このページでは、鴨長明『発心集』第8巻(第89話~第102話)の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。
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第89話 中ごろ筑前国に時料と名付けたる聖ありけり
中ごろ、筑前国に、時料と名付けたる聖ありけり。府の辺に歩きて、人の家に至りて物を乞ふとて、必ず「時料」とばかり言ひて、経も読まず、仏号をも唱へず。いはんや、そのほかのこと、一言も言はざりければ、やがて、かく名を付けたるなり。朝夕つねに見ゆれば、見合ふにしたがひて物など取らすれど、たしかにそことは跡とめたりといふこと、知れる人なし。
その時に、府官の中に、ことにこれをあはれむ男ありけり。心に思ふやう、「この聖のありさまこそ、いとおぼつかなけれ。さりとも、跡を隠せる所なからんや。いかにも、その徳ある者にこそ。これを見あらはして、深く縁を結ばん」と思ひて、物乞ひ廻りて帰りけるを、見隠れに行く間に、はるかに山深く入りて、けはしき谷の奥に、荒れたる神の社ありける中にはひ入りぬ。
いとめづらかに思えて、隠れ居て聞けば、日暮方より夜もすがら、もろもろの罪障を懺悔す。夜中過ぎほどより法華経を読む。その声、いと貴くて、涙も止まらず。
夜明けて後、男、帰らんとする時、人のある気色をさとりて、聖とかく求め歩きけるほどに見付けられぬ。すなはち、袖に取り付きて、大きに悲しみていはく、
「われこのたび生死を離れんと思ふに、この志を人に知られなば、魔縁も力を得、信施もことに重かるべし。ことにふれて障りあるべきゆゑに、われ深く徳を隠して、年ごろこの谷に住めども、鳥獣よりほかには、さらにわれを知る者なし。しかるを、なんぢ今われを見あらはすは、すでに生々世々の仇敵なり。さらに、なんぢを許すべからず。ここにして、もろともに命を捨つばかりぞ」
と言ひて、泣きもだうる声、谷を響かす。涙流して袖をしぼるばかり濡れぬ。
この男恐れをののきて言ふやう、
「われ聖の徳を貴むにより、信を発して、尋ね来たる。これ何の咎かある。われ一人は何ばかりの咎かあらん。願はくは、今日の咎許したまへ。永く妻子にもこのことを散らさじ。仏天必ず照らしたまふべし」
と言ふ。聖のいはく、
「一人が知れるとても、本意にはあらねども、なんぢ人よりも信心深し。しかれば、いかがはせん。口より外へ出だすべからず。今日より後、深くあひ頼まん」
など、互ひにさまざま契りを結びて帰りにけり。
その後、この男忍び人に隠れて、時料とぶらひければ、里へ出づることもなくて、思ふごとく往生を遂げたりけりとぞ。かねて、死期を知りて、この男に告げたりけるによりて、その臨終の貴かりしことなど、後に人に語りける。
ある人いはく、
「濁世の行者はみづから徳を隠し、賊国にありて、宝をまうくるがごとくすべし。そのゆゑは今の世は、天魔、盗人満ち満ちて、人の善根をうかがひ妨ぐ。しかれども、悟り深く徳ある人は諸天の擁護ひまなくして、天魔そのたより得ることなし。たとへば、人の門つよくさし、兵多く守りて、悲しみなきがごとし。もし、わがごとく、懈怠、無智の者、たまたま勤むる功徳は、貧しき家に宝多からんがごとし。心城囲ひあだにして、善神の守護したまふもなし。ただ、外相をよそにし、その徳を深く隠して、しらせざらんにはしかず。かの金をおどろにつつみ、宝珠を土に埋むがごとし。ただ、たとひ徳を隠すとも、みづからおごる心あらば、また益なし。天魔はよく憍慢を便りとす。たとへば、盗賊の中人を用ゐるがごとし。しかるを、末世の比丘、争ひ深く、名利に惑へるゆゑに、みづから無き徳を称す。妄語の中にすぐれたる重罪なり。何ぞいはんや、身にある徳をあげ、人の称賛するを悦ぶことは万人の習ひなり。妄語にあらずといふとも、その咎、なほ軽からず。もし、まことに後世を思はん人は一人ありて、わが身になき徳を讃歎せば、これを恐れ驚くこと、盗殺の無実を負ふがごとくすべし。身の毛よだつばかりおののき、心神やすからずして、すなはち三宝を念ぜよ。つれなく、驚く心なくは、その咎、なほ遁れがたし」
第90話 ある山寺に徳高く聞こゆる聖ありけり
ある山寺に、徳高く聞こゆる聖ありけり。
年ごろ、堂を建て仏を作り、さまざま功徳をいとなみ、貴く行ひけるが、終はりめでたくてありければ、弟子もあたりの人も、疑ひなき往生人と信じて過ぎけるほどに、ある人に、かの聖の霊つきて、心得ぬさまのことども言ふ。聞けば、はや天狗になりたりけり。
弟子ども思ひのほかなる心地して、いみじく口惜しく思へども、力なくおぼつかなきことなど問ひければ、不思議のことどもいふ中に、
「われ在世の間、深く名聞に住して、無き徳を称じて、人をたぶろかして作りし仏なれば、かかる身となりて後は、この寺を人の拝み貴ぶ日に、わが苦患まさるなり」
とこそ言ひけれ。
いみじき功徳を作るとも、心調はずは、かひなかるべし。
「今のことなれば、名はたしかなれど、ことさらあらはさず」
とぞ、ある人語りはべりし。
第91話 近き世のことにや仁和寺の奥に
近き世のことにや、仁和寺の奥に、同じさまなる聖二人ありけり。一人を西尾の聖といふ。今一人をば東尾の聖と名付けたり。
この二人の聖ことにふれて徳をいとなみ、一人は如法経書けば、一人は如法念仏す。一人、五十日逆修すれば、一人は千日講を行ひなど、互ひに劣らじとしければ、人もひきひきに方々別れつつ結縁しけり。
年ごろ、かくのごとくいとなむ間、「西尾の聖身灯すべし」といふこと聞こえて、結縁すべき人、貴賤道俗、市をなして貴みこぞる。東尾の聖これを聞きて、
「狂惑のことにこそあらめ」
とて信ぜざるほどに、つひに期日になりて、弟子どもいみじく囲繞して、念仏して、火屋に火をさす。
ここら集まりし人涙を流しつつ尊みあへるほどに、火中にて、念仏二百返ばかりまうして、つひにいみじく貴げなる声にて、
「今ぞ、東尾の聖に勝ち果てぬる」
と言ひてなむ、終はりにける。
このことを聞かぬ人は、
「貴し」
とて、袖をうるほして去りぬ。おのづからもれ聞ける者は思はずに、
「こは何ごとぞ。いと本意ならず。妄念なりや。さだめて、天狗などにこそはなるべかりぬれ。益なき結縁をしてけるかな」
なんど言ひけり。まことに、あらたに身命を捨てて、さる心を発しけん。めづらしき身なるべし。
ある人語りていはく。
唐に帝おはしけり。夜いたう更けて、灯壁にそむけつつ、寝所に入りて静まりぬるほどに、火の影にかげろうものあり。あやしくて、寝入りたる様にて、よく見たまへば、盗人なるべし。ここかしこに歩きて、御宝物、御衣など取りて、大きなる袋に入れて、いとむくつけなくおぼされて、いとど息音もしたまはず。
かかる間、この盗人御傍らに薬合はせんとて、灰焼き置かれたりけるを見付けて、さうなくつかみ食ふ。いとあやしと見たまふほどに、とばかりありて、うち案じて、この袋なる物ども取り出でて、みなもとのごとく置きて、やをら出でなんとす。
その時、帝いと心得がたくおぼして、
「なんぢは何者ぞ。いかにも人の物を取り、また、いかなる心にて返し置くぞ」
とのたまふ。まうしていはく、
「われは某とまうしさぶらひし大臣が子なり。幼くて父にまかりおくれて後、堪へて世にあるべきたつきもはべらず。さりとも、今さらに人の奴とならんことも、親のため、心憂く思ひたまふべき。念じて過しはべりしかど、今は命も生くべきはかりごともはべらねば、盗人をこそつかまつらめと思えてはべるにとりて、なみなみの人の物は、主の歎き深く、取り得てはべるにつけて、もの清くも思えはべらねば、かたじけなくも、かくまゐりて、まづ物の欲しくはべりつるままに、灰を置かれてはべりけるを、さるべき物にこそと思ひて、これを食べつるほどに、物の欲しさ直りて後、灰にてはべりけることをはじめて悟りはべれば、せめては、かやうの物をも食しはべりぬべかりけり。よしなき心を発しはべりけるものかなと悔しく思ひて」
などまうす。
帝つぶさにこのことを聞きたまひて、御涙を流され感じたまふ。
「なんぢは盗人なれども、賢者なり。心の底いさぎよし。われ王位にあれども、愚者といふべし。むなしく忠臣の跡を失へり。早くまかり帰りさぶらへ。明日、めし出だし、父の跡をおこさしめん」
とおほせられければ、盗人泣く泣く出でにけり。
その後、本意のごとく仕へたてまつりて、すなはち、父の跡をなむ伝へたりける。
しかれば、上人の身命を捨てしも、他にすぐれ、名聞を先とす。貧者が財宝を盗めるも、清くうるはしき心あり。すべて、人の心の中、たやすく余所にはかりがたきものなり。されば、「魚にあらざれば、水の楽しみを知らず」といふも、この心なるべし。
第92話 昔橘逸勢といふ人ことありて
昔、橘逸勢といふ人ことありて東の方へ流されける時、そのゆかりの人、歎き悲しむたぐひ多かりける中に、情けなき女子の、ことにとりわきさりがたく思ふありけり。主もかく憂きことにあへるをばさるものにて、これに別れんことを思へり。
むすめは言はぬことを憚り忘れ、恥を捨てて、悲しみをたれて、もろともに行かんとす。おほやけ使、限りなくいとほしく思ゆれど、流さるる人の習ひにて、ことの聞こえも便なかるべければ、かたくいさめて免さず。
せめて思ひ余りけるにや、その宿を尋ねつつ、駅づたひに夜々なん行きける。身に堪へたらん人だに、知らぬ野山を越えて、夜な夜な尋ね行かんことは、あるべきことにもあらず。まして、女の身なれば、おぼろけにて至り着くべくもあらねど、仏天やあはれとおぼしけん、からくして、つひにかしこに至り着きにけり。
遠江国の中とか、半ばなる道のほどに、形は人にもあらず、影のごとく痩せ衰へて、濡れしほたれたる様にて、尋ね来たりける。待ちつけて見けん親の心、いかばかり思えけん。
さるほどに、行き着きていくほども経ず、父重き病を受けたりければ、このむすめ一人添ひて、残り居て、終日終夜行ひ勤むるさま、さらに身命を惜しまず。これを見聞く人涙を流し、あはれみ悲しまぬはなし。後には、あまねく国の中こぞりて、貴みあへり。わざと詣でつつ、縁を結ぶたぐひ、多くなんありける。
さて、ほど経て後、国の守に告げて、
「御門にことのよしをまうし、許しを蒙りて、父のかばねを都へ持て上りて、孝養の終はりとせん」
と請ひければ、そのありさまをきこしめして、驚きて、またことなく免されけり。悦びて、すなはち、かの骨を首に懸け、帰り上りにけり。
昔も今も、まことに心ざし深くなりぬることは、必ず遂ぐるなるべし。
第93話 東の方修行しはべりし時さやの中山のふもとに、
東の方、修行しはべりし時、さやの中山のふもとに、ことのさきとまうす社の前に、六十ばかりなる琵琶法師の、小法師一人具したるが過ぎ行くを、呼びとどめて、乾飯など食はせて、
「いづくへ行くぞ。世の常の人だに、はるかなる旅に思ひ立つことはたどたどしきを、いと心苦しくこそ」
ととぶらへば、うなだれて、
「鎌倉の方へまかりはべるなり。人は頼む所ありて、訴へをもまうさん、もしは、御かへりみを蒙らんなど思ひてこそ、思ひ立つことなれど、おのれは、何ごとをかはまうさん。ことはりかうぶるべき愁へも持ちはべらず。さらに期することなし。ただ、世の過ぎがたさに、もし、一日も過ごすばかりのこともや、かまへらるとて、あられぬ有様にてまかれば、道の間の苦しみ、行き着きて宿るほどの煩ひ、ただおぼし知れ」
と言ふ。
「いかが、ことにふれて苦しからん」
と、いとほしき中にも、ある智者の極楽へ詣でんことをまうすとて、『無智の者の生れんことは、たとへば、盲の道を行かんがごとし。聖教の心を知れる人は、目ある人の詣でんがごとくなり』とまうしはべりしことを、きと思ひ出でて、わが身の上の様に思ゆれば、ねんごろにとぶらふ。
「いと不便のことかな。さて、かなふまじくや思ゆる」
と言ふ。
まことに、思ひ立つもおほけなきことなれど、何ごとも志によるわざなれば、などかは励ましはべらざらん。
「世の常の人の、乗馬、下人、粮料のごとく、豊かに持ちたる、その志無きは、いまだ近江国をだに見ぬ、数も知らず。かく、たつたつしく、安からぬ身なれども、思ひ立ちぬれば、さすがにまからるるなり」
となむ語りはべりし。
これを聞くにつけても、われらが盲のかたばかり、かれがたぐひにて、しかも心ざしは薄きことの、とにかくに取所なく、心憂く思えはべりし。
いささか頼もしきことのはべるは、ある記にいはく、「中ごろ、唐に朝夕念仏まうす僧ありけり。その居所近く、鸚鵡といふ鳥のねぐらしめて棲むありけり。すなはち、念仏の声を聞き習ひて、かの鳥のくせなれば、口まねをしつつ、常に阿弥陀仏と鳴く。人こぞりて、これをあはれみ讃むるほどに、この鳥おのづから死ぬ。寺の僧どもこれを取りて掘り埋みたりけり。後、その所より、蓮花一本生ひたり。驚きながら掘りて見れば、かの鸚鵡の舌を根としてなむ生ひ出でたりける」
かの鳥、口まねのいみじきにもあらず、悲願のねんごろなるゆゑに、心に信ずとしもなけれども、口に唱へつれば、利益のむなしからぬにこそははべらめ。かかれば、われらが散心念仏とても、愚かなるべきにあらず。
第94話 近ごろ南都に僧ありけり
近ごろ、南都に僧ありけり。年ごろ、三尺の不動尊を本尊として、朝夕行ひけるほどに、ある時、行法の間に、目をふさぎて念誦するほどに、この本尊失せたまひて、ただむなしき座ばかり残れり。
あさましく、めづらかに思えて、さまざまに疑ひをなす。「もし、これ魔のしわざか。もしは、わが不信、懈怠にて、仏意にかなはぬか」など、ひとかたならず心をくだき、悲しみをなすほどに、しばしありて、見たてまつれば、ただもとの様にておはします。とにかくに、心得がたく思ふほどに、その後、かく失せたまふこと、たびたびになりにけり。
たちまちに沐浴し、ことに潔斎して、七日が間信をいたして、三時の行法をして、このことを祈りたてまつるほどに、夢に見るやう、本尊の御前にて、うつつに見るがごとく、このことを怪しみ疑ふ間に、本尊告げてのたまはく、
「なんぢこのこと驚くべからず。この二十余年、われを頼みて、臨終の魔障を祈る者あり。これを助けんがために、時々行き向かふなり」
とのたまふ。僧夢の内に答へたてまつりていはく、
「いづれの所に、誰とまうす人ぞ」
答へてのたまはく、
「北京東山の辺に、長楽寺といふ所に、唯蓮房といふ尼これなり。終はり近くなりたれば、今二、三年は、なほなほ時々行き向かふべきなり」
とのたまふと見て、夢覚めぬ。
この僧不思議の思ひをなして、涙を流して、やがて長楽寺へ尋ね行きて、
「しかじかの尼やある」
と問ふに、さだかにありけり。まさしく、その庵に至りて見れば、戸引き立てて、人もなし。隣の人の教へけるままに、雲居寺に至りて、尋ね合ひて、まさしく対面したりける。
まづ、このことをば言はず、物語などして、
「後の世の勤めには、何ごとをかはしたまふ」
と問ふ。尼の言ふやう、
「念仏のほかには、さらに勤むることなし」
と言ふ。なほなほ、強ひて細かに問ひける時、
「この二十年ばかり、不動の慈救呪をこそ、毎日二十一返満てて、臨終正念ならんことを祈りはべる」
と言ふ。僧このことを聞きて、
「まことには、ゆゑなく尋ね詣で来たるにはあらず」
とて、ありし様を始めより語りければ、尼も涙を押さへつつ、
「頼もしく、貴きことなり」
と悦びて、互ひに一仏土の契りを結びてなむ去りにけり。
その後は、いくほどもなくて、この尼重き病を受けたり。あたりの人生きがたき由を言ひて、さまざまとぶらひけるに、
「今年は死にはべるまじ。明年二月十五日にこそ、まかり隠るべき日にてはべる」
と答へけるほどに、そのたびは生きぬ。明くる年の二月十五日、未の時に、病もなく、終はり正念にて、不動の印を結びて、端坐して息絶えにけり。
この尼は長楽寺に庵を結びたりけれど、居ることもなし。雲居寺の念仏の衆になりて、常にはかの寺にのみ住みて、念仏よりほかのいとなみなかりけり。すべて人に逢ひて、こまやかに物語し、うち笑ふことなどもなし。ほとんどはしたなき様になん、あひしらひける。
この十余年がさきのことなれば、みな人見聞けることなり。
「かの奈良の僧の名も、すなはち覚えはべりしかど、忘れにけり」
とぞ、ある人語りはべりし。
末世なれど、信じたてまつる人のためには、かかる不思議もはべりけるなり。道心なき人の習ひにて、わが心のつたなきをば知らず、万の科を世の末におほせて、むなしく退心を発すは、愚かなることなり。
第95話 近ごろ一人の武者ありけり
近ごろ、一人の武者ありけり。おのが身は世にあひて、下れる母をなむ持ちたりける。もとより孝の心薄き上に、面ぶせにさへ思ひ、継母をのみ重く思へりければ、世の常の親子の様に、むつびまみゆることもなし。かかれど、さすがに正しき母なれば、形のごとくなる所をなん取らせたりける。
かの母その所を得て、かしこに行きて、湯なん浴みて居たりける間に、継母の、
「よからず」
と言ひけるによりて、母が所知を改め、たちまちに異人に取らせてけり。
そのあたりの人聞き驚きて、このよしを母に告げければ、
「さらば、われにこそ告げられめ。さることのほかのことはあるものかは」
とて信ぜず。かかるほどに、かの庄の沙汰の者まうさく。下文を持て来て、母に読み聞かせける時、あまりこときはまりて、とばかりものも言はず。「あきれたる様にて居たる」と見るほどに、気色のことの外に見ゆるを、あやしくて、引き動かすに、いふかひなき様なり。はや、居ながら息絶えたるなりけり。すなはち悪心の熾盛なるゆゑなるべし。
さて、かの武者はその思ひをやかうぶりたりけん。ほどなく亡び失せにけりとぞ。名はたしかなれど、当時のことなれば、わざと書かず。
また、近きころ、法勝寺の九重の塔、雷の火のために焼けはべりし時、かの寺の執行これを見て、悲しみに耐へず、絶え入りて、その日の中に命終はることは、みな人あまねく知れり。これ法滅の菩提心の強く発れるなるべし。かかれば、今の世までも、善悪につけて心の発ること、かくのごとし。
いかが、仏道を願はんに至りて、「世の末」と卑下の心を起こすべし。しかのみならず、男女に愛着して命を捨て、勝他名聞のために肝胆を砕く様なんどは、末代とて熾盛ならずやは。見えたることのたよりには、奕打といふ者どもの集まりて、双六打つを聞けば、夜も寝ねず、昼も立ち去ることもなく、七、八日など片時も休まず、その間の身の苦しさ、心を砕く様、たとへて言はん方なし。されど、貪欲勝他の心の切なる身力にて、おのづから心を養ふ方もあるにや。目もつぶれず、腰もすくまず。限りあれば、かの大施太子の如意珠たまひけむ志もかくばかりこそはとぞ見ゆる。
また、功を積みて、不思議をあらはせることを言はば、田楽、猿楽なんどの中に、刀玉といひて、危ふきわざする者あり。これを見れば、刀六つを三人して取る。宗と上手なる者をば中に立てて、前に向かへる者一人、後ろの方に一人、おのおの刀三つを持ちて、前後より「われ劣らじ」と早く投げかくるを、中にて、前より投ぐるを取りて後ろへ投げやり、後ろより投ぐるをば前ざまへ投げやる。すべて、六つの刀、なほとかくさばきやる様、凡夫のしわざとも思えず。人伝てに聞かば、信ずべくもあらぬことなり。
これは、また不思議にあらず。ひとへに功を積めるがいたすところなり。もし、功徳の為に、かく功を積み勇猛精進の心を発さんには、現身に三昧をも得つべし。うつつに仏菩薩をも見たてまつるべし。よしなきすさびには、かく心を入るれど、善根といへば、ゆるく懈怠なるなり。
中にも、阿弥陀仏の悲願は、なほざりなることかは。諸仏の捨てたまへる五逆の悪人をも、「助けん」と誓ひたまへれば、昔も今も、智あるも智なきも、貴賤、道俗、老少、男女を選ばず、往生するためし、耳に満ち、眼にさへぎれり。聞けども信ぜず、見れども貴まず、ただ、「末世のわれらが分にあらず」とのみもて離れて、あるいは宿善とも言ひ、あるいは天魔のしわざなんど言ひつつ、行者の励みと仏の願力とをば、われも信ぜず、人も退心を発さするは、いと心憂きことなり。
かく、賢く尊きかと思へば、前の世の業報定まりて、「得がたき福祐をばいかにせん」と、火水に入るごとく仏神に祈り騒ぎ、昼夜に走り求む。詮は、ただ深く無明の酒にたぶらかされて、正念を失へるなるべし。
第96話 近ごろある僧の家に大きなる橘の木ありけり
近ごろ、ある僧の家に、大きなる橘の木ありけり。実の多くなるのみにあらず、その味も心ことなりければ、主の僧また、たぐひなきものになむ思へりける。
かの家の隣に、年たかき尼一人住みけり。重病を受けて、床に臥して、日ごろ物も食はず、湯水なんども、はかばかしく呑み入れぬほどになれりけるが、この橘を見て、
「かれを食はばや」
と言ひければ、すなはち、隣へ人をやりて、
「かくなむ」
と言はせたりけれど、情なく、かたく惜しみて、一つもおこせず。
この病人のいはく、
「いとやすからず、心憂きことかな。病、すでに責めて、命、今日、明日にあり。たとひよく食ふとも、二、三にや過ぐべき。それほどのものを惜しみて、わが願ひをかなはせぬは、口惜しきわざなり。われ極楽に生れんことを願ひつれど、今にいたりては、かの橘を食み尽す虫とならんと。その憤りを遂げずは、浄土に生れることを得じ」
と言ひて死ぬ。
隣の僧このことを知らずして、日ごろ過ぎけるほどに、この橘の落ちたるを取りて、食はんとて、皮を剥きて見るに、橘の袋ごとに白き虫の五、六分ばかりなるあり。驚きて、「いづれもかかるなんめりや」と思ひて、見れば、そこらの橘、さながら同じやうになむありける。年を追ひて、かくのみありければ、
「何にかはせむ」
とて、はてにはその木を切り捨ててげり。
願力といひながら、さしも多くの虫となりけんことは、いみじき不思議なり。かれ悪事を思ふは、くだりざまのことなれば、かなひやすくははべるにこそ。
第97話 中ごろ年たかき尼のさすがに人に知られて
中ごろ、年たかき尼の、さすがに人に知られて乞食し歩くあり。
わが身のありさま、みづから語りけるは、
「もとは、四条の宮の半者、みなそことなむいひける。男の受領になりて下りける時、具して下らんといざなひければ、宮にも暇まうし、さぶらふ人々にもそのよし聞こえて、心ばかり出で立つ。おほやけにも旅の装束たまはせ、女房なんども、おのおの扇、畳紙やうのはなむけ、あまねく心ざしけり。 すでに暁とて、重ねてことのよし聞えて、里に出でつつ、迎への車を待つほどに、その日、音信もなし。あやしくて、もし、下り延びたるかと尋ぬれば、はや、この暁、下りたまひぬ。北の方の、日ごろはそら知らずして、この夜中ばかり、ただ、あらましかとこそ思ひつれ。まことには、われを置きて誰を具して行くべきぞとむつかりたまひつれば、やがて北方もろともに下りたまひぬと言ふ。悪心おこるなどはおろかなり。 人のまづ思はんことも心憂ければ、その後、宮へもまゐらず、やがてその日より清まはりして、貴布禰へ百夜まゐりしてまうしはべりしやう、われおだやかにて、人を悪しかれとまうさばこそは、かたからめ。かの人を失ひたまへ。われ命をたてまつらん。もし、なほ生けらば、乞食する身となりて、後世には無間地獄に落つる果報を受くとも、それをば憂へとせず。ただ、この憤りを助けたまへとなむ、二心なくまうしはべりし。 この男はただ面目なくなんどばかり、心苦しく思ひやりて、さほど深く思ふらんとは知らざりけり。 国に下り着きて、一月ばかりありけるほどに、かの北の方湯殿に下りたりける時、湯の気の中へ、天井の中より、襪履きたる足の一尺ばかりなるを、さし下したるが見えければ、女房に、かれは見るやと問ひけれど、こと人には見えず。かくて、驚き恐れて湯も浴みず、騒ぎ上りにけるより、やがて、重くわづらひて、ほどなく失せにけりとぞ。京には、いまだ百日に満たざりしほどに聞きて、心の内の悦び、まうし尽すべからず。 その後、とかくことたがひて、世にあるべくもなく衰へて、果てには、かく乞食をし歩きはべるなり。ともすれば罪深く恐しき夢なんど見えはべれど、さしもまうしてしことなれば、さらに恨むるにあらずなむはべる。かくいたく老いせまりて後こそ、何しに罪深く、さる悪心を発して、二世不得の身になりぬらむと思ひ返しはべれど、かひもなし」
とぞ、言ひける。
第98話 河内国より妻男あひ具して御嶽へまゐる者
河内国より、妻男あひ具して、御嶽へまゐる者ありけり。夜に入りて、詣で着きて、いと苦しく思えければ、礼堂にうち休みつつ、妻男さし並びて、あからさまに寄り臥したりけるほどに、いふかひなくまどろみにけり。
やや久しくありて、寝覚めたるに、傍らに女あり。寝ほれたる心に、もの詣でといふこと、ふつと忘れぬ。わが家にあるやうに思えて、何とも思ひ分かず、この妻を犯しつ。
やうやう目覚めゆくほどに、思ひ出づれば、金剛蔵王の御前なりけり。ともかくも、いふはかりなし。「家にありて精進なんどはじめたるほどだに、いささかも怠ることあれば、時を過ごさず、恐しきことのみあるに、かばかりの誤りをしつ。ただ今、罰を蒙らんこと、疑ひなし。こはいかがすべき」と、妻男驚き悲しぶ。
まづ、御前を出でて、河のほとりに二人行きて、よくよく水を浴みて、言ひ悲しみつつ、泣く泣くおこたりまうして出でにけり。
たぐひなきほどのことなれば、人にも語らず。心の内に、「今や、今や」と待たれつつ、月日送れど、妻も男もさらにその咎めと思ゆることなし。事故なくて、年ごろ過ぎにけり。このことは、齢二十ばかりの折にやありけん。
さて、四十余年経て後、親しき者の、
「御嶽へまゐる」
とて、あながちにけげしかりけるを、
「さしも、あるべきことかは」
など言ふほどに、おのづから言ひあがりて、
「いでや、ことごとしくものたまふものかな。翁はそのかみ、しかじかの業を、まさしく蔵王の御前にて犯したりしかど、さらにこともなくて、すでに六十に余りたり。よろづのことは、ただ言ふと言はぬとなり」
と言ふ。
これを聞く人
「今さら、あさまし」
と驚きたまへりけるほどに、かく言ひて、寝たりける夜のうちに、二つの目つぶれにけりとぞ。
これは近き世のことなり。すべて、仏神の化機かくのごとし。かつは凡夫の愚かなることをかがみたまひ、かつは懺悔のなほざりならぬにより、その咎を免したまひけるを知らず、不善の心をもて、垂跡の御かまへを軽しめたてまつり、人の信心を乱らんとしけるゆゑに、古き誤り、さらに重き科となりにけるなるべし。
第99話 中ごろ奈良に聖梵入寺、永朝僧都といふ
中ごろ、奈良に聖梵入寺、永朝僧都といふ二人の智者あり。もとは山に同じ様に学久しくして住みける。
そのころ、いみじき同志の若人ども多くて、彼らにすぐれんこともありがたく思えてげれば、二人言ひ合はせつつ、山を別れて、奈良へなむ移りける。
奈良坂に至りて、はるかに見やるに、興福寺の方には、人多く居こぞりて、いみじうにぎやかなり。東大寺の方には、人少なにて、ものさびしき様に見えければ、聖梵もとより心素直ならぬ者にて、心の中に思ふやう、「人多き所にて、思ふさまに成り出でんことは、きはめて難し。東大寺の方へこそ行くべかりけれ」と思ひて、永朝に言ふやう、
「一所にては悪しかりなむ。そなたには興福寺へいませ。われはもとより三論宗を少し学したれば、東大寺へまからん」
と言ひて、そこよりなむ、おのおの行き別れける。
この二人劣らぬ智者なれど、永朝は心うるはしき者にて、行くままに興福寺へ行きて、ほどなく進みて僧都になりぬ。聖梵は勝り顔もなかりければ、月の明かかりける夜、つくづくと身のありさまを思ひつづけて詠みける。
昔見し月の影にも似たるかなわれと共にや山を出でけん
この聖梵学生の方はいみじき聞こえありけれど、人のため腹悪しくて、さるべき経論などを人に借りても、殊なる要文ある所をば切りとり、さりげなく継ぎ寄せてなむ返しける。書き切り置きたる文のきれ、小さき唐櫃にひとはたにぞなりたりける。
かかるうたてき心を持ちたるゆゑに、智者といふとも、その験もなし。現世には司もならず、つひに二つの目抜けて、臨終にはさまざま罪深き相どもあらはれて、
「かの、あはうの」
と言ひてぞ、終はりにける。何の智恵も勤めも、心うるはしくて、その上のことなり。
さて、永朝僧都は春日の社に常にこもりけるに、神感あらたにて、夢の中に御姿見たてまつること、たびたびになりにけれども、御後ろをのみ見て、向かひて見たまふことのなかりければ、あやしく本意なく思えて、ことに信を至して祈りまうしける時、夢の中におほせられけるやう、
「なんぢ恨むる所しかるべし。ただし、いとほしくおぼしめせども、すべて、われに後世のことをまうさねば、え向かひては見ぬなり」
とおほせたまふとなむ、見たりける。
末世の機にしたがひて、仮に神とこそ現じたまへど、まことには、化度衆生の御志より発りければ、現世のことをのみ祈りまうすをば、本意なくおぼしめすなるべし。
第100話 近く前兵衛尉なる男ありけり
近く、前兵衛尉なる男ありけり。弟は検非違使になり、大夫少輔まで至りて世にあひたるを、かく数ならぬことの心憂く思えければ、年ごろ賀茂につかうまつる者にて、ことに信をいたして、うち続き日ごろ詣でつつ、泣く泣くこのことを祈りまうす間に、御殿に居したりける夜、夢に見るやう、御前にさぶらひて、うつつにも思ふことどもを、涙を流しつつ、かきくどきまうすほどに、宝殿の御戸を開きたまふ。「あな、かたじけな」と畏り恐れて、え眼をあてず。うつぶしたるに、夜のうちの、ことに明かくなるやうに思ゆるを、あやしくて、きと見上げたれば、社の内、阿弥陀如来、あきらかに現じたまへり。その御光の十方に輝けるなり。いと貴く、めでたく思えて、涙を流しつつ、拝みたてまつると思ふほどに、夢覚めぬ。
その後、つくづくとこのことを思ふに、「わがまうすことを、きこしめし入れぬことを思ひてこそ口惜しかりつれ、かくあらはれて見たまふにては、もし、この生のことは、前の世の業報にて、神も力及びたまはぬか。また、今生はおぼしめすがごとくして、本地のおはします方をあらはしたまへるは、御はからひ浅からぬことなめり」と頼もしく思えけるより、さるべきにやありけん、心発して、やがて、頭おろしてけり。
その後、現世のことの、「夢幻の栄えなりけり」と思ひ知られて、ことにふれつつ、「これぞ、まことにすぐれたる神徳なりけり」と、かの夢の中の御有様の心にかかりて、めでたく頼もしく思えければ、寝ても覚めても、念仏ひまなくまうして、明かし暮らしけるほどに、二、三日わづらひて、いたくも悩まず、臨終正念にて、願ひのごとく、念仏たかくまうして終はりにけり。
まことに、浮雲のとてもかくてもありぬべし。これもかの桓舜僧都のたぐひにこそ。世の思ふやうならぬより、得脱すべき縁のありけるにこそ。
第101話 ある聖船に乗りて近江の湖を過ぎけるほどに
ある聖船に乗りて、近江の湖を過ぎけるほどに、網船に大きなる鯉を捕りて、持て行きけるが、いまだ生きてふためきけるを、あはれみて、着たりける小袖を脱ぎて、買ひとりて放ちけり。
「いみじき功徳作りつ」と思ふほどに、その夜の夢に、白狩衣着たる翁一人われを尋ねて来たり。いみじう恨みたる気色なるを、あやしくて、問ひければ、
「われは昼、網に引かれて、命終はらんとしつる鯉なり。聖の御しわざの口惜しくはべれば、そのことまうさむとてなり」
と言ふ。聖言ふやう、
「このことこそ心得ね。悦びこそ言はるべきに、あまさへ、恨みらるらむ、いと当らぬことなり」
と言ふ。翁いはく、
「しかはべり。されど、われ鱗の身を受けて、得脱の期を知らず。この湖の底にて、多くの年を積めり。しかるを、たまたま賀茂の供祭になりて、それを縁として、苦患をまぬかれなんとつかまつりつるを、さかしきことをしたまひて、また畜生の業を延べたまへるなり」
と言ふとなむ、見たりける。
第102話 中ごろのことにや山より下りける僧ありけり
中ごろのことにや、山より下りける僧ありけり。糺の前の河原を過ぐるに、幼き童部三人おのおのいみじく争ひ論ずることあり。
この僧立ちとどまりて、そのゆゑを問ふ。童の言ふやう、
「ここに、おぼつかなきことはべり。神の御前にて、まづ人の読みたまふ経の名をさまざまにまうして、われこそよく言へと、かたみに論じはべるなり」
と言ふ。
「をかし」と思ひて、一人づつこれを問へば、一人は
「真経」
と言ひ、一人は
「深経」
と言ひ、一人は
「神経」
と言ふ。僧うち笑ひ、
「これは、みな僻事ぞ。心経とこそ言へ」
と言へば、言ひやみて、みな去りぬ。
かくて、一町ばかり行くほどに、河原中に、にはかにまぐれて倒れぬ。夢のごとくして、臥したるほどに、やむごとなき人枕に来たりてのたまふやう、
「なんぢがしわざ、心得ず。これ幼き者の言ふこと、みなそのいはれあり。真経と言ふ、僻事にあらず。実の法なれば。深経といふ、また僻事にあらず。いはれ深きことはりなれば。神経といふもたがはず。神明のことにめでたまふ経なれば。このことをやや久しく論じつれば、とにもかくにもめでたく聞きつるを、なんぢが事をきしるゆゑに、言ひ止みて去りぬ。口惜しければ、そのこと示さんとてなり」
とおほせらるると見て、汗うち流れ、あへてことなくなむ起きたりける。
神の法にめでたまふ御志、深げにあはれなることなり。

