『枕草子』原文全文を読む(11)第200段~第232段|読みやすいふりがな付き

目次

第200段「野分のまたの日こそ」

 野分のわきのまたの日ひこそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀たてじとみ・透垣すいがいなどの乱みだれたるに、前栽せんざいどもいと心苦こころぐるしげなり。大おほきなる木きどもも倒たふれ、枝えだなど吹ふき折をられたるが、萩はぎ、女郎花をみなへしなどの上うへによころばひ伏ふせる、いと思おもはずなり。格子かうしの壺つぼなどに、木きの葉はを、殊更ことさらにしたらむやうに、細々こまごまと吹ふき入いれたるこそ、荒あらかりつる風かぜの仕業しわざとは覚おぼえね。

 いと濃こき衣きぬのうはぐもりたるに、黄朽葉きくちばの織物おりもの、薄物うすものなどの小袿こうちぎ着きて、誠まことしう清きよげなる人ひとの、夜よるは風かぜの騒さわぎに寝ねられざりければ、久ひさしう寝ね起おきたるままに、母屋もやより少すこしゐざり出いでたる、髪かみは風かぜに吹ふき迷まよはされて少すこしうちふくだみたるが、肩かたにかかれるほど、誠まことにめでたし。

 物哀ものあはれなる気色けしきに見出みいだして、

「むべ山風やまかぜを」

 など言いひたるも、心こころあらむと見みゆるに、十七じふしち、八はちばかりにやあらむ、小ちひさうはあらねど、わざと大人おとなとは見みえぬが、生絹すずしの単ひとへのいみじう綻ほころび絶たえ、花はなも返かへり濡ぬれなどしたる、薄色うすいろの宿直物とのゐものを着きて、髪かみ、色いろに、細々こまごまと麗うるはしう、末すゑも尾花をばなのやうにて丈たけばかりなりければ、衣きぬの裾すそにはづれて、袴はかまのそばそばより見みゆるに、童部わらはべ、若わかき人々ひとびとの、根ねごめに吹ふき折をられたる、ここかしこに取とり集あつめ、起おこし立たてなどするを、羨うらやましげに押おし張はりて、簾すだれに添そひたる後手うしろでも、をかし。

第201段「心にくきもの」

 心こころ憎にくきもの

 物もの隔へだてて聞きくに、女房にようばうとは覚おぼえぬ手ての、忍しのびやかにをかしげに聞きこえたるに、答こたへやかやかにして、うちそよめきて参まゐる気配けはひ。もののうしろ、障子さうじなどへだてて聞きくに、御膳おもの参まゐるほどにや、箸はし、匙かひなど、取とりまぜて鳴なりたる、をかし。提子ひさげの柄えの倒たふれ伏ふすも、耳みみこそ留とまれ。

 よう打うちたる衣きぬのうへに、騒さわがしうはあらで、髪かみの振ふり遣やられたる、長ながさ推おし量はからる。いみじうしつらひたる所ところの、大殿油おほとなぶらは参まゐらで、炭櫃すびつなどにいと多おほくおこしたる火ひの光ひかりばかり照てり満みちたるに、御帳みちやうの紐ひもなどの艶つややかにうち見みえたる、いとめでたし。御簾みすの帽額もかう、総角あげまきなどにあげたる鈎このきはやかなるも、けざやかに見みゆ。よく調てうじたる火桶ひをけの、灰はひの際きは清きよげにて、おこしたる火ひに、内うちに描かきたる絵ゑなどの見みえたる、いとをかし。箸はしのいときはやかにつやめきて、筋違すぢかひ立たてるもいとをかし。

 夜よるいたくふけて、御前おまへにも大殿籠おほとのごもり、人々ひとびとみな寝ねぬる後のち、外とのかたに殿上人てんじやうびとなどの物ものなど言いふ、奥おくに碁石ごいしの笥けに入いるる音おとあまた度たび聞きこゆる、いと心こころ憎にくし。火箸ひばしを忍しのびやかに突つい立たつるも、まだ起おきたりけりと聞きくも、いとをかし。なほ寝ねぬ人ひとは心こころ憎にくし。

 人ひとの臥ふしたるに、物もの隔へだてて聞きくに、夜中よなかばかりなど、うち驚おどろきて聞きけば、起おきたるななりと聞きこえて、言いふことは聞きこえず、男をとこも忍しのびやかにうち笑わらひたるこそ、何事なにごとならむとゆかしけれ。

 また、おはしまし、女房にようばうなど候さぶらふに、上人うへびと、典侍ないしのすけなど、はづかしげなる、参まゐりたる時とき、御前おまへ近ちかく御物語おものがたりなどあるほどは、大殿油おほとなぶらも消けちたるに、長炭櫃ながすびつの火ひに、もののあやめもよく見みゆ。

 殿原とのばらなどには、心こころ憎にくき今参いままゐりの、いと御覧ごらんずる際きはにはあらねど、やや更ふかしてまうのぼりたるに、うちそよめく衣きぬのおとなひなつかしう、ゐざり出いでて御前おまへに候さぶらへば、物ものなどほのかに仰おほせられ、子こめかしう慎つつましげに、声こゑの有様ありさま、聞きこゆべうだにあらぬほどにいと静しづかなり。

 女房にようばうここかしこに群むれ居ゐつつ、物語ものがたりうちし、下おり上のぼる衣きぬのおとなひなど、おどろおどろしからねど、さななりと聞きこえたる、いと心こころ憎にくし。

 内裏うちの局つぼねなどに、うち解とくまじき人ひとのあれば、こなたの火ひは消けちたるに、傍かたはらの光ひかりの、ものの上うへなどより通とほりたれば、さすがにもののあやめはほのかに見みゆるに、短みじかき几帳きちやう引ひき寄よせて、いと昼ひるはさしも向むかはぬ人ひとなれば、几帳きちやうのかたに添そひ臥ふして、うちかたぶきたる頭付かしらつきのよさあしさは隠かくれざめり。

 直衣なほし、指貫さしぬきなど几帳きちやうにうち掛かけたり。六位ろくゐの蔵人くらうどの青色あをいろもあへなむ。緑衫らうさうはしも、後あとの方かたにかいわぐみて、暁あかつきにもえ探さぐりつけで、惑まどはせこそせめ。

 夏なつも、冬ふゆも、几帳きちやうの片かたつ方かたにうち掛かけて人ひとの臥ふしたるを、奥おくのかたよりやをら覗のぞいたるもいとをかし。

 薫物たきものの香か、いと心こころ憎にくし。

第202段「五月の長雨の頃」

 五月さつきの長雨ながあめの頃ころ、上うへの御局みつぼねの小戸ことの簾すだれに、斉信ただのぶの中将ちゆうじやうの寄よりゐ給たまへりし香かは、誠まことにをかしうもありしかな。その物ものの香かとも覚おぼえず、大方おほかた雨あめにも湿しめりて、艶えんなる気色けしきの、珍めづらしげなきことなれど、いかでか言いはではあらむ。またの日ひまで、御簾みすに染しみ返かへりたりしを、若わかき人ひとなどの世よに知しらず思おもへる、ことわりなりや。

第203段「ことにきらきらしからぬ男の」

 ことにきらきらしからぬ男をとこの、高たかき短みじかきあまた連つれ立だちたるよりも、少すこし乗のり馴ならしたる車くるまのいとつややかなるに、牛飼童うしかひわらは、形なりいとつきづきしうて、牛うしのいたう逸はやりたるを、童わらはは後おくるるやうに綱つな引ひかれて遣やる。

 細ほそやかなる男をとこの、末濃すそごだちたる袴はかま、二藍ふたあゐかなにぞ、髪かみはいかにもいかにも、掻練かひねり、山吹やまぶきなど着きたるが、沓くつのいとつややかなる、筒とうのもと近ちかう走はしりたるは、なかなか心こころにくく見みゆ。

第204段「島は」

 島しまは、八十島やそしま。浮島うきしま。たはれ島しま。江島ゑしま。松まつが浦島うらしま。豊浦とよらの島しま。籬まがきの島しま。

第205段「浜は」

 浜はまは、有度浜うどはま。長浜ながはま。吹上ふきあげの浜はま。打出うちでの浜はま。諸寄もろよせの浜はま。千里ちさとの浜はま。広ひろう思おもひやらる。

第206段「浦は」

 浦うらは、大おほの浦うら。塩竃しほがまの浦うら。こりずまの浦うら。名高なたかの浦うら。

第207段「森は」

 森もりは、うへ木きの森もり。岩田いはたの森もり。木枯こがらしの森もり。転寝うたたねの森もり。岩瀬いはせの森もり。大荒木おほあらきの森もり。たれその森もり。くるべきの森もり。立聞たちぎきの森もり。よこたての森もりと言いふが耳みみにとまるこそ怪あやしけれ。

 森もりなど言いふべくもあらず、ただ一木ひときあるを、何事なにごとにつけけむ。

第208段「寺は」

 寺てらは、壺坂つぼさか。笠置かさぎ。法輪ほふりん。霊山りやうぜんは釈迦仏しやかぶつの御住処みすみかなるがあはれなるなり。石山いしやま。粉河こかは。志賀しが。

第209段「経は」

 経きやうは、法華経ほけきやうさらなり。普賢十願ふげんじふぐわん。千手経せんじゆきやう。随求経ずゐぐきやう。金剛般若こんがうはんにや。薬師経やくしきやう。仁王経にんわうきやうの下巻げくわん。

第210段「仏は」

 仏ほとけは、如意輪によいりん。千手せんじゆ、すべて六観音ろくくわんおん。薬師仏やくしぶつ。釈迦仏しやかぶつ。弥勒みろく。地蔵ぢざう。文殊もんじゆ。不動尊ふどうそん。普賢ふげん。

第211段「書は」

 書ふみは、文集もんじふ。文選もんぜん。新賦しんぷ。史記しき。五帝本紀ごていほんぎ。願文ぐわんもん。表へう。博士はかせの申文まうしぶみ。

第212段「物語は」

 物語ものがたりは、住吉すみよし。宇津保うつほ。殿移とのうつり。国譲くにゆづりは、憎にくし。むもれ木き。月つき待まつ女をんな。梅壺むめつぼの大将だいしやう。道心だうしんすすむる。松まつが枝え。

 狛野こまのの物語ものがたりは、古蝙蝠ふるかはほり探さがし出いでて持もて行いきしがをかしきなり。物羨ものうらやみの中将ちゆうじやう、宰相さいしやうに子こ生うませて形見かたみの衣きぬなど乞こひたるぞ憎にくき。交野かたのの少将せうしやう。

第213段「陀羅尼は」

 陀羅尼だらには暁あかつき。経きやうは夕暮ゆふぐれ。

第214段「遊びは」

 遊あそびは、夜よる。人ひとの顔かほ見みえぬほど。

第215段「遊びわざは」

 遊あそびわざは、小弓こゆみ。碁ご。様悪さまあしけれど、鞠まりもをかし。

第216段「舞は」

 舞まひは、駿河舞するがまひ。求子もとめご、いとをかし。

 太平楽たいへいらく、太刀たちなどぞうたてあれど、いと面白おもしろし。唐土もろこしに敵かたきどちなどして舞まひけむなど聞きくに。

 鳥とりの舞まひ。抜頭ばとうは髪かみ振ふり上あげたる。まみなどは疎うとましけれど、楽がくもなほいと面白おもしろし。

 落蹲らくそんは二人ふたりして膝ひざ踏ふみて舞まひたる。駒形こまがた。

第217段「弾くものは」

 弾ひくものは、琵琶びは。調しらべは風香調ふかうでう。黄鐘調わうしきでう。蘇合そがふの急きふ。鶯うぐひすの囀さへづりと言いふ調しらべ。

 筝さうの琴こといとめでたし。調しらべはさうふうれん。

第218段「笛は」

 笛ふえは、横笛よこぶえいみじうをかし。遠とほうより聞きこゆるが、漸やうやう近ちかうなりゆくもをかし。

 近ちかかりつるが遥はるかになりて、いとほのかに聞きこゆるもいとをかし。車くるまにても、徒歩かちよりも、馬うまにても、すべて、懐ふところにさし入いれて持もたるも、何なにとも見みえず、さばかりをかしき物ものはなし。まして聞きき知しりたる調子てうしなどは、いみじうめでたし。

 暁あかつきなどに忘わすれて、をかしげなる、枕まくらの元もとにありける見付みつけたるもなほをかし。人ひとの取とりに遣おこせたるを押おし包つつみてやるも、立文たてぶみのやうに見みえたり。

 笙しやうの笛ふえは月つきの明あかきに、車くるまなどにて聞きこえたる、いとをかし。所ところせる持もて扱あつかひにくくぞ見みゆる。さて、吹ふく顔かほやいかにぞ。それは横笛よこぶえも吹ふきなしなめりかし。

 篳篥ひちりきはいとかしがましく、秋あきの虫むしを言いはば、轡虫くつわむしなどの心地ここちして、うたて気近けぢかく聞きかまほしからず。まして悪わろく吹ふきたるはいと憎にくきに、臨時りんじの祭まつりの日ひ、まだ御前おまへには出いでで、もののうしろに横笛よこぶえをいみじう吹ふきたてたる、あな、面白おもしろ、と聞きくほどに、半なからばかりよりうち添そへて吹ふき上のぼりたるこそ、ただいみじう、麗うるはし髪かみ持もたらむ人ひとも、みな立たち上あがりぬべき心地ここちすれ。漸やうやう琴こと、笛ふえにあはせて歩あゆみ出いでたる、いみじうをかし。

第219段「見ものは」

 見みものは、臨時りんじの祭まつり。行幸みゆき。祭まつりのかへさ。御賀茂詣みかもまうでで。

第220段「賀茂の臨時の祭」

 賀茂かもの臨時りんじの祭まつり、空そらの曇くもり寒さむげなるに、雪ゆき少すこしうち散ちりて、挿頭かざしの花はな、青摺あをずりなどに掛かかりたる、えも言いはずをかし。

 太刀たちの鞘さやのきはやかに、黒くろうまだらにて、白しろう見みえたるに、半臂はんぴの緒をのやうしたるやうにかかりたる、地摺ぢずりの袴はかまの中なかより、氷こほりかと驚おどろくばかりなる打目うちめなど、すべていとめでたし。

 今いま少すこし多おほく渡わたらせまほしきに、使つかひは必かならず良よき人ひとならず、受領ずりやうなどなるは目めも留とまらず憎にくげなるも、藤ふぢの花はなに隠かくれたるほどはをかし。

 なほ過すぎぬる方かたを見送みおくるに、陪従べいじゆうの品後しなおくれたる、柳やなぎに挿頭かざしの山吹やまぶきわりなく見みゆれど、泥障あをりいと高たかううち鳴ならして、

「賀茂かもの社やしろの木綿襷ゆふだすき」

 とうたひたるは、いとをかし。

第221段「行幸にならぶものはなににかはあらむ」

 行幸みゆきにならぶものは何なににかはあらむ。御輿みこしに奉たてまつるを見奉みたてまつるには、明あけ暮くれ御前おまへに候さぶらひ仕つかう奉まつるとも覚おぼえず、神々かうがうしく、厳いつくしう、いみじう、常つねは何なにとも見みえぬなにつかさ、姫大夫ひめまうちぎみさへぞ、やむごとなく珍めづらしく覚おぼゆるや。

 御綱みつなの助すけの中ちゆう・少将せうしやう、いとをかし。近衛このゑの大将だいしやう、物ものより殊ことにめでたし。近衛司このゑづかさこそなほいとをかしけれ。

 五月さつきこそ世よに知しらずなまめかしきものなりけれ。されど、この世よに絶たえにたることなめれば、いと口惜くちをし。昔語むかしがたりに人ひとの言いふを聞きき、思おもひ合あはするに、如何いかなりけむ。ただその日ひは菖蒲さうぶうち葺ふき、世よの常つねの有様ありさまだにめでたきをも、殿とのの有様ありさま、所々ところどころの御桟敷おさじきどもに、菖蒲さうぶ葺ふきわたし、よろづの人ひとども菖蒲鬘さうぶかづらして、あやめの蔵人くらうど、形かたちよき限かぎり選えりて出いだされて、薬玉くすだま賜たまはすれば、拝はいして腰こしに付つけなどしけむほど、如何いかなりけむ。

 ゑいのすいゑうつりよきもなどうちけむこそ、烏滸をこにもをかしうも覚おぼゆれ。かへらせ給たまふ御輿みこしの先さきに、獅子しし、狛犬こまいぬなど舞まひ、あはれ、さることのあらむ、ほととぎすうち鳴なき、頃ころのほどさへ似にるものなかりけむかし。

 行幸みゆきはめでたきものの、君達きんだち、車くるまなどの好このましう乗のり溢こぼれて、上下かみしも走はしらせなどするがなきぞ口惜くちをしき。さやうなる車くるまの押おし分わけて立たちなどするこそ、心こころときめきはすれ。

第222段「祭のかへさいとをかし」

 祭まつりのかへさ、いとをかし。

 昨日きのふはよろづの麗うるはしくして、一条いちでうの大路おほぢの広ひろう清きよげなるに、日ひの影かげも暑あつく、車くるまにさし入いりたるも眩まばゆければ、扇あふぎして隠かくし、居直ゐなほり、久ひさしく待まつも苦くるしく、汗あせなどもあへしを、今日けふはいと疾とく急いそぎ出いでて、雲林院うりんゐん、知足院ちそくゐんなどのもとに立たてる車くるまども、葵鬘あふひかづらどももうち靡なびきて見みゆる。

 日ひは出いでたれども、空そらはなほうち曇くもりたるに、いみじう、いかで聞きかむと、目めを覚さまし起おき居ゐて待またるるほととぎすの、あまたさへあるにやと鳴なき響ひびかすは、いみじうめでたしと思おもふに、鶯うぐひすの老おいたる声こゑしてかれに似にせむと雄々ををしううち添そへたるこそ、憎にくけれどまたをかしけれ。

 いつしかと待まつに、御社みやしろの方かたより赤衣あかぎぬうち着きたる者ものどもなどの連つれ立だちて来くるを、

「いかにぞ。事成ことなりぬや」

 と言いへば、

「まだ、無期むご」

 など答いらへ、御輿みこしなど持もて帰かへる。かれに奉たてまつりておはしますらむもめでたく、気高けだかく、いかでさる下衆げすなどの近ちかく候さぶらふにか、とぞ恐おそろしき。

 はるかげに言いひつれど、程ほどなく還かへらせ給たまふ。扇あふぎより始はじめ、青朽葉あをくちばどものいとをかしう見みゆるに、所ところの衆しゆうの、青色あをいろに白襲しらがさねを気色けしきばかり引ひき掛かけたるは、卯うの花はなの垣根かきね近ちかう覚おぼえて、ほととぎすも陰かげに隠かくれぬべくぞ見みゆるかし。

 昨日きのふは車くるま一ひとつにあまた乗のりて、二藍ふたあゐの同おなじ指貫さしぬき、あるは狩衣かりぎぬなどみだれて、簾すだれ解とき下おろし、物狂ものぐるほしき身みまで見みえし君達きんだちの、斎院さいゐんの垣下ゑがにとて、日ひの装束さうぞく麗うるはしうして、今日けふは一人ひとりづつさうざうしく乗のりたる後のちに、をかしげなる殿上童てんじやうわらは乗のせたるもをかし。

 渡わたり果はてぬる、即すなはちは心地ここちも惑まどふらむ、我われも我われもと危あやふく恐おそろしきまで先さきに立たたむといそぐを、

「かくないそぎそ」

 と扇あふぎを差さし出いでて制せいするに、聞ききも入いれねば、わりなきに、少すこし広ひろき所ところにて強しひて留とどめさせて立たてる、心こころもとなく憎にくしとぞ思おもひたるべきに、控ひかへたる車くるまどもを見み遣やりたるこそをかしけれ。

 男車をとこぐるまの誰たれとも知しらぬが後のちに引ひき続つづきて来くるも、ただなるよりはをかしきに、引ひき別わかるる所ところにて、

「峰みねに別わかるる」

 と言いひたるもをかし。なほ飽あかずをかしければ、斎院さいゐんの鳥居とりゐのもとまで行ゆきて見みる折をりもあり。

 内侍ないしの車くるまなどのいと騒さわがしければ、異方ことかたの道みちより帰かへれば、真まことの山里やまざとめきてあはれなるに、空木垣根うつぎかきねと言いふものの、いと荒々あらあらしくおどろおどろしげに、さし出いでたる枝えだどもなどおほかるに、花はなはまだよくも開ひらけ果はてず、蕾つぼみたるがちに見みゆるを折をらせて、車くるまのこなたかなたにさしたるも、鬘かづらなどの萎しぼみたるが口惜くちをしきに、をかしう覚おぼゆ。いと狭せばう、えも通とほるまじう見みゆる行ゆく先さきを、近ちかう行ゆきもて行ゆけば、さしもあらざりけることをかしけれ。

第223段「五月ばかりなどに山里にありく」

 五月さつきばかりなどに山里やまざとに歩ありく、いとをかし。

 草葉くさばも水みづもいと青あをく見みえ渡わたりたるに、上うへはつれなくて草くさ生おひ茂しげりたるを、長々ながながとただざまに行ゆけば、下したはえならざりける水みづの、深ふかくはあらねど、人ひとなどの歩あゆむにはしりがりたる、いとをかし。

 左右ひだりみぎにある垣かきにある、ものの枝えだなどの、車くるまの屋形やかたなどにさし入いるを、急いそぎて捉とらへて折をらむとするほどに、ふと過すぎて外はづれたるこそ、いと口惜くちをしけれ。

 蓬よもぎの車くるまに押おし拉ひしがれたりけるが、輪わの回まはりたるに、近ちかくうち掛かかりたるもをかし。

第224段「いみじう暑きころ」

 いみじう暑あつきころ、夕涼ゆふすずみと言いふほど、物ものの様さまなどもおぼめかしきに、男車をとこぐるまの前駆さき追おふは言いふべきにもあらず、ただの人ひとも、後うしろの簾すだれ上あげて、二人ふたりも、一人ひとりも、乗のりて走はしらせ行ゆくこそ涼すずしげなれ。まして、琵琶びはかい調しらべ、笛ふえの音ねなど聞きこえたるは、過すぎて往いぬるも口惜くちをし。さやうなるは、牛うしの鞦しりがひの香かの、なほ怪あやしう、嗅かぎ知しらぬものなれど、をかしきこそ物狂ものぐるほしけれ。

 いと暗くらう闇やみなるに、前まへにともしたる松まつの煙けぶりの香かの、車くるまのうちに抱かかへたるもをかし。

第225段「五月四日の夕つ方」

 五月さつき四日よかの夕ゆふつ方かた、青あをき草くさ多おほくいと麗うるはしく切きりて、左右ひだりみぎに担なひて、赤衣あかぎぬ着きたる男をのこの行ゆくこそをかしけれ。

第226段「賀茂へまゐる道に」

 賀茂かもへ参まゐる道みちに、田た植ううとて、女をんなの新あたらしき折敷をしきのやうなる物ものを笠かさに着きて、いと多おほう立たちて歌うたを歌うたふ、折をれ伏ふすやうに、また、何事なにごとするとも見みえで後方うしろざまにゆく、如何いかなるにかあらむ。

 をかしと見みゆるほどに、ほととぎすをいとなめう歌うたふ、聞きくにぞ心憂こころうき。

「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴なきてこそ、我われは田た植ううれ」

 と歌うたふを聞きくも、如何いかなる人ひとか、

「いたくな鳴なきそ」

 とは言いひけむ。

 仲忠なかただが童生わらはおひ言いひ落おとす人ひとと、ほととぎす、鶯うぐひすに劣おとると言いふ人ひとこそ、いと辛つらう、憎にくけれ。

第227段「八月つごもり」

 八月はづきつごもり、太秦うづまさに詣まうづとて見みれば、穂ほに出いでたる田たを人ひといと多おほく見み騒さわぐは、稲いね刈かるなりけり。早苗さなへ取とりしかいつの間まに、誠まことに先さいつ頃ころ賀茂かもへ詣まうづとて見みしが、あはれにもなりにけるかな。これは男をのこどもの、いと赤あかき稲いねの本もとぞ青あをきを持もちたりて刈かる。何なににかあらむして本もとを切きるさまぞ、易やすげに、せまほしげに見みゆるや。

 如何いかでさすらむ、穂ほをうち敷しきて並なみ居をるも、をかし。庵いほの様さまなど。

第228段「九月二十日あまりのほど」

 九月ながつき二十日はつかあまりの程ほど、長谷はせに詣まうでて、いとはかなき家いへに泊とまりしに、いと苦くるしくて、ただ寝ねに寝ね入いりぬ。

 夜よ更ふけて、月つきの窓まどより洩もりたりしに、人ひとの臥ふしたりしどもが衣きぬの上うへに、白しろうて映うつりなどしたりしこそ、いみじうあはれと覚おぼえしか。さやうなる折をりぞ、人ひと歌うた詠よむかし。

第229段「清水などに参りて」

 清水きよみづなどに参まゐりて、坂さかもと上のぼるほどに、柴しば焚たく香かのいみじうあはれなるこそをかしけれ。

第230段「五月の菖蒲の」

 五月さつきの菖蒲さうぶの秋あき冬ふゆ過すぐるまであるが、いみじう白しらみ枯かれて怪あやしきを、引ひき折をり上あげたるに、その折をりの香かの残のこりてかかへたる、いみじうをかし。

第231段「よくたきしめたる薫物の」

 よく焚たき染しめたる薫物たきものの、昨日きのふ、一昨日をととひ、今日けふなどは忘わすれたるに、引ひき上あげたるに、煙けぶりの残のこりたるは、ただ今いまの香かよりもめでたし。

第232段「月のいと明かきに」

 月つきのいと明あかかきに、川かはを渡わたれば、牛うしの歩あゆむままに、水晶すゐしやうなどの割われたるやうに、水みづの散ちりたるこそをかしけれ。

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