おせち料理にはさまざまな食材が使われますが、その中でも手頃に手に入り、簡単に添えられるのが蒲鉾(かまぼこ)です。
しかし白身魚が高級品であり、保存の難しかった時代には、かまぼこは贅沢品の一つでした。
古代には神功皇后が食し、平安時代には祝い膳として振る舞われ、織田信長の最後の晩餐にも並んだというかまぼこ。
おせちに込められた意味と歴史についてまとめました。
おせちのかまぼこに込められた意味

かまぼこは板の上に乗った半円形が、水平線から昇る「初日の出」に見えることから、新年の始まりにふさわしい縁起物としてお正月のおせち料理に加えられます。
紅白2色のかまぼこを並べるのは、紅色が「魔除け」の色であり、白色が「清浄」を意味することから、新年も邪気を遠ざけて健やかに過ごせることを願うためです。
ちなみに紅白かまぼこは、右に紅、左に白を並べるのが伝統定な正解。
古代中国から伝わる陰陽説において、左側を「陽」として白や銀など淡い色を置き、右側を「陰」として赤や黒など濃い色を配するのが正しいとされているからです。
日本においては、源平合戦が紅白のルーツであるという説もあります。
源氏が白旗、平氏が赤旗を用いていたからです。
確かに運動会や紅白歌合戦など、紅白に分かれて競い合うのは源平合戦に由来するのかもしれませんが、「めでたい」とはまた違いますよね。
おせちの紅白かまぼこについては、陰陽説の意味をもとにして、新年を清々しくスタートし、健康で安全な一年を願う気持ちで頂くのが良いのではないでしょうか。
その他、かまぼこは魚のすり身を原料とすることから、「豊漁」や「繁栄」の意味が込められているともいわれています。
現代ではスーパーでもすぐに手に入りますので、手軽に食べられる縁起物として、お正月のおせちにはぜひかまぼこを入れておきましょう。
かまぼこ(蒲鉾)という名前の由来
かまぼこ(蒲鉾)はもともと、ちくわ(竹輪)のような形状をしていました。
竹の棒に魚のすり身を巻いて作ったもので、蒲(ガマ)という植物の穂に色と形が似ていることが、「蒲鉾(かまぼこ)」という名前の由来とされています。

蒲(ガマ)は『古事記』の「因幡の白兎」で、サメに毛皮をはぎ取られた兎が、大国主命に「ガマの穂を塗るとよい」といわれた植物で、古代からなじみがありました。
蒲焼きも昔はウナギを開かずに棒に差して焼いていたため、蒲鉾と同じく色と形状が蒲の穂に似ていることに由来するといわれています。
蒲鉾の由来について、見た目が武器の鉾(ほこ)に似ているから、という説もありますが、それでは蒲の説明が足りません。
蒲の穂先が鉾に似ているから蒲鉾という説もあることから、やはり大本の由来は植物の蒲(ガマ)と考えられるのではないでしょうか。
現代でおなじみの板付きのかまぼこは、室町時代にはあったとされています。
しばらくは「板蒲鉾」と「竹輪蒲鉾」で呼び分けられていたようですが、いつしか板蒲鉾が「蒲鉾」、竹輪蒲鉾が「竹輪」と呼ばれるようになったとのことです。
かまぼこの歴史
「蒲鉾」という言葉が初めて登場するのは、久安2(1146)年頃に成立した『類聚雑要抄』という古文書です。
永久3(1115)年に催された藤原忠実の転居祝いで、蒲鉾が振る舞われたと記録されています。

出典:国書データベース
このことから毎年11月15日は「かまぼこの日」と制定されています。
ただし、棒に魚のすり身を付けて焼いた食べ物は、古代から存在していたと考えられています。
『日本書紀』の時代、西暦201年に神功皇后が三韓征伐から帰る途中で、現在の神戸市中央区にある生田の杜付近で、魚のすり身を鉾に塗りつけて焼いて食べた、という伝説があるのです。
このことから生田の杜は「かまぼこ発祥の地」とされており、記念碑が立てられています。
ちなみに最初期のかまぼこは現代のような海水魚ではなく、淡水魚のナマズが主原料だったそうです。
享禄元(1528)年に刊行された『宗五大草紙』には、「かまぼこはなまず本也。蒲のほをにせたる物なり」と記載されています。
昔から白身魚が高価であり、保存が難しかったことから、かまぼこは贅沢品でした。
豊臣秀吉の息子秀頼の大好物だったとされ、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれる前日にも蒲鉾が供されたと記録されています。
もともとは焼き蒲鉾が主流でしたが、江戸時代になると現代でもなじみの深い蒸し蒲鉾が登場し、庶民のくちにも入るようになっていきました。
飾り切りされたり、模様が入れられたりするかまぼこも、江戸時代から作られ始めました。
このようにハレの日の縁起物であり、ちょっと贅沢品であったかまぼこは、お正月の祝い膳にも最適な食材だったのでしょう。
今では安く簡単に手に入るかまぼこ。
おせち料理では少し手間をかけて、飾り切りをしてみてはいかがでしょうか。




