(け)の方(かた)に精(せい)兵(びやう)多(おほ)しといへども、さすが遠(とほ)矢(や)射(い)る者(もの)は少(すく)なかりけるやらん、ややひさしうあって、伊予(いよ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)仁(にゐ)井(の)紀(き)四(し)郎(らう)親清(ちかきよ)召(め)し出(いだ)され、この矢(や)をたまはって射(い)返(かへ)す。これも沖(おき)より渚(なぎさ)へ三(さん)町(ちやう)余(よ)をつと射(い)渡(わた)して、和(わ)田(だの)小(こ)太(た)郎(らう)が後(うしろ)一(いつ)段(たん)あまりに控(ひか)へたる三(み)浦(うら)の石(いし)田(だ)左近(さこんの)太(た)郎(らう)が弓(ゆん)手(で)のかひなに、したたかにこそ立(た)ったりけれ。

 三(み)浦(うら)の人(ひと)どもこれを見(み)て、

「和(わ)田(だの)小(こ)太(た)郎(らう)が、われに過(す)ぎて遠(とほ)矢(や)射(い)る者(もの)なしと思(おも)ひて恥(はぢ)かいたるをかしさよ。あれを見(み)よ」とぞ笑(わら)ひける。

 和(わ)田(だの)小(こ)太(た)郎(らう)これを聞(き)き、

「やすからぬことなり」

 とて、小(こ)舟(ぶね)に乗(の)って漕(こ)ぎ出(いだ)させ、平(へい)家(け)の勢(せい)の中(なか)を、さしつめひきつめ散々(さんざん)に射(い)ければ、多(おほ)くの者(もの)ども射(い)殺(ころ)され、手(て)負(お)ひにけり。

 また判(はう)官(ぐわん)の乗(の)りたまへる船(ふね)に、沖(おき)より白(しら)篦(の)の大(おほ)矢(や)を一(ひと)つ射(い)立(た)てて、和田(わだ)がやうに、

「こなたへたまはらん」とぞ招(まね)いたる。

 判(はう)官(ぐわん)この矢(や)を抜(ぬ)かせて見(み)たまへば、白(しら)篦(の)に山鳥(やまどり)の尾(を)をもって作(つく)ったりける矢(や)の、十(じふ)四(し)束(そく)三(み)伏(つぶせ)あるに、伊予(いよ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)仁(にゐ)井(の)紀(き)四(し)郎(らう)親清(ちかきよ)とぞ書(か)きつけたる。判(はう)官(ぐわん)、後(ご)藤(とう)兵衛(びやうゑ)実基(さねもと)を召(め)して、

「この矢(や)射(い)つべき者(もの)の、御(み)方(かた)に誰(たれ)かある」とのたまへば、

「甲斐(かひ)源(げん)氏(じ)に阿(あ)佐(さ)里(り)の与(よ)一(いち)殿(どの)こそ、精(せい)兵(びやう)にてましまし候(さうら)へ」

「さらば呼(よ)べ」

 とて呼(よ)ばれければ、阿(あ)佐(さ)里(り)の与(よ)一(いち)出(い)で来(き)たり。判(はう)官(ぐわん)のたまひけるは、

「沖(おき)よりこの矢(や)を射(い)て候(さうらふ)が、射(い)返(かへ)せと招(まね)き候(さうらふ)。御(ご)辺(へん)あそばし候(さうら)ひなんや」

「たまはって見(み)候(さうら)はん」

 とて、爪(つま)よって、

「これは篦(の)が少(すこ)し弱(よわ)う候(さうらふ)。矢(や)束(づか)もちと短(みじか)う候(さうらふ)。同(おな)じうは義成(よしなり)が具(ぐ)足(そく)にて仕(つかまつ)り候(さうら)はん」

 とて、塗籠籐(ぬりごめどう)の弓(ゆみ)の九(く)尺(しやく)ばかりあるに、塗(ぬり)篦(の)に黒(くろ)ほろはいだる矢(や)の、わが大(おほ)手(て)に押(お)し握(にぎ)って十(じふ)五(ご)束(そく)ありけるをうちくはせ、よっ引(ぴ)いてひやうと放(はな)つ。四(し)町(ちやう)余(よ)をつと射(い)渡(わた)して、大船(おほぶね)の舳(へさき)に立(た)ったる仁(にゐ)井(の)紀(き)四(し)郎(らう)親清(ちかきよ)が真(まつ)正(しやう)中(なか)を、ひやうづばと射(い)て、船底(ふなぞこ)へ逆(さか)さまに射(い)倒(たふ)す。死生(ししやう)をば知(し)らず。阿(あ)佐(さ)里(り)の与(よ)一(いち)は、もとより精(せい)兵(びやう)の手(て)ききなり。二(に)町(ちやう)に走(はし)る鹿(しか)をば、はづさず射(い)けるとぞ聞(き)こえし。

 その後(のち)、源平(げんぺい)たがひに命(いのち)を惜(を)しまず、をめき叫(さけ)んで攻(せ)め戦(たたか)ふ。いづれ劣(おと)れりとも見(み)えず。されども、平(へい)家(け)の方(かた)には、十善(じふぜん)帝王(ていわう)三種(さんしゆ)の神(じん)器(ぎ)を帯(たい)して渡(わた)らせたまへば、源(げん)氏(じ)いかがあらんずらんとあぶなう思(おも)ひけるに、しばらくは白雲(しらくも)かとおぼしくて、虚(こ)空(くう)に漂(ただよ)ひけるが、雲(くも)にてはなかりけり、主(ぬし)もなき白旗(しろはた)一(ひと)流(なが)れ舞(ま)ひ下(くだ)って、源(げん)氏(じ)の船(ふね)の舳(へさき)に、竿付(さをづけ)の緒(を)のさはるほどにぞ見(み)えたりける。

 判(はう)官(ぐわん)、

「これは八(はち)幡(まん)大(だい)菩(ぼ)薩(さつ)の現(げん)じたまへるにこそ」

 と悦(よろこ)んで、手(てう)水(づ)うがひをして、これを拝(はい)し奉(たてまつ)る。兵(つはもの)ども皆(みな)かくのごとし。

 また源(げん)氏(じ)の方(かた)より、江豚(いるか)といふ魚(うを)、一(いち)、二(に)千(せん)這(は)うて、平(へい)家(け)の方(かた)へぞ向(むか)ひける。大(おほ)臣(い)殿(との)これを御(ご)覧(らん)じて、小(こ)博(は)士(かせ)晴信(はるのぶ)を召(め)して、

「江豚(いるか)は常(つね)に多(おほ)けれども、いまだかやうのことなし。いかがあるべきと勘(かんが)へ申(まう)せ」とおほせられければ、

「この江豚(いるか)見(み)返(かへ)り候(さうら)はば、源(げん)氏(じ)滅(ほろ)び候(さうらふ)べし。はうて通(とほ)り候(さうら)はば、御(み)方(かた)の御(おん)軍(いくさ)危(あやふ)う候(さうらふ)」

 と申(まう)しもはてねば、平(へい)家(け)の船(ふね)の下(した)を、すぐにはうて通(とほ)りけり。

「世(よ)の中(なか)は今(いま)はかう」とぞ申(まう)したる。

 阿(あ)波(はの)民(みん)部(ぶ)重能(しげよし)は、この三(さん)箇(か)年(ねん)が間(あひだ)、平(へい)家(け)によくよく忠(ちゆう)を尽(つ)くし、度々(たびたび)の合戦(かつせん)に命(いのち)を惜(を)しまず防(ふせ)ぎ戦(たたか)ひけるが、子(し)息(そく)田内(でんない)左衛門(ざゑもん)を生捕(いけどり)にせられて、いかにもかなはじとや思(おも)ひけん、たちまちに心(こころ)替(が)はりして、源(げん)氏(じ)に同心(どうしん)してんげり。平(へい)家(け)の方(かた)にははかりごとに、よき人(ひと)をば兵(ひやう)船(せん)に乗(の)せ、雑(ざふ)人(にん)どもを唐(たう)船(せん)に乗(の)せて、源(げん)氏(じ)心(こころ)にくさに唐(たう)船(せん)を攻(せ)めば、中(なか)に取(と)り籠(こ)めて討(う)たんと支(し)度(たく)せられたりけれども、阿(あ)波(はの)民(みん)部(ぶ)が回忠(くわいちゆう)の上(うへ)は、唐(たう)船(せん)には目(め)も懸(か)けず、大(たい)将(しやう)軍(ぐん)のやつし乗(の)りたまへる兵(ひやう)船(せん)をぞ攻(せ)めたりける。新(しん)中納言(ちゆうなごん)、

「やすからぬ。重能(しげよし)めを切(き)って捨(す)つべかりつるものを」

 と、千(せん)たび後(こう)悔(くわい)せられけれどもかなはず。

 さるほどに、四(し)国(こく)、鎮西(ちんぜい)の兵(つはもの)ども、皆(みな)平(へい)家(け)を背(そむ)いて源(げん)氏(じ)につく。今(いま)まで従(したが)ひついたりし者(もの)どもも、君(きみ)に向(むか)って弓(ゆみ)を引(ひ)き、主(あるじ)に対(たい)して太刀(たち)を抜(ぬ)く。かの岸(きし)に着(つ)かんとすれば、波(なみ)高(たか)くしてかなひがたし。この汀(みぎは)に寄(よ)らんとすれば、敵(かたき)箭(や)鋒(さき)をそろへて待(ま)ち懸(か)けたり。源平(げんぺい)の国(くに)争(あらそ)ひ、今日(けふ)を限(かぎ)りとぞ見(み)えたりける。

先帝身投

 源(げん)氏(じ)の兵(つはもの)ども、既(すで)に平(へい)家(け)の船(ふね)に乗(の)り移(うつ)りければ、水主(かこ)梶取(かぢとり)ども、射(い)殺(ころ)され、切(き)り殺(ころ)されて、船(ふね)を直(なほ)すに及(およ)ばず、船底(ふなぞこ)に倒(たふ)れ伏(ふ)しにけり。

 新(しん)中納言(ちゆうなごん)知盛(とももり)卿(きやう)、小(こ)船(ぶね)に乗(の)って、御(ご)所(しよ)の御船(おんふね)に参(まゐ)り、

「世(よ)の中(なか)は今(いま)はかうと見(み)えて候(さうらふ)。見(み)苦(ぐる)しからんものども、皆(みな)海(うみ)へ入(い)れさせたまへ」

 とて、艫(とも)舳(へ)に走(はし)りまはり、掃(は)いたり拭(のご)うたり、塵(ちり)拾(ひろ)ひ、手(て)づから掃(さう)除(ぢ)せられけり。

 女(によう)房(ばう)たち、

「中納言(ちゆうなごん)殿(どの)、軍(いくさ)はいかに」と口々(くちぐち)に問(と)ひたまへば、

「めづらしき東男(あづまをとこ)をこそ御(ご)覧(らん)ぜられ候(さうら)はんずらめ」

 とて、からからと笑(わら)ひたまへば、

「なんでうのただいまの戯(たはぶ)れぞや」

 とて、声々(こゑごゑ)にをめき叫(さけ)びたまひけり。

 二位殿(にゐどの)はこの有様(ありさま)を御(ご)覧(らん)じて、日(ひ)ごろおぼしめし設(まう)けたることなれば、にぶ色(いろ)の二(ふたつ)衣(ぎぬ)うちかづき、練(ねり)袴(ばかま)のそば高(たか)く挟(はさ)み、神(しん)璽(じ)を脇(わき)に挟(はさ)み、宝剣(ほうけん)を腰(こし)にさし、主(しゆ)上(しやう)を抱(いだ)き奉(たてまつ)って、

「わが身(み)は女(をんな)なりとも、敵(かたき)の手(て)にはかかるまじ。君(きみ)の御供(おんとも)に参(まゐ)るなり。御(おん)志(こころざし)思(おも)ひ参(まゐ)らせたまはん人々(ひとびと)は、急(いそ)ぎ続(つづ)きたまへ」

 とて、舟端(ふなばた)へ歩(あゆ)み出(い)でられけり。

 主(しゆ)上(しやう)は今年(ことし)は八(はつ)歳(さい)にならせたまへども、御(おん)年(とし)のほどよりはるかにねびさせたまひて、御(おん)容(かたち)美(うつく)しく、あたりも照(て)り輝(かがや)くばかりなり。御(おん)ぐし黒(くろ)うゆらゆらとして、御(おん)せなか過(す)ぎさせたまへり。あきれたる御(おん)様(さま)にて、

「尼(あま)ぜ、われをばいづちへ具(ぐ)して行(ゆ)かんとするぞ」

 とおほせければ、幼(をさな)き君(きみ)に向(むか)ひ奉(たてまつ)り、涙(なみだ)を押(おさ)へて申(まう)されけるは、

「君(きみ)はいまだしろしめされさぶらはずや。先(せん)世(ぜ)の十善(じふぜん)戒(かい)行(ぎやう)の御(おん)力(ちから)によって、今(いま)万(ばん)乗(じよう)の主(ぬし)と生(う)まれさせたまへども、悪縁(あくえん)に引(ひ)かれて、御(ご)運(うん)既(すで)に尽(つ)きさせたまひぬ。まづ東(ひがし)に向(むか)はせたまひて、伊勢(いせ)大神宮(だいじんぐう)に御(おん)暇(いとま)申(まう)させたまひ、その後(のち)西方(さいはう)浄土(じやうど)の来迎(らいかう)に預(あづ)からんとおぼしめし、西(にし)に向(むか)はせたまひて御(ご)念仏(ねんぶつ)さぶらふべし。この国(くに)は粟散(ぞくさん)辺(へん)地(ぢ)とて、心(こころ)憂(う)き境(さかひ)にてさぶらへば、極楽(ごくらく)浄土(じやうど)とてめでたきところへ具(ぐ)し参(まゐ)らせさぶらふぞ」

 と泣(な)く泣(な)く申(まう)させたまへば、山鳩色(やまばといろ)の御(ぎよ)衣(い)にびんづら結(ゆ)はせたまひて、御(おん)涙(なみだ)におぼれ、小(ちひ)さく美(うつく)しき御(おん)手(て)を合(あ)はせて、まづ東(ひがし)を伏(ふ)し拝(をが)み、伊勢(いせ)大神宮(だいじんぐう)に御(おん)暇(いとま)申(まう)させたまひ、その後(のち)西(にし)に向(むか)はせたまひて、御(ご)念仏(ねんぶつ)ありしかば、二位殿(にゐどの)やがて抱(いだ)き奉(たてまつ)り、

「浪(なみ)の下(した)にも都(みやこ)のさぶらふぞ」

 と慰(なぐさ)め奉(たてまつ)って、千(ち)尋(ひろ)の底(そこ)へぞ入(い)りたまふ。

 悲(かな)しきかな、無常(むじやう)の春(はる)の風(かぜ)、たちまちに花(はな)の御(おん)容(かたち)を散(ち)らし、情(なさ)けなきかな、分段(ぶんだん)の荒(あら)き浪(なみ)、玉(ぎよく)体(たい)を沈(しづ)め奉(たてまつ)る。殿(との)をば長(ちやう)生(せい)と名(な)づけて長(なが)き住(す)みかと定(さだ)め、門(もん)をば不(ふ)老(らう)と号(がう)して老(お)いせぬとざしと書(か)きたれども、いまだ十(じつ)歳(さい)のうちにして、底(そこ)の水(み)屑(くづ)とならせたまふ。十善(じふぜん)帝(てい)位(ゐ)の御(おん)果報(くわほう)、申(まう)すもなかなかおろかなり。雲(うん)上(しやう)の竜(りう)降(くだ)って、海(かい)底(てい)の魚(うを)となりたまふ。大梵(だいぼん)高台(かうだい)の閣(かく)の上(うへ)、釈(しやく)提(だい)喜(き)見(けん)の宮(みや)の内(うち)、古(いにしへ)は槐(くわい)門(もん)棘路(きよくろ)の間(あひだ)に九族(きうぞく)をなびかし、今(いま)は舟(ふね)の中(なか)、波(なみ)の下(した)に、御(おん)命(いのち)を一(いち)時(じ)に亡(ほろ)ぼしたまふこそ悲(かな)しけれ。

能登殿最期

 女(によう)院(ゐん)はこの御(おん)有様(ありさま)を御(ご)覧(らん)じて、御(おん)焼石(やきいし)、御(おん)硯(すずり)、左(さ)右(いう)の御(おん)懐(ふところ)に入(い)れて、海(うみ)へ入(い)らせたまひたりけるを、渡辺(わたなべ)党(たう)に源(げん)五(ご)馬(うまの)允(じよう)昵(むつぶ)、誰(たれ)とは知(し)り奉(たてまつ)らねども、御(おん)髪(ぐし)を熊(くま)手(で)に懸(か)けて、引(ひ)き上(あ)げ奉(たてまつ)る。

 女(によう)房(ばう)たち、

「あなあさまし、あれは女(によう)院(ゐん)にて渡(わた)らせたまふぞ」

 と、声々(こゑごゑ)口々(くちぐち)に申(まう)されければ、判(はう)官(ぐわん)に申(まう)して、急(いそ)ぎ御(ご)所(しよ)の御(おん)舟(ふね)へわたし奉(たてまつ)る。

 大納言(だいなごんの)佐(すけ)殿(どの)は、内侍所(ないしどころ)の御(おん)唐櫃(からびつ)をもって、海(うみ)へ入(い)らんとしたまひけるが、袴(はかま)の裾(すそ)を舟端(ふなばた)に射(い)つけられ、蹴(け)纏(まと)ひて倒(たふ)れたまひたりけるを、兵(つはもの)ども取(と)り留(とど)め奉(たてまつ)る。さて武士(ぶし)ども、内侍所(ないしどころ)の御(おん)唐櫃(からびつ)の鎖(くさり)をねぢ切(き)って、既(すで)に御(おん)蓋(ふた)を開(ひら)かんとすれば、たちまちに目(め)くれ、鼻(はな)血(ぢ)垂(た)る。平(へい)大(だい)納(な)言(ごん)、生捕(いけどり)にせられておはしけるが、

「あれは内侍所(ないしどころ)の渡(わた)らせたまふぞ。凡(ぼん)夫(ぶ)は見(み)奉(たてまつ)らぬことぞ」

 とのたまへば、兵(つはもの)ども皆(みな)のきにけり。その後(のち)、判(はう)官(ぐわん)、平(へい)大(だい)納(な)言(ごん)に申(まう)し合(あ)はせて、もとのごとく絡(から)げ納(をさ)め奉(たてまつ)る。

 さるほどに、門脇(かどわき)の平(へい)中納言(ちゆうなごん)教盛(のりもり)卿(きやう)、修理(しゆりの)大(だい)夫(ぶ)経盛(つねもり)、兄(きやう)弟(だい)鎧(よろひ)の上(うへ)に碇(いかり)を負(お)ひ、手(て)に手(て)を取(と)り組(く)んで、海(うみ)へぞ入(い)りたまひける。小(こ)松(まつ)の新(しん)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)資盛(すけもり)、同(おな)じく少(せう)将(しやう)有盛(ありもり)、従弟(いとこ)の左(さ)馬(まの)頭(かみ)行盛(ゆきもり)、手(て)に手(て)を取(と)り組(く)んで、一所(いつしよ)に沈(しづ)みたまひけり。

 人々(ひとびと)はかやうにしたまへども、大(おほ)臣(い)殿(との)父子(ふし)は海(うみ)に入(い)らんずる気(け)色(しき)もおはせず、舟端(ふなばた)に立(た)ち出(い)でて、四(し)方(はう)見(み)回(まは)し、あきれたるさまにておはしけるを、侍(さぶらひ)ども、あまりの心(こころ)憂(う)さに、そばを通(とほ)るやうにて、大(おほ)臣(い)殿(との)を海(うみ)へつき入(い)れ奉(たてまつ)る。右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)これを見(み)て、やがて飛(と)び入(い)りたまひけり。皆(みな)人(ひと)は、重(おも)き鎧(よろひ)の上(うへ)に重(おも)き物(もの)を負(お)うたり抱(いだ)いたりして入(い)ればこそ沈(しづ)め、この人(ひと)親(おや)子(こ)はさもしたまはぬ上(うへ)に、究(くつ)竟(きやう)の水練(すゐれん)にておはしければ、沈(しづ)みもやりたまはず。

 大(おほ)臣(い)殿(との)は、

「右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)沈(しづ)まばわれも沈(しづ)まん、助(たす)かりたまはばわれも助(たす)からん」と思(おも)ひたまふ。

 右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)も、

「父(ちち)沈(しづ)みたまはばわれも沈(しづ)まん、助(たす)かりたまはばわれも助(たす)からん」

 と思(おも)ひて、互(たが)ひに目(め)を見(み)かはし、泳(およ)ぎありきたまふほどに、伊(い)勢(せの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)、小(こ)船(ぶね)をつと漕(こ)ぎ寄(よ)せ、まづ右(う)衛(ゑ)門(もんの)督(かみ)を熊(くま)手(で)に懸(か)けて引(ひ)き上(あ)げ奉(たてまつ)る。大(おほ)臣(い)殿(との)、これを見(み)て、いよいよ沈(しづ)みもやりたまはねば、同(おな)じう取(と)り奉(たてまつ)ってけり。

 大(おほ)臣(い)殿(との)の御(おん)乳母子(めのとご)飛(ひ)騨(だの)三郎(さぶらう)左衛門(ざゑもん)景経(かげつね)、小(こ)船(ぶね)に乗(の)って義盛(よしもり)が船(ふね)に乗(の)り移(うつ)り、

「わが君(きみ)取(と)り奉(たてまつ)るは何者(なにもの)ぞ」

 とて、太刀(たち)を抜(ぬ)いで走(はし)りかかる。義盛(よしもり)既(すで)にあぶなう見(み)えけるを、義盛(よしもり)が童(わらは)、主(あるじ)を討(う)たせじと中(なか)に隔(へだ)たり、景経(かげつね)に打(う)ってかかる。景経(かげつね)が打(う)つ太刀(たち)に、義盛(よしもり)が童(わらは)は甲(かぶと)の真向(まつかう)打(う)ち割(わ)られて、二(に)の太刀(たち)に頸(くび)打(う)ち落(お)とされぬ。義盛(よしもり)なほあぶなう見(み)えけるを、並(なら)ぶ船(ふね)より、堀(ほりの)弥(や)太(た)郎(らう)親経(ちかつね)、よっ引(ぴ)いてひやうと射(い)る。景経(かげつね)、内(うち)甲(かぶと)を射(い)させてひるむところを、堀(ほりの)弥(や)太(た)郎(らう)、義盛(よしもり)が船(ふね)に乗(の)り移(うつ)って、三郎(さぶらう)左衛門(ざゑもん)に組(く)んで伏(ふ)す。堀(ほり)が郎等(らうどう)、主(あるじ)に続(つづ)いて乗(の)り移(うつ)り、景経(かげつね)が鎧(よろひ)の草摺(くさずり)引(ひ)き上(あ)げて、二(ふた)刀(かたな)刺(さ)す。飛(ひ)騨(だの)三郎(さぶらう)左衛門(ざゑもん)景経(かげつね)、聞(き)こゆる大(だい)力(ぢから)の剛(がう)の者(もの)なれども、運(うん)や尽(つ)きにけん、痛(いた)手(で)は負(お)ひつ、敵(かたき)はあまたあり、そこにてつひに討(う)たれにけり。大(おほ)臣(い)殿(との)は生(い)きながら取(と)り上(あ)げられ、目(め)の前(まへ)で乳母子(めのとご)が討(う)たるるを見(み)たまふに、いかなる心(ここ)地(ち)かせられけん。

 およそ能(の)登(との)守(かみ)教経(のりつね)の矢(や)先(さき)にまはる者(もの)こそなかりけれ。矢(や)種(だね)のあるほど射(い)尽(つ)くして、今日(けふ)を最(さい)後(ご)とや思(おも)はれけん、赤(あか)地(ぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、唐綾(からあや)威(をどし)の鎧(よろひ)着(き)て、いかものづくりの大太刀(おほだち)抜(ぬ)き、白(しら)柄(え)の大長刀(おほなぎなた)の鞘(さや)をはづし、左(さ)右(いう)に持(も)って薙(な)ぎまはりたまふに、面(おもて)を合(あ)はする者(もの)ぞなき。多(おほ)くの者(もの)ども討(う)たれにけり。

 新(しん)中納言(ちゆうなごん)、使(し)者(しや)を立(た)てて、

「能登殿(のとどの)、いたう罪(つみ)な作(つく)りたまひそ。さりとてよき敵(かたき)か」とのたまひければ、

「さては大(たい)将(しやう)軍(ぐん)に組(く)めござんなれ」

 と心得(こころえ)て、打物(うちもの)茎(くき)短(みじか)に取(と)って、源(げん)氏(じ)の船(ふね)に乗(の)り移(うつ)り、をめき叫(さけ)んで責(せ)め戦(たたか)ふ。されども判(はう)官(ぐわん)を見(み)知(し)りたまはねば、物具(もののぐ)のよき武(む)者(しや)をば、

「判(はう)官(ぐわん)か」

 と目(め)を懸(か)けて、馳(は)せ回(まは)りたまふ。判(はう)官(ぐわん)も先(さき)に心得(こころえ)て、面(おもて)に立(た)つやうにしけれども、とかく違(ちが)ひて、能登殿(のとどの)には組(く)まれず。されどもいかがしたりけん、判(はう)官(ぐわん)の船(ふね)に乗(の)り当(あ)たって、

「あはや」

 と目(め)を懸(か)けて飛(と)んでかかるに、判(はう)官(ぐわん)かなはじとや思(おも)はれけん、長刀(なぎなた)脇(わき)にかい挟(はさ)み、御(み)方(かた)の船(ふね)の二(に)丈(ぢやう)ばかりのいたりけるに、ゆらりと飛(と)び乗(の)りたまひぬ。能登殿(のとどの)は早業(はやわざ)や劣(おと)られけん、やがて続(つづ)いても飛(と)びたまはず。今(いま)はかうと思(おも)はれければ、太刀(たち)、長刀(なぎなた)海(うみ)へ投(な)げ入(い)れ、甲(かぶと)も脱(ぬ)いで捨(す)てられけり。鎧(よろひ)の草摺(くさずり)かなぐり捨(す)て、胴(どう)ばかり着(き)て、大(おほ)童(わらは)になり、大(おほ)手(て)を広(ひろ)げて立(た)たれたり。およそあたりを払(はら)ってぞ見(み)えたりける。恐(おそ)ろしなどもおろかなり。

 能登殿(のとどの)大(だい)音(おん)声(じやう)を上(あ)げて、

「われと思(おも)はん者(もの)どもは、寄(よ)って教経(のりつね)に組(く)んで生捕(いけどり)にせよ。鎌倉(かまくら)へ下(くだ)って、頼朝(よりとも)に逢(あ)うて、もの一言(いちごん)いはんと思(おも)ふぞ。寄(よ)れや寄(よ)れ」

 とのたまへども、寄(よ)る者(もの)一(ひと)人(り)もなかりけり。

 ここに土佐(とさ)の国(くに)の住(ぢゆう)人(にん)、安芸(あき)の郷(がう)を知行(ちぎやう)しける安(あ)芸(きの)大(だい)領(りやう)実康(さねやす)が子(こ)に、安(あ)芸(きの)太(た)郎(らう)実光(さねみつ)とて、三十(さんじふ)人(にん)が力(ちから)持(も)ったる大(だい)力(ぢから)の剛(がう)の者(もの)あり。われにちっとも劣(おと)らぬ郎等(らうどう)一(ひと)人(り)、弟(おとと)の次(じ)郎(らう)も、普(ふ)通(つう)にはすぐれたるしたたか者(もの)なり。安(あ)芸(きの)太(た)郎(らう)、能登殿(のとどの)を見(み)奉(たてまつ)って申(まう)しけるは、

「いかに心(こころ)猛(たけ)くましますとも、われら三人(さんにん)取(と)りついたらんに、たとひ丈(たけ)十(じふ)丈(ぢやう)の鬼(おに)なりとも、などか従(したが)へざるべき」

 とて、主(しゆ)従(じゆう)三人(さんにん)小(こ)船(ぶね)に乗(の)って、能登殿(のとどの)の船(ふね)に押(お)し並(なら)べ、えいといひて乗(の)り移(うつ)り、甲(かぶと)の錣(しころ)を傾(かたぶ)け、太刀(たち)を抜(ぬ)いて一面(いちめん)に打(う)って懸(か)かる。能登殿(のとどの)ちっとも騒(さわ)ぎたまはず、真先(まつさき)に進(すす)んだる安(あ)芸(きの)太(た)郎(らう)が郎等(らうどう)を、裾(すそ)を合(あ)はせて、海(うみ)へどうと蹴(け)入(い)れたまふ。続(つづ)いて寄(よ)る安(あ)芸(きの)太(た)郎(らう)を弓(ゆん)手(で)の脇(わき)に取(と)って挟(はさ)み、弟(おとと)の次(じ)郎(らう)をば馬手(めて)の脇(わき)にかい挟(はさ)み、一(ひと)しめしめて、

「いざうれ、さらばおのれら、死出(しで)の山(やま)の供(とも)せよ」

 とて、生(しやう)年(ねん)二(に)十(じふ)六(ろく)にて、海(うみ)へつとぞ入(い)りたまふ。

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