『枕草子』原文全文を読む(4)第67段~第83段|読みやすいふりがな付き

目次

第67段「草の花は」

 草くさの花はなは、撫子なでしこ、唐からのはさらなり、大和やまとのもいとめでたし。女郎花をみなへし。桔梗ききやう。朝顔あさがほ。刈萱かるかや。菊きく。壺菫つぼすみれ。竜胆りんだうは、枝差えだざしなどもむつかしけれど、こと花はなどものみな霜枯しもがれたるに、いと華はなやかなる色合いろあひにて差さし出いでたる、いとをかし。また、わざと取とり立たてて人ひとめかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花はならうたげなり。名なもうたてあなる。雁かりの来くる花はなとぞ文字もじには書かきたる。かにひの花はな、色いろは濃こからねど、藤ふぢの花はなとよく似にて、春秋はるあきと咲さくがをかしきなり。

 萩はぎ、いと色深いろふかう、枝えだたをやかに咲さきたるが、朝露あさつゆに濡ぬれてなよなよと広ひろごり伏ふしたる、さ牡鹿をしかのわきて立たち馴ならすらむも、心こころ異ことなり。八重山吹やへやまぶき。

 夕顔ゆふがほは、花はなの形かたちも朝顔あさがほに似にて、言いひ続つづけたるに、をかしかりぬべき花はなの姿すがたに、実さねの有様ありさまこそ、いと口惜くちをしけれ。などさはた生おひ出いでけむ。ぬかづきなどいふもののやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔ゆふがほといふ名なばかりはをかし。しもつけの花はな。葦あしの花はな。

 これに薄うすを入いれぬ、いみじうあやしと人ひといふめり。秋あきの野ののおしなべたるをかしさは薄うすこそあれ。穂先ほさきの蘇芳すはうにいと濃こきが、朝露あさつゆに濡ぬれてうちなびきたるは、さばかりの物ものやはある。秋あきの果はてぞ、いと見みどころなき。色々いろいろに乱みだれ咲さきたりし花はなの、形かたちもなく散ちりたるに、冬ふゆの末すゑまで、頭かしらのいと白しろくおほどれたるも知しらず、昔むかし思おもひ出顔いでがほに、風かぜになびきてかひろぎ立たてる、人ひとにこそいみじう似にたれ。よそふる心こころありて、それをしもこそ、あはれと思おもふべけれ。

第68段「集は」

 集しふは、古万葉こまんえふ。古今こきん。

第69段「歌の題は」

 歌うたの題だいは、都みやこ。葛くず。三稜草みくり。駒こま。霰あられ。

第70段「おぼつかなきもの」

 おぼつかなきもの、十二年じふにねんの山籠やまごもりの法師ほふしの女親をんなおや。

 知しらぬ所ところに、闇やみなるに行いきたるに、あらはにもぞあるとて、火ひも点ともさで、さすがに並なみ居ゐたる。今いま出いで来きたる者ものの心こころも知しらぬに、やむごとなき物もの持もたせて、人ひとのもとにやりたるに、遅おそく帰かへる。

 物ものもまだ言いはぬ稚児ちごの、反そり覆くつがへり、人ひとにも抱いだかれず泣なきたる。

第71段「たとしへなきもの」

 たとしへなきもの、夏なつと冬ふゆと。昼ひると夜よと。雨あめ降ふる日ひと照てる日ひと。人ひとの笑わらふと腹立はらだつと。老おいたると若わかきと。白しろきと黒くろきと。思おもふ人ひとと憎にくむ人ひとと。同おなじ人ひとながらも、志こころざしある折をりと変かはりたる折をりは、まことにこと人ひととぞ覚おぼゆる。火ひと水みづと。肥こえたる人ひと、痩やせたる人ひと。髪かみ長ながき人ひとと短みじかき人ひとと。

第72段「夜烏どものゐて」

 夜烏よがらすどものゐて、夜中よなかばかりにいね騒さわぐ。落おち惑まどひ、木伝きづたひて、寝起ねおきたる声こゑに鳴なきたるこそ、昼ひるの目めにたがひてをかしけれ。

第73段「しのびたる所にありては」

 忍しのびたる所ところにありては、夏なつこそをかしけれ。いみじく短みじかき夜よの明あけぬるに、つゆ寝ねずなりぬ。やがてよろづの所ところ開あけながらあれば、涼すずしく見みえ渡わたされたる。なほいますこし言いふべきことのあれば、かたみに答いらへなどするほどに、ただ居ゐたる上うへより、烏からすの高たかく鳴なきて行いくこそ、顕証けさうなる心地ここちしてをかしけれ。

 また、冬ふゆの夜よのいみじう寒さむきに、うづもれ臥ふして聞きくに、鐘かねの音ねの、ただ物ものの底そこなるやうに聞きこゆる、いとをかし。鳥とりの声こゑも、はじめは羽はのうちに鳴なくが、口くちをこめながら鳴なけば、いみじう物深ものふかく遠とほきが、明あくるままに近ちかく聞きこゆるもをかし。

第74段「懸想人にて来たるは」

 懸想人けさうびとにて来きたるは言いふべきにもあらず、ただうち語かたらふも、また、さしもあらねど、おのづから来くなどもする人ひとの、簾すだれの内うちに人々ひとびとあまたありて物ものなどいふに、ゐ入いりてとみも帰かへりげもなきを、供ともなる男をのこ、童わらはなど、とかく差さし覗のぞき、気色けしき見みるに、

「斧をのの柄がらも朽くちぬべきなめり」

 と、いとむつかしかめれば、長ながやかにうちあくびて、密みそかに思おもひて言いふらめど、

「あなわびし。煩悩ぼんなう苦悩くなうかな。夜よは夜中よなかになりぬらむかし」

 と言いひたる、いみじう心付こころづきなし。かの言いふ者ものは、ともかく覚おぼえず、このゐたる人ひとこそ、をかしと見みえ聞きこえつることも、失しつするやうに覚おぼゆれ。

 また、さいと色いろに出いでてはえいはず、

「あな」

 と高たかやかにうち言いひ、うめきたるも、

「下した行ゆく水みづの」

 といとほし。

 立蔀たてじとみ、透垣すいがいなどのもとにて、

「雨あめ降ふりぬべし」

 など聞きこえごつもいと憎にくし。いとよき人ひとの御供人おんともびとなどは、さもなし。君達きんだちなどのほどはよろし。それより下くだれる際きはは、みなさやうにぞある。あまたあらむ中なかにも、心こころばへ見みてぞ率ゐてありかまほしき。

第75段「ありがたきもの」

 ありがたきもの、舅しうとに誉ほめらるる婿むこ。また、姑しうとめに思おもはるる嫁よめの君きみ。毛けのよく抜ぬくる銀しろがねの毛抜けぬき。主あるじそしらぬ従者ずさ。

 つゆの癖くせなき。形かたち・心こころ・有様ありさま優すぐれ、世よに経ふるほど、いささかの疵きずなき。同おなじ所ところに住すむ人ひとの、かたみに恥はぢかはし、いささかの隙ひまなく用意よういしたりと思おもふが、つひに見みえぬこそ難かたけれ。

 物語ものがたり・集しふなど書かき写うつすに、本もとに墨すみ付つけぬ。よき草子さうしなどは、いみじう心こころして、書かけど、必かならずこそ汚きたなげになるめれ。

 男をとこ、女をんなをば言いはじ、女をんなとぢも、契ちぎり深ふかくて語かたらふ人ひとの、末すゑまで仲良なかよき人ひと難かたし。

第76段「内裏の局細殿いみじうをかし」

 内裏うちの局つぼね、細殿ほそどのいみじうをかし。

 上うへの蔀じとみ上あげたれば、風かぜいみじう吹ふき入いりて、夏なつもいみじう涼すずし。

 冬ふゆは、雪ゆき、霰あられなどの、風かぜにたぐひて降ふり入いりたるもいとをかし。狭せばくて、童部わらはべなどの登のぼりぬるぞ悪あしけれども、屏風びやうぶのうちに隠かくし据すゑたれば、こと所ところの局つぼねのやうに、声こゑ高たかく笑わらひなどもせで、いとよし。昼ひるなども、たゆまず心遣こころづかひせらる。夜よはまいてうち解とくべきやうもなきが、いとをかしきなり。

 沓くつの音おと、夜一夜よひとよ聞きこゆるが、とどまりて、ただ指一およびひとつして叩たたくが、その人ひとなりと、ふと聞きこゆるこそをかしけれ。いと久ひさしう叩たたくに、音おともせねば、寝ね入いりたりとや思おもふらむとねたくて、すこしうち身動みじろぐ、衣きぬの気配けはひ、さななりと思おもふらむかし。

 冬ふゆは、火桶ひをけにやをら立たつる箸はしの音おとも、忍しのびたりと聞きこゆるを、いとど叩たたき払はらへば、声こゑにてもいふに、陰かげながら滑すべり寄よりて聞きく時ときもあり。

 また、あまたの声こゑして詩誦しずし、歌うたなど歌うたふには、叩たたかねどまづ開あけたれば、ここへとしも思おもはざりける人ひとも立たち止とまりぬ。居ゐるべきやうもなくて立たち明あかすも、なほをかしげなるに、几帳きちやうの帷子かたびらいとあざやかに、裾すそのつまうち重かさなりて見みえたるに、直衣なほしのうしろにほころび絶たえず着きたる君達きみたち、六位ろくゐの蔵人くらうどの青色あをいろなど着きて、うけばりて遣戸やりどのもとなどに、そば寄よせてはえ立たたで、塀へいの方かたにうしろ押おして、袖そでうちあはせて立たちたるこそをかしけれ。

 また、指貫さしぬきいと濃こう、直衣なほしあざやかにて、色々いろいろの衣きぬどもこぼし出いでたる人ひとの、簾すだれを押おし入いれて、半なから入いりたるやうなるも、外そとより見みるはいとをかしからむを、清きよげなる硯すずり引ひき寄よせて文ふみ書かき、もしは鏡かがみ乞こひて見直みなほしなどしたるは、すべてをかし。

 三尺さんじやくの几帳きちやうを立たてたるに、帽額もかうの下したただ少すこしぞある、外そとの立たてる人ひとと内うちにゐたる人ひとと物言ものいふが、顔かほのもとにいとよくあたりたるこそをかしけれ。丈たけの高たかく短みじかからむ人ひとなどや、いかがあらむ。なほ世よの常つねの人ひとはさのみあらむ。

第77段「まいて臨時の祭の調楽などは」

 まいて、臨時りんじの祭まつりの調楽てうがくなどはいみじうをかし。

 主殿寮とのもりづかさの官人くわんにん、長ながき松まつを高たかく灯ともして、頸くびは引ひき入いれて行いけば、さきはしつけつばかりなるに、をかしう遊あそび、笛ふえ吹ふき立たてて、心こころ異ことに思おもひたるに、君達きんだち、日ひの装束さうぞくして立たち止どまり、物言ものいひなどするに、供ともの随身ずいじんどもの、前駆さきを忍しのびやかに短みじかう、おのが君きみたちの料れうに追おひたるも、遊あそびにまじりて常つねに似にずをかしう聞きこゆ。

 なほ上あげながら帰かへるを待まつに、君きみたちの声こゑにて、

「荒田あらたに生おふる富草とみくさの花はな」

 と歌うたひたる、このたびはいますこしをかしきに、いかなるまめ人ひとにかあらむ、すくずくしう差さし歩あゆみて往いぬるもあれば、笑わらふを、

「しばしや。など、さ、夜よを捨すてて急いそぎたまふとあり」

 などいへば、心地ここちなどやあしからむ、倒たふれぬばかり、もし人ひとなどや追おひて捕とらふると見みゆるまで、惑まどひ出いづるもあめり。

第78段「職の御曹司におはします頃木立など」

 職しきの御曹司みざうしにおはします頃ころ、木立こだちなどのはるかに物古ものふり、屋やの様さまも高たかう、気遠けどほけれど、すずろにをかしう覚おぼゆ。母屋もやは鬼おにありとて、南みなみへ隔へだて出いだして、南みなみの廂ひさしに御帳みちやう立たてて、また廂ひさしに女房にようばうは候さぶらふ。

 近衛このゑの御門みかどより、左衛門さゑもんの陣ぢんに参まゐりたまふ上達部かんだちめの前駆さきども、殿上人てんじやうびとのは短みじかければ、大前駆おほさき、小前駆こさきとつけて聞きき騒さわぐ。あまたたびになれば、その声こゑどももみな聞きき知しりて、

「それぞ」

「かれぞ」

 などいふに、また、

「あらず」

 などいへば、人ひとして見みせなどするに、言いひ当あてたるは、

「さればこそ」

 などいふもをかし。

 有明ありあけのいみじう霧きり渡わたりたる庭にはに、下おりて歩ありくを聞きこしめして、御前おまへにも起おきさせたまへり。上うへなる人々ひとびとの限かぎりは出いでゐ、下おりなどして遊あそぶに、やうやう明あけもてゆく。

「左衛門さゑもんの陣ぢんにまかり見みむ」

 とていけば、我われも我われもと追おひ次つぎていくに、殿上人てんじやうびとあまた声こゑして、

「何某なにがし一声ひとこゑの秋あき」

 と誦ずして参まゐる音おとすれば、逃にげ入いり、物ものなどいふ。

「月つきを見みたまひけり」

 など、めでて歌うた詠よむもあり。

 夜よも昼ひるも、殿上人てんじやうびとの絶たゆる折をりなし。上達部かんだちめまで参まゐりたまふに、おぼろげに、急いそぐことなきは、必かならず参まゐりたまふ。

第79段「あぢきなきもの」

 あぢきなきもの、わざと思おもひ立たちて宮仕みやづかへに出いで立たちたる人ひとの、物もの憂うがり、うるさげに思おもひたる。養子やしなひごの顔かほ憎にくげなる。しぶしぶに思おもひたる人ひとを、強しひて婿取むことりて、思おもふさまならずと嘆なげく。

第80段「心地よげなるもの」

 心地ここちよげなるもの、卯杖うづゑの寿ことぶき。御神楽みかぐらの人長にんぢやう。神楽かぐらの振幡ふりはたとか持もたる者もの。御霊会ごりやうゑの馬うまの長おさ。池いけの蓮はちす。村雨むらさめに遭あひたる。傀儡くぐつのこととり。

第81段「御仏名のまたの日」

 御仏名おぶつみやうのまたの日ひ、地獄絵ぢごくゑの屏風びやうぶ取とり渡わたして、宮みやに御覧ごらんぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしう、いみじきこと限かぎりなし。

「これ見みよ、見みよ」

 と仰おほせらるれど、

「さらに見みはべらじ」

 とて、ゆゆしさにうへやに隠かくれ臥ふしぬ。

 雨あめいたう降ふりてつれづれなりとて、殿上人てんじやうびと、上うへの御局みつぼねに召めして御み遊あそびあり。道方みちかたの少納言せうなごん、琵琶びはいとめでたし。済政なりまさ筝さうの琴こと、行儀ゆきのり笛ふえ、経房つねふさの少将せうしやう、笙しやうの笛ふえなど面白おもしろし。

 一渡ひとわたり遊あそびて、琵琶びはの弾ひき止やみたるほどに、大納言だいなごん殿どの、

「琵琶びはの声こゑやんで物語ものがたりせむとすること遅おそし」

 と誦ずしたまへりしに、隠かくれ臥ふしたるしも起おき出いでて、

「なほ、罪つみ恐おそろしけれども、もののめでたさはやむまじ」

 とて笑わらはる。

第82段「頭の中将のすずろなるそら言を聞きて」

 頭とうの中将ちゆうじやうの、すずろなる空言そらごとを聞ききて、いみじう言いひ落おとし、

「何なにしに人ひととほめけむ」

 など、殿上てんじやうにていみじうなむ宣のたまふと聞きくにもはづかしけれど、まことならばこそあらめ、おのづから聞きき直なほしたまひてむと笑わらひてあるに、黒戸くろどの前まへなど渡わたるにも、声こゑなどする折をりは、袖そでを塞ふたぎてつゆ見みおこせず、いみじう憎にくみたまへば、ともかうも言いはず、見みも入いれで過すぐすに、

 二月にぐわつつごもりがた、いみじう雨あめ降ふりてつれづれなるに、御物忌おんものいみに籠こもりて、

「さすがにさうざうしくこそあれ。物ものやいひやらましとなむ宣のたまふ」

 と、人々ひとびと語かたれど、

「世よにあらじ」

 など答いらへてあるに、日ひ一日ひとひ下したに居暮ゐくらして、参まゐりたまへれば、夜よの御殿おとどに入いらせたまひにけり。

 長押なげしの下したに火ひ近ちかく取とり寄よせて、差さし集つどひて扁へんをぞつく。

「あなうれし。とくおはせ」

 など、見付みつけて言いへど、すさまじき心地ここちして、なにしにのぼりつらむと覚おぼゆ。

 炭櫃すびつのもとに居ゐたれば、そこにまたあまた居ゐて、物ものなど言いふに、

「なにがし候さぶらふ」

 と問とはすれば、主殿司とのもりづかさなりけり。

「ただここもとに、人伝ひとづてならで申まうすべきこと」

 など言いへば、差さし出いでて問とふに、

「これ、頭とうの殿どののたてまつらせたまふ。御返事おんかへりごととく」

 と言いふ。

 いみじくにくみたまふに、いかなる文ふみならむと思おもへど、ただ今いま急いそぎ見みるべきにもあらねば、

「往いね。今いま、聞きこえむ」

 とて、懐ふところに引ひき入いれて入いりぬ。

 なほ人ひとの物言ものいふ聞ききなどする、すなはち立たち帰かへり来きて、

「さらば、そのありつる御文おんふみを賜たまはりて来ことなむ仰おほせらるる。とくとく」

 といふが、あやしう、伊勢いせの物語ものがたりなりやとて見みれば、青あをき薄様うすやうに、いと清きよげに書かきたまへり。

 心こころときめきしつる様さまにもあらざりけり。

蘭省らんしやう花時はなのとき錦帳きんちやう下もと

 と書かきて、

「末すゑはいかに、いかに」

 とあるを、いかにかはすべからむ、御前おまへおはしまさば、御覧ごらんぜさすべきを、これが末すゑを知しり顔がほに、たどたどしき真名まなに書かきたらむも、いと見苦みぐるしと、思おもひ回まはすほどもなく、責せめ惑まどはせば、ただその奥おくに、炭櫃すびつに消きえたる炭すみのあるして、

草くさの庵いほりを誰たれか尋たづねむ

 と書かき付つけて、とらせつれど、また返事かへりごとも言いはず。

 みな寝ねて、つとめて、いととく局つぼねに下おりたれば、源中将げんちゆうじやうの声こゑにて、

「ここに、草くさの庵いほりやある」

 と、おどろおどろしくいへば、

「あやし。などてか、人気ひとげなきものはあらむ。玉たまの台うてなともとめたまはましかば、答いらへてまし」

 といふ。

「あなうれし。下したにありけるよ。上うへにたづねむとしつるを」

 とて、昨夜よべありし様やう、

「頭とうの中将ちゆうじやうの宿直所とのゐどころに、少すこし人々ひとびとしきかぎり、六位ろくゐまで集あつまりて、万よろづの人ひとの上うへ、昔むかし今いまと語かたり出いでて言いひしついでに、なほこの者もの、むげに絶たえ果はてて後のちこそ、さすがにえあらね。もし言いひ出いづることもやと待まてど、いささかなにとも思おもひたらず、つれなきもいとねたきを、今宵こよひあしともよしとも定さだめ切きりてやみなむかしとて、みな言いひ合あはせたりしことを、

ただ今いまは見みるまじとて入いりぬと、主殿司とのもりづかさが言いひしかば、また追おひ返かへして、ただ袖そでをとらへて、東西とうざいせさせず乞こひ取とりて、持もて来こ。さらずは、文ふみを返かへし取とれと戒いましめて、さばかり降ふる雨あめの盛さかりにやりたるに、いととく帰かへりたりき。

これとて、差さし出いでたるが、ありつる文ふみなれば、返かへしてけるかとて、うち見みたるに、あはせて喚をめけば、あやし。いかなることぞと、みな寄よりて見みるに、いみじき盗人ぬすびとを。なほえこそ捨すつまじけれとて見騒みさわぎて、これが本付もとつけてやらむ。源中将げんちゆうじやうつけよなど、夜よ更ふくるまで付つけ煩わづらひてやみにしことは、行ゆく先さきも必かならず語かたり伝つたふべきことなり、などなむ、みな定さだめし」

 など、いみじうかたはらいたきまでいひ聞きかせて、

「御名おんなをば、今いまは草くさの庵いほりとなむ付つけたる」

 とて、急いそぎ立たちたまひぬれば、

「いと悪わろき名なの、末すゑの世よまであらむこそ、口惜くちをしかなれ」

 といふほどに、

 修理すりの亮すけ則光のりみつ、

「いみじき喜よろこび申まうしになむ、上うへにやとて参まゐりたりつる」

 といへば、

「なんぞ。司召つかさめしなども聞きこえぬを、何なにになりたまへるぞ」

 と問とへば、

「いな、まことにいみじう嬉うれしきことの、昨夜よべはべりしを、心こころもとなく思おもひ明あかしてなむ。かばかり面目めいぼくなることなかりき」

 とて、初はじめありけることども、中将ちゆうじやうの語かたりたまひつる、同おなじことを言いひて、

「ただ、この返事かへりごとに従したがひて、こかけをしふみし、すべて、さる者ものありきとだに思おもはじと、頭とうの中将ちゆうじやうの宣のたまへば、ある限かぎりかうようしてやりたまひしに、ただに来きたりしは、なかなかよかりき。

持もて来きたりし度たびは、いかならむと胸むねつぶれて、まことに悪わろからむは、せうとのためにもわるかるべしと思おもひしに、なのめにだにあらず、そこらの人ひとの誉ほめ感かんじて、せうと、こち来こ。これ聞きけと宣のたまひしかば、下心地したごこちはいとうれしけれど、さやうの方かたに、さらにえ候さぶらふまじき身みになむと申まうししかば、言加ことくはへよ、聞きき知しれとにはあらず。ただ、人ひとに語かたれとて聞きかするぞと宣のたまひしなむ、少すこし口惜くちをしきせうとの覚おぼえにはべりしかども、本付もとつけ試こころみるに、言いふべきやうなし。

ことに、また、これが返かへしをやすべきなど言いひ合あはせ、悪わるしと言いはれては、なかなかねたかるべしとて、夜中よなかまでおはせし。これは、身みのためも人ひとの御おんためも、喜よろこびにははべらずや。司召つかさめしに少々せうせうの司つかさ得えてはべらむは、何なにとも覚おぼゆまじくなむ」

 といへば、げにあまたして、さることあらむとも知しらで、ねたうもあるべかりけるかなと、これになむ、胸むねつぶれておぼえし。

 この妹いもうと、せうとと言いふことは、上うへまでみな知しろしめし、殿上てんじやうにも、司つかさの名なをば言いはで、せうととぞ付つけられたる。

 物語ものがたりなどして居ゐたるほどに、

「まづ」

 と召めしたれば、参まゐりたるに、このこと仰おほせられむとなりけり。

 上うへわたらせたまひて、語かたり聞きこえさせたまひて、男をのこどもみな、扇あふぎに書かき付つけてなむ持もたる、など仰おほせらるるにこそ、あさましく、何なにの言いはせけるにかと覚おぼえしか。

 さて後のちぞ、袖そでの几帳きちやうなど取とり捨すてて、思おもひ直なほりたまふめりし。

第83段「かへる年の二月廿日よ日」

 返かへる年としの二月にぐわつ廿日はつかよ日ひ、宮みやの職しきへ出いでさせたまひし、御供おんともに参まゐらで、梅壺うめつぼに残のこり居ゐたりし、またの日ひ、頭とうの中将ちゆうじやうの御消息おんせうそことて、

「昨日きのふの夜よ、鞍馬くらまに詣まうでたりしに、今宵こよひ、方かたの塞ふたがりければ、方違かたたがへになむ行いく。まだ明あけざらむに帰かへりぬべし。必かならず言いふべきことあり。いたうたたかせで待まて」

 と宣のたまへりしかど、

「局つぼねに一人ひとりはなどてあるぞ。ここに寝ねよ」

 と御匣殿みくしげどのの召めしたれば、参まゐりぬ。

 久ひさしう寝起ねおきて、下おりたれば、

「昨夜よべいみじう人ひとのたたかせたまひし、からうじて起おきてはべりしかば、上うへにか、さらば、かくなむと聞きこえよとはべりしかども、よも起おきさせたまはじとて臥ふしはべりにき」

 と語かたる。

 心こころもなのことや、と聞きくほどに、主殿司とのもりづかさ来きて、

「頭とうの殿どのの聞きこえさせたまふ、ただ今いままかづるを、聞きこゆべきことなむある」

 といへば、

「見みるべきことありて、上うへになむのぼりはべる。そこにて」

 と言いひてやりつ。

 局つぼねは、引ひきも開あけたまはむと、心こころときめきわづらはしければ、梅壺うめつぼの東面ひがしおもて、半蔀はじとみ上あげて、

「ここに」

 といへば、めでたくぞ歩あゆみ出いでたまへる。

 桜さくらの直衣なほしのいみじく華々はなばなと、裏うらの艶つやなど、えもいはず清きよらなるに、葡萄染えびぞめのいと濃こき指貫さしぬき、藤ふぢの折枝をりえだおどろおどろしく織おり乱みだりて、紅くれなゐの色いろ、打うち目めなど、輝かがやくばかりぞ見みゆる。

 白しろき、薄色うすいろなど、下したにあまた重かさなり、狭せばき縁えんに、片かたつ方かたは下したながら、すこし簾すだれのもと近ちかう寄より居ゐたまへるぞ、まことに絵ゑに描かき、物語ものがたりのめでたきことに言いひたる、これにこそはとぞ見みえたる。

 御前おまへの梅うめは、西にしは白しろく、東ひむがしは紅梅こうばいにて、すこし落おちがたになりたれど、なほをかしきに、うらうらと日ひの気色けしきのどかにて、人ひとに見みせまほし。

 御簾みすの内うちに、まいて若わかやかなる女房にようばうなどの、髪かみうるはしう、こぼれかかりて、など言いひためるやうにて、ものの答いらへなどしたらむは、いますこしをかしう、見所みどころありぬべきに、いとさだ過すぎ、古々ふるぶるしき人ひとの、髪かみなどもわがにはあらねばにや、所々ところどころわななきちりぼひて、おほかた色いろ異ことなる頃ころなれば、あるかなきかなる薄鈍うすにび、あはひも見みえぬ上衣うはぎぬなどばかり、あまたあれど、つゆのはえも見みえぬに、おはしまさねば裳もも着きず、袿姿うちきすがたにてゐたるこそ、物損ものぞこなひにて口惜くちをしけれ。

「職しきへなう参まゐる。言付ことづけやある。いつか参まゐる」

 など宣のたまふ。

「さても、昨夜よべ、夜明よあかしも果はてで、さりとも、かねてさ言いひしかば待まつらむとて、月つきのいみじう明あかきに、西にしの京きやうといふ所ところより来くるままに、局つぼねを叩たたきしほど、からうじて寝ねおびれ起おきたりしけしき、答いらへのはしたなき」

 など語かたりて笑わらひたまふ。

「むげにこそ思おもひ倦うんじにしか。などさる者ものをば置おきたる」

 と宣のたまふ。

 げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもありし。

 しばしありて出いでたまひぬ。

 外そとより見みむ人ひとは、をかしく、いかなる人ひとあらむと思おもひぬべし。

 奥おくの方かたより見み出いだされたらむうしろこそ、外そとにさる人ひとやはとおぼゆまじけれ。

 暮くれぬれば参まゐりぬ。

 御前おまへに人々ひとびといと多おほく、上人うへびとなど候さぶらひて、物語ものがたりの良よき悪あしき、憎にくき所ところなどをぞ定さだめ、言いひ謗そしる。

 涼すずし、仲忠なかただなどがこと、御前おまへにも、劣おとり勝まさりたるほどなど仰おほせられける。

「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠なかただが童わらは生おひのあやしさを、切せちに仰おほせらるるぞ」

 などいへば、

「何なにかは。琴きんなども、天人てんにんの下おるばかり弾ひき出いで、いと悪わるき人ひとなり。帝みかどの御娘おんむすめやは得えたる」

 といへば、仲忠なかただが方人かたうどども、所ところを得えて、

「さればよ」

 などいふに、

「このことどもよりは、昼ひる、斉信ただのぶが参まゐりたりつるを見みましかば、いかに愛めで惑まどはましとこそおぼえつれ」

 と仰おほせらるるに、

「さて、まことに、常つねよりもあらまほしくこそ」

 などいふ。

「まづそのことをこそは啓けいせむと思おもひて参まゐりつるに、物語ものがたりのことに紛まぎれて」

 とて、ありつることのさま、語かたり聞きこえさすれば、

「誰たれも見みつれど、いとかう、縫ぬひたる糸いと、針目はりめまでやは見通みとほしつる」

 とて笑わらふ。

 西にしの京きやうといふ所ところのあはれなりつること、

「もろともに見みる人ひとのあらましかばとなむおぼえつる。垣かきなどもみな古ふりて、苔こけ生おひてなむ」

 など語かたりつれば、宰相さいしやうの君きみ、

「瓦かはらに松まつはありつや」

 と答いらへたるに、いみじう愛めでて、

「西にしの方かた、都門ともんを去される事こといくばくの地ぢぞ」

 と口くちずさびつることなど、かしがましきまで言いひしこそをかしかりしか。

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