『枕草子』原文全文を読む(6)第90段~第105段|読みやすいふりがな付き

目次

第90段「宮の五節いださせたまふに」

 宮みやの五節ごせち出いださせたまふに、かしづき十二人じふににん、異所ことどころには女御にようご、御息所みやすどころの御方おんかたの人ひと出いだすをば、悪わるきことにすると聞きくを、いかに思おぼすにか、宮みやの御方おんかたを、十人じふにんはいださせたまふ。今いま二人ふたりは、女院にようゐん、淑景舎しげいさの人ひと、やがて同胞はらからどちなり。

 辰たつの日ひの夜よ、青摺あをずりの唐衣からぎぬ、汗衫かざみを皆みな着きせさせたまへり。

 女房にようばうにだに、かねてさも知しらせず、殿人とのびとには、ましていみじう隠かくして、皆みな装束さうぞくし立たちて、暗くらうなりにたるほどに、持もて来きて着きす。赤紐あかひもをかしう結むすび下さげて、いみじうやうしたる白しろき衣きぬ、型木かたぎの型かたは絵ゑに描かきたり。織物おりものの唐衣からぎぬどもの上うへに着きたるは、まことにめづらしき中なかに、童わらはは、まいて今いま少すこしたなまめきたり。下仕しもづかへまで着きて出いでゐたるに、殿上人てんじやうびと、上達部かんだちめ驚おどろき興きようじて、小忌をみの女房にようばうとつけて、小忌をみの君きみたちは外そとにゐて物ものなど言いふ。

「五節ごせちの局つぼねを、日ひも暮くれぬほどに、皆みなこぼちすかして、ただ怪あやしうてあらする、いと異様ことやうなることなり。その夜よまでは、なほうるはしながらこそあらめ」

 と宣のたまはせて、さも惑まどはさず。

 几帳きちやうどもの綻ほころび結ゆひつつ、こぼれ出いでたり。

 小兵衛こひやうゑといふが、赤紐あかひもの解とけたるを、

「これ結むすばばや」

 といへば、実方さねかたの中将ちゆうじやう寄よりて繕つくろふに、ただならず。

あしひきの山井やまゐの水みづは凍こほれるをいかなるひものとくるなるらむ

 と言いひかく。

 年とし若わかき人ひとの、さる顕証けさうのほどはいひにくきにや、返かへしもせず。

 そのかたはらなる人ひとどもも、ただうち過すごしつつ、ともかくもいはぬを、宮司みやづかさなどは耳みみ留とどめて聞ききけるに、ひさしうなりげなるかたはらいたさに、異方ことかたより入いりて、女房にようばうのもとに寄よりて、

「などかうはおはするぞ」

 などぞささめくなる。

 四人よにんばかりを隔へだててゐたれば、よう思おもひ得えたらむにてもいひにくし、まいて、歌うた詠よむと知しりたる人ひとのは、おぼろげならざらむは、いかでかと、つつましきこそはわろけれ。

 詠よむ人ひとはさやはある。

 いとめでたからねど、ふとこそうち言いへ。

 爪弾つまはじきをし歩ありくがいとほしければ、

上氷うはごほりあはに結むすべるひもなればかざす日影ひかげに緩ゆるぶばかりを

 と弁べんのおもとといふに伝つたへさすれば、消きえ入いりつつ、えも言いひやらねば、

「なにとか、なにとか」

 と、耳みみ傾かたぶけて問とふに、すこし言ことどもりする人ひとの、いみじう繕つくろひ、めでたしと聞きかせむと思おもひければ、え聞ききつけずなりぬるこそ、なかなか恥隠はぢかくるる心地ここちしてよかりしか。

 上のぼり送おくるなどに、なやましといひて行いかぬ人ひとをも、宣のたまはせしかば、ある限かぎり連つれ立だちて、ことにも似にず、あまりことうるさげなめれ。

 舞姫まひひめは、相尹すけまさの馬うまの頭かみの女むすめ、染殿そめどのの式部卿しきぶきやうの宮みやの上うへの御弟おんおとうとの四よの君きみの御腹おんはら、十二じふににていとをかしげなりき。

 はての夜よも、おひかづき出いでも騒さわがず。やがて仁寿殿じじゆうでんより通とほりて、清涼殿せいりやうでんの御前おまへの東ひむがしの簀子すのこより、舞姫まひひめを先さきにて、上うへの御局みつぼねに参まゐりしほども、をかしかりき。

第91段「細太刀に平緒つけて」

 細太刀ほそだちに平緒ひらを付つけて、清きよげなる男をのこの持もて渡わたるもなまめかし。

第92段「内裏は五節の頃こそ」

 内裏うちは、五節ごせちの頃ころこそ、すずろにただなべて、見みゆる人ひともをかしう覚おぼゆれ。

 主殿司とのもりづかさなどの、色々いろいろのさいでを、物忌ものいみのやうにて釵子さいしに付つけたるなども、めづらしう見みゆ。宣耀殿せんえうでんの反橋そりはしに、元結もとゆひの斑濃むらごいとけざやかにて出いでゐたるも、様々さまざまに付つけてをかしうのみぞある。上うへの雑仕ざふし、人ひとのもとなる童部わらはべも、いみじき色いろふしと思おもひたる、道理ことわりなり。山藍やまあゐ、日ひかげなど、柳筥やないばこに入いれて、冠かうぶりしたる男をとこなど持もて歩ありくなど、いとをかしう見みゆ。

 殿上人てんじやうびとの、直衣なほし脱ぬぎ垂たれて、扇あふぎやなにやと拍子ひやうしにして、

「つかさまさりとしきなみぞ立たつ」

 といふ歌うたをうたひて、局つぼねどもの前まへ渡わたる、いみじう、立たち馴なれたらむ心地ここちもさわぎぬべしかし。まいて、さと、一度ひとたびにうち笑わらひなどしたるほど、おそろし。行事ぎやうじの蔵人くらうどの掻練襲かいねりがさね、ものよりことにきよらに見みゆ。褥しとねなど敷しきたれど、なかなかえも上のぼり居ゐず、女房にようばうの出いでゐたる様さま褒ほめそしり、この頃ころは異事ことごともなかめり。

 帳台ちやうだいの夜よ、行事ぎやうじの蔵人くらうどのいと厳きびしうもてなして、かいつくろひ二人ふたり、童わらはよりほかには、すべて入いるまじと戸とを押おさへて、面憎おもにくきまでいへば、殿上人てんじやうびとなども、

「なほこれ一人ひとりは」

 など宣のたまふを、

「うらやみありて、いかでか」

 など、かたくいふに、宮みやの女房にようばうの二十人にじふにんばかり、蔵人くらうどをなにともせず、戸とを押おし開あけて騒さめき入いれば、あきれて、

「いとこは、ずちなき世よかな」

 とて、立たてるもをかし。

 それにつきてぞ、かしづきどもも皆みな入いる、気色けしきいとねたげなり。上うへもおはしまして、をかしと御覧ごらんじおはしますらむかし。

 童舞わらはまひの夜よはいとをかし。灯台とうだいに向むかひたる顔かほどももらうたげなり。

第93段「無名といふ琵琶の御琴を」

 無名むみやうといふ琵琶びはの御琴おんことを、上うへの持もて渡わたらせたまへる、見みなどして搔かき鳴ならしなどする、といへば、弾ひくにはあらで、緒をなどを手てまさぐりにして、

「これが名なよ、いかに」

 と聞きこえさするに、

「ただいとはかなく、名なもなし」

 と宣のたまはせたるは、なほいとめでたしとこそ覚おぼえしか。

 淑景舎しげいさなどわたりたまひて、御おん物語ものがたりのついでに、

「まろがもとに、いとをかしげなる笙しやうの笛ふえこそあれ。故殿こどのの得えさせたまへりし」

 と宣のたまふを、僧都そうづの君きみ、

「それは隆円りゆうゑんに賜たまへ。おのがもとにめでたき琴きんあり。それに代かへさせたまへ」

 と申まうしたまふを、聞ききも入いれたまはで、異事ことごとを宣のたまふに、答いらへさせたてまつらむと、あまたたび聞きこえたまふに、なほものも宣のたまはねば、宮みやの御前おまへの、

「いなかへじと思おぼしたるものを」

 と宣のたまはせたる御気色みけしきの、いみじうをかしきことぞ限かぎりなき。

 この御笛おんふえの名なを、僧都そうづの君きみもえ知しりたまはざりければ、ただうらめしきとぞ思おぼいためる。これは、職しきの御曹司みざうしにおはしまいしほどのことなめり。上うへの御前おまへに、

「いなかへじ」

 といふ御笛おんふえの候さぶらふなり。

 御前おまへに候さぶらふものは、御琴おんことも御笛おんふえも、皆みなめづらしき名なつきてぞある。玄象げんじやう、牧馬ぼくば、井手ゐで、渭橋ゐけう、無名むみやうなど。また、和琴わごんなども、朽目くちめ、塩竃しほがま、二貫ふたぬきなどぞきこゆる。水龍すゐろう、小水龍こすゐろう、宇陀うだの法師ほふし、釘打くぎうち、葉は二ふたつ、なにくれなど、おほく聞ききしかど忘わすれにけり。

「宜陽殿ぎやうでんの一いちの棚たなに」

 といふ言種ことぐさは、頭とうの中将ちゆうじやうこそしたまひしか。

第94段「上の御局の御簾の前にて」

 上うへの御局みつぼねの御簾みすの前まへにて、殿上人てんじやうびと、日一日ひひとひ琴きん笛ふえ吹ふき、遊あそび暮くらして、大殿油おほとなぶらまゐるほどに、まだ御格子みかうしはまゐらぬに、大殿油おほとなぶらさし出いでたれば、戸との開あきたるが露あらはなれば、琵琶びはの御琴おんことを縦様たたざまに持もたせたまへり。くれなゐの御衣おんぞども、言いふも世よの常つねなる袿うちき、また、張はりたるどもなどをあまた奉たてまつりて、いと黒くろうつややかなる琵琶びはに、御袖おんそでを打うち掛かけて、捉とらへさせたまへるだにめでたきに、傍そばより、御額おんひたひのほどの、いみじう白しろうめでたくけざやかにて、外はづれさせたまへるは、たとふべき方かたぞなきや。

 近ちかく居ゐたまへる人ひとにさし寄よりて、

「半なかば隠かくしたりけむは、えかくはあらざりけむかし。あれは直人ただびとにこそありけめ」

 といふを、道みちもなきに分わけまゐりて申まうせば、笑わらはせたまひて、

「別わかれは知しりたりや」

 となむ仰おほせらるる、と伝つたふるもをかし。

第95段「ねたきもの」

 ねたきもの、人ひとのもとにこれより遣やるも、人ひとの返事かへりごとも、書かきて遣やりつる後のち、文字もじ一ひとつ二ふたつ思おもひ直なほしたる。とみの物もの縫ぬふに、かしこう縫ぬひつと思おもふに、針はりを引ひき抜ぬきつれば、はやく尻しりを結むすばざりけり。また、かへさまに縫ぬひたるもねたし。

 南みなみの院ゐんにおはします頃ころ、

「とみの御おん物ものなり。誰たれも誰たれもあまたして時ときかはさず縫ぬひてまゐらせよ」

 とて、賜たまはせたるに、南面みなみおもてに集あつまりて、御衣おんぞの片身かたみづつ、誰たれかとく縫ぬふと、近ちかくも向むかはず、縫ぬふさまも、いと物ものぐるほし。命婦みやうぶの乳母めのと、いととく縫ぬひ果はててうち置おきつる、裄丈ゆだけの片かたの身みを縫ぬひつるが、そむきざまなるを見みつけで、とぢめもしあへず、惑まどひ置おきて立たちぬるが、御背おんせ合あはすれば、はやく違たがひたりけり。

 わらひののしりて、

「はやく、これ縫ぬひ直なほせ」

 といふを、

「誰たれ、あしう縫ぬひたりと知しりてか直なほさむ。綾あやなどならばこそ、裏うらを見みざらむ人ひとも、げにと直なほさめ、無紋むもんの御衣おんぞなれば、何なにを印しるしにてか、直なほす人ひと誰たれもあらむ。まだ縫ぬひたまはざらむ人ひとに直なほさせよ」

 とて、聞きかねば、

「さ言いひてあらむや」

 とて、源少納言げんせうなごんの君きみなどいふ人達ひとたちの、もの憂うげに取とり寄よせて縫ぬひたまひしを、見み遣やりてゐたりしこそをかしかりしか。

 おもしろき萩はぎ、薄すすきなどを植うゑて見みるほどに、長櫃ながびつ持もたる者もの、鋤すきなど引ひき下さげて、ただ掘ほりに掘ほりて往いぬるこそわびしうねたけれ。よろしき人ひとなどのある時ときはさもせぬものを、いみじう制せいすれども、

「ただ少すこし」

 などうち言いひて往いぬる、言いふ甲斐かひなくねたし。

 受領ずりやうなどの家いへに、さるべき所ところの下部しもべなどの来きて、なめげに言いひ、さりとて我われをばいかがせむなど思おもひたる、いとねたげなり。

 見みまほしき文ふみなどを、人ひとの取とりて、庭にはに下おりて見みたるが、いとわびしきねたく、追おひて行いけど、簾すだれのもとに止とまりて見みたる心地ここちこそ、飛とびも出いでぬべき心地ここちすれ。

第96段「かたはらいたきもの」

 かたはらいたきもの、よくも音ね弾ひき止とどめぬ琴きんを、よくも調しらべで、心こころの限かぎり弾ひきたてたる。客人まらうどなどに会あひてもの言いふに、奥おくの方かたにうちとけ言ごとなど言いふを、えは制せいせで聞きく心地ここち。思おもふ人ひとのいたく酔ゑひて、同おなじことしたる。聞ききゐたりけるを知しらで、人ひとの上うへ言いひたる。それは、何なにばかりの人ひとならねど、使つかふ人ひとなどだにかたはらいたし。

 旅立たびだちたる所ところにて、下衆げすども戯ざれ居ゐたる。憎にくげなる児ちごを、己おのが心地ここちの愛かなしきままに、うつくしみ、愛かなしがり、これが声こゑのままに、言いひたることなど語かたりたる。才ざえある人ひとの前まへにて、才ざえなき人ひとの、物覚ものおぼえ声こゑに人ひとの名ななど言いひたる。よしとも覚おぼえぬわが歌うたを、人ひとに語かたりて、人ひとの褒ほめなどしたる由よし言いふも、かたはらいたし。

第97段「あさましきもの」

 あさましきもの、刺櫛さしぐしすりて磨みがくほどに、ものにつきさへて折をりたる心地ここち。車くるまのうち返かへりたる。さるおほのかなるものは、所ところせくやあらむと思おもひしに、ただ夢ゆめの心地ここちして、あさましうあへなし。

 人ひとのためにはづかしうあしきことを、包つつみもなく言いひ居ゐたる。必かならず来こなむと思おもふ人ひとを、夜一夜よひとよ起おき明あかし待まちて、暁あかつきがたにうち忘わすれて寝ね入いりにけるに、烏からすのいとちかく「かか」と鳴なくに、うち見み上あげたれば、昼ひるになりにける、いみじうあさまし。

 見みすまじき人ひとに、外ほかへ持もて行いく文ふみ見みせたる。むげに知しらず、見みぬことを、人ひとの差さし向むかひて、争あらがはすべくもあらず言いひたる。物ものうちこぼしたる心地ここち、いとあさまし。

第98段「くちをしきもの」

 くちをしきもの、五節ごせち、御仏名おぶつみやうに雪ゆき降ふらで、雨あめのかき暗くらし降ふりたる。節会せちゑなどに、さるべき御物忌おんものいみのありたる。営いとなみ、いつしかと待まつことの、障さはりあり、俄にはかに止とまりぬる。遊あそび、もしは見みすべきことありて、呼よびに遣やりたる人ひとの来こぬ、いとくちをし。

 男をとこも女をんなも法師ほふしも、宮仕所みやづかへどころなどより、同おなじやうなる人ひと、もろともに寺てらへも詣まうで、ものへも行ゆくに、好このましうこぼれ出いで、用意ようい、よくいはば、けしからず、あまり見苦みぐるしとも見付みつくべくぞあるに、さるべき人ひとの、馬うまにても車くるまにても行ゆき合あひ、見みずなりぬる、いとくちをし。わびては、すきずきしき下衆げすなどの、人ひとなどに語かたりつべからむをがなと思おもふも、いとけしからず。

第99段「五月の御精進のほど」

 五月さつきの御精進みさうじのほど、職しきにおはします頃ころ、塗籠ぬりごめの前まへの二間ふたまなる所ところを、殊ことにしつらひたれば、例様れいざまならぬもをかし。一日ついたちより雨あめがちに、曇くもり過すぐす。つれづれなるを、

「ほととぎすの声こゑ尋たづねに行ゆかばや」

 と言いふを、我われも我われもと出いで立たつ。

 二日ふつかばかりありて、その日ひのことなど言いひ出いづるに、宰相さいしやうの君きみ、

「いかにぞ、手てづから折をりたりと言いひし、下蕨したわらびは」

 と宣のたまふを聞きかせたまひて、

「思おもひ出いづることのさまよ」

 と笑わらはせたまひて、紙かみの散ちりたるに、

下蕨したわらびこそ恋こひしかりけれ

 と書かかせたまひて、

「本もと言いへ」

 と仰おほせらるるも、いとをかし。

ほととぎすたづねて聞ききし声こゑよりも

 と書かきて、参まゐらせたれば、

「いみじう受うけ張ばりけり。かうだに、いかでほととぎすのことを掛かけつらむ」

 とて、笑わらはせたまふもはづかしながら、

「何なにか。この歌うた、詠よみはべらじとなむ思おもひはべるを。ものの折をりなど人ひとの詠よみはべらんにも、詠よめなど仰おほせられば、え候さぶらふまじき心地ここちなむしはべる。いといかがは、文字もじの数かず知しらず、春はるは冬ふゆの歌うた、秋あきは梅うめの花はなの歌うたなどを詠よむやうははべらむ。されど、歌うた詠よむと言いはれし末々すゑずゑは、少すこし人ひとよりまさりて、その折をりの歌うたは、これこそありけれ。さは言いへど、それが子こなればなど言いはればこそ、甲斐かひある心地ここちもしはべらめ。つゆ取とり分わきたる方かたもなくて、さすがに歌うたがましう、我われはと思おもへるさまに、最初さいしよに詠よみ出いではべらむ、亡なき人ひとのためにもいとほしうはべる」

 と、まめやかに啓けいすれば、

 笑わらはせたまひて、

「さらば、ただ心こころに任まかす。我われは詠よめとも言いはじ」

 と宣のたまはすれば、

「いと心安こころやすくなりはべりぬ。いまは歌うたのこと思おもひかけじ」

 など言いひてあるころ、庚申かうしんせさせたまふとて、内大殿うちのおほいどのいみじう心設こころまうけせさせたまへり。

 夜ようち更ふくるほどに、題だい出いだして女房にようばうも歌うた詠よませたまふ。

 みなけしきばみ、ゆるがし出いだすも、宮みやの御前おまへ近ちかく候さぶらひて、もの啓けいしなど、異事ことごとをのみ言いふを、大臣おとど御覧ごらんじて、

「など歌うたは詠よまで、むげに離はなれ居ゐたる。題だい取とれ」

 とてたまふを、

「さること承うけたまはりて、歌うた詠よみはべるまじうなりてはべれば、思おもひかけはべらず」

 と申まうす。

「異様ことやうなること。まことにさることやははべる。などかさは許ゆるさせたまふ。いとあるまじきことなり。よし、異時ことときは知しらず、今宵こよひは詠よめ」

 など、責せめさせたまへど、けぎよう聞ききも入いれで候さぶらふに、みな人々ひとびと詠よみ出いだして、良よし悪あしなど定さだめらるるほどに、いささかなる御文おんふみを書かきて、投なげたまはせたり。見みれば、

元輔もとすけが後のちと言いはるる君きみしもや今宵こよひの歌うたにはづれては居をる

 とあるを見みるに、をかしきことぞ類たぐひなきや。いみじう笑わらへば、

「何事なにごとぞ、何事なにごとぞ」

 と大臣おとども問とひたまふ。

「その人ひとの後のちといはれぬ身みなりせば今宵こよひの歌うたを先まづぞ詠よままし

包つつむこと候さぶらはずは、千ちの歌うたなりと、これよりなむ出いでまうで来こまし」

 と啓けいしつ。

第100段「職におはします頃」

 職しきにおはします頃ころ、八月はづき十余日じふよひの月つき明あかき夜よ、右近うこんの内侍ないしに琵琶びは弾ひかせて、端近はしぢかくおはします。

 これかれ言いひ、笑わらひなどするに、廂ひさしの柱はしらに寄よりかかりて、物ものも言いはで候さぶらへば、

「など、かう音おともせぬ。物もの言いへ。さうざうしきに」

 と仰おほせらるれば、

「ただ秋あきの月つきの心こころを見み侍はべるなり」

 と申まうせば、

「さも言いひつべし」

 と仰おほせらる。

第101段「御方々君達上人など」

 御方々おんかたがた、君達きんだち、上人うへびとなど、御前おまへに人ひとのいと多おほく候さぶらへば、廂ひさしの柱はしらに寄より掛かかりて、女房にようばうと物語ものがたりなどして居ゐたるに、物ものを投なげ賜たまはせたる、開あけて見みれば、

「思おもふべしや、いなや。人ひと、第一だいいちならずはいかに」

 と書かかせたまへり。

 御前おまへにて物語ものがたりなどするついでにも、

「すべて、人ひとに一いちに思おもはれずは、なににかはせむ。ただいみじう、なかなか憎にくまれ、悪あしうせられてあらむ。二三にさんにては死しぬともあらじ。一いちにてをあらむ」

 などいへば、

「一乗いちじようの法ほふななり」

 など、人々ひとびとも笑わらふことの筋すぢなめり。

 筆ふで、紙かみなど賜たまはせたれば、

「九品蓮台くほんれんだいの間あひだには、下品げぼんといふとも」

 など、書かきて参まゐらせたれば、

「むげに思おもひ屈くつしにけり。いとわろし。言いひ閉とぢめつることは、さてこそあらめ」

 と宣のたまはす。

「それは、人ひとに従したがひてこそ」

 と申まうせば、

「そが悪わるきぞかし。第一だいいちの人ひとに、また一いちに思おもはれむとこそ思おもはめ」

 と仰おほせらるるもをかし。

第102段「中納言参りたまひて」

 中納言ちゆうなごん参まゐりたまひて、御扇おんあふぎたてまつらせたまふに、

「隆家たかいへこそ、いみじき骨ほねは得えてはべれ。それを張はらせて参まゐらせむとするに、おぼろけの紙かみはえ張はるまじければ、求もとめはべるなり」

 と申まうしたまふ。

「いかやうにかある」

 と問とひ聞きこえさせたまへば、

「すべていみじうはべり。さらにまだ見みぬ骨ほねのさまなり、となむ人々ひとびと申まうす。まことにかばかりのは見みえざりつ」

 と、言高ことたかくのたまへば、

「さては、扇あふぎのにはあらで、海月くらげのななり」

 と聞きこゆれば、

「これは隆家たかいへが言ことにしてむ」

 とて、笑わらひたまふ。

 かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入いれつべけれど、

「一ひとつな落おとしそ」

 と言いへば、いかがはせむ。

第103段「雨のうちはへ降る頃」

 雨あめのうちはへ降ふる頃ころ、今日けふも降ふるに、御使おんつかひにて、式部しきぶの丞じよう信経のぶつね参まゐりたり。

 例れいのごと褥しとねさし出いでたるを、常つねよりも遠とほく押おし遣やりてゐたれば、

「誰たれが料れうぞ」

 といへば、笑わらひて、

「かかる雨あめにのぼりはべらば、足形あしがたつきて、いと不便ふびんに汚きたなくなりはべりなむ」

 といへば、

「など、せんぞく料れうにこそはならめ」

 といふを、

「これは、御前おまへにかしこう仰おほせらるるにあらず。信経のぶつねが足形あしがたのことを申まうさざらましかば、え宣のたまはざらまし」

 と言いひしこそをかしかりしか。

「はやう中后なかきさいの宮みやに、ゑぬたきといひて、名高なだかき下仕しもづかへなむありける。美濃みのの守かみにて亡うせにける藤原ふぢはらの時柄ときがらが蔵人くらうどなりける折をりに、下仕しもづかへどものある所ところに立たち寄よりて、これやこの高名かうみやうのゑぬたき、などさも見みえぬと言いひける、答いらへに、それは、時柄ときがらにさも見みゆるならむといひたりけるなむ、敵かたきに選よりても、さることはいかでからむと、上達部かんだちめ、殿上人てんじやうびとまで、興きようあることに宣のたまひける。また、さりけるなめり、今日けふまでかくいひ伝つたふるは」

 と聞きこえたり。

「それまた時柄ときがらが言いはせたるなめり。すべて、ただ題だいがらなむ、文ふみも歌うたもかしこき」

 といへば、

「げにさもあることなり。さば、題だい出いださむ。歌うた詠よみたまへ」

 といふ。

「いとよきこと」

 といへば、

「御前おまへに、同おなじくは、あまたを仕つかうまつらむ」

 などいふほどに、御返事おんかへり出いで来きぬれば、

「あな、恐おそろし。まかり逃にぐ」

 といひて出いでぬるを、いみじう、

「真名まなも仮名かなもあしう書かくを、人ひとの笑わらひなどすれば、隠かくしてなむある」

 といふもをかし。

 作物所つくもどころの別当べたうする頃ころ、誰たれがもとにやりたりけるにかあらむ、ものの絵様ゑやうやるとて、

「これがやうに仕つかうまつるべし」

 と書かきたる真名まなの様やう、文字もじの、世よに知しらずあやしきを見付みつけて、その傍かたはらに、

「これがままに仕つかうまつらば、異様ことやうにこそあべけれ」

 とて、殿上てんじやうに遣やりたれば、人々ひとびと取とりて見みて、いみじう笑わらひけるに、大おほきに腹立はらだちてこそ憎にくみしか。

第104段「淑景舎東宮に参りたまふほど」

 淑景舎しげいさ、東宮とうぐうに参まゐりたまふほどのことなど、いかがめでたからぬことなし。

 東宮とうぐうの御使おんつかひに周頼ちかよりの少将せうしやう参まゐりたり。御文おんふみ取とり入いれて、渡殿わたどのは細ほそき縁えんなれば、こなたの縁えんに褥しとね差さし出いだしたり。御文おんふみ取とり入いれて、殿どの・上うへ・宮みやなど御覧ごらんじわたす。

「御返おんかへし、はや」

 とあれど、とみにも聞きこえたまはぬを、

「某なにがしが見みはべれば、書かきたまはぬなめり。さらぬをりは、これよりぞ、間まもなく聞きこえたまふなる」

 など申まうしたまへば、御面おんおもては少すこし赤あかみて、うち微笑ほほゑみたまへる、いとめでたし。

「誠まことに、疾とく」

 など、上うへも聞きこえたまへば、奥おくに向むきて書かいたまふ。上うへ、近ちかう寄よりたまひて、もろともに書かかせたてまつりたまへば、いとどつつましげなり。

 宮みやの方かたより、萌黄もえぎの織物おりものの小袿こうちき、袴はかま押おし出いでたれば、三位さんみの中将ちゆうじやうかづけたまふ。首くび苦くるしげに持もちて立たちぬ。

 松君まつぎみのをかしう物もの宣のたまふを、誰たれも誰たれも、うつくしがり聞きこえたまふ。

「宮みやの御子みこたちとて、引ひき出いでたらむに、悪わるくはべらじかし」

 など、宣のたまはするを、げになどか、さる御おん事ことの今いままでとぞ、心こころもとなき。

第105段「殿上より梅のみな散りたる枝を」

 殿上てんじやうより、梅うめの皆みな散ちりたる枝えだを、

「これはいかが」

 と言いひたるに、ただ、

「早はやく落おちにけり」

 と答いらへたれば、その詩しを誦ずして、殿上人てんじやうびと、黒戸くろどにいと多おほく居ゐたるを、上うへの御前おまへに聞きこしめして、

「よろしき歌うたなど詠よみて出いだしたらむよりは、かかることはまさりたり。かしこく答いらへたり」

 と仰おほせられき。

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