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歴史探訪
藤原広嗣|鎌足・不比等からの家系と生涯をわかりやすく解説
天平12(740)年に朝廷への反乱を起こした人物として歴史に名を残している藤原広嗣。藤原姓の始祖、中臣鎌足のひ孫で、祖父は大政治家の藤原不比等。不比等の4人の息子たちは藤原四兄弟と呼ばれ、政権の中枢を担っていましたが、天然痘パンデミックによ... -
歴史探訪
藤原広嗣の乱|若きエリートはなぜ大宰府で兵を挙げたのか?
天平12(740)年の夏、大宰府に左遷されたことに不満を抱いていた若者が、朝廷に向けて兵を挙げました。若者の名は藤原広嗣。藤原氏の始祖である中臣鎌足のひ孫であり、祖父は大政治家として名を残した藤原不比等。父の宇合もまた政権の中心で活躍してい... -
紫式部
鏡神社(佐賀県唐津市)|紫式部ゆかりの地を訪問
佐賀県唐津市に鎮座する鏡神社。西暦200年頃に創立された歴史ある神社で、『源氏物語』の第22帖「玉鬘」の巻で詠まれた歌に登場します。玉鬘はさまざまな事情があって、3歳の頃に京から筑紫国へと引っ越してきた姫君。そこで育った玉鬘は美しく成長し、... -
平家物語
木曾義仲はなぜ殺された?頼朝・義経と戦うハメになった経緯
寿永3(1184)年1月20日、粟津の戦いで討ち死にした木曾義仲(源義仲)。最期に戦った相手は、源頼朝が派遣した軍隊です。義仲は頼朝と同じ源氏であり、従兄弟という関係。頼朝の弟である義経も、義仲の従兄弟です。 源氏にとって共通の敵は平氏であっ... -
平家物語
巴御前は実在しない?「木曾の最期」の巴と義仲の関係を考察
木曾義仲に仕えた女武者として知られる巴御前。『源平盛衰記』に登場する人物ですが、当時の一次資料や鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』には記述がなく、実在しないのではないかともいわれています。 『平家物語』によると、巴御前は色白で髪が長く、... -
平家物語
【全文】平家物語「木曾の最期」原文と現代語訳
美しき女武者、巴御前 木曾殿は信濃より、巴、山吹とて二人の便女を具せられたり 原文 木曾なり。 現代語訳 木曾殿は信濃で挙兵した時から、巴、山吹という二人の侍女を連れておられた。山吹は病気になって都にとどまった。中でも巴は、色白で髪が長く... -
方丈記
方丈記の品詞分解と読み方|総ルビつき「ゆく河の流れ」を読む
『方丈記』の序章、「ゆく河の流れ」の品詞分解と読み方をまとめました。品詞分解はできるだけ見やすいように、原文を細かく区切って一節ごとに掲載しております。また、原文のすべての漢字にルビを振っておりますので、読み方もわかりやすいかと思います... -
紫式部日記
紫式部日記「同僚女房評」現代語訳|和泉式部と清少納言へのディスを超訳
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。 現代語に訳さなくても、超ディスってるんだろうなって感じが伝わりますよね(笑)。『紫式部日記』は寛弘5(1008)年から寛弘7(1010)年にかけて、宮中の様子を記録した日記です。その中で和泉式部と清... -
歴史探訪
【訪問記】胸の観音への行き方|巨石と大木のパワースポット
福岡県京都郡みやこ町の観光スポット、「胸の観音」。近くで別用を済ませたついでに寄ってみたのですが、素晴らしいパワースポットでとても"ついで"に行くようなところではありませんでした。特にスゴいと感じたのが大木のパワー。手を当てると木の脈動... -
発心集
発心集 第4-8「ある人、臨終に言わざる遺恨事」現代語訳と原文
発心集 第4-8「ある人、臨終に言わざる遺恨事」 年ごろ、相知る人ありき 原文・語釈 年を呼びければ、行きて、ねんごろに見あつかひけり。 語釈 としごろ【年頃】:長年。 あひしる【相知る】:見知っている。親しく付き合う。 けんきゅう【建久】:1190...