古典文学– category –
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源氏物語
源氏物語「玉鬘」のあらすじをわかりやすく紹介
『源氏物語』の第22帖「玉鬘」から第31帖「真木柱」までは玉鬘十帖と呼ばれ、玉鬘が結婚するまでの半生が描かれています。玉鬘は光源氏が17歳の頃に逢瀬を交わしていた美女、夕顔の娘。光源氏は夕顔のことが忘れられず、娘である玉鬘の行方も気になってい... -
紫式部日記
紫式部日記「日本紀の御局」原文と現代語訳
左衛門の内侍といふ人侍り 原文 左らむよ。 現代語訳 左衛門の内侍という人がいます。よくわからないけど、なぜか私のことをよく思ってなくて、身に覚えのないモヤモヤする陰口がたくさん聞こえてきました。帝(一条天皇)が源氏物語を女房に朗読させ... -
紫式部
鏡神社(佐賀県唐津市)|紫式部ゆかりの地を訪問
佐賀県唐津市に鎮座する鏡神社。西暦200年頃に創立された歴史ある神社で、『源氏物語』の第22帖「玉鬘」の巻で詠まれた歌に登場します。玉鬘はさまざまな事情があって、3歳の頃に京から筑紫国へと引っ越してきた姫君。そこで育った玉鬘は美しく成長し、... -
平家物語
木曾義仲はなぜ殺された?頼朝・義経と戦うハメになった経緯
寿永3(1184)年1月20日、粟津の戦いで討ち死にした木曾義仲(源義仲)。最期に戦った相手は、源頼朝が派遣した軍隊です。義仲は頼朝と同じ源氏であり、従兄弟という関係。頼朝の弟である義経も、義仲の従兄弟です。 源氏にとって共通の敵は平氏であっ... -
平家物語
巴御前は実在しない?「木曾の最期」の巴と義仲の関係を考察
木曾義仲に仕えた女武者として知られる巴御前。『源平盛衰記』に登場する人物ですが、当時の一次資料や鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』には記述がなく、実在しないのではないかともいわれています。 『平家物語』によると、巴御前は色白で髪が長く、... -
平家物語
【全文】平家物語「木曾の最期」原文と現代語訳
美しき女武者、巴御前 木曾殿は信濃より、巴、山吹とて二人の便女を具せられたり 原文 木曾なり。 現代語訳 木曾殿は信濃で挙兵した時から、巴、山吹という二人の侍女を連れておられた。山吹は病気になって都にとどまった。中でも巴は、色白で髪が長く... -
方丈記
方丈記の品詞分解と読み方|総ルビつき「ゆく河の流れ」を読む
『方丈記』の序章、「ゆく河の流れ」の品詞分解と読み方をまとめました。品詞分解はできるだけ見やすいように、原文を細かく区切って一節ごとに掲載しております。また、原文のすべての漢字にルビを振っておりますので、読み方もわかりやすいかと思います... -
紫式部日記
紫式部日記「同僚女房評」現代語訳|和泉式部と清少納言へのディスを超訳
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。 現代語に訳さなくても、超ディスってるんだろうなって感じが伝わりますよね(笑)。『紫式部日記』は寛弘5(1008)年から寛弘7(1010)年にかけて、宮中の様子を記録した日記です。その中で和泉式部と清... -
発心集
発心集 第4-8「ある人、臨終に言わざる遺恨事」現代語訳と原文
発心集 第4-8「ある人、臨終に言わざる遺恨事」 年ごろ、相知る人ありき 原文・語釈 年を呼びければ、行きて、ねんごろに見あつかひけり。 語釈 としごろ【年頃】:長年。 あひしる【相知る】:見知っている。親しく付き合う。 けんきゅう【建久】:1190... -
鴨長明
鴨長明の生没年と死因を考察|1155年ではなく1153年生まれ?
鴨長明の生没年は、通説では久寿2(1155)年に生まれて、健保4(1216)年閏6月8日に数え62歳で亡くなったとされています。没年については『月講式』という資料からほぼ確定とされていますが、生年はあくまで推定。『方丈記』には「六十の露消えがたに及...