『源氏物語』第45帖「橋姫」原文全文|ひらがなルビ(ふりがな)付きで読む

目次

そのころ、世に数まへられたまはぬ

 そのころ、かずまへられたまはぬ古宮ふるみやおはしけり。母方ははかたなども、やむごとなくものしたまひて、筋異すぢことなるべきおぼえなどおはしけるを、ときうつりて、なかにはしたなめられたまひけるまぎれに、なかなかいと名残なごりなく、御後見おほんうしろみなどもものうらめしき心々こころごころにて、かたがたにつけて、そむりつつ、公私おほやけわたくしところなく、さしはなたれたまへるやうなり。

 きたかたも、むかし大臣おとど御女おほんむすめなりける、あはれに心細こころぼそく、おやたちのおぼしおきてたりしさまなどおもでたまふに、たとしへなきことおほかれど、ふる御契おほんちぎりのつなきばかりを、なぐさめにて、かたみにまたなくたのはしたまへり。

 としごろるに、御子おほんこものしたまはでこころもとなかりければ、さうざうしくつれづれなるなぐさめに、「いかで、をかしからむ稚児ちごもがな」と、みや時々ときどきおぼしのたまひけるに、めづらしく、女君をんなぎみのいとうつくしげなる、まれたまへり。

 これをかぎりなくあはれとおもひかしづききこえたまふに、さしつづきけしきばみたまひて、「このたびはをとこにても」などおぼしたるに、おなじさまにて、たひらかにはしたまひながら、いといたくわづらひてせたまひぬ。みや、あさましうおぼまどふ。

あり経るにつけても

「ありるにつけても、いとはしたなく、へがたきことおほかるなれど、見捨みすてがたくあはれなるひとおほんありさま、こころざまに、かけとどめらるるほだしにてこそ、ぐしつれ、一人ひとりとまりて、いとどすさまじくもあるべきかな。いはけなきひとびとをも、一人ひとりはぐくみてむほど、かぎりあるにて、いとをこがましう、人悪ひとわろろかるべきこと」

 とおぼちて、本意ほいげまほしうしたまひけれど、ゆづかたなくてのこしとどめむを、いみじうおぼしたゆたひつつ、年月としつきれば、おのおのおよすけまさりたまふさま、容貌かたちの、うつくしうあらまほしきを、れの御慰おほんなぐさめにて、おのづからぐしたまふ。

 のちまれたまひしきみをば、さぶらふひとびとも、「いでや、をりふし心憂こころうく」など、うちつぶやきつつ、こころれてもあつかひきこえざりけれど、かぎりのさまにて、なにごともおぼかざりしほどながら、これをいと心苦こころぐるしとおもひて、

「ただ、このきみ形見かたみたまひて、あはれとおもせ」

 とばかり、ただ一言ひとことなむ、みやこえきたまひければ、さきちぎりもつらきをりふしなれど、「さるべきにこそはありけめと、いまはとえしまで、いとあはれとおもひて、うしろめたげにのたまひしを」と、おぼでつつ、このきみをしも、いとかなしうしたてまつりたまふ。容貌かたちなむまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。

 姫君ひめぎみは、こころばせしづかによしあるかたにて、もてなしも、気高けだかこころにくきさまぞしたまへる。いたはしくやむごとなきすぢはまさりて、いづれをも、さまざまにおもひかしづききこえたまへど、かなはぬことおほく、年月としつきへて、みやうちさびしくのみなりまさる。

 さぶらひしひとも、たつきなき心地ここちするに、えしのびあへず、次々つぎつぎしたがひてまかでりつつ、若君わかぎみ御乳母おほんめのとも、さるさわぎに、はかばかしきひとをしも、りあへたまはざりければ、ほどにつけたるこころあささにて、をさなきほどを見捨みすてたてまつりにければ、ただみやぞはぐくみたまふ。

さすがに、広くおもしろき宮

 さすがに、ひろくおもしろきみやの、いけやまなどのけしきばかりむかしはらで、いといたうれまさるを、つれづれとながめたまふ。

 家司けいしなども、むねむねしきひともなきままに、くさあをやかにしげり、のきのしのぶぞ、ところがほあをみわたれる。折々をりをりにつけたるはな紅葉もみぢの、いろをもをも、おなこころはやしたまひしにこそ、なぐさむこともおほかりけれ、いとどしくさびしく、りつかむかたなきままに、持仏ぢぶつ御飾おほんかざりばかりを、わざとせさせたまひて、おこなひたまふ。

 かかるほだしどもにかかづらふだに、おもひのほか口惜くちをしう、「わがこころながらもかなはざりけるちぎり」とおぼゆるを、まいて、「なににか、ひとめいていまさらに」とのみ、年月としつきへて、なかおぼはなれつつ、こころばかりはひじりになりてたまひて、故君こきみせたまひにしこなたは、れいひとのさまなるこころばへなど、たはぶれにてもおぼでたまはざりけり。

「などか、さしも。わかるるほどのかなしびは、またにたぐひなきやうにのみこそは、おぼゆべかめれど、ありれば、さのみやは。なほ、世人よひとになずらふ御心みこころづかひをしたまひて、いとかく見苦みぐるしく、たつきなきみやうちも、おのづからもてなさるるわざもや」

 と、ひとはもどききこえて、なにくれと、つきづきしくこえごつことも、るいにふれておほかれど、こしめしれざりけり。

 御念誦おほんねんずのひまひまには、このきみたちをもてあそび、やうやうおよすけたまへば、ことならはし、ち、へんつきなど、はかなき御遊おほんあそびわざにつけても、こころばへどもをたてまつりたまふに、姫君ひめぎみは、らうらうじく、ふかおもりかにえたまふ。若君わかぎみは、おほどかにらうたげなるさまして、ものづつみしたるけはひに、いとうつくしう、さまざまにおはす。

春のうららかなる日影に

 はるのうららかなる日影ひかげに、いけ水鳥みづとりどもの、はねうちはしつつ、おのがじしさへづるこゑなどを、つねは、はかなきことにたまひしかども、つがひはなれぬをうらやましくながめたまひて、きみたちに、御琴おほんことどもをしへきこえたまふ。いとをかしげに、ちひさきおほんほどに、とりどりらしたまふものども、あはれにをかしくこゆれば、なみだけたまひて、

「うちててつがひりにし水鳥みづとりかりのこのにたちおくれけむ

こころくしなりや」

 と、おしのごひたまふ。容貌かたちいときよげにおはしますみやなり。としごろの御行おほんおこなひにやせほそりたまひにたれど、さてしも、あてになまめきて、きみたちをかしづきたまふ御心みこころばへに、直衣なほしえばめるをたまひて、しどけなきおほんさま、いとづかしげなり。

 姫君ひめぎみ御硯おほんすずりをやをらひきせて、ならのやうにぜたまふを、

「これにきたまへ。すずりにはきつけざなり」

 とて、かみたてまつりたまへば、ぢらひてきたまふ。

「いかでかくちけるぞとおもふにも水鳥みづとりちぎりをぞる」

 よからねど、そのをりは、いとあはれなりけり。は、さきえて、まだよくもつづけたまはぬほどなり。

若君わかぎみきたまへ」

 とあれば、いますこしをさなげに、ひさしくでたまへり。

くもはねうちするきみなくはわれぞまもになりはてまし」

 御衣おほんぞどもなどえばみて、御前おまへにまたひともなく、いとさびしくつれづれげなるに、さまざまいとらうたげにてものしたまふを、あはれに心苦こころぐるしう、いかがおもさざらむ。きゃうかたたまひて、かつみつつ唱歌さうがをしたまふ。

 姫君ひめぎみ琵琶びは若君わかぎみさう御琴おほんこと、まだをさなけれど、つねはせつつならひたまへば、きにくくもあらで、いとをかしくこゆ。

父帝にも女御にも

 父帝ちちみかどにも女御にょうごにも、おくれきこえたまひて、はかばかしき御後見おほんうしろみの、てたるおはせざりければ、ざえなどふかくもえならひたまはず、まいて、なかみつく御心みこころおきては、いかでかはりたまはむ。たかひとこゆるなかにも、あさましうあてにおほどかなる、をんなのやうにおはすれば、ふる御宝物おほんたからもの祖父大臣おほぢおとど御処分おほんそうぶんなにやかやときすまじかりけれど、行方ゆくへもなくはかなくてて、御調度おほんてうどなどばかりなむ、わざとうるはしくておほかりける。

 まゐとぶらひきこえ、こころせたてまつるひともなし。つれづれなるままに、雅楽寮うたづかさものどもなどやうの、すぐれたるをせつつ、はかなきあそびにこころれて、でたまへれば、そのかたは、いとをかしうすぐれたまへり。

 源氏げんじ大殿おとど御弟おほんおとうとにおはせしを、冷泉院れいぜいゐん春宮とうぐうにおはしまししとき朱雀院すざくゐん大后おほぎさきの、よこさまおぼかまへて、このみやを、なかぎたまふべく、わが御時おほんとき、もてかしづきたてまつりけるさわぎに、あいなく、あなたざまの御仲おほんなからひには、さしはなたれたまひにければ、いよいよかのおほんつぎつぎになりてぬるにて、えじらひたまはず。また、このとしごろ、かかるひじりになりてて、いまかぎりと、よろづをおぼてたり。

 かかるほどに、みたまふみやけにけり。いとどしきに、あさましうあへなくて、うつろひみたまふべきところの、よろしきもなかりければ、宇治うぢといふところに、よしある山里やまざとたまへりけるにわたりたまふ。おもてたまへるなれども、いまはとはなれなむをあはれにおもさる。

 網代あじろのけはひちかく、みみかしかましきかはのわたりにて、しづかなるおもひにかなはぬかたもあれど、いかがはせむ。はな紅葉もみぢみづながれにも、こころをやる便たよりによせて、いとどしくながめたまふよりほかのことなし。かくもりぬる野山のやますゑにも、「むかしひとものしたまはましかば」と、おもひきこえたまはぬをりなかりけり。

ひと宿やどけぶりになりにしをなにとてわがのこりけむ」

 けるかひなくぞ、おぼがるるや。

いとど、山重なれる御住み処に

 いとど、やまかさなれる御住おほんすに、たづまゐひとなし。あやしき下衆げすなど、田舎ゐなかびたる山賤やまがつどものみ、まれにまゐつかうまつる。みね朝霧あさぎりるるをりなくて、かしらしたまふに、この宇治うぢやまに、ひじりだちたる阿闍梨あざりみけり。

 ざえいとかしこくて、のおぼえもかろからねど、をさをさ公事おほやけごとにもつかへず、もりゐたるに、このみやの、かくちかきほどにみたまひて、さびしきおほんさまに、たふときわざをせさせたまひつつ、法文ほふもんみならひたまへば、たふとがりきこえて、つねまゐる。

 としごろまなりたまへることどもの、ふかこころかせたてまつり、いよいよこののいとかりそめに、あぢきなきことをまうらすれば、

こころばかりははちすうへおもひのぼり、にごりなきいけにもみぬべきを、いとかくをさなひとびとを見捨みすてむうしろめたさばかりになむ、えひたみちに容貌かたちをもへぬ」

 など、へだてなく物語ものがたりしたまふ。

この阿闍梨は、冷泉院にも

 この阿闍梨あざりは、冷泉院れいぜいゐんにもおやしくさぶらひて、御経おほんきゃうなどをしへきこゆるひとなりけり。きゃうでたるついでにまゐりて、れいの、さるべきふみなど御覧ごらんじて、はせたまふこともあるついでに、

はちみやの、いとかしこく、内教ないけう御才おほんざえさとふかくものしたまひけるかな。さるべきにて、まれたまへるひとにやものしたまふらむ。こころふかおもましたまへるほど、まことのひじりのおきてになむえたまふ」とこゆ。

「いまだ容貌かたちへたまはずや。俗聖ぞくひじりとか、このわかひとびとのけたなる、あはれなることなり」などのたまはす。

 宰相中将さいしゃうのちうじゃうも、御前おまへにさぶらひたまひて、「われこそ、なかをばいとすさまじうおもりながら、おこなひなど、ひととどめらるばかりはつとめず、口惜くちをしくてぐしれ」と、ひとれずおもひつつ、「ぞくながらひじりになりたまふこころのおきてやいかに」と、みみとどめてきたまふ。

出家すけこころざしは、もとよりものしたまへるを、はかなきことにおもひとどこほり、いまとなりては、心苦こころぐるしき女子をんなごどもの御上おほんうへを、えおもてぬとなむ、なげきはべりたうぶ」とそうす。

 さすがに、ものめづる阿闍梨あざりにて、

「げに、はた、この姫君ひめぎみたちの、ことはせてあそびたまへる、川波かはなみにきほひてこえはべるは、いとおもしろく、極楽ごくらくおもひやられはべるや」

 と、古体こたいにめづれば、みかどほほみたまひて、

「さるひじりのあたりにでて、このかたざまは、たどたどしからむとはからるるを、をかしのことや。うしろめたく、おもてがたく、もてわづらひたまふらむを、もし、しばしもおくれむほどは、ゆづりやはしたまはぬ」

 などぞのたまはする。このゐんみかどは、じふ御子みこにぞおはしましける。朱雀院すざくゐんの、六条院ろくでうのゐんあづけきこえたまひし、入道宮にふだうのみやおほんれいおぼほしでて、「かのきみたちをがな。つれづれなるあそびがたきに」などうちおぼしけり。

中将の君、なかなか

 中将ちうじゃうきみ、なかなか、親王みこおもましたまへらむ御心みこころばへを、「対面たいめんして、たてまつらばや」とおもこころふかくなりぬる。さて阿闍梨あざりかへるにも、

「かならずまゐりて、ものならひきこゆべく、まづうちうちにも、けしきたまはりたまへ」

 などかたらひたまふ。

 みかどの、御言伝おほんことづてにて、「あはれなる御住おほんすまひを、人伝ひとづてにくこと」などこえたまうて、

いとこころやまにかよへども八重やへくもきみへだつる」

 阿闍梨あざり、この御使おほんつかひさきてて、かのみやまゐりぬ。なのめなるきはの、さるべきひと使つかだにまれなるやまかげに、いとめづらしく、ちよろこびたまうて、ところにつけたるさかななどして、さるかたにもてはやしたまふ。御返おほんかへし、

「あとえてこころむとはなけれども宇治うぢやま宿やどをこそれ」

 ひじりかたをば卑下ひげしてこえなしたまへれば、「なほ、うらのこりける」と、いとほしく御覧ごらんず。

 阿闍梨あざり中将ちうじゃうの、道心だうしんふかげにものしたまふなど、かたりきこえて、

法文ほふもんなどの心得こころえまほしきこころざしなむ、いはけなかりしよはひよりふかおもひながら、えさらずにありるほど、公私おほやけわたくしいとまなくらし、わざともりてならみ、おほかたはかばかしくもあらぬにしも、なかそむがほならむも、はばかるべきにあらねど、おのづからうちたゆみ、まぎらはしくてなむぐしるを、いとありがたきおほんありさまをうけたまはつたへしより、かくこころにかけてなむ、たのみきこえさする、など、ねむごろにまうしたまひし」などかたりきこゆ。

 みや

なかをかりそめのこととおもり、いとはしきこころのつきそむることも、わがうれへあるとき、なべてのうらめしうおもはじめありてなむ、道心だうしんこるわざなめるを、としわかく、なかおもふにかなひ、なにごともかぬことはあらじとおぼゆるのほどに、さはた、のちをさへ、たどりりたまふらむがありがたさ。

ここには、さべきにや、ただいとはなれよと、ことさらにほとけなどのすすめおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、しづかなるおもひかなひゆけど、のこすくなき心地ここちするに、はかばかしくもあらで、ぎぬべかめるを、かたすゑ、さらにたるところなくおもらるるを、かへりては、こころづかしげなるほふともにこそは、ものしたまふなれ」

 などのたまひて、かたみに御消息おほんせうそこかよひ、みづからもうでたまふ。

げに、聞きしよりもあはれに

 げに、きしよりもあはれに、まひたまへるさまよりはじめて、いとかりなるくさいほりに、おもひなし、ことそぎたり。おなじき山里やまざとといへど、さるかたにてこころとまりぬべく、のどやかなるもあるを、いとましきみづなみひびきに、ものわすれうちし、など、心解こころとけてゆめをだにるべきほどもなげに、すごくはらひたり。

ひじりだちたるおほんために、かかるしもこそ、こころとまらぬもよほしならめ、女君をんなぎみたち、なに心地ここちしてぐしたまふらむ。つねをんなしくなよびたるかたは、とほくや」とはからるるおほんありさまなり。

 ほとけ御隔おほんへだてに、障子さうじばかりをへだててぞおはすべかめる。こころあらむひとは、けしきばみりて、ひと御心みこころばへをもまほしう、さすがにいかがと、ゆかしうもあるおほんけはひなり。

 されど、「さるかたおもはなるるがんひに、やまふかたづねきこえたる本意ほいなく、きしきなほざりごとをうちであざればまむも、ことにたがひてや」などおもかへして、みやおほんありさまのいとあはれなるを、ねむごろにとぶらひきこえたまひ、たびたびまゐりたまひつつ、おもひしやうに、優婆塞うばそくながらやまふかこころ法文ほふもんなど、わざとさかしげにはあらで、いとよくのたまひらす。

 ひじりだつひとざえある法師ほふしなどは、おほかれど、あまりこはごはしう、気遠けどほげなる宿徳しうとく僧都そうづ僧正そうじゃうきはは、いとまなくきすくにて、もののこころひあらはさむも、ことことしくおぼえたまふ。

 また、そのひとならぬほとけ御弟子おほんでしの、むことをたもつばかりのたふとさはあれど、けはひいやしく言葉ことばたみて、こちなげにものれたる、いとものしくて、ひるは、公事おほやけごといとまなくなどしつつ、しめやかなるよひのほど、ちか御枕上おほんまくらがみなどにかたらひたまふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、いとあてに、心苦こころぐるしきさまして、のたまひづるも、おなほとけ御教おほんをしへへをも、みみちかきたとひにひきまぜ、いとこよなくふか御悟おほんさとりにはあらねど、よきひとは、もののこころたまふかたの、いとことにものしたまひければ、やうやうれたてまつりたまふたびごとに、つねたてまつらまほしうて、いとまなくなどしてほどときは、こひしくおぼえたまふ。

 このきみの、かくたふとがりきこえたまへれば、冷泉院れいぜいゐんよりも、つね御消息おほんせうそこなどありて、としごろ、にもをさをさこえたまはず、さびしげなりし御住おほんす、やうやう人目ひとめ時々ときどきあり。をりふしに、とぶらひきこえたまふこと、いかめしう、このきみも、まづさるべきことにつけつつ、をかしきやうにも、まめやかなるさまにも、こころつかうまつりたまふこと、三年さんねんばかりになりぬ。

秋の末つ方

 あきすゑかた四季しきにあててしたまふ御念仏おほんねんぶつを、この川面かはづらは、網代あじろなみも、このころはいとどみみかしかましくしづかならぬを、とて、かの阿闍梨あざりてらだううつろひたまひて、七日なぬかのほどおこなひたまふ。姫君ひめぎみたちは、いと心細こころぼそく、つれづれまさりてながめたまひけるころ、中将ちうじゃうきみひさしくまゐらぬかなと、おもできこえたまひけるままに、有明ありあけつきの、まだふかくさしづるほどにちて、いとしのびて、御供おほんともひとなどもなくて、やつれておはしけり。

 かはのこなたなれば、ふねなどもわづらはで、御馬おほんむまにてなりけり。りもてゆくままに、きりりふたがりて、みちえぬ繁木しげきなかけたまふに、いとましきかぜのきほひに、ほろほろとみだるるつゆりかかるも、いとやかに、ひとやりならずいたくれたまひぬ。かかるありきなども、をさをさならひたまはぬ心地ここちに、心細こころぼそくをかしくおもされけり。

やまおろしにへぬつゆよりもあやなくもろきわがなみだかな」

 山賤やまがつのおどろくもうるさしとて、随身ずいじんもせさせたまはず。しばまがきけて、そこはかとなきみづながれどもをみしだくこま足音あしおとも、なほ、しのびてと用意よういしたまへるに、かくれなき御匂おほんにほひぞ、かぜしたがひて、ぬしらぬとおどろく寝覚ねざめめの家々いへいへありける。

 ちかくなるほどに、そのことともかれぬものども、いとすごげにこゆ。「つねにかくあそびたまふとくを、ついでなくて、みや御琴おほんこと名高なだかきも、えかぬぞかし。よきをりなるべし」とおもひつつりたまへば、琵琶びはこゑひびきなりけり。「黄鐘調わうしきでう」に調しらべて、つねはせなれど、ところからにや、みみれぬ心地ここちして、かへばちも、ものきよげにおもしろし。さうこと、あはれになまめいたるこゑして、たえだえこゆ。

しばし聞かまほしきに

 しばしかまほしきに、しのびたまへど、おほんけはひしるくきつけて、宿直人とのゐびとめくをとこ、なまかたくなしき、たり。

「しかしかなむもりおはします。御消息おほんせうそこをこそこえさせめ」とまうす。

なにか。しかかぎりある御行おほんおこなひのほどを、まぎらはしきこえさせむにあいなし。かくまゐりて、いたづらにかへらむうれへを、姫君ひめぎみ御方おほんかたこえて、あはれとのたまはせばなむ、なぐさむべき」

 とのたまへば、みにくかほうちみて、

まうさせはべらむ」とてつを、

「しばしや」とせて、「としごろ、人伝ひとづてにのみきて、ゆかしくおも御琴おほんことどもを、うれしきをりかな。しばし、すこしたちかくれてくべきもののくまありや。つきなくさしぎてまゐらむほど、みなことやめたまひては、いと本意ほいなからむ」

 とのたまふ。おほんけはひ、顔容貌かほかたちの、さるなほなほしき心地ここちにも、いとめでたくかたじけなくおぼゆれば、

ひとかぬときは、れかくなむあそばせど、下人しもびとにても、みやこかたよりまゐり、ちまじるひとはべるときは、もせさせたまはず。おほかた、かくてをんなたちおはしますことをばかくさせたまひ、なべてのひとらせたてまつらじと、おぼしのたまはするなり」

 とまうせば、うちひて、

「あぢきなきおほんものかくしなり。しかしのびたまふなれど、皆人みなひと、ありがたきれいに、づべかめるを」とのたまひて、「なほ、しるべせよ。われは、きしきこころなど、なきひとぞ。かくておはしますらむおほんありさまの、あやしく、げに、なべてにおぼえたまはぬなり」

 とこまやかにのたまへば、

「あな、かしこ。こころなきやうに、のちこえやはべらむ」

 とて、あなたの御前おまへは、たけ透垣すいがいしこめて、みなへだてことなるを、をしせたてまつれり。御供おほんともひとは、西にしらうゑて、この宿直人とのゐびとあひしらふ。

あなたに通ふべかめる透垣の戸を

 あなたにかよふべかめる透垣すいがいを、すこしけてたまへば、つきをかしきほどにきりりわたれるをながめて、すだれみじかうへげて、ひとびとゐたり。簀子すのこに、いとさむげに、ほそえばめる童女わらはべ一人ひとりおなじさまなる大人おとななどゐたり。うちなるひと一人ひとりはしらすくしゐかくれて、琵琶びはまへきて、ばちまさぐりにしつつゐたるに、くもかくれたりつるつきの、にはかにいとくさしでたれば、

あふぎならで、これしても、つきまねきつべかりけり」

 とて、さしのぞきたるかほ、いみじくらうたげににほひやかなるべし。

 したるひとは、ことうへかたぶきかかりて、

かへばちこそありけれ、さまことにもおもおよびたまふ御心みこころかな」

 とて、うちひたるけはひ、いますくおもりかによしづきたり。

およばずとも、これもつきはなるるものかは」

 など、はかなきことを、うちけのたまひはしたるけはひども、さらによそにおもひやりしにはず、いとあはれになつかしうをかし。

昔物語むかしものがたりなどにかたつたへて、わか女房にょうばうなどのむをもくに、かならずかやうのことをひたる、さしもあらざりけむ」と、にくはからるるを、「げに、あはれなるもののくまありぬべきなりけり」と、こころうつりぬべし。

 きりふかければ、さやかにゆべくもあらず。また、つきさしでなむとおもすほどに、おくかたより、「ひとおはす」とげきこゆるひとやあらむ、すだれしたろしてみなりぬ。おどろきがほにはあらず、なごやかにもてなして、やをらかくれぬるけはひども、きぬもせず、いとなよよかに心苦こころぐるしくて、いみじうあてにみやびかなるを、あはれとおもひたまふ。

 やをらでて、きゃうに、御車みくるままゐるべく、ひとはしらせつ。ありつるさぶらひに、

をりしくまゐりはべりにけれど、なかなかうれしく、おもふことすこしなぐさめてなむ。かくさぶらふよしこえよ。いたうれにたるかこともこえさせむかし」

 とのたまへば、まゐりてこゆ。

かく見えやしぬらむとは

 かくえやしぬらむとはおぼしもらで、うちとけたりつることどもを、きやしたまひつらむと、いといみじくづかし。あやしく、うばしくにほかぜきつるを、おもひかけぬほどなれば、「おどろかざりけるこころおそさよ」と、こころまどひて、ぢおはさうず。

 御消息おほんせうそこなどつたふるひとも、いとうひうひしきひとなめるを、「をりからにこそ、よろづのことも」とおもいて、まだきりまぎれなれば、ありつる御簾みすまへあゆでて、ついゐたまふ。

 山里やまざとびたる若人わかうどどもは、さしいらへむもおぼえで、御茵おほんしとねさしづるさまも、たどたどしげなり。

「この御簾みすまへには、はしたなくはべりけり。うちつけにあさこころばかりにては、かくもたづまゐるまじきやまのかけおもうたまふるを、さまことにこそ。かくつゆけきたびかさねては、さりとも、御覧ごらんるらむとなむ、たのもしうはべる」

 と、いとまめやかにのたまふ。

 わかひとびとの、なだらかにものこゆべきもなく、かへりかかやかしげなるも、かたはらいたければ、をんなばらのおくふかきをこしづるほど、ひさしくなりて、わざとめいたるもくるしうて、

なにごともおもらぬありさまにて、がほにも、いかばかりかは、こゆべく」

 と、いとよしあり、あてなるこゑして、ひきりながらほのかにのたまふ。

「かつりながら、きをらずがほなるも、のさがとおもうたまへるを、一所ひとところしも、あまりおぼめかせたまふらむこそ、口惜くちをしかるべけれ。ありがたう、よろづをおもましたる御住おほんすまひなどに、たぐひきこえさせたまふ御心みこころのうちは、なにごともすずしくはかられはべれば、なほ、かくしのびあまりはべるふかあささのほども、かせたまはむこそ、かひははべらめ。

つねきしきすぢには、おぼしめしはなつべくや。さやうのかたは、わざとすすむるひとはべりとも、なびくべうもあらぬこころつよさになむ。

おのづからこしめしはするやうもはべりなむ。つれづれとのみぐしはべる物語ものがたりも、こえさせところたのみきこえさせ、またかく、はなれて、ながめさせたまふらむ御心みこころまぎらはしには、さしも、おどろかせたまふばかりこえれはべらば、いかにおもふさまにはべらむ」

 など、おほくのたまへば、つつましく、いらへにくくて、こしつるひとたるにぞ、ゆづりたまふ。

たとしへなくさし過ぐして

 たとしへなくさしぐして、

「あな、かたじけなや。かたはらいたき御座おましのさまにもはべるかな。御簾みすうちにこそ。わかひとびとは、もののほどらぬやうにはべるこそ」

 など、したたかにこゑのさだすぎたるも、かたはらいたくきみたちはおもす。

「いともあやしく、なかまひたまふひとかずにもあらぬおほんありさまにて、さもありぬべきひとびとだに、とぶらひかずまへきこえたまふも、こえずのみなりまさりはべるめるに、ありがたき御心みこころざしのほどは、かずにもはべらぬこころにも、あさましきまでおもひたまへはべるを、わか御心地みここちにもおぼりながら、こえさせたまひにくきにやはべらむ」

 と、いとつつみなくものれたるも、なまにくきものから、けはひいたうひとめきて、よしあるこゑなれば、

「いとたづきもらぬ心地ここちしつるに、うれしきおほんけはひにこそ。なにごとも、げに、おもりたまひけるたのみ、こよなかりけり」

 とて、たまへるを、几帳きちゃうそばよりれば、あけぼの、やうやうものいろかるるに、げに、やつしたまへるとゆる狩衣かりぎぬ姿すがたの、いとれしめりたるほど、「うたて、このほかにほひにや」と、あやしきまでかをちたり。

この老い人はうち泣きぬ

 このひとはうちきぬ。

「さしぎたるつみもやと、おもうたまへしのぶれど、あはれなるむかし御物語おほんものがたりの、いかならむついでにうちこえさせ、片端かたはしをも、ほのめかしろしめさせむと、としごろ念誦ねんずのついでにも、うちおもうたまへわたるしるしにや、うれしきをりにはべるを、まだきにおぼほれはべるなみだにくれて、えこそこえさせずはべりけれ」

 と、うちわななくけしき、まことにいみじくものかなしとおもへり。

 おほかた、さだぎたるひとは、なみだもろなるものとはきたまへど、いとかうしもおもへるも、あやしうなりたまひて、

「ここに、かくまゐるをば、たびかさなりぬるを、かくあはれりたまへるひともなくてこそ、つゆけきみちのほどに、ひとりのみそほちつれ。うれしきついでなめるを、のこいたまひそかし」とのたまへば、

「かかるついでしも、はべらじかし。また、はべりとも、のほどらぬいのちの、たのむべきにもはべらぬを。さらば、ただ、かかる古者ふるものにはべりけりとばかり、ろしめされはべらなむ。

三条さんでうみやにはべりし小侍従こじじう、はかなくなりはべりにけると、ほのきはべりし。そのかみ、むつましうおもうたまへしおなじほどのひとおほせはべりにけるすゑに、はるかなる世界せかいよりつたはりまうでて、このろくとしのほどなむ、これにかくさぶらひはべる。

ろしめさじかし。このころ、藤大納言とうだいなごんまうすなる御兄おほんせうとの、右衛門督ゑもんのかみにてかくれたまひにしは、もののついでなどにや、かの御上おほんうへとて、こしめしつたふることもはべらむ。

ぎたまひて、いくばくもへだたらぬ心地ここちのみしはべる。そのをりかなしさも、まだそでかはをりはべらずおもうたまへらるるを、かくおとなしくならせたまひにける御齢おほんよはひのほども、ゆめのやうになむ。

かの権大納言ごんのだいなごん御乳母おほんめのとにはべりしは、べんははになむはべりし。朝夕あさゆふつかうまつりれはべりしに、人数ひとかずにもはべらぬなれど、ひとらせず、御心みこころよりはたあまりけることを、折々をりをりうちかすめのたまひしを、いまかぎりになりたまひにし御病おほんやまひすゑかたに、せて、いささかのたまひくことなむはべりしを、こしめすべきゆゑなむ、ひとことはべれど、かばかりこえではべるに、のこりをとおぼしめす御心みこころはべらば、のどかになむ、こしめしてはべるべき。わかひとびとも、かたはらいたく、さしぎたりと、つきじろひはべるも、ことわりになむ」

 とて、さすがにうちでずなりぬ。

 あやしく、夢語ゆめがたりり、巫女みこやうのものの、はずかたりすらむやうに、めづらかにおもさるれど、あはれにおぼつかなくおぼしわたることのすぢこゆれば、いとおくゆかしけれど、げに、人目ひとめもしげし、さしぐみにふる物語ものがたりにかかづらひて、かしてむも、こちごちしかるべければ、

「そこはかとおもくことは、なきものから、いにしへのことときはべるも、ものあはれになむ。さらば、かならずこののこかせたまへ。きりれゆかば、はしたなかるべきやつれを、おもてなく御覧ごらんじとがめられぬべきさまなれば、おもうたまふるこころのほどよりは、口惜くちをしうなむ」

 とて、ちたまふに、かのおはしますてらかねこゑ、かすかにこえて、きりいとふかくたちわたれり。

峰の八重雲、思ひやる隔て多く

 みね八重やへくもおもひやるへだおほく、あはれなるに、なほ、この姫君ひめぎみたちの御心みこころのうちども心苦こころぐるしう、「なにごとをおぼのこすらむ。かく、いとおくまりたまへるも、ことわりぞかし」などおぼゆ。

「あさぼらけいへえずたづまき尾山をやまきりこめてけり

心細こころぼそくもはべるかな」

 と、かへりやすらひたまへるさまを、みやこひとれたるだに、なほ、いとことにおもひきこえたるを、まいて、いかがはめづらしうきこえざらむ。御返おほんかへこえつたへにくげにおもひたれば、れいの、いとつつましげにて、

くものゐるみねのかけあききりのいとどへだつるころにもあるかな」

 すこしうちなげいたまへるけしき、あさからずあはれなり。

 なにばかりをかしきふしはえぬあたりなれど、げに、心苦こころぐるしきことおほかるにも、うなりゆけば、さすがにひたおもてなる心地ここちして、

「なかなかなるほどに、うけたまはりさしつることおほかるのこりは、いますこしおもてれてこそは、うらみきこえさすべかめれ。さるは、かくひとめいて、もてなしたまふべくは、おもはずに、ものおぼかざりけりと、うらめしうなむ」

 とて、宿直人とのゐびとがしつらひたる西面にしおもてにおはして、ながめたまふ。

網代あじろは、ひとさわがしげなり。されど、氷魚ひをらぬにやあらむ。すさまじげなるけしきなり」

 と、御供おほんともひとびとりてふ。

「あやしきふねどもに、柴刈しばかりみ、おのおのなにとなきいとなみどもに、ふさまどもの、はかなきみづうへかびたる、れもおもへばおなじことなる、つねなさなり。われはかばず、たまうてなしづけきと、おもふべきかは」とおもつづけらる。

 すずりして、あなたにこえたまふ。

橋姫はしひめこころみてたかさすさをのしづくにそでれぬる

ながめたまふらむかし」

 とて、宿直人とのゐびとたせたまへり。いとさむげに、いららぎたるかほしてまゐる。御返おほんかへり、かみなど、おぼろけならむづかしげなるを、きをこそかかるをりには、とて、

「さしかへる宇治うぢ河長かはをさ朝夕あさゆふのしづくやそでたしつらむ

さへきて」

 と、いとをかしげにきたまへり。「まほにめやすくもものしたまひけり」と、こころとまりぬれど、

御車みくるままゐりぬ」

 と、ひとびとさわがしきこゆれば、宿直人とのゐびとばかりをせて、

かへりわたらせたまはむほどに、かならずまゐるべし」

 などのたまふ。れたる御衣おほんぞどもは、みなこのひとぎかけたまひて、りにつかはしつる御直衣おほんなほしにたてまつりかへつ。

老い人の物語、心にかかりて

 ひと物語ものがたりこころにかかりておぼでらる。おもひしよりは、こよなくまさりて、をかしかりつるおほんけはひども、面影おもかげひて、「なほ、おもはなれがたきなりけり」と、こころよわおもらる。

 御文おほんふみたてまつりたまふ。懸想けさうだちてもあらず、しろ色紙しきし厚肥あつごえたるに、ふでひきつくろひりて、すみつき見所みどころありてきたまふ。

「うちつけなるさまにやと、あいなくとどめはべりて、のこおほかるもくるしきわざになむ。片端かたはしこえおきつるやうに、いまよりは、御簾みすまへも、こころやすくおぼゆるすべくなむ。御山籠みやまごもりてはべらむ日数ひかずうけたまはりおきて、いぶせかりしきりまよひも、はるけはべらむ」

 などぞ、いとすくよかにきたまへる。左近将監さこんのぞうなるひと御使おほんつかひにて、

「かのひとたづねて、ふみらせよ」

 とのたまふ。宿直人とのゐびとさむげにてさまよひしなど、あはれにおぼしやりて、おほきなる桧破籠ひわりごやうのもの、あまたせさせたまふ。

 またの、かの御寺みてらにもたてまつりたまふ。「山籠やまごもりもりのそうども、このころのあらしには、いと心細こころぼそくるしからむを、さておはしますほどの布施ふせたまふべからむ」とおぼしやりて、きぬ綿わたなどおほかりけり。

 御行おほんおこなてて、でたまふあさなりければ、おこなひとどもに、綿わたきぬ袈裟けさきぬなど、すべて一領ひとくだりのほどづつ、あるかぎりの大徳だいとこたちにたまふ。

 宿直人とのゐびとが、御脱おほんぬての、えんにいみじきかり御衣おほんぞども、えならぬしろあや御衣おほんぞの、なよなよといひらずにほへるを、うつて、をはた、えへぬものなれば、つかはしからぬそでを、ひとごとにとがめられ、めでらるるなむ、なかなか所狭ところせかりける。

 こころにまかせて、をやすくもはれず、いとむくつけきまで、ひとのおどろくにほひを、ひてばやとおもへど、所狭ところせひと御移おほんうつにて、えもすすぎてぬぞ、あまりなるや。

君は、姫君の御返りこと

 きみは、姫君ひめぎみ御返おほんかへりこと、いとめやすくめかしきを、をかしくたまふ。みやにも、「かく御消息おほんせうそこありき」など、ひとびとこえさせ、御覧ごらんぜさすれば、

なにかは。懸想けさうだちてもてないたまはむも、なかなかうたてあらむ。れい若人わかうど御心みこころばへなめるを、からむのちもなど、一言ひとことうちほのめかしてしかば、さやうにて、こころぞとめたらむ」

 などのたまうけり。おほんみづからも、さまざまのおほんとぶらひの、やま岩屋いはやにあまりしことなどのたまへるに、うでむとおぼして、「さんみやの、かやうにおくまりたらむあたりの、まさりせむこそ、をかしかるべけれと、あらましごとにだにのたまふものを、こえはげまして、御心みこころさわがしたてまつらむ」とおぼして、のどやかなる夕暮ゆふぐれまゐりたまへり。

 れいの、さまざまなる御物語おほんものがたりこえはしたまふついでに、宇治うぢみやおほんことかたでて、あかつきのありさまなど、くはしくこえたまふに、みや、いとせちにをかしとおもいたり。

 さればよと、おほんけしきをて、いとど御心みこころうごきぬべくつづけたまふ。

「さて、そのありけむかへりことは、などかせたまはざりし。まろならましかば」とうらみたまふ。

「さかし。いとさまざま御覧ごらんずべかめるはしをだに、せさせたまはぬ。かのわたりは、かくいともうづれたるに、ひきめてやむべきけはひにもはべらねば、かならず御覧ごらんぜさせばや、とおもひたまふれど、いかでかたづらせたまふべき。かやすきほどこそ、かまほしくは、いとよくきぬべきにはべりけれ。うちかくろへつつおほかめるかな。

さるかたに見所みどころありぬべきをんなの、ものおもはしき、うちしのびたるども、山里やまざとめいたるくまなどに、おのづからはべべかめり。このこえさするわたりは、いとづかぬひじりざまにて、こちごちしうぞあらむ、としごろ、おもひあなづりはべりて、みみをだにこそ、とどめはべらざりけれ。

ほのかなりし月影つきかげおとりせずは、まほならむはや。けはひありさま、はた、さばかりならむをぞ、あらまほしきほどとは、おぼえはべるべき」

 などこえたまふ。

 ては、まめだちていとねたく、「おぼろけのひとこころうつるまじきひとの、かくふかおもへるを、おろかならじ」と、ゆかしうおもすこと、かぎりなくなりたまひぬ。

「なほ、またまた、よくけしきたまへ」

 と、ひとすすめたまひて、かぎりある御身おほんみのほどのよだけさを、いとはしきまで、こころもとなしとおぼしたれば、をかしくて、

「いでや、よしなくぞはべる。しばし、なかこころとどめじとおもうたまふるやうあるにて、なほざりごともつつましうはべるを、こころながらかなはぬこころつきそめなば、おほきにおもひにたがふべきことなむ、はべるべき」

 とこえたまへば、

「いで、あな、ことことし。れいの、おどろおどろしき聖言葉ひじりことば見果みはててしがな」

 とてひたまふ。こころのうちには、かの古人ふるびとのほのめかししすぢなどの、いとどうちおどろかれて、ものあはれなるに、をかしとることも、めやすしとくあたりも、なにばかりこころにもとまらざりけり。

十月になりて、五、六日のほどに

 十月じふがつになりて、六日ろくにちのほどに、宇治うぢうでたまふ。

網代あじろをこそ、このころは御覧ごらんぜめ」と、こゆるひとびとあれど、

なにか、その蜉蝣ひをむしあらそこころにて、網代あじろにもらむ」

 と、そぎてたまひて、れいの、いとしのびやかにてちたまふ。かろらかに網代車あじろぐるまにて、かとりの直衣なほし指貫さしぬきはせて、ことさらびたまへり。

 みやよろこびたまひて、ところにつけたる御饗応おほんあるじなど、をかしうしなしたまふ。れぬれば、大殿油おほんとなぶらちかくて、さきざきさしたまへるふみどものふかきなど、阿闍梨あざりさうじおろして、などはせたまふ。

 うちもまどろまず、川風かはかぜのいとらましきに、りかふみづひびきなど、あはれもぎて、ものおそろしく心細こころぼそところのさまなり。

 かたちかくなりぬらむとおもふほどに、ありししののめおもでられて、ことのあはれなることのついでつくでて、

「さきのたびの、きりまどはされはべりしあけぼのに、いとめづらしきもの一声ひとこゑうけたまはりしのこりなむ、なかなかにいといぶかしう、かずおもうたまへらるる」などこえたまふ。

いろをもをもおもててしのちむかしきしこともみなわすれてなむ」

 とのたまへど、ひとして、ことせて、

「いとつきなくなりにたりや。しるべするものにつけてなむ、おもでらるべかりける」

 とて、琵琶びはして、客人まらうとにそそのかしたまふ。りて調しらべたまふ。

「さらに、ほのかにきはべりしおなじものともおもうたまへられざりけり。御琴おほんことひびきからにやとこそ、おもうたまへしか」

 とて、心解こころとけてもきたてたまはず。

「いで、あな、さがなや。しか御耳おほんみみとまるばかりのなどは、何処いづこよりかここまではつたはりむ。あるまじきおほんことなり」

 とて、きんきならしたまへる、いとあはれにこころすごし。かたへは、みね松風まつかぜのもてはやすなるべし。いとたどたどしげにおぼめきたまひて、こころばへあり。ひとつばかりにてやめたまひつ。

このわたりに、おぼえなくて

「このわたりに、おぼえなくて、折々をりをりほのめくさうことこそ、心得こころえたるにや、とをりはべれど、こころとどめてなどもあらで、ひさしうなりにけりや。こころにまかせて、おのおのきならすべかめるは、川波かはなみばかりや、はすらむ。ろんなう、ものもちにすばかりの拍子ひゃうしなども、とまらじとなむ、おぼえはべる」とて、「らしたまへ」

 と、あなたにこえたまへど、「おもらざりしひとを、きたまひけむだにあるものを、いとかたはならむ」とひきりつつ、みなきたまはず。たびたびそそのかしたまへど、とかくこえすさびて、やみたまひぬめれば、いと口惜くちをしうおぼゆ。

 そのついでにも、かくあやしう、づかぬおもひやりにてぐすありさまどもの、おもひのほかなることなど、づかしうおもいたり。

ひとにだにいかでらせじと、はぐくみぐせど、今日けふ明日あすともらぬのこすくなさに、さすがに、すゑとほひとは、ちあふれてさすらへむこと、これのみこそ、げに、はなれむきはのほだしなりけれ」

 と、うちかたらひたまへば、心苦こころぐるしうたてまつりたまふ。

「わざとの御後見おほんうしろみだち、はかばかしきすぢにははべらずとも、うとうとしからずおぼしめされむとなむおもうたまふる。しばしもながらへはべらむいのちのほどは、一言ひとことも、かくうちこえさせてむさまを、たがへはべるまじくなむ」

 などまうしたまへば、「いとうれしきこと」と、おぼしのたまふ。

さて、暁方の、宮の御行ひ

 さて、暁方あかつきがたの、みや御行おほんおこなひしたまふほどに、かのひとでて、ひたまへり。

 姫君ひめぎみ御後見おほんうしろみにてさぶらはせたまふ、べんきみとぞいひける。としろくじふにすこしらぬほどなれど、みやびかにゆゑあるけはひして、ものなどこゆ。

 権大納言ごんのだいなごんきみの、とともにものをおもひつつ、やまひづき、はかなくなりたまひにしありさまを、こえでて、くことかぎりなし。

「げに、よそのひとうへかむだに、あはれなるべき古事ふるごとどもを、まして、としごろおぼつかなく、ゆかしう、いかなりけむことのはじめにかと、ほとけにも、このことをさだかにらせたまへと、ねんじつるげんにや、かくゆめのやうにあはれなる昔語むかしがたりを、おぼえぬついでにきつけつらむ」とおもすに、なみだとどめがたかりけり。

「さても、かく、そのこころりたるひとのこりたまへりけるを。めづらかにもづかしうもおぼゆることのすぢに、なほ、かくつたふるたぐひや、またもあらむ。としごろ、かけてもおよばざりける」とのたまへば、

小侍従こじじうべんはなちて、またひとはべらじ。一言ひとことにても、また異人ことびとにうちまねびはべらず。かくものはかなく、かずならぬのほどにはべれど、夜昼よるひるかの御影おほんかげに、つきたてまつりてはべりしかば、おのづからもののけしきをもたてまつりそめしに、御心みこころよりあまりておぼしける時々ときどき、ただ二人ふたりなかになむ、たまさかの御消息おほんせうそこかよひもはべりし。かたはらいたければ、くはしくこえさせず。

いまはのとぢめになりたまひて、いささかのたまひくことのはべりしを、かかるには、ところなく、いぶせくおもうたまへわたりつつ、いかにしてかはこしめしつたふべきと、はかばかしからぬ念誦ねんずのついでにも、おもうたまへつるを、ほとけにおはしましけり、となむおもうたまへりぬる。

御覧ごらんぜさすべきものもはべり。いまは、なにかは、きもてはべりなむ。かく朝夕あさゆふえをらぬの、うちてはべりなば、るやうもこそと、いとうしろめたくおもうたまふれど、このみやわたりにも、時々ときどき、ほのめかせたまふを、でたてまつりてしは、すこしたのもしく、かかるをりもやと、ねんじはべりつるちからでまうでてなむ。さらに、これは、こののことにもはべらじ」

 と、く、こまかに、まれたまひけるほどのことも、よくおぼえつつこゆ。

空しうなりたまひし騷ぎに

そらしうなりたまひしさわぎに、ははにはべりしひとは、やがてやまひづきて、ほどもかくれはべりにしかば、いとどおもうたまへしづみ、藤衣ふぢごろもたちかさね、かなしきことをおもうたまへしほどに、としごろ、よからぬひとこころをつけたりけるが、ひとをはかりごちて、西にしうみてまでりもてまかりにしかば、きゃうのことさへあとえて、そのひともかしこにてせはべりにしのちじふとしあまりにてなむ、あらぬ心地ここちして、まかりのぼりたりしを、このみやは、父方ちちかたにつけて、わらはよりまゐかよふゆゑはべりしかば、いまはかうじらふべきさまにもはべらぬを、冷泉院れいぜいゐん女御殿にょうごどの御方おほんかたなどこそは、むかしれたてまつりしわたりにて、まゐるべくはべりしかど、はしたなくおぼえはべりて、えさしではべらで、ふかやまかくれのになりにてはべるなり。

小侍従こじじうは、いつかせはべりにけむ。そのかみの、わかさかりとはべりしひとは、かずすくなくなりはべりにけるすゑに、おほくのひとおくるるいのちを、かなしくおもひたまへてこそ、さすがにめぐらひはべれ」

 などこゆるほどに、れいの、てぬ。

「よし、さらば、この昔物語むかしものがたりきすべくなむあらぬ。また、ひとかぬこころやすきところにてこえむ。侍従じじうといひしひとは、ほのかにおぼゆるは、いつつ、つばかりなりしほどにや、にはかにむねやまひみてせにきとなむく。かかる対面たいめんなくは、つみおもにてぎぬべかりけること」などのたまふ。

ささやかにおし巻き合はせたる反故

 ささやかにおしはせたる反故ほぐどもの、黴臭かびくさきをふくろれたる、でてたてまつる。

御前おまへにてはせたまへ。われ、なほくべくもあらずなりにたりとのたまはせて、この御文おほんふみつどめて、たまはせたりしかば、小侍従こじじうに、またあひはべらむついでに、さだかにつたまゐらせむ、とおもうたまへしを、やがてわかれはべりにしも、私事わたくしごとには、かずかなしうなむ、おもうたまふる」

 とこゆ。つれなくて、これはかくいたまひつ。

「かやうの古人ふるびとは、はずかたりにや、あやしきことのれいづらむ」とくるしくおもせど、「かへすがへすも、らさぬよしをちかひつる、さもや」と、またおもみだれたまふ。

 御粥おほんかゆ強飯こはいひなどまゐりたまふ。「昨日きのふは、暇日いとまびなりしを、今日けふは、内裏うち御物忌おほんものいみきぬらむ。ゐん女一をんないちみやなやみたまふおほんとぶらひに、かならずまゐるべければ、かたがたいとまなくはべるを、またこのころぐして、やま紅葉もみぢらぬさきにまゐるべき」よし、こえたまふ。

「かく、しばしばらせたまふひかりに、やまかげも、すこしものらむる心地ここちしてなむ」

 など、よろこびこえたまふ。

帰りたまひて、まづこの袋を

 かへりたまひて、まづこのふくろたまへば、から浮線綾ふせんりゃうひて、「じゃう」といふ文字もじうへきたり。ほそくみして、くちかたひたるに、かの御名おほんなふうつきたり。くるもおそろしうおぼえたまふ。

 色々いろいろかみにて、たまさかにかよひける御文おほんふみかへりこと、いつつ、つぞある。さては、かの御手おほんてにて、やまひおもかぎりになりにたるに、またほのかにもこえむことかたくなりぬるを、ゆかしうおもふことはひにたり、御容貌おほんかたちりておはしますらむが、さまざまかなしきことを、陸奥紙みちのくにがみ六枚ろくまいに、つぶつぶと、あやしきとりあとのやうにきて、

まへにこのそむきみよりもよそにわかるるたましひかなしき」

 また、はしに、

「めづらしくきはべる二葉ふたばのほども、うしろめたうおもうたまふるかたはなけれど、

いのちあらばそれともましひとれぬ岩根いはねにとめしまつすゑ

 きさしたるやうに、いとみだりがはしうて、「小侍従こじじうきみに」とうへにはきつけたり。

 紙魚しみといふむしになりて、ふるめきたる黴臭かびくささながら、あとえず、ただいまきたらむにもたがはぬどもの、こまごまとさだかなるをたまふに、「げに、りたらましよ」と、うしろめたう、いとほしきことどもなり。

「かかること、にまたあらむや」と、こころひとつにいとどものおもはしさひて、内裏うちまゐらむとおぼしつるも、たれず。みや御前おまへまゐりたまへれば、いと何心なにごころもなく、わかやかなるさましたまひて、きゃうみたまふを、ぢらひて、もてかくしたまへり。「なにかは、りにけりとも、られたてまつらむ」など、こころめて、よろづにおもひゐたまへり。

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