このページでは、『源氏物語』第1帖「桐壺」の現代語訳全文を、わかりやすい口語訳で掲載しています。原文を確認しながら読みたい方は、『源氏物語』第1帖「桐壺」原文全文をご覧ください。
光源氏誕生
いつの帝の時代だったでしょうか。宮中には、女御や更衣が大勢お仕えしていました。その中に、家柄はそれほど高くないのに、帝から誰よりも深く愛されている女性がいました。当然、ほかの女御たちはおもしろくありません。初めから「自分こそは」と高い自負を持っていた身分の高い女御たちは、その女性を目障りに思い、見下し、嫉妬しました。同じくらいの身分や、それより低い更衣たちは、なおさら穏やかではいられません。
毎日の宮仕えでも、彼女が帝に呼ばれるたびに誰かの嫉妬を買います。そんな恨みを受け続けたせいでしょうか。彼女はだんだん病気がちになり、実家に帰って休むことが多くなりました。ところが帝は、弱っていく彼女を見るほど、ますます愛しくてたまりません。周囲が何と言おうと気にせず、彼女を特別扱いしました。その寵愛ぶりは、もはや世間の噂になるほどでした。
上達部や殿上人たちも、「これはさすがにひどすぎる」と冷ややかな目で見ています。
「唐の国でも、帝が一人の女性にのめり込んだせいで世の中が乱れたことがあったではないか」
そんな声まで出てきました。楊貴妃の話まで持ち出されそうな勢いです。彼女にとって宮中は、日に日に居心地の悪い場所になっていきました。それでも、帝がこれほどまでに自分を大切にしてくれる。そのことだけを心の支えにして、彼女は宮仕えを続けていました。
彼女の父である大納言は、すでに亡くなっています。母の北の方は由緒ある家柄の女性でした。今をときめく女御たちのように両親がそろい、強い後ろ盾があるわけではありません。それでも母君は、娘が恥をかかないよう、儀式や行事のたびにできる限りのことをしていました。ただ、やはり頼れる有力者がいません。大きな行事の時などには、どうしても心細さが目立つのでした。
そんな彼女と帝には、前世からよほど深い縁があったのでしょうか。やがて彼女は、この世のものとは思えないほど美しい、玉のような皇子を産みました。誕生を待ちわびていた帝は、さっそく皇子を宮中へ呼び寄せます。実際にその顔を見ると、本当にめったにないほどかわいらしい赤ちゃんでした。
すでに帝には第一皇子がいました。右大臣家の身分の高い女御が産んだ皇子で、強力な後ろ盾もあります。「この方がいずれ皇太子になる」と、誰もが信じていました。けれど、今度生まれた若宮の輝くような美しさには、とてもかないません。帝も表向きは第一皇子をきちんと大切に扱っています。しかし心の中では、「この若宮こそ、何より大切にしたい」と思わずにはいられません。帝は若宮に、限りない愛情を注ぐのでした。
母の更衣も、もともとは普通の女房のように軽く扱われる身分ではありません。宮中での評判も高く、それなりの気品をもって暮らしていました。ところが帝があまりにも彼女を離したがらないのです。管絃の遊びなど、何か風流な催しがあるたびに、「まずあの人を呼ぼう」となります。時には二人で朝遅くまで寝過ごし、そのまま一日中そばに仕えさせることまでありました。こんなことが続くので、かえって彼女が軽い女性のように見られてしまうことさえあります。
しかも若宮が生まれてからというもの、帝の特別扱いはいっそう目立つようになりました。これを見た第一皇子の母、弘徽殿女御は、若宮が第一皇子を越えて皇太子になるのではないかと疑い始めます。弘徽殿女御は誰よりも早くから帝に仕え、その寵愛も深く、第一皇子のほかにも皇子や皇女を産んでいる女性です。さすがの帝も、この人の意見だけは無視できず、気を遣っていました。
一方、桐壺更衣には帝という絶対的な味方がいました。けれど、周囲には上から彼女を見下し、欠点を探そうとする女御たちが大勢います。もともと体が弱く、心も繊細な女性です。どうしても、いろいろなことを気に病んでしまいました。
更衣の部屋は桐壺にありました。帝の御座所からは遠く、帝が桐壺へ行くためには、ほかの女御たちの部屋の前をいくつも通らなければなりません。それなのに帝は途中の女御たちには目もくれず、何度も何度も桐壺へ通います。素通りされる女御たちが嫉妬するのも、無理はありません。
逆に桐壺更衣が帝のもとへ呼ばれる時にも、嫌がらせはありました。通り道の橋や廊下に汚いものをまき散らし、付き添う女房たちの着物の裾が耐えられないほど汚れることもあります。ある時には、必ず通らなければならない廊下の前後の戸を示し合わせて閉め、桐壺更衣を中に閉じ込め、困らせたことさえありました。こうした苦しいことが数え切れないほど重なり、桐壺更衣はすっかり思い詰めてしまいました。
その様子を見た帝は、かわいそうでたまりません。そこで清涼殿に近い後涼殿の部屋を桐壺更衣に与えることにしました。もともとそこを使っていた更衣には、「ほかの部屋へ移るように」と命じてしまいます。これで桐壺更衣は、帝に呼ばれた時の控えの部屋として使えるようになりました。もちろん、追い出された側の更衣にしてみれば、たまったものではありません。桐壺更衣への恨みは、また一つ増えてしまったのでした。

桐壺更衣の死
若宮が三歳になった年、袴着の儀式が行われました。帝は第一皇子の時にも負けないほど力を入れ、宮中にある貴重な品々を惜しげもなく使わせます。それはたいそう盛大な儀式になりました。
これまで桐壺更衣と若宮については、何かと悪く言う人が多くいました。ところが若宮は成長すればするほど、美しく、聡明になっていきます。あまりにも見事なので、さすがに女御たちも素直に憎み続けることができません。物の道理の分かる人たちは、「こんな子が本当にこの世に生まれるものなのか」と、驚いて見つめるほどでした。
その年の夏、桐壺更衣はひどく体調を崩しました。心までぼんやりしてしまうような重い病気です。
「実家へ帰って、しばらく静養させてください」
そう申し出ました。ところが帝は、なかなか休ませようとしません。桐壺更衣は以前から病気がちだったので、帝も今回もいつものことだと思ったのでしょう。
「もう少し様子を見よう」
そう言うばかりでした。けれど病気は日に日に悪くなります。わずか五、六日のうちに、見る影もないほど弱ってしまいました。母君が泣きながら帝にお願いし、ようやく実家へ帰る許しが出ます。こんな時にも思いがけない恥を受けてはならないと気を配り、若宮は宮中に残したまま、桐壺更衣だけが人目を忍んで退出することになりました。
宮中には守らなければならない決まりがあるため、いくら帝でも、これ以上引き止め続けることはできません。それでも、せめて見送ることさえできないのが、帝には言いようもなく心残りでした。
桐壺更衣はもともと、つややかで美しい女性でした。それが今は、すっかりやせ細っています。深く思い悩みながらも、言いたいことを言葉にする力さえありません。生きているのかどうかも分からないほど弱々しく、今にもそのまま消えてしまいそうです。その姿を見た帝は、過去のことも未来のことも考えられなくなりました。涙を流しながら、この先のことをあれこれ約束しますが、更衣には答える力もありません。
目にも力がなく、体はぐったりとして、意識もはっきりしない様子で横になっています。帝はどうしたらよいのか分からず、すっかり取り乱しました。特別に手車のまま退出する許しまで出したというのに、また更衣のもとへ戻り、どうしても手放すことができません。
「死ぬ時は一緒だと約束したではないか。まさか、わたし一人を残して行ってしまうつもりではないだろうね」
そう言う帝を、更衣も悲しそうに見上げました。そして、かすかな声で歌います。
限りとてわかるる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
「これが最後だと思ってお別れするのが、こんなに悲しいのです。今の私が本当に欲しいものは、ただ命なのですね……」
そして、
「こんなにも生きたいと思うことになるのなら……」
と、息も絶え絶えに言います。まだ何か話したいことがあるようでしたが、ひどく苦しそうで、もうその力がありません。帝は、いっそこのまま、どのような最期を迎えるにしても最後まで見届けたいと思いました。
けれど更衣の母君が、
「今日から始めることになっている祈祷の準備を、しかるべき方々がすでに整えております。今夜から始めなければなりませんので……」
と申し上げます。どうすることもできません。帝は断腸の思いで、更衣を退出させました。
その夜、帝はまったく眠ることができませんでした。実家へ見舞いに行かせた使者が往復するほどの時間もまだ経っていないのに、「まだ帰らないのか」と、落ち着かない様子で何度も口にします。
やがて使者が戻ってきました。
「夜中を過ぎたころ……とうとう、お亡くなりになりました」
更衣の実家では、人々が声をあげて泣いていたそうです。使者自身もすっかり力を落として帰ってきました。それを聞いた帝は、何も考えられなくなりました。部屋に閉じこもり、誰にも会おうとしません。
本当なら、せめて若宮だけでもそばに置いておきたい。けれど母親の喪中に、その子が宮中に残るという前例はありません。若宮も更衣の実家へ帰されることになりました。まだ幼い若宮には、何が起きたのかよく分かりません。周りの女房たちは泣き崩れています。帝までずっと泣いています。若宮はそれを、不思議そうに眺めていました。ただでさえ親子の別れは悲しいものです。まして、この子は母親が死んだことさえ理解していません。その姿がますます哀れで、誰も言葉をかけられないのでした。
どれほど別れを惜しんでも、いつかは葬らなければなりません。決まりの作法に従って、桐壺更衣の葬送が行われることになりました。けれど母君は、
「娘と一緒に煙になって、空へ昇ってしまいたい」
と泣き、葬列の女房たちの車を追うように自分も乗り込みました。葬送の地、愛宕に着きます。厳かな葬儀が進んでいました。その場に立った母君の気持ちは、いったいどれほどのものだったでしょう。
「魂の抜けた亡骸を見ていると、それでもまだ生きているような気がしてしまうのです。それがかえってつらい。いっそ灰になってしまうところまで見届けて、『本当にもうこの世にはいないのだ』と思い切ってしまいたいのです」
気丈にそう言います。けれど体は、車から転げ落ちそうなほどふらふらでした。女房たちも、「やはりこうなってしまった……」と、どう支えたらいいのか分からず困っています。
そこへ宮中から勅使がやって来ました。亡くなった桐壺更衣に三位の位を贈るためです。勅使が宣命を読み上げる声が、何とも悲しく響きます。帝には、生きているうちに彼女を女御と呼ばれる身分にしてあげられなかったことが、どうしても心残りでした。そこで、せめてもう一段高い位をと、死後に三位を贈ったのでした。
この贈位についてさえ、なお桐壺更衣を憎む人々は快く思いませんでした。けれど、物の道理の分かる人たちは、亡くなって初めて思い出していました。桐壺更衣は、姿もたいへん美しく、性格も穏やかで感じがよく、決して憎み続けられるような女性ではなかったのです。
帝のあまりにも露骨な寵愛があったから、みんな腹を立てていただけでした。実際に接した女房たちは、彼女の優しさや思いやりを思い出し、「懐かしい方だった」と語り合っています。「亡くなってからこそ、人は恋しく思われるものだ」という昔の歌の言葉は、まさにこんな時の気持ちなのでしょう。

帝から届いた手紙
そうして何日かが過ぎました。帝は桐壺更衣のその後の法要にも、一つ一つ丁寧に使者を送りました。時間がたてば少しは悲しみも薄れるかと思えば、そんなことはありません。むしろ日がたつほど、どうすることもできない悲しみが深くなっていきます。
帝はほかの女御を夜のお相手に呼ぶことさえなくなりました。毎晩ただ涙に濡れながら、夜を明かします。帝のおそばに仕える人々まで悲しみに包まれ、宮中全体が涙の露に濡れたような秋になりました。
そんな中でも、弘徽殿女御の周囲では、
「亡くなってからまで、人の心を騒がせる方ですね」
と、まだ厳しいことを言う人がいました。帝は第一皇子を見ても、亡き桐壺更衣の若宮のことばかり思い出します。そこで信頼できる女房や乳母を、更衣の実家へ送っては、「若宮はどうしている」と様子を聞いていました。
荒々しい風が吹き、急に肌寒くなった秋の夕方。帝はいつも以上に桐壺更衣のことを思い出していました。そこで靫負命婦という女房を、更衣の実家へ使いに出します。夕月が美しく照らす空の下、命婦を送り出したあとも、帝は物思いに沈んでいました。
こういう風情のある季節になると、昔はよく管絃の遊びをしたものです。そんな時、桐壺更衣の奏でる楽器の音は美しく、歌う声も透き通っていて、ほかの誰とも違っていました。今でも目を閉じれば、その姿が浮かんできます。けれど、どれだけ鮮やかに思い出しても、かつて実際に暗闇の中で触れた、あの人そのものにはかないません。
命婦は桐壺更衣の実家へ着きました。車を門の中へ入れた途端、そこにはもう、もの寂しい空気が漂っています。母君は一人で暮らしていました。もともとは大切な一人娘のために、家の中も庭もきちんと整え、見苦しくないようにしていた家です。ところが娘を失ってからは、そんなことに気を配る余裕もありません。草は伸び放題。秋の強い風に吹き倒され、庭はすっかり荒れていました。月の光だけが、生い茂ったつる草の隙間から、何にも邪魔されず差し込んでいます。
母君は南側の部屋に命婦を招き入れました。けれど、すぐには言葉が出ません。
「こんなに長く生き残っていること自体が、もうつらくてなりません。この荒れ果てた家へ、帝のお使いであるあなたに草をかき分けて入っていただくなんて、本当にお恥ずかしいことです」
そう言いながら、母君は涙をこらえることができません。
命婦も言います。
「以前こちらへお見舞いに来た典侍も、『あまりにおいたわしくて、胸がえぐられるようでした』と帝に申し上げておりました。物の情けなどよく分からない私でさえ、ここへ来ると、とても平静ではいられません」
そして少しためらいながら、帝からの言葉を伝えました。
「帝は涙で声を詰まらせながら、こうおっしゃっていました。
『しばらくは、これは夢なのではないかと思い続けていた。少しずつ我に返ってくると、今度はこの現実から目を覚ます方法がないことが、かえって耐えられない。どうすればいいのか相談する相手さえいない。できることなら、人目につかないよう宮中へ来てはくれないだろうか。若宮が、みんなが泣き沈んでいる家で暮らしているのもかわいそうだ。早く連れて参ってほしい』
と。けれど最後まで、はっきりおっしゃることはできませんでした。あまり悲しみを見せれば、帝として弱々しく見えるのではないかと、人目も気にしていらっしゃるようでしたので、私もすべてをお聞きすることはできないまま退出してまいりました」
そう言って、命婦は帝からの手紙を差し出しました。
母君は、
「涙で目もよく見えませんが、これほど恐れ多い帝のお言葉を光として、拝見いたしましょう」
と言って、手紙を開きました。
そこには、時がたてば少しは悲しみも紛れるかもしれないと、それだけを頼りに月日を過ごしてきたこと。けれど、月日がたつほど悲しみは耐えがたくなるばかりで、どうすることもできないこと。幼い若宮がどうしているのか心配でならず、母君と一緒に若宮を育てられないことが心残りであること。そして今は、母君自身を亡き更衣の形見と思って宮中へ来てほしいことなどが、心を込めて書かれていました。
そして歌があります。
宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ
宮城野の露を結ばせる秋風の音を聞くにつけても、私は小さな萩――若宮のいるあなたの家のことを思わずにはいられない。
母君は、手紙を最後まで読むことができませんでした。

更衣の母と命婦
母君は言いました。
「長生きをするということが、こんなにもつらいことだったのかと思い知らされました。長寿の象徴である松を見るだけでも、『自分はまだ生きているのか』と恥ずかしく思えるほどです。そんな私が宮中へ出入りするなど、なおさら恐れ多いことでございましょう。
ありがたいことに、帝からは何度もお声をかけていただいております。けれど私自身は、どうしても宮中へ参る決心がつきません。若宮は、幼いながら何かを感じ取っていらっしゃるのでしょうか。宮中へ戻ることばかり気にしておられるようです。
祖母である私としては、若宮と離れなければならないのも当然とは思いながら、それでも悲しくてなりません。どうか、それぞれの気持ちを帝にお伝えください。私は夫にも娘にも先立たれた、不吉な身でございます。そんな私のところに若宮を置いておくこと自体、恐れ多いことで……」
そこまで言いました。若宮は、もう眠っていました。
命婦は、
「ぜひ若宮のお顔を拝見し、ご立派な御様子を帝にお伝えしたいところですが、帝も宮中でお待ちでしょう。あまり夜が更けないうちに帰らなくては……」
と言って、帰り支度を始めます。
すると母君は、
「真っ暗な闇の中をさまよっているような、この私の気持ち。そのほんの一部でも晴れるまで、もっとお話をしたいのです。今度は帝のお使いとしてではなく、個人的にゆっくりいらしてください。
ここ数年、あなたがこの家へいらっしゃる時は、いつも何かおめでたいことや華やかなことがある時でした。それなのに今度は、こんな悲しい知らせを持って来られる使者としてお会いすることになるなんて。自分がまだ生きていることが、本当に恨めしく思えます。
あの子は、幼いころから宮仕えを志していました。亡くなった夫、大納言も、臨終の間際まで、
『あの子が宮仕えをしたいという願いだけは、必ずかなえてやってくれ。私が死んだからといって、悲しんで諦めさせてはいけない』
と何度も言い残したのです。夫が亡くなり、しっかりした後見人もいない。そんな状態で娘を宮仕えに出すのは、むしろつらいことになるのではないかと思いました。それでも夫の遺言には背けない。ただそれだけで、あの子を宮中へ送り出したのです。
すると、身に余るほど帝から大切にしていただきました。本当にありがたいことでした。けれどその一方で、人並みに扱われないつらさを隠しながら、宮仕えを続けていたのでしょう。人々の嫉妬や恨みが深く積み重なり、穏やかではないことが次々に起こり、とうとう思いがけない形で亡くなってしまいました。
こんなことになるくらいなら、帝にあれほど愛していただいたことさえ、かえってあの子を苦しめたのではないか。そんなふうにまで思ってしまいます。これも、娘を失って何も分からなくなっている母親の心なのでしょうか……」
そう言いながら、最後まで話し終わることもできず、母君は涙にむせびました。そうしているうちに、夜はどんどん更けていきます。
命婦は言いました。
「帝も、まったく同じようなことをおっしゃっています。
『自分でも、どうしてあれほど人目を驚かせるほどまで、ひたすらあの人を愛したのだろうと思う。今となっては、それほど強く結ばれたのも、長くは続かないつらい縁だったからなのだろうか。
私はこれまで、世の中で誰かの気持ちをひどく損ねるようなことなどなかったと思う。それなのに、ただあの人を愛したために、本来なら受けるはずのない多くの人々の恨みまで背負い、最後にはあの人にも先立たれてしまった。心を静めるすべもなく、ますます人目にもみっともないほど取り乱している。いったい前世にどのような因縁があったのだろう』
そう何度もおっしゃりながら、帝は御袖を涙で濡らしておられます」
命婦も、最後まで語りきることができません。そして泣きながら、
「もうすっかり夜も更けました。これ以上遅くならないうちに、御返事を帝へお伝えいたしましょう」
と言って帰ろうとします。
月が沈みかけるころでした。空は澄み切っています。風はすっかり涼しくなり、草むらでは虫たちが鳴いています。その声まで涙を誘うようで、命婦もなかなかこの家を離れられません。
そこで歌を詠みました。
鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな
鈴虫がありったけの声で鳴き続けるように、私も一晩中泣き続けています。それでもこの長い秋の夜が明けるまで、涙は尽きそうにありません。
命婦はなかなか車に乗れません。母君も返します。
いとどしく虫の音しげき浅茅生に露おき添ふる雲の上人
ただでさえ虫の声が悲しく響く荒れたこの家に、宮中から来たあなたまで涙という露を置いていくのですね。
「もう、わけの分からないことまで口にしてしまいそうです……」
母君はそう言って、女房を通して歌を伝えました。
華やかな贈り物を用意できるような状況ではありません。そこで亡くなった桐壺更衣の形見として残していた衣装一式や、髪を整える時に使っていた道具などを、命婦に託しました。
更衣に仕えていた若い女房たちも、主人を失った悲しみは言うまでもありません。それまで朝も夕方も当たり前のように宮中へ出入りしていたのに、その生活が急になくなりました。みんな、ひどく寂しい思いをしています。
帝の御様子を聞けば、「若宮を早く宮中へお返しした方がいいのでは」と思う者もいました。けれど母君は、「こんな縁起の悪い身になった私が若宮について宮中へ行くなんて、世間から見てもつらいことでしょう。だからといって、若宮のお顔を一日でも見られなくなると思うと、とても耐えられません」と考えます。そのため、きっぱり若宮を宮中へ返す決心もできないのでした。

悲しみに沈む帝
命婦が宮中へ戻ると、帝はまだお休みになっていませんでした。その姿を見るだけで、命婦も胸が痛みます。
帝は、今ちょうど美しく咲いている庭の秋の草花を眺めるふりをしながら、気心の知れた女房を四、五人だけそばに置いて、静かに話をしていました。最近、帝が朝から晩まで眺めているのは『長恨歌』を描いた屏風です。昔、宇多天皇が絵師に描かせ、伊勢や紀貫之らに歌を添えさせたものです。
和歌にしても漢詩にしても、そこに描かれているのは愛する人との死別の悲しみばかり。帝はそれを、まるで口癖のように何度も話題にしていました。
命婦を見ると、帝はすぐに更衣の実家の様子を細かく尋ねました。
命婦は、そこで見たものがどれほど悲しいものだったかを、一つ一つ申し上げます。そして母君からの返事を差し出しました。
そこには、
「このようにもったいない帝のお手紙を、いつまでも私などの手元に置いておくわけにはまいりません。このようなありがたいお言葉をいただきましても、今の私は心が真っ暗で、何をどう考えればよいのかも分かりません」
とあり、歌が添えられていました。
荒き風吹せぎし陰の枯れしより小萩が上ぞ静心なき
激しい風から小萩を守っていた木陰が枯れてしまってから、残された小萩の身の上が心配で、私の心も落ち着きません。
悲しみに乱れた心のまま書かれた文面でしたが、帝は、娘を失って心を静められない母君なのだからと、その乱れもお許しになりました。
帝は、ここまで取り乱した姿を人に見せまいと何度も気持ちを落ち着かせようとします。けれど、どうしても悲しみを抑えきれません。桐壺更衣と初めて会った時からの年月まで、次から次へと思い出されます。
昔はほんの少し会えないだけでも待ちきれなかったのに、今ではもう会うことができません。それでも月日はこうして過ぎてしまったのだと、帝は自分でも驚くほどでした。
そしてふと、
「亡き大納言の遺言どおり、あの人は本当に宮仕えを最後までやり通してくれた。その気持ちに、いつか必ず報いてやりたいと思っていたのに。今となっては、何を言ってもどうにもならない……」
と口にします。更衣の母君のことも、かわいそうでなりません。
「今はこんな状態でも、若宮が成長すれば、いつか必ず報いる機会もあるだろう。だからどうか、長生きしてほしい。ただそれだけを祈ろう」
帝はそう言いました。
命婦は、母君から預かってきた桐壺更衣の形見の品を帝に見せます。帝はそれを見ながら、「これが、あの人のいる場所を教えてくれるかんざしだったなら……」と思いました。けれど、もちろんそんなことはありません。
帝は歌を詠みます。
尋ねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく
幻術師でも何でもいい。亡き人を探し出せる者がいてくれたなら。その人を頼りに、せめて魂がどこにいるのかだけでも知りたい。
屏風には楊貴妃の姿が描かれています。どれほど優れた絵師でも、絵には限界があります。本当に生きている女性の美しさを、そのまま描き切ることはできません。
太液池に咲く蓮のような美しい顔。未央宮の柳のような細く美しい眉。楊貴妃の姿は、確かに桐壺更衣によく似ています。唐風の豪華な衣装をまとった楊貴妃も、きっとすばらしく美しかったでしょう。それでも帝にとっては、身近でかわいらしかった桐壺更衣の方が、何にも代えられません。花にも鳥にも、その美しさをたとえることができないのです。
二人は朝夕、「いつか、空では翼を並べる鳥に、地上では枝を交わす木になろう」と約束していました。それなのに、その願いはかなわなかった。帝はどうしても、運命を恨まずにはいられません。
風の音を聞いても、虫の声を聞いても、何もかもが悲しく聞こえます。そんな中、弘徽殿女御はしばらく帝のもとへ顔を出していませんでした。
月の美しい夜、弘徽殿では夜遅くまで管絃の遊びをしていました。その音は、悲しみに沈む帝にはひどく興ざめで、不愉快なものに聞こえます。帝の御様子を毎日間近で見ている殿上人や女房たちも、弘徽殿の振る舞いを苦々しく思っていました。もともと弘徽殿女御は気が強く、物事をはっきり押し通すところのある女性で、桐壺更衣の死についても、ことさらに大事とは思わないように振る舞っていたのでしょう。
やがて月が山の向こうへ沈みました。
帝は歌います。
雲の上も涙に暮るる秋の月いかで住むらむ浅茅生の宿
宮中にいる私でさえ、涙で秋の月も見えなくなるほどなのだ。あの荒れた家で暮らす母君と若宮は、いったいどんな気持ちで過ごしているのだろう。
帝は母君と若宮のことを思いやりながら、灯火の芯を何度もかき立て、夜遅くまで起きていました。宿直している右近衛府の役人が点呼をする声が聞こえます。もう丑の刻になったのでしょう。
さすがに人目もあるので寝所へ入りました。けれど眠れるはずもありません。朝になっても、かつては夜が明けたことにも気づかず桐壺更衣と過ごしたことを思い出し、悲しみのあまり朝の政務まで怠りがちになりました。
食事もほとんど取りません。軽い食事には形だけ箸をつけますが、きちんとした食事など、とても喉を通りません。食事を用意する人々も、帝の姿を見て胸を痛めています。
帝のそばで仕える男女は、みな口々に、
「本当に、どうしたらよいものだろう」
と嘆きました。
「きっと前世から、こうなる運命だったのでしょう。あれほど大勢から嫉妬され、恨まれていることも気になさらず、桐壺更衣のこととなると、帝はいつも道理を忘れておられた。そして今度は、あの方が亡くなった悲しみで、政治まで放り出してしまいそうになっている。これは本当に困ったことだ」
そんなふうに、外国の帝の失敗例まで持ち出しながら、人々はひそひそと話していました。

若宮、源氏となる
さらに月日がたち、若宮は宮中へ戻ってきました。久しぶりに見る若宮は、前にもまして、この世のものとは思えないほど美しく成長しています。あまりに美しいので、帝はかえって不吉なほどだと感じました。
翌年の春、皇太子を決める時期がやって来ました。帝は、第一皇子を越えてこの若宮を皇太子にしたいと強く思っていました。けれど若宮には、母方の有力な後見人がいません。世間も納得しないでしょう。無理に皇太子にすれば、かえって若宮自身を危うい立場に置くことにもなりかねません。
帝はそう考え、気持ちを顔にも出しませんでした。世間の人々は、「あれほど若宮をかわいがっておられたけれど、さすがに皇太子にするまではなさらなかったか」とうわさします。弘徽殿女御も、ようやく安心しました。
ところが、また悲しい出来事が起きます。若宮の祖母である北の方は、娘を失ってから少しも悲しみを紛らわせることができず、せめて亡き娘のいるところへ自分も行きたいと願い続けていました。その願いがかなったかのように、とうとう祖母君まで亡くなってしまったのです。
帝の悲しみは、また限りなく深くなりました。若宮はこの年、六歳。今度はもう、「死」というものが分かります。大好きだった祖母がいなくなったことを理解し、泣いて恋しがりました。祖母君も亡くなる前、長年親しく暮らしてきた若宮をこの世に残していくことが悲しいと、何度も繰り返し口にしていました。
こうして若宮は、宮中で暮らすことになりました。七歳になると、帝は読書始を行わせます。漢籍を読み始める、学問の第一歩となる儀式です。
すると若宮は、世間で聞いたこともないほど聡明でした。あまりに賢いので、帝自身がかえって恐ろしく感じるほどです。
帝は周囲に言いました。
「もう、この子を憎む者はいないだろう。母親のいない子なのだから、どうかかわいがってやってほしい」
弘徽殿女御のところへ行く時にも、若宮を一緒に連れて行きます。そして、そのまま御簾の内側にまで入らせました。
どれほど気難しい人でも、たとえ武骨な武士であっても、若宮の顔を見れば、思わず笑顔になってしまいます。誰も冷たく突き放すことなどできません。弘徽殿女御には二人の皇女がいました。けれど、その姫君たちでさえ、若宮と比べようという気にはならないほどでした。
ほかの女御たちも、今では若宮の前で顔を隠そうともしません。まだ子どもなのに、若宮はすでにどこか優美で、こちらが気後れするほどの気品があります。それでいて愛嬌もあるので、誰もが自然に心を許し、親しくかわいがりました。
学問ができるのはもちろんです。琴を弾いても、笛を吹いても、その音が宮中に響き渡るほど見事でした。何をやらせても並外れており、すべてを書き連ねればかえって大げさに聞こえてしまうほどです。
ちょうどそのころ、高麗から来た人々の中に、非常に優れた人相見がいるという話がありました。帝はぜひ若宮を見せたいと思います。けれど外国人を宮中へ招くことは、宇多天皇以来の禁制がありました。
そこで帝は、誰にも知られないよう、若宮の方を鴻臚館へ行かせます。若宮の世話をしている右大弁の子どもということにして、ひそかに連れて行ったのです。
若宮を見た高麗の人相見は驚きました。何度も何度も首をかしげています。
そして言いました。
「この方には、一国を開き、帝王という最高の位にまで上る人相があります。ただし、その道へ進めば、国が乱れ、世の中に災いをもたらすかもしれません。かといって、この方を国を支える最高の臣下として見ようとすると、それもまた人相と合わないのです」
右大弁自身も非常に学問のある人物でした。高麗の人々と漢文で言葉を交わすのも、たいへん興味深いものでした。漢詩を作り合うことにもなります。
高麗の人相見は、「もうすぐ私はこの国を去る。その直前に、これほど珍しい相を持つ方に会えたのはうれしい。しかし出会ってしまったからこそ、別れがかえって悲しい」という内容の詩を詠みました。若宮も、それに対して心のこもった見事な詩を返します。
人相見はますます感動し、若宮に立派な贈り物をたくさん差し上げました。宮中からも高麗の一行へ、多くの贈り物が渡されます。帝は秘密にしたつもりでした。けれど、こういう話はどこからともなく漏れるものです。やがて世間にも広まってしまいました。
東宮の祖父である右大臣などは、いったい何のためにそのようなことをしたのだろうと疑いました。
実は帝は、その聡明さから、すでに日本の人相見にも若宮を見せ、ある程度の見通しを得ていました。そのため、若宮を今まで親王にしていなかったのです。高麗の人相見も同じように判断したことで、帝はその見立てが確かなものだったのだと思いました。
親王にしても、この若宮には母方の強い後ろ盾がありません。位を持たない親王として不安定な立場で生きさせるより、臣下として朝廷を支える人物にする方が将来も頼もしいだろう――帝はそう考えました。自分の治世がいつまで続くか分からないことも、気がかりだったのです。
帝はそう決心しました。そして、若宮にはますますさまざまな学問や芸事を習わせます。その才能は、本当にすばらしいものでした。
これほど優れた若宮を臣下にしてしまうのは、帝にとってもたいへん惜しいことでした。
けれど親王にすれば、皇位継承をめぐる世間の疑いを招きかねません。宿曜道の専門家に占わせても、やはり同じような結果が出ました。
そこで帝はついに、若宮を皇族から臣下に下ろし、「源」の姓を与えることにしたのでした。

藤壺との出会い
何年たっても、帝は桐壺更衣のことを忘れられませんでした。少しでも心が慰められるかと、それにふさわしい女性たちを宮中へ入れてみますが、亡き更衣になぞらえて思える人さえ、なかなか見つかりません。
亡き更衣の面影を思わせる女性さえ、この世にはいないのかと思うと、帝は何もかもが嫌になるほどでした。
そんなころ、先帝の第四皇女が、たいへん美しいという評判が立っていました。母親は先帝の后で、この姫宮をこの上なく大切に育てていました。
そんなころ、先帝の第四皇女が、大変美しいという評判が立っていました。母親は先帝の后。この姫宮を、この世に二人といないほど大切に育てていました。
帝に仕える典侍の中に、先帝の時代から宮中に仕え、この第四皇女のことも幼いころからよく知っている女性がいました。その典侍は、成長した四の宮を見ても、亡き桐壺更衣によく似ていると感じていました。
そこで帝に言いました。
「私は三代の帝にお仕えしてまいりましたから、亡くなった桐壺更衣様に似たお方がいないかと、いろいろな方を見てまいりました。けれど、先帝の后がお育てになっている四の宮ほど、あの方にそっくりに成長なさった方はいらっしゃいません。本当に珍しいほど美しい姫宮でございます」
典侍の話を聞いた帝は、本当にそのような方なのだろうかと強く心を引かれ、四の宮へ熱心に入内を申し入れるようになりました。
ところが四の宮の母である后は、帝の申し出を聞いて不安になりました。
「恐ろしいこと。東宮の母である弘徽殿女御は、ひどく気の強い女性だ。以前、桐壺更衣がどれほどつらい目にあったことか。娘まで同じようなことになったら……」
そう思うと、すぐに娘を宮中へ出す気にはなれません。そうこうしているうちに、その母后も亡くなってしまいました。
後ろ盾を失い、四の宮が心細く暮らしていると、帝から、
「私の皇女たちと同じように大切にしましょう」
という丁寧な申し出がありました。
四の宮に仕える人々も、後見人たちも、兄である兵部卿宮も、「このまま寂しく暮らしているより、宮中にお住まいになった方が気持ちも慰められるだろう」と考えます。こうして四の宮は宮中へ入りました。
この方を藤壺と呼びます。
実際に見ると、顔立ちも雰囲気も、「ここまで似るものなのか」と驚くほど、亡き桐壺更衣にそっくりでした。しかも藤壺は皇女です。身分では桐壺更衣より、はるかに上。世間からの評判も申し分ありません。誰も彼女を見下すことはできないので、帝がどれだけ大切にしても、「身分不相応だ」とは言われません。
桐壺更衣の場合は、周囲から認めてもらえなかったことが、かえって帝の愛情を激しくさせたところもありました。もちろん帝も、藤壺を桐壺更衣その人と取り違えているわけではありません。それでも似た面影を見るうちに、自然と心が藤壺へ向かい、長く抱えていた悲しみも少しずつ慰められていきました。
一方、源氏の君はいつも帝のそばで暮らしています。当然、帝が頻繁に通う藤壺の宮とも顔を合わせる機会がありました。
ほかの女御たちも、「自分が誰かに劣っている」などと思っている人はいません。それぞれに美しい女性ばかりです。けれど多くは、源氏の君から見ればかなり年上でした。藤壺だけは若く、しかもとても美しい。
もちろん藤壺は人前ではできるだけ顔を隠します。それでも、ふとした瞬間に顔がちらりと見えることがあります。源氏の君は、母親の顔を覚えていません。
そこへ典侍から、
「藤壺の宮は、あなたのお母様に本当によく似ていらっしゃいますよ」
と聞かされました。
幼い源氏の君は、藤壺が母によく似ていると聞くと、たまらなく慕わしく思うようになりました。いつも藤壺のもとへ行きたい、もっと親しくそばでお姿を拝見したいと願うようになります。
帝にとっても、藤壺と源氏の君はどちらも大切な人です。そこで藤壺に言いました。
「どうか、この子によそよそしくしないでやってください。不思議なくらい、あなたを見るとこの子の亡き母を思い出すのです。失礼だと思わず、かわいがってやってください。顔つきや目元など、本当によく似ています。だからあなたと源氏の君がどこか似て見えるのも、不思議ではないのですよ」
こう言われたこともあり、源氏の君は藤壺にどんどん心を寄せていきました。散る桜を見ても、色づく紅葉を見ても、何か美しいものに触れるたび、藤壺を思います。
源氏の君がこれほど藤壺に心を寄せていることも、弘徽殿女御にはおもしろくありません。弘徽殿女御は、もともと藤壺とも仲がよくなかったため、もともとの源氏への憎しみにさらに不快な気持ちが加わりました。
帝が「この世に並ぶ者はいない」と思うほど美しい藤壺。その藤壺よりなお、源氏の君の輝くような美しさは際立っていました。あまりにも美しいので、人々は源氏の君を、
「光る君」
と呼ぶようになります。そして藤壺も、光る君と並ぶほど美しく、帝からの寵愛も深かったので、
「輝く日の宮」
と呼ばれました。

光源氏の元服
光る君は、かわいらしい少年へと成長していました。帝は、「この美しい童姿を、大人の姿に変えてしまうのは惜しい」と思います。けれど十二歳になり、いよいよ元服することになりました。
帝は自ら細かなことまで心を配り、しきたりで決まっている以上のことまで用意させました。以前、東宮の元服が南殿で行われた時の盛大な儀式にも、決して見劣りしないものにしようとしたのです。
各所の饗応についても、内蔵寮や穀倉院へ特別に命令を出し、準備に少しでも不十分なところがないようにさせました。そのため、華やかさの限りを尽くした儀式となりました。
帝のおいでになる御殿の東の廂に、東向きに椅子を置き、冠者となる源氏の席と、加冠を務める大臣の席が御前に用意されます。
申の刻。いよいよ儀式が始まりました。
まだ子どもの髪型である角髪を結った光る君が入ってきます。顔立ち、肌の色つや、少年らしいかわいらしさ。あまりにも美しいので、「本当に、この姿を変えてしまうのか」と思うほどです。
大蔵卿が髪を切り整える役を務めました。美しい髪を切っていくにつれ、誰もが惜しい気持ちになります。帝は、「あの人が生きていて、この姿を見ることができたなら……」と桐壺更衣を思い出しました。涙がこみ上げます。けれど儀式の最中です。必死でこらえました。
冠をつける儀式が終わると、源氏はいったん休憩所へ下がり、大人用の衣装へ着替えました。そして下へ降り、帝に拝礼します。その姿を見て、参列していた人々はみな涙を流しました。
帝は誰よりも涙をこらえられません。桐壺更衣が生きていたころのことが、一気によみがえってきたのです。
帝は、まだあまりに幼い源氏が髪を上げれば、かえって美しさが損なわれるのではないかと心配していました。
ところが実際には、驚くほどかわいらしさが増して見えました。
加冠役を務めた左大臣には、一人の大切な娘がいました。妻である皇女との間に生まれた姫君です。実は春宮から、「ぜひ入内させてほしい」という内々の希望が出ていました。ところが左大臣は、なかなか決めませんでした。なぜなら、「この姫君を光る君の妻にしたい」という思いがあったからです。
そのことは帝にも伝わっていました。そこで帝は、
「それなら、この元服を機会にどうだ。光る君にはまだ妻もいないのだから、添臥の相手として姫君を」
と勧めます。左大臣も、ついに決心しました。
源氏が休憩所へ下がったあと、元服を祝う宴が始まりました。親王たちの席の末に源氏も座ります。左大臣は娘との縁談をそれとなく源氏にほのめかしましたが、まだ若く、こうしたことが恥ずかしい年ごろの源氏は、特に返事をすることもできませんでした。
そのうち帝のそばに仕える内侍が左大臣の席へ来ました。
「帝がお呼びです」
左大臣は御前へ進みます。加冠役を務めた褒美として、帝から品々をいただきました。白い大袿をはじめ、衣装一式。これは慣例どおりのものです。
帝は盃を与えながら、歌を詠みました。
いときなき初元結に長き世を契る心は結びこめつや
まだ幼いこの子の初めての元結に、あなたの娘と長く夫婦として結ばれてほしいという願いまで、しっかり結び込めてくれただろうか。
帝は、「娘との結婚を、どうか頼む」という気持ちを、この歌に込めています。
左大臣も返しました。
結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずは
私も深い思いを込めて元結を結びました。その紫の色がいつまでもあせないように、二人の縁も末永く続いてほしいものです。
左大臣は長橋から下り、帝への感謝を示す正式な拝礼をしました。さらに帝から、左馬寮の馬や蔵人所の鷹なども贈られました。
階段の下には親王や上達部がずらりと並び、それぞれにも身分に応じて祝いの品が与えられます。この日の宴の料理や贈り物の準備は、右大弁が担当しました。
屯食や、褒美を入れた唐櫃などが、場所がなくなるほど並んでいます。以前の春宮の元服より、さらに数が多いほどでした。決まりにないことまで次々と加えられ、前例がないほど盛大な元服となったのです。

葵の上との結婚
その夜、光る君は左大臣の邸へ向かいました。そのまま左大臣の娘と結婚するためです。婚礼の準備は、それはもう見たことがないほど豪華でした。左大臣も光る君を、この上なく大切にもてなします。
まだあどけなさの残る源氏の姿を、左大臣はこの上なくかわいらしいと思いました。
一方、姫君は源氏より少し年上でしたが、まだたいへん若い女性です。それでも夫となった源氏があまりにも幼く見えるので、釣り合わないようで気恥ずかしく思っていました。
この左大臣は、もともと帝から非常に信頼されている人物です。しかも姫君の母親は皇女。帝と同じ后から生まれた妹にあたります。つまり父親の家柄を見ても、母親の家柄を見ても、これ以上ないほど華やかな姫君です。その家に、今度は光る君まで婿として迎えられました。
一方、春宮の祖父である右大臣は、本来なら、「この先、世の中の中心になるのはこの家だ」と思われていた人物です。ところが光る君を婿に迎えたことで、左大臣家の勢いは一気に増しました。右大臣家さえ、かすんで見えるほどです。
左大臣には、母親の違う子どもが大勢いました。その中で、姫君と同じ母親から生まれた息子がいます。蔵人少将という、これまた若く美しい青年でした。
右大臣は左大臣とはあまり仲がよくありません。それでも、この蔵人少将のことは見過ごせないほど優れた若者だと思い、大切に育てている自分の四女を妻にしています。
つまり、左大臣は光る君を婿に迎え、右大臣は左大臣の息子を婿に迎えた。両家とも、それぞれ最高と思える婿を大切にしているのでした。
ところで源氏は、結婚したからといって左大臣家にずっといるわけではありません。帝がいつも源氏をそばに召していたため、気軽に左大臣邸で暮らし続けることができなかったのです。
しかも源氏の心の中には、藤壺への強い思いがありました。
源氏は藤壺のありさまを、この世に並ぶ人のないものと思っています。
そう思っています。
将来一緒になるなら、藤壺のような女性がよいと思うほどでした。
けれど藤壺に似た女性など、どこにもいません。左大臣の姫君は、確かにたいへんかわいらしく、大切に育てられた女性に見えます。それでも源氏の心には、どうしてもしっくりきませんでした。
幼いころから胸の中にある藤壺への思い。その一つだけに心を奪われ、苦しいほど思い続けていました。
元服して大人になった今、帝もさすがに以前のように光る君を藤壺たちのいる御簾の内側へ入れることはありません。それでも管絃の遊びの時などには、藤壺の琴の音に合わせて光る君が笛を吹くことがあります。姿を見ることができなくても、かすかに聞こえてくる藤壺の声を聞くだけで、光る君には慰めになりました。
そのため、「宮中にいたい」という気持ちはますます強くなります。五、六日は宮中。左大臣家へ行くのは二、三日。新婚だというのに、そんな生活でした。
けれど周囲も、まだ幼い年ごろの源氏のことなので、深く問題にはせず、無邪気なものとして見ていました。左大臣家では、源氏の身の回りを何から何まで丁寧に世話します。そばに仕える人々にも、世間で並ぶ者のないような者を選びそろえ、源氏が喜びそうな遊びを用意するなど、何かにつけて大切にもてなしていました。
一方、宮中では、もともと母の桐壺更衣が暮らしていた淑景舎を、光る君の部屋として使わせました。母に仕えていた女房たちも、そのまま引き続き光る君に仕えさせます。
さらに桐壺更衣の実家についても、修理職や内匠寮へ命令を出し、「これ以上ないほど立派な邸に造り直せ」と大がかりな改築を始めました。もともと庭の木々や築山にも風情のある家でした。そこへ池まで大きく広げ、さらに美しい邸へと造り変えていきます。工事は大騒ぎになりました。
源氏は、こうした美しい邸に、自分の心にかなうような人を住まわせて一緒に暮らすことができたならと、いつも切なく思い続けていました。
ちなみに「光る君」という呼び名は、あの高麗の人相見が光る君をあまりにもすばらしい人物だと褒めたことから生まれた――。そんなふうにも、昔から語り伝えられています。


