『源氏物語』第4帖「夕顔」原文全文を読む|読みやすいふりがな付き

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第4帖「夕顔」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第4帖「夕顔」現代語訳全文をご覧ください。

目次

六条わたりの御忍び歩きのころ

 六条ろくでうわたりの御忍おほんしのありきのころ、内裏うちよりまかでたまふ中宿なかやどりに、大弐だいに乳母めのとのいたくわづらひてあまになりにける、とぶらはむとて、五条ごでうなるいへたづねておはしたり。

 御車みくるまるべきかどしたりければ、ひとして惟光これみつさせて、たせたまひけるほど、むつかしげなる大路おほぢのさまをわたしたまへるに、このいへのかたはらに、桧垣ひがきといふものあたらしうして、かみ半蔀はじとみ四五間しごけんばかりげわたして、すだれなどもいとしろすずしげなるに、をかしきひたひつきの透影すきかげ、あまたえてのぞく。ちさまよふらむしもかたおもひやるに、あながちに丈高たけたか心地ここちぞする。いかなるものつどへるならむと、やうかはりておぼさる。

 御車みくるまもいたくやつしたまへり、前駆さきはせたまはず、れとからむとうちとけたまひて、すこしさしのぞきたまへれば、かどしとみのやうなる、げたる、見入みいれのほどなく、ものはかなきまひを、あはれに、「何処いづこかさして」とおもほしなせば、たまうてなおなじことなり。

 切懸きりかけだつものに、いとあをやかなるかづら心地ここちよげにひかかれるに、しろはなぞ、おのれひとりみの眉開まゆひらけたる。

遠方人おちかたびとにものまうす」

 とひとりごちたまふを、御隋身みずいじんついゐて、

「かのしろけるをなむ、夕顔ゆふがほまうしはべる。はなひとめきて、かうあやしき垣根かきねになむきはべりける」

 とまうす。

 げにいと小家こいへがちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬのきのつまなどにひまつはれたるを、

口惜くちをしのはなちぎりや。一房ひとふさりてまゐれ」

 とのたまへば、このげたるかどりてる。

 さすがに、されたる遣戸口やりどぐちに、なる生絹すずし単袴ひとへばかまながなしたるわらはの、をかしげなるて、うちまねく。しろあふぎのいたうこがしたるを、

「これにきてまゐらせよ。えだなさけなげなめるはなを」

 とてらせたれば、門開かどあけて惟光朝臣これみつのあそんたるして、たてまつらす。

かぎきまどはしはべりて、いと不便ふびんなるわざなりや。もののあやめたまへくべきひともはべらぬわたりなれど、らうがはしき大路おほぢちおはしまして」

 とかしこまりまうす。

 れて、りたまふ。惟光これみつあに阿闍梨あざり婿むこ三河守みかはのかみむすめなど、わたつどひたるほどに、かくおはしましたるよろこびを、またなきことにかしこまる。

 尼君あまぎみがりて、

しげなきなれど、てがたくおもうたまへつることは、ただ、かく御前おまへにさぶらひ、御覧ごらんぜらるることのかはりはべりなむことを口惜くちをしくおもひたまへ、たゆたひしかど、むことのしるしによみがへりてなむ、かくわたりおはしますを、たまへはべりぬれば、いまなむ阿弥陀仏あみだぶつ御光おほんひかりも、心清こころきよたれはべるべき」

 などこえて、よわげにく。

ごろ、おこたりがたくものせらるるを、やすからずなげきわたりつるに、かく、はなるるさまにものしたまへば、いとあはれに口惜くちをしうなむ。いのちながくて、なほくらゐたかくなどなしたまへ。さてこそ、九品ここのしなかみにも、さはりなくまれたまはめ。このにすこしうらのこるは、ろきわざとなむく」

 など、なみだぐみてのたまふ。

 かたほなるをだに、乳母めのとやうのおもふべきひとは、あさましうまほになすものを、まして、いと面立おもだたしう、なづさひつかうまつりけむも、いたはしうかたじけなくおもほゆべかめれば、すずろになみだがちなり。どもは、いと見苦みぐるしとおもひて、「そむきぬるりがたきやうに、みづからひそみ御覧ごらんぜられたまふ」と、つきしろひくはす。

 きみは、いとあはれとおもほして、

「いはけなかりけるほどに、おもふべきひとびとのうちててものしたまひにけるなごり、はぐくひとあまたあるやうなりしかど、したしくおもむつぶるすぢは、またなくなむおもほえし。ひととなりてのちは、かぎりあれば、朝夕あさゆふにしもえたてまつらず、こころのままにとぶらひまうづることはなけれど、なほひさしう対面たいめんせぬときは、心細こころぼそくおぼゆるを、さらぬわかれはなくもがな」

 となむ、こまやかにかたらひたまひて、おしのごひたまへるそでのにほひも、いと所狭ところせきまでかをちたるに、げに、よにおもへば、おしなべたらぬひと御宿世みすくせぞかしと、尼君あまぎみをもどかしとつるども、みなうちしほたれけり。

修法すほふなど、またまたはじむべきことなどおきてのたまはせて、でたまふとて、惟光これみつ紙燭しそくして、ありつるあふぎ御覧ごらんずれば、もてらしたるうつ、いとふかうなつかしくて、をかしうすさみきたり。「

こころあてにそれかとぞ白露しらつゆひかりそへたる夕顔ゆふがほはな

 そこはかとなくまぎらはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いとおもひのほかに、をかしうおぼえたまふ。

 惟光これみつに、

「この西にしなるいへ何人なにびとむぞ。きたりや」

 とのたまへば、れいのうるさき御心みこころとはおもへども、えさはまうさで、

「この六日ろくにちここにはべれど、病者ばうざのことをおもうたまへあつかひはべるほどに、となりのことはえきはべらず」

 など、はしたなやかにこゆれば、

にくしとこそおもひたれな。されど、このあふぎの、たづぬべきゆゑありてゆるを。なほ、このわたりのこころれらむものしてへ」

 とのたまへば、りて、この宿守やどもりなるをのこびてく。

揚名介やうめいのすけなるひといへになむはべりける。をとこ田舎ゐなかにまかりて、なむわかことこのみて、はらからなど宮仕人みやづかへびとにて来通きかよふ、とまうす。くはしきことは、下人しもびとのえりはべらぬにやあらむ」とこゆ。「

さらば、その宮仕人みやづかへびとななり。したりがほにものれてへるかな」と、「めざましかるべききはにやあらむ」とおぼせど、さしてこえかかれるこころの、にくからずぐしがたきぞ、れいの、このかたにはおもからぬ御心みこころなめるかし。御畳紙おほんたたうがみにいたうあらぬさまにへたまひて、「

りてこそそれかともめたそかれにほのぼのつるはな夕顔ゆふがほ

 ありつる御随身みずいじんしてつかはす。

 まだおほんさまなりけれど、いとしるくおもひあてられたまへる御側目おほんそばめ見過みすぐさで、さしおどろかしけるを、いらへたまはでほどければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、

「いかにこえむ」

 などひしろふべかめれど、めざましとおもひて、随身ずいじんまゐりぬ。御前駆おほんさき松明まつほのかにて、いとしのびてでたまふ。半蔀はじとみろしてけり。隙々ひまひまよりゆるひかりほたるよりけにほのかにあはれなり。

 御心みこころざしのところには、木立こだち前栽せんざいなど、なべてのところず、いとのどかにこころにくくみなしたまへり。うちとけぬおほんありさまなどの、気色けしきことなるに、ありつる垣根かきねおもほしでらるべくもあらずかし。翌朝つとめて、すこし寝過ねすぐしたまひて、さしづるほどにでたまふ。朝明あさけ姿すがたは、げにひとのめできこえむも、ことわりなるおほんさまなりけり。

 今日けふもこのしとみまへわたりしたまふ。かたぎたまひけむわたりなれど、ただはかなきひとふしに御心みこころとまりて、「いかなるひとならむ」とは、御目おほんめとまりたまひけり。

惟光、日頃ありて参れり

 惟光これみつ日頃ひごろありてまゐれり。

「わづらひはべるひと、なほよわげにはべれば、とかくたまへあつかひてなむ」

 など、こえて、ちかまゐりてこゆ。

おほせられしのちなむ、となりのことりてはべるものびてはせはべりしかど、はかばかしくもまうしはべらず。いとしのびて、五月さつきのころほひよりものしたまふひとなむあるべけれど、そのひととは、さらにいへうちひとにだにらせず

となむまうす。

時々ときどき中垣なかがきのかいましはべるに、げにわかをんなどもの透影すきかげえはべり。しびらだつもの、かことばかりきかけて、かしづくひとはべるなめり。

昨日きのふ夕日ゆふひのなごりなくさしりてはべりしに、ふみくとてゐてはべりしひとの、かほこそいとよくはべりしか。ものおもへるけはひして、あるひとびともしのびてうちくさまなどなむ、しるくえはべる」

 とこゆ。きみうちみたまひて、「らばや」とおもほしたり。

 おぼえこそおもかるべき御身おほんみのほどなれど、おほんよはひのほど、ひとのなびきめできこえたるさまなどおもふには、きたまはざらむも、なさけなくさうざうしかるべしかし、ひとのうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、このましうおぼゆるものを、とおもひをり。

「もし、たまへることもやはべると、はかなきついでつくでて、消息せうそこなどつかはしたりき。れたるして、くちとくかへごとなどしはべりき。いと口惜くちをしうはあらぬ若人わかうどどもなむはべるめる」

 とこゆれば、

「なほれ。たづらでは、さうざうしかりなむ」

 とのたまふ。かの、しもしもと、ひとおもてしまひなれど、そのなかにも、おもひのほかに口惜くちをしからぬをつけたらばと、めづらしくおもほすなりけり。

さて、かの空蝉のあさましく

 さて、かの空蝉うつせみのあさましくつれなきを、このひとにはたがひておぼすに、おいらかならましかば、心苦こころぐるしきあやまちにてもやみぬべきを、いとねたく、けてやみなむを、こころにかからぬをりなし。かやうの並々なみなみまではおもほしかからざりつるを、ありし「雨夜あまよ品定しなさだめ」ののち、いぶかしくおもほしなる品々しなじなあるに、いとどくまなくなりぬる御心みこころなめりかし。

 うらもなくちきこえがほなるかた方人かたびとを、あはれとおぼさぬにしもあらねど、つれなくてきゐたらむことのづかしければ、「まづ、こなたのこころ見果みはてて」とおぼすほどに、伊予介いよのすけのぼりぬ。

 まづいそまゐれり。舟路ふなみちのしわざとて、すこしくろみやつれたる旅姿たびすがた、いとふつつかにこころづきなし。されど、ひともいやしからぬすぢに、容貌かたちなどねびたれど、きよげにて、ただならず、気色けしきよしづきてなどぞありける。

 くに物語ものがたりなどまうすに、「湯桁ゆげたはいくつ」と、はまほしくおぼせど、あいなくまばゆくて、御心みこころのうちにおぼづることもさまざまなり。「ものまめやかなる大人おとなを、かくおもふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなりや。げに、これぞ、なのめならぬかたはなべかりける」と、馬頭むまのかみいさおぼでて、いとほしきに、「つれなきこころはねたけれど、ひとのためは、あはれ」とおぼしなさる。「

むすめをばさるべきひとあづけて、きたかたをばくだりぬべし」と、きたまふに、ひとかたならずこころあわたたしくて、「今一度いまひとたびはえあるまじきことにや」と、小君こぎみかたらひたまへど、ひとこころあはせたらむことにてだに、かろらかにえしもまぎれたまふまじきを、まして、げなきことにおもひて、いまさらに見苦みぐるしかるべし、とおもはなれたり。

 さすがに、えておもほしわすれなむことも、いとふかひなく、かるべきことにおもひて、さるべき折々をりをり御答おほんいらへなど、なつかしくこえつつ、なげのふでづかひにつけたること、あやしくらうたげに、とまるべきふしくはへなどして、あはれとおぼしぬべきひとのけはひなれば、つれなくねたきものの、わすれがたきにおぼす。

 いま一方ひとかたは、しうつよくなるとも、かはらずうちとけぬべくえしさまなるをたのみて、とかくきたまへど、御心みこころうごかずぞありける。

秋にもなりぬ

 あきにもなりぬ。ひとやりならず、こころづくしにおぼみだるることどもありて、大殿おほとのには、きつつ、うらめしくのみおもこえたまへり。

 六条ろくでうわたりにも、とけがたかりし御気色みけしきをおもむけこえたまひてのち、ひきかへし、なのめならむはいとほしかし。されど、よそなりし御心みこころまどひのやうに、あながちなることはなきも、いかなることにかとえたり。をんなは、いとものをあまりなるまで、おぼししめたる御心みこころざまにて、よはひのほどもげなく、ひとかむに、いとどかくつらき御夜おほんよがれの寝覚ねざ寝覚ねざめ、おぼししをるること、いとさまざまなり。

 きりのいとふかあした、いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色けしきに、うちなげきつつでたまふを、中将ちうじゃうのおもと、御格子みかうし一間ひとまげて、たてまつりおくりたまへ、とおぼしく、御几帳みきちゃうきやりたれば、御頭みぐしもたげて見出みいだしたまへり。前栽せんざい色々いろいろみだれたるを、ぎがてにやすらひたまへるさま、げにたぐひなし。

 らうかたへおはするに、中将ちうじゃうきみ御供おほんともまゐる。紫苑色しをんいろをりにあひたる、うすものあざやかにひたるこしつき、たをやかになまめきたり。

見返みかへりたまひて、すみ高欄かうらんに、しばし、ひきゑたまへり。うちとけたらぬもてなし、かみがりば、めざましくも、とたまふ。「

はなうつるてふはつつめどもらで今朝けさ朝顔あさがほ

いかがすべき」

とて、をとらへたまへれば、いとれてとく、「

朝霧あさぎりたぬ気色けしきにてはなこころめぬとぞる」

 と、おほやけごとにぞこえなす。

 をかしげなる侍童さぶらひわらはの、姿すがたこのましう、ことさらめきたる、指貫さしぬきすそつゆけげに、はななかまじりて、朝顔あさがほりてまゐるほどなど、かまほしげなり。

 大方おほかたに、うちたてまつるひとだに、こころとめたてまつらぬはなし。ものなさらぬやまがつも、はなかげには、なほやすらはまほしきにや、この御光おほんひかりたてまつるあたりは、ほどほどにつけて、がかなしとおもむすめを、つかうまつらせばやとねがひ、もしは、口惜くちをしからずとおもいもうとなどたるひとは、いやしきにても、なほ、このおほんあたりにさぶらはせむと、おもらぬはなかりけり。まして、さりぬべきついでの御言おほんことも、なつかしき御気色みけしきたてまつるひとの、すこしものこころおもるは、いかがはおろかにおもひきこえむ。れうちとけてしもおはせぬを、こころもとなきことにおもふべかめり。

まことや、かの惟光が預かりのかいま見

 まことや、かの惟光これみつあづかりのかいまは、いとよく案内あないとりてまうす。

「そのひととは、さらにえおもひえはべらず。ひとにいみじくかくしのぶる気色けしきになむえはべるを、つれづれなるままに、みなみ半蔀はじとみある長屋ながやにわたりつつ、くるまおとすれば、わかものどもののぞきなどすべかめるに、このしうとおぼしきも、はひわたるときはべかめる。容貌かたちなむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる。一日ひとひ前駆さきひてわたくるまのはべりしを、のぞきて、童女わらはべいそぎて、右近うこんきみこそ、まづ物見ものみたまへ。中将殿ちうじゃうどのこそ、これよりわたりたまひぬれとへば、また、よろしき大人おとなて、あなかまと、かくものから、いかでさはるぞ、いで、むとて、はひわたる。打橋うちはしだつものをみちにてなむかよひはべる。いそるものは、きぬすそものきかけて、よろぼひたふれて、はしよりもちぬべければ、いで、この葛城かづらきかみこそ、さがしうしおきたれと、むつかりて、物覗もののぞきのこころめぬめりき。きみは、御直衣おほんなほし姿すがたにて、御随身みずいじんどももありし。なにがし、くれがしとかずへしは、頭中将とうのちうじゃう随身ずいじん、その小舎人童こどねりわらはをなむ、しるしにひはべりし」

 などこゆれば、

「たしかにそのくるまをぞまし」

 とのたまひて、「もし、かのあはれにわすれざりしひとにや」と、おもほしよるも、いとらまほしげなる御気色みけしきて、「わたくし懸想けさうもいとよくしおきて、

案内あないのこるところなくたまへおきながら、ただ、れどちとらせて、ものなどわかきおもとのはべるを、そらおぼれしてなむ、かくれまかりありく。いとよくかくしたりとおもひて、ちひさきどもなどのはべるが言誤ことあやまりしつべきも、まぎらはして、またひとなきさまをひてつくりはべる」

 など、かたりてわらふ。

尼君あまぎみとぶらひにものせむついでに、かいませさせよ」

 とのたまひけり。

 かりにても、宿やどれるすまひのほどをおもふに、「これこそ、かのひとさだめ、あなづりししもしなならめ。そのなかに、おもひのほかにをかしきこともあらば」など、おぼすなりけり。

 惟光これみつ、いささかのことも御心みこころたがはじとおもふに、おのれもくまなきごころにて、いみじくたばかりまどひありきつつ、しひておはしまさせめてけり。このほどのこと、くだくだしければ、れいのもらしつ。

 をんな、さしてそのひとたづでたまはねば、われのりをしたまはで、いとわりなくやつれたまひつつ、れいならずちありきたまふは、おろかにおぼされぬなるべし、とれば、むまをばたてまつりて、御供おほんともはしりありく。

懸想人けさうびとのいとものげなきあしもとを、つけられてはべらむとき、からくもあるべきかな」

 とわぶれど、ひとらせたまはぬままに、かの夕顔ゆふがほのしるべせし随身ずいじんばかり、さては、かほむげにるまじき童一人わらはひとりばかりぞ、ておはしける。「もしおもひよる気色けしきもや」とて、となり中宿なかやどりをだにしたまはず。

 をんなも、いとあやしく心得こころえ心地ここちのみして、御使おほんつかひひとへ、あかつきみちをうかがはせ、御在処おほんありかせむとたづぬれど、そこはかとなくまどはしつつ、さすがに、あはれにではえあるまじく、このひと御心みこころにかかりたれば、便びんなく軽々かろがろしきことと、おもほしかへしわびつつ、いとしばしばおはします。

 かかるすぢは、まめびとみだるるをりもあるを、いとめやすくしづめたまひて、ひとのとがめきこゆべきひはしたまはざりつるを、あやしきまで、今朝けさのほど、昼間ひるまへだても、おぼつかなくなど、おもひわづらはれたまへば、かつは、いとものぐるほしく、さまでこころとどむべきことのさまにもあらずと、いみじくおもひさましたまふに、ひとのけはひ、いとあさましくやはらかにおほどきて、ものふかおもかたはおくれて、ひたぶるにわかびたるものから、をまだらぬにもあらず。いとやむごとなきにはあるまじ、いづくにいとかうしもとまるこころぞ、とかへがへおぼす。

 いとことさらめきて、御装束おほんさうぞくをもやつれたるかり御衣おほんぞをたてまつり、さまをへ、かほをもほのせたまはず、夜深よぶかきほどに、ひとをしづめてりなどしたまへば、むかしありけむものの変化へんげめきて、うたておもなげかるれど、ひとおほんけはひ、はた、さぐりもしるべきわざなりければ、「ればかりにかはあらむ。なほこのもののしでつるわざなめり」と、大夫たいふうたがひながら、せめてつれなくらずがほにて、かけておもひよらぬさまに、たゆまずあざれありけば、いかなることにかと心得こころえがたく、女方をんながたもあやしうやうたがひたるものおもひをなむしける。

君も、かくうらなくたゆめて

 きみも、「かくうらなくたゆめてはひかくれなば、いづこをはかりとか、われたづねむ。かりそめのかくと、はたゆめれば、いづかたにもいづかたにも、うつろひゆかむを、いつともらじ」とおぼすに、ひまどはして、なのめにおもひなしつべくは、ただかばかりのすさびにてもぎぬべきことを、さらにさてぐしてむとおぼされず。

 人目ひとめおぼして、へだておきたまふななどは、いとしのびがたく、くるしきまでおぼえたまへば、「なほれとなくて二条院にでうのゐんむかへてむ。もしこえありて便びんなかるべきことなりとも、さるべきにこそは。こころながら、いとかくひとにしむことはなきを、いかなるちぎりにかはありけむ」などおもほしよる。

「いざ、いと心安こころやすところにて、のどかにこえむ」

 など、かたらひたまへば、

「なほ、あやしう。かくのたまへど、づかぬおほんもてなしなれば、ものおそろしくこそあれ」

 と、いとわかびてへば、「げに」と、ほほまれたまひて、

「げに、いづれかきつねなるらむな。ただはかられたまへかし」

 と、なつかしげにのたまへば、をんなもいみじくなびきて、さもありぬべくおもひたり。「になく、かたはなることなりとも、ひたぶるにしたがこころは、いとあはれげなるひと」とたまふに、なほ、かの頭中将とうのちうじゃう常夏とこなつうたがはしく、かたりしこころざま、まづおもでられたまへど、「しのぶるやうこそは」と、あながちにもでたまはず。気色けしきばみて、ふとそむかくるべきこころざまなどはなければ、「かれがれにとだえかむをりこそは、さやうにおもかはることもあらめ、こころながらも、すこしうつろふことあらむこそあはれなるべけれ」とさへ、おぼしけり。

 八月はちがち十五夜じふごやくまなき月影つきかげひまおほかる板屋いたやのこりなくて、見慣みならひたまはぬまひのさまもめづらしきに、あかつきちかくなりにけるなるべし、となり家々いへいへ、あやしきしづ声々こゑごゑ目覚めさまして、

「あはれ、いとさむしや」

今年ことしこそ、なりはひにもたのむところすくなく、田舎ゐなかかよひもおもひかけねば、いと心細こころぼそけれ。北殿きたどのこそ、きたまふや」

 など、はすもこゆ。いとあはれなるおのがじしのいとなみにでて、そそめきさわぐもほどなきを、をんないとづかしくおもひたり。えんだち気色けしきばまむひとは、えもりぬべきまひのさまなめりかし。されど、のどかに、つらきもきもかたはらいたきことも、おもれたるさまならで、がもてなしありさまは、いとあてはかにこめかしくて、またなくらうがはしきとなり用意よういなさを、いかなることともりたるさまならねば、なかなか、ぢかかやかむよりは、つみゆるされてぞえける。

 ごほごほとかみよりもおどろおどろしく、とどろかす唐臼からうすおと枕上まくらがみとおぼゆる。「あな、みみかしかまし」と、これにぞおぼさるる。なにひびきともれたまはず、いとあやしうめざましきおとなひとのみきたまふ。くだくだしきことのみおほかり。白妙しろたへころもうつきぬたおとも、かすかにこなたかなたきわたされ、空飛そらとかりこゑあつめて、しのびがたきことおほかり。

 端近はしぢか御座所おましどころなりければ、遣戸やりどけて、もろともに見出みいだしたまふ。ほどなきにはに、されたる呉竹くれたけ前栽せんざいつゆは、なほかかるところおなじごときらめきたり。むし声々こゑごゑみだりがはしく、かべのなかの蟋蟀きりぎりすだに間遠まどほらひたまへる御耳おほんみみに、さしてたるやうにみだるるを、なかなかさまかへておぼさるるも、御心みこころざしひとつのあさからぬに、よろづのつみゆるさるるなめりかし。

 しろあはせ薄色うすいろのなよよかなるをかさねて、はなやかならぬ姿すがた、いとらうたげにあえかなる心地ここちして、そことててすぐれたることもなけれど、ほそやかにたをたをとして、ものうちひたるけはひ、「あな、心苦こころぐるし」と、ただいとらうたくゆ。こころばみたるかたをすこしへたらば、とたまひながら、なほうちとけてまほしくおぼさるれば、

「いざ、ただこのわたりちかところに、心安こころやすくてかさむ。かくてのみは、いとくるしかりけり」

 とのたまへば、

「いかでか。にはかならむ」

 と、いとおいらかにひてゐたり。こののみならぬちぎりなどまでたのめたまふに、うちとくるこころばへなど、あやしくやうはりて、世馴よなれたるひとともおぼえねば、ひとおもはむところもえはばかりたまはで、右近うこんでて、随身ずいじんさせたまひて、御車みくるまれさせたまふ。このあるひとびとも、かかる御心みこころざしのおろかならぬを見知みしれば、おぼめかしながら、たのみかけきこえたり。

 がたちかうなりにけり。とりこゑなどはこえで、御嶽精進みたけさうじにやあらむ、ただおきなびたるこゑにぬかづくぞこゆる。のけはひ、へがたげにおこなふ。いとあはれに、「あしたつゆことならぬを、なにむさぼいのりにか」と、きたまふ。

南無当来導師なんたうらいだうし

 とぞおがむなる。

「かれ、きたまへ。このとのみはおもはざりけり」

と、あはれがりたまひて、「

優婆塞うばそくおこなみちをしるべにてふかちぎたがふな」

長生殿ちゃうせいでんふるためしはゆゆしくて、はねかはさむとはきかへて、弥勒みろくをかねたまふ。さき御頼おほんたのめ、いとこちたし。「

さきちぎらるるさにすゑかねてたのみがたさよ」

 かやうのすぢなども、さるは、こころもとなかめり。

いさよふ月に

 いさよふつきに、ゆくりなくあくがれむことを、をんなおもひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかに雲隠くもがくれて、そらいとをかし。はしたなきほどにならぬさきにと、れいいそでたまひて、かろらかにうちせたまへれば、右近うこんりぬる。そのわたりちかきなにがしのゐんにおはしましきて、あづかづるほど、れたるかどしのくさしげりて見上みあげられたる、たとしへなく木暗こぐらし。きりふかく、つゆけきに、すだれをさへげたまへれば、御袖おほんそでもいたくれにけり。

「まだかやうなることをらはざりつるを、心尽こころづくしなることにもありけるかな。

いにしへもかくやはひとまどひけむがまだらぬしののめのみち

らひたまへりや」

とのたまふ。をんなぢらひて、「

やまこころらでつきはうはのそらにてかげえなむ

心細こころぼそく」

 とて、ものおそろしうすごげにおもひたれば、「かのさしつどひたるまひのらひならむ」と、をかしくおぼす。

 御車みくるまれさせて、西にしたい御座おましなどよそふほど、高欄かうらん御車みくるまひきかけてちたまへり。右近うこんえんなる心地ここちして、かたのことなども、ひとれずおもでけり。あづかりいみじく経営けいめいしありく気色けしきに、このおほんありさまりはてぬ。

 ほのぼのと物見ものみゆるほどに、りたまひぬめり。かりそめなれど、きよげにしつらひたり。

御供おほんともひともさぶらはざりけり。不便ふびんなるわざかな」

 とて、むつましき下家司しもげいしにて、殿とのにもつかうまつるものなりければ、まゐりよりて、

「さるべきひとすべきにや」

 など、まうさすれど、

「ことさらにひとまじきかくもとめたるなり。さらにこころよりほかにらすな」

 とくちがためさせたまふ。御粥おほんかゆなどいそまゐらせたれど、おほんまかなひうちはず。まだらぬことなる御旅寝おほんたびねに、「息長川おきながかは」とちぎりたまふことよりほかのことなし。

 たくるほどにきたまひて、格子かうしづからげたまふ。いといたくれて、人目ひとめもなくはるばると見渡みわたされて、木立こだちいとうとましくものふりたり。けぢか草木くさきなどは、ことに見所みどころなく、みなあきらにて、いけ水草みくさうづもれたれば、いとけうとげになりにけるところかな。別納べちなふかたにぞ、曹司ざうしなどして、ひとむべかめれど、こなたははなれたり。

「けうとくもなりにけるところかな。さりとも、おになどもわれをば見許みゆるしてむ」

とのたまふ。かほはなほかくしたまへれど、をんなのいとつらしとおもへれば、「げに、かばかりにてへだてあらむも、ことのさまにたがひたり」とおぼして、「

夕露ゆふつゆひもとくはな玉鉾たまぼこのたよりにえしにこそありけれ

つゆひかりやいかに」

とのたまへば、後目しりめおこせて、「

ひかりありと夕顔ゆふがほのうはつゆはたそかれどきのそらなりけり」

 とほのかにふ。をかしとおぼしなす。げに、うちとけたまへるさま、になく、ところから、まいてゆゆしきまでえたまふ。

きせずへだてたまへるつらさに、あらはさじとおもひつるものを。いまだにのりしたまへ。いとむくつけし」

 とのたまへど、

海人あまなれば」

 とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり。

「よし、これもわれからなめり」

 と、うらみかつはかたらひ、らしたまふ。

 惟光これみつたづねきこえて、おほんくだものなどまゐらす。右近うこんはむこと、さすがにいとほしければ、ちかくもえさぶらひらず。「かくまでたどりありきたまふ、をかしう、さもありぬべきありさまにこそは」とはかるにも、「がいとよくおもりぬべかりしことを、ゆづりきこえて、こころひろさよ」など、めざましうおもひをる。

 たとしへなくしづかなるゆふべのそらながめたまひて、おくかたくらうものむつかしと、をんなおもひたれば、はしすだれげて、したまへり。夕映ゆふばえを見交みかはして、をんなも、かかるありさまを、おもひのほかにあやしき心地ここちはしながら、よろづのなげわすれて、すこしうちとけゆく気色けしき、いとらうたし。つとおほんかたはらにらして、ものをいとおそろしとおもひたるさま、わか心苦こころぐるし。格子かうしとくろしたまひて、大殿油おほとなぶらまゐらせて、

名残なごりなくなりにたるおほんありさまにて、なほこころのうちのへだのこしたまへるなむつらき」

 と、うらみたまふ。

内裏うちに、いかにもとめさせたまふらむを、いづこにたづぬらむ」と、おぼしやりて、かつは、「あやしのこころや。六条ろくでうわたりにも、いかにおもみだれたまふらむ。うらみられむに、くるしう、ことわりなり」と、いとほしきすぢは、まづおもひきこえたまふ。何心なにごころもなきさしむかひを、あはれとおぼすままに、「あまり心深こころふかく、ひとくるしきおほんありさまを、すこしてばや」と、おもくらべられたまひける。

宵過ぐるほど

 宵過よひすぐるほど、すこし寝入ねいりたまへるに、御枕上おほんまくらがみに、いとをかしげなるをんなゐて、

おのがいとめでたしとたてまつるをば、たづおもほさで、かく、ことなることなきひとておはして、ときめかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」

 とて、このおほんかたはらのひとをかきこさむとす、とたまふ。ものおそはるる心地ここちして、おどろきたまへれば、えにけり。うたておぼさるれば、太刀たちきて、うちきたまひて、右近うこんこしたまふ。これもおそろしとおもひたるさまにて、まゐれり。

渡殿わたどのなる宿直人とのゐびとこして、紙燭しそくさしてまゐれとへ」

 とのたまへば、

「いかでかまからむ。くらうて」

 とへば、

「あな、若々わかわかし」

 と、うちわらひたまひて、をたたきたまへば、山彦やまびここたふるこゑ、いとうとまし。ひときつけでまゐらぬに、この女君をんなぎみ、いみじくわななきまどひて、いかさまにせむとおもへり。あせもしとどになりて、われかの気色けしきなり。

物怖ものおぢをなむわりなくせさせたまふ本性ほんじゃうにて、いかにおぼさるるにか」

 と、右近うこんこゆ。「いとかよわくて、ひるそらをのみつるものを、いとほし」とおぼして、

われひとこさむ。たたけば、山彦やまびここたふる、いとうるさし。ここに、しばし、ちかく」

 とて、右近うこんせたまひて、西にし妻戸つまどでて、けたまへれば、渡殿わたどのえにけり。

 かぜすこしうちきたるに、ひとすくなくて、さぶらふかぎりみなたり。このゐんあづかりの、むつましく使つかひたまふわかをのこ、また上童うへわらは一人ひとりれい随身ずいじんばかりぞありける。せば、御答おほんこたへしてきたれば、

紙燭しそくさしてまゐれ。随身ずいじんも、弦打つるうちして、えずこわづくれとおほせよ。ひとはなれたるところに、こころとけてぬるものか。惟光朝臣これみつのあそんたりつらむは」

 と、はせたまへば、

「さぶらひつれど、おほごともなし。あかつき御迎おほんむかへにまゐるべきよしまうしてなむ、まかではべりぬる」

 とこゆ。この、かうまうものは、滝口たきぐちなりければ、弓弦ゆづるいとつきづきしくうちらして、

あやふし」

 とふ、あづかりが曹司ざうしかたぬなり。内裏うちおぼしやりて、「名対面なだいめんぎぬらむ、滝口たきぐち宿直とのゐまうし、いまこそ」と、はかりたまふは、まだ、いたうけぬにこそは。

 かへりて、さぐりたまへば、女君をんなぎみはさながらして、右近うこんはかたはらにうつぶししたり。

「こはなぞ。あな、ものぐるほしの物怖ものおぢや。れたるところは、きつねなどやうのものの、ひとおびやかさむとて、けおそろしうおもはするならむ。まろあれば、さやうのものにはおどされじ」

 とて、こしたまふ。

「いとうたて、みだ心地ごこちしうはべれば、うつぶししてはべるや。御前おまへにこそわりなくおぼさるらめ」

 とへば、

「そよ。などかうは」

 とて、かいさぐりたまふに、いきもせず。うごかしたまへど、なよなよとして、われにもあらぬさまなれば、「いといたくわかびたるひとにて、ものにけどられぬるなめり」と、せむかたなき心地ここちしたまふ。

 紙燭しそくまゐれり。右近うこんうごくべきさまにもあらねば、ちか御几帳みきちゃうせて、

「なほまゐれ」

 とのたまふ。れいならぬことにて、御前おまへちかくもえまゐらぬ、つつましさに、長押なげしにもえのぼらず。

「なほや、ところしたがひてこそ」

 とて、せてたまへば、ただこの枕上まくらがみに、ゆめえつる容貌かたちしたるをんな面影おもかげえて、ふとせぬ。「むかし物語ものがたりなどにこそ、かかることはけ」と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、「このひといかになりぬるぞ」とおもほすこころさわぎに、うへられたまはず、して、

「やや」

 と、おどろかしたまへど、ただえにりて、いきてにけり。

 はむかたなし。たのもしく、いかにとれたまふべきひともなし。法師ほふしなどをこそは、かかるかたたのもしきものにはおぼすべけれど。さこそつよがりたまへど、わか御心みこころにて、いふかひなくなりぬるをたまふに、やるかたなくて、つといだきて、

「あがきみでたまへ。いといみじきせたまひそ」

 とのたまへど、りにたれば、けはひものうとくなりゆく。右近うこんは、ただ「あな、むつかし」とおもひける心地ここちみなめて、まどふさまいといみじ。南殿なでんおにの、なにがしの大臣おとどおびやかしけるたとひをおぼでて、心強こころづよく、

「さりとも、いたづらになりてたまはじ。よるこゑはおどろおどろし。あなかま」

 といさめたまひて、いとあわたたしきに、あきれたる心地ここちしたまふ。

 このをとこして、

「ここに、いとあやしう、ものおそはれたるひとのなやましげなるを、ただいま惟光朝臣これみつのあそん宿やどところにまかりて、いそまゐるべきよしへ、とおほせよ。なにがし阿闍梨あざり、そこにものするほどならば、ここにべきよし、しのびてへ。かの尼君あまぎみなどのかむに、おどろおどろしくふな。かかるありゆるさぬひとなり」

 など、もののたまふやうなれど、むねふたがりて、このひとむなしくしなしてむことのいみじくおぼさるるにへて、大方おほかたのむくむくしさ、たとへむかたなし。夜中よなかぎにけむかし、かぜのやや荒々あらあらしうきたるは。まして、まつひびき、木深こぶかこえて、気色けしきあるとりのからごゑきたるも、「ふくろふ」はこれにやとおぼゆ。うちおもひめぐらすに、こなたかなた、けどほくうとましきに、人声ひとごゑはせず、「などて、かくはかなき宿やどりはりつるぞ」と、くやしさもやらむかたなし。

 右近うこんは、ものもおぼえず、きみにつとひたてまつりて、わななきぬべし。「また、これもいかならむ」と、こころそらにてとらへたまへり。我一人われひとりさかしきひとにて、おぼしやるかたぞなきや。はほのかにまたたきて、母屋もやきはてたる屏風びゃうぶかみ、ここかしこの隈々くまぐましくおぼえたまふに、もの足音あしおと、ひしひしとらしつつ、うしろより心地ここちす。「惟光これみつ、とくまゐらなむ」とおぼす。ありかさだめぬものにて、ここかしこたづねけるほどに、くるほどのひさしさは、千夜ちよぐさむ心地ここちしたまふ。

 からうして、とりこゑはるかにこゆるに、「いのちをかけて、なにちぎりに、かかるるらむ。こころながら、かかるすぢに、おほけなくあるまじきこころむくいに、かく、かたさきためしとなりぬべきことはあるなめり。しのぶとも、にあることかくれなくて、内裏うちこしさむをはじめて、ひとおもはむこと、よからぬわらはべのくちずさびになるべきなめり。ありありて、をこがましきをとるべきかな」と、おぼしめぐらす。

からうして、惟光朝臣参れり

 からうして、惟光朝臣これみつのあそんまゐれり。夜中よなかあかつきといはず、御心みこころしたがへるものの、今宵こよひしもさぶらはで、しにさへおこたりつるを、にくしとおぼすものから、れて、のたまひでむことのあへなきに、ふとも物言ものいはれたまはず。右近うこん大夫たいふのけはひくに、はじめよりのこと、うちおもでられてくを、きみもえへたまはで、我一人われひとりさかしがりいだたまへりけるに、このひといきをのべたまひてぞ、かなしきこともおぼされける、とばかり、いといたく、えもとどめずきたまふ。

 ややためらひて、

「ここに、いとあやしきことのあるを、あさましとふにもあまりてなむある。かかるとみのことには、誦経ずきゃうなどをこそはすなれとて、そのことどももせさせむ。がんなどもてさせむとて、阿闍梨あざりものせよ、とひつるは」

 とのたまふに、

昨日きのふやまへまかりのぼりにけり。まづ、いとめづらかなることにもはべるかな。かねて、れいならず御心地みここちものせさせたまふことやはべりつらむ」

「さることもなかりつ」

 とて、きたまふさま、いとをかしげにらうたく、たてまつるひともいとかなしくて、おのれもよよときぬ。さいへど、としうちねび、なかのとあることと、しほじみぬるひとこそ、もののをりふしはたのもしかりけれ、いづれもいづれもわかきどちにて、はむかたもなけれど、

「この院守ゐんもりなどにかせむことは、いと便びんなかるべし。このひと一人ひとりこそむつましくもあらめ、おのづから物言ものいらしつべき眷属けんぞくちまじりたらむ。まづ、このゐんでおはしましね」とふ。

「さて、これよりひとすくななるところはいかでかあらむ」

 とのたまふ。

「げに、さぞはべらむ。かの故里ふるさとは、女房にょうばうなどの、かなしびにへず、まどひはべらむに、となりしげく、とがむる里人さとびとおほくはべらむに、おのづからこえはべらむを、山寺やまでらこそ、なほかやうのこと、おのづからきまじり、物紛ものまぎるることはべらめ」

 と、おもひまはして、

むかしたまへし女房にょうばうの、あまにてはべる東山ひんがしやまあたりに、うつしたてまつらむ。惟光これみつちち朝臣あそん乳母めのとにはべりしものの、みづはぐみてみはべるなり。あたりは、ひとしげきやうにはべれど、いとかごかにはべり」

 とこえて、けはなるるほどのまぎれに、御車みくるます。

 このひとをえいだきたまふまじければ、上蓆うはむしろにおしくくみて、惟光これみつせたてまつる。いとささやかにて、うとましげもなく、らうたげなり。したたかにしもえせねば、かみはこぼれでたるも、くれまどひて、あさましうかなし、とおぼせば、なりてむさまをむとおぼせど、

「はや、御馬おほんむまにて、二条院にでうのゐんへおはしまさむ。ひとさわがしくなりはべらぬほどに」

 とて、右近うこんへてすれば、徒歩かちより、きみむまはたてまつりて、くくりげなどして、かつは、いとあやしく、おぼえぬおくりなれど、御気色みけしきのいみじきをたてまつれば、ててくに、きみものもおぼえたまはず、われかのさまにて、おはしきたり。

 ひとびと、

「いづこより、おはしますにか。なやましげにえさせたまふ」

 などへど、御帳みちゃううちりたまひて、むねをおさへておもふに、いといみじければ、「などて、ひてかざりつらむ。かへりたらむとき、いかなる心地ここちせむ。見捨みすててきあかれにけりと、つらくやおもはむ」と、心惑こころまどひのなかにも、おもほすに、御胸おほんむねせきあぐる心地ここちしたまふ。御頭みぐしいたく、あつ心地ここちして、いとくるしく、まどはれたまへば、「かくはかなくて、われもいたづらになりぬるなめり」とおぼす。

 たかくなれど、がりたまはねば、ひとびとあやしがりて、御粥おほんかゆなどそそのかしきこゆれど、くるしくて、いと心細こころぼそおぼさるるに、内裏うちより御使おほんつかひあり。昨日きのふ、えたづでたてまつらざりしより、おぼつかながらせたまふ。大殿おほとの君達きむだちまゐりたまへど、頭中将とうのちうじゃうばかりを、

ちながら、こなたにりたまへ」

 とのたまひて、御簾みすうちながらのたまふ。

乳母めのとにてはべるものの、この五月ごがちのころほひより、おもくわづらひはべりしが、かしらむことけなどして、そのしるしにや、よみがへりたりしを、このごろ、またおこりて、よわくなむなりにたる、今一度いまひとたび、とぶらひよとまうしたりしかば、いときなきよりなづさひしものの、いまはのきざみに、つらしとやおもはむ、とおもうたまへてまかれりしに、そのいへなりける下人しもびとの、やまひしけるが、にはかにであへでくなりにけるを、はばかりて、らしてなむではべりけるを、きつけはべりしかば、神事かんわざなるころ、いと不便ふびんなること、とおもうたまへかしこまりて、えまゐらぬなり。このあかつきより、しはぶきみにやはべらむ、かしらいといたくてくるしくはべれば、いと無礼むらいにてこゆること」

 などのたまふ。中将ちうじゃう

「さらば、さるよしをこそそうしはべらめ。昨夜よべも、御遊おほんあそびに、かしこくもとめたてまつらせたまひて、御気色みけしきしくはべりき」

 とこえたまひて、かへり、

「いかなるれにかからせたまふぞや。べやらせたまふことこそ、まこととおもうたまへられね」

 とふに、むねつぶれたまひて、

「かく、こまかにはあらで、ただ、おぼえぬけがらひにれたるよしを、そうしたまへ。いとこそたいだいしくはべれ」

 と、つれなくのたまへど、こころのうちには、ふかひなくかなしきことをおぼすに、御心地みここちなやましければ、ひと見合みあはせたまはず。蔵人弁くらうどのべんせて、まめやかにかかるよしをそうせさせたまふ。大殿おほとのなどにも、かかることありて、えまゐらぬ御消息おほんせうそこなどこえたまふ。

日暮れて、惟光参れり

 れて、惟光これみつまゐれり。かかるけがらひありとのたまひて、まゐひとびとも、みなちながらまかづれば、ひとしげからず。せて、

「いかにぞ。いまはと見果みはてつや」

 とのたまふままに、そで御顔おほんかほしあててきたまふ。惟光これみつく、

いまかぎりにこそはものしたまふめれ。長々ながながもりはべらむも便びんなきを、明日あすなむ、よろしくはべれば、とかくのこと、いとたふと老僧らうそうの、あひりてはべるに、かたらひつけはべりぬる」

 とこゆ。

ひたりつるをんなはいかに」

 とのたまへば、

「それなむ、また、えくまじくはべるめる。われおくれじとまどひはべりて、今朝けさたにりぬとなむたまへつる。かの故里人ふるさとびとげやらむとまうせど、しばし、おもひしづめよ、と。ことのさまおもひめぐらしてとなむ、こしらへおきはべりつる」

 と、かたりきこゆるままに、いといみじとおぼして、

われも、いと心地ここちなやましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」

 とのたまふ。

なにか、さらにおもほしものせさせたまふ。さるべきにこそ、よろづのことはべらめ。ひとにもらさじとおもうたまふれば、惟光これみつおりちて、よろづはものしはべる」

 などまうす。

「さかし。さみなおもひなせど、かびたるこころのすさびに、ひとをいたづらになしつるかごとひぬべきが、いとからきなり。少将せうしゃう命婦みゃうぶなどにもかすな。尼君あまぎみましてかやうのことなど、いさめらるるを、心恥こころはづかしくなむおぼゆべき」

 と、くちかためたまふ。

「さらぬ法師ほふしばらなどにも、みなひなすさまことにはべる」

 とこゆるにぞ、かかりたまへる。ほの女房にょうばうなど、

「あやしく、なにごとならむ、

けがらひのよしのたまひて、内裏うちにもまゐりたまはず、また、かくささめきなげきたまふ」

 と、ほのぼのあやしがる。

「さらにことなくしなせ」

 と、そのほどの作法さほふのたまへど、

なにか、ことことしくすべきにもはべらず」

 とてつが、いとかなしくおぼさるれば、

便びんなしとおもふべけれど、今一度いまひとたび、かの亡骸なきがらざらむが、いといぶせかるべきを、むまにてものせむ」

 とのたまふを、いとたいだいしきこととはおもへど、

「さおぼされむは、いかがせむ。はや、おはしまして、夜更よふけぬさきかへらせおはしませ」

 とまうせば、このごろのおほんやつれにまうけたまへる、かり御装束おほんさうぞくへなどしてでたまふ。

 御心地みここちかきくらし、いみじくへがたければ、かくあやしきみちちても、あやふかりし物懲ものごりに、いかにせむとおぼしわづらへど、なほかなしさのやるかたなく、「ただいまからでは、またいつのにかありし容貌かたちをもむ」と、おぼねんじて、れい大夫たいふ随身ずいじんしてでたまふ。

 みちとほくおぼゆ。十七日じふしちにちつきさしでて、河原かはらのほど、御前駆おほんさきもほのかなるに、鳥辺野とりべのかたなどやりたるほどなど、ものむつかしきも、なにともおぼえたまはず、かきみだ心地ここちしたまひて、おはしきぬ。

 あたりさへすごきに、板屋いたやのかたはらにだうてておこなへるあままひ、いとあはれなり。御燈明みあかしかげ、ほのかにきてゆ。そのには、をんな一人ひとりこゑのみして、かたに、法師ほふしばら三人さんにん物語ものがたりしつつ、わざとのこゑてぬ念仏ねんぶつぞする。寺々てらでら初夜そやも、みなおこなてて、いとしめやかなり。清水きよみづかたぞ、ひかりおほえ、ひとのけはひもしげかりける。この尼君あまぎみなる大徳だいとここゑたふとくて、きゃううちみたるに、なみだのこりなくおぼさる。

 りたまへれば、火取ひとそむけて、右近うこん屏風びゃうぶへだててしたり。いかにわびしからむと、たまふ。おそろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささかかはりたるところなし。をとらへて、

われに、今一度いまひとたびこゑをだにかせたまへ。いかなるむかしちぎりにかありけむ、しばしのほどに、こころくしてあはれにおもほえしを、うちてて、まどはしたまふが、いみじきこと」

 と、こゑしまず、きたまふこと、かぎりなし。大徳だいとこたちも、たれとはらぬに、あやしとおもひて、みななみだとしけり。右近うこんを、

「いざ、二条にでうへ」

 とのたまへど、

としごろ、をさなくはべりしより、片時かたときたちはなれたてまつらず、れきこえつるひとに、にはかにわかれたてまつりて、いづこにかかへりはべらむ。いかになりたまひにきとか、ひとにもひはべらむ。かなしきことをばさるものにて、ひとさわがれはべらむが、いみじきこと」

 とひて、まどひて、

けぶりにたぐひて、したまゐりなむ」

 とふ。

道理ことわりなれど、さなむなかはある。わかれとふもの、かなしからぬはなし。とあるもかかるも、おないのちかぎりあるものになむある。おもなぐさめて、われたのめ」

 と、のたまひこしらへて、

「かくこそは、きとまるまじき心地ここちすれ」

 とのたまふも、たのもしげなしや。惟光これみつ

は、がたになりはべりぬらむ。はやかへらせたまひなむ」

 とこゆれば、かへりみのみせられて、むねもつとふたがりてでたまふ。

 みちいとつゆけきに、いとどしき朝霧あさぎりに、いづこともなくまど心地ここちしたまふ。ありしながらうちしたりつるさま、うちはしたまへりしが、御紅おほんくれなゐ御衣おほんぞられたりつるなど、いかなりけむちぎりにかとみちすがらおぼさる。御馬おほんむまにも、はかばかしくりたまふまじきおほんさまなれば、また、惟光これみつたすけておはしまさするに、つつみのほどにて、御馬おほんむまよりすべりりて、いみじく御心地みここちまどひければ、

「かかるみちそらにて、はふれぬべきにやあらむ。さらに、えくまじき心地ここちなむする」

 とのたまふに、惟光これみつ心地ここちまどひて、「がはかばかしくは、さのたまふとも、かかるみちでたてまつるべきかは」とおもふに、いとこころあわたたしければ、かはみづあらひて、清水きよみづ観音かんおんねんじたてまつりても、すべなくおもまどふ。きみも、しひて御心みこころこして、こころのうちにほとけねんじたまひて、また、とかくたすけられたまひてなむ、二条院にでうのゐんかへりたまひける。

 あやしう夜深よぶか御歩おほんありきを、ひとびと、

見苦みぐるしきわざかな。

このごろ、れいよりも静心しづごころなき御忍おほんしのありきの、しきるなかにも、昨日きのふ御気色みけしきの、いとなやましうおぼしたりしに。いかでかく、たどりありきたまふらむ」

 と、なげきあへり。

 まことに、したまひぬるままに、いといたくくるしがりたまひて、三日さんにちになりぬるに、むげによわるやうにしたまふ。内裏うちにも、こしめし、なげくことかぎりなし。御祈おほんいのり、方々かたがたひまなくののしる。まつりはらへ修法すほふなど、くすべくもあらず。にたぐひなくゆゆしきおほんありさまなれば、ながくおはしますまじきにやと、あめしたひとさわぎなり。

 くるしき御心地みここちにも、かの右近うこんせて、つぼねなどちかくたまひて、さぶらはせたまふ。惟光これみつ心地ここちさわまどへど、おもひのどめて、このひとのたづきなしとおもひたるを、もてなしたすけつつさぶらはす。きみは、いささかひまありておぼさるるときは、でて使つかひなどすれば、ほどなくじらひつきたり。ぶく、いとくろくして、容貌かたちなどよからねど、かたはに見苦みぐるしからぬ若人わかうどなり。

「あやしうみじかかりける御契おほんちぎりにひかされて、われにえあるまじきなめり。としごろのたのうしなひて、心細こころぼそおもふらむなぐさめにも、もしながらへば、よろづにはぐくまむとこそおもひしか、ほどなくまたたちひぬべきが、口惜くちをしくもあるべきかな」

 と、しのびやかにのたまひて、よわげにきたまへば、ふかひなきことをばおきて、「いみじくし」とおもひきこゆ。

 殿とののうちのひとあしそらにておもまどふ。内裏うちより、御使おほんつかひあめあしよりもけにしげし。おぼなげきおはしますをきたまふに、いとかたじけなくて、せめてつよおぼしなる。大殿おほとの経営けいめいしたまひて、大臣おとど日々ひびわたりたまひつつ、さまざまのことをせさせたまふ、しるしにや、二十余日にじふよにち、いとおもくわづらひたまひつれど、ことなる名残なごりのこらず、おこたるさまにえたまふ。けがらひみたまひしも、ひとつにちぬるなれば、おぼつかながらせたまふ御心みこころ、わりなくて、内裏うち御宿直所おほんとのゐどころまゐりたまひなどす。大殿おほとの御車みくるまにてむかへたてまつりたまひて、御物忌おほんものいみなにやと、むつかしうつつしませたてまつりたまふ。われにもあらず、あらぬによみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。

九月二十日のほどにぞ

 九月くがち二十日はつかのほどにぞ、おこたりてたまひて、いといたく面痩おもやせたまへれど、なかなか、いみじくなまめかしくて、ながめがちに、ねをのみきたまふ。たてまつりとがむるひともありて、「御物おほんものなめり」などふもあり。右近うこんでて、のどやかなる夕暮ゆふぐれに、物語ものがたりなどしたまひて、

「なほ、いとなむあやしき。などてそのひとられじとは、かくいたまへりしぞ。まことに海人あまなりとも、さばかりにおもふをらで、へだてたまひしかばなむ、つらかりし」

 とのたまへば、

「などてか、ふかかくしきこえたまふことははべらむ。いつのほどにてかは、なにならぬ御名おほんなのりをこえたまはむ。はじめより、あやしうおぼえぬさまなりしおほんことなれば、うつつともおぼえずなむあるとのたまひて、御名おほんなかくしも、さばかりにこそはとこえたまひながら、なほざりにこそまぎらはしたまふらめとなむ、きことにおぼしたりし」

 とこゆれば、

「あいなかりけるこころくらべどもかな。われは、しかへだつるこころもなかりき。ただ、かやうにひとゆるされぬひをなむ、まだらはぬことなる。内裏うちいさめのたまはするをはじめ、つつむことおほかるにて、はかなくひとにたはぶれごとをふも、所狭ところせう、りなしうるさきのありさまになむあるを、はかなかりしゆふべより、あやしうこころにかかりて、あながちにたてまつりしも、かかるべきちぎりこそはものしたまひけめとおもふも、あはれになむ。またうちかへし、つらうおぼゆる。かうながかるまじきにては、など、さしもこころみて、あはれとおぼえたまひけむ。なほくはしくかたれ。いまは、なにごとをかくすべきぞ。七日なぬか七日なぬかほとけかせても、ためとか、こころのうちにもおもはむ」

 とのたまへば、

なにか、へだてきこえさせはべらむ。みづから、しのぐしたまひしことを、おほんうしろに、くちさがなくやは、とおもうたまふばかりになむ。おやたちは、はやせたまひにき。三位中将さんゐのちうじゃうとなむこえし。いとらうたきものにおもひきこえたまへりしかど、のほどのこころもとなさをおぼすめりしに、いのちさへへたまはずなりにしのち、はかなきもののたよりにて、頭中将とうのちうじゃうなむ、まだ少将せうしゃうにものしたまひしとき見初みそめたてまつらせたまひて、三年みとせばかりは、こころざしあるさまにかよひたまひしを、去年こぞあきごろ、かのみぎ大殿おほとのより、いとおそろしきことのこえしに、物怖ものをぢをわりなくしたまひし御心みこころに、せむかたなくおぼぢて、西にしきゃうに、御乳母おほんめのとみはべるところになむ、はひかくれたまへりし。それもいと見苦みぐるしきに、みわびたまひて、山里やまざとうつろひなむとおぼしたりしを、今年ことしよりはふたがりけるかたにはべりければ、たがふとて、あやしきところにものしたまひしを、あらはされたてまつりぬることと、おぼなげくめりし。ひとず、ものづつみをしたまひてひと物思ものおも気色けしきえむを、づかしきものにしたまひて、つれなくのみもてなして、御覧ごらんぜられたてまつりたまふめりしか」

 と、かたづるに、「さればよ」と、おぼしあはせて、いよいよあはれまさりぬ。

をさなひとまどはしたりと、中将ちうじゃううれへしは、さるひとや」と

 ひたまふ。

「しか。一昨年をととしはるぞ、ものしたまへりし。をんなにて、いとらうたげになむ」

 とかたる。

「さて、いづこにぞ。ひとにさとはらせで、われさせよ。あとはかなく、いみじとおも御形見おほんかたみに、いとうれしかるべくなむ」

 とのたまふ。「かの中将ちうじゃうにもつたふべけれど、ふかひなきかことひなむ。とざまかうざまにつけて、はぐくまむにとがあるまじきを。そのあらむ乳母めのとなどにも、ことざまにひなして、ものせよかし」

 などかたらひたまふ。

「さらば、いとうれしくなむはべるべき。かの西にしきゃうにてでたまはむは、心苦こころぐるしくなむ。はかばかしくあつかひとなしとて、かしこに」

 などこゆ。

 夕暮ゆふぐれしづかなるに、そら気色けしきいとあはれに、御前おまへ前栽せんざいれに、むしきかれて、紅葉もみぢのやうやういろづくほど、きたるやうにおもしろきをわたして、こころよりほかにをかしきじらひかなと、かの夕顔ゆふがほ宿やどりをおもづるもづかし。

 たけなか家鳩いへばとといふとりの、ふつつかにくをきたまひて、かのありしゐんにこのとりきしを、いとおそろしとおもひたりしさまの、面影おもかげにらうたくおぼでらるれば、

としはいくつにかものしたまひし。あやしくひとず、あえかにえたまひしも、かくながかるまじくてなりけり」

 とのたまふ。

十九じふくにやなりたまひけむ。右近うこんは、くなりにける御乳母おほんめのときてはべりければ、三位さんゐきみのらうたがりたまひて、かのおほんあたりらず、ほしたてたまひしをおもひたまへづれば、いかでかにはべらむずらむ。いとしもひとにと、くやしくなむ。ものはかなげにものしたまひしひと御心みこころを、たのもしきひとにて、としごろならひはべりけること」とこゆ。

「はかなびたるこそは、らうたけれ。かしこくひとになびかぬ、いとこころづきなきわざなり。みづからはかばかしくすくよかならぬこころならひに、をんなはただやはらかに、とりはづしてひとあざむかれぬべきが、さすがにものづつみし、ひとこころにはしたがはむなむ、あはれにて、こころのままにとりなほしてむに、なつかしくおぼゆべき」

 などのたまへば、

「このかた御好おほんこのみには、もてはなれたまはざりけり、とおもひたまふるにも、口惜くちをしくはべるわざかな」

とてく。そらのうちくもりて、風冷かぜひややかなるに、いといたくながめたまひて、「

ひとけぶりくもながむればゆふべのそらもむつましきかな」

 とひとりごちたまへど、えさしいらへもこえず。かやうにて、おはせましかば、とおもふにも、むねふたがりておぼゆ。みみかしかましかりしきぬたおとを、おぼづるさへこひしくて、

まさなが

 とうちずんじて、したまへり。

かの、伊予の家の小君

 かの、伊予いよいへ小君こぎみまゐをりあれど、ことにありしやうなる言伝ことづてもしたまはねば、しとおぼてにけるを、いとほしとおもふに、かくわづらひたまふをきて、さすがにうちなげきけり。とほくだりなどするを、さすがに心細こころぼそければ、おぼわすれぬるかと、こころみに、

うけたまはり、なやむを、ことでては、えこそ、

はぬをもなどかとはでほどふるにいかばかりかはおもみだるる

益田ますだはまことになむ」

 とこえたり。めづらしきに、これもあはれわすれたまはず。

けるかひなきや、はましことにか。

空蝉うつせみきものとりにしをまたことにかかるいのち

はかなしや」

 と、御手おほんてもうちわななかるるに、みだきたまへる、いとどうつくしげなり。なほ、かのもぬけをわすれたまはぬを、いとほしうもをかしうもおもひけり。かやうににくからずは、こえはせど、けぢかくとはおもひよらず、さすがに、ふかひなからずはえたてまつりてやみなむ、とおもふなりけり。

 かのかたかたは、蔵人少将くらうどのせうしゃうをなむかよはす、ときたまふ。「あやしや。いかにおもふらむ」と、少将せうしゃうこころのうちもいとほしく、また、かのひと気色けしきもゆかしければ、小君こぎみして、

かへおもこころは、りたまへりや」

つかはす。「

ほのかにも軒端のきばをぎむすばずはつゆのかことをなににかけまし」

 たかやかなるをぎけて、

しのびて」

とのたまへれど、「あやまちて、少将せうしゃうつけて、われなりけりとおもひあはせば、さりとも、つみゆるしてむ」とおもふ、御心みこころおごりぞ、あいなかりける。少将せうしゃうのなきをりすれば、心憂こころうしとおもへど、かくおぼでたるも、さすがにて、御返おほんかへり、くちときばかりをかことにてらす。「

ほのめかすかぜにつけても下荻したをぎなかばはしもにむすぼほれつつ」

 しげなるを、まぎらはしさればみていたるさま、しななし。火影ほかげかほおぼでらる。「うちとけでむかひゐたるひとは、えうとつまじきさまもしたりしかな。なにこころばせありげもなく、さうどきほこりたりしよ」とおぼづるに、にくからず。なほ「こりずまに、またもあだちぬべき」御心みこころのすさびなめり。

かの人の四十九日

 かのひと四十九日なななぬかしのびて比叡ひえ法華堂ほけだうにて、ことそがず、装束さうぞくよりはじめて、さるべきものども、こまかに、誦経ずきゃうなどせさせたまひぬ。きゃうほとけかざりまでおろかならず、惟光これみつあに阿闍梨あざり、いとたふとひとにて、なうしけり。御書おほんふみにて、むつましくおぼ文章博士もんじゃうはかせして、願文ぐゎんもんつくらせたまふ。そのひととなくて、あはれとおもひしひとのはかなきさまになりにたるを、阿弥陀仏あみだぶつゆづりきこゆるよし、あはれげにでたまへれば、

「ただかくながら、くはふべきことはべらざめり」

 とまうす。しのびたまへど、御涙おほんなみだもこぼれて、いみじくおぼしたれば、

何人なにびとならむ。そのひとこえもなくて、かうおぼなげかすばかりなりけむ宿世すくせたかさ」

ひけり。しのびて調てうぜさせたまへりける装束さうぞくはかませさせたまひて、「

くも今日けふ下紐したひもをいづれのにかとけてるべき」「

このほどまではただよふなるを、いづれのみちさだまりておもむくらむ」とおもほしやりつつ、念誦ねんずをいとあはれにしたまふ。

 頭中将とうのちうじゃうたまふにも、あいなくむねさわぎて、かの撫子なでしこつありさま、かせまほしけれど、かことにぢて、うちでたまはず。

 かの夕顔ゆふがほ宿やどりには、いづかたにとおもまどへど、そのままにえたづねきこえず。右近うこんだにおとづれねば、あやしとおもなげきあへり。たしかならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば、惟光これみつをかこちけれど、いとかけはなれ、気色けしきなくひなして、なほおなじごとありきければ、いとどゆめ心地ここちして、「もし、受領ずりゃうどものきしきが、とうきみぢきこえて、やがて、くだりにけるにや」とぞ、おもりける。この家主人いへあるじぞ、西にしきゃう乳母めのとむすめなりける。三人みたりそのはありて、右近うこん他人ことびとなりければ、「おもへだてて、おほんありさまをかせぬなりけり」と、ひけり。右近うこんはた、かしかましくさわがむをおもひて、きみいまさらにらさじとしのびたまへば、若君わかぎみうへをだにえかず、あさましく行方ゆくへなくてぎゆく。

 きみは、「ゆめをだにばや」と、おぼしわたるに、この法事ほふじしたまひて、またの、ほのかに、かのありしゐんながら、ひたりしをんなのさまもおなじやうにてえければ、「れたりしところみけむものの、われ見入みいれけむたよりに、かくなりぬること」と、おぼづるにもゆゆしくなむ。

伊予介、神無月の朔日ごろに下る

伊予介いよのすけ神無月かんなづき朔日ついたちごろにくだる。女房にょうばうくだらむにとて、たむけこころことにせさせたまふ。また、内々うちうちにもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなるくしあふぎおほくして、ぬさなどわざとがましくて、かの小袿こうちきつかはす。「

ふまでの形見かたみばかりとしほどにひたすらそでちにけるかな」

 こまかなることどもあれど、うるさければかず。

御使おほんつかひかへりにけれど、小君こぎみして、小袿こうちき御返おほんかへりばかりはこえさせたり。「

せみもたちかへてける夏衣なつごろもかへすをてもねはかれけり」「

おもへど、あやしうひと心強こころづよさにても、ふりはなれぬるかな」とおもつづけたまふ。今日けふふゆなりけるも、しるく、うちしぐれて、そら気色けしきいとあはれなり。ながらしたまひて、「

ぎにしも今日けふわかるるも二道ふたみちかたらぬあきくれかな」

 なほ、かくひとれぬことはくるしかりけりと、おぼりぬらむかし。

 かやうのくだくだしきことは、あながちにかくろへしのびたまひしもいとほしくて、みならしとどめたるを、

「など、みかど御子みこならむからに、ひとさへ、かたほならずものほめがちなる」

 と、つくりごとめきてとりなすひとものしたまひければなむ。あまりものひさがなきつみ、さりどころなく。

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