『源氏物語』第36帖「柏木」原文全文|ひらがなルビ(ふりがな)付きで読む

目次

衛門督の君、悩みわたりたまふ

 衛門督ゑもんのかみきみ、かくのみなやみわたりたまふこと、なほおこたらで、としかへりぬ。大臣おとどきたかたおぼなげくさまをたてまつるに、

「しひてかけはなれなむいのち、かひなく、つみおもかるべきことをおもふ、こころこころとして、また、あながちにこのはなれがたく、しみとどめまほしきかは。いはけなかりしほどより、おもこころことにて、なにごとをも、ひと今一いまひときはまさらむと、公私おほやけわたくしのことにれて、なのめならずおものぼりしかど、そのこころかなひがたかりけり」

 と、ひとふたつのふしごとに、おもとしてしこなた、なべてのなかすさまじうおもひなりて、のちおこなひに本意ほいふかすすみにしを、おやたちのおほんうらみをおもひて、野山のやまにもあくがれむみちおもきほだしなるべくおぼえしかば、とざまかうざまにまぎらはしつつぐしつるを、つひに、

「なほ、ちまふべくもおぼえぬものおもひの、一方ひとかたならずひにたるは、われよりほかたれかはつらき、こころづからもてそこなひつるにこそあめれ」

 とおもふに、うらむべきひともなし。

かみほとけをもかこたむかたなきは、これみなさるべきにこそはあらめ。たれ千年ちとせまつならぬは、つひにまるべきにもあらぬを、かく、ひとにも、すこしうちしのばれぬべきほどにて、なげのあはれをもかけたまふひとあらむをこそは、ひとおもひにえぬるしるしにはせめ。

せめてながらへば、おのづからあるまじきをもち、われひとも、やすからぬみだるやうもあらむよりは、なめしと、心置こころおいたまふらむあたりにも、さりともおぼゆるいてむかし。よろづのこと、いまはのとぢめには、みなえぬべきわざなり。また、ことざまのあやまちしなければ、としごろもののをりふしごとには、まつはしならひたまひにしかたのあはれもなむ」

 など、つれづれにおもつづくるも、うちかへし、いとあぢきなし。

などかく、ほどもなく

「などかく、ほどもなくしなしつるならむ」と、かきくらしおもみだれて、まくらきぬばかり、ひとやりならずながへつつ、いささかひまありとて、ひとびとりたまへるほどに、かしこに御文おほんふみたてまつれたまふ。

いまかぎりになりにてはべるありさまは、おのづからこしめすやうもはべらむを、いかがなりぬるとだに、御耳おほんみみとどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いとくもはべるかな」

 などこゆるに、いみじうわななけば、おもふこともみなきさして、

いまはとてえむけぶりもむすぼほれえぬおもひのなほやのこらむ

あはれとだにのたまはせよ。こころのどめて、ひとやりならぬやみまどはむみちひかりにもしはべらむ」

 とこえたまふ。

 侍従じじうにも、こりずまに、あはれなることどもをひおこせたまへり。

「みづからも、今一度いまひとたびふべきことなむ」

 とのたまへれば、このひとも、わらはより、さるたよりにまゐかよひつつ、たてまつりれたるひとなれば、おほけなきこころこそうたておぼえたまひつれ、いまはとくは、いとかなしうて、く、

「なほ、この御返おほんかへり。まことにこれをとぢめにもこそはべれ」

 とこゆれば、

「われも、今日けふ明日あすかの心地ここちして、もの心細こころぼそければ、おほかたのあはればかりはおもらるれど、いと心憂こころうきこととおもりにしかば、いみじうなむつつましき」

 とて、さらにいたまはず。

 御心みこころ本性ほんじゃうの、つよくづしやかなるにはあらねど、づかしげなるひとけしきの、折々をりをりにまほならぬが、いとおそろしうわびしきなるべし。されど、御硯おほんすずりなどまかなひてめきこゆれば、しぶしぶにいたまふ。りて、しのびてよひまぎれに、かしこにまゐりぬ。

大臣、葛城山より聖を請ず

 大臣おとど、かしこきおこなひびと葛城かづらきやまよりさうでたる、けたまひて、加持かぢまゐらせむとしたまふ。御修法みすほふ読経どきゃうなども、いとおどろおどろしうさわぎたり。ひとまうすままに、さまざまひじりだつ験者げんざなどの、をさをさにもこえず、ふかやまもりたるなどをも、おとうときみたちをつかはしつつ、たづすに、けにくくこころづきなき山伏やまぶしどもなども、いとおほまゐる。わづらひたまふさまの、そこはかとなくものを心細こころぼそおもひて、をのみ、時々ときどききたまふ。

 陰陽師おみゃうじなども、おほくはをんなりゃうとのみうらなまうしければ、さることもやとおぼせど、さらにもののけのあらはれるもなきに、おもほしわづらひて、かかる隈々くまぐまをもたづねたまふなりけり。

 このひじりも、たけたかやかに、まぶしつべたましくて、あららかにおどろおどろしく陀羅尼だらにむを、

「いで、あなにくや。つみふかにやあらむ、陀羅尼だらにこゑたかきは、いとおそろしくて、いよいよぬべくこそおぼゆれ」

 とて、やをらすべりでて、この侍従じじうかたらひたまふ。

 大臣おとどは、さもりたまはず、うちやすみたると、ひとびとしてまうさせたまへば、さおぼして、しのびやかにこのひじり物語ものがたりしたまふ。おとなびたまへれど、なほはなやぎたるところつきて、ものわらひしたまふ大臣おとどの、かかるものどもとむかひゐて、このわづらひそめたまひしありさま、なにともなくうちたゆみつつ、おもりたまへること、

「まことに、このもののけ、あらはるべうねんじたまへ」

 など、こまやかにかたらひたまふも、いとあはれなり。

「かれきたまへ。なにつみともおぼらぬに、うらなひよりけむをんなりゃうこそ、まことにさるおほんしふひたるならば、いとはしきをひきかへ、やむごとなくこそなりぬべけれ。

さてもおほけなきこころありて、さるまじきあやまちをでて、ひと御名おほんなをもて、をもかへりみぬたぐひ、むかしにもなくやはありける、とおもなほすに、なほけはひわづらはしう、かの御心みこころに、かかるとがられたてまつりて、にながらへむことも、いとまばゆくおぼゆるは、げにことなる御光おほんひかりなるべし。

ふかあやまちもなきに、見合みあはせたてまつりしゆふべのほどより、やがてかきみだり、まどひそめにしたましひの、にもかへらずなりにしを、かのゐんのうちにあくがれありかば、むすびとどめたまへよ」

 など、いとよわげに、からのやうなるさまして、きみわらひみかたらひたまふ。

宮もものをのみ恥づかしう

 みやもものをのみづかしうつつましとおぼしたるさまをかたる。さてうちしめり、面痩おもやせたまへらむおほんさまの、面影おもかげたてまつる心地ここちして、おもひやられたまへば、げにあくがるらむたまや、かよふらむなど、いとどしき心地ここちみだるれば、

いまさらに、このおほんことよ、かけてもこえじ。このはかうはかなくてぎぬるを、ながのほだしにもこそとおもふなむ、いとほしき。心苦こころぐるしきおほんことを、たひらかにとだにいかでいたてまつらむ。ゆめこころひとつにおもはせて、またかたひともなきが、いみじういぶせくもあるかな」

 など、あつおもひしみたまへるさまのふかきを、かつはいとうたておそろしうおもへど、あはれはた、えしのばず、このひともいみじうく。

 紙燭しそくして、御返おほんかへたまへば、御手おほんてもなほいとはかなげに、をかしきほどにいたまひて、

心苦こころぐるしうきながら、いかでかは。ただはかり。のこらむとあるは、

ひてえやしなましきことをおもみだるるけぶりくらべに

おくるべうやは」

 とばかりあるを、あはれにかたじけなしとおもふ。

「いでや、このけぶりばかりこそは、このおもでならめ。はかなくもありけるかな」

 と、いとどきまさりたまひて、御返おほんかへり、しながら、うちやすみつついたまふ。ことつづきもなう、あやしきとりあとのやうにて、

行方ゆくへなきそらけぶりとなりぬともおもふあたりをちははなれじ

ゆふべはわきてながめさせたまへ。とがめきこえさせたまはむ人目ひとめをも、いまこころやすくおぼしなりて、かひなきあはれをだにも、えずかけさせたまへ」

 などみだりて、心地ここちくるしさまさりければ、

「よし。いたうけぬさきに、かへまゐりたまひて、かくかぎりのさまになむともこえたまへ。いまさらに、ひとあやしとおもはせむを、わがのちさへおもふこそ口惜くちをしけれ。いかなるむかしちぎりにて、いとかかることしもこころにしみけむ」

 と、くゐざりりたまひぬれば、れい無期むごむかゑて、すずろごとをさへはせまほしうしたまふを、言少ことずくなにても、とおもふがあはれなるに、えもでやらず。おほんありさまを乳母めのとかたりて、いみじくまどふ。大臣おとどなどのおぼしたるけしきぞいみじきや。

昨日きのふ今日けふ、すこしよろしかりつるを、などかいとよわげにはえたまふ」

 とさわぎたまふ。

なにか、なほとまりはべるまじきなめり」

 とこえたまひて、みづからもいたまふ。

宮は暮れつ方より悩ましう

 みやは、このれつかたよりなやましうしたまひけるを、そのけしきと、たてまつりりたるひとびと、さわぎみちて、大殿おとどにもこえたりければ、おどろきてわたりたまへり。御心みこころのうちは、

「あな、口惜くちをしや。おもひまずるかたなくてたてまつらましかば、めづらしくうれしからまし」

 とおぼせど、ひとにはけしきらさじとおぼせば、験者げんざなどし、御修法みすほふはいつとなく不断ふだんにせらるれば、そうどものなかげんあるかぎみなまゐりて、加持かぢまゐさわぐ。

 夜一夜よひとよなやかさせたまひて、さしがるほどにまれたまひぬ。男君をとこぎみきたまふに、

「かくしのびたることの、あやにくに、いちじるきかほつきにてさしでたまへらむこそくるしかるべけれ。をんなこそ、なにとなくまぎれ、あまたのひとるものならねばやすけれ」

 とおぼすに、また、

「かく、心苦こころぐるしきうたがじりたるにては、こころやすきかたにものしたまふもいとよしかし。さても、あやしや。わがとともにおそろしとおもひしことのむくいなめり。このにて、かくおもひかけぬことにむかはりぬれば、のちつみも、すこしかろみなむや」

 とおぼす。

 ひとはたらぬことなれば、かくこころことなる御腹おほんはらにて、すゑでおはしたるおほんおぼえいみじかりなむと、おもひいとなみつかうまつる。

 おほん産屋うぶや儀式ぎしき、いかめしうおどろおどろし。御方々おほんかたがた、さまざまにしでたまふ御産養おほんうぶやしなひつね折敷をしき衝重ついがさねたかつきなどのこころばへも、ことさらに心々こころごころいどましさえつつなむ。

 五日いつかよる中宮ちゅうぐう御方おほんかたより、ちの御前おまへもの女房にょうばうなかにも、品々しなじなおもてたる際々きはぎは公事おほやけごとにいかめしうせさせたまへり。御粥おほんかゆ屯食とんじき五十ごじふ所々ところどころきゃうゐん下部しもべちゃう召次所めしつぎどころなにかのくままで、いかめしくせさせたまへり。宮司みやづかさ大夫だいぶよりはじめて、ゐん殿上人てんじゃうびとみなまゐれり。

 七夜しちやは、内裏うちより、それもおほやけざまなり。致仕ちじ大臣おとどなど、こころことにつかうまつりたまふべきに、このころは、なにごともおぼされで、おほぞうの御訪おほんとぶらひのみぞありける。

 みやたち、上達部かむだちめなど、あまたまゐりたまふ。おほかたのけしきも、になきまでかしづききこえたまへど、大殿おとど御心みこころのうちに、心苦こころぐるしとおぼすことありて、いたうももてはやしきこえたまはず、御遊おほんあそびなどはなかりけり。

宮、尼にならばやと思す

 みやは、さばかりひはづなるおほんさまにて、いとむくつけう、ならはぬことのおそろしうおぼされけるに、御湯おほんゆなどもきこしめさず、心憂こころうきことを、かかるにつけてもおぼれば、

「さはれ、このついでにもなばや」

 とおぼす。大殿おとどは、いとよう人目ひとめかざおぼせど、まだむつかしげにおはするなどを、きてもたてまつりたまはずなどあれば、いしらへるひとなどは、

「いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさしでたまへるおほんありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」

 と、うつくしみきこゆれば、かたみみきたまひて、

「さのみこそは、おぼへだつることもまさらめ」

 とうらめしう、わがつらくて、あまにもなりなばや、の御心みこころきぬ。

 よるなども、こなたには大殿籠おほとのごもらず、ひるかたなどぞさしのぞきたまふ。

なかのはかなきをるままに、末短すゑみぢかう、もの心細こころぼそくて、おこなひがちになりにてはべれば、かかるほどのらうがはしき心地ここちするにより、えまゐぬを、いかが、御心地みここちはさはやかにおぼしなりにたりや。心苦こころぐるしうこそ」

 とて、御几帳みきちゃうそばよりさしのぞきたまへり。御頭みぐしもたげたまひて、

「なほ、えきたるまじき心地ここちなむしはべるを、かかるひとつみおもかなり。あまになりて、もしそれにやきとまるとこころみ、またくなるとも、つみうしなふこともやとなむおもひはべる」

 と、つねおほんけはひよりは、いとおとなびてこえたまふを、

「いとうたて、ゆゆしきおほんことなり。などてか、さまではおぼす。かかることは、さのみこそおそろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ」

 とこえたまふ。御心みこころのうちには、

「まことにさもおぼりてのたまはば、さやうにてたてまつらむは、あはれなりなむかし。かつつつも、ことにれて心置こころおかれたまはむが心苦こころぐるしう、われながらも、えおもなほすまじう、きことうちじりぬべきを、おのづからおろかにひと見咎みとがむることもあらむが、いといとほしう、ゐんなどのこしさむことも、わがおこたりにのみこそはならめ。御悩おほんなやみにことづけて、さもやなしたてまつりてまし」

 などおぼれど、また、いとあたらしう、あはれに、かばかりとほ御髪みぐしさきを、しかやつさむことも心苦こころぐるしければ、

「なほ、つよおぼしなれ。けしうはおはせじ。かぎりとゆるひとも、たひらなるためしちかければ、さすがにたのみあるになむ」

 などこえたまひて、御湯おほんゆまゐりたまふ。いといたうあをせて、あさましうはかなげにてうちしたまへるおほんさま、おほどき、うつくしげなれば、

「いみじきあやまちありとも、心弱こころよわゆるしつべきおほんさまかな」

 とたてまつりたまふ。

山の帝、夜に隠れて渡る

 やまみかどは、めづらしきおほんことたひらかなりとこしして、あはれにゆかしうおもほすに、

「かくなやみたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにか」

 と、御行おほんおこなひもみだれておぼしけり。

 さばかりよわりたまへるひとの、ものをこしさで、ごろたまへば、いとたのもしげなくなりたまひて、としごろたてまつらざりしほどよりも、ゐんのいとこひしくおぼえたまふを、

「またもたてまつらずなりぬるにや」

 と、いたういたまふ。かくこえたまふさま、さるべきひとしてつたそうせさせたまひければ、いとへがたうかなしとおぼして、あるまじきこととはおぼしながら、かくれてでさせたまへり。

 かねてさる御消息おほんせうそこもなくて、にはかにかくわたりおはしまいたれば、主人あるじゐん、おどろきかしこまりきこえたまふ。

なかかへりみすまじうおもひはべりしかど、なほまどめがたきものは、みちやみになむはべりければ、おこなひも懈怠けたいして、もしおくさきみち道理だうりのままならでわかれなば、やがてこのうらみもやかたみにのこらむと、あぢきなさに、こののそしりをばらで、かくものしはべる」

 とこえたまふ。御容貌おほんかたちことにても、なまめかしうなつかしきさまに、うちしのびやつれたまひて、うるはしきおほん法服ほふぶくならず、墨染すみぞめ御姿おほんすがた、あらまほしうきよらなるも、うらやましくたてまつりたまふ。れいの、まづなみだとしたまふ。

わづらひたまふおほんさま、ことなる御悩おほんなやみにもはべらず。ただつきごろよわりたまへるおほんありさまに、はかばかしうものなどもまゐらぬもりにや、かくものしたまふにこそ」

 などこえたまふ。

かたはらいたき御座なれども

「かたはらいたき御座おましなれども」

 とて、御帳みちゃうまへに、御茵おほんしとねまゐりてれたてまつりたまふ。みやをも、とかうひとびとつくろひきこえて、ゆかのしもにろしたてまつる。御几帳みきちゃうすこししやらせたまひて、

夜居よゐ加持かぢそうなどの心地ここちすれど、まだげんつくばかりのおこなひにもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなくおぼえたまふらむさまを、さながらたまふべきなり」

 とて、御目おほんめおしのごはせたまふ。みやも、いとよわげにいたまひて、

くべうもおぼえはべらぬを、かくおはしまいたるついでに、あまになさせたまひてよ」

 とこえたまふ。

「さる御本意おほんほいあらば、いとたふときことなるを、さすがに、かぎらぬいのちのほどにて、すゑとほひとは、かへりてことのみだれあり、ひとそしらるるやうありぬべき」

 などのたまはせて、大殿おとどきみに、

「かくなむすすみのたまふを、いまかぎりのさまならば、かたときのほどにても、そのたすけあるべきさまにてとなむ、おもひたまふる」

 とのたまへば、

ごろもかくなむのたまへど、邪気ざけなどの、ひとこころたぶろかして、かかるかたにてすすむるやうもはべなるをとて、きもれはべらぬなり」

 とこえたまふ。

「もののけのをしへにても、それにけぬとて、しかるべきことならばこそはばからめ、よわりにたるひとの、かぎりとてものしたまはむことを、ぐさむは、のち心苦こころぐるしうや」

 とのたまふ。

御心の内、限りなう

 御心みこころうちかぎりなううしろやすくゆづりおきしおほんことを、けとりたまひて、さしもこころざしふかからず、わがおもふやうにはあらぬけしきを、ことにれつつ、としごろこしおぼしつめけること、いろでてうらみきこえたまふべきにもあらねば、ひとおもふらむところも口惜くちをしうおぼしわたるに、

「かかるをりに、もてはなれなむも、なにかは、人笑ひとわらへに、うらみたるけしきならで、さもあらざらむ。おほかたの後見うしろみには、なほたのまれぬべきおほんおきてなるを、ただあづけおきたてまつりししるしにはおもひなして、にくげにそむくさまにはあらずとも、御処分おほんそうぶんひろくおもしろきみやたまはりたまへるを、つくろひてませたてまつらむ。

わがおはしますに、さるかたにても、うしろめたからずきおき、またかの大殿おとども、さいふとも、いとおろかにはよもおもはなちたまはじ、そのこころばへをも見果みはてむ」

 とおもほしりて、

「さらば、かくものしたるついでに、むことけたまはむをだに、結縁けちえんにせむかし」

 とのたまはす。

 大殿おとどきみしとおぼかたわすれて、こはいかなるべきことぞと、かなしく口惜くちをしければ、えへたまはず、うちりて、

「などか、いくばくもはべるまじきをふりてて、かうはおぼしなりにける。なほ、しばしこころしづめたまひて、御湯おほんゆまゐり、ものなどをもこしせ。たふときことなりとも、御身おほんみよわうては、おこなひもしたまひてむや。かつは、つくろひたまひてこそ」

 とこえたまへど、かしらふりて、いとつらうのたまふとおぼしたり。つれなくて、うらめしとおぼすこともありけるにやとたてまつりたまふに、いとほしうあはれなり。とかくこえかへさひ、おぼしやすらふほどに、夜明よあがたになりぬ。

帰り入らむに、道も昼は

 かへらむに、みちひるははしたなかるべしといそがせたまひて、おほんいのりにさぶらふなかに、やむごとなうたふとかぎれて、御髪みぐしろさせたまふ。いとさかりにきよらなる御髪みぐしてて、むことけたまふ作法さほふかなしう口惜くちをしければ、大殿おとどはえしのびあへたまはず、いみじういたまふ。

 ゐんはた、もとよりきてやむごとなう、ひとよりもすぐれてたてまつらむとおぼししを、このには甲斐かひなきやうにないたてまつるも、かずかなしければ、うちしほたれたまふ。

「かくても、たひらかにて、おなじうは念誦ねんずをもつとめたまへ」

 とこえきたまひて、てぬるに、いそぎてでさせたまひぬ。

 みやは、なほよわるやうにしたまひて、はかばかしうもえたてまつらず、ものなどもこえたまはず。大殿おとども、

ゆめのやうにおもひたまへみだるるこころまどひに、かうむかしおぼえたる御幸みゆきのかしこまりをも、え御覧ごらんぜられぬらうがはしさは、ことさらにまゐりはべりてなむ」

 とこえたまふ。御送おほんおくりにひとびとまゐらせたまふ。

なかの、今日けふ明日あすかにおぼえはべりしほどに、またひともなくて、ただよはむことの、あはれにりがたうおぼえはべしかば、御本意おほんほいにはあらざりけめど、かくこえつけて、としごろはこころやすくおもひたまへつるを、もしもきとまりはべらば、さまことかはりて、ひとしげきまひはつきなかるべきを、さるべき山里やまざとなどにかけはなれたらむありさまも、またさすがに心細こころぼそかるべくや。さまにしたがひて、なほ、おぼはなつまじく」

 などこえたまへば、

「さらにかくまでおほせらるるなむ、かへりてづかしうおもひたまへらるる。みだ心地ごこち、とかくみだれはべりて、何事なにごともえわきまへはべらず」

 とて、げに、いとへがたげにおぼしたり。

 後夜ごや御加持おほんかぢに、おほんもののけて、

「かうぞあるよ。いとかしこうかへしつと、一人ひとりをばおぼしたりしが、いとねたかりしかば、このわたりに、さりげなくてなむ、ごろさぶらひつる。いまかへりなむ」

 とて、うちわらふ。いとあさましう、

「さは、このもののけのここにも、はなれざりけるにやあらむ」

 とおぼすに、いとほしうくやしうおぼさる。みや、すこしでたまふやうなれど、なほたのみがたげにえたまふ。さぶらふひとびとも、いといふかひなうおぼゆれど、「かうても、たひらかにだにおはしまさば」と、ねんじつつ、御修法みすほふまたべて、たゆみなくおこなはせなど、よろづにせさせたまふ。

かの衛門督、御事を聞く

 かの衛門督ゑもんのかみは、かかるおほんこときたまふに、いとどるやうにしたまひて、むげにたのかたすくなうなりたまひにたり。をんなみやのあはれにおぼえたまへば、ここにわたりたまはむことは、いまさらに軽々かるがるしきやうにもあらむを、うへ大臣おとども、かくつとひおはすれば、おのづからとりはづしてたてまつりたまふやうもあらむに、あぢきなしとおぼして、

「かのみやに、とかくして今一度いまひとたびうでむ」

 とのたまふを、さらにゆるしきこえたまはず。たれにも、このみやおほんことをこえつけたまふ。はじめより母御息所ははみやすんどころは、をさをさこころゆきたまはざりしを、この大臣おとど居立ゐたちねむごろにこえたまひて、こころざしふかかりしにけたまひて、ゐんにも、いかがはせむとおぼゆるしけるを、二品にほんみやおほんことおもほしみだれけるついでに、

「なかなか、このみやさきうしろやすく、まめやかなる後見うしろみまうけたまへり」

 と、のたまはすときたまひしを、かたじけなうおもづ。

「かくて、見捨みすてたてまつりぬるなめりとおもふにつけては、さまざまにいとほしけれど、こころよりほかなるいのちなれば、へぬちぎうらめしうて、おぼなげかれむが、心苦こころぐるしきこと。御心みこころざしありてとぶらひものせさせたまへ」

 と、ははうへにもこえたまふ。

「いで、あなゆゆし。おくれたてまつりては、いくばくべきとて、かうまでさきのことをばのたまふ」

 とて、きにのみきたまへば、えこえやりたまはず。右大弁うだいべんきみにぞ、おほかたことどもはくはしうこえたまふ。

 こころばへののどかによくおはしつるきみなれば、おとうときみたちも、まだ末々すゑずゑわかきは、おやとのみたのみきこえたまへるに、かう心細こころぼそうのたまふを、かなしとおもはぬひとなく、殿とののうちのひとなげく。

 おほやけも、しみ口惜くちをしがらせたまふ。かくかぎりとこしして、にはかに権大納言ごんのだいなごんになさせたまへり。よろこびにおもこして、今一度いまひとたびまゐりたまふやうもやあると、おぼしのたまはせけれど、さらにえためらひやりたまはで、くるしきなかにも、かしこまりまうしたまふ。大臣おとども、かくおもおほんおぼえをたまふにつけても、いよいよかなしうあたらしとおぼまどふ。

大将の君、常に思ひ嘆く

 大将だいしゃうきみつねにいとふかおもなげき、とぶらひきこえたまふ。おほんよろこびにもまづうでたまへり。このおはするたいのほとり、こなたの御門みかどは、むまくるまたちみ、ひとさわがしうさわちたり。今年ことしとなりては、がることもをさをさしたまはねば、重々おもおもしきおほんさまに、みだれながらは、え対面たいめんしたまはで、おもひつつよわりぬること、とおもふに口惜くちをしければ、

「なほ、こなたにらせたまへ。いとらうがはしきさまにはべるつみは、おのづからおぼゆるされなむ」

 とて、したまへる枕上まくらがみかたに、そうなどしばしだしたまひて、れたてまつりたまふ。

 はやうより、いささかへだてたまふことなう、むつはしたまふ御仲おほんなかなれば、わかれむことのかなしうこひしかるべきなげき、おや兄弟はらから御思おほんおもひにもおとらず。今日けふよろこびとて、心地ここちよげならましをとおもふに、いと口惜くちをしう、かひなし。

「などかくたのもしげなくはなりたまひにける。今日けふは、かかるおほんよろこびに、いささかすくよかにもやとこそおもひはべりつれ」

 とて、几帳きちゃうのつまげたまへれば、

「いと口惜くちをしう、そのひとにもあらずなりにてはべりや」

 とて、烏帽子えぼうしばかりおしれて、すこしがらむとしたまへど、いとくるしげなり。しろきぬどもの、なつかしうなよよかなるをあまたかさねて、ふすまひきかけてしたまへり。御座おましのあたりものきよげに、けはひうばしう、こころにくくぞみなしたまへる。

 うちとけながら、用意よういありとゆ。おもわづらひたるひとは、おのづから髪髭かみひげみだれ、ものむつかしきけはひもふわざなるを、せさらぼひたるしも、いよいよしろうあてなるさまして、まくらをそばだてて、ものなどこえたまふけはひ、いとよわげに、いきえつつ、あはれげなり。

久しう患ひたまへるほどより

ひさしうわづらひたまへるほどよりは、ことにいたうもそこなはれたまはざりけり。つね御容貌おほんかたちよりも、なかなかまさりてなむえたまふ」

 とのたまふものから、なみだおしのごひて、

おくさきへだてなくとこそちぎりきこえしか。いみじうもあるかな。この御心地みここちのさまを、何事なにごとにておもりたまふとだに、えきはべらず。かくしたしきほどながら、おぼつかなくのみ」

 などのたまふに、

こころには、おもくなるけぢめもおぼえはべらず。そこどころとくるしきこともなければ、たちまちにかうもおもひたまへざりしほどに、月日つきひよわりはべりにければ、いまはうつしごころせたるやうになむ。

しげなきを、さまざまにひきとどめらるるいのり、がんなどのちからにや、さすがにかかづらふも、なかなかくるしうはべれば、こころもてなむ、いそ心地ここちしはべる。

さるは、このわかれ、りがたきことは、いとおほうなむ。おやにもつかうまつりさして、いまさらに御心みこころどもをなやまし、きみつかうまつることもなかばのほどにて、かへりみるかた、はた、ましてはかばかしからぬうらみをとどめつるおほかたなげきをば、さるものにて。

またこころうちおもひたまへみだるることのはべるを、かかるいまはのきざみにて、なにかはらすべきとおもひはべれど、なほしのびがたきことを、たれにかはうれへはべらむ。これかれあまたものすれど、さまざまなることにて、さらにかすめはべらむも、あいなしかし。

六条院ろくでうのゐんにいささかなることたがありて、つきごろ、こころうちにかしこまりまうすことなむはべりしを、いと本意ほいなう、なか心細こころぼそおもひなりて、やまひづきぬとおぼえはべしに、しありて、ゐん御賀おほんが楽所がくそこころみのまゐりて、けしきをたまはりしに、なほゆるされぬ御心みこころばへあるさまに、おほん目尻まじりたてまつりはべりて、いとどにながらへむこともはばかおほうおぼえなりはべりて、あぢきなうおもひたまへしに、こころさわぎそめて、かくしづまらずなりぬるになむ。

人数ひとかずにはおぼれざりけめど、いはけなうはべしときより、ふかたのまうこころのはべりしを、いかなる讒言ざうげんなどのありけるにかと、これなむ、このうれへにてのこりはべるべければ、ろんなうかののちさまたげにもやとおもひたまふるを、ことのついではべらば、御耳おほんみみとどめて、よろしうあきらめまうさせたまへ。

からむうしろにも、この勘事かうじゆるされたらむなむ、御徳おほんとくにはべるべき」

 などのたまふままに、いとくるしげにのみえまされば、いみじうて、こころうちおもはすることどもあれど、さしてたしかには、えしもはからず。

「いかなる御心みこころおににかは。さらに、さやうなるけしきもなく、かくおもりたまへるよしをもきおどろきなげきたまふこと、かぎりなうこそ口惜くちをしがりまうしたまふめりしか。など、かくおぼすことあるにては、いままでのこいたまひつらむ。こなたかなたあきらめまうすべかりけるものを。いまはいふかひなしや」

 とて、かへさまほしうかなしくおぼさる。

「げに、いささかもひまありつるをりこえうけたまはるべうこそはべりけれ。されど、いとかう今日けふ明日あすとしもやはと、みづからながららぬいのちのほどを、おもひのどめはべりけるもはかなくなむ。このことは、さらに御心みこころよりらしたまふまじ。さるべきついではべらむをりには、御用意おほんよういくはへたまへとて、こえおくになむ。

一条いちでうにものしたまふみや、ことにれてとぶらひきこえたまへ。心苦こころぐるしきさまにて、ゐんなどにもこしされたまはむを、つくろひたまへ」

 などのたまふ。はまほしきことはおほかるべけれど、心地ここちせむかたなくなりにければ、

でさせたまひね」

 と、かききこえたまふ。加持かぢまゐそうどもちかまゐり、うへ大臣おとどなどおはしあつまりて、ひとびともさわげば、でたまひぬ。

女御をばさらにも聞こえず

 女御にょうごをばさらにもこえず、この大将だいしゃう御方おほんかたなどもいみじうなげきたまふ。こころおきての、あまねくひとのこのかみごころにものしたまひければ、みぎ大殿おほとのきたかたも、このきみをのみぞ、むつましきものにおもひきこえたまひければ、よろづにおもなげきたまひて、おほんいのりなどきてせさせたまひけれど、やむくすりならねば、かひなきわざになむありける。をんなみやにも、つひにえ対面たいめんしきこえたまはで、あわるやうにてせたまひぬ。

 としごろ、したこころこそねむごろにふかくもなかりしか、おほかたには、いとあらまほしくもてなしかしづききこえて、なつかしう、こころばへをかしう、うちとけぬさまにてぐいたまひければ、つらきふしもことになし。ただ、

「かくみじかかりける御身おほんみにて、あやしくなべてのよのすさまじうおもひたまへけるなりけり」

 とおもでたまふに、いみじうて、おぼりたるさま、いと心苦こころぐるし。

 御息所みやすんどころも、「いみじう人笑ひとわらへに口惜くちをし」と、たてまつりなげきたまふこと、かぎりなし。

 大臣おとどきたかたなどは、ましていはむかたなく、

われこそさきため。のことわりなうつらいこと」

 とがれたまへど、なにのかひなし。

 あまみやは、おほけなきこころもうたてのみおぼされて、ながかれとしもおぼさざりしを、かくなむときたまふは、さすがにいとあはれなりかし。

若君わかぎみおほんことを、さぞとおもひたりしも、げに、かかるべきちぎりにてや、おもひのほかに心憂こころうきこともありけむ」とおぼるに、さまざまもの心細こころぼそうて、うちかれたまひぬ。

弥生になれば空うららかに

 弥生やよひになれば、そらのけしきもものうららかにて、このきみ五十日いかのほどになりたまひて、いとしろううつくしう、ほどよりはおよすけて、物語ものがたりなどしたまふ。大殿おとどわたりたまひて、

御心地みここちは、さはやかになりたまひにたりや。いでや、いとかひなくもはべるかな。れいおほんありさまにて、かくなしたてまつらましかば、いかにうれしうはべらまし。心憂こころうく、おぼてけること」

 と、なみだぐみてうらみきこえたまふ。日々ひびわたりたまひて、いましも、やむごとなくかぎりなきさまにもてなしきこえたまふ。

 おほん五十日いかもちひまゐらせたまはむとて、容貌かたちことなるおほんさまを、ひとびと、「いかに」などこえやすらへど、ゐんわたらせたまひて、

なにか。をんなにものしたまはばこそ、おなすぢにて、いまいましくもあらめ」

 とて、南面みなみおもてちひさき御座おましなどよそひて、まゐらせたまふ。御乳母おほんめのと、いとはなやかに装束さうぞきて、御前おまへのもの、いろいろをくしたるもの桧破籠ひわりごこころばへどもを、うちにもにも、もとのこころらぬことなれば、らし、何心なにごころもなきを、「いと心苦こころぐるしうまばゆきわざなりや」とおぼす。

宮も起きゐたまひて

 みやきゐたまひて、御髪みぐしすゑ所狭ところせひろごりたるを、いとくるしとおぼして、ひたひなどでつけておはするに、几帳きちゃうきやりてゐたまへば、いとづかしうてそむきたまへるを、いとどちひさうほそりたまひて、御髪みぐししみきこえて、ながぎたりければ、うしろはことにけぢめもえたまはぬほどなり。

 すぎすぎゆる鈍色にびいろども、がちなる今様色いまやういろなどたまひて、まだありつかぬおほんかたはらめ、かくてしもうつくしきどもの心地ここちして、なまめかしうをかしげなり。

「いで、あな心憂こころう墨染すみぞめこそ、なほ、いとうたてもくるるいろなりけれ。かやうにても、たてまつることは、ゆまじきぞかしと、おもなぐさめはべれど、りがたうわりなき心地ここちするなみだ人悪ひとわろさを、いとかうおもてられたてまつるとがおもひなすも、さまざまにむねいたう口惜くちをしくなむ。かへすものにもがなや」

 と、うちなげきたまひて、

いまはとておぼはなれば、まことに御心みこころいとてたまひけると、づかしう心憂こころうくなむおぼゆべき。なほ、あはれとおぼせ」

 とこえたまへば、

「かかるさまのひとは、もののあはれもらぬものときしを、ましてもとよりらぬことにて、いかがはこゆべからむ」

 とのたまへば、

「かひなのことや。おぼかたもあらむものを」

 とばかりのたまひさして、若君わかぎみたてまつりたまふ。

御乳母たちは、やむごとなく

 御乳母おほんめのとたちは、やむごとなく、めやすきかぎりあまたさぶらふ。でて、つかうまつるべきこころおきてなどのたまふ。

「あはれ、のこすくなきに、づべきひとにこそ」

 とて、いだりたまへば、いとこころやすくうちみて、つぶつぶとえてしろううつくし。大将だいしゃうなどの稚児ちごひ、ほのかにおぼづるにはたまはず。女御にょうごおほんみやたち、はた、父帝ちちみかど御方おほんかたざまに、王気わうけづきて気高けだかうこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。

 このきみ、いとあてなるにへて、愛敬あいぎゃうづき、まみのかをりて、がちなるなどを、いとあはれとたまふ。おもひなしにや、なほ、いとようおぼえたりかし。ただいまながら、眼居まなこゐののどかにづかしきさまも、やうはなれて、かをりをかしきかほざまなり。

 みやはさしもおぼかず。ひとはた、さらにらぬことなれば、ただ一所ひとところ御心みこころうちにのみぞ、

「あはれ、はかなかりけるひとちぎりかな」

 とたまふに、おほかたさだめなさもおぼつづけられて、なみだのほろほろとこぼれぬるを、今日けふ言忌こといみすべきをと、おしのごかくしたまふ。

しづかにおもひてなげくにへたり」

 と、うちうじたまふ。五十ごじふはちとをてたる御齢おほんよはひなれど、すゑになりたる心地ここちしたまひて、いとものあはれにおぼさる。「なんぢちちに」とも、いさめまほしうおぼしけむかし。

このことの心知れる人

「このことの心知こころしれるひと女房にょうばうなかにもあらむかし。らぬこそ、ねたけれ。烏滸をこなりとるらむ」と、やすからずおぼせど、「わがおほんとがあることはあへなむ。ふたはむには、をんなおほんためこそ、いとほしけれ」

 などおぼして、いろにもだしたまはず。いと何心なにごころなう物語ものがたりしてわらひたまへるまみ、くちつきのうつくしきも、「心知こころしらざらむひとはいかがあらむ。なほ、いとよくかよひたりけり」とたまふに、「おやたちの、だにあれかしと、いたまふらむにも、えせず、人知ひとしれずはかなき形見かたみばかりをとどめきて、さばかりおもがり、およすけたりしを、こころもてうしなひつるよ」

 と、あはれにしければ、めざましとおもこころもひきかへし、うちかれたまひぬ。

 ひとびとすべりかくれたるほどに、みやおほんもとにりたまひて、

「このひとをば、いかがたまふや。かかるひとてて、そむてたまひぬべきにやありける。あな、心憂こころう

 と、おどろかしきこえたまへば、かほうちあかめておはす。

にかたねきしとひとはばいかが岩根いはねまつこたへむ

あはれなり」

 など、しのびてこえたまふに、おほんいらへもなうて、ひれふしたまへり。ことわりとおぼせば、しひてもこえたまはず。

「いかにおぼすらむ。ものふかうなどはおはせねど、いかでかはただには」

 と、はかりきこえたまふも、いと心苦こころぐるしうなむ。

大将の君、心に余りて

 大将だいしゃうきみは、かのこころあまりて、ほのめかしでたりしを、

「いかなることにかありけむ。すこしものおぼえたるさまならましかば、さばかりうちでそめたりしに、いとようけしきはてましを。いふかひなきとぢめにて、をりしういぶせくて、あはれにもありしかな」

 と、面影おもかげわすれがたうて、兄弟はらからきみたちよりも、しひてかなしとおぼえたまひけり。

をんなみやのかくそむきたまへるありさま、おどろおどろしき御悩おほんなやみにもあらで、すがやかにおぼちけるほどよ。また、さりとも、ゆるしきこえたまふべきことかは。

二条にでううへの、さばかりかぎりにて、まうしたまふときしをば、いみじきことにおぼして、つひにかくかけとどめたてまつりたまへるものを」

 など、あつめておもひくだくに、

「なほ、むかしよりえずゆるこころばへ、えしのばぬ折々をりをりありきかし。いとようもてしづめたるうはべは、ひとよりけに用意よういあり、のどかに、なにごとをこのひとこころのうちにおもふらむと、ひとくるしきまでありしかど、すこしよわきところつきて、なよびぎたりしけぞかし。

いみじうとも、さるまじきことにこころみだりて、かくしもふべきことにやはありける。ひとのためにもいとほしう、わがはいたづらにやなすべき。さるべきむかしちぎりといひながら、いと軽々かるがるしう、あぢきなきことなりかし」

 など、こころひとつにおもへど、女君をんなぎみにだにこえでたまはず。さるべきついでなくて、ゐんにもまだえまうしたまはざりけり。さるは、かかることをなむかすめし、とまうでて、けしきもまほしかりけり。

 父大臣ちちおとど母北ははきたかたは、なみだのいとまなくおぼしづみて、はかなくぐる日数ひかずをもりたまはず、おほんわざの法服ほふぶく御装束おほんさうぞくなにくれのいそぎをも、きみたち、御方々おほんかたがた、とりどりになむ、せさせたまひける。

 きゃうほとけのおきてなども、右大弁うだいべんきみせさせたまふ。七日なぬか七日なぬか御誦経みずきゃうなどを、ひとこえおどろかすにも、

われになかせそ。かくいみじとおもまどふに、なかなかみちさまたげにもこそ」

 とて、きやうにおぼれたり。

一条の宮には、まして

 一条いちでうみやには、まして、おぼつかなうてわかれたまひにしうらみさへひて、ごろるままに、ひろみやうちひとすくなう心細こころぼそげにて、したしく使つからしたまひしひとは、なほまゐとぶらひきこゆ。

 このみたまひしたかむまなど、そのかたあづかりどもも、みなつくところなうおもじて、かすかにるをたまふも、ことにれてあはれはきぬものになむありける。もて使つかひたまひし御調度みてうどども、つねきたまひし琵琶びは和琴わごんなどのはなちやつされて、てぬも、いとむもれいたきわざなりや。

 御前おまへ木立こだちいたうけぶりて、はなときわすれぬけしきなるをながめつつ、ものがなしく、さぶらふひとびとも、鈍色にびいろにやつれつつ、さびしうつれづれなるひるかた前駆さきはなやかにおとして、ここにまりぬるひとあり。

「あはれ、故殿ことのおほんけはひとこそ、うちわすれてはおもひつれ」

 とて、くもあり。大将殿だいしゃうどののおはしたるなりけり。御消息おほんせうそここえれたまへり。れいべんきみ宰相さいしゃうなどのおはしたるとおぼしつるを、いとづかしげにきよらなるもてなしにてりたまへり。

 母屋もやひさし御座おましよそひてれたてまつる。おしなべたるやうに、ひとびとのあへしらひきこえむは、かたじけなきさまのしたまへれば、御息所みやすんどころ対面たいめんしたまへる。

「いみじきことをおもひたまへなげこころは、さるべきひとびとにもえてはべれど、かぎりあれば、こえさせやるかたなうて、つねになりはべりにけり。いまはのほどにも、のたまひくことはべりしかば、おろかならずなむ。

たれものどめがたきなれど、おくさきつほどのけぢめには、おもひたまへおよばむにしたがひて、ふかこころのほどをも御覧ごらんぜられにしがなとなむ。神事かみわざなどのしげきころほひ、わたくしこころざしにまかせて、つくづくともりゐはべらむも、れいならぬことなりければ、ちながらはた、なかなかにかずおもひたまへらるべうてなむ、ごろをぐしはべりにける。

大臣おとどなどのこころみだりたまふさま、見聞みききはべるにつけても、親子おやこみちやみをばさるものにて、かかる御仲おほんなからひの、ふかおもひとどめたまひけむほどを、はかりきこえさするに、いときせずなむ」

 とて、しばしばおしのごひ、はなうちかみたまふ。あざやかに気高けだかきものから、なつかしうなまめいたり。

御息所も鼻声になりたまひて

 御息所みやすんどころはなごゑになりたまひて、

「あはれなることは、そのつねなきのさがにこそは。いみじとても、またたぐひなきことにやはと、としもりぬるひとは、しひて心強こころづようさましはべるを、さらにおぼりたるさまの、いとゆゆしきまで、しばしもおくれたまふまじきやうにえはべれば、すべていと心憂こころうかりけるの、いままでながらへはべりて、かくかたがたにはかなきすゑのありさまをたまへぐすべきにやと、いと静心しづこころなくなむ。

おのづからちか御仲おほんなからひにて、およばせたまふやうもはべりけむ。はじめつかたより、をさをさうけひききこえざりしおほんことを、大臣おとど御心みこころむけも心苦こころぐるしう、ゐんにもよろしきやうにおぼゆるいたるけしきなどのはべしかば、さらばみづからのこころおきてのおよばぬなりけりと、おもひたまへなしてなむ、たてまつりつるを、かくゆめのやうなることをたまふるに、おもひたまへはすれば、みづからのこころのほどなむ、おなじうはつようもあらがひきこえましを、とおもひはべるに、なほいとくやしう。それは、かやうにしもおもりはべらざりきかし。

皇女みこたちは、おぼろけのことならで、しくもくも、かやうにづきたまふことは、えこころにくからぬことなりと、ふるめきごころにはおもひはべしを、いづかたにもよらず、中空なかぞら御宿世おほんすくせなりければ、なにかは、かかるついでにけぶりにもまぎれたまひなむは、この御身おほんみのための人聞ひとぎきなどは、ことに口惜くちをしかるまじけれど、さりとても、しかすくよかに、えおもしづむまじう、かなしうたてまつりはべるに、いとうれしう、あさからぬ御訪おほんとぶらひのたびたびになりはべめるを、がたうもとこえはべるも、さらば、かの御契おほんちぎりありけるにこそはと、おもふやうにしもえざりし御心みこころばへなれど、いまはとて、これかれにつけおきたまひける御遺言ごゆいごんの、あはれなるになむ、きにもうれしきはまじりはべりける」

 とて、いといたういたまふけはひなり。

大将も、とみにえためらひ

 大将だいしゃうも、とみにえためらひたまはず。

「あやしう、いとこよなくおよすけたまへりしひとの、かかるべうてや、この三年さんねんのこなたなむ、いたうしめりて、もの心細こころぼそげにえたまひしかば、あまりのことわりをおもり、ものふかうなりぬるひとの、ぎて、かかるためしこころうつくしからず、かへりては、あざやかなるかたのおぼえうすらぐものなりとなむ、つねにはかばかしからぬこころいさめきこえしかば、心浅こころあさしとおもひたまへりし。よろづよりも、ひとにまさりて、げに、かのおぼなげくらむ御心みこころうちの、かたじけなけれど、いと心苦こころぐるしうもはべるかな」

 など、なつかしうこまやかにこえたまひて、ややほどてぞでたまふ。

 かのきみは、ろくねんのほどのこのかみなりしかど、なほ、いとわかやかに、なまめき、あいだれてものしたまひし。これは、いとすくよかに重々おもおもしく、男々ををしきけはひして、かほのみぞいとわかうきよらなること、ひとにすぐれたまへる。わかひとびとは、ものがなしさもすこしまぎれて見出みいだしたてまつる。

 御前おまへちかさくらのいとおもしろきを、「今年ことしばかりは」と、うちおぼゆるも、いまいましきすぢなりければ、

「あひむことは」

 とくちずさびて、

ときしあればはらぬいろにほひけりかたれにし宿やどさくらも」

 わざとならずじなしてちたまふに、いととう、

「このはるやなぎにぞたまはぬくはな行方ゆくへらねば」

 とこえたまふ。いとふかきよしにはあらねど、いまめかしう、かどありとははれたまひし更衣かういなりけり。「げに、めやすきほどの用意よういなめり」とたまふ。

致仕の大殿に参りたまへれば

 致仕ちじ大殿おほとのに、やがてまゐりたまへれば、きみたちあまたものしたまひけり。

「こなたにらせたまへ」

 とあれば、大臣おとど御出居おほんいでゐかたりたまへり。ためらひて対面たいめんしたまへり。りがたうきよげなる御容貌おほんかたち、いたうおとろへて、御髭おほんひげなどもとりつくろひたまはねば、しげりて、おやけうよりも、けにやつれたまへり。たてまつりたまふより、いとしのびがたければ、「あまりにをさまらずみだつるなみだこそ、はしたなけれ」とおもへば、せめてぞもてかくしたまふ。

 大臣おとども、「きて御仲おほんなかよくものしたまひしを」とたまふに、ただりにちて、えとどめたまはず、きせぬおほんことどもをこえはしたまふ。

 一条いちでうみやでたりつるありさまなどこえたまふ。いとどしう、春雨はるさめかとゆるまで、のきしづくことならず、らしへたまふ。畳紙たたんがみに、かの「やなぎにぞ」とありつるを、いたまへるをたてまつりたまへば、「えずや」と、おししぼりつつたまふ。

 うちひそみつつぞたまふおほんさま、れい心強こころづようあざやかに、ほこりかなるけしき名残なごりなく、人悪ひとわろし。さるは、ことなることなかめれど、この「たまはぬく」とあるふしの、げにとおぼさるるに、こころみだれて、ひさしうえためらひたまはず。

きみおほん母君ははぎみかくれたまへりしあきなむ、かなしきことのきはにはおぼえはべりしを、をんなかぎりありて、人少ひとずくなう、とあることもかかることもあらはならねば、かなしびもかくろへてなむありける。

はかばかしからねど、朝廷おほやけてたまはず、やうやうひととなり、官位つかさくらゐにつけて、あひたのひとびと、おのづから次々つぎつぎおほうなりなどして、おどろき口惜くちをしがるも、るいれてあるべし。

かうふかおもひは、そのおほかたのおぼえも、官位つかさくらゐおもほえず。ただことなることなかりしみづからのありさまのみこそ、へがたくこひしかりけれ。なにばかりのことにてか、おもひさますべからむ」

 と、そらあふぎてながめたまふ。

 夕暮ゆふぐれくものけしき、鈍色にびいろかすみて、はなりたるこずゑどもをも、今日けふとどめたまふ。この御畳紙おほんたたんがみに、

したしづくれてさかさまにかすみころもたるはるかな」

 大将だいしゃうきみ

ひとおもはざりけむうちててゆふべのかすみきみたれとは」

 べんきみ

うらめしやかすみころもよとはるよりさきにはなりけむ」

 おほんわざなど、つねならず、いかめしうなむありける。大将殿だいしゃうどのきたかたをばさるものにて、殿とのこころことに、きゃうなども、あはれにふかこころばへをくはへたまふ。

かの一条の宮にも

 かの一条いちでうみやにも、つねとぶらひきこえたまふ。卯月うづきばかりのはなは、そこはかとなう心地ここちよげに、ひといろなる四方よもこずゑもをかしうえわたるを、ものおも宿やどは、よろづのことにつけてしづかに心細こころぼそう、らしかねたまふに、れいわたりたまへり。

 にはもやうやうあをづる若草わかくさえわたり、ここかしこの砂子薄すなごうすきもののかくれのかたに、所得顔ところえがほなり。前栽せんざいこころれてつくろひたまひしも、こころにまかせてしげりあひ、一村薄ひとむらすすきたのもしげにひろごりて、むしへむあきおもひやらるるより、いとものあはれにつゆけくて、りたまふ。

 伊予簾いよすかけわたして、鈍色にびいろ几帳きちゃう衣更ころもがへしたる透影すきかげすずしげにえて、よき童女わらはの、こまやかにばめる汗衫かざみのつま、かしらつきなどほのえたる、をかしけれど、なほおどろかるるいろなりかし。

 今日けふ簀子すのこにゐたまへば、しとねさしでたり。「いとかるらかなる御座おましなり」とて、れいの、御息所みやすんどころおどろかしきこゆれど、このごろ、なやましとてしたまへり。とかくこえまぎらはすほど、御前おまへ木立こだちども、おもふことなげなるけしきをたまふも、いとものあはれなり。

 柏木かしはぎかへでとの、ものよりけにわかやかなるいろして、えださしはしたるを、

「いかなるちぎりにか、すゑへるたのもしさよ」

 などのたまひて、しのびやかにさしりて、

「ことならばらしのえだにならさなむ葉守はもりかみゆるしありきと

御簾みすへだてあるほどこそ、うらめしけれ」

 とて、長押なげしりゐたまへり。

「なよび姿すがたはた、いといたうたをやぎけるをや」

 と、これかれつきしろふ。このおほんあへしらひきこゆる少将せうしゃうきみといふひとして、

柏木かしはぎ葉守はもりかみはまさずともひとならすべき宿やどこずゑ

うちつけなる御言おほんことになむ、あさおもひたまへなりぬる」

 とこゆれば、げにとおぼすに、すこしほほみたまひぬ。

御息所ゐざり出でたまふ

 御息所みやすんどころゐざりでたまふけはひすれば、やをらゐなほりたまひぬ。

なかを、おもひたまへしづ月日つきひもるけぢめにや、みだ心地ごこちも、あやしうほれぼれしうてぐしはべるを、かくたびたびかさねさせたまふ御訪おほんとぶらひの、いとかたじけなきに、おもひたまへこしてなむ」

 とて、げになやましげなるおほんけはひなり。

おもほしなげくは、のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそはべめれ。さすがにかぎりあるになむ」

 と、なぐさめきこえたまふ。

「このみやこそ、きしよりはこころおくえたまへ、あはれ、げに、いかに人笑ひとわらはれなることをへておぼすらむ」

 とおもふもただならねば、いたうこころとどめて、おほんありさまもひきこえたまひけり。

容貌かたちぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦みぐるしうかたはらいたきほどにだにあらずは、などて、によりひとをもおもき、また、さるまじきにこころをもまどはすべきぞ。さましや。ただ、こころばせのみこそ、ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」とおもほす。

いまはなほむかしおもほしなずらへて、うとからずもてなさせたまへ」

 など、わざと懸想けさうびてはあらねど、ねむごろにけしきばみてこえたまふ。直衣なほし姿すがたいとあざやかにて、たけだちものものしう、そぞろかにぞえたまひける。

「かの大殿おとどは、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬あいぎゃうづきたまへることのならびなきなり」

「これは、男々ををしうはなやかに、あなきよらと、ふとえたまふにほひぞ、ひとぬや」

 と、うちささめきて、

おなじうは、かやうにてもりたまはましかば」

 など、ひとびとふめり。

右将軍いうしゃうぐんつかくさはじめてあをし」

 と、うちくちずさびて、それもいとちかのことなれば、さまざまにちかとほう、こころみだるやうなりしなかに、たかきもくだれるも、しみあたらしがらぬはなきも、むべむべしきかたをばさるものにて、あやしうなさけをてたるひとにぞものしたまひければ、さしもあるまじき公人おほやけびと女房にょうばうなどのとしふるめきたるどもさへ、かなしびきこゆる。まして、うへには、御遊おほんあそびなどのをりごとにも、まづおぼでてなむ、しのばせたまひける。

「あはれ、衛門督ゑもんのかみ

 といふ言種ことぐさなにごとにつけてもはぬひとなし。六条院ろくでうのゐんには、ましてあはれとおぼづること、月日つきひへておほかり。

 この若君わかぎみを、御心おほんこころひとつには形見かたみなしたまへど、ひとおもらぬことなれば、いとかひなし。あきかたになれば、このきみは、ゐざりなど。

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