『源氏物語』第32帖「梅枝」原文全文|ひらがなルビ(ふりがな)付きで読む

目次

御裳着のこと

 御裳着おほんもぎのこと、おぼしいそぐ御心みこころおきて、つねならず。春宮とうぐうおな二月きさらぎに、おほんかうぶりのことあるべければ、やがておほんまゐりもうちつづくべきにや。

 正月しゃうがつ晦日つごもりなれば、公私おほやけわたくしのどやかなるころほひに、薫物合たきものあはせたまふ。大弐だいにのたてまつれるかうども御覧ごらんずるに、「なほ、いにしへのにはおとりてやあらむ」とおぼして、二条院にでうのゐん御倉みくらけさせたまひて、からものどもわたさせたまひて、御覧ごらんくらぶるに、

にしきあやなども、なほふるきものこそなつかしうこまやかにはありけれ」

 とて、ちかおほんしつらひの、ものおほひ、敷物しきものしとねなどのはしどもに、故院こゐん御世みよはじめつかた高麗人こまうどのたてまつれりけるあや緋金錦ひごんきどもなど、いまのものにず、なほさまざま御覧ごらんじあてつつせさせたまひて、このたびのあやうすものなどは、ひとびとにたまはす。

 かうどもは、昔今むかしいまの、ならべさせたまひて、御方々おほんかたがたくばりたてまつらせたまふ。

二種ふたくさづつはせさせたまへ」

 と、こえさせたまへり。おくもの上達部かむだちめろくなど、になきさまに、うちにもにも、ことしげくいとなみたまふにへて、方々かたがたりととのへて、鉄臼かなうすおとみみかしかましきころなり。

 大臣おとどは、寝殿しんでんはなれおはしまして、承和じょうわおほんいましめのふたつのはうを、いかでか御耳おほんみみにはつたへたまひけむ、こころにしめてはせたまふ。

 うへは、ひむがしなか放出はなちいでに、おほんしつらひことにふかうしなさせたまひて、八条はちでう式部卿しきぶきゃう御方おほんはうつたへて、かたみにいどはせたまふほど、いみじうしたまへば、

にほひのふかあささも、けのさだめあるべし」

 と大臣おとどのたまふ。ひと御親おほんおやげなきおほんあらそひごころなり。

 いづかたにも、御前おまへにさぶらふひとあまたならず。御調度おほんてうどどもも、そこらのきよらをくしたまへるなかにも、香壺かうご御筥おほんはこどものやう、つぼ姿すがた火取ひとりのこころばへも、目馴めなれぬさまに、いまめかしう、やうへさせたまへるに、所々ところどころこころくしたまへらむにほひどもの、すぐれたらむどもを、かぎあはせてれむとおぼすなりけり。

二月の十日

 二月きさらぎ十日とをかあめすこしりて、御前近おまへちか紅梅盛こうばいさかりに、いろるものなきほどに、兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやわたりたまへり。おほんいそぎの今日明日けふあすになりにけることども、とぶらひきこえたまふ。むかしよりきたる御仲おほんなかなれば、へだてなく、そのことかのこと、とこえあはせたまひて、はなをめでつつおはするほどに、前斎院さきのさいゐんよりとて、りすきたるむめえだにつけたる御文おほんふみまゐれり。みやこしめすこともあれば、

「いかなる御消息おほんせうそこのすすみまゐれるにか」

 とて、をかしとおぼしたれば、ほほみて、

「いとれしきことこえつけたりしを、まめやかにいそぎものしたまへるなめり」

 とて、御文おほんふみかくしたまひつ。

 ぢんはこに、瑠璃るりつきふたゑて、おほきにまろがしつつれたまへり。心葉こころば紺瑠璃こんるりには五葉ごえふえだしろきにはむめりて、おなじくひきむすびたるいとのさまも、なよびやかになまめかしうぞしたまへる。

えんあるもののさまかな」

 とて、御目止おほんめとめたまへるに、

はなりにしえだにとまらねどうつらむそであさくしまめや」

 ほのかなるを御覧ごらんじつけて、みやはことことしうじたまふ。

 宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう御使おほんつかひたづねとどめさせたまひて、いたうはしたまふ。紅梅襲こうばいがさねから細長ほそながへたるをんな装束さうぞくかづけたまふ。御返おほんかへりもそのいろかみにて、御前おまへはならせてつけさせたまふ。

 みや

「うちのことおもひやらるる御文おほんふみかな。なにごとのかくろへあるにか、ふかかくしたまふ」

 とうらみて、いとゆかしとおぼしたり。

なにごとかはべらむ。隈々くまぐましくおぼしたるこそ、くるしけれ」

 とて、御硯おほんすずりのついでに、

はなにいとどこころをしむるかなひとのとがめむをばつつめど」

 とやありつらむ。

「まめやかには、きしきやうなれど、またもなかめるひとうへにて、これこそはことわりのいとなみなめれと、おもひたまへなしてなむ。いとみにくければ、うとひとはかたはらいたさに、中宮ちゅうぐうまかでさせたてまつりてとおもひたまふる。したしきほどにれきこえかよへど、づかしきところのふかうおはするみやなれば、なにごともつねにてせたてまつらむ、かたじけなくてなむ」

 など、こえたまふ。

「あえものも、げに、かならずおぼるべきことなりけり」

 と、ことわりまうしたまふ。

このついでに御方々の

 このついでに、御方々おほんかたがたはせたまふども、おのおの御使おほんつかひして、

「この夕暮ゆふぐれのしめりにこころみむ」

 とこえたまへれば、さまざまをかしうしなしてたてまつりたまへり。

「これかせたまへ。れにかせむ」

 とこえたまひて、御火取おほんひとりどもして、こころみさせたまふ。

ひとにもあらずや」

 と卑下ひげしたまへど、らぬにほひどもの、すすおくれたる香一種かうひとくさなどが、いささかのとがきて、あながちにおとりまさりのけぢめをおきたまふ。かのわが御二種おほんふたくさのは、いまさせたまふ。

 右近うこんぢん御溝水みかはみづのほとりになずらへて、西にし渡殿わたどのしたよりづる汀近みぎはちかうづませたまへるを、惟光これみつ宰相さいしゃう兵衛尉ひゃうゑのじょうりてまゐれり。宰相中将さいしゃうのちゅうじゃうりてつたまゐらせたまふ。みや

「いとくるしき判者はんざにもたりてはべるかな。いとけぶたしや」

 と、なやみたまふ。おなじうこそは、いづくにもりつつひろごるべかめるを、ひとびとの心々こころごころはせたまへる、ふかあささを、かぎあはせたまへるに、いときょうあることおほかり。

 さらにいづれともなきなかに、斎院さいゐん御黒方おほんくろばう、さいへども、こころにくくしづやかなるにほひ、ことなり。侍従じじゅうは、大臣おとどおほんは、すぐれてなまめかしうなつかしきなりとさだめたまふ。

 たいうへおほんは、三種みくさあるなかに、梅花ばいか、はなやかにいまめかしう、すこしはやきこころしつらひをへて、めづらしきかをくははれり。

「このころのかぜにたぐへむには、さらにこれにまさるにほひあらじ」

 とめでたまふ。

 なつ御方おほんかたには、ひとびとの、かう心々こころごころいどみたまふなるなかに、数々かずかずにもでずやと、けぶをさへおもえたまへる御心おほんこころにて、ただ荷葉かえふ一種ひとくさはせたまへり。さまはりしめやかなるして、あはれになつかし。

 ふゆ御方おほんかたにも、時々ときどきによれるにほひのさだまれるにたれむもあいなしとおぼして、薫衣香くのえかうはうのすぐれたるは、さき朱雀院すざくゐんのをうつさせたまひて、公忠朝臣きんただのあそんの、ことにえらつかうまつれりし百歩ひゃくぶはうなどおもて、ずなまめかしさをあつめたる、こころおきてすぐれたりと、いづれをも無徳むとくならずさだめたまふを、

こころぎたなき判者はんざなめり」

 とこえたまふ。

月さし出でぬれば

 つきさしでぬれば、大御酒おほみきなどまゐりて、むかし御物語おほんものがたりなどしたまふ。かすめるつきかげこころにくきを、あめ名残なごりかぜすこしきて、はななつかしきに、御殿おとどのあたりらずにほちて、ひと御心地おほんここちいとえんあり。

 蔵人所くらうどどころかたにも、明日あす御遊おほんあそびのうちならしに、御琴おほんことどもの装束さうぞくなどして、殿上人てんじゃうびとなどあまたまゐりて、をかしきふゑどもこゆ。

 うち大殿おほいどの頭中将とうのちゅうじゃう弁少将べんのせうしゃうなども、見参げんざんばかりにてまかづるを、とどめさせたまひて、御琴おほんことどもす。

 みや御前おまへ琵琶びは大臣おとどさう御琴おほんことまゐりて、頭中将とうのちゅうじゃう和琴わごんたまはりて、はなやかにきたてたるほど、いとおもしろくこゆ。宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう横笛よこぶえきたまふ。をりにあひたる調子てうし雲居くもゐとほるばかりきたてたり。弁少将べんのせうしゃう拍子ひゃうしりて、「むめだしたるほど、いとをかし。わらはにて、韻塞ゐんふたぎのをり、「高砂たかさごうたひしきみなり。みや大臣おとどもさしいらへしたまひて、ことことしからぬものから、をかしき御遊おほんあそびなり。

 御土器おほんかはらけまゐるに、みや

うぐひすこゑにやいとどあくがれむこころしめつるはなのあたりに

千代ちよぬべし」

 とこえたまへば、

いろもうつるばかりにこのはるはな宿やどをかれずもあらなむ」

 頭中将とうのちゅうじゃうたまへば、りて、宰相中将さいしゃうのちゅうじゃうにさす。

うぐひすのねぐらのえだもなびくまでなほきとほせ夜半よは笛竹ふえたけ

 宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう

こころありてかぜくめるはなにとりあへぬまできやるべき

なさけなく」

 と、みなうちわらひたまふ。弁少将べんのせうしゃう

かすだにつきはなとをへだてずはねぐらのとりもほころびなまし」

 まことに、がたになりてぞ、みやかへりたまふ。御贈おほんおくものに、みづからの御料ごれう御直衣おほんなほしおほんよそひ一領ひとくだり手触てふれたまはぬ薫物たきもの二壺ふたつぼへて、御車おほんくるまにたてまつらせたまふ。みや

はなをえならぬそでにうつしもてことあやまりといもやとがめむ」

 とあれば、

「いとくつしたりや」

 とわらひたまふ。御車おほんくるまかくるほどに、ひて、

「めづらしと故里人ふるさとびとちぞはなにしきかへきみ

またなきこととおぼさるらむ」

 とあれば、いといたうからがりたまふ。次々つぎつぎ君達きむだちにも、ことことしからぬさまに、細長ほそなが小袿こうちきなどかづけたまふ。

かくて西の御殿に

 かくて、西にし御殿おとどに、いぬときわたりたまふ。みやのおはします西にし放出はなちいでをしつらひて、御髪上みぐしあげ内侍ないしなども、やがてこなたにまゐれり。うへも、このついでに、中宮ちゅうぐう御対面おほんたいめんあり。御方々おほんかたがた女房にょうばうしあはせたる、かずしらずえたり。

 とき御裳おほんもたてまつる。大殿油おほとなぶらほのかなれど、おほんけはひいとめでたしと、みやたてまつれたまふ。大臣おとど

おぼつまじきをたのみにて、なめげなる姿すがたを、すす御覧ごらんぜられはべるなり。のちのためしにやと、心狭こころせばしのおもひたまふる」

 などこえたまふ。みや

「いかなるべきことともおもうたまへきはべらざりつるを、かうことことしうとりなさせたまふになむ、なかなかこころおかれぬべく」

 と、のたまひつほどのおほんけはひ、いとわか愛敬あいぎゃうづきたるに、大臣おとども、おぼすさまにをかしきおほんけはひどもの、さしつどひたまへるを、あはひめでたくおぼさる。母君ははぎみの、かかるをりだにえたてまつらぬを、いみじとおもへりしも心苦こころぐるしうて、のぼらせやせましとおぼせど、ひとのものひをつつみて、ぐしたまひつ。

 かかるところ儀式ぎしきは、よろしきにだに、いとことおほくうるさきを、片端かたはしばかり、れいのしどけなくまねばむもなかなかにやとて、こまかにかず。

春宮の御元服は

 春宮とうぐう御元服おほんげんぷくは、二十余日にじふよひのほどになむありける。いと大人おとなしくおはしませば、ひとむすめどもきほまゐらすべきことを、こころざしおぼすなれど、この殿とのおぼしきざすさまの、いとことなれば、なかなかにてやじらはむと、ひだり大臣おとどなども、おぼしとどまるなるをこしめして、

「いとたいだいしきことなり。宮仕みやづかへのすぢは、あまたあるなかに、すこしのけぢめをいどまむこそ本意ほいならめ。そこらの警策きゃうざく姫君ひめぎみたち、められなば、えあらじ」

 とのたまひて、おほんまゐびぬ。次々つぎつぎにもとしづめたまひけるを、かかるよし所々ところどころきたまひて、左大臣殿さだいじんどのさんきみまゐりたまひぬ。麗景殿れいけいでんこゆ。

 この御方おほんかたは、むかし御宿直所おほんとのゐどころ淑景舎しげいさあらためしつらひて、おほんまゐびぬるを、みやにもこころもとながらせたまへば、四月うづきにとさだめさせたまふ。御調度おほんてうどどもも、もとあるよりもととのへて、おほんみづからも、ものの下形したかた絵様ゑやうなどをも御覧ごらんれつつ、すぐれたる道々みちみち上手じゃうずどもをあつめて、こまかにみがきととのへさせたまふ。

 草子さうしはこるべき草子さうしどもの、やがてほんにもしたまふべきをらせたまふ。いにしへのかみなききは御手おほんてどもの、のこしたまへるたぐひのも、いとおほくさぶらふ。

よろづのこと昔には

「よろづのこと、むかしにはおとりざまに、あさくなりゆくすゑなれど、仮名かんなのみなむ、いまはいときはなくなりたる。ふるあとは、さだまれるやうにはあれど、ひろこころゆたかならず、一筋ひとすぢかよひてなむありける。

たへにをかしきことは、よりてこそづるひとびとありけれど、女手をんなでこころれてならひしさかりに、こともなき手本てほんおほつどへたりしなかに、中宮ちゅうぐう母御息所ははみやすんどころの、こころにもれずはしいたまへりし一行ひとくだりばかり、わざとならぬをて、きはことにおぼえしはや。

さて、あるまじき御名おほんなてきこえしぞかし。くやしきことにおもひしみたまへりしかど、さしもあらざりけり。みやにかく後見うしろみつかうまつることを、心深こころふかうおはせしかば、御影おほんかげにも見直みなほしたまふらむ。

みや御手おほんては、こまかにをかしげなれど、かどやおくれたらむ」

 と、うちささめきてこえたまふ。

故入道宮こにふだうのみや御手おほんては、いとけしきふかうなまめきたるすぢはありしかど、よわきところありて、にほひぞすくなかりし。

ゐん尚侍かんこそ、いま上手じゃうずにおはすれど、あまりそぼれてくせひためる。さはありとも、かのきみと、前斎院さきのさいゐんと、ここにとこそは、きたまはめ」

 と、ゆるしきこえたまへば、

「このかずには、まばゆくや」

 とこえたまへば、

「いたうなぐしたまひそ。にこやかなるかたのなつかしさは、ことなるものを。真名まなのすすみたるほどに、仮名かんなはしどけなき文字もじこそじるめれ」

 とて、まだかぬ草子さうしどもつくくはへて、表紙へうしひもなどいみじうせさせたまふ。

兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみや左衛門督さゑもんのかみなどにものせむ。みづから一具ひとよろひくべし。けしきばみいますがりとも、えならべじや」

 と、われぼめをしたまふ。

墨筆並びなく選り出でて

 すみふでならびなくでて、れい所々ところどころに、ただならぬ御消息おほんせうそこあれば、ひとびと、かたきことにおぼして、かへさひまうしたまふもあれば、まめやかにこえたまふ。高麗こまかみ薄様うすやうだちたるが、せめてなまめかしきを、

「この、ものごのみするわかひとびと、こころみむ」

 とて、宰相中将さいしゃうのちゅうじゃう式部卿宮しきぶきゃうのみや兵衛督ひゃうゑのかみうち大殿おほいどの頭中将とうのちゅうじゃうなどに、

葦手あしで歌絵うたゑを、おもおもひにけ」

 とのたまへば、みな心々こころごころいどむべかめり。

 れい寝殿しんでんはなれおはしましてきたまふ。はなざかりぎて、浅緑あさみどりなるそらうららかなるに、ふることどもなどおもひすましたまひて、御心みこころのゆくかぎり、さうのも、ただのも、女手をんなでも、いみじうくしたまふ。

 御前おまへひとしげからず、女房にょうばうふたり三人みたりばかり、すみなどらせたまひて、ゆゑあるふるしふうたなど、いかにぞやなどでたまふに、口惜くちをしからぬかぎりさぶらふ。

 御簾みすげわたして、脇息けふそくうへ草子さうしうちき、端近はしぢかくうちみだれて、ふでしりくはへて、おもひめぐらしたまへるさま、なくめでたし。しろあかきなど、掲焉けちえんなるひらは、ふでとりなほし、用意よういしたまへるさまさへ、見知みしらむひとは、げにめでぬべきおほんありさまなり。

兵部卿宮渡りたまふ

兵部卿宮ひゃうぶきゃうのみやわたりたまふ」とこゆれば、おどろきて、御直衣おほんなほしたてまつり、おほんしとねまゐへさせたまひて、やがてり、れたてまつりたまふ。このみやもいときよげにて、御階みはしさまよくあゆのぼりたまふほど、うちにもひとびとのぞきてたてまつる。うちかしこまりて、かたみにうるはしだちたまへるも、いときよらなり。

「つれづれにもりはべるも、くるしきまでおもうたまへらるるこころののどけさに、をりよくわたらせたまへる」

 と、よろこびきこえたまふ。かの御草子おほんさうしたせてわたりたまへるなりけり。やがて御覧ごらんずれば、すぐれてしもあらぬ御手おほんてを、ただかたかどに、いといたう筆澄ふですみたるけしきありてきなしたまへり。うたも、ことさらめき、そばみたる古言ふることどもをりて、ただ三行みくだりばかりに、文字もじすくなにこのましくぞきたまへる。大臣おとど御覧ごらんおどろきぬ。

「かうまではおもひたまへずこそありつれ。さらに筆投ふでなてつべしや」

 と、ねたがりたまふ。

「かかる御中おほんなかおもなくくだすふでのほど、さりともとなむおもうたまふる」

 など、たはぶれたまふ。

 きたまへる草子さうしどもも、かくしたまふべきならねば、たまひて、かたみに御覧ごらんず。

 からかみの、いとすくみたるに、さうきたまへる、すぐれてめでたしとたまふに、高麗こまかみの、はだこまかになごうなつかしきが、いろなどははなやかならで、なまめきたるに、おほどかなる女手をんなでの、うるはしうこころとどめてきたまへる、たとふべきかたなし。

 たまふひとなみださへ、水茎みづぐきなが心地ここちして、あるまじきに、また、ここの紙屋かみや色紙しきしの、いろあひはなやかなるに、みだれたるさううたを、ふでにまかせてみだきたまへる、見所みどころかぎりなし。しどろもどろに愛敬あいぎゃうづき、まほしければ、さらにのこりどもにやりたまはず。

左衛門督は

 左衛門督さゑもんのかみは、ことことしうかしこげなるすぢをのみこのみてきたれど、ふでおきまぬ心地ここちして、いたはりくはへたるけしきなり。うたなども、ことさらめきて、きたり。

 をんなおほんは、まほにもでたまはず。斎院さいゐんのなどは、ましてたまはざりけり。葦手あしで草子さうしどもぞ、心々こころごころにはかなうをかしき。

 宰相中将さいしゃうのちゅうじゃうのは、みづいきほゆたかきなし、そそけたるあしひざまなど、難波なにはうらかよひて、こなたかなたいきまじりて、いたうみたるところあり。また、いといかめしう、ひきかへて、文字もじやう、いしなどのたたずまひ、このきたまへるひらもあめり。

およばず。これはいとまいりぬべきものかな」

 と、きょうじめでたまふ。何事なにごともものごのみし、えんがりおはする親王みこにて、いといみじうめできこえたまふ。

今日はまた手のことども

 今日けふはまた、のことどものたまひらし、さまざまの継紙つぎかみほんども、でさせたまへるついでに、御子みこ侍従じじゅうして、みやにさぶらふほんどもりにつかはす。

 嵯峨さがみかどの、古万葉集こまんえふしふえらかせたまへる四巻よまき延喜えんぎみかどの、古今和歌集こきんわかしふを、から浅縹あさはなだかみぎて、おないろもん表紙へうしおなじきたまじくだん唐組からくみひもなど、なまめかしうて、まきごとに御手おほんてすぢへつつ、いみじうくさせたまへる、大殿油おほとなぶらみじかまゐりて御覧ごらんずるに、

きせぬものかな。このころのひとは、ただかたそばをけしきばむにこそありけれ」

 など、めでたまふ。やがてこれはとどめたてまつりたまふ。

女子をんなごなどをてはべらましにだに、をさをさはやすまじきにはつたふまじきを、まして、ちぬべきを」

 などこえてたてまつれたまふ。侍従じじゅうに、からほんなどのいとわざとがましき、ぢんはこれて、いみじき高麗笛こまぶえへて、たてまつれたまふ。

 またこのころは、ただ仮名かんなさだめをしたまひて、なかくとおぼえたる、上中下かみなかしもひとびとにも、さるべきものどもおぼしはからひて、たづねつつかせたまふ。この御筥おほんはこには、くだれるをばぜたまはず、わざと、ひとのほど、品分しなわかせたまひつつ、草子さうし巻物まきものみなかせたてまつりたまふ。

 よろづにめづらかなる御宝物おほんたからものども、ひと朝廷みかどまでありがたげなるなかに、このほんどもなむ、ゆかしと心動こころうごきたまふ若人わかうどおほかりける。御絵おほんゑどもととのへさせたまふなかに、かの須磨すま日記にきは、すゑにもつたらせむとおぼせど、「いますこしをもおぼりなむに」とおぼかへして、まだでたまはず。

内の大臣は

 うち大臣おとどは、このおほんいそぎを、ひとうへにてきたまふも、いみじうこころもとなく、さうざうしとおぼす。姫君ひめぎみおほんありさま、さかりにととのひて、あたらしううつくしげなり。つれづれとうちしめりたまへるほど、いみじき御嘆おほんなげきぐさなるに、かのひとけしき、はた、おなじやうになだらかなれば、「心弱こころよわすすらむも、人笑ひとわらはれに、ひとのねむごろなりしきざみに、なびきなましかば」など、人知ひとしれずおぼなげきて、一方ひとかたつみをもおほせたまはず。

 かくすこしたわみたまへるけしきを、宰相さいしゃうきみきたまへど、しばしつらかりし御心みこころしとおもへば、つれなくもてなし、しづめて、さすがにほかざまのこころはつくべくもおぼえず、こころづからたはぶれにくきをりおほかれど、「浅緑あさみどりこえごちし御乳母おほんめのとどもに、納言なふごんのぼりてえむの御心みこころふかかるべし。

大臣はあやしう浮きたる

 大臣おとどは、「あやしうきたるさまかな」と、おぼなやみて、

「かのわたりのこと、おもえにたらば、右大臣みぎのおとど中務宮なかつかさのみやなどの、けしきばみはせたまふめるを、いづくもおもさだめられよ」

 とのたまへど、ものもこえたまはず、かしこまりたるおほんさまにてさぶらひたまふ。

「かやうのことは、かしこき御教おほんをしへにだにしたがふべくもおぼえざりしかば、ことまぜまけれど、いまおもひあはするには、かの御教おほんをしへこそ、ながためしにはありけれ。

つれづれとものすれば、おもふところあるにやと、世人よひとはかるらむを、宿世すくせかたにて、なほなほしきことにありありてなびく、いとしりびに、人悪ひとわろきことぞや。

いみじうおもひのぼれど、こころにしもかなはず、かぎりのあるものから、きしきこころつかはるな。いはけなくより、みやうちでて、こころにまかせず、所狭ところせく、いささかのことのあやまりもあらば、軽々かろがろしきそしりをやはむと、つつみしだに、なほきしきとがひて、にはしたなめられき。

くらゐあさく、なにとなきのほど、うちとけ、こころのままなるひなどものせらるな。こころおのづからおごりぬれば、おもひしづむべきくさはひなきときをんなのことにてなむ、かしこきひとむかしみだるるためしありける。

さるまじきことにこころをつけて、ひとをもて、みづからもうらみをふなむ、つひのほだしとなりける。とりあやまりつつひとの、わがこころにかなはず、しのばむことかたふしありとも、なほおもかへさむこころをならひて、もしはおやこころにゆづり、もしはおやなくてなかかたほにありとも、人柄ひとがら心苦こころぐるしうなどあらむひとをば、それをかたかどにせてもたまへ。わがため、ひとのため、つひによかるべきこころふかうあるべき」

 など、のどやかにつれづれなるをりは、かかる御心みこころづかひをのみをしへたまふ。

かやうなる御諌めにつきて

 かやうなる御諌おほんいさめにつきて、たはぶれにてもほかざまのこころおもひかかるは、あはれに、ひとやりならずおぼえたまふ。をんなも、つねよりことに、大臣おとどおもなげきたまへるおほんけしきに、づかしう、おぼしづめど、うへはつれなくおほどかにて、ながぐしたまふ。

 御文おほんふみは、おもひあまりたまふ折々をりをり、あはれに心深こころふかきさまにこえたまふ。「がまことをか」とおもひながら、世馴よなれたるひとこそ、あながちにひとこころをもうたがふなれ、あはれとたまふふしおほかり。

中務宮なかつかさのみやなむ、大殿おほとのにもけしきたまはりて、さもやと、おぼはしたなる」

 とひとこえければ、大臣おとどは、ひきかへ御胸おほんむねふたがるべし。しのびて、

「さることをこそきしか。なさけなきひと御心みこころにもありけるかな。大臣おとどの、口入くちいれたまひしに、執念しふねかりきとて、たがへたまふなるべし。心弱こころよわくなびきても、人笑ひとわらへならましこと」

 など、なみだけてのたまへば、姫君ひめぎみ、いとづかしきにも、そこはかとなくなみだのこぼるれば、はしたなくてそむきたまへる、らうたげさかぎりなし。

「いかにせまし。なほやすすでて、けしきをとらまし」

 など、おぼみだれてちたまひぬる名残なごりも、やがて端近はしぢかながめたまふ。

「あやしく、こころおくれてもすすでつるなみだかな。いかにおぼしつらむ」

 など、よろづにおもひゐたまへるほどに、御文おほんふみあり。さすがにぞたまふ。こまやかにて、

「つれなさはつねになりゆくをわすれぬひとひとにことなる」

 とあり。「けしきばかりもかすめぬ、つれなさよ」と、おもつづけたまふはけれど、

かぎりとてわすれがたきをわするるもこやになびくこころなるらむ」

 とあるを、「あやし」と、うちかれず、かたぶきつつゐたまへり。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次