『源氏物語』第13帖「明石」原文全文を読む|読みやすいふりがな付き

出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」国貞『源氏香の図』

 このページでは、『源氏物語』第13帖「明石」の原文全文を掲載しています。原文のままでも読みやすいよう、漢字には歴史的仮名遣いによるルビ(ふりがな)を付けました。現代語訳とあわせて読みたい方は、『源氏物語』第13帖「明石」現代語訳全文をご覧ください。

目次

なほ雨風やまず

 なほあめかぜやまず、かみしづまらで、ごろになりぬ。いとど、ものわびしきことかずらず、かたさきかなしきおほんありさまに、心強こころづようしもえおぼしなさず、いかにせまし、かかりとてみやこかへらむことも、まだゆるされもなくては、ひとはれなることこそまさらめ、なほこれよりふかやまもとめてや、あとえなまし、とおぼすにも、なみかぜさわがれて、などひとつたへむこと、のちまで、いと軽々かるがるしきをやながてむ、とおぼしみだる。

 御夢おほんゆめにも、ただおなじさまなるもののみつつ、まつはしきこゆとたまふ。くももなくて、るる日数ひかずへて、きゃうかたもいとどおぼつかなく、かくながらをはふらかしつるにやと、こころほそおぼせど、かしらさしづべくもあらぬそらみだれに、まゐひともなし。

 二条院にでうのゐんよりぞ、あながちにあやしき姿すがたにて、そほちまゐれる。みちかひにてだに、ひとなにぞとだに御覧ごらんじわくべくもあらず、まづはらひつべきしづをとこの、むつましうあはれにおぼさるるも、われながらかたじけなく、しにけるこころのほどおもらる。御文おほんふみに、

「あさましくをやみなきころのけしきに、いとどそらさへづる心地ここちして、ながめやるかたなくなむ。

うらかぜやいかにくらむおもひやるそでうちらしなみなきころ」

 あはれにかなしきことどもあつめたまへり。ひきあくるより、いとどみぎはまさりぬべく、かきくらす心地ここちしたまふ。

きゃうにも、このあめかぜ、いとあやしきもののさとしなりとて、仁王会にんわうゑなどおこなはるべしとなむこえはべりし。内裏うちまゐりたまふ上達部かむだちめなども、すべてみちぢて、政治まつりごとえてなむはべる」

 など、はかばかしうもあらず、かたくなしうかたりなせど、きゃうかたのこととおぼせばいぶかしうて、御前おまへでてはせたまふ。

「ただ、れいあめのをやみなくりて、かぜ時々ときどきでて、ごろになりはべるを、れいならぬことにおどろきはべるなり。いとかく、そことほるばかりのり、かみのしづまらぬことははべらざりき」

 など、いみじきさまにおどろぢてをるかほのいとからきにも、こころほそさぞまさりける。

かくしつつ世は尽きぬべきにや

 かくしつつきぬべきにや、とおぼさるるに、そのまたのあかつきよりかぜいみじうき、しほたかちてなみおときこと、いはほやまのこるまじきけしきなり。かみりひらめくさま、さらにはむかたなくて、ちかかりぬとおぼゆるに、あるかぎりさかしきひとなし。

われはいかなるつみをかして、かくかなしきるらむ。ちちははにもあひず、かなしき妻子めこかほをもぬべきこと」

 となげく。きみ御心みこころをしづめて、なにばかりのあやまちにてか、このなぎさいのちをばこうめむと、つようおぼしなせど、いとものさわがしければ、色々いろいろ幣帛みてぐらささげさせたまひて、

住吉すみよしかみちかさかひをしづめまもりたまふ。まことにあとれたまふかみならば、たすけたまへ」

 と、おほくの大願だいぐわんてたまふ。おのおの、みづからのいのちをばさるものにて、かかる御身おほんみのまたなきれいしづみたまひぬべきことのいみじうかなしきに、こころこして、すこしものおぼゆるかぎりは、へてこの御身おほんみひとつをすくひたてまつらむと、とよみて、諸声もろこゑほとけかみねんじたてまつる。

帝王ていわうふかみややしなはれたまひて、いろいろのたのしみにおごりたまひしかど、ふかおほんうつくしみ、大八洲おほやしまにあまねく、しづめるともがらをこそおほかべたまひしか。いまなにむくいにか、ここらよこさまなるなみかぜにはおぼれたまはむ。あめ、ことわりたまへ。つみなくてつみたり、つかさくらゐられ、いへはなれ、さかひりて、やすそらなくなげきたまふに、かくかなしきをさへいのちきなむとするはさきむくいか、このをかしか、かみほとけらかにましまさば、このうれへやすめたまへ」

 と、御社みやしろかたきて、さまざまのぐわんてたまふ。また、うみなか龍王りうわう、よろづのかみたちにぐわんてさせたまふに、いよいよりとどろきて、おはしますにつづきたるらうちかかりぬ。ほのほがりてらうけぬ。こころたましひなくて、あるかぎまどふ。うしろかたなる大炊殿おほひどのとおぼしきうつしたてまつりて、うへしたとなくみて、いとらうがはしくきとよむこゑかみにもおとらず。そらすみをすりたるやうにて、れにけり。

やうやう風なほり

 やうやうかぜなほり、あめあししめり、ほしひかりゆるに、この御座所おましどころのいとめづらかなるも、いとかたじけなくて、寝殿しんでんかへうつしたてまつらむとするに、のこりたるかたうとましげに、そこらのひとみとどろかしまどへるに、御簾みすなどもみならしてけり。してこそはとたどりあへるに、きみ御念誦おほんねんずしたまひて、おぼしめぐらすに、いとこころあわたたし。

 つきさしでて、しほちかけるあともあらはに、名残なごりなほかへなみきを、しばけて、ながめおはします。ちか世界せかいに、もののこころり、かたさきのことうちおぼえ、とやかくやとはかばかしうさとひともなし。あやしき海人あまどもなどの、たふとひとおはするところとて、あつまゐりて、きもりたまはぬことどもをさへづりあへるも、いとめづらかなれど、えひもはらはず。

「このかぜいましばしやまざらましかば、しほのぼりてのこところなからまし。かみたすけおろかならざりけり」

 とふをきたまふも、いとこころほそしといへばおろかなり。

うみにますかみたすけにかからずはしほ八百会やほあひにさすらへなまし」

 終日ひねもすにいりもみつるかみさわぎに、さこそいへ、いたうこうじたまひにければ、こころにもあらずうちまどろみたまふ。かたじけなき御座所おましどころなれば、ただりゐたまへるに、故院こゐん、ただおはしまししさまながらちたまひて、

「など、かくあやしきところにものするぞ」

 とて、御手おほんてりててたまふ。

住吉すみよしかみみちびきたまふままには、はやふねして、このうらりね」

 とのたまはす。いとうれしくて、

「かしこき御影みかげわかれたてまつりにしこなた、さまざまかなしきことのみおほくはべれば、いまはこのなぎさをやてはべりなまし」

 とこえたまへば、

「いとあるまじきこと。これは、ただいささかなるもののむくいなり。われは、くらゐりしとき、あやまつことなかりしかど、おのづからをかしありければ、そのつみふるほどいとまなくて、このをかへりみざりつれど、いみじきうれへにしづむをるに、へがたくて、うみり、なぎさのぼり、いたくこうじにたれど、かかるついでに内裏うちそうすべきことのあるによりなむ、いそのぼりぬる」

 とて、りたまひぬ。

 かずかなしくて、

御供おほんともまゐりなむ」

 とりたまひて、見上みあげたまへれば、ひともなく、つきかほのみきらきらとして、ゆめ心地ここちもせず、おほんけはひとまれる心地ここちして、そらくもあはれにたなびけり。としごろ、ゆめのうちにもたてまつらで、こひしうおぼつかなきおほんさまを、ほのかなれど、さだかにたてまつりつるのみ、面影おもかげにおぼえたまひて、われがかくかなしびをこうめ、いのちきなむとしつるを、たすけにかけりたまへると、あはれにおぼすに、よくぞかかるさわぎもありけると、名残なごりたのもしう、うれしうおぼえたまふことかぎりなし。むねつとふたがりて、なかなかなる御心みこころまどひに、うつつのかなしきこともうちわすれ、ゆめにも御応おほんいらへをいますこしこえずなりぬることといぶせさに、またやえたまふと、ことさらに寝入ねいりたまへど、さらに御目おほんめはで、あかつきかたになりにけり。

渚に小さやかなる舟寄せて

 なぎさちひさやかなるふねせて、ひとさんひとばかり、このたびおほん宿やどりをさしてまゐる。何人なにびとならむとへば、

明石あかしうらより、さきかみ新発意しぼち御舟おほんふねよそひてまゐれるなり。源少納言げんせうなごんさぶらひたまはば、対面たいめんしてことのこころとりまうさむ」

 とふ。良清よしきよ、おどろきて、

入道にふだうは、かのくに得意とくいにて、としごろあひかたらひはべりつれど、わたくしにいささかあひうらむることはべりて、ことなる消息せうそこをだにかよはさで、ひさしうなりはべりぬるを、なみまぎれに、いかなることかあらむ」

 と、おぼめく。きみの、御夢おほんゆめなどもおぼしはすることもありて、

「はやへ」

 とのたまへば、ふねきてひたり。さばかりはげしかりつるなみかぜに、いつのにかふねしつらむと、心得こころえがたくおもへり。

ぬる朔日ついたちゆめに、さまことなるもののらすることはべりしかば、しんじがたきこととおもうたまへしかど、十三日じふさんにちにあらたなるしるしせむ、ふねよそひまうけて、かならず、あめかぜまば、このうらにをせよ、と、かねてしめすことのはべりしかば、こころみにふねのよそひをまうけてちはべりしに、いかめしきあめかぜかみのおどろかしはべりつれば、ひと朝廷おほやけにも、ゆめしんじてくにたすくるたぐひおほうはべりけるを、もちゐさせたまはぬまでも、このいましめのぐさず、このよしをまうしはべらむとて、ふねだしはべりつるに、あやしきかぜほそきて、このうらきはべること、まことにかみのしるべたがはずなむ。ここにも、もししろしめすことやはべりつらむとてなむ。いとはばかおほくはべれど、このよしまうしたまへ」

 とふ。良清よしきよしのびやかにつたまうす。

 きみ、おぼしまはすに、ゆめうつつさまざましづかならず、さとしのやうなることどもを、かたすゑおぼしはせて、ひとつたへむのちのそしりもやすからざるべきをはばかりて、まことのかみたすけにもあらむを、そむくものならば、またこれよりまさりて、ひとはれなるをやむ、うつつざまのひとこころだになほくるし。はかなきことをもつつみて、われよりよはひまさり、もしはくらゐたかく、とき今一いまひときはまさるひとには、なびきしたがひて、そのこころむけをたどるべきものなりけり。退きてとがなしとこそ、むかしのさかしきひときけれ。げにかくいのちこうめ、にまたなきかぎりをくしつ、さらにのちのあとのをはぶくとても、たけきこともあらじ、ゆめなかにも父帝ちちみかどおほんをしへありつれば、またなにごとをかうたがはむ、と、おぼして、おほんかへりのたまふ。

らぬ世界せかいに、めづらしきうれへのかぎつれど、みやこかたよりとて、ひおこするひともなし。ただ行方ゆくへなきそら月日つきひひかりばかりを、故里ふるさとともながめはべるに、うれしきつりふねをなむ。かのうらに、しづやかにかくろふべきくまはべりなむや」

 とのたまふ。かぎりなくよろこび、かしこまりまうす。ともあれかくもあれ、てぬさき御舟おほんふねにたてまつれ、とて、れいおやしきかぎひとばかりしてたてまつりぬ。れいかぜて、ぶやうに明石あかしきたまひぬ。ただはひわたるほどに片時かたときといへど、なほあやしきまでゆるかぜこころなり。

浜のさま、げにいと心ことなり

 はまのさま、げにいとこころことなり。ひとしげうゆるのみなむ、御願おほんねがひひにそむきける。入道にふだうらうめたる所々ところどころうみのつらにもやまかくれにも、時々ときどきにつけてきゃうをさかすべきなぎさ苫屋とまやおこなひをしてのちののことをおもましつべき山水やまみづのつらに、いかめしきだうてて三昧さんまいおこなひ、こののまうけに、あきをさめ、のこりのよはひむべきいね倉町くらまちどもなど、折々をりをりところにつけたるどころありてしあつめたり。たかしほにおぢて、このころ、むすめなどは岡辺をかべ宿やどうつしてませければ、このはまたちこころやすくおはします。

 ふねより御車みくるまにたてまつりうつるほど、やうやうさしがりて、ほのかにたてまつるより、おいわすれ、よはひぶる心地ここちして、みさかえて、まづ住吉すみよしかみを、かつがつをがみたてまつる。月日つきひひかりたてまつりたる心地ここちして、いとなみつかうまつること、ことわりなり。ところのさまをばさらにもはず、つくりなしたるこころばへ、木立こだち立石たていし前栽せんざいなどのありさま、えもはぬ入江いりえみづなど、かば、こころのいたりすくなからむ絵師ゑしおよぶまじとゆ。つきごろの御住おほんすまひよりは、こよなくあきらかに、なつかし。おほんしつらひなど、えならずして、まひけるさまなど、げにみやこのやむごとなき所々ところどころことならず、えんにまばゆきさまは、まさりざまにぞゆる。

すこし御心静まりては

 すこし御心みこころしづまりては、きゃう御文おほんふみどもこえたまふ。まゐれりし使つかは、

いまはいみじきみちちてかなしきる」

 としづみて、あの須磨すまにとどまりたるをして、にあまれるものどもおほくたまひてつかはす。むつましきおほんいのりのども、さるべき所々ところどころには、このほどのおほんありさま、くはしくつかはすべし。入道にふだうみやばかりには、めづらかにてよみがへるさまなどこえたまふ。二条院にでうのゐんのあはれなりしほどのおほんかへりは、きもやりたまはず、うちきうちき、おしのごひつつこえたまふけしき、なほことなり。

かへかへすいみじきかぎりをくしてつるありさまなれば、いまはとおもはなるるこころのみまさりはべれど、かがみてもとのたまひし面影おもかげはなるるなきを、かくおぼつかなながらやと、ここらかなしきさまざまのうれはしさは、さしおかれて、

はるかにもおもひやるかならざりしうらよりをちにうらつたひして

ゆめのうちなる心地ここちのみして、てぬほど、いかにひがことおほからむ」

 と、げに、そこはかとなくみだりたまへるしもぞ、いとまほしき側目そばめなるを、いとこよなき御心みこころざしのほど、と人々ひとびとたてまつる。おのおの、故里ふるさとこころほそげなるつたてすべかめり。をやみなかりしそらのけしき、名残なごりなくみわたりて、あさする海人あまどもほこらしげなり。須磨すまはいとこころほそく、海人あまいはもまれなりしを、ひとしげきいとひはしたまひしかど、ここはまた、さまことにあはれなることおほくて、よろづにおぼしなぐさまる。

あるじの入道、行なひ勤めたるさま

 あるじの入道にふだうおこなひつとめたるさま、いみじうおもましたるを、ただこのむすめひとひとをもてわづらひたるけしき、いとかたはらいたきまで、時々ときどきらしうれへきこゆ。御心地みここちにもをかしときおきたまひしひとなれば、かくおぼえなくてめぐりおはしたるも、さるべきちぎりあるにやとおぼしながら、なほかうしづめたるほどは、おこなひよりほかのことはおもはじ、みやこひとも、ただなるよりは、ひしにたがふとおぼさむも、心恥こころはづかしうおぼさるれば、けしきだちたまふことなし。ことにれて、こころばせ、ありさま、なべてならずもありけるかなと、ゆかしうおぼされぬにしもあらず。

 ここには、かしこまりて、みづからもをさをさまゐらず、ものへだたりたるしたにさぶらふ。さるは、たてまつらまほしう、かずおもひきこえて、おもこころかなへむと、ほとけかみをいよいよねんじたてまつる。

 としろくじふばかりになりたれど、いときよげにあらまほしう、おこなひさらぼひて、ひとのほどのあてはかなればにやあらむ、うちひがみ、ほれぼれしきことはあれど、いにしへのものをも見知みしりて、ものきたなからず、よしづきたることもれれば、昔物語むかしものがたりなどせさせてきたまふに、すこしつれづれのまぎれなり。

 としごろ、公私おほやけわたくしおほんいとまなくて、さしもきたまはぬふることどもくづしでて、かかるところをもひとをも、ざらましかば、さうざうしくや、とまで、きゃうありとおぼすこともる。かうはれきこゆれど、いと気高けだか心恥こころはづかしきおほんありさまに、さこそひしか、つつましうなりて、わがおもふことはこころのままにもえうちできこえぬを、こころもとなう口惜くちをしと、母君ははぎみはせてなげく。正身さうじみは、おしなべてのひとだに、めやすきはえぬ世界せかいに、にはかかるひともおはしけり、とたてまつりしにつけて、のほどられて、いとはるかにぞおもひきこえける。おやたちのかくおもひあつかふをくにも、げなきことかなとおもふに、ただなるよりはものあはれなり。

四月になりぬ

 四月うづきになりぬ。更衣ころもがへ御装束おほんさうぞく御帳みちゃう帷子かたびらなど、よしあるさまにしでつつ、よろづにつかうまつりいとなむを、いとほしう、すずろなりとおぼせど、ひとざまのあくまでおもがりたるさまのあてなるに、おぼしゆるしてたまふ。きゃうよりも、うちしきりたるおほんとぶらひども、たゆみなくおほかり。のどやかなる夕月夜ゆふづくよに、うみうへくもりなくえわたれるも、れたまひし故郷ふるさといけみづおもひまがへられたまふに、はむかたなくこひしきこと、なにかたとなく行方ゆくへなき心地ここちしたまひて、ただまへやらるるは、淡路島あはぢしまなりけり。

「あはと、はるかに」

 などのたまひて、

「あはと淡路あはぢしまのあはれさへのこるくまなくめるつき

 ひさしうれたまはぬきんを、ふくろよりでたまひて、はかなくかきらしたまへるおほんさまを、たてまつるひともやすからず、あはれにかなしうおもひあへり。広陵くわうりょうといふを、あるかぎきすましたまへるに、かの岡辺をかべいへも、まつひびなみおとひて、こころばせある若人わかうどにしみておもふべかめり。なにともきわくまじきこのもかのものしはふるひとどもも、すずろはしくて、浜風はまかぜをひきありく。

入道もえ堪へで、供養法たゆみて

 入道にふだうもえへで、供養法くやうほふたゆみて、いそまゐれり。

「さらに、そむきにしなかかへおもでぬべくはべり。のちのねがひはべるところのありさまも、おもうたまへやらるるのさまかな」

 とく、めできこゆ。わが御心みこころにも、折々をりをりおほんあそび、そのひとかのひときんふえ、もしはこゑでしさま、時々ときどきにつけて、にめでられたまひしありさま、みかどよりはじめたてまつりて、もてかしづきあがめたてまつりたまひしを、ひとうへもわが御身おほんみのありさまも、おぼしでられて、ゆめ心地ここちしたまふままに、かきらしたまへるこゑも、こころすごくこゆ。

 古人ふるびとなみだもとどめあへず、岡辺をかべに、琵琶びはさうことりにやりて、入道にふだう琵琶びは法師ほふしになりて、いとをかしうめづらしきひとふたきたり。さう御琴おほんことまゐりたれば、すくきたまふも、さまざまいみじうのみおもひきこえたり。いと、さしもこえぬものだに、をりからこそはまさるものなるを、はるばるともののとどこほりなきうみづらなるに、なかなか、はるあきはな紅葉もみぢさかりなるよりは、ただそこはかとなうしげれるかげども、なまめかしきに、水鶏くひなのうちたたきたるは、たれかどさしてと、あはれにおぼゆ。もいとなうづるきんどもを、いとなつかしうらしたるも、御心みこころとまりて、

「これは、をんなのなつかしきさまにてしどけなうきたるこそ、をかしけれ」

 と、おほかたにのたまふを、入道にふだうはあいなくうちみて、

「あそばすよりなつかしきさまなるは、いづこのかはべらむ。なにがし、延喜えんぎ御手おほんてよりつたへたること、四代よだいになむなりはべりぬるを、かうつたなきにて、こののことはわすれはべりぬるを、もののせちにいぶせき折々をりをりは、かきらしはべりしを、あやしう、まねぶもののはべるこそ、自然じねんにかの先大王せんだいわう御手おほんてかよひてはべれ。山伏やまぶしのひがみみに、松風まつかぜきわたしはべるにやあらむ。いかで、これもしのびてこしめさせてしがな」

 とこゆるままに、うちわななきて、なみだとすべかめり。

 きみ

きんきんともきたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな」

 とて、しやりたまふに、

「あやしう、むかしよりさうは、をんななむるものなりける。嵯峨さがおほんつたへにて、をんなみや、さるなか上手じゃうずにものしたまひけるを、そのおほんすぢにて、ててつたふるひとなし。すべて、ただいまれる人々ひとびとでのこころやりばかりにのみあるを、ここにかうきこめたまへりける、いときゃうありけることかな。いかでかはくべき」

 とのたまふ。

こしめさむには、なにはばかりかはべらむ。御前おまへしても。商人あきびとなかにてだにこそ、古琴ふるごときはやすひとははべりけれ。琵琶びはなむ、まことのきしづむるひと、いにしへもかたうはべりしを、をさをさ、とどこほることなうなつかしきなど、すぢことになむ。いかでたどるにかはべらむ。なみこゑるは、かなしくもおもうたまへられながら、かきあつむるものなげかしさ、まぎるる折々をりをりもはべり」

 など、きゐたれば、をかしとおぼして、さうこととりかへてたまはせたり。げにいとすぐしてかいきたり。いまこえぬすぢきつけて、づかひいといたうからめき、ゆのふかましたり。伊勢いせうみならねど、

きよなぎさかひひろはむ」

 など、こゑよきひとうたはせて、われ時々ときどき拍子ひゃうしとりて、こゑうちへたまふを、きんきさしつつ、めできこゆ。おほんくだものなど、めづらしきさまにてまゐらせ、人々ひとびとさけつよひそしなどして、おのづからものわすれしぬべきのさまなり。

いたく更けゆくままに

 いたくけゆくままに、浜風はまかぜすずしうて、つきかたになるままに、みまさり、しづかなるほどに、御物語おほんものがたりのこりなくこえて、このうらみはじめしほどのこころづかひ、のちつとむるさま、かきくづしこえて、このむすめのありさま、はずかたりにこゆ。をかしきものの、さすがにあはれときたまふふしもあり。

「いとまうしがたきことなれど、わがきみ、かうおぼえなき世界せかいに、かりにても、うつろひおはしましたるは、もし、としごろおい法師ほふしいのまうしはべるかみほとけのあはれびおはしまして、しばしのほど、御心みこころをもなやましたてまつるにやとなむおもうたまふる。そのは、住吉すみよしかみたのみはじめたてまつりて、この十八年じふはちねんになりはべりぬ。をんなわらはいときなうはべりしより、おもこころはべりて、としごとのはるあきごとに、かならずかの御社みやしろまゐることなむはべる。ひる六時ろくじつとめに、みづからのはちすうへねがひをば、さるものにて、ただこのひとたか本意ほいかなへたまへと、なむねんじはべる。さきちぎりつたなくてこそ、かく口惜くちをしき山賤やまがつとなりはべりけめ、おや大臣おとどくらゐたもちたまへりき。みづからかく田舎ゐなかたみとなりにてはべり。次々つぎつぎ、さのみおとりまからば、なににかなりはべらむと、かなしくおもひはべるを、これは、むまれしときよりたのむところなむはべる。いかにしてみやこたふとひとにたてまつらむとおもこころふかきにより、ほどほどにつけて、あまたのひとそねみをひ、のためからき折々をりをりおほくはべれど、さらにくるしみとおもひはべらず。いのちかぎりはせばきぬにもはぐくみはべりなむ。かくながら見捨みすてはべりなば、なみのなかにもせね、となむおきてはべる」

 など、すべてまねぶべくもあらぬことどもを、うちきうちこゆ。きみも、ものをさまざまおぼしつづくるをりからは、うちなみだぐみつつこしめす。

よこさまのつみたりて、おもひかけぬ世界せかいにただよふも、なにつみにかとおぼつかなくおもひつる、今宵こよひ御物語おほんものがたりはすれば、げにあさからぬさきちぎりにこそはと、あはれになむ。などかは、かくさだかにおもりたまひけることを、いままではげたまはざりつらむ。みやこはなれしときより、つねなきもあぢきなう、おこなひよりほかのことなくて月日つきひるに、こころみなくづほれにけり。かかるひとものしたまふとは、ほのきながら、いたづらひとをばゆゆしきものにこそおもてたまふらめと、おもしつるを、さらばみちびきたまふべきにこそあなれ。こころほそ一人寝ひとりねなぐさめにも」

 などのたまふを、かぎりなくうれしとおもへり。

一人寝ひとりねきみりぬやつれづれとおもかしのうらさびしさを

まして年月としつきおもひたまへわたるいぶせさを、はからせたまへ」

 とこゆるけはひ、うちわななきたれど、さすがにゆゑなからず。

「されど、うらなれたまへらむひとは」

 とて、

旅衣たびごろもうらかなしさにかしかねくさまくらゆめむすばず」

 と、うちみだれたまへるおほんさまは、いとぞ愛敬あいぎゃうづき、ふよしなきおほんけはひなる。かずらぬことどもこえくしたれど、うるさしや。ひがことどもにきなしたれば、いとど、をこにかたくなしき入道にふだうこころばへも、あらはれぬべかめり。

思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して

 おもふこと、かつがつかなひぬる心地ここちして、すずしうおもひゐたるに、またのひるかた岡辺をかべ御文おほんふみつかはす。心恥こころはづかしきさまなめるも、なかなか、かかるもののくまにぞ、おもひのほかなることももるべかめると、こころづかひしたまひて、高麗こま胡桃色くるみいろかみに、えならずひきつくろひて、

「をちこちもらぬ雲居くもゐながめわびかすめし宿やどこずゑをぞ

おもふには」

 とばかりやありけむ。

 入道にふだうも、ひとれずちきこゆとて、かのいへゐたりけるもしるければ、御使おほんつかひいとまばゆきまではす。おほんかへりいとひさし。うちりてそそのかせど、むすめはさらにかず。づかしげなる御文おほんふみのさまに、さしでむつきも、づかしうつつましう、ひとおほんほど、わがのほどおもふにこよなくて、心地ここちしとてしぬ。ひわびて、入道にふだうく。

「いとかしこきは、田舎ゐなかびてはべるたもとに、つつみあまりぬるにや。さらにたまへも、およびはべらぬかしこさになむ。さるは、

ながむらむおな雲居くもゐながむるはおもひもおなおもひなるらむ

となむたまふる。いときしや」

 とこえたり。陸奥紙みちのくがみに、いたうふるめきたれど、きざまよしばみたり。げにも、きたるかなと、めざましうたまふ。御使おほんつかひに、なべてならぬ玉裳たまもなどかづけたり。またの

宣旨書せんじがききは、見知みしらずなむ」

 とて、

「いぶせくもこころにものをなやむかなやよやいかにとひともなみ

ひがたみ」

 と、このたびは、いといたうなよびたる薄様うすやうに、いとうつくしげにきたまへり。わかひとのめでざらむも、いとあまりうづれいたからむ。めでたしとはれど、なずらひならぬのほどの、いみじうかひなければ、なかなか、にあるものと、たづりたまふにつけて、なみだぐまれて、さらにれいうごなきを、せめてはれて、あさからずめたるむらさきかみに、すみつきうすまぎらはして、

おもふらむこころのほどややよいかにまだひときかなやまむ」

 のさま、きたるさまなど、やむごとなきひとにいたうおとるまじう、上衆じゃうずめきたり。きゃうのことおぼえて、をかしとたまへど、うちしきりてつかはさむも、ひとつつましければ、ふつかみかへだてつつ、つれづれなる夕暮ゆふぐれれ、もしは、ものあはれなるあけぼのなどやうにまぎらはして、折々をりをりおなこころ見知みしりぬべきほどはかりて、はしたまふに、げなからず、こころふかおもがりたるけしきも、ではやまじとおぼすものから、良清よしきよらうじてひしけしきもめざましう、としごろこころつけてあらむを、まへおもたがへむもいとほしうおぼしめぐらされて、ひとすすまゐらば、さるかたにてもまぎらはしてむとおぼせど、をんなはた、なかなかやむごとなききはひとよりもいたうおもがりて、ねたげにもてなしきこえたれば、こころくらべにてぞぎける。

 きゃうのことを、かくせきへだたりては、いよいよおぼつかなくおもひきこえたまひて、いかにせまし、たはぶれにくくもあるかな、しのびてや、むかへたてまつりてましと、おぼしよわ折々をりをりあれど、さりとも、かくてやは、としおもねむと、いまさらにひとろきことをばとおぼししづめたり。

その年、朝廷に

 そのとし朝廷おほやけに、もののさとししきりて、ものさわがしきことおほかり。三月やよひ十三日じふさんにちかみりひらめき、あめかぜさわがしきみかど御夢おほんゆめに、ゐんみかど御前おまへ御階みはしのもとにたせたまひて、けしきいとしうて、にらみきこえさせたまふを、かしこまりておはします。こえさせたまふこともおほかり。源氏げんじおほんことなりけむかし。いとおそろしう、いとほしとおぼして、きさいこえさせたまひければ、

あめなどり、そらみだれたるは、おもひなしなることはさぞはべる。軽々かるがるしきやうに、おぼしおどろくまじきこと」

 とこえたまふ。

 にらみたまひしに、見合みあはせたまふとしけにや、御目おほんめわづらひたまひて、へがたうなやみたまふ。おほんつつしみ、内裏うちにもみやにもかぎりなくせさせたまふ。太政大臣だいじゃうだいじんせたまひぬ。ことわりのおほんよはひなれど、次々つぎつぎにおのづからさわがしきことあるに、大宮おほみやもそこはかとなうわづらひたまひて、ほどればよわりたまふやうなる、内裏うちにおぼしなげくこと、さまざまなり。

「なほ、この源氏げんじきみ、まことにをかしなきにてかくしづむならば、かならずこのむくいありなむとなむおぼえはべる。いまは、なほもとのくらゐをもたまひてむ」

 とたびたびおぼしのたまふを、

のもどき、軽々かるがるしきやうなるべし。つみぢてみやこりしひとを、さんとしをだにぐさずゆるされむことは、ひともいかがつたへはべらむ」

 など、きさいかたくいさめたまふに、おぼしはばかるほどに月日つきひかさなりて、御悩おほんなやみみども、さまざまにおもりまさらせたまふ。

明石には、例の、秋

 明石あかしには、れいの、あき浜風はまかぜのことなるに、一人寝ひとりねもまめやかにものわびしうて、入道にふだうにも折々をりをりかたらはせたまふ。

「とかくまぎらはして、こちまゐらせよ」

 とのたまひて、わたりたまはむことをばあるまじうおぼしたるを、正身さうじみはた、さらにおもつべくもあらず。いと口惜くちをしききは田舎人ゐなかびとこそ、かりくだりたるひとのうちとけにつきて、さやうにかろらかにかたらふわざをもすなれ、人数ひとかずにもおぼされざらむものゆゑ、われはいみじきものおもひをやへむ、かくおよびなきこころおもへるおやたちも、もりてぐす年月としつきこそ、あいなたのみに、すゑこころにくくおもふらめ、なかなかなるこころをやくさむとおもひて、ただこのうらにおはせむほど、かかる御文おほんふみばかりをこえかはさむこそ、おろかならね、としごろおとにのみきて、いつかはさるひとおほんありさまをほのかにもたてまつらむなど、おもひかけざりし御住おほんすまひにて、まほならねどほのかにもたてまつり、になきものとつたへし御琴おほんことをもかぜにつけてき、れのおほんありさまおぼつかなからで、かくまでにあるものとおぼしたづぬるなどこそ、かかる海人あまのなかにちぬるにあまることなれ、などおもふに、いよいよづかしうて、つゆも気近けぢかきことはおもらず。

 おやたちは、ここらのとしごろのいのりのかなふべきをおもひながら、ゆくりかにせたてまつりて、おぼしかずまへざらむとき、いかなるなげきをかせむとおもひやるに、ゆゆしくて、めでたきひとこゆとも、つらういみじうもあるべきかな、にもえぬほとけかみたのみたてまつりて、ひと御心みこころをも、宿世すくせをもらで、など、うちかへおもみだれたり。きみは、

「このころのなみおとに、かのものかばや。さらずは、かひなくこそ」

 など、つねはのたまふ。

忍びてよろしき日見て

 しのびてよろしきて、母君ははぎみのとかくおもひわづらふをれず、弟子でしどもなどにだにらせず、こころひとつにちゐ、かかやくばかりしつらひて、十三日じふさんにちつきのはなやかにさしでたるに、ただ、あたらの、とこえたり。きみは、きのさまやとおぼせど、御直衣おほんなほしたてまつりひきつくろひて、夜更よふかしてでたまふ。御車みくるまなくつくりたれど、所狭ところせしとて、おほんむまにてでたまふ。惟光これみつなどばかりをさぶらはせたまふ。ややとほところなりけり。みちのほども、かた浦々うらうらわたしたまひて、おもふどちまほしき入江いりえ月影つきかげにも、まづこひしきひとおほんことをおもできこえたまふに、やがてむまぎて、おもむきぬべくおぼす。

あきのつきげのこまわれこひふる雲居くもゐかけときむ」

 と、うちひとりごたれたまふ。

 つくれるさま、ふかく、いたきところまさりて、どころあるまひなり。うみのつらはいかめしうおもしろく、これはこころほそみたるさま、ここにゐて、おものこすことはあらじとおぼしやらるるに、ものあはれなり。三昧堂さんまいだうちかくて、かねこゑ松風まつかぜひびきあひて、ものかなしう、いはひたるまつざしも、こころばへあるさまなり。前栽せんざいどもにむしこゑくしたり。ここかしこのありさまなど御覧ごらんず。むすめませたるかたは、こころことにみがきて、つきれたる真木まき戸口とぐち、けしきばかりけたり。

 うちやすらひ、なにかとのたまふにも、かうまではえたてまつらじ、とふかおもふに、ものなげかしうて、うちとけぬこころざまを、こよなうもひとめきたるかな、さしもあるまじききはひとだに、かばかりりぬれば、心強こころづようしもあらずならひたりしを、いとかくやつれたるに、あなづらはしきにや、とねたう、さまざまにおぼしなやめり。なさなうおしたむも、ことのさまにたがへり。こころくらべにけむこそひとろけれ、など、みだうらみたまふさま、げにものおもらむひとにこそせまほしけれ。

 ちか几帳きちゃうひもに、さうことらされたるも、けはひしどけなく、うちとけながらきまさぐりけるほどえてをかしければ、

「このきならしたるきんをさへや」

 など、よろづにのたまふ。

「むつごとをかたりあはせむひともがなゆめもなかばおぼむやと」

けぬにやがてまどへるこころにはいづれをゆめとわきてかたらむ」

 ほのかなるけはひ、伊勢いせ御息所みやすんどころにいとようおぼえたり。何心なにごころもなくうちとけてゐたりけるを、かうものおぼえぬに、いとわりなくて、ちかかりける曹司ざうしうちりて、いかでかためけるにか、いとつよきを、しひてもおしちたまはぬさまなり。されど、さのみもいかでかあらむ。ひとざま、いとあてに、そびえて、心恥こころはづかしきけはひぞしたる。かうあながちなりけるちぎりをおぼすにも、あさからずあはれなり。御心みこころざしの、ちかまさりするなるべし、つねいとはしきながさも、とくけぬる心地ここちすれば、ひとられじとおぼすも、こころあわたたしうて、こまかにかたらひきて、でたまひぬ。

 御文おほんふみ、いとしのびてぞ今日けふはある。あいなき御心みこころおになりや。ここにも、かかることいかでらさじとつつみて、御使おほんつかひことことしうももてなさぬを、むねいたくおもへり。かくてのちは、しのびつつ時々ときどきおはす。ほどもすこしはなれたるに、おのづからものひさがなき海人あまもやちまじらむとおぼしはばかるほどを、さればよとおもなげきたるを、げに、いかならむと、入道にふだう極楽ごくらくねがひをばわすれて、ただこのけしきをつことにはす。いまさらにこころみだるも、いといとほしげなり。

二条の君の、風のつてにも

 二条にでうきみの、かぜのつてにもきたまはむことは、たはぶれにても、こころへだてありけると、おもうとまれたてまつらむ、こころくるしうづかしうおぼさるるも、あながちなる御心みこころざしのほどなりかし。かかるかたのことをば、さすがに、こころとどめてうらみたまへりし折々をりをり、などて、あやなきすさびごとにつけても、さおもはれたてまつりけむ、などかへさまほしう、ひとのありさまをたまふにつけても、こひしさのなぐさかたなければ、れいよりも御文おほんふみこまやかにきたまひて、

「まことや、われながらこころよりほかなるなほざりごとにて、うとまれたてまつりし節々ふしぶしを、おもづるさへむねいたきに、また、あやしうものはかなきゆめをこそはべりしか。かうこゆるはずかたりに、へだてなきこころのほどはおぼしはせよ。ちかひしことも」

 などきて、

何事なにごとにつけても、

しほしほとまづぞかるるかりそめのみるめは海人あまのすさびなれども」

 とあるおほんかへり、何心なにごころなくらうたげにきて、てに、

しのびかねたる御夢おほんゆめかたりにつけても、おもはせらるることおほかるを、

うらなくもおもひけるかなちぎりしをまつよりなみえじものぞと」

 おいらかなるものから、ただならずかすめたまへるを、いとあはれに、うちきがたくたまひて、名残なごりひさしう、しのびの旅寝たびねもしたまはず。

女、思ひしもしるきに

 をんなおもひしもしるきに、いまぞまことにげつべき心地ここちする。すゑみじかげなるおやばかりをたのもしきものにて、いつのひと並々なみなみになるべきおもはざりしかど、ただそこはかとなくてぐしつる年月としつきは、なにごとをかこころをもなやましけむ、かういみじうものおもはしきにこそありけれ、と、かねてはかおもひしよりも、よろづにかなしけれど、なだらかにもてなして、にくからぬさまにえたてまつる。

 あはれとは月日つきひへておぼしませど、やむごとなきかたの、おぼつかなくて年月としつきぐしたまひ、ただならずうちおもひおこせたまふらむが、いとこころくるしければ、ひとしがちにてぐしたまふ。をさまざまあつめて、おもふことどもをきつけ、かへりことくべきさまにしなしたまへり。ひとこころみぬべきもののさまなり。いかでか、そらかよ御心みこころならむ、二条にでうきみも、ものあはれになぐさかたなくおぼえたまふ折々をりをりおなじやうにあつめたまひつつ、やがてわれおほんありさま、日記にきのやうにきたまへり。いかなるべきおほんさまどもにかあらむ。

年かはりぬ。内裏に御薬のことありて

 としかはりぬ。内裏うち御薬みくすりのことありて、なかさまざまにののしる。当代たうだいおほんは、右大臣うだいじんをんな承香殿しょうきゃうでんをんなおほんおほんはら男御子をのこみこまれたまへる、ふたつになりたまへば、いといはけなし。春宮とうぐうにこそはゆづりきこえたまはめ。朝廷おほやけ御後見おほんうしろみをし、をまつりごつべきひとをおぼしめぐらすに、この源氏げんじのかくしづみたまふこと、いとあたらしうあるまじきことなれば、つひにきさいおほんいさめをそむきて、ゆるされたまふべきさだぬ。

 としより、きさいおほんもののけなやみたまひ、さまざまのもののさとししきり、さわがしきを、いみじきおほんつつしみどもをしたまふしるしにや、よろしうおはしましける御目おほんめなやみさへ、このころおもくならせたまひて、ものこころほそくおぼされければ、七月ふづき二十余日はつかあまりのほどに、またおもねて、きゃうかへりたまふべき宣旨せんじくだる。

 つひのこととおもひしかど、つねなきにつけても、いかになりつべきにかとなげきたまふを、かうにはかなれば、うれしきにへても、また、このうらいまはとおもはなれむことをおぼしなげくに、入道にふだう、さるべきこととおもひながら、うちくよりむねふたがりておぼゆれど、おもひのごとはええたまはばこそは、われおもひのかなふにはあらめ、などおもなほす。

そのころは夜離れなく語らひたまふ

 そのころははなれなくかたらひたまふ。六月みなづきばかりよりこころくるしきけしきありてなやみけり。かくわかれたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ、ありしよりもあはれにおぼして、あやしうものおもふべきにもありけるかなとおぼしみだる。をんなは、さらにもはずおもしづみたり。いとことわりなりや。おもひのほかかなしきみちちたまひしかど、つひにはきめぐりなむと、かつはおぼしなぐさめき。このたびはうれしきかたおほんちの、またやはかへるべきとおぼすに、あはれなり。

 さぶらふ人々ひとびと、ほどほどにつけてはよろこびおもふ。きゃうよりも御迎おほんむかへへに人々ひとびとまゐり、心地ここちよげなるを、主人あるじ入道にふだうなみだにくれて、つきちぬ。ほどさへあはれなるそらのけしきに、なぞや、こころづからいまむかしも、すずろなることにてをはふらかすらむと、さまざまにおぼしみだれたるを、こころれる人々ひとびとは、

「あなにくれいおほんくせぞ」

 と、たてまつりむつかるめり。つきごろは、つゆひとにけしきせず、時々ときどきはひまぎれなどしたまへるつれなさを、このころ、あやにくに、なかなかの、ひとこころづくしにと、つきじろふ。少納言せうなごん、しるべしてこえでしはじめのことなど、ささめきあへるを、ただならずおもへり。

明後日ばかりになりて

 明後日あさてばかりになりて、れいのやうにいたくもかさでわたりたまへり。さやかにもまだたまはぬ容貌かたちなど、いとよしよししう、気高けだかきさまして、めざましうもありけるかなと、見捨みすてがたく口惜くちをしうおぼさる。さるべきさまにしてむかへむ、とおぼしなりぬ。さやうにぞかたらひなぐさめたまふ。

 をとこおほん容貌かたち、ありさまはた、さらにもはず。としごろのおほんおこなひにいたく面痩おもやせたまへるしも、かたなくめでたきおほんありさまにて、こころくるしげなるけしきにうちなみだぐみつつ、あはれふかちぎりたまへるは、ただかばかりを、さいはひにても、などかまざらむ、とまでぞゆめれど、めでたきにしも、われのほどをおもふも、きせず。なみこゑあきかぜには、なほひびきことなり。塩焼しほやけぶりかすかにたなびきて、とりあつめたるところのさまなり。

「このたびはわかるとも藻塩もしほけぶりおなかたになびかむ」

 とのたまへば、

「かきつめて海人あまのたくおもひにもいまはかひなきうらみだにせじ」

 あはれにうちきて、言少ことずくななるものから、さるべきふし御応おほんいらへなどあさからずこゆ。この、つねにゆかしがりたまふものなど、さらにかせたてまつらざりつるを、いみじううらみたまふ。

「さらば、形見かたみにもしのぶばかりの一琴ひとことをだに」

 とのたまひて、きゃうよりておはしたりしきん御琴おほんことりにつかはして、こころことなる調しらべをほのかにかきらしたまへる、ふかめるは、たとへむかたなし。入道にふだう、えへでさうことりてさしれたり。みづからも、いとどなみださへそそのかされて、とどむべきかたなきに、さそはるるなるべし、しのびやかに調しらべたるほど、いと上衆じゃうずめきたり。入道にふだうみや御琴おほんことを、ただいまのまたなきものにおもひきこえたるは、いまめかしうあなめでたと、ひとこころゆきて、容貌かたちさへおもひやらるることは、げにいとかぎりなき御琴おほんことなり、これはあくまでまし、こころにくくねたきぞまされる。この御心みこころにだに、はじめてあはれになつかしう、まだみみなれたまはぬなど、こころやましきほどにきさしつつ、かずおぼさるるにも、つきごろ、などつよひても、きならさざりつらむと、くやしうおぼさる。こころかぎさきちぎりをのみしたまふ。

きんは、またはするまでの形見かたみに」

 とのたまふ。をんな

「なほざりにたのくめるひとことをきせぬにやかけてしのばむ」

 ふともなきくちすさびを、うらみたまひて、

ふまでのかたみにちぎなか調しらべはことにはらざらなむ」

 このたがはぬさきにかならずあひむ、とたのめたまふめり。されど、ただわかれむほどのわりなさをおもむせせたるも、いとことわりなり。

立ちたまふ暁は

 ちたまふあかつきは、夜深よぶかでたまひて、御迎おほんむかへへの人々ひとびとさわがしければ、こころそらなれど、ひとまをはからひて、

「うちててつもかなしき浦波うらなみ名残なごりいかにとおもひやるかな」

 おほんかへり、

としつる苫屋とまやれてなみかへかたにやをたぐへまし」

 と、うちおもひけるままなるをたまふに、しのびたまへど、ほろほろとこぼれぬ。こころらぬ人々ひとびとは、なほかかる御住おほんすまひなれど、としごろといふばかりれたまへるを、いまはとおぼすは、さもあることぞかし、などたてまつる。

 良清よしきよなどは、おろかならずおぼすなめりかしと、にくくぞおもふ。うれしきにも、げに、今日けふかぎりに、このなぎさわかるること、などあはれがりて、口々くちぐちしほたれひあへることどもあめり。されど、なにかはとてなむ。

 入道にふだう今日けふおほんまうけ、いといかめしうつかうまつれり。人々ひとびとしたしなまで、たび装束さうぞくめづらしきさまなり。いつのにかしあへけむとえたり。おほんよそひはふべくもあらず。御衣櫃みぞびつあまたかけさぶらはす。まことのみやこつとにしつべきおほんおくものども、ゆゑづきて、おもらぬくまなし。今日けふたてまつるべきかり御装束おほんさうぞくに、

なみちかさねたる旅衣たびごろもしほどけしとやひといとはむ」

 とあるを御覧ごらんじつけて、さわがしけれど、

「かたみにぞふべかりけるふことの日数ひかずへだてむなかきぬを」

 とて、こころざしあるをとて、たてまつりかふ。御身おほんみになれたるどもをつかはす。げに、今一いまひとおもしのばれたまふべきことをふる形見かたみなめり。えならぬ御衣おほんぞにほひのうつりたるを、いかがひとこころにもめざらむ。入道にふだう

いまはとはなれはべりにしなれども、今日けふおほんおくりにつかうまつらぬこと」

 などまうして、かひをつくるもいとほしながら、わかひとひぬべし。

をうみにここらしほじむとなりてなほこのきしをえこそはなれね

こころやみは、いとどまどひぬべくはべれば、さかひまでだに」

 とこえて、

きしきさまなれど、おぼしでさせたまふをりはべらば」

 など、けしきたまはる。いみじうものをあはれとおぼして、所々ところどころうちあかみたまへるおほんまみのわたりなど、はむかたなくえたまふ。

おもてがたきすぢもあめれば、いまいととくなほしたまひてむ。ただこのみかこそ見捨みすてがたけれ。いかがすべき」

 とて、

みやこでしはるなげきにおとらめやとしうらわかれぬるあき

 とて、おしのごひたまへるに、いとどものおぼえず、しほたれまさる。ちゐもあさましうよろぼふ。

正身の心地、たとふべき方なくて

 正身さうじみ心地ここち、たとふべきかたなくて、かうしもひとえじとおもしづむれど、きをもとにて、わりなきことなれど、うちてたまへるうらみのやるかたなきに、たけきこととは、ただなみだしづめり。母君ははぎみなぐさめわびては、

なににかく心尽こころづくしなることをおもひそめけむ。すべて、ひがひがしきひとしたがひけるこころのおこたりぞ」

 とふ。

「あなかまや。おぼしつまじきこともものしたまふめれば、さりとも、おぼすところあらむ。おもなぐさめて、御湯おほんゆなどをだにまゐれ。あな、ゆゆしや」

 とて、かたすみりゐたり。乳母めのと母君ははぎみなど、ひがめるこころはせつつ、

「いつしか、いかでおもふさまにてたてまつらむと、年月としつきたのぐし、いまや、おもかなふとこそたのみきこえつれ、こころくるしきことをも、もののはじめにるかな」

 となげくをるにも、いとほしければ、いとどほけられて、ひる日一日ひひとひをのみらし、はすくよかにきゐて、数珠ずず行方ゆくへらずなりにけりとて、をおしすりておほぎゐたり。弟子でしどもにあはめられて、つきでて行道ぎゃうだうするものは、遣水やりみづたふりにけり。よしあるいはかたそばこしもつきそこなひて、やまひしたるほどになむ、すこしものまぎれける。

君は、難波の方に渡りて御祓へ

 きみは、難波なにはかたわたりて御祓みそぎへしたまひて、住吉すみよしにも、たひらかにて、いろいろのぐわんたしまうすべきよし、御使おほんつかひしてまうさせたまふ。にはかに所狭ところせうて、みづからはこのたびえまうでたまはず、ことなるおほん逍遥せうえうなどなくて、いそりたまひぬ。

 二条院にでうのゐんにおはしましきて、みやこひとも、御供おほんともひとも、ゆめ心地ここちしてひ、よろこきどもゆゆしきまでさわぎたり。をんなきみも、かひなきものにおぼしてつるいのち、うれしうおぼさるらむかし。いとうつくしげにねびととのほりて、おほんものおもひのほどに、所狭ところせかりし御髪みぐしのすこしへがれたるしも、いみじうめでたきを、いまはかくてるべきぞかしと、御心みこころちゐるにつけては、また、かのかずわかれしひとおもへりしさま、こころくるしうおぼしやらる。なほとともに、かかるかたにて御心みこころいとまぞなきや。そのひとのことどもなどこえでたまへり。おぼしでたるけしきあさからずゆるを、ただならずやたてまつりたまふらむ、わざとならず、をばおもはずなど、ほのめかしたまふぞ、をかしうらうたくおもひきこえたまふ。かつるにだにかぬおほんさまを、いかでへだてつる年月としつきぞと、あさましきまでおもほすに、かへし、なかもいとうらめしうなむ。ほどもなく、もと御位みくらゐあらたまりて、かずよりほか権大納言ごんだいなごんになりたまふ。次々つぎつぎひとも、さるべきかぎりはもとつかさかへたまはり、ゆるさるるほど、れたりしはるにあへる心地ここちして、いとめでたげなり。

召しありて、内裏に参りたまふ

 しありて、内裏うちまゐりたまふ。御前おまへにさぶらひたまふに、ねびまさりて、いかで、さるものむつかしきまひにとしたまひつらむ、とたてまつる。女房にょうばうなどの、ゐんおほんときさぶらひて、おいいしらへるどもは、かなしくて、いまさらにさわぎめできこゆ。うへづかしうさへおぼしされて、おほんよそひなどことにきつくろひてでおはします。御心地みここちれいならで、ごろさせたまひければ、いたうおとろへさせたまへるを、昨日きのふ今日けふぞ、すこしよろしうおぼされける。御物語おほんものがたりしめやかにありて、りぬ。十五夜じふごやつきおもしろうしづかなるに、むかしのこと、かきくしおぼしでられて、しほたれさせたまふ。ものこころほそくおぼさるるなるべし。

あそびなどもせず、むかしきしものなどもかで、ひさしうなりにけるかな」

 とのたまはするに、

「わたつうみにしなえうらぶれひるちごあしたざりしとしにけり」

 とこえたまへり。いとあはれに心恥こころはづかしうおぼされて、

宮柱みやばしらめぐりあひけるときしあればわかれしはるうらのこすな」

 いとなまめかしきおほんありさまなり。

 ゐんおほんために、八講はちかうおこなはるべきこと、まづいそがせたまふ。春宮とうぐうたてまつりたまふに、こよなくおよすげさせたまひて、めづらしうおぼしよろこびたるを、かぎりなくあはれとたてまつりたまふ。御才おほんざえもこよなくまさらせたまひて、をたもたせたまはむに、はばかりあるまじく、かしこくえさせたまふ。入道にふだうみやにも、御心みこころすこししづめて、御対面おほんたいめんのほどにも、あはれなることどもあらむかし。

まことや、かの明石には

 まことや、かの明石あかしには、かへなみ御文おほんふみつかはす。ひきかくしてこまやかにきたまふめり。

なみのよるよるいかに、

なげきつつ明石あかしうら朝霧あさぎりつやとひとおもひやるかな」

 かのそちむすめ五節ごせち、あいなく、ひとれぬものおもひさめぬる心地ここちして、まくなぎつくらせてさしかせけり。

須磨すまうらこころせし舟人ふなびとのやがてたせるそでせばや」

 などこよなくまさりにけりと、おほせたまひて、つかはす。

かへりてはかことやせましせたりし名残なごりそでがたかりしを」

 かずをかし、とおぼしし名残なごりなれば、おどろかされたまひて、いとどおぼしづれど、このごろは、さやうのおほんひ、さらにつつみたまふめり。花散里はなちるさとなどにも、ただ御消息おほんせうそこなどばかりにて、おぼつかなく、なかなかうらめしげなり。

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