おせち料理に入っている赤い巻貝のような食べ物「ちょろぎ」。
「長老木」「千代呂木」といった漢字を当てて、長寿を願う料理の一つです。
おせち料理以外で見かけることはめったにありませんが、ちょろぎとは一体どんな食材なのでしょうか。
ちょろぎについて、どんな植物でどんな意味が込められているのか、わかりやすく解説します。
チョロギとは?
ちょろぎとはシソ科の植物のことで、お正月のおせち料理で食べられるのは塊茎の部分です。
塊茎とは地下茎が肥大化したもので、ジャガイモのように地下から掘り出します。
食材としてのちょろぎは、このように白い巻貝のような形で、おせち料理で赤く色づけされているのは、梅酢で漬けこまれているからです。

出典:Wikipedia
地上部の茎は真っすぐ30~60cmほどに伸び、夏に淡い紫色の花を咲かせます。

出典:Wikipedia
秋になると塊茎が大きくなり始め、冬に収穫。
つまり、お正月ごろに旬を迎えます。
日本では岩手県釜石市や大分県竹田市などで栽培されていますが、希少性が高く、おせち料理に使われているのは中国産のちょろぎがほとんどです。
チョロギがおせちに使われ始めたのはいつ?

チョロギは中国原産の植物で、中国では古くから栽培されていました。
唐代に活躍した「陳藏器(681年 – 757年)」という薬物学者が記した『本草拾遺』という漢方書に、「草石蚕」という名称で記録されています。
- チョロギとは別種という説もある。
石蚕とはイサゴムシという虫のことで、その幼虫の形に似ていることから、チョロギを「草石蚕」と書くこともあります。
ちょろぎが日本へ伝来したのは江戸時代とみられており、黒川道祐という医師が延宝3(1675)年に著した『遠碧軒記』が初出とされています。
元禄9(1697)年に農学者の宮崎安貞が出版した『農業全書』にはちょろぎの栽培方法が記されており、この頃から栽培が少しづつ広がっていったようです。
現在、ちょろぎの名産地とされる大分県竹田市では約300年前から栽培されているとのことで、約300年前というのはちょうど『農業全書』が出版された頃と一致します。
ちょろぎは栽培が容易であることから、救荒作物としても利用されてきました。
縁起物として扱われ始めた時期ははっきりとしませんが、江戸時代の書物には「草石蚕」「甘露兒」といった漢字で記載されているため、もっと後のことではないかと思われます。
明治時代にも、新宿御苑の造園技師であった福羽逸人が明治26(1893)年に刊行した『蔬菜栽培法』等でチョロギが紹介されていますが、全国各地で広く栽培されたわけではないようです。
昭和24(1949)年の時点で、チョロギが栽培されていたのは全国23府県だったという記録が残っています。
一部の地域では「長老喜」「千代老木」といった漢字を当てて、お正月料理に使われていたのかもしれませんが、全国的におせち料理の定番となったのは割と最近のことではないでしょうか。
チョロギがおせち料理に使われる地域
実際にちょろぎをおせち料理に入れるのは、東北地方から北関東にかけての地域でした。
現在でも、特に関西より西ではなじみが薄く、おせち料理にちょろぎを入れない地方もあります。
ちょろぎ自体を食べたことがない、知らないという人も少なくありません。
ちょろぎの名産地の一つである大分県でも、ちょろぎは常備菜であり、お正月に特別食べる物という位置づけではないそうです。
現在は通販でおせちを買う方も増えていますので、ちょろぎを見たことがない方は「何この赤いの?」とビックリされるかもしれません。
でもちょろぎは長寿を願う縁起物ですので、おせちに入っていたらぜひ食べてみてください。
チョロギをおせち料理に入れる意味

ちょろぎは「長老木」「長老喜」「長老貴」「千代呂木」「千代老木」「長老芋」といった漢字を当てて、長寿を意味する一品です。
また、一つの株からたくさんの塊茎が収穫できることから、「子孫繁栄」を願う食材でもあります。
おせち料理では梅酢に漬けて赤く色づいたものが食べられますが、古くから赤は魔除けや厄除け、生命力や情熱を意味する縁起の良い色とされてきました。
黒豆と一緒に盛り付けられることもあり、「まめに健康で長く働けるように」と祈願する場合もあります。
ちょろぎ自体は国内での生産数が少なく、スーパーなどで手に入れることが難しい食材ですが、デパ地下や通販で買えるおせちには入っていることも多いです。
特にちょろぎを食べたことがない方は、ぜひちょろぎ入りのおせちを探してみてください。


