このページでは、鴨長明『発心集』第3巻(第26話~第37話)の現代語訳全文を掲載しています。原文の内容を保ちながら、わかりやすく読みやすい口語訳にしました。人名・地名・仏教語などの読みにくい漢字には、現代仮名遣いのふりがなを付けています。
原文とあわせて読みたい方は、『発心集』第3巻(第26話~第37話)原文全文をご覧ください。
第26話 中ごろ、近江国に乞食しありく翁ありけり
少し昔、近江国に、物乞いをして歩く老人がいた。立っていても座っていても、見ること聞くことにつけて、ただ「まして」とばかり言うので、国の人々は「ましての翁」と名づけた。これといった徳があるわけではなかったが、長年あちこちを歩いていたので、皆が顔を知っており、見かけるたびに哀れんで物を与えた。
そのころ、大和国にいたある聖が夢の中で、この老人が必ず往生するということを見たので、仏縁を結ぶためにわざわざ訪ねて来て、そのまま老人の草庵に泊まった。そして、「夜などには、どのような修行をしているのだろう」と耳を澄ませたが、まったく何の勤めもしなかった。
聖が「どのような修行をしているのですか」と尋ねると、老人は何もしていないと答えた。聖は重ねて、「実は、あなたが往生するということを夢に見たので、わざわざ訪ねて来たのです。隠さず話してください」と言った。
そこで老人は言った。「実は、私にも一つだけ行があります。それが、いつも口にしている、ましてという言葉です。飢えた時には餓鬼の苦しみを思いやって、ましてと言います。寒い時、暑い時にも、寒熱の地獄を思うことは同じです。さまざまな苦しみに遭うたびに、ますます悪道を恐れます。おいしい食べ物に出会った時には、天上の甘露を思い、そこに執着しません。また、美しい色を見、すぐれた音を聞き、かぐわしい香りを嗅ぐ時にも、これが何ほどのものだろう、あの極楽浄土のありさまは、ましてどれほどすばらしいことだろうと思って、この世の楽しみにふけらないのです」と言ったという。聖はこれを聞くと涙を流し、手を合わせて立ち去った。
必ずしも極楽浄土の荘厳を具体的に観想しなくても、目に触れるものごとから道理を思うことも、また往生の行となったのである。
第27話 奈良の都に、伊予僧都といふ人ありけり
奈良の都に、伊予僧都という人がいた。白河院の御代の末ごろにお仕えしていたのであろうか。それほど昔ではない人である。その僧都のもとに、長年仕えている大童子がいた。朝夕、念仏を唱えることを一時も怠らなかった。
ある時、僧都が夜更けに出かけた際、この童が火を灯して車の前を歩いていた。見ると、火の光に映って、その頭から光が現れていた。僧都は驚き、たいそう珍しく思って、人を呼び、この火を車の後ろへ持って行かせた。そして改めて前を歩く童を見ると、やはり先ほどと同じように頭が明るく光っていた。言葉では言い表せないほどであった。
その後、僧都はこの童を呼んで言った。「おまえもだんだん年を取ってきた。このように念仏を唱えているのは、たいそう尊いことだ。今は宮仕えが妨げになる。もうほかのことに紛れず、ひたすら念仏して暮らしなさい。その代わり、食べ物のために、少し田を分けて与えよう」。童は、「私の何に飽き足らなくお思いなのですか。宮仕えをしていても、念仏の妨げになることはありません。体の動くかぎりはお仕えしたいと思っておりましたのに、たいそう残念です」などと言った。
「そういう意味ではない」と言って、僧都がそのわけを詳しく話して聞かせると、童は「それなら、かしこまりました」と答えた。そして与えられた田を二人の子に分け、食事の世話をさせることにした。
こうして猿沢の池のほとりに、一間ほどの庵を結び、いっそう余念なく念仏を唱えて暮らしたので、願ったとおり、正念を保った臨終を迎え、西に向かって手を合わせて亡くなった。
往生は、学問がないからできないというものではない。また、山林に身を隠さなければならないものでもない。ただ、ひたすら功徳を積んだ人は、このように往生するのである。
第28話 伊予守源頼義は若くより罪をのみ作りて、いささかも慚愧の心なかりけり
伊予守源頼義は、若いころから罪ばかり作り、少しも恥じ悔いる心がなかった。まして、帝の命令とはいえ、陸奥国へ向かい、十二年の間に謀反を起こした者たちを滅ぼし、その一族や従者など、生活の場を失った者は数え切れなかった。
「因果の道理がむなしいものでないなら、地獄に落ちる報いは疑いないだろう」と見えるほどであった。ところが、みのわの入道といって、先に出家していた者がいた。折に触れて、この世が無常であることや、自分の罪の報いが恐ろしいことなどを話すのを聞き、頼義はたちまち発心した。髪を剃り、ひたすら極楽往生を願うようになった。
みのわの入道が建てた堂は、伊予入道頼義の家の向かい、佐女牛西洞院にあった。みのわ堂と呼ばれ、近い時代まで残っていた。その堂で修行する間、頼義は昔の罪を悔い悲しんだ。涙は板敷きに落ち積もり、大床を伝って流れ、ついには土へ落ちるほど泣いたという。
その後、頼義は語って、「今は、往生の願いを疑いなく遂げられると思う。このように勇ましく強い心が起こっていることは、昔、衣川の館を攻め落とそうとした時と少しも変わらない」と言ったという。
実際、見事な臨終を迎えて往生したことが、その伝記に記されている。
罪を多く作ったからといって、初めから自分を見捨ててはならない。深く発心して修行すれば、このように往生することもできるのである。
ところが、その息子は、最後まで善知識に会うこともなく、懺悔の心も起こさなかったので、罪が消えるすべもなかった。重い病を患っていたころ、向かいに住む女房が夢に見た。さまざまな姿をした恐ろしい者が数え切れないほど、その家の周囲を取り囲んでいた。「何をしているのですか」と尋ねると、「人を捕らえようとしているのだ」と答えた。しばらくして、一人の男を追い立てて行った。その先に掲げられた札を見ると、「無間地獄の罪人」と書いてあった。夢から覚め、たいそう不思議に思って尋ねると、「今朝早く、お亡くなりになりました」と言ったという。
第29話 讃岐国に、いづれの郡とか、源大夫といふ者ありけり
讃岐国のどの郡だったか、源大夫という者がいた。このような武者の常とはいえ、仏法という言葉さえ知らず、生き物を殺し、人を滅ぼすことばかりしていたので、近くの者も遠くの者も、恐れおののくことこの上なかった。
ある時、狩りから帰る途中、人が仏供養をしている家の前を通り、説法を聞く人々が集まっているのを見た。「何をしているから、こんなに人が多いのだ」と尋ねると、郎等が「仏供養というものをしております」と答えた。「それは面白そうだ。まだ見たことがない」と言い、馬から下りると、狩装束のまま人々を押し分けて中へ入った。庭いっぱいに座っていた人々は、「この情け知らずが来た」と見るや、胸をつぶし、左右へ逃げるように場所を空けた。
源大夫は大勢の人の肩越しに進み、導師が説法しているすぐそばに座って、何を話しているのかと尋ねた。僧は恐れながら説法を止め、阿弥陀仏の誓願が頼もしいこと、極楽が楽しいこと、この世が苦しいこと、無常のありさまなどを細かに説いて聞かせた。
男は言った。「これは、まことにたいへんなことだ。それなら私は法師になって、その仏のおられる所へ参ろうと思うが、道を知らない。心を尽くしてお呼び申し上げれば、お答えくださるだろうか」。「本当に深く発心なされば、必ずお答えくださるでしょう」と僧が答えた。「それなら、今すぐ私を法師にせよ」と言う。あまりに突然のことなので、誰も何とも答えられなかった。
その時、郎等が寄って来て、「今日は何かと騒がしゅうございます。いったんお帰りになり、きちんと支度をしたうえで出家なさればよろしいでしょう」と言った。すると源大夫は腹を立て、「おまえの判断で、私が思い立ったことを、なぜ妨げようとするのだ」と目を怒らせ、太刀を引き回したので、郎等は恐れおののいて退いた。願主をはじめ、その場にいる者は皆、顔色を失った。
源大夫は導師の近くへ座り、「今すぐ頭を剃れ。剃らないのはよくない」としきりに迫った。逃げようもなく、僧は震えながら源大夫を出家させた。衣と袈裟を借りて着ると、そこから西へ向かい、声のかぎり「南無阿弥陀仏」と唱えながら歩いて行った。これを聞く人々は涙を流して心を打たれた。
こうして日を重ね、はるか遠くまで歩いて行くと、最後に山寺があった。そこにいた僧が不思議に思って事情を尋ねた。源大夫が「これこれの事情です」とありのままに話すと、僧は限りなく尊び、哀れんだ。「それにしても、お腹がすいておられるでしょう」と、干飯を少し包んで渡したが、源大夫は、「まったく物を食べようという気はありません。ただ仏がお答えくださるまでは、山であろうと林であろうと海であろうと川であろうと、命が尽きるまで歩いて行こうという心だけが強く、ほかのことは何も思えないのです」と言って、なお西を目指し、仏を呼びながら進んで行った。
その寺に一人の僧がいた。源大夫のあとを尋ねて行くと、はるかな西の海辺に突き出た山の端の岩の上に座っていた。源大夫は語って、「ここで阿弥陀仏がお答えくださったので、お迎えを待っているのだ」と言い、声を上げて仏を呼んだ。本当に、海の西の方から、かすかに御声が聞こえたという。源大夫は、「あなたにも聞こえますか。もう今は、お帰りください。そして七日ほどたってから、また来て、私がどうなっているかを見てください」と言ったので、僧は泣く泣く帰った。
その後、言われたとおり数日たってから、その寺の僧たちを大勢誘って行ってみると、源大夫はもとの場所に少しも変わらず、手を合わせたまま西に向かい、眠っているように座っていた。舌の先からは、青い蓮の花が一房生えていた。
僧たちは皆、仏を拝むように礼拝し、その花を取って国守に渡した。国守はそれを都へ持ち帰り、宇治殿に献上したという。
長年の功徳を積んでいたわけではない。それでも、ただ一筋に阿弥陀仏を頼み申し上げる心が深かったので、このように往生したのである。
第30話 近く、讃岐の三位といふ人いまそかりけり
近ごろ、讃岐の三位という人がおられた。その人の乳母の夫で、長年、往生を願っている入道がいた。
入道は心の中で、「この身のありさまは、何事も思いどおりにならない。もし悪い病などにかかり、最期が思うようにならなければ、願いを遂げることはきわめて難しい。病気にならずに死ぬことができれば、正念を保った臨終になるだろう」と考え、「身を焼いて供養しよう」と思った。
「それに耐えられるだろうか」と試すため、鍬という鉄の道具を二つ真っ赤になるまで焼き、左右の脇に挟んだ。しばらくすると焼け焦げる様子は目も当てられないほどだったが、入道は少したって、「たいしたことではなかった」と言い、身を焼く準備を進めた。ところがまた考えた。「身を焼くことは容易にできるだろう。しかし、この世の命を捨てて極楽へ参ろうとしても、はっきりした確証はない。凡夫なのだから、最期になって、やはり疑う心が起こるかもしれない。補陀落山なら、この世界の中にあり、この身のままでも参ることのできる所である。それなら、そこへ参ろう」。
そこで身を焼く準備をやめた。土佐国に知行している所があったので、そこへ行き、新しい小船を一艘用意し、朝夕それに乗って、舟を操る方法を習った。
その後、船頭と話し合い、「北風が絶え間なく強く吹くようになったら知らせてくれ」と約束した。そしてその風を待ち、ついに風が吹くと、小船に帆をかけ、ただ一人で乗り、南へ向かって出て行った。妻子はいたが、そこまで思い定めたことであるから、止めてもどうにもならなかった。ただ、姿が見えなくなってゆく方を眺めながら、泣き悲しんだという。
当時の人々はこれを見て、「あれほどまでに志が深いのだから、きっと補陀落山へ参ったに違いない」と推し量った。
一条院の御代だったか、賀東聖という人が、同じように弟子一人を連れて補陀落山へ向かったという伝承があり、それを思ったのであろうか。
第31話 鳥羽院の御時、ある宮腹に、母と女と同じ宮仕へする女房ありけり
鳥羽院の御代、ある宮のもとに、母と娘がそろって宮仕えする女房がいた。長い年月がたった後、娘が母に先立って亡くなってしまった。母の嘆き悲しみは限りなかった。しばらくの間は、同僚の女房たちも、「どれほど悲しいことだろう。それももっともだ」などと言っていたが、一年、二年ほどが過ぎた。
ところが母の嘆きは少しも薄れず、むしろ日に日に増していったので、時にふさわしくないことも多かった。物忌みをすべき時期さえかまわず、涙をこらえながら明け暮れるので、人目にもあまりに目立った。ついには、「この人の嘆きはどうにも理解できない。人に先立たれたり、人より先に死んだりするのは、今に始まったことではないのに」などと、周囲は遠慮なく噂し合った。
こうして三年目になった年のある明け方、母は誰にも告げず、何でもないふうを装って人に紛れて出た。衣一つと手箱一つほどを袋に入れ、女童に持たせた。都を過ぎて鳥羽の方へ行くので、女童はわけがわからないままついて行った。さらに歩き続け、日が暮れると橋本という所に泊まった。夜が明けると、また出発した。
ようやくその日の夕方、天王寺へ参詣して着いた。そして人の家を借り、「ここで七日ほど念仏を唱えたいと思っていますが、都を出る時にその準備をして来ませんでした。私と女童だけでございます」と言い、持っていた衣を一つ脱いで渡した。家主は「それなら簡単なことです」と言い、その間の用意をした。
こうして毎日堂へ参り、拝んで回った。その間、ほかのことは何も思わず、一心に念仏を唱えた。手箱と衣二つは御舎利に奉納した。
七日が満ちると、「都へ帰ろうか」と思ったが、「前に思っていた以上に心が澄み、頼もしく感じられます。この機会に、もう七日」と言って、また衣を一つ家主に与え、十四日間の参籠となった。
その後、「二十一日まで続けます」と言って、さらに衣を渡した。家主は、「どうして毎回このように御用意なさらなくても、先にいただいた物だけで、しばらくは足ります」と言ったが、女房は「そうはいっても、このために持って来た物を持ち帰るわけにはいきません」と、強いてまた与えた。二十一日の間、念仏する心に少しも迷いはなかった。
日数が満ちた後、女房は言った。「今は都へ帰ることになりますが、噂に聞く難波の海を一度見たいと思います。見せていただけませんか」。家主は「それなら簡単です」と言って案内し、浜へ出ると、そのまま一緒に舟に乗って漕いで回った。女房が「たいそう面白い」と言い、さらに「もう少し、もう少し」と言ううちに、いつの間にか沖遠くまで出てしまった。
そこで女房はしばらく西に向かって念仏を唱えた後、海へどぶんと身を投げた。家主は「ああ、大変だ」と慌てて引き上げようとしたが、石でも投げ込んだように沈んでしまったので、「なんということだ」と呆然として騒いでいると、空から一群の雲が現れ、舟の上を覆い、かぐわしい香りがした。家主はたいそう尊く悲しく思い、泣きながら舟を漕いで帰った。
その時、浜には大勢の人が集まり、何かを見ていた。家主が何も知らないふりをして尋ねると、「沖の方に紫の雲が立っていた」などと言った。
家へ帰って女房の残した物を見ると、女房自身の手で、夢のありさまを書きつけてあった。「最初の七日には、地蔵菩薩と龍樹菩薩が来て迎えてくださると夢に見た。十四日目には普賢菩薩と文殊菩薩が迎えてくださると見た。二十一日目には阿弥陀如来が、多くの菩薩とともに来て迎えてくださると見た」と書き残してあったという。
第32話 播磨書写山に、外よりうかれ来たる持経者ありけり
播磨国の書写山に、よそから流れ来た法華経の持経者がいた。土地の人々の情けに支えられて、長年そこに暮らしていた。
なかでも、長者である僧を特に頼りにしていた。ある時、この持経者が言った。「私は、正念を保った臨終を迎え、極楽に生まれることを深く願っております。しかし、いつ最期が来るかわかりませんので、特別な妄念も起こらず、体に病気もない時に、この身を捨てたいと思っています。その方法として、身を焼いたり海へ入ったりするのは、あまりにも激しいやり方ですし、苦しみも深いでしょうから、食を断って静かに命を終えようと決心しました。一人で決めるのもやはり心細いので、このように御相談するのです。どうか、このことを決して他人には話さないでください。住む場所は南の谷にしつらえてあります。もうそこへ籠もるばかりです。これからは無言で過ごすつもりなので、お話しできるのは今日が最後でしょう」。長者の僧は涙を流しながら、「まことに心を打たれます。そこまで決心なさったのなら、あれこれ申し上げても仕方ありません。ただ、どうしておられるか気になった時に、ひそかに訪ねて御様子を拝見することは許していただけますか」と言った。持経者は、「もちろんです。あなたに隔てを置いていないからこそ、こうしてお話ししているのです」などと答えた。二人は固く約束し、持経者は姿を隠した。
長者の僧は心を打たれ、めったにないことだと思い、毎日でも訪ねたかったが、「うるさく思われるだろう」と遠慮しているうちに、いつの間にか数日がたった。
七日ほどして、教えられた場所を訪ねると、一人がようやく入れるほどの小さな庵を結び、その中で経を読んでいた。近寄って、「どうですか。体が弱り、苦しいことなどはありませんか」と尋ねると、持経者は紙に書いて返事をした。「これまで、たいそう苦しく感じ、心も弱くなって、最期がどうなるかと心配しておりました。ところが二、三日前、うとうとした時の夢に、幼い童子が来て、私の口に水を注ぐと見ました。それから体が涼しくなり、力もついて、今は心配することがありません。このままなら、最期も願いどおりになるでしょう」などと書いた。
長者の僧はますます尊く、うらやましく思って帰った。その後、あまりにも珍しいことなので、どうしても隠しきれず、親しい弟子などには自然と話してしまったのであろう。このことが次第に広まり、山の僧たちが「仏縁を結ぼう」と言って訪ねて行くようになった。
長者の僧は「ああ、困った。あれほど口外しないと固く約束したのに」と言ったが、もうどうにもならなかった。ついには郡中に広まり、近くからも遠くからも人々が集まり、大騒ぎになった。この老僧は現場へ行き、できるかぎり制止したが、聞き入れる人は一人もいなかった。持経者はものを言わなかったが、たいそうつらそうな様子をしている。それを見るにつけても、すべて自分の過ちから起こったことなので、悔しく、いたたまれないことこの上なかった。
こうして人々は夜昼の区別なく、さまざまな物を投げ入れ、米をまき、拝み騒いだ。逃げる方法などなさそうに見えたが、どうしたのか、その僧は夜の間にどこへともなく這い出して姿を消した。集まっていた多くの者が手分けし、山を踏み歩いて探したが、まったく見つからなかった。「それにしても不思議なことだ」などと言い合った。
それから十日余りたったころ、思いがけずその跡を見つけたのであろう。もとの場所からわずか五、六段ほど離れた、少し柴の深く茂った陰に、経典と紙衣だけが残されていた。
これは三、四年ほど前のことなので、書写山で見聞きしていない人はいないという。末の世には、たいそう珍しいことである。
そもそも人がさまざまな罪を作るのは、すべてこの身のためである。それなら、このように思い定めて、よい臨終と往生を願う者について、何を疑うことがあろう。しかし濁った世の人の常として、自分には到底できないことを人がすると、すぐにそしって、「前世で人に食べ物を与えず、その報いで身の分を失い、自然にこんな目に遭っているのだ」と言ったり、「天魔が心を惑わせ、人を驚かせて後世の妨げをしようとしているのだ」などと言ったりするだろう。確かに過去世の業は知りがたい。しかし、そうばかり言うなら、いったいどの修行が楽で豊かなものだろうか。どれも、欲しい味を我慢し、身を苦しめ、心を砕くことを基本としている。では、それらをすべて、かつて人を苦しめた報いだと決めつけるのか。まして仏や菩薩が修行中に行ったことは、すべて法を重んじ、自分の身を軽んじるものである。その跡を追えないのは、こちらの心が弱いからであろう。たまたま学ぶべき行いを、そしるべきではない。
あの善導和尚は念仏の祖師で、この身のまま悟りの証を得られた人である。往生を疑う必要などなかったが、木の上へ登って身を投げられた。人々に悪いことを始めさせるために、そんなことをされたはずがあろうか。
また法華経には、「もし人が菩提を求めようと発心するなら、手の指や足の指を燃やして仏陀に供養せよ」とあり、「国や城、妻子、さらに太子や国土、さまざまな宝をもって供養するよりも勝れている」と説かれている。
このことを考えると、人の身を焼けば、皮は臭く汚らわしい。仏のために、何の役に立つのだろう。一房の花にも劣り、ひとつまみの香にも及ばないように思える。しかし、志が深く、苦しみに耐えるからこそ、大きな供養になるのであろう。
そうであるなら、もしある人が清らかな心を起こして、「太子や国土を捨てる供養がすぐれていると言われても、それは私たちには難しい。しかし、この身なら自分のものである。しかも夢のようにはかなく、やがてむなしく朽ちる。どうして一指だけに限ろう。このまま身命を仏道へ投げ出し、一時の苦しみによって無始以来の生死の罪を償い、仏の加護によって、正念を保った臨終を得よう」と深く決心し、食を断ち、身を焼き、海へ入ろうとするなら、いったい誰のために起こされた慈悲の誓願であるから、その人を迎え取られないことがあろうか。
だから今の世でも、このような行によって最期を迎える人について、目の前に不思議な香りが漂い、紫雲がたなびき、はっきりした瑞相が現れた例は多い。あの童子が水を注いだ夢も、その証ではないだろうか。
仰いで信じるべきである。疑って何の利益があるだろう。自分の心がそこまで及ばないからといって、自分が信じないだけでなく、他人の信心まで乱すのは、愚かさの極みである。
第33話 近ごろ、蓮花城といひて、人に知られたる聖ありき
近ごろ、蓮花城と呼ばれ、人々によく知られた聖がいた。
卜蓮法師がこの聖と知り合いで、何かにつけて情けをかけながら付き合っていた。何年もたったころ、聖が言った。「今は年を取るにつれて弱ってきたので、死期が近いことは疑いありません。正念を保ったまま最期を迎えることが何よりの願いですから、心の澄んでいる時に水へ入り、臨終を迎えようと思っています」。卜蓮は驚き、「そのようなことをするべきではありません。たとえあと一日でも、念仏の功徳を積もうと願うべきです。そのような行は、愚かな人のすることです」と諫めた。しかし、聖の決意は少しも揺らがないように見えたので、「ここまで思い定めているなら、もう止めても仕方がない。そうなるべき因縁なのでしょう」と言い、そのための準備も力を貸して一緒に整えた。
ついに桂川の深い所へ行き、聖は大声で念仏を唱え、しばらくして水底へ沈んだ。その時、話を聞いた人々が市のように大勢集まり、ある者は尊び、ある者は悲しみ、その様子は限りなかった。卜蓮は「長年見慣れてきた人なのに」と悲しく思い、涙を抑えながら帰った。
それから日がたつうちに、卜蓮がもののけに取り憑かれたような病気になった。周囲の人々が不思議に思い、祈祷などをしていると、霊が現れて「以前の蓮花城である」と名乗った。卜蓮は、「これは本当とは思えない。長年知り合って、最後まで恨まれるようなことは何一つなかった。まして、発心の様子は並々でなく、尊い最期を迎えたではないか。いったい何の理由で、思いがけない姿になって来たのだろう」と言った。
もののけは答えた。「そのことなのです。あなたがあれほどよく止めてくださったのに、自分の心のほどを知らず、何のかいもない死に方をしてしまいました。あれほど多くの人が見ている中で、その場になって思い返すことなどあるまいと思っていたのですが、どういう天魔のしわざだったのか、まさに水へ入ろうとした時、急に後悔する気持ちが起こったのです。しかし、その大勢の人の前で、どうして自分から思い返せたでしょう。ああ、どうか今すぐ止めてくださればよいのにと思い、あなたと目を合わせましたが、あなたは気づかない顔で、今は早く早くと促しました。それが恨めしくて、沈んだ後は往生のことなど何も思えず、思いがけない道へ入ってしまったのです。これは自分の愚かさから起こった過ちですから、あなたを恨むべきことではありません。しかし最期に残念だと思った一念によって、こうして来たのです」と言った。
これこそ、まことに宿業と思われることである。同時に、末の世の人への戒めにもなるだろう。人の心は計りがたい。身を焼く、海へ入るという行も、必ずしも清らかで素直な心から起こるとは限らない。人に勝ちたい、名声を得たいという心によることもあり、驕りや嫉妬をもとにすることもある。愚かにも、「身を焼いたり海へ入ったりすれば浄土に生まれるのだ」とだけ知り、気持ちが高ぶるまま、このような行を思い立つこともあるだろう。それでは外道の苦行と同じで、大きな邪見というべきである。
そのうえ、火や水に入る苦しみは並大抵ではない。志が深くなければ、どうして耐え忍べよう。強い苦しみがあれば、心も安らかではいられない。仏の助けがなければ、正念を保つことはきわめて難しい。
なかでも愚かな人は、口癖のように、「身を焼くことはできないが、水に入るくらいなら簡単にできる」と言うようである。それは外から見れば穏やかに見え、その苦しみを知らないからだろう。ある聖が語った。「私は水に溺れ、もう死ぬというところを人に助けられ、ようやく生き返ったことがあります。その時、鼻や口から水が入り、責め苦を受けた苦しさは、たとえ地獄の苦しみであっても、これほどだろうと思うほどでした。それなのに、人が水を簡単なことだと思うのは、水がどのように人を殺すかをまだ知らないからです」と言っていた。
また、ある人はこう言った。「さまざまな修行は、結局すべて自分の心にかかっている。自分で行い、自分で知るべきものであり、他人から推し量ることは難しい。過去世の業因も、未来の果報も、仏や天の加護も、すべてこちらへ向かい、自分の心が安らかになるなら、自然と推し量れるであろう。一つの目安を示そう。もし仏道を修めるため山林に入り、一人で荒野の中にいる時にも、なお我が身を恐れ、命を惜しむ心があるなら、仏が必ず守ってくださるとだけ頼むべきではない。垣や壁をめぐらし、逃げられる備えをし、自分で身を守り、病を養いながら少しずつ修行を進めるべきである。反対に、この身はすべて仏に捧げたものだと思い、虎や狼が来て襲ってもむやみに恐れず、食べ物がなく餓死してもつらいとは思わないほどになったなら、仏は必ず守り、菩薩や聖衆も来て守られるだろう。仏法を害する悪鬼や毒獣も付け入ることができず、盗人は悪い心を起こしても去り、病は仏の力によって治るだろう。この違いを考えず、心は浅いままで仏天の加護だけを頼むのは危ういことだ」と語っていた。この話はもっともだと思われる。
第34話 近きころ、近江国に、池田といふ所に、いやしき男ありけり
近ごろ、近江国の池田という所に、身分の低い男がいた。本人は年を取っており、若い息子が一人いた。二人連れで用事に出かけた。
奥山へ入ったところで、しばらく休んでいた。十月の末ごろだったのだろうか。木枯らしが激しく吹き、木々の葉が雨のように乱れ散った。父はそれを見て言った。「おまえ、この木の葉が散るのを見ているか。これを静かに考えてみると、私たちの身のありさまと少しも変わらない。春には、見る見る若葉が出たと思ううちに次第に茂り、夏にはすっかり盛りになった。八月ごろから青い色が黄色に変わり、その後は深く紅に染まり、今では少し風が吹くだけでも、もろく散る。地に落ちれば、ついには朽ちてしまう。人の身もこれと同じだ。十歳ほどのころは、たとえば春の若葉である。二十、三十で盛りだった時は、夏の梢が濃く茂り、気持ちよさそうなころに似ている。私は今六十を過ぎ、黒髪はしだいに白くなり、皺が重なり、肌も変わってきた。秋の葉が色づくのと何も違わない。まだ嵐に散っていないというだけで、それも今日明日のことだろう。このはかない身を知らず、この世を生きていこうとして、朝夕言いようもない苦労をし、走り回って働くことは、考えれば何ともむなしい。私はもう家へ帰らない。法師になってここに住み、この木の葉のありさまなどを考えながら、静かに念仏して暮らそうと思う。おまえはまだ若い。先は長いのだから、早く帰りなさい」
息子は答えた。「本当にその通りです。おっしゃることはもっともですが、ここには庵一つありません。田畑を作る場所もありません。雨風の苦しみ、獣の恐ろしさ、そのどれ一つとして一人で耐えられる所ではありません。どうして一人で住めるでしょう。それなら私も一緒に残り、木の実を拾い、水を汲んで、あなたがどうなられるとしても同じように暮らしましょう。私は今、若さの盛りだといっても、たとえば夏の木の葉にすぎません。やがて紅葉し、散ることは疑いありません。それどころか、木の葉は色づいてから散りますが、人は若くして死ぬ例も多い。人の身は木の葉より、なおはかないというべきです。私は決して故郷へ帰りません」。父は心を打たれた。
「それなら、まことにうれしいことだ」と言い、人も通わない深山の中に小さな庵を二つ結んだ。それぞれ一人ずつ入り、朝夕、念仏を唱えて暮らした。
ごく近い時代のことなので、皆が知っているという。ある人は、「父はすでに往生し、息子は今も生きている」と語った。
第35話 薬師寺に証空律師といふ僧ありけり
薬師寺に証空律師という僧がいた。
年を取った後、役職を辞してから長い年月がたっていたが、ある時、「薬師寺の別当が空席になっているので、その職を望み申し出ようと思うが、どうだろう」と言った。弟子たちは皆、「なさるべきではありません。もう御年を召しておられます。役職を辞されたことについても、きっと深いお考えがあってのことだろうと、人々は奥ゆかしく思っております。それなのに今さら、そのような官職を望み申し出られたなら、思いもよらないこととして、人々はあなたを軽く見るでしょう」と、道理を尽くして強く諫めた。しかし律師は、少しも「なるほど」と思う様子がない。どうしてもその望みが深いと見えたので、弟子たちにはどうしようもなかった。
弟子たちは集まって嘆きながら、「こうなっては、何を申し上げても聞き入れてはくださるまい。では、でたらめな夢を見たことにして、身震いなさるほど恐ろしい話を申し上げよう」と相談した。
何日かたった後、静かな時に、一人の弟子が言った。「昨夜、どうにも意味のわからない夢を見ました。この庭に、色々な姿をした恐ろしい鬼が大勢現れ、大きな釜を塗っていました。不思議に思って尋ねると、鬼が、この坊の律師のためのものだと答えたのです。いったい何のことでしょう。あなたに深い罪がおありになるとも思えません。この夢が理解できません」と語った。
弟子は「きっと驚き恐れるだろう」と思っていた。ところが律師は耳もとまで口をゆがめて笑い、「これは、あの望みがかなうということだろう。この夢のことは人に知らせるな」と言い、手を合わせて拝んだので、弟子たちはもう何も言うことができず、そのままになった。
智者であったからこそ、律師にまで昇った人なのだろう。それなのに七十歳になって、この夢を喜んだというのは、なんと嘆かわしい貪欲の深さだろう。
先ほどの無知な老人が、独覚の悟りを得たという話とは、比べようもない。
第36話 中ごろ、壱岐前司親輔といふ人取子をして、幼くよりはぐくみ養ひけり
少し昔、壱岐前司親輔という人が養子を取り、幼いころから大切に育てていた。
この子が三歳の年、数珠を持つことだけを遊びにして、ほかの物にはまったく夢中にならなかった。父母はこれを愛し、紫檀の数珠を与えたところ、いつも阿弥陀仏の名を唱えていた。母が聞いて止めても、なお唱えることをやめなかった。
六歳になった年、重い病にかかり、何日もたった後、床に伏したまま、遊びにしていた念珠がそばにあるのを見て、「私の数珠の上に、塵が積もってしまった」と言い、深く嘆く様子をした。これを聞く人々は涙を流して哀れんだ。
そして父母に向かって、「体が汚れているように思うので、湯を浴びたい」と言った。病が重かったので、父母はどうしても許さなかった。その後、人に助け起こされ、西に向かって座り、声を上げて、
妙法華経提婆達多品を聞き、浄らかな心で信じ敬い、疑いを生じない者は、地獄に堕ちない。
という句から、
もし仏前にあれば、蓮の花から生まれる。
という所まで唱えた。
その声は格別に美しかった。幼い子なので、日ごろ人から教えられたこともない。皆が驚き、心を打たれた。声がまだ止まないうちに、目を上げたまま息が絶えたので、父母の泣き悲しみは限りなかった。
何日かたった後、母が昼にうたた寝している時、夢とも現実ともわからない状態で、この子を見た。姿はことのほか美しく、清らかであった。子は母に向かって、「私の姿をよく見ていますか」と言った。母が「よく見ています」と答えると、子は唱えた。
ただちに南方の無垢世界へ行き、宝の蓮華に座して、等正覚を成ずる。
この文を読み終えると、すぐに姿を消したという。このことは嘉承二年ごろのことである。
第37話 奈良に、松室といふ所に、僧ありけり
奈良の松室という所に、一人の僧がいた。官職などは特に高くなかったが、徳があり、人々から重く用いられている者であった。
その所に、僧がことのほかかわいがっている幼い児がいた。この児は朝夕、法華経を読誦していたが、師はそれを好まなかった。「幼い時には、まず学問をするものだ。いかにも大げさすぎる」などと諫めた。児はいったんは従うように見えたが、少しすると、ひそかにまた読んでいた。その志がどうにも深いとわかったので、後には誰も止めなくなった。
こうして十四、五歳ほどになったころ、この児がどこへともなく姿を消した。師はたいそう驚き、あらゆる所を探し求めたが、まったく見つからなかった。「物の霊などにさらわれたのだろう」と言い、泣きながら、死んだものとして供養などをして、そのままになった。
それから何か月かたったころ、この坊にいる法師が「薪を取ろう」と山深く入ったところ、木の上から経を読む声が聞こえた。不思議に思って見上げると、姿を消したあの児であった。法師は驚いて、「どうして、このような所にいらっしゃるのですか。あれほど師が嘆いておられるのに」と言った。児は、「そのことです。私もその事情を申し上げようと、お会いしたいと思っていましたが、こういう身になってからは都合が悪く、近づくことができませんでした。こうしてお会いできてうれしい。どうか師に、必ずここへおいでくださいと申し上げてください」と言った。法師は走って帰り、このことを語った。
師は驚き、すぐにやって来た。児は語った。「私は、読誦の仙人となったのです。これまでずっと、お会いしたく思っておりましたが、このような身になった後は、便りを聞く方法もありません。そもそも人のいる所は汚らわしく臭くて、耐えられませんので、思いながらも参ることができませんでした。ですから、これからも近くでお目にかかることはできないでしょう」と言い、二人とも涙を流しながら、しばらく長く語り合った。
やがて師が帰ろうとすると、児は言った。「三月十八日に竹生島という所で仙人たちが集まり、音楽を奏することになっています。そこで琵琶を弾かなければならないのですが、どうしても手に入りません。貸していただけないでしょうか」。師が「たやすいことです。どこへお届けしましょう」と答えると、児は「ここでいただきます」と言い、二人は別れた。師はすぐに琵琶を送ったが、その時には児の姿はなかった。ただ木の所に置いて帰った。
さて、この法師は三月十七日に竹生島へ参詣した。十八日の明け方、眠りから覚めると、はるか遠くから言いようもなく美しい音楽が聞こえた。雲に響き、風に乗って流れて来て、この世の普通の音楽とは思えないほどすばらしかったので、涙を流しながら聞いていた。やがて音は次第に近づき、ふっと止んだ。しばらくすると、縁側に何かを置く音がした。夜が明けて見てみると、あの琵琶であった。
師は不思議に思い、「これを自分の物にするのは恐れ多い」と言って、竹生島の権現に奉納した。深い芳香が染みつき、何日たっても消えなかった。この琵琶は今も島にある。作り話ではない。


