発心集「蓮花城入水の事」原文・語釈・現代語訳
近きころ、蓮花城といひて
原文
近きころ、蓮花城といひて、人に知られたる聖ありき。登蓮法師あひ知りて、ことにふれ情をかけつつ過ぎけるほどに、年ごろありて、この聖の言ひけるやうは、
「今は、年にそへつつ弱くなりまかれば、死期の近づくこと疑ふべからず。終はり正念にてまかりかくれんこと、極まれる望みにてはべるを、心の澄む時、入水をして終はり取らんとはべる」
と言ふ。
語釈
- 蓮花城:伝未詳。『百錬抄』の安元2年(1176年)8月15日条に、「上人十一人入水す。其の中に蓮華浄上人と称する者、発起たり」とあり、同一人物と考えられている。
- 登蓮法師:生没年未詳。長明の歌の師、俊恵が開いた歌林苑の歌人。長寛2年(1164年)~治承2年(1178年)頃に歌合に登場する。
- 正念:乱れのない正常な心。
- 入水:水中に身を投げて死ぬこと。
現代語訳
近ごろ、蓮花城といって、人によく知られている聖人がいた。登蓮法師は知り合いで、何かにつけて世話を焼きながら過ごしているうちに、何年か経ったある日、この聖人が言うことには、
「今は年を添えるにつれて弱ってまいりましたので、死期が近づいていることは疑いようもありません。臨終は乱れのない心で姿を隠すことが、極めての望みでありますので、心が澄んでいる時に、入水をして臨終を迎えたいと思っております」
と言う。
登蓮聞き驚きて、
原文
登蓮聞き驚きて、
「あるべきことにもあらず。今一日なりとも、念仏の功を積まんとこそ願はるべけれ。さやうの行は、愚痴なる人のする業なり」
と言ひて、諫めけれど、さらにゆるぎなく思ひかためたることと見えければ、「かく、これほど思ひ取られたらんに至りては、留むるに及ばず。さるべきにこそあらめ」とて、そのほどの用意なんど、力を分けてもろともに沙汰しけり。
語釈
- 愚痴:⦅仏教語⦆三毒の一つ。無知で道理をわきまえないこと。
- 力を分く:協力する。
- 沙汰す:手配する。
現代語訳
登蓮は聞いて驚き、
「あってはならないことです。あと一日であっても、念仏の功を積もうと願うべきです。そのような行いは、無知な愚か者がすることです」
と言って諫めたが、まったくゆるぎなく思いを固めていることと見えたので、「こうも、これほど覚悟を決めるまでに至ったのでは、留めることもできない。そうなるべき宿命であったのだろう」と思って、その入水の用意など、力を貸してあれこれと手配した。
つひに、桂川の深き所に至りて
原文
つひに、桂川の深き所に至りて、念仏高く申し、時経て水の底に沈みぬ。その時、聞き及ぶ人市のごとく集まりて、しばらくは貴み、悲しぶこと限りなし。登蓮は年ごろ見なれたりつるものをと、あはれに覚えて、涙を押さへつつ帰りにけり。
語釈
- 桂川:京都の西南部を流れる川。入水の他、水刑も多く行われた。
現代語訳
ついに、桂川の深い所に至って、念仏を高らかに唱え、しだいに水の底へ沈んでいった。その時、うわさを聞きつけた人々が市場のように集まり、しばらくの間は崇め敬い、悲しむこと限りなかった。登蓮は長年にわたって親しくしていた者をと、ひどく悲しく思われて、涙を押さえながら帰っていった。
かくて日ごろ経るままに
原文
かくて日ごろ経るままに、登蓮物の怪めかしき病をす。あたりの人あやしく思ひて、こととしけるほどに、霊あらはれて、ありし蓮花城と名のりければ、
「このこと、げにと覚えず。年ごろあひ知りて、終はりまでさらに恨みらるべきことなし。いはんや発心のさまなほざりならず、貴くて終はりたまひしにあらずや。かたがた何の故にや、思はぬさまにて来たるらん」
と言ふ。
語釈
- こととし【言疾く】:うわさがやかましい。
- げに【実に】:まったく。
- 発心:菩薩の心を起こすこと。決心。発起。
- なほざり:いいかげん。おろそか。
現代語訳
こうして何日か経ったころ、登蓮は物の怪に取りつかれたような病におかされた。周りの人は不思議に思って、うわさが広がっていくうちに、霊が現れて、ありし日の蓮花城だと名乗ったので、登蓮は、
「恨まれるようなことはまったく覚えがない。何年も親交があって、終わりまで何も恨まれるようなことはないはずだ。それに入水を発起された心はいいかげんなものではなく、尊く臨終されたのではなかったか。いずれにしても何の理由があって、思いもよらない姿で現れたのか」
と言う。
物の怪の言ふやう
原文
物の怪の言ふやう、
「そのことなり。よく制したまひしものを、我が心のほどを知らで、いひがひなき死にをしてはべり。さばかり人のためのことにもあらねば、その際にて思ひ返すべしとも覚えざりしかど、いかなる天魔のしわざにてありけん、まさしく水に入らんとせし時、たちまちにくやしくなんなりてはべりし。
語釈
- 制す:とめる。押さえる。制止する。
- いひがひなし【言ひ甲斐なし】:つまらない。みっともない。
- 天魔:⦅仏教語⦆欲界の魔王。人の知恵や善根を鈍らせ、正しい仏の教えを妨害する悪魔。
- くやし【悔し】:後悔せずにいられない。
現代語訳
物の怪が言うには、
「そのことなんです。私の入水を強く制してくださったのに、私は自分の決心の程度も知らないで、つまらない死に方をしてしまいました。特に人に言われてしたことでもないので、その死に際になって思いがひっくり返るだろうとは思いもしませんでしたが、いかなる天魔のしわざでありましょうか、まさしく水に入ろうとした時、急に後悔の念が押し寄せて来たのでありました。
されども、さばかりの人中に
原文
されども、さばかりの人中に、いかにして我が心と思ひ返さん。『あはれ、ただ今制したまへかし』と思ひて、目を見合はせたりしかど、知らぬ顔にて、『今は疾く疾く』ともよほして、沈みてん恨めしさに、何の往生のことも覚えず、すずろなる道に入りてはべるなり。このこと、わが愚かなる過なれば、人を恨み申すべきならねど、最期に口惜しと思ひし一念によりて、かく詣で来たるなり」
と言ひけり。
語釈
- 人中:大衆の中。
- 往生:⦅仏教語⦆この世を去り浄土に生まれること。死ぬこと。
- すずろ:思いがけないさま。不本意だ。
- 口惜し:物足りない。
現代語訳
しかし、あれほどの大衆の中で、どうして我が決心をひっくり返せましょうか。『ああ、今こそ制してくださいませ』と思い、登蓮様に視線を合わせたりしたのですが、気づかぬ顔でしたので、『今は早く早く』と自分を急かして沈んでしまった恨めしさから、往生への思いなど何もなく、思ってもいなかった道へと入ってしまったのです。このことは私の愚かな過ちでありますので、他人を恨むようなことではありませんが、最期にまだ言い足りないと思った一念によって、このように参ったのであります」
と言った。
発心集「蓮花城入水の事」原文全文
近きころ、蓮花城といひて、人に知られたる聖ありき。登蓮法師あひ知りて、ことにふれ情をかけつつ過ぎけるほどに、年ごろありて、この聖の言ひけるやうは、
「今は、年にそへつつ弱くなりまかれば、死期の近づくこと疑ふべからず。終はり正念にてまかりかくれんこと、極まれる望みにてはべるを、心の澄む時、入水をして終はり取らんとはべる」
と言ふ。
登蓮聞き驚きて、
「あるべきことにもあらず。今一日なりとも、念仏の功を積まんとこそ願はるべけれ。さやうの行は、愚痴なる人のする業なり」
と言ひて、諫めけれど、さらにゆるぎなく思ひかためたることと見えければ、「かく、これほど思ひ取られたらんに至りては、留むるに及ばず。さるべきにこそあらめ」とて、そのほどの用意なんど、力を分けてもろともに沙汰しけり。
つひに、桂川の深き所に至りて、念仏高く申し、時経て、水の底に沈みぬ。その時、聞き及ぶ人、市のごとく集まりて、しばらくは、貴み悲しぶこと限りなし。登蓮は年ごろ見なれたりつるものをと、あはれに覚えて、涙を押さへつつ帰りにけり。
かくて日ごろ経るままに、登蓮物の怪めかしき病をす。あたりの人あやしく思ひて、こととしけるほどに、霊あらはれて、ありし蓮花城と名のりければ、
「このこと、げにと覚えず。年ごろあひ知りて、終はりまでさらに恨みらるべきことなし。いはんや発心のさまなほざりならず、貴くて終はりたまひしにあらずや。かたがた何の故にや、思はぬさまにて来たるらん」
と言ふ。
物の怪の言ふやう、
「そのことなり。よく制したまひしものを、我が心のほどを知らで、いひがひなき死にをしてはべり。さばかり人のためのことにもあらねば、その際にて思ひ返すべしとも覚えざりしかど、いかなる天魔のしわざにてありけん、まさしく水に入らんとせし時、たちまちにくやしくなんなりてはべりし。されども、さばかりの人中に、いかにして我が心と思ひ返さん。『あはれ、ただ今制したまへかし』と思ひて、目を見合はせたりしかど、知らぬ顔にて、『今は疾く疾く』ともよほして、沈みてん恨めしさに、何の往生のことも覚えず、すずろなる道に入りてはべるなり。このこと、わが愚かなる過なれば、人を恨み申すべきならねど、最期に口惜しと思ひし一念によりて、かく詣で来たるなり」
と言ひけり。
発心集「蓮花城入水の事」現代語訳全文
近ごろ、蓮花城といって、人によく知られている聖人がいた。登蓮法師は知り合いで、何かにつけて世話を焼きながら過ごしているうちに、何年か経ったある日、この聖人が言うことには、
「今は年を添えるにつれて弱ってまいりましたので、死期が近づいていることは疑いようもありません。臨終は乱れのない心で姿を隠すことが、極めての望みでありますので、心が澄んでいる時に、入水をして臨終を迎えたいと思っております」
と言う。登蓮は聞いて驚き、
「あってはならないことです。あと一日であっても、念仏の功を積もうと願うべきです。そのような行いは、無知な愚か者がすることです」
と言って諫めたが、まったくゆるぎなく思いを固めていることと見えたので、「こうも、これほど覚悟を決めるまでに至ったのでは、留めることもできない。そうなるべき宿命であったのだろう」と思って、その入水の用意など、力を貸してあれこれと手配した。ついに、桂川の深い所に至って、念仏を高らかに唱え、しだいに水の底へ沈んでいった。その時、うわさを聞きつけた人々が市場のように集まり、しばらくの間は崇め敬い、悲しむこと限りなかった。登蓮は長年にわたって親しくしていた者をと、ひどく悲しく思われて、涙を押さえながら帰っていった。
こうして何日か経ったころ、登蓮は物の怪に取りつかれたような病におかされた。周りの人は不思議に思って、うわさが広がっていくうちに、霊が現れて、ありし日の蓮花城だと名乗ったので、登蓮は、
「恨まれるようなことはまったく覚えがない。何年も親交があって、終わりまで何も恨まれるようなことはないはずだ。それに入水を発起された心はいいかげんなものではなく、尊く臨終されたのではなかったか。いずれにしても何の理由があって、思いもよらない姿で現れたのか」
と言う。物の怪が言うには、
「そのことなんです。私の入水を強く制してくださったのに、私は自分の決心の程度も知らないで、つまらない死に方をしてしまいました。特に人に言われてしたことでもないので、その死に際になって思いがひっくり返るだろうとは思いもしませんでしたが、いかなる天魔のしわざでありましょうか、まさしく水に入ろうとした時、急に後悔の念が押し寄せて来たのでありました。しかし、あれほどの大衆の中で、どうして我が決心をひっくり返せましょうか。『ああ、今こそ制してくださいませ』と思い、登蓮様に視線を合わせたりしたのですが、気づかぬ顔でしたので、『今は早く早く』と自分を急かして沈んでしまった恨めしさから、往生への思いなど何もなく、思ってもいなかった道へと入ってしまったのです。このことは私の愚かな過ちでありますので、他人を恨むようなことではありませんが、最期にまだ言い足りないと思った一念によって、このように参ったのであります」
と言った。

