夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
藤原俊成が詠んだこの歌は、俊成自身が撰者を務めた『千載和歌集』に収められています。俊成はこの歌をかなり気に入っていたようで、鴨長明の歌論書『無名抄』には、俊成が自分の代表作だと自讃するエピソードが残っています。
また、この歌は『伊勢物語』第123段の歌を「本歌取り」したもので、元になった歌の内容を知ることで意味を理解しやすくなります。
このページでは、「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」の意味・現代語訳・品詞分解と、『無名抄』と『伊勢物語』との関係について解説します。

基本情報
読み方
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
ゆうされば のべのあきかぜ みにしみて うずらなくなり ふかくさのさと
作者
藤原俊成(ふじわらのとしなり/しゅんぜい)
藤原俊成(1114~1204)は、平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍した歌人です。有職読みで「しゅんぜい」とも呼ばれます。藤原定家の父としても知られ、中世和歌を代表する歌人の一人です。
後白河院の院宣を受けて、第7番目の勅撰和歌集である『千載和歌集』を撰進しています。また、歌論書『古来風体抄』を著し、後の『新古今和歌集』につながる和歌の流れにも大きな影響を与えています。
出典
『千載和歌集』巻第四「秋歌(上)」259番
もともとは百首歌の秋歌として詠まれたもので、『久安百首』にも見える歌です。『千載和歌集』では、「百首歌奉りける時、秋歌とてよめる」という詞書とともに掲載されています。
また、鴨長明の歌論書『無名抄』の「俊成自讃歌のこと」にもこの歌が登場します。俊成はこの歌が自分の代表歌だと語りますが、歌人仲間の俊恵(しゅんえ)がそれを批判するというエピソードが収められています。
意味・現代語訳
この歌は、『伊勢物語』第123段の歌を「本歌取り」して作られています。
本歌取りとは、古い和歌の一部を取り入れ、元の歌のイメージや背景をベースにすることで、より深い意味を持たせる表現技法です。
そのため、『伊勢物語』第123段の内容を知ることで、意味をより理解しやすくなります。
『伊勢物語』第123段の内容
ある男が、深草(地名:現在の京都市伏見区の一部)に住む女に飽きてきたのかもしれないと思い、次の歌を詠みました。
年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ
長い年月を過ごしてきたこの深草の里を出て行ったならば、名前の通り、ますます草深い野となってしまうだろうか
これに対して女は、次の歌を返します。
野とならば鶉となりて鳴きをらむ狩にだにやは君は来ざらむ
草深い野となってしまったならば、私は鶉となって鳴いていましょう、せめて狩にでも、仮初めにでも、あなたが来てくれるかもしれないから
※「狩に」は「仮に」の掛詞
改めて女をいとおしく思った男は、里を出て行こうという気持ちがなくなったのでした。
「夕されば野辺の秋風身にしみて」の現代語訳
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
夕方になると、野辺を吹き渡る秋風が身にしみて、鶉が悲しげに鳴いているよ、深草の里
「秋」は「飽き」の掛詞で、『伊勢物語』の情景に冷たい秋風が重ねられています。『伊勢物語』では男は去るのをやめましたが、俊成の歌ではそうではないようです。男が去り、草深い野となった里で、鶉に化身した女が悲しげに鳴いている様子が浮かびます。
品詞分解
| 夕され | ラ行四段活用「夕さる」の已然形。夕方になる。 |
| ば | 接続助詞。已然形に接続。順接の確定条件。 |
| 野辺 | 名詞。野原のあたり。 |
| の | 格助詞。 |
| 秋風 | 名詞。「飽き」の掛詞。 |
| 身 | 名詞。 |
| に | 格助詞。 |
| しみ | マ行四段活用「しむ」の連用形。 |
| て | 接続助詞。 |
| 鶉 | 名詞。 |
| 鳴く | カ行四段活用「鳴く」の終止形。 |
| なり | 伝聞・推定の助動詞「なり」の終止形。ここでは推定。 |
| 深草 | 名詞。地名(現在の京都市伏見区の一部)。 |
| の | 格助詞。 |
| 里 | 名詞。 |

俊恵の批判
この歌は藤原俊成の名歌として知られ、俊成自身も「おもて歌(代表歌)」だと語ったエピソードが、鴨長明の歌論書『無名抄』に記されています。
無名抄「俊成自讃歌のこと」の内容
ある日、俊成の自宅に、歌人仲間の俊恵(しゅんえ)が訪ねてきました。俊恵が俊成に、
「ご自身が詠んだ歌の中では、どの歌を優れているとお思いですか?」
と尋ねると、俊成は、
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
が代表歌だと答えます。しかし、納得できない俊恵は後日、
「あの歌は『身にしみて』が実に惜しい。あの一句のせいで浅い歌になってしまった」
と、長明に語りました。
なぜ「身にしみて」が惜しいのか
俊恵が「身にしみて」を惜しいと感じたのは、感情をはっきりと言葉にしてしまったからです。
これほどまでに情景がしんみりと思い浮かぶ歌であれば、言葉に出さなくても「きっと身にしみたのだろう」と想像できます。そのように自然と思わせる方が奥ゆかしく、優美でもあるのに、「身にしみて」と表したことで浅くなってしまった、ということです。
確かに、俊恵の言い分も一理あると思います。しかし、俊成はこの歌を代表歌として、大事にしていたようです。自身が撰者を務めた『千載和歌集』にも収められました。
『千載和歌集』に収録
「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」は、藤原俊成自身が撰者を務めた『千載和歌集』に収められています。
『千載和歌集』は、後白河院の院宣を受けて俊成が撰した勅撰和歌集です。寿永2年(1183)に撰集の命を受け、文治年間に成立しました。八代集では第7番目にあたります。
俊成は、勅命を受けて自ら歌を選ぶ立場となり、その中に自作の「夕されば~」も秋歌の一首として選び、巻第四「秋上」に収録しました。
もちろん『千載和歌集』は、俊成個人が好きな歌を自由に集めた私家集ではありません。それでも、『無名抄』ではこの歌を自分の「おもて歌」と語っており、俊成自身が特に高く評価していた一首だったことがわかります。


