穏やかな夕暮れの中、紫式部たちの前に現れたのは、藤原道長の長男である17歳の頼道でした。
『紫式部日記』の「しめやかなる夕暮れ」は、頼道の大人びた振る舞いに紫式部が感心する印象的な場面です。
本記事では、「しめやかなる夕暮れ」の現代語訳・原文・語釈とともに、「多かる野辺に」の意味についても解説します。
紫式部日記「しめやかなる夕暮れ」の現代語訳
穏やかな夕暮れ時に、宰相の君こと藤原豊子様と二人で世間話をしていたら、道長殿の長男である頼道殿がいらっしゃって、簾の端を持ち上げてお座りになります。
お年の割には随分と大人びていて、深みのあるお人柄で、
「女性はやはり気だてが大切なのでしょうけれど、それこそが一番難しいものですね」
など、男女の話をしっぽりとお話しされている雰囲気は、「まだ子供だと人が申すのは、まったく見当違いだわ」と、感心して見ておりました。
あまり話し込み過ぎない程度のところで、
「多かる野辺に」
と口ずさんで立ち上がったお姿はもう、物語でほめられている男のような心地がしたものです。
こんなちょっとしたことが、ふと思い出されることもあるけれど、その時は印象的なことであったことが、時が過ぎれば忘れてしまうこともあるのは、どうしたことでしょうか。
紫式部日記「しめやかなる夕暮れ」の原文
しめやかなる夕暮れに、宰相の君と二人、物語してゐたるに、殿の三位の君、簾のつま引き上げてゐたまふ。
年のほどよりは、いとおとなしく、心憎きさまして、
「人はなほ、心ばへこそ難きものなめれ」
など、世の物語しめじめとしておはするけはひ、幼しと人の侮り聞こゆるこそ悪しけれと、恥づかしげに見ゆ。
うちとけぬほどにて、
「多かる野辺に」
とうち誦じて、立ちたまひにしさまこそ、物語にほめたる男の心地しはべりしか。
かばかりなることの、うち思ひ出でらるるもあり、その折はをかしきことの、過ぎぬれば忘るるもあるはいかなるぞ。
紫式部日記「しめやかなる夕暮れ」の語釈
- 宰相の君:藤原豊子。道長の異母兄、道綱の娘。中宮彰子の子の乳母となる。
- 三位の君:道長の長男、頼道。中宮彰子の弟。当時17歳。
- 心憎し:(人柄・態度に深みがあり)心ひかれる。奥ゆかしい。
- 心ばへ:気だて。性質。心づかい。
- 侮る:あなどる。ばかにする。
- 悪し:適当でない。
- うち誦ず:(漢詩や和歌を)口ずさむ。
「多かる野辺に」の意味
殿の三位の君こと藤原頼通が、「多かる野辺に」と口ずさんで立ち上がる場面がありますが、これは『古今和歌集』収録されている女郎花(おみなえし)の歌のことです。
女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をやたちなん(巻4-229番歌)
女郎花が多い野辺にずっといたら、わけもなく浮気者だと噂されてしまいそうだ
要するに頼道は、
「(紫式部さんのような)美人が大勢いる場所に長居してたら、それだけで好色者と思われてしまいそうなんで、そろそろ行きますね」
と、その場にいる女性を立てつつ、自分の真面目さをも出す、17歳とは思えない大人びた振舞いに、紫式部は感心したのでした。


