『源氏物語』第3帖「空蝉」原文全文を読む|読みやすいふりがな付き

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第3帖「空蝉」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第3帖「空蝉」現代語訳全文をご覧ください。

目次

寝られたまはぬままには

 られたまはぬままには、「われは、かくひとにくまれてもならはぬを、今宵こよひなむ、はじめてしとおもりぬれば、づかしくて、ながらふまじうこそ、おもひなりぬれ」などのたまへば、なみだをさへこぼしてしたり。いとらうたしとおぼす。さぐりの、ほそちひさきほど、かみのいとながからざりしけはひのさまかよひたるも、おもひなしにやあはれなり。あながちにかかづらひたどりらむも、ひとろかるべく、まめやかにめざましとおぼかしつつ、れいのやうにものたまひまつはさず。夜深よぶかでたまへば、このは、いといとほしく、さうざうしとおもふ。

 をんなも、並々なみなみならずかたはらいたしとおもふに、御消息おほんせうそこえてなし。おぼりにけるとおもふにも、「やがてつれなくてみたまひなましかばからまし。しひていとほしきおほんひのえざらむもうたてあるべし。よきほどに、かくてぢめてむ」とおもふものから、ただならず、ながめがちなり。

 きみは、こころづきなしとおぼしながら、かくてはえむまじう御心みこころにかかり、ひとろくおもほしわびて、小君こぎみに、「いとつらうも、うれたうもおぼゆるに、しひておもかへせど、こころにしもしたがはずくるしきを。さりぬべきをりて、対面たいめんすべくたばかれ」とのたまひわたれば、わづらはしけれど、かかるかたにても、のたまひまつはすは、うれしうおぼえけり。

幼き心地に、いかならむ折と

 をさな心地ここちに、いかならむをりちわたるに、紀伊守きのかみくにくだりなどして、をんなどちのどやかなる夕闇ゆふやみみちたどたどしげなるまぎれに、わがくるまにててたてまつる。

 このをさなきを、いかならむとおぼせど、さのみもえおぼしのどむまじければ、さりげなき姿すがたにて、かどなどさぬさきにと、いそぎおはす。

 ひとかたよりれて、ろしたてまつる。わらはなれば、宿直人とのゐびとなどもことに見入みい追従ついせうせず、こころやすし。

 ひんがし妻戸つまどに、てたてまつりて、われみなみすみより、格子かうしたたきののしりてりぬ。御達ごたち

「あらはなり」とふなり。

「なぞ、かうあつきに、この格子かうしろされたる」とへば、

ひるより、西にし御方おほんかたわたらせたまひて、碁打ごうたせたまふ」とふ。

 さてかひゐたらむをばや、とおもひて、やをらあゆでて、すだれのはさまにりたまひぬ。

 このりつる格子かうしはまださねば、ひまゆるに、りて西にしざまに見通みとほしたまへば、このきはてたる屏風びゃうぶはしかたおしたたまれたるに、まぎるべき几帳きちゃうなども、あつければにや、うちけて、いとよく見入みいれらる。

火近う灯したり

 火近ひちかともしたり。母屋もや中柱なかばしらそばめるひとやわがこころかくると、まづとどめたまへば、あや単衣襲ひとへがさねなめり。なににかあらむうへて、かしらつきほそやかにちひさきひとの、ものげなき姿すがたぞしたる。かほなどは、かひたらむひとなどにも、わざとゆまじうもてなしたり。つきせにて、いたうひきかくしためり。

 いま一人ひとりは、東向ひんがしむきにて、のこるところなくゆ。しろうすもの単衣襲ひとへがさね二藍ふたあゐ小袿こうちきだつもの、ないがしろになして、くれなゐこしひきへるきはまでむねあらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いとしろうをかしげに、つぶつぶとえて、そぞろかなるひとの、かしらつきひたひつきものあざやかに、まみくちつき、いと愛敬あいぎゃうづき、はなやかなる容貌かたちなり。かみはいとふさやかにて、ながくはあらねど、さがかたのほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなるひとえたり。

 むべこそおやになくはおもふらめと、をかしくたまふ。心地ここちぞ、なほしづかなるへばやと、ふとゆる。かどなきにはあるまじ。碁打ごうてて、けちさすわたり、こころとげにえて、きはぎはとさうどけば、おくひとはいとしづかにのどめて、

ちたまへや。そこはにこそあらめ。このわたりのこふをこそ」などへど、

「いで、このたびはけにけり。すみのところ、いでいで」とおよびをかがめて、「とを二十はた三十みそ四十よそ」などかぞふるさま、伊予いよ湯桁ゆげたもたどたどしかるまじうゆ。すこししなおくれたり。

 たとしへなくくちおほひて、さやかにもせねど、をしつけたまへれば、おのづから側目そばめゆ。すこしれたる心地ここちして、はななどもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところもえず。つれば、ろきによれる容貌かたちをいといたうもてつけて、このまされるひとよりはこころあらむと、とどめつべきさましたり。

 にぎははしう愛敬あいぎゃうづきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、わらひなどそぼるれば、にほひおほえて、さるかたにいとをかしきひとざまなり。あはつけしとはおぼしながら、まめならぬ御心みこころは、これもえおぼはなつまじかりけり。

 たまふかぎりのひとは、うちとけたるなく、ひきつくろひそばめたるうはべをのみこそたまへ、かくうちとけたるひとのありさまかいまなどは、まだしたまはざりつることなれば、何心なにごころもなうさやかなるはいとほしながら、ひさしうたまはまほしきに、小君こぎみ心地ここちすれば、やをらでたまひぬ。

 渡殿わたどの戸口とぐちりゐたまへり。いとかたじけなしとおもひて、

れいならぬひとはべりて、えちかうもりはべらず」

「さて、今宵こよひもやかへしてむとする。いとあさましう、からうこそあべけれ」とのたまへば、

「などてか。あなたにかへりはべりなば、たばかりはべりなむ」とこゆ。

「さもなびかしつべき気色けしきにこそはあらめ。わらはなれど、もののこころばへ、ひと気色けしきつべくしづまれるを」と、おぼすなりけり。

 碁打ごうてつるにやあらむ、うちそよめく心地ここちして、ひとびとあかるるけはひなどすなり。

若君わかぎみはいづくにおはしますならむ。この御格子みかうししてむ」とて、らすなり。

しづまりぬなり。りて、さらば、たばかれ」とのたまふ。

 このも、いもうとの御心みこころはたわむところなくまめだちたれば、ひあはせむかたなくて、ひとずくなならむをりれたてまつらむとおもふなりけり。

紀伊守きのかみいもうともこなたにあるか。われにかいませさせよ」とのたまへど、

「いかでか、さははべらむ。格子かうしには几帳きちゃうへてはべり」とこゆ。

 さかし、されどもをかしくおぼせど、「つとはらせじ、いとほし」とおぼして、夜更よふくることのこころもとなさをのたまふ。

 こたみは妻戸つまどたたきてる。みなひとびとしづまりにけり。

「この障子口さうじぐちに、まろはたらむ。かぜきとほせ」とて、たたみひろげてす。御達ごたちひんがしひさしにいとあまたたるべし。戸放とはなちつるわらはべもそなたにりてしぬれば、とばかり空寝そらねして、かきかた屏風びゃうぶひろげて、かげほのかなるに、やをられたてまつる。

「いかにぞ、をこがましきこともこそ」とおぼすに、いとつつましけれど、みちびくままに、母屋もや几帳きちゃう帷子かたびらげて、いとやをらりたまふとすれど、みなしづまれるの、御衣おほんぞのけはひやはらかなるしも、いとしるかりけり。

女は、さこそ忘れたまふを

 をんなは、さこそわすれたまふをうれしきにおもひなせど、あやしくゆめのやうなることを、こころはなるるをりなきころにて、こころとけたるだにられずなむ、ひるはながめ、よる寝覚ねざめがちなれば、はるならぬも、いとなくなげかしきに、碁打ごうちつるきみ、「今宵こよひは、こなたに」と、いまめかしくうちかたらひて、にけり。

 わかひとは、何心なにごころなくいとようまどろみたるべし。かかるけはひの、いとかうばしくうちにほふに、かほをもたげたるに、単衣ひとへうちけたる几帳きちゃう隙間すきまに、くらけれど、うちじろきるけはひ、いとしるし。あさましくおぼえて、ともかくもおもかれず、やをらでて、生絹すずしなる単衣ひとへひとて、すべりでにけり。

 きみりたまひて、ただひとりしたるをこころやすくおぼす。ゆかしも二人ふたりばかりぞしたる。きぬしやりてりたまへるに、ありしけはひよりは、ものものしくおぼゆれど、おもほしうもらずかし。いぎたなきさまなどぞ、あやしくはりて、やうやうあらはしたまひて、あさましくこころやましけれど、「ひとたがへとたどりてえむも、をこがましく、あやしとおもふべし、本意ほいひとたづらむも、かばかりのがるるこころあめれば、かひなう、をこにこそおもはめ」とおぼす。かのをかしかりつる灯影ほかげならば、いかがはせむにおぼしなるも、ろき御心みこころあささなめりかし。

 やうやう目覚めさめて、いとおぼえずあさましきに、あきれたる気色けしきにて、なに心深こころふかくいとほしき用意よういもなし。なかをまだおもらぬほどよりは、さればみたるかたにて、あえかにもおもひまどはず。われともらせじとおもほせど、いかにしてかかることぞと、のちおもひめぐらさむも、わがためにはことにもあらねど、あのつらきひとの、あながちにをつつむも、さすがにいとほしければ、たびたびの御方違おほんかたたがへにことつけたまひしさまを、いとようひなしたまふ。たどらむひと心得こころえつべけれど、まだいとわか心地ここちに、さこそさしぎたるやうなれど、えしもおもかず。

 にくしとはなけれど、御心みこころとまるべきゆゑもなき心地ここちして、なほかのうれたきひとこころをいみじくおぼす。「いづくにはひまぎれて、かたくなしとおもひゐたらむ。かく執念しふねひとはありがたきものを」とおぼすしも、あやにくに、まぎれがたうおもでられたまふ。このひとの、なまこころなく、わかやかなるけはひもあはれなれば、さすがになさなさけしくちぎりおかせたまふ。

ひとりたることよりも、かやうなるは、あはれもふこととなむ、昔人むかしびとひける。あひおもひたまへよ。つつむことなきにしもあらねば、ながらこころにもえまかすまじくなむありける。また、さるべきひとびともゆるされじかしと、かねてむねいたくなむ。わすれでちたまへよ」など、なほなほしくかたらひたまふ。

ひとおもひはべらむことのづかしきになむ、えこえさすまじき」とうらもなくふ。

「なべて、ひとらせばこそあらめ、このちひさき上人うへびとつたへてこえむ。気色けしきなくもてなしたまへ」

 などひおきて、かのぎすべしたるとゆる薄衣うすごろもりてでたまひぬ。

 小君こぎみちかしたるをこしたまへば、うしろめたうおもひつつければ、ふとおどろきぬ。をやをらくるに、いたる御達ごたちこゑにて、

「あれはそ」

 とおどろおどろしくふ。わづらはしくて、

「まろぞ」といらふ。

夜中よなかに、こは、なぞありかせたまふ」

 とさかしがりて、ざまへ。いとにくくて、

「あらず。ここもとへづるぞ」

 とて、きみでたてまつるに、あかつきちかつきくまなくさしでて、ふとひとかげえければ、

「またおはするは、そ」とふ。

民部みんぶのおもとなめり。けしうはあらぬおもとのたけだちかな」

 とふ。丈高たけたかひとつねわらはるるをふなりけり。老人おいびと、これをつらねてありきけるとおもひて、

いま、ただいまちならびたまひなむ」

 とふ、われもこのよりでて。わびしければ、えはたかへさで、渡殿わたどのくちにかいひてかくちたまへれば、このおもとさしりて、

「おもとは、今宵こよひは、うへにやさぶらひたまひつる。一昨日をととひよりはらみて、いとわりなければ、しもにはべりつるを、ひとずくななりとてししかば、昨夜よべのぼりしかど、なほえふまじくなむ」

 と、うれふ。いらへもかで、

「あな、腹々はらはらいまこえむ」とてぎぬるに、からうしてでたまふ。なほかかるありきは軽々かろがろしくあやしかりけりと、いよいよおぼりぬべし。

小君、御車の後にて

 小君こぎみ御車みくるましりにて、二条院にでうのゐんにおはしましぬ。ありさまのたまひて、「をさなかりけり」とあはめたまひて、かのひとこころ爪弾つまはじきをしつつうらみたまふ。いとほしうて、ものもえこえず。

「いとふかにくみたまふべかめれば、おもてぬ。などか、よそにても、なつかしきいらへばかりはしたまふまじき。伊予介いよのすけおとりけるこそ」

 など、こころづきなしとおもひてのたまふ。ありつる小袿こうちきを、さすがに、御衣おほんぞしたれて、大殿籠おほとのごもれり。小君こぎみ御前おまへせて、よろづにうらみ、かつは、かたらひたまふ。

「あこは、らうたけれど、つらきゆかりにこそ、えおもつまじけれ」

 とまめやかにのたまふを、いとわびしとおもひたり。

 しばしうちやすみたまへど、られたまはず。御硯おほんすずりいそして、さしはへたる御文おほんふみにはあらで、畳紙たたうがみ手習てならひのやうにきすさびたまふ。

空蝉うつせみをかへてけるのもとになほひとがらのなつかしきかな

 ときたまへるを、ふところれてたり。かのひともいかにおもふらむと、いとほしけれど、かたがたおもほしかへして、おほんことつけもなし。かの薄衣うすごろもは、小袿こうちきのいとなつかしき人香ひとがめるを、身近みちかくならしてゐたまへり。

 小君こぎみ、かしこにきたれば、姉君あねぎみちつけて、いみじくのたまふ。

「あさましかりしに、とかうまぎらはしても、ひとおもひけむことさりどころなきに、いとなむわりなき。いとかう心幼こころをさなきを、かつはいかにおもほすらむ」

 とて、づかしめたまふ。左右ひだりみぎくるしうおもへど、かの御手習おほんてならひでたり。さすがに、りてたまふ。かのもぬけを、いかに、伊勢いせをの海人あまのしほなれてや、などおもふもただならず、いとよろづにみだれて。

 西にしきみも、ものづかしき心地ここちしてわたりたまひにけり。またひともなきことなれば、ひとれずうちながめてゐたり。小君こぎみわたありくにつけても、むねのみふたがれど、御消息おほんせうそこもなし。あさましとおもかたもなくて、されたるこころに、ものあはれなるべし。

 つれなきひとも、さこそしづむれ、いとあさはかにもあらぬ御気色みけしきを、ありしながらのわがならばと、かへすものならねど、しのびがたければ、この御畳紙おほんたたうがみかたかたに、

空蝉うつせみつゆ木隠こがくれてしのしのびにるるそでかな

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