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『発心集』原文と現代語訳(41)叡実、路頭の病者を憐れむ事

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『発心集』第41話「叡実えいじつ、路頭の病者を憐れむ事」は、帝に呼び出されながらも、道端で苦しむ病人を見捨てることができなかった僧・叡実えいじつ阿あ闍じや梨りの説話です。

叡実えいじつは、「帝も乞食も同じように感じる」と語り、権力や身分ではなく、目の前の命を救うことを選びました。

病人を憐れみ、看病を続けた叡実えいじつの姿は、当時の人々にも深く感動されたといいます。

本記事では、「叡実えいじつ、路頭の病者を憐れむ事」の現代語訳・原文・語釈をわかりやすく解説します。

目次

「叡実、路頭の病者を憐れむ事」原文・語釈・現代語訳

山に叡実阿闍梨といひて

原文

 山やまに、叡実阿闍梨えいじつあじやりといひて、貴たふとき人ひとありけり。

 御門みかどの御悩おんなやみ重おもくおはしましけるころ、召めしければ、たびたび辞じしまうしけれど、重かさねたるおほせ否いなみがたくて、生なま強じひにまかりける道みちに、あやしげなる病人びやうにんの足あし手てもかなはずして、ある所ところの築地つひぢのつらに平ひらがり伏ふせるありけり。

語釈

  • 山:比叡山。
  • 叡実えいじつ:延暦寺の僧。生没年・伝記等未詳。
  • 阿あ闍じや梨り:天台宗・真言宗の密教僧の僧職の一つ。
  • 帝みかど:『続本朝往生伝』などによれば、第64代円融天皇(959年 – 991年)。
  • 御悩み:『元亨釈書』によると狂病。神経系の病気か。
  • 生なま強じひ:(したくないのに)しぶしぶしてしまうさま。
  • 罷まかる:参る。参上する。
  • 平ひらがる:平らになる。腹這いになる。

現代語訳

 比叡山に、叡実阿闍梨という尊い人がいた。

 帝の御病気が重くなられていた頃、内裏に召されたので、たびたび辞退を申し上げていたが、度重なる仰せを断ることができず、しぶしぶ参上することになった。その道の途中に、みすぼらしい病人が、手足も思うように動かせず、ある所の築地のそばに腹這いになって伏していた。

阿闍梨これを見て

原文

 阿闍梨あじやりこれを見みて、悲かなしみの涙なみだを流ながしつつ、車くるまより降おりて、憐あはれみとぶらふ。畳たたみ、求もとめて敷しかせ、上うへに仮屋かりやさし覆おほひ、食くひ物もの求もとめ扱あつかふほどに、やや久ひさしくなりにけり。勅使ちよくし、

「日ひ暮くれぬべし。いといと便びんなきことなり」

 と言いひければ、

「参まゐるまじき。かく、その由よしをまうせ」

 と云いふ。御おん使つかひ驚おどろきて、故ゆゑを問とふ。

語釈

  • 畳:平安時代では、主としてござに縁をつけた敷物。
  • 扱あつかふ:看病する。世話をする。
  • 便びんなし:不都合である。

現代語訳

 阿闍梨はこれを見て、悲しみの涙を流しながら車を降り、病人を憐れんで見舞った。畳を求めて敷かせ、その上に仮の屋根を覆い、食べ物を探し求めて看病しているうちに、やや長い時間が経ってしまった。勅使が、

「これでは日が暮れてしまいます。まことに都合の悪いことです」

 と言うと、阿闍梨は、

「私は参るわけにはいきません。このように、その事情を申し上げてください」

 と言う。勅使は驚いて、その理由を問うた。

阿闍梨言ふやう

原文

 阿闍梨あじやり言いふやう、

「世よを厭いとひて、心こころを仏道ぶつだうに任まかせしより、御門みかどの御おんこととても、あながちに貴たつとからず。かかる非人ひにんとても、また愚おろかならず。ただ、同おなじやうに思おぼゆるなり。それにとりて、君きみの御おん祈いのりのため、験しるしあらん僧そうを召めさんには、山々やまやま寺々てらでらに多おほかる人ひと誰たれかは参まゐらざらん。さらにこと欠かくまじ。

語釈

  • 世を厭いとふ:世俗を嫌って隠遁する。出家する。
  • 非ひ人にん:非常に貧しい人。乞食。
  • 験しるし:効験。ききめ。霊験。御利益。

現代語訳

 阿闍梨が言うには、

「出家して、心を仏道に任せて以来、帝の御事であっても、必ずしも尊いとは思いません。このような乞食であっても、疎かにはできないのです。ただ、どちらも同じように思われるのです。それに、帝の御祈りのために効験ある僧を召そうとするならば、山々寺々に大勢いる僧のうち、誰が参上しないでしょうか。まったく人に事欠くことはないでしょう。

この病者に至りては

原文

この病者びやうじやに至いたりては、厭いとひ汚きたなむ人ひとのみありて、近付ちかづき扱あつかふ人ひとはあるべからず。もし、われ捨すてて去さりなば、ほとほと命いのちも尽つきぬべし」

 とて、彼かれをのみ、憐あはれみ助たすくる間あひだに、つひに参まゐらずなりにければ、時ときの人ひとありがたきことになん言いひける。

 この阿闍梨あじやり、終をはりに往生わうじやうをとげたり。詳くはしく伝でんにあり。

語釈

  • 往わう生じやう:⦅仏教語⦆死んでから、阿弥陀仏のいる極楽浄土へ生まれ変わること。
  • 伝でん:『続本朝往生伝』をさす。

現代語訳

この病者に至っては、避けて汚ながる人ばかりで、近づいて看病する人などいないでしょう。もし、私が捨てて去ってしまったら、危うく命も尽きてしまうかもしれません」

 と言って、ただこの病人を憐れんで助けているうちに、とうとう参上することはなかったので、当時の人々は、めったにないことだと言った。

 この阿闍梨、最期は往生を遂げた。詳しくは『続本朝往生伝』にあり。

「叡実、路頭の病者を憐れむ事」原文全文

 山やまに、叡実阿闍梨えいじつあじやりといひて、貴たふとき人ひとありけり。

 御門みかどの御悩おんなやみ重おもくおはしましけるころ、召めしければ、たびたび辞じしまうしけれど、重かさねたるおほせ否いなみがたくて、生なま強じひにまかりける道みちに、あやしげなる病人びやうにんの足あし手てもかなはずして、ある所ところの築地つひぢのつらに平ひらがり伏ふせるありけり。

 阿闍梨あじやりこれを見みて、悲かなしみの涙なみだを流ながしつつ、車くるまより降おりて、憐あはれみとぶらふ。畳たたみ、求もとめて敷しかせ、上うへに仮屋かりやさし覆おほひ、食くひ物もの求もとめ扱あつかふほどに、やや久ひさしくなりにけり。勅使ちよくし、

「日ひ暮くれぬべし。いといと便びんなきことなり」

 と言いひければ、

「参まゐるまじき。かく、その由よしをまうせ」

 と云いふ。御おん使つかひ驚おどろきて、故ゆゑを問とふ。

 阿闍梨あじやり言いふやう、

「世よを厭いとひて、心こころを仏道ぶつだうに任まかせしより、御門みかどの御おんこととても、あながちに貴たつとからず。かかる非人ひにんとても、また愚おろかならず。ただ、同おなじやうに思おぼゆるなり。それにとりて、君きみの御おん祈いのりのため、験しるしあらん僧そうを召めさんには、山々やまやま寺々てらでらに多おほかる人ひと誰たれかは参まゐらざらん。さらにこと欠かくまじ。この病者びやうじやに至いたりては、厭いとひ汚きたなむ人ひとのみありて、近付ちかづき扱あつかふ人ひとはあるべからず。もし、われ捨すてて去さりなば、ほとほと命いのちも尽つきぬべし」

 とて、彼かれをのみ、憐あはれみ助たすくる間あひだに、つひに参まゐらずなりにければ、時ときの人ひとありがたきことになん言いひける。

 この阿闍梨あじやり、終をはりに往生わうじやうをとげたり。詳くはしく伝でんにあり。

「叡実、路頭の病者を憐れむ事」現代語訳全文

 比叡山に、叡実阿闍梨という尊い人がいた。

 帝の御病気が重くなられていた頃、内裏に召されたので、たびたび辞退を申し上げていたが、度重なる仰せを断ることができず、しぶしぶ参上することになった。その道の途中に、みすぼらしい病人が、手足も思うように動かせず、ある所の築地のそばに腹這いになって伏していた。

 阿闍梨はこれを見て、悲しみの涙を流しながら車を降り、病人を憐れんで見舞った。畳を求めて敷かせ、その上に仮の屋根を覆い、食べ物を探し求めて看病しているうちに、やや長い時間が経ってしまった。勅使が、

「これでは日が暮れてしまいます。まことに都合の悪いことです」

 と言うと、阿闍梨は、

「私は参るわけにはいきません。このように、その事情を申し上げてください」

 と言う。勅使は驚いて、その理由を問うた。

 阿闍梨が言うには、

「出家して、心を仏道に任せて以来、帝の御事であっても、必ずしも尊いとは思いません。このような乞食であっても、疎かにはできないのです。ただ、どちらも同じように思われるのです。それに、帝の御祈りのために効験ある僧を召そうとするならば、山々寺々に大勢いる僧のうち、誰が参上しないでしょうか。まったく人に事欠くことはないでしょう。この病者に至っては、避けて汚ながる人ばかりで、近づいて看病する人などいないでしょう。もし、私が捨てて去ってしまったら、危うく命も尽きてしまうかもしれません」

 と言って、ただこの病人を憐れんで助けているうちに、とうとう参上することはなかったので、当時の人々は、めったにないことだと言った。

 この阿闍梨、最期は往生を遂げた。詳しくは『続本朝往生伝』にあり。

『続本朝往生伝』とは?

『続本朝往生伝』とは、平安時代後期の歌人、大江匡房おおえのまさふさ(1041年 – 1111年)がまとめた42人の往生者の伝記です。

康和3(1101)年から天永2(1111)年の間に成立したとされています。

慶滋保胤よししげのやすたね(933年以後 – 1002年)の『日本往生極楽記(本朝往生伝)』を継ぐものとして書かれたため、「続」となっています。

慶滋保胤は鴨家の一族で、長明の約200年前のご先祖様。

慶滋よししげという姓は、賀茂を「よししげ」と読んで改姓したものと思われます。

『日本往生極楽記』のほかに『池ち亭てい記き』という著書を残し、こちらは『方丈記』にも大きな影響を与えています。

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