万葉集「巻5-梅花の歌序」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑

初春の令月にして、気く風やはらぎ、梅は鏡前きやうぜんひらき、らんはいかうかをらす

元号「令和」の由来となったこちらの文言は、『万葉集』の第5巻に収録されている「梅花の歌序」の一部です。

天平2(730)年1月13日、大宰府の長官を務めていた大伴旅人の邸宅で、「梅花の宴」が催されました。

上司と部下といった垣根を取り払い、膝を近づけて酒坏を酌み交わす、それぞれが気ままに楽しめる宴会であったようです。

美しい自然の中で心を寄せ合い、梅の花をお題に歌を詠み合いました。


内閣府によると、令和には「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められているとのこと。

まさに「梅花の宴」の情景と一致しますね。

その様子が描かれた『万葉集』の「梅花の歌序」について、原文と現代語訳から「令和」の由来と意味を考察。

かつて旅人の邸宅があったといわれる坂本八幡宮の万葉歌碑も紹介します。

目次

令和の由来と意味

令和の由来と意味については、内閣府のホームページに記載されています。

 本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」であります。
   これは、万葉集にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。

引用:元号について – 内閣府

 「令月」とは「めでたい月」、「万事をなすのによい月」という意味で、「正月」を縁起よく言い表した言葉です。

「風和ぎ」はそのまま、「風が和らぐ」という意味。

その二つの言葉を合わせても、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味にはなりません。

「鏡前の粉」は鏡の前で化粧をする時に使う白い粉のことで、梅の花が白く美しいことを表しています。

珮後の香の「珮」は、腰に下げる飾り玉のこと。

飾り玉を身に着けるのは、特別に身を飾る時です。

上品に着飾った人とすれ違うと、ふわっといい匂いがしますよね。

珮を身に着けた人の後に漂う良い香り、つまり、気品の高さを表しています。

初春の令月にして、気く風やはらぎ、梅は鏡前きやうぜんひらき、らんはいかうかをらす

この文言から「令和」という言葉が引用されましたが、内閣府はあくまで意味が「込められて」としておりますので、この文言の意味だけではなく、「梅花の宴」の情景全体が由来となっているのではないでしょうか。

「梅花の歌序」の全文に目を通すことで、「令和」の意味と由来がしっくりくると思いますので、全文の原文と現代語訳を紹介します。

『万葉集』第5巻 梅花の歌序の全文

原文

梅花謌卅二首 幷序 

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。

于時、初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。

庭舞新蝶、空歸故鴈。於是蓋天坐地、促膝飛觴。

忘言一室之裏、開衿煙霞之外。

淡然自放、快然自足。

若非翰苑、何以攄情。

詩紀落梅之篇。

古今夫何異矣。

宜賦園梅聊成短詠。

読み下し文

梅花うめのはなの歌三十二首あはせて序

天平二年正月十三日、そちおきないへあつまりて、宴会をひらく。

時に、初春の令月れいげつにして、気く風やわらぎ、梅は鏡前きやうぜんひらき、らんはいかうかをらす。

加之しかのみにあらずあけぼのの嶺に雲移り、松はうすものを掛けてきぬがさを傾け、夕のくきに霧結び、鳥はうすものめらえて林にまとふ。

庭には新蝶しんてふ舞ひ、空にはがん帰る。

ここに天をきぬがさとし地をしきゐとし、膝をちかづさかづきを飛ばす。

ことを一室のうちに忘れ、えりを煙霞の外に開く。

淡然たんぜんと自らほしきままにし、快然と自ら足る。

若し翰苑かんゑんにあらざるは、何をちてかこころべむ。

詩に落梅の篇をしるす。

いにしへと今とそれ何そことならむ。

よろしく園の梅をしていささかに短詠を成すべし。

現代語訳

梅花の歌32首幷せて序

天平2(730)年1月13日、大伴旅人長官の家に集まって、宴会を開いた。

時は新春のめでたき令月にして、空気は澄み、風は穏やか。

梅は鏡前の粉のように白く咲き、蘭は珮後のような香りを漂わせている。

それに加えて、明け方は山の頂に雲が浮かび、松は薄い雲をまとって笠を傾ける。

夕方は山のくぼみに霧がかかり、鳥は薄い霧に群れ集まって林に迷う。

庭には新春の蝶が舞い、空には年を越した雁が去る。

ここに天を屋根とし地を床として、膝を近づけ酒坏を交わす。

堅苦しい言葉は忘れて、心を大きく開いて語り合う。

それぞれが気兼ねなく自由に振舞い、それぞれが気持ちよく満ち足りている。

もし文字に記さないのなら、何によってこの気持ちを述べようか。

中国では落梅の詩を記した。古と今とで何も変わらないだろう。

さあ、庭に咲く梅の花をお題にして、少しばかり短歌を詠もうではないか。

語釈

  • そち【帥】:大宰帥。大宰府の長官。大伴旅人のこと。
  • れいげつ【令月】:万事をなすのによい月。めでたい月。(年月の月であり、空を照らす月ではない)
  • きゃうぜんのこ【鏡前の粉】:女性が鏡の前で装よそおう白い粉。梅の花の白さを表す。
  • らん【蘭】:フジバカマ。広くキク科の香草。
  • はい【珮】:腰の下げる飾り玉。
  • はいごのかう【珮後の香】:珮を下げた(身を飾った)人とすれ違った後に漂う香り。
  • あけぼの【曙】:夜明け方。
  • みね【嶺】:山頂。
  • うすもの【羅】:薄く透明な絹織物。雲の比喩。
  • きぬがさ【蓋】:天蓋。仏像などにかざす絹ばりの笠。
  • くき【岫】山のくぼみ。
  • うすもの【】:ちりめん生地の一種。霧の比喩。
  • こむ【込む・籠む】:その場にいっぱいに群れ集まる。
  • 言を一室の裏に忘れ【忘言一室之裏】:『蘭亭序』と同句(悟言一室之内)。堅苦しい言葉を忘れるほど仲睦まじいさま。
  • 衿を煙霞の外に開く【開衿煙霞之外】:衿を大自然に向かって大きく開いて。
  • かんゑん【翰苑】:大宰府に伝わっていた唐の書物。ここでは文章に記すの意。
  • 詩に落梅の篇を紀す【詩紀落梅之篇】:『詩経』に梅の実が落ちる詩があり、楽府体の詩に「梅花落」の題が多い。
  • ふす【賦す】:題を割り当てられて詩をつくる。
  • いささか【聊か】:ほんの少し。わずかばかり。

令和の万葉歌碑、坂本八幡宮を訪問

令和の万葉歌碑 / 2024年7月30日訪問

福岡県太宰府市に鎮座する坂本八幡宮に、令和の由来となった『万葉集』の序文が刻まれた万葉歌碑が置かれています。

坂本八幡宮は大伴旅人の邸宅があったといわれている場所で、元号「令和」が発表されると参拝者が急増したとか。

ですが九州歴史史料館が行った発掘調査では、8世紀前半の建物遺構が検出されなかったとのこと。

そのため九州歴史史料館は、旅人の邸宅跡は坂本八幡宮付近ではないと判断しているそうです。


いずれにしても坂本八幡宮は大宰府政庁跡のすぐ側にありますので、この周辺のどこかに大伴旅人の邸宅があり、梅花の宴が催されたのでしょう。

60歳をこえて大宰府の長官に任命された旅人は、この地でたくさんの歌を詠みました。

『万葉集』に選出されている78首のほとんどが、大宰府への赴任以後の歌です。

邸宅跡地の正確な位置がわからなくても、行けば十分にロマンを感じられます。

太宰府観光の際はぜひ、坂本八幡宮にも立ち寄ってみてください♪

梅花の宴の翌年に亡くなった大伴旅人

天平2(730)年11月、大伴旅人は大納言に任ぜられて京に戻ります。

梅花の宴からおよそ10ヶ月後のことです。

そして翌年の天平3(731)年7月25日、病のため67歳で亡くなりました。

それから50年以上も後、延暦2(783)年頃に、旅人の息子である大伴家持によって『万葉集』が完成したとされています(諸説あり)。

大伴旅人はお酒が大好きであったようで、『万葉集』にはお酒を讃える歌が13首も収録されています。

この13首の内容が結構な酒カス思考で面白いのです。

こちらの記事で少し紹介しておりますので、ぜひご覧ください♪

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この記事を書いた人

うつ病で生きづらさを抱えていた30代の頃に、鴨長明『方丈記』を読んで大共感。「人の悩みは昔も今も変わらないものだ」としみじみ感じ、学生時代はまったく興味がなかった古文や漢文の魅力に初めて気づきました。20年計画で『源氏物語』と『万葉集』の全訳にも挑戦中。万葉歌碑めぐりや街道歩きなど歴史探訪も好きです。

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