このページでは、清少納言『枕草子』第90段から第105段までの現代語訳全文を掲載しています。
原文は古文の教科書や参考書にも多く採用され、一般に広く知られている「三巻本」をもとにしています。原文の内容を保ちながら、わかりやすく読みやすい口語訳にしました。原文とあわせて読みたい方は、『枕草子』原文全文(6)第90段~第105段をご覧ください。
第90段「宮の五節いださせたまふに」
中宮が五節の舞姫をお出しになるとき、付き添いの女房は十二人であった。ほかでは、女御や御息所の御方に仕える人を出すのはよくないこととされると聞くのに、どのようにお考えになったのか、中宮の御方から十人をお出しになった。残る二人は女院と淑景舎の人で、この二人は実の姉妹である。
辰の日の夜、皆に青摺の唐衣と汗衫をお着せになった。
女房にさえ前もって知らせず、殿上人にはなおさら厳重に隠して、皆が装束を整え、暗くなった頃に衣を持って来て着せる。赤い紐を美しく結び下げ、たいそう凝った白い衣には、型木の模様を絵に描いてある。それを織物の唐衣の上に着た姿は、珍しく美しい中でも、童女はいっそう優美に見える。下仕えの者まで同じように着て外に出ているので、殿上人や上達部も驚いておもしろがり、「小忌の女房」と名づける。小忌の君たちは外に座って話などをしている。
「五節の局を、まだ日も暮れないうちに皆取り払って、ただ妙な有様にしておくのは、ひどく変わったことです。その夜までは、やはりきちんと整ったままにしておくのがよいでしょう」
と中宮がおっしゃって、そのように慌ただしく取り払わせることはなさらなかった。
几帳のほころびを結び合わせながら、女房たちは外へこぼれ出てきた。
小兵衛という女房の赤い紐がほどけているのを、
「これを結んでほしいわ」
と言うと、実方の中将が近寄って直してやる。その様子は、ただ事ではない。
山の井の水には氷が張っているというのに、いったいどのような氷面が解けたのでしょう――そのように、その紐はどうして解けたのでしょう
と歌を詠みかける。
若い女房が、このような人目の多い場で返歌をするのは言いにくかったのだろうか、返事もしない。
そばにいた女房たちもそのまま聞き流し、何とも言わない。宮司などは耳を澄まして聞いていたので、このまま長く返事がないのも気まずいと思ったのだろう、別の方から中へ入り、女房のそばへ寄って、
「どうしてそんなふうにしているのです」
などとささやいているらしい。
私は四人ほど隔てた所に座っていたので、たとえよい返歌を思いついても口に出しにくい。まして、歌を詠むことで知られている人が相手では、並大抵の歌でどうして返せようと思って遠慮してしまう。そのようにためらうことこそ、よくないのだ。
歌を詠む人は、そんなふうにためらうものだろうか。
たいそうすばらしい歌でなくても、すぐに口に出せばよいのである。
周囲の人が爪弾きをして非難しているのが気の毒だったので、
水面の薄氷のように、ゆるく結んだ紐ですから、髪にかざした日影に触れただけでも、ゆるむほどなのです
と詠み、弁のおもとという女房に伝えさせた。ところが弁のおもとは恥ずかしがって消え入りそうになり、なかなか最後まで言えないので、
「何ですか、何ですか」
と実方が耳を傾けて尋ねる。弁のおもとは少し言葉につかえる人で、ひどく言葉を整え、すばらしい歌だと思わせようとしたため、実方には結局よく聞き取れなかった。それがかえって、こちらの恥ずかしさを隠してくれるようでよかった。
舞姫を送り上げるときなど、具合が悪いと言って行かなかった人にまで、中宮が行くようお命じになったので、いる者は皆連れ立って出かけた。行事の性質にも似合わず、あまりに大げさで騒がしいように見える。
舞姫は、相尹の馬頭の娘で、染殿の式部卿宮の北の方の妹である四の君がお産みになった方で、十二歳のたいそうかわいらしい少女だった。
最後の夜も、舞姫を背負ったり支えたりして退出させるような騒ぎはなかった。そのまま仁寿殿から通り、清涼殿の御前の東の簀子を通って、舞姫を先頭に上の御局へ参ったときの様子も、たいそう趣深かった。
第91段「細太刀に平緒つけて」
細太刀に平緒をつけて、清らかな姿の男が持って歩いているのも優美である。
第92段「内裏は五節の頃こそ」
宮中は、五節の頃になると、どういうわけか、普段なら何とも思わない人まで趣深く見える。
主殿司などが、色とりどりの布切れを、物忌の札のように釵子につけているのも、珍しく見える。宣耀殿の反橋のあたりに、斑濃の元結をくっきりと目立たせて出ている者も、何につけても趣深く見える。帝に仕える雑仕や、ほかの人のもとにいる童たちまで、この時期をたいそう晴れがましいものと思っているのももっともである。山藍や日影などを柳筥に入れ、冠をつけた男が持って歩く姿なども、とても趣がある。
殿上人が直衣を肩から脱ぎ垂らし、扇などを拍子代わりにして、
「官位が上がり、年々の波が立つ」
という歌を歌いながら女房たちの局の前を通る。どれほど人前に慣れた女房でも、胸が騒いでしまいそうである。まして、皆がさっと一度に笑い声を上げたりするのは、恐ろしいほどだ。行事の蔵人の掻練襲は、ほかの何よりも美しく見える。褥などを敷いてあるのに、かえってそこへ上がって座ることもできず、外に出て座っている女房たちの姿を褒めたりけなしたりして、この頃はほかに話題もないようである。
帳台の夜、行事の蔵人はたいそう厳しく取り仕切り、かいつくろいの女房二人と童女のほかは、誰も中へ入れてはならないと戸を押さえ、憎らしいほど強く言うので、殿上人などが、
「せめて、この一人だけは」
などと頼んでも、
「ほかの人がうらやむでしょうから、どうしてお入れできましょう」
などと、きっぱり断る。ところが中宮の女房が二十人ほど、蔵人などものともせず戸を押し開けて騒がしく入ってしまうので、蔵人はあきれて、
「これはまったく、どうしようもない世の中だ」
と言って立っている。その様子もおもしろい。
それをきっかけに、舞姫の付き添いの女房たちも皆中へ入る。行事の蔵人はいかにも腹立たしそうである。帝もいらして、この様子をおもしろくご覧になっていたことだろう。
童舞の夜はたいそうおもしろい。灯台に向かっている少女たちの顔も、かわいらしい。
第93段「無名といふ琵琶の御琴を」
「無名」という琵琶を帝がお持ちになって来られたので、皆で見たり、かき鳴らしたりする。とはいっても、本当に演奏するのではなく、弦などを手でもてあそびながら、
「これは何という名なのですか」
とお尋ね申し上げると、
「たいしたものではなく、名もない」
とおっしゃったのが、やはりたいそうすばらしいと思われた。
淑景舎がおいでになり、お話のついでに、
「私のところに、とてもかわいらしい笙の笛があります。亡き父上がくださったものです」
とおっしゃると、僧都の君が、
「それは隆円にお与えください。私のところにすばらしい琴があります。それとお取り替えください」
と申し上げる。けれども淑景舎は聞き入れず、別のことをお話しになる。僧都の君は返事をいただこうとして何度も申し上げるが、それでも何もおっしゃらないので、中宮が、
「『いや、替えない』とお思いなのに」
とおっしゃった。そのご様子のおもしろさは、この上なかった。
僧都の君は、その笛の名をご存じなかったので、ただ返事をしてもらえないことを恨めしく思っていらしたようだ。これは、中宮が職の御曹司にいらっしゃった頃のことらしい。帝の御前には、
「いなかへじ」
という名の笛があるという。
帝の御前にある琴や笛には、どれも珍しい名がついている。玄象、牧馬、井手、渭橋、無名など。また和琴にも、朽目、塩竈、二貫などという名があるという。水龍、小水龍、宇陀の法師、釘打、葉二つなど、ほかにも多く聞いたけれど、忘れてしまった。
「宜陽殿の一の棚に」
という言い回しは、頭の中将がおっしゃったものだった。
第94段「上の御局の御簾の前にて」
上の御局の御簾の前で、殿上人たちが一日中、琴や笛を奏でて遊び暮らしていた。大殿油をともす頃になっても、まだ御格子は下ろされていない。灯火が差し出されると、戸が開いているため中がよく見え、中宮は琵琶を縦にお持ちになっている。紅の御衣を何枚も重ね、言葉では言い尽くせないほど美しい袿や、張りのある衣などを幾重にもお召しになり、真っ黒でつややかな琵琶に御袖を掛けてお持ちになるだけでもすばらしい。そのうえ、横から見えるお額のあたりが、たいそう白く美しく、くっきりと外へ見えていらっしゃるのは、たとえようもないほどである。
私は近くに座っている人のそばへ寄り、
「『顔を半分隠していた』という人も、こんなふうではなかったでしょうね。あの人は普通の人だったのでしょう」
と言う。それを人の間をかき分けて中宮に申し上げると、中宮はお笑いになり、
「『別れ』のところまで知っているのですか」
とおっしゃった、と伝えてくるのもおもしろい。
第95段「ねたきもの」
悔しく腹立たしいもの。こちらから人に送る手紙でも、人から届いた返事でも、書いて送ってしまったあとで、文字を一つ二つ直したかったと思いつくこと。急ぎの物を縫い、うまく縫えたと思って針を引き抜いたら、糸の端を結んでいなかったこと。また、表裏を逆に縫ってしまったのも悔しい。
中宮が南の院にいらっしゃった頃、
「急ぎの御召し物です。皆で大勢かかって、時を移さず縫って差し上げなさい」
と言って布をお下げになった。そこで南面に集まり、御衣の左右の身頃を分担して、誰が早く縫うかと、互いに向き合いもせず夢中になって縫う様子は、ひどくせわしない。命婦の乳母が片方の身頃をたいそう早く縫い終えて置いたが、それが裏返しになっていることに気づかず、最後の始末も十分にしないまま慌ただしく置いて立ってしまった。背の部分を合わせてみると、早くも左右が食い違っていた。
皆で大笑いして騒ぎ、
「早く、これを縫い直して」
と言うと、
「誰が、間違って縫ってあると分かって直せるものですか。綾のような生地なら、裏を見なくても『なるほど間違いだ』と分かって直せるでしょうが、無紋の御衣なのですから、何を目印に直せというのです。まだ縫っていない人に直させなさい」
と言って聞き入れないので、
「そんなことを言って、そのままにしておけるものですか」
と言い、源少納言の君などという人たちが、面倒そうに取り寄せて縫っていらっしゃるのを、こちらから眺めて座っていたのがおもしろかった。
美しい萩や薄などを植えて眺めていると、長櫃を持った者が鋤などをぶら下げて来て、ひたすら掘り返して持って行ってしまうのは、情けなく腹立たしい。身分のある人などがいるときにはそんなことはしないのに、こちらがひどく止めても、
「ほんの少しだけです」
などと言って持って行ってしまうのは、どうにもならないほど腹立たしい。
受領などの家に、その土地の役人の下部などがやって来て、無礼な口をきき、「そうはいっても、自分をどうすることもできまい」と思っている様子は、たいそう腹立たしい。
見たいと思っている手紙などを人が取って、庭へ下りて読んでいるのは、実に困るし腹立たしい。追いかけて行っても、簾のすぐ下に立ち止まって読んでいるときの気持ちは、こちらまで飛び出して行きたくなるほどである。
第96段「かたはらいたきもの」
見ていてきまりが悪いもの。琴をろくに弾きこなせないのに、きちんと調律もしないまま、力の限り弾き立てること。客人などに会って話しているとき、奥のほうで身内が気を許した話をしているのを、止めることもできず聞いている気持ち。大切に思う人がひどく酔って、同じことを何度も繰り返すこと。本人がそばで聞いているのを知らず、その人の噂話をすること。それは身分の高い人でなくても、使用人などについてでさえ、きまりが悪い。
旅先などで、下衆たちがふざけ合っていること。かわいげのない子どもを、親だけがかわいいと思うままに愛し、その子の声色までまねて、言ったことなどを人に話すこと。学問のある人の前で、学問のない人が、いかにも物知りそうな声で人の名などを口にすること。自分でもよいとは思えない自作の歌を人に話し、そのうえ誰かが褒めたなどと言うことも、きまりが悪い。
第97段「あさましきもの」
驚きあきれるもの。挿し櫛をこすって磨いているうちに、何かに引っ掛けて折ってしまったときの気持ち。車がひっくり返ったとき。あれほど大きなものだから、ひっくり返れば大変なことになるだろうと思っていたのに、実際には夢の中のことのようで、驚くほどあっけない。
人にとって恥ずかしく具合の悪いことを、遠慮なく口に出していること。必ず来るだろうと思う人を一晩中起きて待ち、明け方になってついうっかり寝入ってしまったところ、烏がすぐ近くで「かか」と鳴くので顔を上げると、もう昼になっていたこと。これは実にあきれる。
見せてはいけない人に、ほかの人へ持って行く手紙を見せてしまったこと。まったく知らず、見たこともないことについて、相手と向かい合って、反論のしようもないほど自信たっぷりに言うこと。物をうっかりこぼしたときの気持ちも、実にあきれる。
第98段「くちをしきもの」
残念なもの。五節や御仏名のときに雪が降らず、あたりを暗くするほど雨が降ること。節会などの日に、都合の悪い御物忌があること。準備をして、早くその日になればよいと待っていた催しが、支障があって突然取りやめになること。管弦の遊びや、何か見せたいことがあって呼びにやった人が来ないことは、たいそう残念である。
男でも女でも法師でも、宮仕え先などから同じような身分の仲間と一緒に寺へ参ったり、どこかへ出かけたりするとき、少し趣向を凝らして美しく装っている。よく言えば念入りだが、言い過ぎればひどく見苦しいとも思われそうなほどである。そんなとき、見てもらいたいような人が馬や車で行き違ったのに、こちらを見ずに通り過ぎてしまうのは、たいそう残念だ。しまいには、せめて物好きな下衆などでもよいから見て、人に話してくれればよいのにと思うのも、実にどうかしている。
第99段「五月の御精進のほど」
五月の御精進の間、中宮が職の御曹司にいらっしゃった頃、塗籠の前の二間ほどの所を特別にしつらえてあったので、いつもとは違う様子なのも趣がある。月の初めから雨がちで、曇った日が続く。退屈なので、
「ほととぎすの声を捜しに行きたいものね」
と言うと、私も私もと出かける支度をする。
二日ほどたって、その日のことなどを話していると、宰相の君が、
「どうしました、あなたが自分で折ったと言っていた、あの下蕨は」
とおっしゃる。それを中宮がお聞きになって、
「まあ、そんなことを思い出すなんて」
とお笑いになり、そこに散らばっていた紙に、
下蕨こそ恋しく思われる
とお書きになって、
「上の句をつけなさい」
とおっしゃるのも、たいそうおもしろい。
ほととぎすを捜して聞いたあの声よりも
と書いて差し上げると、
「まあ、ずいぶん自分の手柄にしていること。こんなところにまで、よくほととぎすを結びつけたものですね」
とお笑いになるのも恥ずかしかったが、
「何でもありません。私はもう、歌は詠むまいと思っております。何かの折に人が歌を詠むときにも、『あなたも詠みなさい』などとおっしゃるなら、その場にいられないような気持ちがいたします。文字の数さえ分からず、春に冬の歌を詠み、秋に梅の花の歌を詠むようなことでは、どうしようもありません。けれども、歌人だと言われた人の子孫が、少しでも人より優れ、その折の歌ではこれが一番だ、『やはりあの人の子だから』などと言われるのなら、歌を詠む甲斐もありましょう。けれど、これといって優れたところもないのに、それでも歌人らしく、自分こそはという顔で真っ先に歌を詠み出すのは、亡き父のためにも気の毒なことでございます」
と真剣に申し上げると、
中宮はお笑いになって、
「それなら、あなたの思うとおりにしなさい。私からも、歌を詠めとは言わないことにしましょう」
とおっしゃったので、
「たいそう気が楽になりました。これからはもう、歌のことなど考えません」
などと言って過ごしていた頃、庚申の御遊びをなさることになり、内大殿がたいそう念入りに準備をなさった。
夜が更けてくると、歌の題を出して、女房たちにも歌をお詠ませになる。
皆がいかにもこれから詠むという様子になり、頭をひねって歌をひねり出している。その中で私は中宮のおそば近くに控え、何かを申し上げたりして、歌とは別のことばかり話していた。それを大臣がご覧になって、
「どうして歌を詠まず、そんなに離れて座っているのです。題を取りなさい」
とおっしゃるので、
「中宮様からそのようなお許しをいただき、歌は詠まないことになっておりますので、思いもかけておりません」
と申し上げた。
「変わったことを言うものだ。本当にそんなことがあるものですか。どうしてそのようなことをお許しになったのです。まったくあってはならないことです。まあ、ほかの時はともかく、今夜は詠みなさい」
などとお責めになるけれど、私は頑として聞き入れずに控えている。皆が歌を詠み終え、その出来のよしあしなどを評定している頃、中宮が小さなお手紙を書いて、こちらへ投げてよこされた。見ると、
元輔の子孫と言われるあなたが、今夜の歌の仲間から外れて座っているのですか
とある。それがおもしろいことといったらない。私がひどく笑っているので、
「何ですか、何ですか」
と大臣もお尋ねになる。
あの人の子孫だと言われない身であったなら、今夜の歌を真っ先に詠んだでしょうに
遠慮する理由さえございませんでしたら、千首の歌であろうと、ここからいくらでも出てまいりましたでしょう
と中宮に申し上げた。
第100段「職におはします頃」
中宮が職の御曹司にいらっしゃった頃、八月十日過ぎの月の明るい夜、右近の内侍に琵琶を弾かせて、端近くにいらっしゃった。
あの人この人が話したり笑ったりしている中で、私は廂の柱に寄りかかり、何も言わずに控えていたので、
「どうしてそんなに黙っているのです。何か話しなさい。物足りないではありませんか」
とおっしゃるので、
「ただ、秋の月の心を眺めております」
と申し上げると、
「なるほど、そうも言えるでしょうね」
とおっしゃった。
第101段「御方々君達上人など」
御方々や貴公子、殿上人など、中宮の御前に大勢の人がいるので、私は廂の柱に寄りかかり、女房と話などして座っていた。すると中宮が何かを投げてよこされたので、開いて見ると、
「人に第一に思われるべきだと思いますか、思いませんか。第一でなければ、どうですか」
とお書きになっている。
御前で話などをするときにも、私は、
「何事につけても、人から第一に思われないのなら、何になるでしょう。それならいっそ、ひどく憎まれ、悪く扱われているほうがましです。二番、三番でいるくらいなら、死んでも嫌です。私は第一でいたいのです」
などと言っていたので、
「一乗の教えというわけですね」
などと人々も笑うのが、いつもの話題になっていたようだ。
中宮が筆と紙をくださったので、
「九品蓮台の中なら、たとえ下品であっても」
などと書いて差し上げると、
「すっかり弱気になってしまったのですね。たいそうよくない。前に言い切ったことは、そのままでいなさい」
とおっしゃる。
「それは、相手によります」
と申し上げると、
「そこがよくないのです。自分が第一と思う人には、自分も第一に思われたいと思うべきでしょう」
とおっしゃるのもおもしろい。
第102段「中納言まゐりたまひて」
中納言が参上して、中宮に扇を差し上げられたとき、
「私、隆家は、たいそう見事な扇の骨を手に入れました。それに紙を張らせて差し上げようと思うのですが、並の紙では似合いそうもないので、よい紙を捜しているのです」
と申し上げられた。
「どのようなものなのですか」
と中宮がお尋ねになると、
「とにかく、たいそうすばらしいものです。今までに見たこともないような骨だと、皆が申しております。本当に、これほどのものは見たことがありません」
と大きな声でおっしゃるので、私は、
「それでは、扇の骨ではなくて、海月の骨なのでしょう」
と申し上げたところ、
「これは隆家の名言にしておこう」
と言って、お笑いになった。
このような話こそ、「きまりが悪いもの」の中に入れてしまってもよさそうだけれど、
「一つも書き落としてはいけません」
と言われているので、どうしようもない。
第103段「雨のうちはへ降る頃」
雨が降り続く頃、今日も雨の中を、御使いとして式部丞の信経が参った。
いつものように褥を差し出したところ、普段よりずっと遠くへ押しやって座るので、
「それは誰のための褥なのです」
と言うと、笑って、
「こんな雨の中でその上に上がりましたら、足跡がついて、たいそう具合悪く汚れてしまうでしょう」
と言うので、
「それなら、敷物にしてしまえばよいでしょう」
と言うと、
「これは、中宮様がご自分だけでうまいことをおっしゃったのではありません。私、信経が足跡の話を申し上げなかったなら、そうはおっしゃれなかったでしょう」
と言ったのがおもしろかった。
「昔、中后の宮に『ゑぬたき』といって名高い下仕えの女がいたそうです。のちに美濃守のまま亡くなった藤原時柄がまだ蔵人だった頃、下仕えの女たちのいる所へ立ち寄り、『これがあの有名なゑぬたきか。それにしても、どうしてそんなふうには見えないのだ』と言ったところ、女は『それは、時柄にはそのように見えるのでしょう』と答えたそうです。敵を選んだとしても、これほど気の利いた返しができるだろうかと、上達部や殿上人までがおもしろいこととしておっしゃったそうです。きっと本当にそうだったのでしょう。今日までこうして語り伝えられているのですから」
と私が申し上げた。
「それもまた、時柄が言わせたようなものなのでしょう。何事も、題しだいで、文章も歌も気の利いたものになるのです」
と言うと、
「なるほど、もっともです。それでは題を出しましょう。歌をお詠みなさい」
と言う。
「それは、とてもよいですね」
と言うと、
「中宮様にも、どうせならたくさん詠んで差し上げましょう」
などと言っているうちに、中宮からのお返事が出てきたので、
「ああ、恐ろしい。逃げることにします」
と言って出て行った。その信経が、
「私は漢字も仮名もひどく下手に書くので、人に笑われたりするものですから、隠しているのです」
と言うのもおもしろい。
信経が作物所の別当をしていた頃、誰のもとへ送ったものだったのだろうか、何かの意匠図を送る際に、
「このとおりにお作りください」
と書いてあった漢字が、世にも珍しいほど妙な字だった。それを見つけ、そのそばに、
「この字のとおりに作ったなら、ずいぶん変わったものになるでしょう」
と書いて殿上へ送ったところ、人々が手に取って見て大笑いしたので、信経はひどく腹を立て、私を憎んだのだった。
第104段「淑景舎東宮に参りたまふほど」
淑景舎が東宮のもとへ参られる頃のことは、どれを取ってもすばらしくないものはなかった。
東宮のお使いとして周頼の少将が参った。お手紙を取り入れる。渡殿は縁が細いので、こちら側の縁に褥を差し出した。お手紙を取り入れると、殿、北の方、中宮などが次々とご覧になる。
「お返事を、早く」
とせかされるけれど、淑景舎がすぐにはお返事を書かれないので、
「私が見ておりますから、お書きにならないのでしょう。そうでない時には、ここから間を置かずお返事を申し上げていらっしゃるそうではありませんか」
などと少将が申し上げる。淑景舎のお顔は少し赤くなり、ほほえんでいらっしゃる。そのご様子がたいそう美しい。
「本当に、早く」
などと北の方もお勧めになるので、淑景舎は奥のほうを向いてお書きになる。北の方が近くへ寄られ、一緒にお書かせになるので、淑景舎はいっそう恥ずかしそうである。
中宮の御方から、萌黄色の織物の小袿と袴を押し出されたので、三位の中将が少将にかづけられる。少将は首が苦しそうにそれを持って立って行った。
松君がかわいらしくお話しになるのを、誰も彼もがかわいがってお聞きになる。
「中宮様のお子たちだと言って連れ出したとしても、見劣りはしないでしょう」
などとおっしゃるのを聞くと、なるほど、どうしてそのようなお子の誕生が今までないのだろうと、待ち遠しく思われる。
第105段「殿上より梅のみな散りたる枝を」
殿上から、花がすっかり散った梅の枝を差し出して、
「これは、どうですか」
と言ってきたので、私はただ、
「早くも散ってしまったのですね」
と答えた。すると殿上人たちは、その言葉のもとになった漢詩を朗誦して、黒戸のあたりに大勢集まっていた。それを帝がお聞きになり、
「ありふれた歌などを詠んで返すより、このような答えのほうが優れている。よく答えたものだ」
とおっしゃった。

