第37段「木の花は」
木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
四月のつごもり、五月のついたちの頃ほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじう鮮やかに見えたるなど、朝露に濡れたるあさぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。
梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文付けなどだにせず。愛敬後れたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色より初めて、あはひなく見ゆるを、唐土には限りなきものにて、文にも作る、なほさりとも様あらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしき匂ひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃の、帝の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、
「梨花一枝、春、雨を帯びたり」
など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、類ひあらじと覚えたり。
桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉の広ごり様ぞ、うたてこちたけれど、こと木どもと等しう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名付きたる鳥の、選りてこれにのみ居るらむ、いみじう心異なり。まいて琴に作りて、さまざまなる音の出で来るなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある。いみじうこそ、めでたけれ。
木のさま憎げなれど、楝の花、いとをかし。枯々に、さま異に咲きて、必ず五月五日にあふも、をかし。
第38段「池は」
池は、かつまたの池。磐余の池。
贄野の池、初瀬に詣でしに、水鳥の隙なく居て立ち騒ぎしが、いとをかしう見えしなり。
水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて問ひしかば、
「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむなくなる。また、いみじう照るべき年は、春の初めに水なむ多く出づる」
と言ひしを、
「むげになく乾きてあらばこそさも言はめ、出づる折もあるを、一筋にも付けけるかな」
と言はまほしかりしか。
猿沢の池は、采女の身投げたるを聞こしめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。
「ねたくれ髪を」
と人丸が詠みけむほどなど思ふに、言ふも疎かなり。
御前の池、また何の心にてつけけるならむとゆかし。
かみの池。狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきが覚ゆるならむ。
こひぬまの池。はらの池は、
「玉藻な刈りそ」
と言ひたるも、をかしう覚ゆ。
第39段「節は五月にしく月はなし」
節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などの薫り合ひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひしらぬ民の住処まで、いかでわがもとに繁く葺かむと葺き渡したる、なほいと珍し。いつかは、こと折にさはしたりし。
空の気色、曇り渡りたるに、中宮などには、縫殿より御薬玉とて、色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳たてたる母屋の柱に、左右に付けたり。
九月九日の菊を、あやしき生絹の衣に包みて参らせたるを、同じ柱に結ひ付けて月頃ある薬玉に解き替へてぞ棄つめる。また、薬玉は、菊のをりまであるべきにやあらむ。されど、それはみな糸を引き取りて、もの結ひなどして、しばしもなし。
御節供参り、若き人々菖蒲の挿櫛さし、物忌つけなどして、さまざまの唐衣、汗衫などに、をかしき折枝ども、ながき根に斑濃の組して結び付けたるなど、珍しういふべきことならねど、いとをかし。さて、春毎に咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。
土歩く童部などの、程々につけて、いみじきわざしたりと思ひて、常に袂守り、人のに比べなど、えもいはずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童などに、引き張られて泣くもをかし。
むらさきの紙に楝の花、あをき紙に菖蒲の葉、細く巻きて結ひ、また、白き紙を、根して引き結ひたるもをかし。
いと長き根を、文の中に入れなどしたるを見る心地ども、艶なり。
返事書かむと言ひ合はせ、語らふどちは見せ交はしなどするも、いとをかし。
人の女、やむごとなきに所々に、御文など聞こえたまふ人も、今日は心異にぞなまめかしき。夕暮れのほどに、ほととぎすの名乗りて渡るも、すべていみじき。
第40段「花の木ならぬは」
花の木ならぬは、楓。桂。五葉。
たそばの木、品なき心地すれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりたるなかに、時も分かず、濃き紅葉のつやめきて、思ひも掛けぬ青葉の中より差し出でたる、珍し。まゆみ、さらにもいはず。宿り木といふ名、いとあはれなり。
榊、臨時の祭の御神楽の折など、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひ初めけむも、取り分きてをかし。
楠の木は、木立多かる所にも、ことに交らひ立てらず、おどろおどろしき思ひ遣りなど疎ましきを、千枝に分かれて恋する人の例に言はれたるこそ、誰かは数を知りて言ひ初めけむと思ふにをかしけれ。
檜の木、またけぢかからぬものなれど、三葉四葉の殿造りもをかし。五月に雨の声を学ぶらむもあはれなり。
かへでの木のささやかなるに、萌え出でたる葉末の赤みて、同じ方に広ごりたる、葉のさま、花も、いとものはかなげに、虫などの乾れたるに似て、をかし。
あすはひの木、この世にちかくも見え聞こえず。御獄に詣でて帰りたる人などのもて来める、枝差しなどは、いと手に触れにくげに荒くましけれど、何の心ありて、あすはひの木と付けけむ。あぢきなき兼言なりや。誰に頼めたるにかと思ふに、聞かもほしくをかし。
ねずもちの木、人並々になるべきにもあらねど、葉のいみじう細かに小さきがをかしきなり。
楝の木。山橘。山梨の木。椎の木、常磐木はいづれもあるを、それしも、葉替へせぬ例に言はれたるもをかし。
白樫といふものは、まいて深山木の中にもいと気遠くて、三位、二位の上の衣染むる折ばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことに取り出づべくもあらべど、いづくともなく雪の降り置きたるに見紛へられ、素盞鳴尊出雲の国におはしける御事を思ひて、人丸が詠みたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。折につけても、一節あはれともをかしとも聞き置きつるものは、草、木、鳥、虫も疎かにこそ覚えね。
譲り葉の、いみじうふさやかに艶めき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしきけれどをかし。なべての月には見えぬ物の、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人の食ひ物に敷く物にやとあはれなるに、また、齢を延ぶる歯固の具にももて使ひためるは。いかなる世にか、
「紅葉せむ世や」
と言ひたるもたのもし。
柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむも畏し。兵衛の督、佐、尉など言ふもをかし。
姿なけれど、棕櫚の木、唐めきて、悪き家の物とは見えず。
第41段「鳥は」
鳥は、こと所のものなれど、鸚鵡、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。
ほととぎす。くひな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。
鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声雲井にまで聞こゆる、いとめでたし。
頭赤き雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。
鷺は、いと見目見苦し。まなこゐなども、うたて万になつかしからねど、
「ゆるぎの森に一人はねじ」
と争ふらむ、をかし。
水鳥、鴛鴦いとあはれなり。かたみに居替はりて、羽のうへの霜払ふらむほどなど。
千鳥いとをかし。
鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちに鳴かぬぞいと悪き。
人の
「さなむある」
と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり候ひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹ちかき紅梅も、いとよく通ひぬべき便りなりかし。罷で聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。
夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。
夏、秋の末まで老い声に鳴きて、
「むしくひ」
など、ようあらぬ者は名を付け替へて言ふぞ、口惜しくくすしき心地する。それもただ、雀の様に常にある鳥ならば、さも覚ゆまじ。春鳴くゆゑこそああらめ。
「年立ち返る」
など、をかしきことに、歌にも文にも作るなるは。なほ春の内ならましかば、いかにをかしからまし。
人をも、人げなう、世の覚え侮らはしう成り初めにたるをば謗りやはする。
鳶、烏などの上は、見入れ、聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心行かぬ心地するなり。
祭のかへさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立てたれば、ほととぎすも忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとよう真似び似せて、木高き木どもの中に、諸声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。
ほととぎすは、なほさらに言ふべき方なし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などに宿りをして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり。
五月雨の短き夜に寝覚をして、いかで人より先に聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心憧れ、せむ方なし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふも疎かなり。
夜鳴くもの、何も何もめでたし。乳児どものみぞさしもなき。
第42段「あてなるもの」
あてなるもの
薄色に白襲の汗衫。かりのこ。
削り氷に甘葛入れて、新しき金鋺に入れたる。
水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降り掛かりたる。
いみじううつくしき乳児の、苺など食ひたる。
第43段「虫は」
虫は、鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。蛍。
蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親の、あやしき衣引き着せて、
「今秋風吹かむ折ぞ来むとする。待てよ」
と言ひ置きて、逃げて往にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、
「ちちよ、ちちよ」
とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
額づき虫、またあはれなり。さる心地に道心起こしてつき歩くらむよ。思ひ掛けず、暗き所などに、ほとめき歩きたるこそをかしけれ。
蝿こそ、憎きものの内に入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、敵などにすべきものの大きさにはあらねど、秋など、ただ万の物にゐ、顔などに、濡れ足して居るなどよ。人の名に付きたる、いと疎まし。
夏虫、いとをかしうらうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛び歩く、いとをかし。
蟻は、いと憎けれど、軽びいみじうて、水の上などを、ただ歩みに歩み歩くこそをかしけれ。
第44段「七月ばかりに」
七月ばかりに、風いたう吹きて、雨などさわがしき日、大方涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣の薄きを、いとよく引きて昼寝したるこそをかしけれ。
第45段「にげなきもの」
にげなきもの、下衆の家に雪の降りたる。また、月の差し入りたるも口惜し。
月の明きに、屋形なき車の会ひたる。また、さる車に黄牛掛けたる。また、老いたる女の腹高くて歩く。
若き男持ちたるだに見苦しきに、こと人のもとへ行きたるとて腹立つよ。
老いたる男の寝惑ひたる。また、さやうに鬚がちなるものの椎摘みたる。
歯もなき女の梅食ひて酸がりたる。
下衆の紅の袴着たる。この頃はそれのみぞある。
靱負の佐の夜行姿。狩衣姿も、いとあやしげなり。
人に怖ぢらるる上の衣は、おどろおどろし。立ちたまふさまも、見付けて侮らはし。
「嫌疑の者やある」
と咎む。
入り居て、空薫物に染みたる几帳にうち掛ける袴など、いみじうたつきなし。
かたちよき君たちの、弾正の弼にておはする、いと見苦し。宮の中将などの、さも口惜しかりしかな。
第46段「細殿に人あまたゐて」
細殿に人あまた居て、安からず物などいふに、清げなる男、小舎人童など、良き包み、袋などに、衣ども包みて、指貫の括りなどぞ見えたる、弓、矢、楯など持て歩くに、
「誰がぞ」
と問へば、ついゐて、
「某殿の」
とて行く者はよし。気色ばみ、優しがりて、
「知らず」
ともいひ、物も言はでも往ぬる者は、いみじうにくし。
第47段「主殿司こそ」
主殿司こそ、なほをかしきものはあれ。下女の際は、さばかり羨ましきものはなし。良き人に似せさせまほしきわざなめり。若くかたちよからむが、なりなど良くてあらむは、ましてよからむかし。すこし老いて、物の例知り、面なきさまなるも、いとつきづきしくめやすし。
主殿司の顔愛敬づきたらむ、一人持たりて、装束、時に従ひ、裳、唐衣などいまめかしくてありせばや、とこそおぼゆれ。
第48段「をのこはまた随身こそ」
をのこは、また、随身こそあめれ。いみじう美々しうてをかしき君たちも、随身なきはいと白々し。弁などは、いとをかしき官に思ひたれど、下襲の裾短くて随身のなきぞいと悪きや。
第49段「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて」
職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭の弁、物をいと久しう言ひ立ちたまへれば、差し出でて、
「それは誰ぞ」
と言へば、
「弁候ふなり」
と宣ふ。
「何かさも語らひたまふ。大弁見えば、打棄てたてまつりてむものを」
といへば、いみじう笑ひて、
「誰かかかることをさへ言ひ知らせけむ。それ、さなせそと語らふなり」
と宣ふ。
いみじう見え聞こえて、をかしき筋など立てたることはなう、ただありなる様なるを、皆人のさのみ知りたるに、なほ奥深き心様を見知りたれば、
「おしなべたらず」
など、御前にも啓し、またさ知ろしめしたるを、常に、
「女は己を悦ぶ者のために顔作りす。士は己を知る者のために死ぬとなむ言ひたる」
と言ひ合はせたまひつつ、よう知りたまへり。
「遠江の浜柳」
と言ひ交はしてあるに、若き人々は、ただ言ひに見苦しきことどもなど、繕はず言ふに、
「この君こそうたて見えにくけれ。こと人のやうに、歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ」
など謗る。
さらにこれかれに物言ひなどもせず、
「まろは、目は縦ざまにつき、眉は額ざまに生ひ上がり、鼻は横ざまなりとも、ただ口付き愛敬付き、頤の下、首清げに、声憎からざらむ人のみなむ思はしかるべき。とはいひながら、なほ顔いと憎げならむ人は心憂し」
とのみ宣へば、まして頤細う、愛敬おくれたる人などは、あいなく敵にして、御前にさへぞ悪しざまに啓する。
物など啓せさせむとても、その初め言ひ初めてし人を尋ね、下なるをも呼び上せ、常に来て言ひ、里なるは、文書きても、みづからもおはして、
「遅く参らば、さなむ申したると申しに参らせよ」
と宣ふ。
「それ、人の候ふらむ」
など言ひ譲れど、さしもうけひかずなどぞおはする。
「あるに従ひ、定めず、何事ももてなしたるをこそ良きにすめれ」
と後見聞こゆれど、
「我がもとの心の本性」
とのみ宣ひて、
「改まらざるものは心なり」
と宣へば、
「さて憚りなしとは何を言ふにか」
と怪しがれば、笑ひつつ、
「仲良しなども人に言はる。かく語らふとならば、何か恥づる。見えなどもせよかし」
と宣ふ。
「いみじく憎げなれば、さあらむ人をばえ思はじと宣ひしによりて、え見えたてまつらぬなり」
といへば、
「げに憎くもぞなる。さらばな見えそ」
とて、おのづから見つべき折も、おのれ顔塞ぎなどして見たまはぬも、真心に空言したまはざりけりと思ふに、三月つごもりがたは、冬の直衣の着にくきやあらむ、上の衣がちにてぞ、殿上の宿直姿もある。
つとめて、日差し出づるまで、式部のおもとと小廂に寝たるに、奥の遣戸を開けさせたまひて、上の御前、宮の御前出でさせたまへば、おきもあへず惑ふを、いみじく笑はせたまふ。
唐衣をただ汗衫の上にうち着て、宿直物も何も埋もれながらある、上におはしまして、陣より出で入る者ども御覧ず。殿上人のつゆ知らで寄り来て物言ふなどもあるを、
「気色な見せそ」
とて、笑はせたまふ。
さて立たせたまふ。
「二人ながら、いざ」
と仰せらるれど、
「今、顔など繕ひたててこそ」
とて、参らず。
入らせたまひて後も、なほめでたきことどもなど言ひ合はせてゐたる、南の遣戸の側の、几帳の手の差し出でたるに障りて、簾の少し開きたるより、黒みたる物の見ゆれば、説孝がゐたるなめりとて、見も入れで、なほ、こと事どもを言ふに、いとよく笑みたる顔の差し出でたるも、なほ説孝なめりとて見遣りたれば、あらぬ顔なり。
あさましと笑ひ騒ぎて、几帳引き直し隠るれば、頭の弁にぞおはしける。
見え奉らじとしつるものを、といと口惜し。
もろともに居たる人は、こなたに向きたれば顔も見えず。
立ち出でて、
「いみじく名残なくも見つるかな」
と宣へば、
「説孝と思ひ侍りつれば、侮りてぞかし。などかは、見じと宣ふに、さつくづくとは」
といふに、
「女は寝起顔なむいと難き、と言へば、ある人の局に行きて、垣間見して、またも見やするとて来たりつるなり。まだ上のおはしましつる折柄あるをば、知らざりける」
とて、それより後は、局の簾うち被きなどしたまふめりき。
第50段「馬は」
馬は、いと黒きが、ただいささか白き所などある。
紫の紋つきたる。
葦毛。
薄紅梅の毛にて、髪、尾などいと白き。げに
「ゆふかみ」
とも言ひつべし。
黒きが、足四つ白きもいとをかし。
第51段「牛は」
牛は、額はいと小さく、白みたるが、腹の下、足、尾の筋などは、やがて白き。
第52段「猫は」
猫は、上の限り黒くて、腹いと白き。
第53段「雑色随身は」
雑色、随身は、少し痩せて細やかなるぞよき。男は、なほ若き程は、さる方なるぞよき。いたく肥えたるは、寝ぶたからむと見ゆ。
第54段「小舎人童」
小舎人童、小さくて髪いとうるはしきが、筋さはらかに少し色なる、声をかしうて、畏まりて物など言ひたるぞらうらうじき。
第55段「牛飼は」
牛飼は、大きにて、髪粗らかなるが、顔赤みて、角々しげなる。
第56段「殿上の名対面こそ」
殿上の名対面こそなほをかしけれ。御前に人侍ふ折は、やがて問ふもをかし。足音どもして崩れ出づるを、上の御局の東おもてにて、耳を調へて聞くに、知る人の名のあるは、ふと例の胸潰るらむかし。また、ありともよく聞かせぬ人など、この折に聞き付けたるは、いかが思ふらむ。
「名乗りよし」
「悪し」
「聞き難し」
など定むるもをかし。
果てぬなりと聞く程に、滝口の弓鳴らし、沓の音し、そそめき出づると、蔵人のいみじく高く踏みごほめかして、丑寅の隅の勾欄に、高膝まづきと言ふ居住まひに、御前の方に向ひて、後ろざまに、
「誰々か侍る」
と問ふこそをかしけれ。高く細く名乗り、また、人々侍はねば、名対面仕う奉らぬ由奏するも、
「いかに」
と問へば、障ることども奏するに、さ聞きて帰るを、方弘聞かずとて、君たちの教へたまひければ、いみじう腹立ち叱りて、勘へて、また滝口にさへ笑はる。
御厨子所の御膳棚に沓置きて、言ひ罵らるるを、いとほしがりて、
「誰が沓にかあらむ。え知らず」
と主殿司、人々などの言ひけるを、
「やや、方弘が汚き物ぞ」
とて、いとど騒がる。
第57段「若くよろしき男の」
若くよろしき男の、下衆女の名呼び馴れて言ひたるこそ憎けれ。
知りながらも、何とかや、片文字は覚えで言ふはをかし。
宮仕所の局に寄りて、夜などぞ悪しかるべけれど、主殿司、さらぬただ所などは、侍などにある者を具して来ても呼ばせよかし。
手づから、声も著きに。
はした者、童部などは、されどよし。
第58段「若き人ちごどもなどは」
若き人、乳児どもなどは、肥えたる良し。受領など大人だちぬるも、膨らかなるぞよき。
第59段「ちごは」
乳児は、あやしき弓、笞だちたる物など捧げて遊びたる、いとうつくし。
車など止めて、抱き入れて見まほしくこそあれ。
また、さて行くに、薫物の香いみじうかかへたるこそ、いとをかしけれ。
第60段「よき家の中門あけて」
良き家の中門開けて、檳榔毛の車の白く清げなるに、蘇芳の下簾、匂ひいと清らにて、榻にうち掛けたるこそめでたけれ。
五位、六位などの下襲の裾挟みて、笏のいと白きに、扇うち置きなど行き違ひ、また、装束し、壺胡籙負ひたる随身の出で入りしたる、いとつきづきし。
厨女の清げなるが、差し出でて、
「某殿の人や候ふ」
など言ふもをかし。
第61段「滝は」
滝は、おとなしの滝。
布留の滝は、法皇の御覧じにおはしましけむこそめでたけれ。
那智の滝は、熊野にありと聞くがあはれなるなり。
とどろきの滝は、いかにかしがましく恐ろしからむ。
第62段「河は」
河は、飛鳥川、淵瀬も定めなく、いかならむとあはれなり。大井河。おとなし川。七瀬川。
耳敏川、またも何事をさくじり聞きけむとをかし。玉星川。細谷川。いつぬき川。澤田川などは、催馬楽などの思はするなるべし。名取川、いかなる名を取りたるならむと聞かまほし。吉野河。
天の川原、
「たなばたつめに宿からん」
と、業平が詠みたるもをかし。
第63段「あかつきに帰らむ人は」
暁に帰らむ人は、装束などいみじううるはしく、烏帽子の緒、元結、固めずともありなむとこそ覚ゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣、狩衣など歪めたりとも、誰か見知りて笑ひ謗りもせむ。
人はなほ暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起き難げなるを、強ひてそそのかし、
「明け過ぎぬ。あな、見苦し」
など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かず物憂くもあらむかしと見ゆ。指貫なども、居ながら着もやらず、まづ差し寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざするともなき様なれど、帯など結ふやうなり。格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼の程のおぼつかなからむことなども、言ひ出でに滑り出でなむは、見送られて名残もをかしかりなむ。
思ひ出所ありて、いと際やかに起きて、ひろめき立ちて、指貫の腰ごそごそとかはは結ひ直し、上の衣も、狩衣、袖かひ捲りて、よろと差し入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、ついゐて、烏帽子の緒きと強げに結ひ入れて、かいすうる音して、扇、畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、いづらいづらと叩き渡し、見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙差し入れて、
「まかりなむ」
とばかりこそ言ふらめ。
第64段「橋は」
橋は、あさむづの橋。長柄の橋。あまびこの橋。浜名の橋。一つ橋。うたたねの橋。佐野の舟橋。堀江の橋。かささぎの橋。山すげの橋。をつの浮橋。一筋渡したる棚橋、心狭けれど、名を聞くにをかしきなり。
第65段「里は」
里は、逢坂の里。ながめの里。いざめの里。人づまの里。たのめの里。夕日の里。つまとりの里。人に取られたるにやあらむ、我が設けたるにやあらむとをかし。伏見の里。朝顔の里。
第66段「草は」
草は、菖蒲。菰。
葵、いとをかし。神代よりして、さる挿頭となりけむ、いみじうめでたし。物の様もいとをかし。沢瀉は、名のをかしきなり。心上がりしたらむと思ふに。
三稜草。蛇床子。苔。雪間の若草。こだに。
かたばみ、綾の紋にてあるも、ことよりはをかし。
危ふ草は、岸の額に生ふらむも、げに頼もしからず。
いつまで草は、またはかなくあはれなり。岸の額よりも、これは崩れやすからむかし。真の石灰などには、え生ひずやあらむと思ふぞ悪き。
ことなし草は、思ふことを成すにやと思ふもをかし。忍草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花もをかし。蓬、いみじうをかし。
山菅。日影。山藍。浜木綿。葛。笹。青葛。薺。苗。浅茅、いとをかし。
蓮葉、万の草よりも優れてめでたし。妙法蓮華の譬にも、花は仏に奉り、実は数珠に貫き、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なき頃、緑なる池の水に紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅とも詩に作りたるにこそ。
唐葵、日の影に従ひて傾くこそ、草木と言ふべくもあらぬ心なれ。
さしも草。八重葎。月草、移ろひやすなるこそうたてあれ。

